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溝口健二監督の『西鶴一代女』がベネチア国際映画祭でグランプリ 受賞

2007-09-12 | 歴史
1952(昭和27)年の今日(9月12日)、溝口健二監督の『西鶴一代女』が第13回ベネチア国際映画祭でグランプリ(監督賞)を受賞した。
溝口健二は1898(明治31)年5月16日生まれ、東京都出身であるが、その生い立ちは、詳しく判らないが、幼少期は相当苦労をしたらしい。小学校卒業後、神戸で発刊された日刊新聞「神戸又新日報社」に図案係として勤務していたことがあるそうだ。「神戸又新日報社」は、1884(明治17)年5月創刊。創刊当時の「神戸又新日報」の題字は尾崎行雄が書いたといわれている。当初、立憲改進党系の政論新聞として出発したが、のちに報道第一主義に転換し、紙数をのばしたという。大正期には、溝口健二が、広告図案や挿し絵を描いていたそうだ。(「神戸又新日報」のことは、以下参考の「神戸市文書館 収蔵資料:新聞」参照)
1920(大正 9)年日活向島撮影所に入るが、関東大震災後、京都撮影所に移る。1925(大正14)年、恋人であり同棲中の雇女(やとな =「やといおんな」。別れた後、貧しさのため娼婦となる)に背中を剃刀で斬られる事件以後女性をテーマにした作品に独特の感覚を発揮するようになったという。(以下参考に記載の「反抗精神と女性尊重との乖離 - 山田維史の遊卵画廊」参照)
1932(昭和 7)年、日活を辞め入江たか子の入江プロダクションで仕事をするようになり、『満蒙建国の黎明』、『瀧の白糸』が大ヒット。1934(昭和 9)年永田雅一の第一映画に参加、のち松竹大映と移る。戦中戦後はスランプとなりヒットがなく引退が時間の問題といわれていたという。しかし、客を呼べなくなった田中絹代を主役にするなと言う周りの声には耳を貸さず重用し続けた。溝口にとって彼女は敬愛の対象だったようだ。1952(昭和27)年の『西鶴一代女』は公開時ヒットしなかったが、ヴェネチア国際映画祭 で国際賞受賞を得て流れが変わった。この点は、先日このブログで書いた黒澤明監督の映画『羅生門』と同じだ。1950(昭和25)年の8月26日公開された映画『羅生門』(ブログ参照)も、公開当時は、余りにも難解な内容に、映画が完成時には製作者の永田自身「この映画はわけがわからん」と批判していたくらいで、日本では余り評判のよくなかった作品が、1951((昭和26)年9月10日、ヴェネツィア国際映画祭でグランプリ(金獅子賞)を受賞し、西洋に黒澤明の名や日本映画の芸術性の高さを初めて世界に知らしめたものである。
これは、今年(2007年)、河瀬直美監督の映画「殯の森 」が第60回カンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールに次ぐ、審査員特別大賞「グランプリ」を受賞したが、受賞するまで、日本の評論家の話題にもならず突然の受賞に驚かされたのと同じだ。どうも、日本人の映画での芸術性の評価には外国人との見方の違いがあるのか、それとも映画を見ている人が娯楽性ばかりを求めて芸術性の高い映画に余り興味がないからかもしれない。
映画『西鶴一代女』は、もともと、終戦前後に在籍していた松竹で企画されながら実現せず(これが溝口監督の松竹退社のきっかけになったというが、それが新東宝で製作されたものの、新東宝が撮影所の使用を断ったため、大阪・枚方の菊人形会場を借りて撮影したというエピソードがあるそうだ。兎に角、この作品は、長い間低迷が続いていた溝口が、後輩である黒澤明の『羅生門』がベネチアでグランプリを受賞したことに刺激されて製作した意欲作で、江戸時代中期の井原西鶴の名作「好色一代女」を依田義賢が脚色したものを、溝口が監督し映画化した古典文芸作品である。出演は田中絹代、三船敏郎等。
奈良の町はずれの荒寺の門前にたたずむ娼婦たちが3人。その中に、老い疲れた顔を厚化粧にかくしたお春(田中絹代)の姿もあった。その夜、巡礼帰りの百姓たちの前に引き出され「こんな化け猫をお前たちは買いたいのか」とさらし者になった彼女は、我知らず寺の羅漢堂に入っていく。お春は、五百羅漢の仏像に自分がかかわりあった男たちの顔を重ねて遠い昔を偲ぶ。江戸時代の京で、宮中に女官として仕えるお春は、他家の若侍(三船敏郎)と恋に落ちるが、身分違いの色恋沙汰を禁じる当時の法により、若侍は処刑され、お春は家族ともども京を追放される。その後も男たちとの出会いと別れを繰り返しては不幸になっていく女の哀しさと強さを溝口映画最大のヒロイン田中絹代の名演が際立っている。
少し蛇足になるが、黒澤映画の『羅生門』が冒頭、芥川の『羅生門』を、基に撮られているが、芥川は『今昔物語集』に出てくる「羅城(らじょう)門」)を想定し小説を書いている。これに対して、この溝口の映画『西鶴一代女』は西鶴の『好色一代女』の最終章「皆思惑の五百羅漢」を想定して撮られているが、この西鶴の物語に出てくる羅漢堂は京都の大雲寺と言うことなのだが、大雲寺にはもともと五百羅漢などは無く完全な西鶴の想像によるもののようだ。(以下参考に記載の「西鶴の虹」「井原西鶴」参照)
その後、1953年『雨月物語』(銀獅子賞)、1954年『山椒大夫』(銀獅子賞)という3年連続のヴェネツィア国際映画祭入賞は日本国内では他に類を見ない功績である。その後まもなく体調を崩し1956年『赤線地帯』(goo映画赤線地帯〔1956年〕参照)撮影後、白血病のため死去するが、彼の長回しの技法は、間もなく起こるフランスのヌーベルバーグに影響を与えることとなり、ジャン=リュック・ゴダールをはじめ、フランソワ・トリュフォーなどヨーロッパの映画作家に多大な影響を与えた。
姉が芸者で新派悲劇専門の撮影所の助監督から映画人生活を始めたという溝口は終生、虐げられた女の、男性優位社会に対する抵抗を主題として映画を作り、今日見直されている普遍的な日本の女の強さと美しさを描き続けた。そんな彼の作品は、 ヨーロッパでの人気は、黒澤明・小津安二郎を凌いでいるといわれているそうだ。
それにしても、1950年代は日本映画の黄金期であったといえる。映画館は扉も閉まらないほどの満員で、押し合いへし合いしながら立ち見をするというのが当たり前のことのような時代であった。先にも述べた、黒澤明監督の『羅生門』が1951年ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞、続いて、溝口健二が1952年の『西鶴一代女』、1953年『雨月物語』、1954年『山椒大夫』と3年連続のヴェネツィア国際映画祭入賞。特に1954年は、質的にも日本映画史上のピークと言って良く、他に、1952年の吉村公三郎が『源氏物語』でカンヌ国際映画祭 で、撮影賞を受賞したのに続いて衣笠貞之助の『地獄門』が、カンヌでグランプリを受賞した。、また、黒澤、も『生きる 』でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞、『七人の侍』でヴェネチア国際映画祭 でサンマルコ銀獅子賞を受賞している。(以下参考に記載のCinemaScape/POV:ジャパネスクin5大国際映画祭参照)
1954(昭和29)年の国内での最大のヒット作は木下恵介監督の映画『二十四の瞳』であった。
ちょうど、この時期日本は朝鮮戦争の余波で再軍備の是非をめぐって国論が揺れていた時代であった。その情況の中で、15年戦争の被害をしみじみと語ったこの映画は、全国民的な感銘の渦を巻き起こし、戦争は、もうごめんだ、再軍備は慎重にというコンセンサスを固めるのに貢献したといえるだろう。・・・本当にいい映画が安く見られた時代であった。映画好きの私はこの当時年にどれくらいの本数の映画を見ただろうか。映画の入場料は200円と安かった。それにしても、今の時代、つまらない映画が多いね~。
(画像はDVD「西鶴一代女:」)
参考:
溝口健二 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%9D%E5%8F%A3%E5%81%A5%E4%BA%8C
井原西鶴 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%8E%9F%E8%A5%BF%E9%B6%B4
溝口健二 (ミゾグチケンジ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/115553/index.html
依田義賢 (ヨダヨシカタ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/97385/index.html
枚方市 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9A%E6%96%B9%E5%B8%82
CinemaScape/POV:ジャパネスクin5大国際映画祭
http://cinema.intercritique.com/pov.cgi?id=4201
没後五十年 溝口健二の世界
http://www.rcsmovie.co.jp/shiga/2006/07/mizo/mizo.html
キネマの見地・ベネチア国際映画祭
http://www.fayreal.com/fayreal/cinema/venezia.html#13
好色一代女
http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y05/html/835/
西鶴の虹
http://www.vega.or.jp/~toshio/zsaikaku.htm
井原西鶴
http://www.daiunji.org/prod03.htm
アカデミー賞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E8%B3%9E
神戸市文書館 収蔵資料:新聞
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/shiryou/shinbun.html
反抗精神と女性尊重との乖離 - 山田維史の遊卵画廊
http://plaza.rakuten.co.jp/plexus/diary/200608300000/
映画監督 溝口健二(と映画女優 田中絹代)     
http://www.fsinet.or.jp/~fight/mizoguchi/01.htm
殯の森 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%AF%E3%81%AE%E6%A3%AE