元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「凶気の桜」

2010-11-30 06:27:22 | 映画の感想(か行)
 2002年作品。窪塚洋介が右翼かぶれのチンピラを演じる活劇編だが、内容はまったく感心しない。ナショナリスト気取りの主人公(窪塚)は、仲間と共にネオ・トージョーなるグループを結成。渋谷の街にたむろする不良少年達を排除するべく、日夜暴力行為に明け暮れている。ただしそれは彼ら独自でやっている行為ではなく、バックに暴力団が付いているという事実が紹介された時点で、ドラマの底が割れてしまう。

 何より薗田賢次とかいうプロモーション・ビデオ出身の新米監督の趣味が最低だ。目が疲れるだけの無神経な細切れのカット割りと自己満足のアート風映像は開巻5分間で飽きてくる。そしてこれが中盤近くなっても継続し、その頃にはとうに鑑賞意欲も失せている。

 こんな奴にマトモなドラマが作れるはずもなく、窪塚扮する頭の悪いガキとその仲間のチャラチャラした“憂国ごっこ”を延々と垂れ流したあと、それにいきなり古臭い東映任侠路線風の予定調和な展開を漫然と接合させるという、ストーリーの一貫性など眼中にないような脳天気ぶりには脱力するしかない。

 こんなシャシンに付き合わされて、原田芳雄や本田博太郎といったベテラン陣もさぞや不本意だったろう。大嫌いなラップ主体の音楽も勘弁して欲しい。
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「雨に唄えば」

2010-11-29 06:21:06 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Singin' in the Rain )1952年作品。テレビ画面では何度も見ているが、スクリーン上で接するのは今回のリバイバル公開が初めてである。往年のMGMミュージカルの傑作のひとつ。サイレントからトーキーに移行する1920年代後半のハリウッドを舞台に、スターと新進女優とのおかしな恋愛模様が、主演も兼ねるジーン・ケリーとスタンリー・ドーネンの共同監督により無類に楽しい喜劇として仕立て上げられる。

 映画の出来としては何も言うことがない。どんなに辛く悲しいことがあっても、上映している間は夢を見ているような幸せな気分になれる。月並みな言葉だが、映画のマジックとはこういうものを言うのだろう。



 さて、今回改めて観るにあたり印象に残った点をいくつかあげたい。まず、これは優れたアクション映画でもあるということ。前半の、ジーン・ケリーがマスコミやファンから逃れるために車の屋根を伝って運転するヒロインの隣に収まるシーンは、まるでジャッキー・チェンの映画ではないか。もちろん、ジャッキーの方が本作をはじめとするハリウッドの黄金時代の作品を参考にしたのであるが、今ならばCGやワイヤーを使う場面を生身のスタントマンが演じているあたり、凄味すら感じる。

 さらに、主演の3人が机や椅子の上で激しいダンスをするくだりは、一歩間違えれば大事故に繋がる危険なシーンだが、彼らは軽々とやってのける。個々人の能力が恐ろしく高く、またそれを引き出す演出もある。まったくもってこの時期のハリウッドの底力には恐れ入る。

 次にミュージカルシーンだが、一般に最も良く知られているケリーが雨の中で歌い踊るシークエンスよりも、後半登場する実験的な展開に注目したい。これはケリーがその前に監督した「巴里のアメリカ人」のクライマックス・シーンの発展形とも言えるものだが、ケリーらしいキレの良さを存分に堪能出来る。



 まあ、人によってはこの部分は“浮いている”との感想を持つのかもしれないが、ライト感覚で埋め尽くされた作劇の中にあって、雰囲気を引き締める役目をしていると思う。少なくとも、見応えがあることは万人が認めるところだ。

 綺羅星のごとく出て来るお馴染みのナンバーの数々。もちろんタイトル曲の「雨に歌えば」もいいのだが、私が好きなのは「グッド・モーニング」だ。朝が来るときの清新な気分を歌ったこの曲は、何度聴いても泣けてくるほど素晴らしい。ケリーをはじめ超実力派エンターテイナーのドナルド・オコナーと、可憐なデビー・レイノルズとのコンビネーションは圧倒的だ。公開年度のアカデミー賞の候補にこそならなかったが、娯楽映画の最高峰の一つとして、これからも魅力を振りまいてくれるのだろう。
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「リトル・ニッキー」

2010-11-28 06:50:25 | 映画の感想(ら行)
 (原題:Little Nicky)2000年作品。米国で大人気のコメディ役者アダム・サンドラー主演のドラマだが、彼は日本ではまったく(と言っていいほど)人気がない。けっこう出演作も公開されているのだが、あの垢抜けない容姿のせいか(爆)ほとんど二線級扱いだ。やはり喜劇を得意とする俳優にとって言葉と国民性の壁は乗り越えられないようである。

 さて、本作はサンドラー扮する魔王の末息子が、地上侵略を企む二人の兄を追って地獄から現世に出てきて大暴れするという活劇編だ。監督は後に「トレジャー・ハンターズ」などを撮るスティーヴン・ブリル。

 予想通りの大味なギャグの連続で、質としてはC級映画以外の何物でもないのだが、最後までマアマア観ていられるのは豪華キャストと気の利いたSFXのせいである。魔王役のハーヴェイ・カイテルをはじめ、ほぼ全員が嬉々としてコスプレを演じているのには実に微笑ましい。セントラルパークに“地獄”が出現するというアイデアも悪くない。

 ただし、一番笑ったのは、クライマックスで“あの人”が登場する場面だろう。ロックファンしか理解できないギャグを性懲りもなくカマすあたりに、作者のこだわりが感じられる(笑)。
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「乱暴と待機」

2010-11-27 06:43:57 | 映画の感想(ら行)

 ヘンな映画なのだが、妙に面白い。これは作者が、人間関係の機微というものを分かった上で変化球を投げているからだと思う。つまりは見かけは奇態だが、中身は本格派で、これが逆だったら目も当てられない結果に終わっていただろう(笑)。

 東京都の郊外にある木造平屋立ての公営住宅に引っ越してきた番上(山田孝之)と身重の妻・あずさ(小池栄子)。失業中の番上は転居をきっかけに心機一転で就職活動に励もうとするが、近所にあずさが高校時代にさんざん煮え湯を飲まされた問題人物の奈々瀬(美波)が住んでいるのが分かり、思わず逆上。夫婦の生活に早くも暗雲が垂れ込めてくる。

 しかも奈々瀬は英則(浅野忠信)という怪しい男と兄妹のフリをしながら同居。英則は“マラソン”と称して屋根裏から奈々瀬をのぞくことを日課にしつつ、約20年前に起きた事故の“復讐”を奈々瀬に対して果たすために、延々とそのプランを練っているという、まるで常軌を逸した連中ばかりが登場する。

 原作は本谷有希子による同名戯曲で、描かれている世界はとても狭い。安普請の木造住宅の有り様や奇行に走る登場人物の描写など、ヘタすれば息苦しいアングラ芝居になるところだ。しかし、誰一人としてマトモな人間が出てこない作劇の中で普遍的なテイストを獲得することに成功した監督・冨永昌敬の腕前は侮れない。

 その“普遍的な部分”とは何かというと、過去(あるいはひとつの事柄)に拘泥する悲しくも可笑しい人間の姿である。くだんの若夫婦は引っ越して新規巻き返しを狙ったものの、触れたくない過去を喚起する隣人に接したばかりに、堂々巡りに陥ってしまう。奈々瀬と英則のカップルも、とうの昔に過ぎ去ったトラブルから一歩も外に踏み出せない。英則が年代物のデッキで聴いている昔のカセットテープの音源が、それを象徴しているようだ。

 ただし、それがイケナイと決めつけるのも無粋である。過去を縁に生きていても、それなりに楽しければ良いではないか・・・・という、開き直った清々しさは捨てがたい。たまにはこういう“後ろ向き人生”に浸ってみるのもいいものだ。

 キャストは皆好調だが、中でも浅野のヘンタイ演技は凄い(爆)。こういう奇天烈なキャラクターを“自然に”演じてしまうのだから、彼の実力には改めて感服する。また、ヘンテコ度では美波も負けていない。始終ジャージー姿でおかしなことを口走り、特に冒頭近くの失禁シーンは本作のハイライトであろう。前の主演作「逃亡くそたわけ 21才の夏」と同じくメンタル面で問題のある役をこなしているが、次回あたりでは“普通の女の子”に扮した姿を見たいものだ。
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「義姉さんの濡れた太もも」

2010-11-26 06:50:09 | 映画の感想(な行)
 2001年多呂プロ製作オーピー映画配給のピンク映画である。気ままに生きる女流AV監督のヒロイン(時任歩)は最近やけにリアルな夢を見る。夢の中では彼女は温泉旅館を切り盛りする未亡人で、亡き夫の弟に淡い気持ちを抱いている。ところが、夢の中の彼女も“最近、妙な夢を見る。夢の中では自分は無軌道な女で、怪しげなビデオを撮っている”と言うのだ。果たして現実はどちらなのか。監督はピンク映画界の異能の一人、荒木太郎。

 荒木監督の作風は独特だ。ソフトフォーカスや逆光を活かした柔らかい画調、手書きのクレジット、劇中劇(8ミリフィルム、ビデオ、サイレント等)の多用etc.そしてそれらマニアックな手法を用いながらも、作品としてはエンタテインメントの路線を踏み外さない。

 この作品も一見“パラレルワールド”みたいなSF風ネタを扱いながらも、ケレンや気負いは皆無。絶妙なオチも含めて、終わってみれば良質の艶笑喜劇のような好印象を残す。ファンタスティックな味わいは大林宣彦の監督作を思わせるが、脚本担当の内藤忠司は大林作品の助監督であり、「さびしんぼう」のシナリオも手掛けているから、それも当然かもしれない。

 荒木監督も是非とも一般映画に進出してほしい人材だ。主演の時任歩(現:時任亜弓)は美人で品があって演技も上手く、しかもエッチ(笑)。好きな女優の一人だが、最近あまり見かけないのが残念だ。
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「マチェーテ」

2010-11-25 06:27:43 | 映画の感想(ま行)

 (原題:Machete )まったくの期待はずれだ。クエンティン・タランティーノとロバート・ロドリゲスによるB級お笑い映画「グラインドハウス」シリーズに挿入されていたニセ予告編の“本編”という、実にいかがわしい(?)製作動機によるシャシンなので、いくらでも無茶が出来そうなシチュエーションながら、どうも作りが及び腰で煮え切らないのだ。

 メキシコの元連邦捜査官マチェーテは、麻薬シンジケートのボスであるトーレスに家族を殺され、復讐に燃えている。そんな時、麻薬組織とも関係があると言われているタカ派議員の暗殺を依頼されるのだが、これが完全な罠で、狂言の片棒を担がされたマチェーテは当局側と組織の両方に追われるようになる。

 冒頭からオフビートなスプラッタ演出が出てきて“おお、やっとるわい”と喜んだのも束の間、途端に展開がグダグダになる。だいたい最初の絶体絶命のシチュエーションから、どのようにして主人公が脱出したのか不明。大風呂敷広げて観客をアッと言わせて欲しかったのだが、ウヤムヤのまま時制が飛んでしまう。

 全編に渡ってどぎついギャグを散りばめて笑いを誘おうとしていることは十二分に理解出来るのだが、その“仕掛け”がすべて見透かされてしまうのは痛い。つまり、売れない芸人がよくやる“ジョーク言ったぞ、さあ笑え!”といった態度が見え見えなのである。正直、昔の「ホット・ショット」とか「裸の銃を持つ男」のような明らかな“お笑い番組”と比べても、質は落ちる。

 監督はロドリゲスとイーサン・マニキスの共同だが、マニキスは別にしてもロドリゲスが関与しているとも思えないテンポと段取りの悪さには脱力してしまう。クライマックスのバトルシーンなど、実にいい加減でだらしない。全然盛り上がらず、監督はこの時に酒でも入っていたのではないかと思うほどだ。

 強面だが演技は大根のダニー・トレホは、まあ例の“予告編”の主演なので画面のまん中にいることは致し方ないが、他のキャストもだらしない。ジェシカ・アルバ、スティーヴン・セガール、ロバート・デ・ニーロ、リンジー・ローハン、ミシェル・ロドリゲス、ドン・ジョンソンといった(無意味に)豪華な出演者を集めていながら、それらしい見せ場もない。特にセガールなんか、彼のキャラクターからすればいくらでも笑えるパロディ場面を考え付きそうなものだが、何となく出てきて退場するだけ。これではダメだ。

 本作が斯様に気勢が上がらないのは、ネタの一つにメキシコからの不法移民問題をクローズアップさせているからではないかとも思う。確かにシビアなテーマだが、こんな映画で強調するようなものでもないだろう。いずれにしろ、この分では“続編”の「殺しのマチェーテ」(笑)は観る気にならない。
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「ソードフィッシュ」

2010-11-24 06:30:17 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Swordfish )2001年作品。なかなか面白かった。主人公は引退した凄腕のハッカー。彼のもとに、ジンジャーという女があらわれて仕事を持ちかける。以前、麻薬取締局が行った極秘作戦“ソードフィッシュ”によって生み出された95億ドルもの“あぶく銭”を、金融システムに侵入して奪おうというのだ。しかし当然のごとく事態はスムーズには運ばず、計画の裏には陰謀が張り巡らされている。

 1時間40分のコンパクトなサイズの中、登場人物たちの背景をくどくどと説明したりせず、ワルどもの派手な犯罪行為を即物的に連射しているのが潔い。しかも演出にキレがあるので観客が“あれはどうなったんだ”というツッコミを入れるヒマがなく、加速度的にエスカレートしてゆくアクション描写と、カリスマ的なジョン・トラボルタの悪党ぶりに目を奪われているうちに、いつの間にかエンドマークに到達してしまう。活劇映画はかくありたいものだ。

 珍しく“ケンカのあまり強くない男”に扮する主演のヒュー・ジャックマンや、気持ちよさそうに悪女を演じるハル・ベリーも印象的。ドミニク・セナの演出はテンポが良い。

 それにしてもテロの扱いはユダヤ人優先のハリウッド事情を表しているとも言えるが、現実的にはこんな冷徹な割り切り方もアリだと思う。しかし、それをこの映画みたいに一個人・一民間組織がやり出すと、それもテロと同じだということは言うまでもないが。
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「行きずりの街」

2010-11-23 07:10:15 | 映画の感想(や行)

 呆れるほどつまらない。阪本順治監督は出来不出来の幅が大きい作家だが、本作は明らかに出来が悪い部類だ。原作は志水辰夫の同名小説ながら、私は読んでいないのでこの映画が小説を正確にトレースしているのかは知らない。だが、この映画版を観て原作をチェックしようと思う観客は少ないだろう。それほど本作のヴォルテージは低い。

 かつて教え子との結婚が原因で都内の名門女子高を追われた元教師の主人公は、その妻と別れた後、現在は故郷の丹波篠山で塾の講師として働いている。そんな中、以前教え子だった女生徒の祖母が危篤になり、上京したまま行方不明になっている彼女を探すため、12年ぶりに東京へと向かう。やがて彼はこの失踪事件が、自分を教職から追放した勢力が絡んでいることを突き止める。

 とにかく、始まってから話の全貌が見えてくるまでが無茶苦茶に長い。だいたい、上京してから頻繁に会うクラブのママが元の妻であることが明らかになるのが中盤近くになってからだ。引っ張る必然性もなく、それまでの思わせぶりな態度は何だったのかと言いたくなる。

 そしてようやく見えてくる事件のあらましも、全然大したことがない。単なる学校運営に関する利権争いだ。主人公自身があまり利口ではなく、犯罪に荷担している連中にも知恵が回るような奴は見当たらない。程度の低い奴らが勝手にバタバタやっているとしか思えないのだ。

 しかもこんなに派手にやり合っていながら、警察の影すらない(呆)。結末なんか尻切れトンボでしかなく、明らかに映画を作ることを放棄したような体たらくである。丸山昇一の脚本とも思えない。

 主役の仲村トオルをはじめ、小西真奈美、窪塚洋介、石橋蓮司、菅田俊、谷村美月、江波杏子と多彩な面々を揃えているにもかかわらず、どれもこれもテレビの2時間サスペンスのようなクサくて表面的な演技ばかりだ。ひょっとしてギャグでやっているのかとも思ったが、それにしては笑いが少ない(爆)。元教え子役の南沢奈央はヒドい大根だし、佐藤江梨子に至ってはヴァラエティ番組のノリで演技をさせている。

 良かったのは仙元誠三による撮影ぐらいか。ラストに流れる下らないエンディング・テーマ曲も相まって、めでたく本年度のワーストテン入り決定である。観る価値はない。
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北九州市のオーディオフェアのリポート(その2)。

2010-11-22 06:25:32 | プア・オーディオへの招待

 今回のイベントで初めて試聴したブランドに、ドイツのMUSIKELECTRONIC GEITHAIN社のスピーカーがある。近年日本に製品が入ってくるようになったメーカーだが、歴史と実績はあり、本国のスタジオや放送局のモニタースピーカーのトップシェアを占めているという。

 ハッキリ言って、実際聴いた感じはそれほどのインパクトはない。バランスの良い整った音だが、大向こうを唸らせるようなテイストは希薄だ。しかし私が驚いたのは、同社のスピーカーがNHKのスタジオモニターの座を最後まで我が国のFOSTEXの製品と争ったという係員の説明である。

 MUSIKELECTRONIC GEITHAIN社のスピーカーとFOSTEXのスピーカーとは音色が全然違う。両者が似ているのは、音の出方がフラットで情報量を確保しているという点のみ。音像の温度感や音のツヤなど、いわゆる“音色”として捉えられるファクターに関してはまったくの別物だ。この事実を突きつけられると、モニタースピーカーとは一体何なのだという疑問がわいてくる。

 いくら聴感上での周波数バランスや情報量をチェックするための機器とはいえ、メーカーごとにこうも音色が違うのでは、出来上がる音楽ソフトの音質は使われるモニタースピーカーによって大きく異なってくることは想像に難くない。一部に“モニタースピーカーの音こそがマスターテープに近い生のサウンドだ!”という物言いをするオーディオマニアがいるが、それは間違いであることが分かる。そのソフトがレコーディングされた際に使われたモニタースピーカー(および他の機材)を使わない限り、生のサウンドなんか出るはずがないのだ。

 モニター用と呼ばれるスピーカーも、民生用のスピーカーも、ユーザーにとっては“選択条件は一緒”なのである。業務用だから優れているとか、民生用だから劣っているとか、そういう先入観は禁物だ。聴いて気に入った物を、財布の中身と相談して買えばいいだけの話である。頭ごなしの決めつけはオカルトでしかない。

 英国TANNOY社の新しいフラッグシップ機Kingdom Royalも聴いてみた。柔らかくて艶のある、まさにTANNOYサウンドそのものである。クラシック系のソフトをまったりと奏でるために特化した製品で、このスピーカーでロックをガンガン鳴らす者はまずいないだろう。同じように米国JBL社のスタジオモニターの新製品4365から出てくるジャズのサウンドは楽しい。このスピーカーでクラシック中心に聴こうというユーザーは、かなりの少数派だろう。

 オールマイティに鳴らせるスピーカーもあれば、特定ジャンルを特定のテイストで楽しむためだけの製品も存在する。多様性を許容することこそオーディオの楽しみがあるのだと思う。四角四面のカテゴライズは無粋と言うしかない。

 さて、今回ちょっとショックを受けたこともある。それは、フランスのFOCAL社のスピーカーの普及品クラスである700シリーズと800シリーズの音を聴けたことだ。このブランドは今までハイエンド機しか試聴したことがなかったが、この安価なセグメントの製品にもしっかりと独特の音色が反映されていることが分かった。私がサブ・システムで使っているスピーカーは英国B&W社685だが、価格帯がちょうどFOCALのこのクラスと競合する。685を買う前はFOCALのこれらのスピーカーを試聴することが出来ずに購入候補から外したのだが、今になって聴いてみると、明らかに685よりも色気のある楽しい音を出す(大笑)。

 まあ、今さら買い換えるわけにはいかないのだが、出来るだけたくさんの機器に接することこそが、良いオーディオ製品を手に入れる上での必須事項であることを痛感してしまった。

 最後に紹介したいのが、米国Olive Media Products社のネットワークオーディオプレーヤー&サーバーOLIVE 3HDである。CDドライヴと500GBのハードディスクを内蔵し、音楽CDの再生やリッピングをはじめLAN経由での音楽再生にも対応した、オールインワンタイプのネットワークオーディオ機器である。

 インターネットに接続することを前提に作られており、リッピング時にはネット上のデータベースから楽曲情報を取得。読み込んだ楽曲は音楽ジャンルごとに分類される。CDドライヴで再生した際の音よりもハードディスクにコピーした後のサウンドの方が優れているらしく、もちろん一度リッピングしてしまえばディスクを入れ替える必要もない。

 同じような用途の機器は他のメーカーからも出ているが、おそらくこのような形が今後の主流になっていくのであろう。ネットワークオーディオは音質向上のメソッドの点でまだまだ分からない点が多く、スタンダードになるシステムのスタイルはいまだ確定していないと思うが、いずれは誰もが使える形に練り上げられていくと予想する。今後の推移に注目したい。

(この項おわり)
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北九州市のオーディオフェアのリポート(その1)。

2010-11-21 16:54:36 | プア・オーディオへの招待

 去る11月12日(金)~14日(日)に北九州市小倉北区のJR小倉駅の近くにあるKMMビルで開催されていたオーディオ&ヴィジュアルフェアに、今年も足を運んでみた。なお、主催者は春に福岡市で行われている九州ハイエンドオーディオフェアと同じショップである。私の住む福岡市から小倉までは近いようで、いざ行くとなると億劫になる。時間と交通費もけっこう掛かるのだ。もちろん新幹線を利用すればスグに着くのだが、経済的には腰が引ける(笑)。

 それでもあえて行こうと思ったのは、春のフェアと同じくオーディオ評論家の福田雅光による講演会が開催されたからである。主眼は今回も電源ケーブルをはじめとするオーディオアクセサリーの“試聴会”であるが、御膳立てがいつもと少し違っている。それは、アンプ類に付属している電源ケーブルと市販品の電源ケーブルとの“聴き比べ”からレクチャーが始まった点だ。

 電源ケーブルは重要なオーディオアクセサリーであるが、反面いまだその効果を認めないオーディオファンも多いらしい。前回までの福田の講演会は最初から市販のケーブルを付け替えて聴き比べていたため、そもそも“市販のケーブルを用意する必要があるのか”という根本的な命題にはコミットしていなかった。しかし今回は機器付属のケーブルから試聴を開始しているため、より幅広いリスナーにアピール出来たと思う。

 さらに、ここで使われていたアンプとCDプレーヤーはACCUPHASEの製品で、スピーカーはPIONEERの高級ブランドTADのモニタースピーカーである。正直言ってTADのスピーカーの音は無味乾燥で好きではない。ただし“聴き比べ”というイベントの主旨には合致している。少なくとも前回までのDENONのアンプ類とDALIのスピーカーという独特の色付けを持ったシステムよりも、遙かにフラットでクセがない。これならばアクセサリーの試聴にはピッタリである。

 まずは付属のケーブルから市販のケーブルに付け替えてみると、結果は明白で完全に音が違う。最初に実装したケーブルは2万円程度のローエンド品であるにもかかわらず、付属ケーブルを付けたままの時とは解像度・情報量とも大幅にアップした。そして、CDプレーヤーから始まってプリアンプ、メインアンプと各コンポーネントの電源ケーブルを一つずつ付け替えていったため、各段階でのケーブル実装効果が手に取るように分かる。これはなかなか段取りがよろしい。

 結果的に全部で10種類程度の電源ケーブルを“試聴”した。具体的にどのケーブルがどういう音だったかということは省略するが、とにかく市販電源ケーブルの導入はオーディオシステムを組み上げる際の必須事項になった感がある。今後も市場に出るケーブルの種類は多くなっていくのだろう。

 他に興味を引かれた製品として、ACOUSTIC REVIVE社のACスタビライザーRAS-14が挙げられる。これは電源ノイズを除去するアタッチメントで、壁コンセントと電源ケーブルあるいは電源タップとの間に装着するものだ。特殊な電磁波吸収剤なるものが入っているらしいが、同社の製品にはオカルティックなものも目立ち、実装してみるまでは信用していなかった。ところが、いざ取り付けてみるとこれが効果抜群。音場の見通しが良くなって歪み感が減った。まったく、この世界は何が効果が上がるか分からない。だからこそ面白いとも言えるのだが。

(この項つづく)
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