元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「タイピスト!」

2013-10-31 06:37:23 | 映画の感想(た行)

 (原題:POPULAIRE )設定はとても興味深いが、脚本と演出が三流なので凡作に終わっている。やはり一つのアイデアを映画の成功として結実させるには、正攻法の練り上げが不可欠なのだ。

 1958年のフランス。当時最もモダンな女性の職業と言われたタイピスト兼秘書になるために田舎から出てきたローズだが、実はタイピングは我流の“一本指打法”しか出来ず、なかなか正社員の座を得られない。

 そんな中、彼女の度胸とコケティッシュな魅力が気になった保険会社の社長ルイは、その頃盛んに開かれていた“タイプ早打ち大会”に彼女が出場して入賞することを引き替えに、正式採用を認めることを持ちかける。ルイの家に住み込み、過酷な特訓を積んで、何とかノーマルな十本指でのタイプを身につけた上で大会に臨む彼女だが、並み居る強豪がローズの前に立ちふさがる。

 垢抜けない田舎娘を磨き上げるスマートな中年男という、まるで「マイ・フェア・レディ」のような構図と、スポ根ドラマを合体させたようなアウトラインを持つ本作、残念ながら単なる“アイデアの提示”に終わっている。

 だいたい、映画自体が長すぎる。世界大会まで描く必要があったのか? 市町村主催の競技会か、あるいはせいぜい県大会ぐらいまででセーブしておくべきだった。出場回数が無意味に増えれば、それだけ主人公二人の関係性をじっくり扱う余裕が無くなってくる。事実、中盤以降はバタバタして二人のロマンスも行き当たりばったりの展開にしかなっていない。

 肝心の競技会のシーンも盛り上がらない。ユニーク過ぎる特訓の数々と、タイピングの“極意”みたいなものを、ハッタリかませた仕掛けでリズミカルに描いて欲しかったが、芸も無くタイプライターを叩き続ける場面が延々と続くのみ。対するライバル達の“必殺技”も披露出来ず、ガチャガチャとうるさいわりには平板だ。

 レジス・ロワンサルの演出は冗長で、メリハリのないままストーリーだけを追っている状態。向こうウケを狙ったような、いかにもオシャレっぽいカラフルな映像が幾度となく挿入されるのだが、本編が腰砕けのままでは“浮いた”ような印象しか受けない。

 ルイ役のロマン・デュリスとローズに扮するデボラ・フランソワは好演で、特にフランソワは巷では“オードリー・ヘップバーンの再来か”と言われているほどの存在感を発揮しているのだが、映画の出来がこの程度では、積極的に評価するのは差し控えたい。
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ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」

2013-10-30 06:48:27 | 読書感想文
 面白く読めた。どうして人類は住む大陸ごとに異なる歴史を刻んだのか。なぜ先進国と途上国という“格差”が発生したのか。そういう根源的な問いを、生物学や言語学などの観点から考察する。ピュリッツァー賞受賞作で、識者が選ぶ朝日新聞“ゼロ年代の50冊”において第1位に選ばれた話題作だ。

 作者は“環境”こそが、各民族の歴史を決定した最重要な事柄であると結論付ける。まあ、これだけ聞くと“まあ、そうだろうなあ。環境が大きくモノを言うのだろうな”と誰でも漠然と思うのだが、本書では地形や動植物相を含めた多角的なアプローチで、論理的かつ分かりやすく綴られている。ユーラシア大陸は東西方向に広く、アメリカ大陸やアフリカ大陸は南北方向に長い。この形状の違いがまず大きな要素だ。

 そしてユーラシア大陸には家畜になるような動物が少なからず存在し、また栽培出来る植物にも恵まれていた。対してアメリカ大陸やアフリカ大陸には、それらが乏しかった。この環境的な相違が、人類間の“格差”に繋がり、現在においても尾を引いているというのが、本書の主なロジックだ。



 特に面白かったのが、扱いは少ないが、中国に関する記述である。中国がどうして4千年もの間、普通選挙すら行われず全体主義的な傾向を保ったまま時を重ねてきたのか、その理由が明確に語られている。それはまた、日本がなぜ中国に追随せずに独自の文化を生み出すに至ったのか、その背景をも暗示させる。まさに読んでいて目から鱗が落ちる思いだ。

 ただし、万全の出来かといえば、そうでもない。必要以上にくどい場面が散見されるし、作者が個人的な関わったニューギニアの話とか、インカ文明滅亡のくだりなんか、半分ぐらい削っても良かった。さらに言えば、メソポタミア文明や黄河文明には数多く言及しているのに対し、他の文明についてはさほど興味は無いようだ。特にインダス文明に対する記述なんか、ほとんどない。

 ただ、これらの瑕疵を差し引いても、読む価値はあると断言したい。何のかんの言っても、他民族とのコミュニケーションの困難性を“奴らとは、生物学的な差異があるに違いない”という、身も蓋も無い決め付けに走りがちである我々にとって、絶好の“処方箋”になってくれる。

 ・・・・とはいえ、どう考えても“あいつら、生物学的に劣等種ではないのか”と思われても仕方が無い者達が多数存在する国が日本の隣にあるのも事実(激爆)。この背景についても誰か“理論的な”考察をやっていただきたいものだ。
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