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講談落語協会が艶笑者・博徒物・毒婦物・白浪物の口演を禁止した日

2007-09-13 | 歴史
1940(昭和15)年の今日(9月13日)講談落語協会が艶笑物・博徒物・毒婦物・白浪物の口演を禁止 した。
日本が第二次世界大戦に突入する頃、1940(昭和15)年2月、「警視庁興行取締規則」が発令されたが、これは従来の「興行場及興行取締規則」が強化改正されたものであった。新規則によって、興行者、技芸者、演出者はそれぞれ許可申請を提出することを命ぜられ、3月から実施された。5月には、「聖戦完遂」に即応するため、関東在住の全浪曲家をもって、「日本浪曲協会」が結成されたが、浪曲協会ばかりでなく、東京講談組合・東京落語協会・講談落語協会の三者が合同して「講談落語協会」となり、その他東京漫談協会・帝都漫才協会その他三曲・舞踊・邦楽・奇術・大神楽などの協会があったが、技芸者はこれら警視庁公認の協会に所属しない限り「技芸者の証」(一種の鑑札)が与えられず、したがって出演ができないことになった。
このとき、「講談落語協会」の会長は、講談の六代目一龍斎貞山が務めてた。
そして、講談落語協会は、時局を考え、1940 (昭和15)年の今日(9月13日)艶笑者・博徒物・毒婦物・白浪物の口演を禁止 した。
関東の日本浪曲協会に対して関西には浪曲親友協会があったが、内閣情報部は東西協会の幹部・浪曲作家・文壇人から構成される「浪曲向上会」を作らせた。同会は浪曲番付を廃止しその業者に利益を保証するため雑誌「浪曲」を発行するとともに、浪曲読物の大転換をはかり、文壇の大家に浪曲台本の新作を委嘱し、愛国精神の横溢(おういつ)した文芸的読物(「愛国浪曲」=国策浪曲)を浪曲家に与える企画をたてた。愛国浪曲の発表大会は11月に行われたが不評のため1回ぎりとなった。関西から打合せ会に出席した広沢虎吉は、政府側役人や文壇諸大家を前にして、「こういう新作台本は私は甚だ不得意で、やれといわれてもやれまへん、芸人は自分の持っている芸を大切にして、その芸でお国に御奉公すればこそ愛国であって、戦争ものを読んだからというてそれが何の愛国だっしゃろ」と述べたという(中川明徳「太平洋戦争と浪曲界」文学、1962年4月号による)。この年9月、帝国劇場(帝劇)が内閣情報部の本部となって閉鎖された。(以下参考に記載の法政大学大原社研_芸能統制〔日本労働年鑑 特集版[太平洋戦争下の労働運動]より)」
それでは、このような「文化統制」が、「能狂言」から「宝塚少女歌劇」、「浪曲」に至るまで、あらゆる芸能統制に至った背景を覗いてみよう。
1931(昭和 6) 年9月18 日の満州事変勃発(柳条湖事件)から一週間後はやくも、内閣情報委員会(情報局 )は日本ニュース実写映画連盟の代表者たちを集めて、ニュース映画による挙国一致への協力を求めた。続いて8月に内務省は「国民精神総動員」を強化するため映画製作者等に製作方針の方向転換を希望する指示を出し、映画製作各社はすべての作品の巻頭に「挙国一致」「銃後を守れ」などのタイトルを入れることを決定した。新聞・放送に始まった統制から映画統制も始まったのである。
1937(昭和12)年7月7日日中戦争が勃発(盧溝橋事件)すると、8月、警視庁保安部は「松竹」その他興行界の代表を招致し、時局を反映した興行物について取り扱い上の注意をうながし、内務省は「事変下の娯楽機関の戦時体制の確立、国民精神総動員強化のため」、映画とレコードの製作方針の方向転換を希望した。1938(昭和13)年1月近衛文麿は、「国民政府を対手とせず」と声明 。5月には、国家総動員法を公布。総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員する)旨を規定した。同年1月には、警視庁は演劇台本等の事前検閲を強化。3月、外務省は宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)がサンフランシスコで上演予定の「唐人お吉」は日米間の感情を害するとして上演中止を命じたという。また、5月には警視庁保安課が、能狂言「大原御幸」(以下参考に記載の「大原御幸〔 おおはらごこう〕曲目解説|大槻能楽堂」参照)の所作事が時局がら不敬の恐れがあるとして上演中止方を警告するなど、「文化統制」は次第に時局にそわぬものの芸能統制へと移ってゆく。しかし、1939(昭和14)年7月26日アメリカは、沸騰する反日世論に対して日米通商航海条約の廃棄を通告。日本に圧力を加えてきた。9月のロシア・オペラ、バレー団の上演は、警視庁から「事変下資金統制の建前上、外国劇団の招聘は面白くない」との理由で禁止を命ぜられ、今後もこの種の外国劇団は一切公演禁止の方針となる。12月、文部省は演劇・映画・音楽等改善委員会を設置した。(以下に参考の記載の「中野文庫 - 演劇、映画、音楽等改善委員会官制」参照)。1940(昭和15)年2月11日、皇紀2600年(紀元2600年)祝典が開催された。
そして、先にも書いた、「警視庁興行取締規則」が発令されることになるのであるが、同年6月10日、イタリアが、イギリス、フランスに宣戦を布告。 7月、ナチス・ドイツによるイギリス本土空襲、いわゆるバトル・オブ・ブリテンが始まる。7月22日第2次近衛内閣が成立すると、7月26に政府は「基本国策要綱」 (八紘一宇、日満支結合の大東亜新秩序等)を決定。8月1日には、東京市内に「贅沢は敵だ!」の立看板1500本を設置。9月7日、ドイツ空軍が、ロンドン爆撃を開始 。その2日後の9月9日、松岡・スターマー会談 (松岡洋右外相とドイツからの特使、3国同盟問題で秘密裏に会談。9月27日成立)が行われる。9月11には、隣組発足 (内務省、全国に通達)。隣組は、国民統制のために作られた地域組織。1単位10戸内外。町内会・部落会の下に作られ、食糧その他生活必需品の配給などを行なったが、これはまた、国民による国民の相互監視の機関にもなった。 (部落会、町内会等ノ指導ニ関スル件〔国立国会図書館資料〕参照。)
このような、状況下で、9月13日、講談落語協会による艶笑(えんしょう)物・博徒(ばくと)物・毒婦(どくふ)物・白浪(しらなみ)物の口演の禁止 に至ったのである。
それにしても、昔は、腹の据わった根性のある芸人が沢山いた。またそのような芸人は皆、自分の芸に誇りを持っていた。肝心のマスメディアなどが戦争を抑止するどころか、逆に戦争を煽ったのを考えると立派なものだ。良く考えてみると、マスメディアなどと言うものは、今でも、何かと批判ばかりしているようでいて実際には、いつも権力者に阿(おもね)ている感じがするよね~。しかし、戦後の高度経済成長期に何時しか「芸人」が「芸能人」と呼ばれるように偉くなった。随分前だが、朝日新聞「天声人語」に「芸能人、能がついて芸がなし」のジョークが掲載されていた。芸人に「能」と言う字が付いたときから、芸はなくなってしまったというブラックジョークである。まさに「言いえて妙」である。最近は、テレビなどでも昔のように「芸」を見せてくれる芸人は登場しなくなった。そして、この頃のテレビに出ている者は、芸能人とは云わず「タレント」などと洒落た言葉で呼ばれているが、ますます芸など見せてもらえない。「タレント」とは、今では余り売れない昔の名前で出ている芸能人やスポーツ選手、出演料の安い何の芸も無い連中のことを言うのであろうか?・・・そうなったのも、視聴者が腰を振ってただ、「フォー」などと言っているのが芸だといっているのを、喜んで見ている人が多くなったせいかもしれない。今の時代、政治が悪くなったのも、マスメディアがつまらぬ番組を作っているのもみんな、みんな、そんな政治家を選んだ人や、芸でもないつまらぬおふざけを喜んで見ている人の責任だって事だけは知っておかないといけないだろうね。世の中は、良かれ悪しかれ結局は、大勢の人が望んでいる通りになるんだからね。今の世の中が乱れているとしたら、それは、皆でそうしてきたんだよ。戦後70年を経った今、また、何となく、右へ右へと行こうとしているようだ。
(画像は、広沢虎造「清水次郎長伝・石松と三十石船」、TEICHIKU レコードジャケット部分。清水次郎長伝の中でも森の石松を題材にした「石松三十石船」は人気が高く、「寿司を食いねえ」「馬鹿は死ななきゃなおらない」などのフレーズは、ラジオ放送の普及も相まって、国民的な流行語となった。虎造の死後、浪曲界には虎造に続くスターが生まれていないのが残念)
参考:
情報局 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%B1%80
法政大学大原社研_芸能統制〔日本労働年鑑 特集版[太平洋戦争下の労働運動]
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-194.html
国立国会図書館デジタルアーカイブポータル/現行規則類典 青木茂編(第三編 風俗 第五章 興行取締り規則有り)
http://www.dap.ndl.go.jp/home/modules/dasearch/dirsearch.php?id=oai%3Akindai.ndl.go.jp%3A40023100-00000&cc=03_01_08&keyword=&and_or=AND
満州事変 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89
- クリック20世紀 -1940年
http://www.c20.jp/20c/1940.html
ザ・20世紀
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/index.html
閣議決定等文献リスト及び本文(国立国会図書館資料)
http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/title/kakugi_title09.htm
国立国会図書館デジタルアーカイブポータル(第二類 服務心得 第五章 興行場及人寄席出張心得、第七類 風俗 第二章 人寄席取締規則 )
http://www.dap.ndl.go.jp/home/modules/dasearch/dirsearch.php?id=oai%3Akindai.ndl.go.jp%3A40025258-00000&cc=03_01_07&keyword=&and_or=AND
斉藤きち - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%89%E8%97%A4%E3%81%8D%E3%81%A1
唐人お吉物語
http://www2.ncc.u-tokai.ac.jp/moon/public_html/p1.html
大原御幸 おおはらごこう|曲目解説|大槻能楽堂
http://www.noh-kyogen.com/story/a/oharagokou.html
寂光院 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%82%E5%85%89%E9%99%A2
大原御幸の舞台寂光院
http://www.hikoshima.com/heike-trip/jakkou/
中野文庫 - 演劇、映画、音楽等改善委員会官制
http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rs14-846.htm
[PDF] 1 太平洋戦争プロパガンダ傑作集・戦時国策標語はこれだ
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/030603_sennjisuro-gann.pdf
松岡洋右・一生の不覚
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/matuoka/sub_matuoka.html
桂派 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E6%B4%BE
タレント - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88