きままに・・ 風便り

気の向くまま、足の向くままに日々を綴ります。

足助城

2020年07月28日 05時40分47秒 | 城跡巡り
「 真弓山 山頂 」

足助城は、足助の町から見える真弓山(標高301m)の山頂に復元された山城(平成5年)。
真弓城とも呼ばれていたそうです。


↑ 足助(あすけ)の町並み
中央の山が真弓山です。


↑ 足助城から見る足助の町並み

7月12日(日)午後
☆ 足助城


受付で入場料を支払い、城内に足を踏み入れ、右に折れます。
突然、戦国時代の風景が目の前に現われ息を吞んでしまいました。
たちまちタイムスリップしたような感覚になりテンションもあがります。


↑ 西の丸 復元された物見台


↑ 西の丸
丸太で作られている柵は敵の侵入を防ぐ柵列です。


↑ 西の丸曲輪

☆ 本 丸





☆ 二階の窓から

↑ 飯田方面 新森の町並み


↑ 足助の八幡宮方面の町並み



岡崎城に続き二枚目、ご褒美の御城印^^

参考資料 足助城の歴史と復元

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岡崎城跡と八丁味噌田楽

2020年07月27日 07時50分39秒 | 城跡巡り
「 城跡の石垣とお城 」


☆ 岡崎城の概要
別  名:竜城・竜ケ城
種  別:平山城
築 城 主 :西郷頼嗣  三河国守護 仁木氏の守護代
主な城主:松平清康(家康の祖父)・松平広忠(家康の父)・松平信康(のちの家康)
     家康が岡崎を離れた後は、田中氏・本田氏・水野氏
築 城 年 :康正元年(1455)
廃 城 :明治6~7年
復 元 :昭和34年3月30日(1959)
構 造 :鉄筋コンクリート3層5階

☆ 岡崎城公園
過去に8年間ほど地元民でありました。
四季折々の花を愛で、季節のイベント等一年を通して、楽しみにでかける公園でした。
数え切れないほど訪れている公園でありながら、城跡と言う観念はなかったのです。
なので、今までの被写体は、藤の花・桜・紅葉等の植物と夏の打ち上げ花火などでした。

今回、初めて城跡巡りを目的に岡崎城公園内を散策しました。
気になるのは石垣、沢山(23ケ所)の石垣が現存しているというのです。
つくづく見てみると目を見張るものばかりです。
全ての石垣の石材には、岡崎市特産の花崗岩が使われています。


↑ 本丸脇多門櫓台石垣
自然石をそのまま積む技法。
大きさが不ぞろいなので隙間ができ、間詰め石が沢山必要になります。





↑ 清海堀


↑ お堀のジャコウアゲハ
お堀の草の葉にとまる大きな蝶。
次の瞬間には、ふわぁ~~~り! 目の前から頭上を飛び越えて去って行きました。
初めて見る蝶です、優雅に舞う姿が目に焼きつきました。
でも、悲しいかな、、スマホ画像です。

 ←トリミング画像

☆ 産湯の井戸
案内パンフに家康公産湯の井戸と書かれています。



↑ 現代の井戸
ポンプを使って家康公産湯の井戸から水を汲み出しています。


幾年の時代を過ぎて、再び出でる井戸水、、、思わず、そっと手を差し出しました。
零れ落ちる水の感触を知りたかったのです。

☆ 石垣と食事処

↑ 持仏堂曲輪腰巻石垣
直方体の角石の控えの長短を交互に組み合わせる「算木積み」です。
より強固な石垣になります。


↑ 算木積みと割石積みの石垣


↑ 割石積み石垣
黒塗りの建物は創業120年を越える「八千代」という和食のお店です。
割石積みの石垣の上に建つ現代の食事処。
今までに数えきれないほどランチに来ています。
でも、こんなにも歴史のある石垣の上に建っているなんて知らずにいました。



注文したのは、いつもの「なめし田楽定食」。
席は奥の和室の窓際の座卓、座ると本丸の石垣が垣間見えました。

☆ 参考資料
1542年 天文11年12月26日岡崎城内にて誕生 幼名「竹千代」
1549年(6歳) 織田信秀の人質になる
1557年(8歳)今川義元の人質になる
1555年(14歳)元服し「松平元信」を名乗る
1558年(17歳)初陣で三河寺部城を攻略 「元康」と改名
1560年(19歳)桶狭間の合戦にて今川義元が没したため人質生活から解放され岡崎城に帰還
1563年(22歳)「家康」と改名
1566年(25歳)徳川への復姓を勅許され「徳川家康」を名乗る


↑ 御城印 
第18代城主の書の写しによるものです

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美濃金山城跡

2020年06月25日 00時31分36秒 | 城跡巡り
「 美濃金山城 於・戦国山城ミュージアム 1F 」

6月21日(日曜・午後)
本日4つ目の城跡巡りは、古城山(280m)美濃金山城跡。
平成30年3月に初登城しています。
が、御城印収集家になった今、、、近くまで来ているのですから立ち寄らない手はありません。


↑ 蘭丸ふるさとの森公園駐車場


↑ 公園内の「ひとつばの崖」


↑ 同 上
この岩石は、何なのでしょう?
管理人さん不在でしたので質問できませんでした。

前回は、この公園から本丸まで登りました。
が、、、不覚にも今日の靴はマリーン仕様のサンダルなのです。
水陸両用なのですが、山には不向きでした。
両足は、固定できずサンダル上で滑ります。そんな状態で二つの山道を歩いてしまいました。
古城山を目の前にすれど、、、もう、登れません。ふくらはぎの筋肉が拒否しております。
と、言う訳で 止むを得ず、御城印を入手すべく戦国山城ミュージアムへ移動。
可児市の歴史と山城情報満杯の博物館内を見学しました。


↑ 美濃 金山城 ジオラマ

・御城印

紙質は襖紙のような糸引きが有り、地模様にピンクと水色の朝顔の花。
森家の家紋、鶴丸紋の朱色も艶やかであります。
こちらでは登城日付を書いていただけました。

平成30年の美濃国 金山城跡 ← ご参考までに

第一話から最後までお付き合いいただきありがとうございました 
城跡巡り、新たな計画を立てていますので、またのご来場をお待ちしております^^

追記:(1)~(4)までタイトルを変えました。

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明智城跡

2020年06月24日 12時23分53秒 | 城跡巡り
「 明智城跡 本丸展望台からの眺望 」


6月21日(日曜・午後)
明智城大手口跡から本丸までの坂道に桔梗坂と言う名前が付いています。
家紋の桔梗の花が植えられていて、今が盛りとばかりに咲いていました。
 

今日は、本丸跡地に建立された明智光秀公の銅像見学と御城印が目的です。
初めての時は地図を片手に右往左往、少々難儀もしました。
でも、今回は勝手知ったる城跡ですから、足取りも軽やかに、Let's go~♪
大手門から桔梗坂を30分ほどかけて登ります。


↑ 大手門


↑ 桔梗坂
ゆるい坂道ですが急ぎますと息切れします。


↑ 桔梗坂 本丸跡近く
桔梗坂を登りきると三の丸曲輪の本丸跡地です。

光秀殿~~ 
殿は どこじゃ~~
どちらにおられるのじゃ~~~



おおお 光秀殿~~~ 
拙者、三河国より馳せ参じそうろう~~ 
なぁんて、、、タイムスリップしそうです^^
銅像を一周していると、、、あれ? 一周しているのは私だけではありません。
やはり、気になるのですよね。
歴史ファンの方々は、いろいろな角度から確かめるように熱い視線を送っておられます。

銅像の詳細
鎧に陣羽織をまとい左手に火縄銃。
ブロンズ像  :高さ2m30cm
台   座  :高さ2m
製  作  者 :神戸峰男氏 彫刻家・可児市在住
令和2年6月13日建立

・御城印

平日は明智城跡 麓の天龍寺にて、週末は城跡公園駐車場仮設テントにていただきます。

☆  展望台からの眺望

近景は明智家が治めていたと云う明智の庄。
写真中央、中景の山は森蘭丸生誕地の美濃金山城跡「 古城山 兼山 」(白い矢印)です。
こうして見ると、両家はお隣同士だったのですねぇ、、、

令和元年5月の明智城跡 ← ご参考までに



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久々利城跡と可児郷土歴史館

2020年06月22日 23時37分21秒 | 城跡巡り
「 共通チケット 」

6月21日(日曜)
隣接している土岐市(ときし)と可児市(かにし)。
昼食は、高山宿を後にして可児市に入る道中の車中。
用意しておいた軽食、お腹いっぱいにせず、登山の行動食のような食事です。

☆ 可児郷土歴史館と久々利(くくり)城跡
ここでの第一目的は、郷土歴史館で配布されている久々利城跡の御城印。
昨年の5月7日に登城していますが、その時は御城印の情報を入手していませんでした。
ということで、御城印をいただきに参上つかまつりました^^

↑ 御城印
用紙は生成色の和紙風、デザインはシンプル。いたくお気に入りでございます。
今回の新型コロナの影響で日付を書いていただけません。
本当の登城日の令和元年5月7日か?
御城印をいただいた日付、令和2年6月21日を記入すべきか?
こんなことで悩んでおりまする。。。
参考資料・・・令和元年の久々利城跡登城ページ

☆ 可児郷土資料館
こちらも二度目、今回は常設展示をじっくり見学をしました。
古い美濃焼き・植物・動物の化石・考古資料・歴史資料が展示してあります。
どの展示物にも驚き、目を見張り釘付けになりました。歴史好きな方なら一見の価値有りです。
館内の一部を除いて撮影OKの許可はいただいたのですが、ブログでの使用の可否の確認を忘れました。


↑お土産の絵葉き
久々利城跡近くで発掘された大きなサイズの銅鉾です。

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