国際的規模へと達した
不安要因の複合
が市場の意識を方向づけ
リスク評価が定まると
日本のローカル通貨である
円
の価値は
無条件で
高められる
基軸通貨のドルがその信用力を失うと
価値を減らした成分は
安全資産だと見做されている円
へとその時単純に移動する
リーマンショックはその典型
資本を操る側の都合次第で
円ドル相場は志向性のベクトルを
為替市場で変えようとする
ユーロは姿を変えた
間接的なドル
という背景をその価値の内部に秘めている
ユーロはEUが誕生したとき
新たに創設された
地域限定の共通通貨
この時を境にして
ドル資本は
国際金融資本へと
その名を変えた
EUには
共同体が持つ
固有の政治的脆弱性
が残されている
ユーロの通貨価値は
強い変動要因の見えない作用
に
いつも
脅かされていなければならなくなった
英国がEU経済圏から離脱するなら
その影響は
ドル経済圏全域へと
直ちに及ぶ
日本市場はドルを補完する機能を付与され
ガス抜きの調整弁
としての役割を担っている
このため
なにかしらの変動要因が
どこかで俄かに高まると
決まって
円高外貨安
という状況が繰り返し
為替市場へと訪れる
ドル経済圏の拡大は
ドルの発行量を高め
アメリカの経済を刺激し
国際経済の規模を押し広げ
得た利益を再投資する
という循環を効率的に生み出す
何処かの国の経済成長率が高いとき
当該市場が生み出した収益は
最終的に
元のドル
へと戻される
この資本が生み出す
配当益に直結するポテンシャルの高さが
市場経済をこれまで
力強く牽引してきた
国際金融資本が調達したドルが
世界中の市場へと遍く行きわたり
ドル余り現象となって
信用不安を却って早く導いた
というのがそのリーマンショック
が引き起こした緊急事態
これが更にギリシャ危機を経て
EUエリアを中心とする
不安定要因の厚みを増した
ドルを大量に余らせる経過を生んだのは
アメリカが即日実施した
金本位制からの一方的離脱
がその起源
ドルショックと呼ばれるこの変動が
巡り巡って
リーマンショックへと繋がっていき
中国大陸から大量のドルを
集中的に
短期間で回収することを急がせた
価値を裏付ける基準となっていた
絶対量という制限のある金を捨て
ドルの通貨価値を
新たに支えるようになったのが
地下資源
この時から基軸通貨の供給量は
制限のない青天井状態となり
経済規模の世界的急拡大が
資本主義経済を優越させ
計画経済を相対化して
91年のソ連崩壊へと繋がった
ドルショックから起算して
丸二十年後のことだった
こうして石油ドル本位制
と呼ばれる枠組みへの変更が
現在の国際経済の行方
を決定的なものにした
市場主義で統一された国際経済は
いま
大きな規模の
デフレの渦
へと巻き込まれようとしている
落下する螺旋が描く
下向きの回転を
引き起こす事態
を市場主義経済は既に迎えている
アメリカのローカル通貨であったドルが
あらゆる通貨交換を決定づける
機軸
となったということが
世界中の富を
北米大陸へと誘導するための
手段として
見えない力を発揮し
それが世界規模の貧困化を生みだしながら
資本の論理で経済を自ら追い詰め
インフレからデフレ
へと世界中を引き込もうとしている
ドルに過剰流動性という不可分の属性
が必然的に備わったのは
金本位制を見限って
通貨価値の裏付けを
石油へと移した
あの時
即ち
ドルショック
から始まったこと
エネルギー資源を必要とする国のすべて
が
アメリカのローカル通貨
であるドルを買わなければ
経済成長の実現を急ぐことが
できなくなった
エネルギーの安全保障は
国家存立の 要
地下資源が不在なら
経済成長を目指すどころか
暮らしを成り立たせる熱源さえ
手に入れることはできない
こうして世界中の国家が
地下資源を輸入するために
アメリカのドルを買い求め
自国通貨をドル資本の言い値で売り
高いドルを買わされてきた
ドルの発行権を有するアメリカは
変動相場制を採用したことで
基軸通貨を有利な条件で売るようになり
さして使い道のない
貧しい国の価値の低い通貨と交換し
その国の市場を
一時的に
豊かにしたかと思わせながら
回収した利益で再投資を繰り返す
波を形成し
ドル経済圏の拡大を図る行為を中心に
高い価値を具備するようになったドルの供給事業
で
利益を得る権能を国際金融資本に与えつつ
市場を提供した国の経済から
流動性の厚みを奪い
自らの権益を太らせながら
再投資を重ねて利益を増やすことを
国際金融資本に許し
石油消費国のすべてを
緩慢な貧困化へと引きずり込み
それを同時進行させるための
黒幕敵存在
となるよう背後で誘導し
利益を濃縮する行為を
放置放任する姿勢を
一向に崩さない
ありとあらゆる地域の国家が
それがあれば何でも買える
便利な通貨
ドルを買い求めるようになり
アメリカはドルの価値が勝手に高まる事態を
抑制せざるを得なくなっていったのだった
世界中で一斉に募り始めたドル高の嵐
を避けようとして
アメリカはG5に諮って
ドル売りの一斉協調介入へと踏み込んだ
85年秋のことである
このプラザ合意というものが
ドル売りを急がせ
日本市場にバブル経済を押し付けた
先進諸国がドルを売って得たその通貨が
円であったからである
理由のないと言われ続けてきた異常な円高は
この時から起きている
総ての変化には理由がある
思考回路を劣化させていた日本の指導者たちは
変化の意味を特定することが最近まで
何一つできていなかった
日本市場へ上陸したドル資産はその後
円資産となることを目指し
不動産市場で土地神話を生み出すことなり
最終的に
そこで生じたバブルを
針の一刺しで崩壊させた
これが通貨メカニズムに作用して
発生させた膨らんだ泡
を日本市場から消し去った
当時この経済的変化の意味を察知した
とする事例はなく
経済評論家と呼ばれていた一群が
土地取引が活発化するだろう
という情報を
こぞって発信していた時代であった
バブルを潰したたった一つの原因は
不動産融資に対する総量規制だったのだが
その事実に当時の経済人たちは
誰一人気づかなかった
経済変動をまったく認識しsていなかった指導者たちは
事態の急変に驚いたものの
どうすることもできなかった
その期間のことを
後に
不作為の三年
と呼ぶようになったのである
この初動対策を永く等閑にしていた
ということが
直後の失われた十年へと繋がり
その後の経済政策を悉く誤らせることになる
原因となったという経過の愚かさが
それを倍の二十年へと拡大させた
絶対に値下がりしない
というフレコミの土地神話が
投資を投機へと導いた時代があった
銀行は不動産向けの融資を拡大させる目的で
所謂ノンバンクを多数設立して
過剰な融資競争を85年の暮れから
90年春にかけて
わき目も振らず熱心に行っていた
土地という資産があれば
それを寝かせておくだけのことで
プレミア付きのインフレ効果で
土地の価格は
勝手にどんどん上昇していたからだった
不動産融資の総量規制は
この土地を買うための資本供給に
上限を設けさせ
新規の仕入れをすることを
不可能にした
そこで手持ちの土地を売る必要が俄かに生じ
売り物が増え
プレミア効果が剥離して
価値の上昇圧力が反転した
という経緯
価値の上昇が低下したことで
保有資産が利益を生まずに
損失の源泉となり
過大な在庫負担を抱え込んでいた
投機目的の中間業者が
投げ売り競争へと突入し
その段階になってはじめて
バブルが崩壊したその事実に
知識階級が遅れて漸く気が付いた
これが93年までに
日本市場で起きていたことのあらまし
持っているだけで高まっていた遺産価値は
180度反転してしまい
時の経過と共に
資産だったものは
負債総額を膨らませるだけのお荷物
となってしまったのである
この段階になって初めて
世間とマスメディアは
バブル経済が崩壊したことに
同意した
教科書に載っていないバブル崩壊に遭遇し
どうすることもできなかった指導者たちは
それ以降の経済政策を
悉く誤った
問題の全容を見なければ
所期の成果など到底得られない
誰にでもすぐ分かることである
5%への消費増税が始まったのは
その頃のことだった
問題が見えていないとき
不毛な展開が
こうして産み落とされることになる
デフレ経済を導いた
その濫觴を辿ってゆくと
アメリカによる
金本位制からの一方的離脱
の年へと辿りつく
世界経済は
ドルショック以降
信用経済を成り立たせて
資本の論理から上限を取り除いたのだったが
インフレ経済の膨張圧力を高め
成長の行き詰りを却って速める
という皮肉な経過を自ら引き寄せ
デフレ経済へとその後突入する
契機となるよう機能した
マクロ経済の定点観測者にとっては
自明のことであったとしても
ミクロ経済のエコノミストすべてにとっては
姿かたちのまったく見えない
難問中の難問だったようである
バブル経済の発生機序と
崩壊過程を正しく説明できる人は
いまでも数少ない
経済認識能力の不在
というこの現状を引き寄せたのは
学力重視の高等教育に他ならない
知識の意味を教える時間を省いて
知識の量的拡大にのみ特化した
事象の変化を知ることはできても
それを生み出した経緯へと遡り
対応するための方法を割り出す
ということは
できない
つまり
有効解など得られる訳がない
という破滅的状況へと
陥っていた
表層的で安直な理解
の上で実施されてきた
これまでの経済政策の一切は
必然的に
失敗する定めにあった
これがアベノミクスでも
遠からず失敗が確定する
としてきたその唯一の理由
学力頼みの高等教育が
盲いたる知識人の再生産
に寄与し
止まらない温暖化と
それが生む有効需要の喪失
という連綿たる
これまでの一連の不毛な経過が
経済成長をマイナス方向へと
強い力で引き込んでいる
企業のトップがコンプライアンスに欠け
多方面で謝罪会見を行っている
近来よく見られるようになった
愚かなるその姿のありさまは
いうまでもなく
教育の場
に於ける質の劣化が
その起源
沈降する螺旋形のメカニズム
を成り立たせている
背後の事情を知る者は
決して少なくない
だが
システムを変えるためには
尚相当の時間が必要だ
不安要因の複合
が市場の意識を方向づけ
リスク評価が定まると
日本のローカル通貨である
円
の価値は
無条件で
高められる
基軸通貨のドルがその信用力を失うと
価値を減らした成分は
安全資産だと見做されている円
へとその時単純に移動する
リーマンショックはその典型
資本を操る側の都合次第で
円ドル相場は志向性のベクトルを
為替市場で変えようとする
ユーロは姿を変えた
間接的なドル
という背景をその価値の内部に秘めている
ユーロはEUが誕生したとき
新たに創設された
地域限定の共通通貨
この時を境にして
ドル資本は
国際金融資本へと
その名を変えた
EUには
共同体が持つ
固有の政治的脆弱性
が残されている
ユーロの通貨価値は
強い変動要因の見えない作用
に
いつも
脅かされていなければならなくなった
英国がEU経済圏から離脱するなら
その影響は
ドル経済圏全域へと
直ちに及ぶ
日本市場はドルを補完する機能を付与され
ガス抜きの調整弁
としての役割を担っている
このため
なにかしらの変動要因が
どこかで俄かに高まると
決まって
円高外貨安
という状況が繰り返し
為替市場へと訪れる
ドル経済圏の拡大は
ドルの発行量を高め
アメリカの経済を刺激し
国際経済の規模を押し広げ
得た利益を再投資する
という循環を効率的に生み出す
何処かの国の経済成長率が高いとき
当該市場が生み出した収益は
最終的に
元のドル
へと戻される
この資本が生み出す
配当益に直結するポテンシャルの高さが
市場経済をこれまで
力強く牽引してきた
国際金融資本が調達したドルが
世界中の市場へと遍く行きわたり
ドル余り現象となって
信用不安を却って早く導いた
というのがそのリーマンショック
が引き起こした緊急事態
これが更にギリシャ危機を経て
EUエリアを中心とする
不安定要因の厚みを増した
ドルを大量に余らせる経過を生んだのは
アメリカが即日実施した
金本位制からの一方的離脱
がその起源
ドルショックと呼ばれるこの変動が
巡り巡って
リーマンショックへと繋がっていき
中国大陸から大量のドルを
集中的に
短期間で回収することを急がせた
価値を裏付ける基準となっていた
絶対量という制限のある金を捨て
ドルの通貨価値を
新たに支えるようになったのが
地下資源
この時から基軸通貨の供給量は
制限のない青天井状態となり
経済規模の世界的急拡大が
資本主義経済を優越させ
計画経済を相対化して
91年のソ連崩壊へと繋がった
ドルショックから起算して
丸二十年後のことだった
こうして石油ドル本位制
と呼ばれる枠組みへの変更が
現在の国際経済の行方
を決定的なものにした
市場主義で統一された国際経済は
いま
大きな規模の
デフレの渦
へと巻き込まれようとしている
落下する螺旋が描く
下向きの回転を
引き起こす事態
を市場主義経済は既に迎えている
アメリカのローカル通貨であったドルが
あらゆる通貨交換を決定づける
機軸
となったということが
世界中の富を
北米大陸へと誘導するための
手段として
見えない力を発揮し
それが世界規模の貧困化を生みだしながら
資本の論理で経済を自ら追い詰め
インフレからデフレ
へと世界中を引き込もうとしている
ドルに過剰流動性という不可分の属性
が必然的に備わったのは
金本位制を見限って
通貨価値の裏付けを
石油へと移した
あの時
即ち
ドルショック
から始まったこと
エネルギー資源を必要とする国のすべて
が
アメリカのローカル通貨
であるドルを買わなければ
経済成長の実現を急ぐことが
できなくなった
エネルギーの安全保障は
国家存立の 要
地下資源が不在なら
経済成長を目指すどころか
暮らしを成り立たせる熱源さえ
手に入れることはできない
こうして世界中の国家が
地下資源を輸入するために
アメリカのドルを買い求め
自国通貨をドル資本の言い値で売り
高いドルを買わされてきた
ドルの発行権を有するアメリカは
変動相場制を採用したことで
基軸通貨を有利な条件で売るようになり
さして使い道のない
貧しい国の価値の低い通貨と交換し
その国の市場を
一時的に
豊かにしたかと思わせながら
回収した利益で再投資を繰り返す
波を形成し
ドル経済圏の拡大を図る行為を中心に
高い価値を具備するようになったドルの供給事業
で
利益を得る権能を国際金融資本に与えつつ
市場を提供した国の経済から
流動性の厚みを奪い
自らの権益を太らせながら
再投資を重ねて利益を増やすことを
国際金融資本に許し
石油消費国のすべてを
緩慢な貧困化へと引きずり込み
それを同時進行させるための
黒幕敵存在
となるよう背後で誘導し
利益を濃縮する行為を
放置放任する姿勢を
一向に崩さない
ありとあらゆる地域の国家が
それがあれば何でも買える
便利な通貨
ドルを買い求めるようになり
アメリカはドルの価値が勝手に高まる事態を
抑制せざるを得なくなっていったのだった
世界中で一斉に募り始めたドル高の嵐
を避けようとして
アメリカはG5に諮って
ドル売りの一斉協調介入へと踏み込んだ
85年秋のことである
このプラザ合意というものが
ドル売りを急がせ
日本市場にバブル経済を押し付けた
先進諸国がドルを売って得たその通貨が
円であったからである
理由のないと言われ続けてきた異常な円高は
この時から起きている
総ての変化には理由がある
思考回路を劣化させていた日本の指導者たちは
変化の意味を特定することが最近まで
何一つできていなかった
日本市場へ上陸したドル資産はその後
円資産となることを目指し
不動産市場で土地神話を生み出すことなり
最終的に
そこで生じたバブルを
針の一刺しで崩壊させた
これが通貨メカニズムに作用して
発生させた膨らんだ泡
を日本市場から消し去った
当時この経済的変化の意味を察知した
とする事例はなく
経済評論家と呼ばれていた一群が
土地取引が活発化するだろう
という情報を
こぞって発信していた時代であった
バブルを潰したたった一つの原因は
不動産融資に対する総量規制だったのだが
その事実に当時の経済人たちは
誰一人気づかなかった
経済変動をまったく認識しsていなかった指導者たちは
事態の急変に驚いたものの
どうすることもできなかった
その期間のことを
後に
不作為の三年
と呼ぶようになったのである
この初動対策を永く等閑にしていた
ということが
直後の失われた十年へと繋がり
その後の経済政策を悉く誤らせることになる
原因となったという経過の愚かさが
それを倍の二十年へと拡大させた
絶対に値下がりしない
というフレコミの土地神話が
投資を投機へと導いた時代があった
銀行は不動産向けの融資を拡大させる目的で
所謂ノンバンクを多数設立して
過剰な融資競争を85年の暮れから
90年春にかけて
わき目も振らず熱心に行っていた
土地という資産があれば
それを寝かせておくだけのことで
プレミア付きのインフレ効果で
土地の価格は
勝手にどんどん上昇していたからだった
不動産融資の総量規制は
この土地を買うための資本供給に
上限を設けさせ
新規の仕入れをすることを
不可能にした
そこで手持ちの土地を売る必要が俄かに生じ
売り物が増え
プレミア効果が剥離して
価値の上昇圧力が反転した
という経緯
価値の上昇が低下したことで
保有資産が利益を生まずに
損失の源泉となり
過大な在庫負担を抱え込んでいた
投機目的の中間業者が
投げ売り競争へと突入し
その段階になってはじめて
バブルが崩壊したその事実に
知識階級が遅れて漸く気が付いた
これが93年までに
日本市場で起きていたことのあらまし
持っているだけで高まっていた遺産価値は
180度反転してしまい
時の経過と共に
資産だったものは
負債総額を膨らませるだけのお荷物
となってしまったのである
この段階になって初めて
世間とマスメディアは
バブル経済が崩壊したことに
同意した
教科書に載っていないバブル崩壊に遭遇し
どうすることもできなかった指導者たちは
それ以降の経済政策を
悉く誤った
問題の全容を見なければ
所期の成果など到底得られない
誰にでもすぐ分かることである
5%への消費増税が始まったのは
その頃のことだった
問題が見えていないとき
不毛な展開が
こうして産み落とされることになる
デフレ経済を導いた
その濫觴を辿ってゆくと
アメリカによる
金本位制からの一方的離脱
の年へと辿りつく
世界経済は
ドルショック以降
信用経済を成り立たせて
資本の論理から上限を取り除いたのだったが
インフレ経済の膨張圧力を高め
成長の行き詰りを却って速める
という皮肉な経過を自ら引き寄せ
デフレ経済へとその後突入する
契機となるよう機能した
マクロ経済の定点観測者にとっては
自明のことであったとしても
ミクロ経済のエコノミストすべてにとっては
姿かたちのまったく見えない
難問中の難問だったようである
バブル経済の発生機序と
崩壊過程を正しく説明できる人は
いまでも数少ない
経済認識能力の不在
というこの現状を引き寄せたのは
学力重視の高等教育に他ならない
知識の意味を教える時間を省いて
知識の量的拡大にのみ特化した
事象の変化を知ることはできても
それを生み出した経緯へと遡り
対応するための方法を割り出す
ということは
できない
つまり
有効解など得られる訳がない
という破滅的状況へと
陥っていた
表層的で安直な理解
の上で実施されてきた
これまでの経済政策の一切は
必然的に
失敗する定めにあった
これがアベノミクスでも
遠からず失敗が確定する
としてきたその唯一の理由
学力頼みの高等教育が
盲いたる知識人の再生産
に寄与し
止まらない温暖化と
それが生む有効需要の喪失
という連綿たる
これまでの一連の不毛な経過が
経済成長をマイナス方向へと
強い力で引き込んでいる
企業のトップがコンプライアンスに欠け
多方面で謝罪会見を行っている
近来よく見られるようになった
愚かなるその姿のありさまは
いうまでもなく
教育の場
に於ける質の劣化が
その起源
沈降する螺旋形のメカニズム
を成り立たせている
背後の事情を知る者は
決して少なくない
だが
システムを変えるためには
尚相当の時間が必要だ