ドルが金本位制の桎梏から解放され
青天井で発行できるようになった
あのとき
から
デリバティブと呼ばれる
金融派生商品が陸続として登場するようになり
その一つが
アメリカの市場へと回帰した
ことがある
サブプライムローンと呼ばれた
大量な一斉貸しつけ行為
で
債権を商品化して
リスクを分散する方式
のモーゲージ
と呼ばれる手法が
世界市場全域で
大規模に広まった
その制度は再保険と同じ形式で
なりたっているものの一つ
市場原理を信奉する
新自由主義経済に帰依した
資本提供を生業とする組織の一群
がこぞって
この低所得者向けの
不動産担保ローン市場へと参入し
貸付総額の規模さえ誰にも分からない
ほど巨額化した
サブプライムローンが焦げ付き
デフォルトとなったことから
ドル経済圏を構成する国家群は
急遽G20を創設し
未曽有の金融危機を
かろうじて乗り切った
金本位制からアメリカが一方的に離脱し
ドルの供給が無制限に
青天井で行えるようになった
その結果
エネルギー資源の相場が急騰すると
決済通貨となっているドルの需要もまた
同じ比率で高まった
ブッシュジュニアが開始したイラク戦争は
原油相場を五年以上の長きに亘って
高騰し続ける時代を招き
国際金融資本にドルの供給を
量的に高めさせる
という無思慮な結果を導いた
エネルギー市場を中心に
相場の高値形成を急ぎ
ドルの供給益を多方面で膨らませ
イラク戦争を遂行するための原資
を
増税ではなく
市場原理に基づいた
新自由主義経済で獲得し
FRBにマネーサプライを
公表できないほどの規模へと膨らませ
大義のない戦闘を
イラク正規軍なきあと
国家を持たないテロ組織からの攻撃を
防遏するだけの作戦をとるよう
長期間強いられていた
2003年春に始まったイラク進攻作戦を
大統領フセインの処刑後
テロとの戦いへと切り替えて
2010年秋まで七年かけて
引き伸ばされ
最終的に敗北を認めざるを得なかった
米軍による攻撃の理由となった
大量破壊壁は
イラクにはじめから存在しておらず
CIAの誤認情報を勿怪の幸いとして
米共和党政権が便乗した
という経過の拙さが
米国民の
厭戦気分を高めていった
原油相場は
2008年まで
高騰状態を続けており
大量の米軍を
長期間中東に展開させておく
ための費用を
米政府は原油相場を
五年に亘って高値誘導することで
ドルの大量供給を維持すると同時に
ドル余り現象による米国債購入を
サイクルとする投資
を北米大陸へと導き
財政の崖
後にと呼ばれるイシューを生む
に至らしめた
米国債はもともと
発行限度枠に縛られており
長期債の追加発行が必要となったとき
議会の承認を得る必要があった
共和党政権が始めたイラク戦争を
政権交代でオバマが大統領となった
民主党政権が終わらせた
多数派の共和党が
議会運営の主導権を握り
少数派の民主党政権が
議会の承認を必要とする
仕組みが当時から出来上がっていた
この駆け引きの経過で生じた
瀬戸際の攻防
を財政の崖と米国民は呼び
メディアがそれに飛びついた
予算の執行が不可能となったなら
政府機能がマヒする
政府機能が停止した事実が
当時発生した事実がある
米議会でもねじれ現象がおきており
大統領府と議会との軋轢が
ことあるごとに蒸し返されている
そのねじれ現象は
トラムプによって
ほどなく解消されることとなる
サブプライムローンへの大量投資は
イラク戦争が起きていなければ
発生することはなかった
過剰流動性を回収して
北米大陸で資産の運用を図り
経済の活性化へと繋げたい
と考えた二大政党制の仕組みが陥った
共通の罠
に嵌りこんだ
ということが
金融危機へと発展し
FRBに量的緩和を三度に亘って
挙行させる結果となった
この過剰流動性を消すための
戦略的なあざとい目論見は
リーマンショックという失敗を引き起こし
国際経済をたちまち危地へと陥れ
G20の創設を急がせた
不良債権となる確率の高い投資を
証券化してリスクを分散し
再販売の推進に当たっていた
国際金融資本の一郭
が脆くも潰れ去ったその事実
のことをリーマンショックと呼ぶようになった
ドル余り現象の結果が
不良債権を大量生産することとなり
国際経済を
極めて重篤な状況へと陥れた
それほど過剰流動性の放置
は国際経済にとって
避けて然るべき行為であったのだった
その危機感の高さが
FRBをして
テーパリングの実施へと執着させている
ドル余り現象とは
アメリカが発効し過ぎたドルに備わる
過剰流動性のことに他ならない
世界規模の金融危機は
ドルの持つ固有の属性となった
過剰流動性
が引き起こした
必然性が生んだ危機
制限なくドルの新規発行が可能となり
通貨発行権を米政府が操ることを可能
とした71年夏のドルショック以降
国際経済は信用を担保に
成長する一方
という状況を更に発展させつづけ
常にその拡大を目指す資本の論理
を絶対視する環境の上で
推移してきた
資本の論理が自家中毒を引き起こし
金融危機を発生させた
その経過の意味を知る者ほど
ドル金利の上昇を急ぎたくなるのは
当然のこと
金本位制から一方的に離脱したアメリカは
通貨価値の担保を
エネルギー資源の決済能力へと移行させ
石油・ドル本位制と呼ぶべき体制
を短期間で整えた
70年代には
二度のオイルショックが起き
石油需要国のすべてが
石油の備蓄を急務と心得て
準備を重ねるようになっていた
こうして世界中で
地下資源を奪い合うようになっていき
希少価値が高まって
市場価格を押し上げた
石油の値段が高くなると同時に
決済通貨となっていたドルの需要も急増し
石油だけでなく
ドルを必要とする勢力が
ドルの追加発行をアメリカへと迫り
ドル高が昂進する市場を
世界中で生み出した
ドル高は
農産物と工業生産物の輸出
とで成り立っている
アメリカの貿易輸出を阻害する要因
ドル安状態への誘導が
当時米政府の急務となっていた
そこで先進五か国からなる
G5が85年秋
に急ぎ招集し
ドル売りの協調介入を実施する
という合意形成をアメリカ主導で成立させ
即日実施へと移された
この変化のことをプラザ合意と呼ぶのである
G5が手持ちのドルを一斉に売ることで
ドルの通貨価値を強引に引き下げた結果
ドル安政策が合法化され
日本の円が急騰する
という変化がそのとき起きた
日本経済の伸び代が注目され
土地は絶対に値下がりしない
という土地神話に基づく
底堅い思い込みの強さが
社会通念として
夙に確立していた日本市場に
投資が世界中から輻輳し
土地の価格が上がり続ける
というバブル経済が
意図することなく誘導された
日本だけが
円高となったその訳を理解することが
できないまま
理由のない円高だ
として長期間首をかしげていた時代の前半
の五年間のことをバブル景気と呼ぶ
土地神話が崩れ去った後になっても
M&Aと呼ばれた
企業の買収と合併を行うための
資本流入の時代が終わるまで
異常な円高の意味を
当局の高官と経済閣僚一同は
理解し兼ねていたほど
愚かで且つ無能であった
という記録が日本経済史へと残された
バブル経済の発生を予見できた者は当時なく
その崩壊を齎すたった一つの理由
となった不動産融資の総量規制
の意味を承知していた者も皆無であった
バブル経済の崩壊にさえ
長期間気づかなかったほど
この国の指導体制は
経済について無知だった
不作為の三年と呼ばれた期間は
このようにして産み落とされ
失われた二十年の間に実施された
消費税率を2%引き上げて
5%となったとき
デフレ経済が
シュワルツシルト半径を
ついに踏み越えた
その対策として華やかに登場したアベノミクスは
ロケットスタートを切ったものの
その後は水平移動するばかりとなり
2%のインフレ目標は
相変らず遠い目標で
ありつづけている
無能な者は
国家の運営に参画しては
ならない
という教訓を残したが
早くも忘却されている始末
国民の不幸は
明白で単純な理由の上に
成り立っている
問題の意味を見ることができないと
最終的に
己の身に不幸となって
降りかかる
思考力の涵養を犠牲にすれば
批判精神は育たない
一切の不毛(幸)は
自らの業
によって自ら得たもの
であるに相違ない
青天井で発行できるようになった
あのとき
から
デリバティブと呼ばれる
金融派生商品が陸続として登場するようになり
その一つが
アメリカの市場へと回帰した
ことがある
サブプライムローンと呼ばれた
大量な一斉貸しつけ行為
で
債権を商品化して
リスクを分散する方式
のモーゲージ
と呼ばれる手法が
世界市場全域で
大規模に広まった
その制度は再保険と同じ形式で
なりたっているものの一つ
市場原理を信奉する
新自由主義経済に帰依した
資本提供を生業とする組織の一群
がこぞって
この低所得者向けの
不動産担保ローン市場へと参入し
貸付総額の規模さえ誰にも分からない
ほど巨額化した
サブプライムローンが焦げ付き
デフォルトとなったことから
ドル経済圏を構成する国家群は
急遽G20を創設し
未曽有の金融危機を
かろうじて乗り切った
金本位制からアメリカが一方的に離脱し
ドルの供給が無制限に
青天井で行えるようになった
その結果
エネルギー資源の相場が急騰すると
決済通貨となっているドルの需要もまた
同じ比率で高まった
ブッシュジュニアが開始したイラク戦争は
原油相場を五年以上の長きに亘って
高騰し続ける時代を招き
国際金融資本にドルの供給を
量的に高めさせる
という無思慮な結果を導いた
エネルギー市場を中心に
相場の高値形成を急ぎ
ドルの供給益を多方面で膨らませ
イラク戦争を遂行するための原資
を
増税ではなく
市場原理に基づいた
新自由主義経済で獲得し
FRBにマネーサプライを
公表できないほどの規模へと膨らませ
大義のない戦闘を
イラク正規軍なきあと
国家を持たないテロ組織からの攻撃を
防遏するだけの作戦をとるよう
長期間強いられていた
2003年春に始まったイラク進攻作戦を
大統領フセインの処刑後
テロとの戦いへと切り替えて
2010年秋まで七年かけて
引き伸ばされ
最終的に敗北を認めざるを得なかった
米軍による攻撃の理由となった
大量破壊壁は
イラクにはじめから存在しておらず
CIAの誤認情報を勿怪の幸いとして
米共和党政権が便乗した
という経過の拙さが
米国民の
厭戦気分を高めていった
原油相場は
2008年まで
高騰状態を続けており
大量の米軍を
長期間中東に展開させておく
ための費用を
米政府は原油相場を
五年に亘って高値誘導することで
ドルの大量供給を維持すると同時に
ドル余り現象による米国債購入を
サイクルとする投資
を北米大陸へと導き
財政の崖
後にと呼ばれるイシューを生む
に至らしめた
米国債はもともと
発行限度枠に縛られており
長期債の追加発行が必要となったとき
議会の承認を得る必要があった
共和党政権が始めたイラク戦争を
政権交代でオバマが大統領となった
民主党政権が終わらせた
多数派の共和党が
議会運営の主導権を握り
少数派の民主党政権が
議会の承認を必要とする
仕組みが当時から出来上がっていた
この駆け引きの経過で生じた
瀬戸際の攻防
を財政の崖と米国民は呼び
メディアがそれに飛びついた
予算の執行が不可能となったなら
政府機能がマヒする
政府機能が停止した事実が
当時発生した事実がある
米議会でもねじれ現象がおきており
大統領府と議会との軋轢が
ことあるごとに蒸し返されている
そのねじれ現象は
トラムプによって
ほどなく解消されることとなる
サブプライムローンへの大量投資は
イラク戦争が起きていなければ
発生することはなかった
過剰流動性を回収して
北米大陸で資産の運用を図り
経済の活性化へと繋げたい
と考えた二大政党制の仕組みが陥った
共通の罠
に嵌りこんだ
ということが
金融危機へと発展し
FRBに量的緩和を三度に亘って
挙行させる結果となった
この過剰流動性を消すための
戦略的なあざとい目論見は
リーマンショックという失敗を引き起こし
国際経済をたちまち危地へと陥れ
G20の創設を急がせた
不良債権となる確率の高い投資を
証券化してリスクを分散し
再販売の推進に当たっていた
国際金融資本の一郭
が脆くも潰れ去ったその事実
のことをリーマンショックと呼ぶようになった
ドル余り現象の結果が
不良債権を大量生産することとなり
国際経済を
極めて重篤な状況へと陥れた
それほど過剰流動性の放置
は国際経済にとって
避けて然るべき行為であったのだった
その危機感の高さが
FRBをして
テーパリングの実施へと執着させている
ドル余り現象とは
アメリカが発効し過ぎたドルに備わる
過剰流動性のことに他ならない
世界規模の金融危機は
ドルの持つ固有の属性となった
過剰流動性
が引き起こした
必然性が生んだ危機
制限なくドルの新規発行が可能となり
通貨発行権を米政府が操ることを可能
とした71年夏のドルショック以降
国際経済は信用を担保に
成長する一方
という状況を更に発展させつづけ
常にその拡大を目指す資本の論理
を絶対視する環境の上で
推移してきた
資本の論理が自家中毒を引き起こし
金融危機を発生させた
その経過の意味を知る者ほど
ドル金利の上昇を急ぎたくなるのは
当然のこと
金本位制から一方的に離脱したアメリカは
通貨価値の担保を
エネルギー資源の決済能力へと移行させ
石油・ドル本位制と呼ぶべき体制
を短期間で整えた
70年代には
二度のオイルショックが起き
石油需要国のすべてが
石油の備蓄を急務と心得て
準備を重ねるようになっていた
こうして世界中で
地下資源を奪い合うようになっていき
希少価値が高まって
市場価格を押し上げた
石油の値段が高くなると同時に
決済通貨となっていたドルの需要も急増し
石油だけでなく
ドルを必要とする勢力が
ドルの追加発行をアメリカへと迫り
ドル高が昂進する市場を
世界中で生み出した
ドル高は
農産物と工業生産物の輸出
とで成り立っている
アメリカの貿易輸出を阻害する要因
ドル安状態への誘導が
当時米政府の急務となっていた
そこで先進五か国からなる
G5が85年秋
に急ぎ招集し
ドル売りの協調介入を実施する
という合意形成をアメリカ主導で成立させ
即日実施へと移された
この変化のことをプラザ合意と呼ぶのである
G5が手持ちのドルを一斉に売ることで
ドルの通貨価値を強引に引き下げた結果
ドル安政策が合法化され
日本の円が急騰する
という変化がそのとき起きた
日本経済の伸び代が注目され
土地は絶対に値下がりしない
という土地神話に基づく
底堅い思い込みの強さが
社会通念として
夙に確立していた日本市場に
投資が世界中から輻輳し
土地の価格が上がり続ける
というバブル経済が
意図することなく誘導された
日本だけが
円高となったその訳を理解することが
できないまま
理由のない円高だ
として長期間首をかしげていた時代の前半
の五年間のことをバブル景気と呼ぶ
土地神話が崩れ去った後になっても
M&Aと呼ばれた
企業の買収と合併を行うための
資本流入の時代が終わるまで
異常な円高の意味を
当局の高官と経済閣僚一同は
理解し兼ねていたほど
愚かで且つ無能であった
という記録が日本経済史へと残された
バブル経済の発生を予見できた者は当時なく
その崩壊を齎すたった一つの理由
となった不動産融資の総量規制
の意味を承知していた者も皆無であった
バブル経済の崩壊にさえ
長期間気づかなかったほど
この国の指導体制は
経済について無知だった
不作為の三年と呼ばれた期間は
このようにして産み落とされ
失われた二十年の間に実施された
消費税率を2%引き上げて
5%となったとき
デフレ経済が
シュワルツシルト半径を
ついに踏み越えた
その対策として華やかに登場したアベノミクスは
ロケットスタートを切ったものの
その後は水平移動するばかりとなり
2%のインフレ目標は
相変らず遠い目標で
ありつづけている
無能な者は
国家の運営に参画しては
ならない
という教訓を残したが
早くも忘却されている始末
国民の不幸は
明白で単純な理由の上に
成り立っている
問題の意味を見ることができないと
最終的に
己の身に不幸となって
降りかかる
思考力の涵養を犠牲にすれば
批判精神は育たない
一切の不毛(幸)は
自らの業
によって自ら得たもの
であるに相違ない