今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

バイオリンの日

2007-08-28 | 記念日
今日(8月28日)は、「バイオリンの日」。
今日は何の日~毎日が記念日~によれば、1880(明治13)年の今日(8月28日)、東京・深川の三味線職人・松永定次郎が国産バイオリンの第1号を完成させたといわれているそうだ。
ヴァイオリン(violin)は、弦楽器の一種で、などで振動させることによって音を出す。ピアノと並ぶ非常にポピュラーな楽器である。
音響のしくみとしては、弦は弓でこすることで振動し、その振動はと内部にある魂柱を経て表板から裏板に伝わる。一方表板の振動は側板を通じても裏板に伝わり、全体で共鳴箱としての役割を発揮する。この時f字孔の存在によって音響はより効果的となるそうで、音色は弦の種類や運弓法によって変わってくる。音色は楽器ごとにも特色が出てくる。ただこれらの音の違いがどうして生み出されるのかは、音響学上はっきりしない点が多いいそうで、ストラディヴァリウスなどの名器がなぜ素晴らしい音を出すのかと言うと、元々の製作精度の高さと経年変化による恩恵が大きいとされているそうだ。 
ヴァイオリンの起源については諸説あるが、はっきりしたことはいまだにわかっていないそうだ。そもそもヴァイオリン黎明期である16世紀当時において「ヴァイオリン」や「ヴィオール」という言葉が何を指すのかに関してもあいまいな点があるそうだ。祖先としてはキタララバーブ(画像は以下参考に記載の国立民俗学博物館ラバーブ参照)、レベックリュートなどが考えられているが、何らかの形でヴィオール属の影響を受けている可能性が高いという。 
ヴァイオリンが世に登場してきたのは16世紀初頭と考えられており、現存する最古の楽器は16世紀後半のものだが、それ以前にも北イタリアをはじめヨーロッパ各地の絵画や文献でヴァイオリンが描写されているという。最初期の製作者としてはアンドレア・アマティガスパロ・ディ・ベルトロッティ(ガスパロ・ダ・サロとも)、ガスパール・ティーフェンブルッカーが有名だそうで、当時は舞踏の伴奏など、世俗音楽用の楽器として考えられていたという。
17~18世紀にはニコロ・アマティ、ヤコプ・シュタイナー(en:Jacob Stainer)、アントニオ・ストラディヴァリグァルネリ一族など著名な製作者が続出。特に卓越していたのがストラディヴァリで、ヴァイオリンの形態は彼の研究によってほぼ完成に至ったという。
「ヴァイオリン」は「ヴィオール属」とはいくつかの相違点が挙げられるが(ヴィオール属の特徴とヴァイオリン属との違い参照)、力学的に改良が施されて音量・音の張りに大きく向上が見られた。音楽文化の中心が宮廷サロンから劇場・ホールに移るにつれ、弦楽器においてこれまでになく大きな響きを持つヴァイオリンはクラシック音楽を形作る中心となっていったという。(詳しくは以下参考に記載の「ハフナ(HAFUNA)音楽談話室/ヴァイオリンとヴァイオリン音楽」や「楽器のトリビア」を参照されると良い)。
日本人が初めて西洋の音楽に接したのは1549(天文18)年の事で、ポルトガルの国王であったジョアン三世の要請により、東インド管区長として派遣され1549(天文18)年に来日したイエズス会フランシスコ・ザビエルによるものだそうで、イエズス会の報告書によると、1581(天正9)年に織田信長の前でクラヴォとヴィオラ(ヴィオール?)を弾いたところ信長は非常に喜んだという記録があるそうだ。また、1563(永禄6)年に来日した、ルイス・フロイスの「日本史」には、当時ポルトガル修道士がヴィオラ・ダ・ブラッチョを、ミサでの演奏用として日本の子供に教えたことが、書かれているともいう。このように、日本人が初めて、西洋のキリスト音楽文化に接したのは、450年位以前の話であるが、実際に西洋の音楽文化が日本に正式に取り入れられたのは、それから約330年経った1879(明治12)年音楽取調掛が設置され、音楽研究および西洋音楽をベースとした音楽教育(唱歌教育)の形成の取り組みが始められてからだと言う。
1880(明治13)年音楽取調掛の教師として来日したアメリカ人ルーサー・ホワイティング・メーソンが手ほどきをしたのが始めであり、それからヴァイオリンは少しずつ広まっていった。
日本で初めてヴァイオリンを制作したのは、当時音楽取調掛の長であった伊沢修二が、雅楽器の製作者であった「神田 某」に依頼して作らせたのが初めてであると云われている(明治17~18年頃)。しかし、一説によれば1880(明治13)年に、三味線の製作者であった「松永定次郎」がニコライ堂のヴァイオリニストのヴァイオリンを模して作ったのが初めてであるとも云われているそうだ。1887(明治20)年頃になると「頼母木源七」もヴァイオリンの製作を始めたが両者とも長くは続かなかった。源七の指導により「山田縫三郎」が引き継いだが、本格的にヴァイオリンを制作し、日本のヴァイオリン製作の祖と言われているのは「鈴木政吉(1859~1944)」だそうである。(以下参考に記載の「ハフナ(HAFUNA)音楽談話室/ヴァイオリンとヴァイオリン音楽第三楽章 ヴァイオリニスト参照)
日本記念日協会の記念日には、「バイオリンの日」は無いのだが、先にも書いたように、松永定次郎が初めてであるとの説もあるようであり、このような「日本初」ものには、色々な説のあることが多く、ここではこれを正しいものとしておこう。(^0^)
♪権利幸福きらいな人に 自由湯(じゆうとう)をば飲ませたい 
オッペケペー オツペケペッポー ペッポッポー・・・
オッペケペー節:川上音二郎が唄って一世を風靡したラップ調の唄。
明治も終わり頃になると、自由民権運動の活動家たちが新しい思想を広めるためにラップ調の「演歌」を生み出し、演歌歌手たちの伴奏にヴァイオリンは無くてはならないものになった。このヴァイオリンと演歌という組合せは大正時代になると更に普及し、演歌自体はやがて政治思想からは離れた享楽的なものに変化して行き、ヴァイオリンを片手に歓楽街を回る「流し」の演歌師などを生むことになる。
そういえば、私の家には戦前、押し込みの中に、親父のものだというバイオリンやアコーデオンを仕舞っているのを見て、お袋にどうしたのか聞いたことがある。お袋の話では、私の親父は青年時代、文学青年を気取って、戦前の神戸の繁華街新開地あたりで、自分の書いた詩をバイオリンやアコーデオンを弾き歌いながら配っていたのだと言っていた。その後、どうしたのか、気がついたときには無かったが、恐らく戦後親父が商売を失敗し、貧乏をしていた時に質種にでもなっていたのだろうね~。
(画像はヴァイオリンの外観 。 Wikipediaより)
参考:
ヴァイオリン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3
国立民俗学博物館・ラバーブ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%96
ハフナ(HAFUNA)音楽談話室/ヴァイオリンとヴァイオリン音楽
http://godmuses.hp.infoseek.co.jp/index.html
楽器のトリビア(アンサンブル"シュシュ”)
http://www.wcsnet.or.jp/~shokuchu/chouchou/gakki/gakki01.html
日本史 ルイスフロイス : 平凡社 - 電子書籍はeBookJapan : 総合図書
http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=831
近代音楽-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E9%9F%B3%E6%A5%BD
雅楽 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%85%E6%A5%BD
今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/08/28.html
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
鈴木政吉物語
http://www.suzukiviolin.co.jp/about/story1.html
川上音二郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E9%9F%B3%E4%BA%8C%E9%83%8E
自由民権運動
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/jiyuuminnkennunndou.htm
ラップ-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97
♪ヴァイオリン演歌♪ 其の一
http://homepage2.nifty.com/tanosiki/enka.htm
新開地 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%96%8B%E5%9C%B0