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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

大友柳太朗(俳優、「怪傑黒頭巾」) の忌日

2007-09-27 | 人物
今日(9月27日)は 大友柳太朗(大友柳太郎=俳優、「怪傑黒頭巾」) の1985(昭和60)年の忌日。
大友 柳太朗(おおとも りゅうたろう)は、1912(明治45)年6月5日、山口県玖珂郡麻利布村(現岩国市)に中富家の長男として生まれる。本名は中富正三。松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)卒業後、新国劇に入り、辰巳柳太郎に師事。1936(昭和11)年、24歳の時、映画界にスカウトされ、片岡千恵蔵市川右太衛門山田五十鈴らが活躍していた新興キネマ京都撮影所に入社。芸名は新国劇時代の師匠辰巳の芸名を貰い「大友柳太郎」とし、山本周五郎原作の『青空浪士』(1937年)で映画デビュー。続いて同年、鈴木澄子(元祖・化け猫役者といわれているそうだ)との『佐賀怪猫伝』に主演し大ヒット、スターの仲間入りを果たす。1942(昭和17)年1月に、新興キネマ、大都、日活の製作部門を吸収する形で、大日本映画製作株式会社(大映)が設立された。この大映創立第1回超大作『維新の曲』(オールスター)では、坂本竜馬を暗殺する佐々木只三郎役で出演。
順風満帆が俳優生活であったが、戦争で応召を受け、戦後の1946(昭和21)年、復員するが、日本を占領中の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本刀を振り回す剣劇(チャンバラ時代劇)は軍国主義を煽り立てる危険があり好ましくないので禁止するとの通達を出した。この時代劇禁止政策により、大友はしばらく地方巡業などで生計をたてていたようだ。
余談になるが、時代劇全盛の時代に、時代劇の大御所・片岡千恵蔵の時代劇を作れないので、この時、苦肉の策として、時代劇のチャンバラを拳銃による銃撃戦に置き換えてつくられたものが千恵蔵が現代劇で、架空の探偵(多羅尾伴内)を演ずる「七つの顔の男」シリーズであり、1946(昭和21)年~1948(昭和23)年に大映が4作品を、1953(昭和28)年~1960(昭和35)年に東映が7作品を製作し、興行的に大成功を収めた。まさに、瓢箪から駒の映画であるが、私も大好きでこの映画は殆ど見ている。
大友の戦後の復帰第一作は、GHQ規制の中での斬りあうことのない娯楽時代劇「天下の御意見番を意見する男」(1947年4月)での一心太助役であった。彼の持ち味はチャンバラ。殺陣の鮮やかさは誰もが認めるところだが、チャンバラのないただ威勢の良い啖呵が売り物の太助役はどうも大友にはにあわなかったようだ。その後もGHQ検閲の中で映画には出演している。また、1950(昭和25)年には時代劇映画も解禁されるが主役には恵まれず、「大江戸五人男」 (1951年)から、「大友柳太郎」の「郎」を「朗」に改め、「大友柳太朗」と改名している。改名のと理由はなかなか主役の座に返り咲けず低迷したので、これでは師匠の名を名乗るのはおこがましいと考えたからだという。そんな戦前の主役で、戦後、脇役に廻ってしまった俳優の中で、いち早く唯一人スターの座にもどれたきっかけは、1953(昭和28)年2月、松山中学の後輩である佐伯清監督による「加賀騒動」で山田五十鈴との共演を果たし、これが大ヒットしたことによる。そして、東映に入社後の同年11月公開の「怪傑黒頭巾」に主演。この役が大評判となり、黒頭巾役者として子供達の人気の的になった。明朗快活、太刀さばきのうまい侍役の大友は、チャンバラ映画の好きな私もファンであり、怪傑黒頭巾も良かったが、私にとっては、1954(昭和29)年.からの「新諸国物語 笛吹童子」三部作の 霧の小次郎役が非常に印象に残っている。高らかな笑い声とともに黒雲に乗って現れる霧の小次郎は、主演の萩丸(東千代之介) 菊丸( 中村錦之助 )を喰っていた。 シリーズ物では、「怪傑黒頭巾」のほか大河内伝次郎のものを継承した「丹下左膳 」シリーズや嵐寛寿郎の主演で戦前から続いていた「むっつり右門」シリーズを継承した「右門捕物帖」シリーズがある。1950年~1960年代の東映時代劇の全盛期(黄金)にあって、大友は、片岡千恵蔵、市川右太衛門の両御大と中村錦之助、東千代之介、大川橋蔵の若手三羽烏などとの中間的存在にあったが、味のある俳優であった。
時代劇では豪放磊落な役柄が多かったが、俳優としての実像は非常に生真面目で神経質だったようで、師匠辰巳の前では終生、膝を崩す事がなかったそうだ。滑舌(かつぜつ)が悪い事を常に気に病んでいたともいわれるが、私などには、かえって、それが、大友の台詞回しの特徴で良かったと思うのだが・・・。
東映時代劇が衰退した晩年にはNHKの「国盗り物語」やフジテレビの「北の国から」などテレビドラマにも数多く出演し、現代劇でも親しまれたが、1980年代に入り台詞覚えが悪くなった事から、老人性痴呆症にかかったと悲観しはじめ、不眠症にも悩まされるようになったという。そして、1985(昭和60)年の今日(9月27日)、東京都港区の自宅マンション屋上から飛び降り自殺した。部屋には妻と、10月から放送の新番組でレギュラー出演していたテレビドラマ『ハーフポテトな俺たち』(日本テレビ)のプロデューサーに宛てた遺書が残されていたという。この『ハーフポテトな俺たち』と映画『タンポポ』(伊丹十三監督)の2本が遺作となった。死の前日伊丹に電話をかけ、自分の出番が全て撮影済みであることを確認しているという。享年73歳であった。死ぬまで、義理を重んじる律儀な人だったんだね~。ただ、これだけ、多くの映画に出演し、多くの主演を演じ人気もあったわりには、いざ、このブログを書き、彼の映画のポスターやチラシ、カット場面等の画像を捜してもネット上や私の持っている本などには、参考にしようと思う画像が見つからない。彼ほど多くの映画に出ていない人や脇役ばかりであった人のものがあってもないのが不思議である。よくよく見直してみると、彼の映画は、本当に娯楽作品であって、面白かったが時代劇の割りには重量感もなく、名画といわれるほどの作品もない。「丹下左膳」や「右門捕物帖」シリーズにしても前にやっていた大河内や嵐寛が時代劇スタートして偉大すぎて、彼の作品が話題とはならないのであろう。しかし、そうだからと言って、彼の役者としての価値がないわけではない。私などにとっては好きな役者の1人である。
彼が好きな人は以下参考に記載の「チャンバラワールド・大友柳太朗の部屋」を見られると良い。映画の解説とともに懐かしいスチール写真など見れるよ。
(画像は、映画「忍者秘帳・梟の城」の1場面。中央大友柳太朗。アサヒグラフ「日本映画100年」より)
参考:
大友柳太朗 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E6%9F%B3%E5%A4%AA%E6%9C%97
大友柳太朗 (オオトモリュウタロウ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/86738/index.html
大友柳太朗出演映画
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0259410.htm
チャンバラワールド・大友柳太朗の部屋
http://www.asahi-net.or.jp/~uy7k-ymst/ortop/ortop.htm