元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「秘密」

2012-05-31 06:40:03 | 映画の感想(は行)
 99年作品。東野圭吾による同名小説の映画化で、監督は滝田洋二郎。この前作の「お受験」(99年)といい、この作品といい、映画会社は滝田の才能が全然分かっていなかったようだ。彼は基本的に艶笑コメディとシリアス・サスペンス(あるいは両者の合体 ^^;)しか撮れない監督であって、TVドラマに毛のはえたようなどうでもいいシャシンなんか担当させるべきではない。

 交通事故によって死んだ妻の人格が、同じ事故に出くわした娘の内面に憑依するという驚天動地(?)の設定ながら、これを“そこそこ感じのいい映画”にしようという製作側の意向のせいか、コメディにもシリアスにもファンタジーにもなりきれない実に居心地の悪い作品になってしまった。



 描写自体がどれも薄っぺら。展開にメリハリがなく、小林薫はじめとするキャストもどうでもいい仕事しかしていない。ラストのオチなんてあまりの情けなさに泣けてきた。だいたい、この大仰なネタをモノに出来たのは、全盛期の大林宣彦ぐらいじゃないか。映画にすること自体が失敗なのかもしれない。

 そして娘役の広末涼子の、観る者をバカにしたような学芸会演技には萎えた。彼女が母親役の岸本加世子とじゃれ合う場面は“仲の良い親子”を表現したつもりだろうが、正直言って、気持ち悪い(-_-:)。
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「ファミリー・ツリー」

2012-05-30 06:40:57 | 映画の感想(は行)

 (原題:THE DESCENDANTS )舞台設定というものが映画にとっていかに大事か、改めて思い知らされた作品である。本作の物語が展開する場所はハワイだ。風光明媚で気候は温暖。老いも若きもアロハシャツとショートパンツに身を包み、ゆっくりと流れる時間をマイペースに楽しんでいるような土地柄である。

 ここで描かれるストーリーはかなりシビアだが、スローライフな環境が決してそれを“致命的”なものにはさせない。あきらめずに踏ん張れば何とかなるという、そういうポジティヴなスタンスが心地良い映画だ。

 オアフ島に住む弁護士のマット・キングは努力の甲斐あって仕事は順調だが、家庭生活は上手くいっていない。ビジネスの忙しさを口実に、家族をからあえて目をそらしていたというのが実情だろう。そんな中、妻がボートの事故で昏睡状態になってしまう。しかも彼女は浮気していて、マットと別れることも考えていたことが発覚。そのことは長女や友人夫妻までもが知っており、自分だけが蚊帳の外に置かれていたことに愕然とする。さらに彼は、カウアイ島にある先祖代々の広大な土地を売却すべきかどうかという、一族郎党を巻き込んだ難題をも抱えている。

 本作の構図は先日観た「わが母の記」と似ている。あの映画の主人公が随分と恵まれた環境に身を置いていたように、マットも仕事は十分にあり付き合える友人・親戚にも事欠いてはいない。世知辛い世相とは別の次元にいるようだ。

 しかし、共に主人公の設定は普遍性が高い。大切な人を失うこと、またそのことによって残された者達の屈託が表面化すること、まさに誰しも直面するシチュエーションである。こんな逆境でも、作者は真摯に人生に向き合えば何とかなるという楽天性をまったく捨てていない。

 さらに、主人公が扱う物件がカメハメハ大王の時代から綿々と今に受け継がれてきた土地であるということは象徴的だ。人間は、自分一人だけで存在出来るものではない。たとえ今は孤独でも、長い歴史と数多くの人々が自己の実存に関わっているのだ。本当の意味での“孤立”などというものはあり得ないという前向きなスタンス、これが作品全体に通奏低音のように流れている。

 久々にメガホンを取ったアレクサンダー・ペインの演出は達者で、適度なユーモアを織り交ぜながら、ドラマを停滞させることなく進めていく。ジョージ・クルーニーのパフォーマンスは今までのキャリアの中でも上位に属するだろう。ちょっと人生に迷った優柔不断な中年男を上手く実体化させていた。ベテランのボー・ブリッジスが脇を固めているのも嬉しい。そして長女役のシャイリーン・ウッドリーはナイーヴな力演で、逸材ぶりを発揮。最近のアメリカ映画界は有望な若手女優が次々と現れているようで、喜ばしい限りだ。

 主人公は妻の浮気相手に会い、土地の問題を片付け、そして妻に別れを告げる。運命を受け入れつつも、家族に向き合うその姿は観ていて胸が熱くなる。彼と2人の娘が一枚のハワイアン・キルトに身を包むラストシーンがとても良い。
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「博多っ子純情」

2012-05-26 06:52:53 | 映画の感想(は行)
 78年製作の曾根中生監督作品。長谷川法世の「漫画アクション」誌に連載されていた同名の漫画を映画化したもので、博多に住む男子中学生のズッコケぶりをユーモラスに描く。

 いくら三十数年前とはいえ、光石研扮する中学生とその仲間たちはいささか幼すぎると思わないでもないが、楽しめる快作であることには間違いない。何よりキャラクターが濃い。そして博多弁のコテコテ度も濃い(場合によっては字幕スーパーが必要 ^^;)。

 キャスト全員がイイ味出している。色恋沙汰ありケンカありおちゃらけありの種々雑多なエピソードを力一杯詰め込んで破綻無く送り出す曾根演出が冴えまくり、終わってみれば上映時間が1時間半という絶妙のタイミグ。娯楽映画はこうでなければ。

 ヒロイン役の松本ちえ子をはじめとして、宮下順子や伊佐山ひろ子、田崎潤や桂歌丸など、脇の面子もなかなか濃い(長谷川法世自身も登場する)。当時福博の街を走っていた路面電車が登場するのも懐かしい。そして嬉しい。
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「パニック・ルーム」

2012-05-25 06:33:59 | 映画の感想(は行)

 (原題:Panic Room)2002年作品。侵入不可能とされる避難用の小部屋を舞台に、凶悪な強盗団に対峙する母と娘を描くデイヴィッド・フィンチャー監督作。出来としては実に凡庸。やはりこの監督は、今のところ「ソーシャル・ネットワーク」しか観るべきものは撮っていないということを再確認した。

 だいたい、さほど取り柄のない女が富豪が遺した豪邸に入居するという設定からして噴飯もの。主演はジョディ・フォスターだが、タフな彼女はスリラー映画のヒロインには不向きだ。それでも悪役が彼女を凌ぐ“大物”ならまだ楽しめただろうが、気の弱い黒人とチンピラ二人では話にならない。

 脚本もヒネリがなく、ただ予定調和のラストに向かって粛々と進むのみ。フォスターが当時わざわざカンヌ映画祭の審査委員を断ってまで出るべき映画だったのか大いに疑問である。

 なお、デイヴィッド・フィンチャー監督作品らしく、オープニング・タイトルだけは素晴らしい。ここだけ観て席を立っても何ら不都合はないと思う(笑)。そしてヒロインの娘役には今売れっ子(?)のクリステン・スチュワートが扮しているが、本作では大した演技もしていないように思える。
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「モンスターズ・インク」

2012-05-21 06:34:07 | 映画の感想(ま行)
 (原題:Monsters, Inc.)2001年作品。よく知られた作品なのでストーリーなどについては触れないが、同じ時期に公開されたCG長編アニメーションでも「シュレック」や「ファイナルファンタジー」などに大きな差をつけて娯楽路線を驀進していた映画だ。観ている間は確かに面白い。

 ただし、同じピクサー・アニメーション・スタジオの作品でも、「トイ・ストーリー」よりもさらに子供向けになっていて幾分物足りない面があるのは、監督がジョン・ラセターから新鋭のピート・ドクターに代わったせいか。

 「となりのトトロ」に通じるという意見もある。なるほど、寿司屋のシーンや日本家屋に侵入するショットは、単なる日本のファンへのサービス以上のものがあるのかもしれない。何よりブーがサリーにしがみつく場面はトトロとメイのそれと酷似している。

 封切り時は続編が作られるという噂があったが、長らく具体的な話は聞かなかった。ところがここにきてサリーとマイクの学生時代を描く“前日談”である「モンスターズ・ユニバーシティ」の製作が決まったようだ。公開は2013年だという。評判が良ければ観に行きたい。
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最近購入したCD(その24)。

2012-05-20 06:37:56 | 音楽ネタ
 以前このブログでも紹介したことがあるジャズ・ポップユニットの「LaidbacK」のヴォーカル、井筒香奈江が発表したソロ・アルバム「時のまにまに」は、かなりの高レベルの仕上がりだ。

 5曲入りのミニ・アルバムであり、すべて昭和の歌謡曲をカバーしている。江森孝之によるギターだけの伴奏だが、音像の一つ一つが磨かれたような存在感を発揮し、絶妙なアレンジも相まって濃密な音世界を展開。メロディの美しさが丹念に練り上げられ、オリジナルとは一線を画した独自の領域に到達している。



 さらに録音は素晴らしいの一言だ。オンマイクで収録された井筒の歌声はあくまで生々しく、聴いていて鳥肌が立つようだ。ギターは控え目ながら、ヴォーカルとの距離感がしっかり取れている。音場は三次元的に広く、特に上下方向の再現性に優れている。オーディオ評論家の間では評判になったディスクらしいが、それも十分頷けるほどのクォリティだ。残念ながらCDショップの店頭にはあまり置かれていない商品だが、ネット通販で取り寄せてでも聴く価値のある逸品と言えよう。

 南米トリニダート・トバコ出身で現在はアメリカで活躍する女性ラッパー、ニッキー・ミナージュの2枚目のアルバム「ロマン・リローデッド」は、近頃私のリスニングルームのヘヴィ・ローテーションになっている。国内盤は70分を優に超える収録時間ながら、まったく飽きさせない質の高さを見せつけている。



 とにかく内容が多彩。レディー・ガガを手掛けたヒットメーカーのレッド・ワンがプロデュースしたノリの良いダンス・ナンバーをはじめ、ハードコアなラップやラヴ・バラードなど、手を変え品を変えリスナーに迫ってくる。アレンジは絶妙と言うしかなく、まるで重層的な音の波がこちらに押し寄せてくるようだ。録音は水準クラスだが、それでも最近のJ-POPよりは上等だ。

 ミナージュ自身の声は、蓮っ葉なようで実は蠱惑的という、実にオイシイところを確保している。歌詞も挑発的で実に良い。マドンナやマライア・キャリー、リアーナ等の大物との共演も既に果たし、これからどれだけ成長するか分からない、まさに逸材だ。今後もディスコグラフィーを追って行きたいミュージシャンである。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番といえば有名なナンバーであり、映画音楽として何度か使用されたこともあるからクラシック好きではなくても知っている人も多いだろう。ディスクもリヒテルやアシュケナージ、ルガンスキー、ガヴリーロフなど名盤が目白押しだが、ここにまたひとつ秀作が登場した。中国の若手女流ピアニスト、ユジャ・ワンがクラウディオ・アバド指揮のマーラー室内管弦楽団と組んだ一枚だ。



 一聴して、彼女は凄いテクニシャンであることが分かる。まさに天翔るという感じの達人ぶりだ。しかしながら、技巧だけを前面に出した無味乾燥な演奏ではない。オーソドキシーに徹しながらも、何ともいえない色気がある。それも濃厚で湿度の高いものではなく、爽やかで健康的だ。

 ストレス無く聴けて、しかも自然で清涼な魅力に溢れた演奏。アバド&マーラー室内管のサポートも的確で、ケレン味のないスクエアーな展開によりピアノのパートを盛り上げる。カップリングされたパガニーニの主題による狂詩曲も素晴らしい。録音はこのレーベル(独グラモフォン)にしては音場感が良く出ており、水準は十分にクリアしている。2011年度の「レコード芸術」誌における読者投票一位作品。買って損は無い。
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「ロボット」

2012-05-19 06:45:16 | 映画の感想(ら行)

 (原題:ENDHIRAN THE ROBOT)インド映画ではお決まりの、歌と踊りのシーンが2ヶ所しかない。それもそのはずで、これは約3時間のオリジナル版よりも40分ほど短い“日本公開向けの仕様”なのだ。当然のことながらストーリーと関係のないミュージカル場面はカットされているはずで、これではとても評価は出来ない。

 たぶん短縮版を作成した担当者は“筋書きさえ分かれば全てオッケー”みたいなことを考えていたのだと思うが、それは違うのだ。インド製娯楽映画は、おおむねストーリー展開は緩い。ただし“緩慢だからイケナイ”ということでは決してなく、長い上映時間の中に身を横たえてマッタリと楽しむという鑑賞スタンスが確立されていれば、筋書きにリンクしない歌や踊りでも十分に存在価値はある。

 しかも、絢爛豪華なミュージカル場面も物語のメインディッシュである“ロボット大暴走シーン”と同じぐらい(あるいはそれ以上)の見せ場なのだ。そのあたりを分かっていない配給会社には猛省を促したい。

 天才ロボット工学者のバシー博士は長年の夢であった究極の人間型ロボット“チッティ”をやっと完成させるが、学会発表の際にさらなる性能アップを要求され、チッティに人間の感情をインプットしてしまう。するとチッティは、博士の婚約者サナに恋心を抱く。だが当然サナはチッティを拒絶。博士もそんなチッティを重荷に感じ廃棄処分にしてしまうが、悪徳科学者によってゴミ捨て場から拾われたチッティは、殺人マシーンとして改造される。やがてチッティは自分の複製を大量に製造し、人間達に対して宣戦布告するのだった。

 意外なことに(?)、この映画のストーリーはけっこう面白い。バシー博士はアシモフの“ロボット三原則”を敢えて無視し、最初からチッティを軍用品として売り込むことに何の疑問も抱いていない。彼と敵対する悪い科学者にしても欲しいのは自分の名声だけで、ロボット開発による公共の福祉への寄与なんか全く考えていない。

 テクノロジーの暴走という使い古されたモチーフも、正面から描かれると思わず納得してしまうのだ。チッティの、ロボットでありながら意志を持ってしまった“悲しさ”もうまく表現され、ラストなんか少し感動してしまったほどである(笑)。

 ハリウッドのスタッフを招いたというSFX処理は、ハッキリ言ってショボい。安手の薄っぺらい画面の連続には失笑してしまう。しかし、終盤のロボットの大群による奇妙奇天烈なフォーメーションの数々は、技術的な面を忘れさせるほどに凄い。「トランスフォーマー」も忘却の彼方に飛び去ってしまうほどの、卓越したアイデアの連続に圧倒された。

 シャンカールの演出は「ジーンズ 世界は2人のために」の頃よりも上達しているし、冒頭タイトルに“スーパースター”というフレーズ付きで名前が出る(爆)ラジニカーントと、相変わらず美しいアイシュワリヤー・ラーイの共演は十分に絵になる。おなじみA・R・ラフマーンの音楽も快調だ。

 それだけに、無粋な“編集”には愉快になれない。長い上映時間を懸念した興行上の措置かもしれないが、いずれにしろ改めて“完全版”を観てみたいものだ。
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「式部物語」

2012-05-18 06:36:33 | 映画の感想(さ行)
 90年作品。なんともはや珍妙な映画である。笑ってしまった。舞台は九州のどこかで、時代背景は・・・・いつかはハッキリとわからない。おそらく昭和40年代だとは思うが、ハナからそんなことは問題にしていないようだ。事故の後遺症でメンタル障害を負った男・豊市(奥田瑛二)。彼をささえる母(香川京子)と妻(原田美枝子)。しかし、嫁姑の間には深い溝があった。

 ある日村にやってきた“和泉協会”と名乗る巡礼団を率いる尼僧・智修尼(岸恵子)に豊市はひと目惚れしてしまう。そして豊市と母は妻の反対を押し切って、救いを求めて巡礼の旅に加わる決意をするのであるが・・・・・。

 原作は秋元松代の戯曲「かさぶた式部考」である。この戯曲がどういうものかは知らないが、おそらくは新劇調の絶叫劇だと思う。だってこの映画の登場人物のセリフまわし(特に和泉協会の人々)がいやにわざとらしくて、どれもリキみかえっている。私などこれだけでウンザリしてしまうが、一番困ったのは、作者の言いたいことがさっぱり見えないことだ。



 監督は熊井啓だが、この人の本領というのは社会派映画にある。政治問題・社会問題を容赦なく告発、そしてそれにかかわる人々の苦悩を描き出し、観客を圧倒させる。で、今回の映画で熊井監督がまず描くべきだったのは、豊市が被った事故、ここでは炭鉱の一酸化炭素中毒(だと思う)の背景にある人権無視の大企業の体質とその裏にある国家の姿勢ではなかったろうか。

 作中で妻が言う。“何が救いを求めるだって? 仏さんか式部さんか知らんばってん、そぎゃん不思議な力があるとなら、私ら一家ば突き落としたもんに罰ばあててください。そんなら私も仏さんば信じまっしょ”。そのとおりである。そのへんを突っ込むことが熊井監督がやるべきことだったと思う。

 カリスマ的魅力を持つ智修尼のもとに集まる連中の描写は実に不愉快きわまりない。全員がやたらうるさくて、女々しくて、性格が悪そうで・・・・。智修尼自身も信者を完全にナメきっている。とにかく新興宗教を完全にバカにしているのは確かなようだが、それだけでは何にもなるまい。母と妻の苦悩にしても、結局行きつくところは嫁姑の毎度の争いで、これもあんまり見たくない。テーマが絞りきれていないように思う。

 主人公たちが住む村は阿蘇にロケしている。ところが、草千里から少し歩いて行くと、いつの間に矢部町の通潤橋に出てしまうのには笑った。かなりの距離はなれているんだけど・・・・。ま、いいか。

 出演者はいずれも熱演で、特に母役の香川京子は見事だと思ったが、それが作品そのものとあまりカンケイないところにいるのが、どうも納得できない。失敗作だと思う。モントリオール映画祭で賞をもらったらしいけどね・・・・・。
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「陽はまた昇る」

2012-05-15 06:34:01 | 映画の感想(は行)
 2002年作品。NHKの「プロジェクトX」でも取り上げられたVHSビデオ誕生秘話の映画化。誰にでもわかるサクセス・ストーリーを追っているので、映画は確かに面白い。

 演出が多少平板で、映像的ケレンや卓越したドラマ運びは皆無でも、題材自体に普遍的な面白さと力強さが備わっていれば観客を納得させることが十分可能なのである。

 主演の西田敏行はどうしても「釣りバカ日誌」のハマちゃんを思い起こさせ、あまり実直な会社員には見えないのはマイナスだが(笑)、渡辺謙や仲代達矢ら脇のキャストがめっぽういい。

 それにしても、落ちこぼれ達が一致団結して道を開くというサラリーマンものの王道路線が現実社会では成り立たなくなりつつあることは悲しい。「自己責任」という名目で弱者を容赦なく切り捨てて行く「構造改革路線」万能の御時世を経て、今や家電業界そのものが斜陽になった昨今では、この映画に出てくる男たちも居場所がなくなるであろう。

 さらに言えば、VHSを生み出した日本ビクターという会社はすでに存在しないのだ(2011年にケンウッドに吸収合併された)。ビクターというブランド名こそ残っているものの、かつて意欲的なAV機器を次々とリリースしていた頃の面影は無い。実に寂しいことである。
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「赤目四十八瀧心中未遂」

2012-05-14 06:07:47 | 映画の感想(あ行)
 2003年作品。世捨て人みたいな生活を送るインテリ男が尼崎のドヤ街で遭遇する不思議な事件を描いた荒戸源次郎監督作。車谷長吉の直木賞受賞小説の映画化である。

 上映時間が3時間近い長尺だが、はじめの一時間は好きになれない。70年代の劇画のキャラクターみたいな風体の登場人物が繰り広げる大仰なエピソードの数々には胃がもたれてくるし、画面がやたら暗いのにも閉口する。しかし、舞台が小汚いアパートから屋外へと広がる中盤以降は、明るさを増す画面と共に物語に引き込まれてしまう。



 一見リアルに描かれていた尼崎の街は実は“この世のもの”ではなく、荒戸が製作者として手掛けた鈴木清順監督の“浪漫三部作”と同じく“彼岸の世界”であり、その正体が明らかになってゆく過程はスリリングな興趣をもたらす。現実と幻とのコラボレーションは伝統芸能のテイストを取り入れた鈴木清順作品と違って多分に即物的だが、それだけに衝撃度が高い。

 圧巻は赤目四十八瀧を登ってゆく主人公二人の“道行き”である。滝のこちら側と向こう側で生と死がせめぎ合うような映像の魔術にしたたか酔ってしまった。映画の最初と最後に蝶を追う少年を登場させ、全体をサンドイッチみたいな構造にしたのも玄妙で作品の寓話性をより高めている(荘子の「胡蝶の夢」の引用)。

 主演の大西滝次郎は生硬な佇まいが映画の雰囲気と絶妙なコントラストを見せ、共演の寺島しのぶは「ヴァイブレータ」よりも数段上の存在感。内田裕也、大楠道代、沖山秀子、麿赤児、大森南朋、新井浩文といった脇の面々も強烈だ。世評通りの意欲作である。
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