こ と の 端

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乗 数 効 果

2010-02-06 10:57:00 | Weblog
鎌倉市内を流れる

滑川を河口から遡っていく途中の住宅街の入り口近く



決して目立たない

石碑が

ひっそりと佇むようにして建っている場所がある


浅い川にかかっている橋のたもと

川底は岩になっており

往時も今も変わりがないと思われるほど

浅い川である

渡渉すれば数歩で対岸へと行きつく


鎌倉に幕府がおかれていた頃のある晩

青砥藤綱という名の官僚が

その川に十文の銅銭を落とした


供の者に五十文でたいまつを購わせ

川底を探して

落とした十文銭を探し出したという故事が

太平記にある

ということを司馬遼太郎が書いていた


ミクロ経済では差し引き四十文の損失となる話なのだが

マクロ経済では合計六十文の流動性が市場の流通を刺激した

と看做される話でもあった

藤綱がもっていた元の資本である十文銭は

その後多くの人の手に渡ることによって

さまざまな利益を生み出す資本として復活し

松明を売った商人の手に渡った五十文は

店に利益を与えただけでなく

その後も

資本としての効用を末永く発揮するものとなる

時系列で資本が生み出す増大効果を総称して

乗数効果と呼ぶ


土地神話が牽引する不動産取引が生み出したバブル経済では

この乗数効果がさまざまな分野にまで行き渡り

日本経済を

アメリカを凌ぐほどまでに急成長させることとなった

日本に急追されたアメリカでは

Japan as No.1

というシニカルな標語を以て対応したほど

その圧力は驚異的なものとなっていた


土地が売れると住宅の建築が促進される

住宅が建ったらインテリアとエクステリアの需要が増える

什器や食器も新しい物が買い求められ

車も売れれば

各種の消費財の需要までが一斉に高まるようになっていく


低迷する経済環境の下では

乗数効果は広がっていかずに

単発で終わることになる

ダイナミズムを生み出す何らかの方策と併用しなければ

消費が消費を生む展開を市場に導くことはできない


大量の国費を投入しても

投資効果はその時だけのものでしかない

歴代の内閣の行ってきた公共投資の数々に

有効性がまったくみられなかったというのは

経済実態とそのもつ意味とを理解していなかった為政者が

誤った政策を導入実施してしまったことによっておきている

日本の財政赤字が1000兆円に接近するようになったのは

政治指導者の不明にこそその原因があったことなのである


バブル経済になったほんとうの理由を知ることなしに

対症療法で乗り切れると勝手に判断し

不動産融資の総量に大枠をはめ

流動性の循環を断ち切って

その意味を悟ることが数年の間できていなかった

霞が関の官僚たちは

言葉少なに界隈をおろおろと歩き回り

所在なさと景気の急変の前になす術がなかった


そんな時代がしばらく続いたのちに

実績のあるケインズの理論を蒸し返して

公共投資に国費を大量投入する決断をしたのだったが

状況の変化を数値化していなかったために

安易に過ぎた対策を

六年ほど経ってから後追いで実施することとなったのだった

それが日本の財政収支をただ加速しただけで終わり

この国からあれほど叢生していたケインジアンが

一斉に霞が関周辺から消えうせるという奇妙な顛末だけが残された


日本経済は失われた十年と呼ばれた永い期間を

理由を特定することもなく

ただ過ごしていた

この不作為に満ちた期間の存在が

この国の経済を長期間低迷させ

最終的に貧困率を高めるという粗末に過ぎる結果を

生みだせたその一因になっている


日本の貧困率を上昇させた原因となった小さな種は

85年のプラザ合意のときに胚胎し

90年四月のバブル崩壊ののち眠りから覚め

95年の80円を切る仕組まれた急峻な円高を経て

ドルの過剰流動性を希釈するための方便として

円を買ってドルを強制的に売りつけ

外貨準備高を100兆円規模にまで高めながら

その後

イラク戦争を継続するための戦費を調達する市場として

日本と中国が割り当てられたことにより

国民に負担を強いた結果として

産み落とされたものなのだ

呱々の声は国民が呻吟するその叫びであった

中国の経済成長率がドル資本の調達金利を上回っている限り

資本の海外流出はおきない

これが日本の貧困と中国の繁栄の間にある差の成分であった


当初から米政権のいいなりになって憚らなかった旧与党政権が

国と国民に困窮という状態を

自覚なく押しつけていた

ということなのだ

状況の悪化に気付いた国民が

先に政権選択の舵を切ったことによって

この国はようやく健全性を取り戻す過程へと入ることができたのだった


経済の再生は

エネルギーの復興がなったときにだけ成立する

要諦は

環境負荷のない健全で優良なエネルギーを

いつ

手中のものにするか

ということにあった

その一事に日本の命運がかかっているのだが

その事実を知る者は甚だ少ない

地球全体の行く末もその時に決る

経済合理性に優れたエネルギーの創出は

これまでにない規模の乗数効果を

世界中の市場へと波及させいくものとなるだろう




※北条氏に仕えた青砥藤綱の実在性は一部に疑問視されているのだが、その墓が当時から横浜市の金沢区にあったことから、歴史的にみてその存在を疑う余地はない。同じく緑区の中山駅の近傍にある鶴見川の一帯には、青砥という地名が今も町名として残されている。
経済に関する深い洞察と認識だけでなく、人としてあるべからざるほど優れていたということが、その実在性を否定する要因として作用したように思われる。生い立ちは伝承の形で残されているのだが、公的資料にその名がみられないからといって、実在を俄かに否定することは慎むべきではなかろうか。
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【哲】0的確定論 (GAIA)
2010-02-07 08:34:29
『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』


【0特性】

・絶対性
拡がりが無い,

・不可分性
分けられない,

・識物性
存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対保存できない,

・変化性
物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する。


【0特性】を普遍化すると, 時間平面的な視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根拠が【0∞1】, 有限的無限性を有する物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何かを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類似事的な確定であること, である。

【零的確定論】では, 一つの時間平面が, 広がり無き【時(とき)の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を捉え, 【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。


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