元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「夕陽のガンマン」

2024-04-28 06:08:31 | 映画の感想(や行)

 (英題:FOR A FEW DOLLARS MORE)1965年作品。日本とアメリカでは1967年に公開された、言わずと知れたマカロニ・ウエスタンの代表作とされているものだ。今回4Kデジタルリマスター版が公開されたので鑑賞してみた。なお、私は有名なテーマ曲こそ知ってはいたが、本編をスクリーン上で観るのは初めてである。

 札付きの悪党であるエル・インディオに1万ドルの賞金が賭けられたことを知った賞金稼ぎのダグラス・モーティマー大佐は、早速行動を起こす。同様に2千ドルの賞金首を仕留めたばかりの賞金稼ぎのモンコ(名無しの男)も、インディオ一味を狙っていた。モーティマーはモンコに、共闘して一味の賞金を山分けすることを提案する。承知したモンコは、顔馴染みの悪党グロッギーと共にエルパソ銀行を襲撃しようと企んでいたインディオの一党に潜入。外部で陽動作戦に当たるモーティマーと協力して、ターゲットを一網打尽にしようとする。

 一応、主演はモンコに扮するクリント・イーストウッドということになっているが、圧倒的に目立っていたのはモーティマーを演じるリー・ヴァン・クリーフだ。黒装束に身を包み、振る舞いやセリフ回しも実に洗練されている。もちろん、ガンマンとしての腕も華麗に見せる。さらに言えば、インディオ役のジャン・マリア・ヴォロンテも儲け役だ。まさに非の打ち所の無い(?)悪党ぶりで、ラスボスとしての風格は大したものだ。それに引き換え、イーストウッドは垢抜けない小物としての存在感しか与えられておらず、あまり印象に残らない。

 なお、脚本は大して上等とは言えない。特に敵役側に捕らえられた2人が、なぜか逃がしてもらうという展開は納得出来ない。シナリオ作りにも参加したセルジオ・レオーネの演出はこの頃はピリッとしない。新奇さを出そうとした挙げ句に話が冗長になり、132分というこの手のシャシンにしては長すぎる尺になってしまった。余計なモチーフは削って1時間半ぐらいに収めるべきではなかったか。

 とはいえ、エンニオ・モリコーネのお馴染みの音楽が流れて荒野に銃声が響き渡ると、それらしい雰囲気にドップリと浸ることが出来る。ロケ地はスペインのアルメリア地方だが、アウトロー達が跳梁跋扈していたアメリカ西部の佇まいを再現していたと思う。なお、劇中に登場するエル・パソの町並みは本作のために沙漠の中に作り上げられたセットである。このセットは現存し観光名所になっているとか。マカロニ・ウエスタンが当時の映画界に与えた影響が垣間見える話だ。
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「夜明けのすべて」

2024-03-04 06:08:17 | 映画の感想(や行)
 出来はかなり良い。これはひとえに、題材と監督の資質との絶妙なマッチングによるものだ。考えてみれば当たり前のことなのだが、いくら優れた企画があっても、スタッフを適材適所に配置させなければ映画は失敗に終わる。そこを上手くやるのがプロデューサーの腕の見せ所なのだが、日本映画の場合はそのあたりが実にいい加減なケースが多い。その点、本作は珍しい成功例であり、本年度の邦画では確実に記憶に残る内容だ。

 月経前症候群(PMS)に悩む会社員の藤沢美紗は月に一度はイライラが抑えられなくなり、その時は職務を果たすことも難しい。幸いにも会社側は障害に理解があり、社長はそんな彼女を見守っている。ところが新たな同僚の山添孝俊のある行動が切っ掛けで、美紗は怒りを爆発させてしまう。だが孝俊はパニック障害を抱えていて、どうやって日々生きていったら良いのか分からなかったのだ。2人は互いの境遇を打ち明ける間に、特別な感情が芽生え始める。瀬尾まいこの同名小説の映画化だ。



 監督の三宅唱は対象を一歩も二歩も引いたところからストイックに捉えて、いわばドキュメンタリー・タッチに近い作風を持っていると思うのだが、過去の彼の作品はそれに合っていなかった。いずれもストーリーを盛り上げる必要性のある、いわばプログラムピクチャー的なシャシンばかりで、あまり評価は出来ない。しかし本作は、彼の持ち味が活きる内容だ。

 メンタル面でのハンデを持つ主人公たちの描き方は、本当にナチュラルである。大方の観客が期待してしまうような、孝俊と美紗が反発し合いながらも恋仲になるといったラブコメ展開には決してならない。それでいて2人の関係は同志のように深く、互いを信頼している。ハッキリ言って、無理矢理なラブコメ路線など現実にはそうあり得ないのだ。まずは相手のことを理解し、立場をわきまえたまま常識的な対応をするのが常だろう。まあ、中には色恋沙汰に発展することもあるかもしれないが、それは結果論に過ぎない。

 そしてこの映画の秀逸な部分は、主人公たちが自身の症状は改善されなくても、相手や職場の仲間や取引先など、周囲の者たちへのフォローが可能であることに気付く点だ。それが彼らの“成長”であり、下世話な恋愛話よりも数段グレードが高く、かつ普遍的だと思う。終盤の2人の身の振り方も、実に納得出来るものである。

 主演の松村北斗と上白石萌音は朝ドラでも共演して息はピッタリ。演技も申し分ない。会社の社長を演じる光石研や、孝俊の前の職場の上司に扮する渋川清彦、孝俊を憎からず思っている千尋役の芋生悠、他に藤間爽子や久保田磨希、宮川一朗太、りょう、丘みつ子など、パフォーマンスに難のある者が一人も出ていないのは気持ちが良い。あえて16ミリフィルムで撮られた映像はこの監督のキャラクターに合致しているし、Hi’Specによる音楽も見事だ。
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「山女」

2023-08-05 06:08:02 | 映画の感想(や行)
 題材と作品の雰囲気は悪くないが、釈然としない部分目立ち、個人的には評価しがたい。柳田國男の「遠野物語」に着想を得た作品としては、82年に公開された村野鐵太郎監督の「遠野物語」よりはマシだとは思う。しかしながら、元ネタが逸話や伝承に基づいた一種のファンタジーであっても、ドラマ化する場合はストーリーの整合性は保たれるべきだ。本作はその点が食い足りない。

 18世紀後半の東北地方は冷害に見舞われ、主人公の若い娘・凛の住む村でも食糧難にあえいでいた。しかも、凛の父の伊兵衛は先祖の罪により村人から冷遇されている。苦しさに耐えかねた伊兵衛はある“事件”を引き起こしてしまうが、凛は父の代わりに全責任を負い村を去る。一人で山の奥深くへ進んだ彼女は、そこで半人半獣の不思議な男と出会う。彼こそ村人たちから恐れられる山男だったが、凛はその男と行動を共にするようになる。



 村の状況は厳しいはずだが、どうも全体的に描写が小綺麗だ。もちろん、リアリズムを強調して観る者に過度の不快感を与える必要はないが、この映画には実体感が不足している。山男はどうして以前から村人にその存在を知られ、恐れられていたのか、その事情がハッキリしない。また、どうやって生き延びていたのかも不明。特に東北の冬を乗り切れるだけの備えも無いように見えるのには、違和感を覚えるばかり。そして、勿体ぶって出てきた割にはあまり活躍しないのには脱力する。

 凛の風体はこの時代の人間とも思えないほど身ぎれいだ。他の村人も一応はそれらしい格好はしているものの、役になりきっていないように思える。終盤は伝奇的な展開になるが、それほど劇的でもない。いわば想定の範囲内だ。

 長田育恵と共に脚本も担当した福永壮志の演出は、時代劇としての体裁を整えることより理不尽な村八分の実態やヒロインの境遇等を通して現代にも通じる社会問題を炙り出そうとするかのような仕事ぶりだが、キャストの演技指導の面では腰が据わっていない印象を受ける。

 凛に扮するのは山田杏奈だが、明らかに作品のカラーからは浮いている。2021年公開の「彼女が好きなものは」や「ひらいて」で見せた彼女の強烈な個性が抑制されているようで、観ていて不満だ。永瀬正敏に三浦透子、森山未來、山中崇、川瀬陽太、白川和子、品川徹、でんでんなど芸達者な面子を集めてはいるが、あまり機能していない。とはいえダニエル・サティノフのカメラによる鬱蒼とした山中の風景や、アレックス・チャン・ハンタイの音楽は申し分なく、その点だけは認めたい。
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「予告された殺人の記録」

2023-01-13 06:20:35 | 映画の感想(や行)
 (原題:Cronica de una Muerte Anunciada )87年フランス=イタリア合作。フランチェスコ・ロージ監督作品としては比較的珍しい純文学の映画化だが、見応えのある作品に仕上げられている。正直、今ではあまり映画ファンの間では記憶に残っているシャシンとは言い難いものの、決して悪い出来ではない。ただ、本作が公開された80年代後半には他にも(賞レースにおける)大作・話題作が目白押しで、影が薄くなったのは仕方がないとも言える。

 おそらくは20世紀前半の南米コロンビアの小さな町に、バヤルド・サン・ロマンという若い男がやってくる。彼は謎めいた風体であったが、実は相当な金持ちで、結婚相手を探して各地を旅していたのだ。広場を通りかかった若い娘アンヘラを見初めたバヤルドは、彼女こそ運命の人だと思い込みプロポーズする。

 気の進まないアンヘラを周囲は説得し、町をあげての婚礼がおこなわれる。しかし初夜で新婦が処女でないことを知ったバヤルドは、絶望して婚姻取り消しを申し出る。どうやら彼女の貞操を奪ったのは、富も名誉もある青年サンティアゴ・ナサールらしい。アンヘラの家族は名誉を守るため、サンティアゴの殺害を予告する。ノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケスの同名小説の映画化だ。

 物語は古風な愛憎劇で、しかも25年ぶりに故郷に戻ってきた医師クリストの回想によって進められることもあり、神話的な雰囲気が横溢する。殺人事件が起きることを町の誰もが予想していたにも関わらず、止めようとする動きはない。警察すら捜査に乗り出した形跡も無いのだ。さらには、サンティアゴが本当にアンヘラの初めての男だったのかも不明。すべては町が孤立したロケーションにあり、閉鎖的な風土によって不条理な因果律が暴走したことによる。

 フランチェスコ・ロージの演出は、このカリブ海に面した風光明媚な土地柄とは裏腹の、偏狭で不寛容な空気をジリジリと描出する。そして、バヤルドとアンヘラの関係性の実相が示される終盤の処理は、一種のカタルシスになって強い印象を残す。ルパート・エベレットにオルネラ・ムーティ、ジャン・マリア・ボロンテ、イレーネ・パパスと、顔ぶれも実に濃い。

 サンティアゴ役のアントニー・ドロンはあの有名スターの二世だが、良い演技をしている。まあ、彼は映画俳優としては父親にとても及ばなかったが、彼の半生は映画並みに面白いようだ。パスカリーノ・デ・サンティスのカメラによる南国の美しい光景、ピエロ・ピッチオーニの音楽も万全である。
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「夜、鳥たちが啼く」

2022-12-23 06:10:05 | 映画の感想(や行)
 佐藤泰志の小説の映画化にしては、極端に暗くも重くもないので“物足りない”と感じるかもしれない。しかしながら、適度な明るさと温度感を伴う方が観る側にとって幾分気が楽であるのは確かだ。ましてや監督は最近登板数が多くプログラム・ピクチュアの担い手のような存在になった城定秀夫だ。いたずらにヘヴィなタッチを期待するのは筋違いである(笑)。

 埼玉県の地方都市(ロケ地は飯能市)に住む作家の慎一は、かつては文学賞を獲得したことがあるが現在は複写機保守の仕事をしながら売れるアテもない小説を細々と書き連ねている。以前は生活を共にしていた恋人の文子がいたが、ケンカ別れした挙句に先輩に寝取られてしまう。そしてあろうことか、文子と一緒になったその先輩の元妻の裕子が幼い息子を連れて慎一のもとに転がり込んでくる。彼は家を母子に提供し、自分は敷地内にあるプレハブ小屋で暮らすようになる。こうして同居とも別居とも言えない奇妙な共同生活が始まる。



 慎一は嫉妬深くて気難しい野郎であり、今後文壇に復帰することはほぼ不可能。裕子は夜な夜な行きずりの男たちとの関係に溺れる身持ちの悪い女である。2人揃って通常のドラマではすぐに消されそうな“陰キャ”の典型だが、なぜか放っておけない存在感がある。それをバックアップするのが裕子の息子のアキラの存在。

 アキラは慎一を呼び捨てにするが、これはすなわち慎一の精神年齢が子供と同等であることを意味する。そんな“子供同士”の慎一とアキラは何となく仲良くなるが(笑)、それが裕子の内面にも微妙な変化をもたらす。もちろん、彼らが少しばかり前向きになろうと、状況は劇的に好転はしない。だが、そういう生き方も決して否定されるものではないのだ。

 城定の演出は淡々としていながら無駄がなく、適度なユーモアも交えつつ(特に“だるまさんがころんだ”の場面はケッ作)スムーズにドラマを進めていく。主演の山田裕貴はかなり健闘していて、この半ば人生投げたような男をリアリティをもって表現している。ヒロイン役の松本まりかはスクリーン上で見るのは初めてだが、巷の“あざと可愛い”という評価通りのヤバそうなオーラが満載。今後もこの個性を突き詰めてほしい。中村ゆりかにカトウシンスケ、藤田朋子、宇野祥平などの脇の面子も悪くなく、観て損しないだけの要素は確保されている。
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「百合の雨音」

2022-11-26 06:22:02 | 映画の感想(や行)
 日活ロマンポルノ50周年を記念し、現役の監督3人がそれぞれ作品を手がけた“ROMAN PORNO NOW”の第三弾。金子修介が演出を担当しているだけあって、第一弾の松居大悟監督「手」や第二弾の白石晃士監督「愛してる!」よりはマシな出来映えだ。ヒット作を数多く手掛けた金子監督は、もともとロマンポルノ作品「宇能鴻一郎の濡れて打つ」(84年)でデビューしている。同性愛を扱った作品では「OL百合族19歳」(84年)という快作もあるので、今回の企画は手慣れたものだったはずだ。だが、やっぱり往年の日活ロマンポルノのヴォルテージの高さには及ばない。

 出版社に勤める葉月は恋愛に対してイマイチ踏み込めない。なぜなら、過去に辛い経験があり臆病になっているからだ。そんな彼女は美人で有能な上司の栞に憧れている。ところが隙が無いように見える栞も、夫との関係が上手くいかずに悩んでいる。ある夜、大雨で帰宅できなくなった2人は、成り行きで一線を越えてしまう。



 さすがに金子監督はラブシーンの扱いが上手く、けっこう盛り上がる。しかし演じる小宮一葉や花澄、百合沙といった女優陣は、昔のロマンポルノのキャストにはとても及ばない。演技指導が不十分なのか、皆表情が硬くセリフ回しも抑揚に欠ける。かといって、ルックスが並外れているというわけでもなく、大きな求心力は望めない。

 むしろ栞の夫の造型が興味深い。朝っぱらから職場で堂々と不倫行為をやらかす不埒な野郎でありながら、妻の言動がそれなりに気になっている。かと思えば葉月には屁理屈をこねて接近したりする。演じる宮崎吐夢は、この無節操な人物を観る者に“男なら誰しも、このような軽佻浮薄な側面があるよなァ”という共感を抱かせるパフォーマンスを披露している(笑)。

 会社内での紆余曲折を経て、収まるところに収まったラストはまあ納得出来るが、それほどのカタルシスは生まれない。金子の演出はヘンに昭和っぽく、フワフワしたBGMとスマートさを敢えて外したような画面構成は一種の個性を発揮しているが、それが効果的かと問われると、あまり色良い返事は出来ない。

 結局“ROMAN PORNO NOW”における三本は(当初の予想通り)成果を上げられなかったが、何やら“成人映画を作るのだから!”という気負いばかりが先行しているように思う。ポルノだって劇映画の一種なのだから、あくまで通常のウェルメイドなドラマ作りに専念し、その上で絡みのシーンを多めに挿入するという肩の力を抜いたスタイルで臨んで欲しかった。
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「夜明けまでバス停で」

2022-11-06 06:22:58 | 映画の感想(や行)
 社会問題を真っ向から描く映画になるはずが、途中から“妙な方向”に舵が切られ、観終われば釈然としない気分が残る。考えれば監督の高橋伴明は団塊世代の影響を大きく受けていることは「光の雨」(2001年)などでも明らか。そういうスタンスでこの題材を扱って良いとは思えない。また、主人公の造形も現実感を欠く。

 居酒屋チェーン店のパートとして働いていた北林三知子は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で失職の憂き目にあう。しかも勤め先の寮に入っていたため、住む家も無くなる。新たな仕事どころかコロナ禍により寝泊まりする場所も見つけられない彼女が行き着いたのは、バス停に隣接したベンチだった。やがて彼女は公園で同じホームレスのクセの強い面々と知り合う。一方、三知子が働いていた居酒屋の店長である寺島千晴は、チェーン統括会社のマネージャーの態度に不審感を抱いていた。2020年に起こった渋谷ホームレス殺人事件をヒントしてに作られている。



 今世紀に入ってからの構造改革万能主義により、勤労者の多くが不安定な身分に甘んじるようになった中、思わぬパンデミック発生で窮地に追い込まれる者が多数発生。本作はその理不尽さを告発するはずが、ヒロインが出会うホームレス仲間が往年の新左翼の闘士だったことから、映画は“権力vs庶民”という全共闘時代の古いテーゼをトレースするようになる。これでは問題解決の方法論を何も提示していない。

 そもそも、三知子はアクセサリー制作などの手に職を持っており、友人もいて帰るべき故郷もある。真に困窮した立場ではない。そして困ったことに(?)、演じる板谷由夏はスタイルが良くて垢抜けておりホームレスには見えないのだ。

 むしろ映画の主題に相応しいのは、実際の事件で狼藉に及んだ犯人の方ではないのか。どうして見ず知らずの者を襲ったのか、その背景を丹念に追えば、我々が直面する深刻な問題が明らかになったかもしれない。あるいは千晴が直面するディレンマとか、三知子の元同僚たちの苦境など、明らかに映画的興趣を喚起できるのは本筋とは別のモチーフである点が何とも悩ましい。

 板谷以外のキャスト、三浦貴大やルビー・モレノ、片岡礼子、土居志央梨、下元史朗、筒井真理子、根岸季衣、柄本明、柄本佑らの熱演も空回りしている感が強い。なお、唯一印象的だったのが千春に扮した大西礼芳で、難しい役回りをひた向きな姿勢で演じ、共感性の高いキャラクターに押し上げていた。今後も注目したい。
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「ようこそ映画音響の世界へ」

2022-06-03 06:19:56 | 映画の感想(や行)
 (原題:MAKING WAVES: THE ART OF CINEMATIC SOUND)2019年作品。興味深いドキュメンタリー映画だ。まず、題材を映画音響に特化している点が面白い。映画製作に関するドキュメンタリーは過去に数多くあったが、サウンドに着目したものは(私の知る限り)他には見当たらない。それだけでも存在価値はある。

 映画がトーキーになったのは1927年の米作品「ジャズ・シンガー」からだが、それから映画音響はコンスタントに進化を続けてきた・・・・と思ったら、実は少し違う。確かに技術革新により音響機材のクォリティは上がり、聴感上の物理特性は時代を重ねるたびにアップしてきた。しかし、真に映画的効果を狙ったサウンド展開が普及するようになったのは、意外にも70年代以降なのだ。まさにトーキー誕生から50年以上も経過している。



 それまでは映画の音響は基本モノラルで、サウンド・エフェクトといえば文字通り“効果音”でしかなかった。それが映画上映時の“音場”まで考慮されるようになったのは、サラウンドという考え方が一般化するようになってからだ。オーディオの世界では4チャンネル・ステレオが取り沙汰されるようになった時期で、ピュア・オーディオにおけるサラウンドは早々に廃れたものの、その方法論は映像再生時のノウハウとして定着した。そして今や音響効果は映画の質を左右するほどの重要性を獲得。

 本作はジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグ、デイヴィッド・リンチ、クリストファー・ノーランら監督陣をはじめ「スター・ウォーズ」のベン・バート、「地獄の黙示録」のウォルター・マーチ、「ジュラシック・パーク」のゲイリー・ライドストロームといったレジェンド級の音響エンジニアたちのインタビューを織り込み、もはやサウンド効果なしでは成り立たなくなった映画作りの現状を浮き彫りにしていく。

 ただし、演出担当のミッジ・コスティンは平易な内容を第一義的に考えていたせいか、網羅されている情報が入門編レベルに寄せており、マニアックな興趣に乏しい点は不満だ。観客を置いてけぼりにするのは禁物ではあるが、もう少し知的好奇心を喚起するような作りが望ましかった。しかしながら、こういうモチーフを取り上げたこと自体は評価されるべきだろう。
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「ユメノ銀河」

2022-03-06 06:16:11 | 映画の感想(や行)
 97年作品。70年代後半にデビューしてから主にバイオレンス物を手掛けたことから、武闘派(?)と思われていた石井聰亙(現:石井岳龍)監督だが、90年代からは静謐でスタイリッシュな作風を露わにしていく。本作もその傾向にある一編で、特にモノクロのアーティスティックな映像と凝った大道具・小道具により、文芸物としての佇まいも感じさせる。一般受けはしないが、これはこれで存在価値のあるシャシンだ。

 戦後も間もない頃、ある地方都市で友成トミ子は乗合バスの車掌の職を得る。当時は若い女子の間では人気のある仕事に就けたはずのトミ子だが、次第に退屈な日々に嫌気がさしていた。ある日、彼女の友人である月川ツヤ子が婚約者の運転するバスに乗っていて事故死したという知らせが届く。葬式の帰りに、トミ子は関係者から、事故の当事者である運転手と組んだ車掌が次々と謎の死を遂げているという話を聞く。



 不穏な気持ちに陥った彼女だが、そんな中トミ子が勤める会社に新しく採用された運転手の新高竜夫が、くだんの怪しい男ではないかという噂が広がる。しかも、トミ子は彼と仕事上のコンビを組むことになる。彼女は当初は居心地の悪い思いをするが、やがてミステリアスな雰囲気を持つ竜夫に惹かれるようになる。夢野久作の小説「少女地獄・殺人リレー」の映画化だ。

 形式としてはサスペンス物に属するが、謎解きの趣向はあまりなく中途半端に終わる。どちらかといえば内実はラブストーリーだろう。しかし、相思相愛のスタイルにはなっておらず、完全にヒロインの病的な一方通行の思い込みに終始する。

 よからぬ噂を聞いて竜夫を疑うトミ子。その反面、惹かれていくのを止めようがない。普通に映像化すれば主人公の奇態な言動がクローズアップされるところだが、本作では静かなタッチを維持し、その代わりに独特の美意識に貫かれた画面造形と、芸術的とも言える白黒の色彩の配置がトミ子の揺れ動く内面を表現する。撮影担当の笠松則通にとって、この映画での仕事は大きなキャリアになったはずだ。

 石井の演出はケレンが大きいのだが、全編を覆う沈んだ雰囲気により、そのあざとさは感じられない。90分という尺も適切だ。主演の小嶺麗奈は難しい役を上手くこなしていて感心したが、不祥事により今は芸能界から退場してしまったのは残念だ。竜夫役の浅野忠信をはじめ、京野ことみ、黒谷友香、真野きりな、嶋田久作など、他の面子もイイ味を出している。
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「野蛮人のように」

2022-02-13 06:16:03 | 映画の感想(や行)
 85年作品。封切り時は正月映画の目玉として公開され、事実それなりの興行成績を上げたのだが、実はそれは併映の那須博之監督の「ビー・バップ・ハイスクール」のおかげである。当時テレビで興行評論家の黒井和夫が“7対3の割合で「ビー・バップ~」が引っ張っている”と言っていたらしいが、観客の反応を見ていればそれは明白だった。とにかく何とも形容しようのないシャシンで、評価出来る余地はない。

 主人公の有楢川珠子は15歳のとき作家デビューして早々に頭角を現したものの、20歳になった今ではスランプ気味だ。アイデアが浮かばない夜、彼女は気晴らしに仕事場である海辺のコテージを飛び出し、六本木まで車を走らせる。一方、六本木の風俗店の用心棒を務める中井英二は、兄貴分の滝口から突然電話で呼び出される。

 中井が指定された場所に出かけてみると、滝口は誰かに撃たれて負傷しており、そばには彼が属する山西組の組長の死体が転っていた。実はこれは滝口の偽装殺人だったのだが、彼は中井に“犯人は組長の情婦で、水玉のブラウスに白いパンツを着ていた”とデタラメを吹き込む。ところが、六本木にやってきた珠子は偶然にも同じ服装をしていた。これまた偶然に珠子と遭遇した中井は、彼女ともども事件をもみ消そうとする組織の連中から追われることになる。

 話自体はかなり剣呑で、流血沙汰も少なからずあるのだが、陰惨な印象は受けない。ならばポップな線を狙っているのかというと、それにも徹し切れていない。何とも煮え切らないシャシンだ。展開は行き当たりばったりで、作劇のテンポはかなり悪い。キャラクター設定もいい加減で、珠子はとても作家には見えないし、中井はカッコ付けただけのチンピラだ。

 ヒロインたちが悪漢どもと攻防戦をやらかすのは海辺の小屋なのだが、いかに危機突破のためとはいえ、仕事場を爆破して笑っていられる作家なんていないだろう。斯様な不手際を回避するには、攻防戦の場所をどこか別の場所に変えることで容易に達成するのだが、作者にはその程度の配慮も見られない。また、単純娯楽編という触れ込みのはずだが、カメラワークは不自然に凝っているあたりも痛々しい。

 監督と脚本担当は川島透だが、当時の彼には才能は感じられなかった(その後いくらか持ち直したが、今は何をやっているのか不明)。珠子に扮した薬師丸ひろ子はこれが角川事務所を辞めてからの第一作だが、どうやら作品の選定を間違えたようだ。相手役の柴田恭兵をはじめ、河合美智子に太川陽介、清水健太郎、ジョニー大倉、寺田農とキャストは多彩だが、上手く機能していない。ただ、音楽担当が加藤和彦であるのは、多少の興味は覚えた。
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