
正解が用意されている問題だけを扱ってきたのが、これまでの教育。答えを承知している者は、権威として振る舞う。
学校教育は、権威主義を育くむ。だが、未知の問題に遭遇すると、もうお手上げ。突破口を探すヒントが与えらなければ、手も足も出ない。
実効のない温暖化対策を飽きもせずに延々と連ねているというのは、有効解が与えられていなかったことが原因になっておきたこと。
答えの用意されていない問題に遭遇すると、権威者は寡黙だ。その好例がバブル崩壊の時代。1990年代に多くの証拠が残されている。霞が関と永田町界隈には、オロオロ歩きまわるだけの役人と、外出もできなくなった代議士がひっそりと暮らしていた。CO2排出の削減目標が先送りされている現状と、よく似た時代があった。
日本では当時、不作為と呼ばれる状態が続いていた。おきている問題が何なのか、ということを察知する者は皆無。長いなが~い、何をすることもできなかった、あの時代。日本が被っている現在の混迷は、この時、権威筋によって種を宿したもの。その結果が、「失われた十年」と呼ばれる歴史的エポック。
G8では、今年も根拠のない数字を玩んでいる。答えというものを見いだせずに、手がかりを模索しつづけ足掻いているのは、ない答えを探しあぐねているから。
問題と解が予めセットになっている問題ばかりを扱っていると、いざというとき、潰しがきかない人間となる。教育がシステマティックなものになればなるほど、効率的な管理手法が重宝がられる。
平等化を中心軸としたために、平均値を超える優れた頭脳が育たなくなってしまった。
優越性は、即、異端。その表れのひとつが、イジメという劣位に対する攻撃的な極度の排他主義。質の悪いエネルギーほど弱いものの方へと向っていく。これは、人間社会の常。抵抗のより少ない道を選ぶのは、電圧の法則に従う電流の性質と同じ。
教育が平均化されていくに連れて、到達点である労働現場では、勝ち組みによる非平均化が誘導され、階層社会という形で貧困層から先に劣位におこうとする圧力を生み出した。それが、派遣制度の本質。
背景に潜んでいたものは、外資による円高を症状とする投資攻勢の嵐。いわゆる、日本資産に対する買収工作。ライブドア事件は、その象徴的な事案の代表格。政府内閣が外資導入を政策として採用したから。この政策を実施した内閣は、ライオンのような髪の人物が率いていた。
ドル資本は、日本市場で獲得した利益を、そっくりアメリカ本国へともち去っていく。流動性の厚みが消えた日本市場には、薄っぺらな中身の消えた数字だけが残された。実感できない経済成長の新記録は、このようにして日本政府が生みだしてきたものに相違ない。その自覚さえ失っているという、オ、ロ、カ、サ。
管理する側にとって都合のよいシステム、が教育現場を支配している。その状態が戦後一貫して続いたため、教える側の権威までがマニュアライズされてしまった。つまり、教科書に書いてないことは、判断することも理解することも、できない。指示待ちニンゲンを大量生産している、というこの末期症状を見ても知らんぷり。
洞察抜きで推論をたてるのは、単なる暴挙。
教育方法から変えていかないと、日本は劣化する一方となる。既に始まっている深刻な現状をみれば、合点がいく。少子化、貧困化、階層化はその途中経過の状態を示している。実態を如実に物語っているのが、この現実の相。
国が劣化したのは、教育

が政治を劣化させたから。その結果、労働環境までが劣化してしまった。教育システムの欠陥が、政治判断を誤らせた。秋葉原の惨事は、誤った選択が複合してできた結果のひとつ。
日本が疲弊すると、アメリカが繁栄する。この風と桶屋の関係は、世界中でおきている現象。石油・ドル本位制という今の通貨システムが、その不具合のみなもと。