元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「マネーボール」

2011-11-30 06:26:55 | 映画の感想(ま行)

 (原題:Moneyball )醒めているようで実は熱く、一歩引いているように見えて実は肉迫しているという、主人公の野球に対する絶妙の距離感が強い印象を残す辛口のドラマだ。野球好きならば思わず身を乗り出し、そうじゃない者でも引きつけられる、見応えのある作品と言えよう。

 本作の主人公ビリー・ビーンは、オークランド・アスレティックスのGM(ゼネラル・マネージャー)である。現役時代は何とかメジャーでプレイしていたが、大した実績も残さずに引退した。しかし彼は努力の末に球団を支える裏方として名を挙げ、選手の去就を左右するほどの権限を手にする。

 彼は若い頃にスカウトの甘言に乗って実力を身につけないままにプロ入りした苦い経験があり、既存の球団フロントに対して猜疑心を抱いている。だが内実は誰よりも野球が好きで、チームを勝たせたいという熱意は人一倍だ。このアンビバレンツな興味深い人物像を取り上げた時点で、この映画の成功はある程度約束されたようなものである。

 そんな一種屈折した感性の持ち主であるビーンが選んだ方法論が、セイバーメトリクスと呼ばれる統計学的なアプローチだ。監督やコーチの勘と経験を無視し、厳格に出塁率を査定して選手を起用する。自分がチームに招いた選手が試合にあまり出られないことが分かると、レギュラー選手を無理矢理トレードに出してポジションを確保させる。また、欲しい選手を手に入れるためには権謀術数を駆使し、まさに手段を選ばない。

 そもそも彼がブレーンとして起用したのが、有名大学で計量経済学を専攻していたが野球の経験がないピーター・ブランド(ジョナ・ヒル)である。ビーンは数理的背景に則った徹底してドライなシステムを組み上げ、異論を許さぬ体制を作り出す。

 しかし“自分が試合を見ると負ける”という、実に“非・論理的”なジンクスを信じ込んでいたり、高額のギャラを提示されたレッドソックスからのオファーを蹴ってしまうのも、他でもない彼自身なのだ。冷徹さ一辺倒にはなりきれない、血の通ったキャラクター。演じるブラッド・ピットはそんな複雑な内面を上手く表現している。ビーンと対峙する監督役のフィリップ・シーモア・ホフマンも好演だ。

 ベネット・ミラーの演出はこの手の映画にありがちな典型的スポ根路線を回避し、クールな展開に終始する。これ見よがしのケレン味を抑える代わりに、テンポ良くモチーフを繰り出していく。

 ビーンの奮闘によりアスレチックスは快進撃を続けるが、いまだワールドシリーズを制覇するには至っていない。ビーンのやり方は精神論が幅を利かせるスポーツの現場にはなかなか受け入れられないし、またセイバーメトリクスだけでも壁にぶち当たってしまうことは想像に難くない。でも、主人公のチャレンジはまだまだ続くのだ。彼の活躍を注視したい。
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平山夢明「独白するユニバーサル横メルカトル」

2011-11-29 05:57:50 | 読書感想文
 実録怪談の名手とされる平山による短編集で、私は彼の小説を読むのは初めてだ。宝島社が選出する「このミステリーがすごい!」の第一位を獲得していて、しかも2006年度日本推理作家協会賞の受賞作ということで少しは期待したのだが、まったくのハズレだった。

 第一、これはミステリーではない。推理小説的な要素など皆無に近いのだ。ではいったい何かというと、グロ小説である。

 断っておくが“グロだからダメだ”ということはない。必然性のあるグロテスク描写、あるいはグロの果てに存在する“何か”を掴み取ろうという能動的な意図さえあれば、読者としては十分な許容範囲である。しかし本書は単なる“グロのためのグロ”に終始する。そこには何の求心力もない。

 しかも、個々の描き方が“どこかで見たようなタッチ”であるのも脱力だ。たとえば「卵男」は「羊たちの沈黙」の低調なパクリであり、「すさまじき熱帯」は映画「地獄の黙示録」あたりの劣化コピーである。全体的に筒井康隆には遠く及ばず、乙一や友成純一のレベルにも達していない。

 結果として、派手な場面ばかりなのに印象は極めて薄くなってしまった。私など読後約一週間でストーリーの詳細さえも忘却の彼方に飛び去ってしまったほどだ。

 結局、この本のセールスポイントはインパクトのある表紙デザインだけだろう。平山の著作はもう読む気はしない。
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「恋の罪」

2011-11-28 06:23:21 | 映画の感想(か行)

 園子温監督の前作「冷たい熱帯魚」ほどの破壊力はないが、それなりに楽しめる映画であることは確かだ。カタギの生活を送っていた女がインモラルな“裏の顔”を持つようになるという設定は、ルイス・ブニュエル監督の「昼顔」やリチャード・ブルックス監督の「ミスター・グッドバーを探して」などの前例もあって、さほど目新しいものではない。

 しかも、本作の登場人物たちが“堕ちていく”理由がどうにも観念的かつ単純で普遍性に欠けるのだ。日常生活が満たされないとか、親に対する過度のコンプレックスがあるとか、もっともらしいことが語られているが、実際はその程度では簡単にダークサイドには引き込まれないものだ。ここは観る者を納得させるような動機付けが必要なのだが、最後までそれは提示されない。

 さらに登場人物の一人が大学の日本文学の教員で、それに派生して“言葉なんか、覚えるんじゃなかった”という田村隆一の詩が頻繁にリフレインされるのも、映画のテーマを抽象的分野に追いやる結果になっている。誰しも闇の世界に足をすくわれる可能性があることを強烈な描写と共に描いた「冷たい熱帯魚」に比べると、質的に後れを取るのは仕方がないと思う。

 しかし、それでもこの映画が面白いのは女優陣の頑張りに尽きると言えよう。渋谷区円山町にある廃アパートで見つかった女の変死体をめぐり、捜査に当たる女刑事役の水野美紀の名がクレジットでは一番先に表示されるが、彼女は単なる狂言回しで演技面でも大したことはない。凄いのはあとの3人の女優だ。

 売れっ子作家の妻を演じる神楽坂恵は、貞淑な人妻が堕ちていくという黎明期のロマンポルノの代表作「団地妻 昼下がりの情事」に代表されるようなエロの定番設定を突き詰めたワイセツ性を発揮。特に裸で鏡の前に立ち、スーパーでの売り口上を延々と繰り返す場面は、まさに狂気の世界に一直線だ。

 昼は教壇に立ち、夜は街娼という二重生活を送る大学助教授に扮した冨樫真は初めて見る女優だが、並の神経の持ち主とは思えないエキセントリックさを醸し出している。さらに彼女の母親を演じる大方斐紗子は底知れぬ不気味さを周囲に漂わせ、ほとんど人間ではない(爆)。このベテラン女優の一筋縄ではいかない持ち味を引き出しただけでも、園監督の仕事ぶりは評価されるべきだろう。

 津田寛治をはじめとする男優陣も悪くはないのだが、女優達の“捨て身の演技”の前では影が薄いのは仕方がない。とにかく本作は、主題の曖昧さは脇に置いて、エロとグロに溢れた闇のテーマパークみたいな賑々しさを堪能する映画だと思う。上映時間は長いが、一時たりとも退屈させないシャシンだ。園監督の仕事には当分目が離せそうもない。
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「ホット・ショット2」

2011-11-27 06:59:05 | 映画の感想(は行)
 (原題:Hot Shots! Part Duex)93年作品。湾岸戦争下のペルシャ湾を舞台に展開する、おふざけフィルムのシリーズ第2作。観る前にある程度予想はしていたものの、これほどおマヌケな映画とは思わなかった(爆)。前回が「トップガン」のパロディだったのに対し、今回は「ランボー/怒りの脱出」のパロディ。チャーリー・シーン扮する主人公がイラクに捕らえられた捕虜を救出するというストーリーはあってないようなもので、例によっておちゃらけとズッコケの連続だ。

 「ランボー」シリーズのほかにも「氷の微笑」「キックボクサー」「わんわん物語」「ターミネーター2」etc.いろんなパロディが詰まっているが、どれもこれもレベルがすこぶる低く、笑うどころか出るのはタメ息ばかり。

 主人公が敵の股ぐらを蹴り上げると、相手の口からタマが2個出てきて、突然オカマになってしまう、という大昔のドリフターズでさえやらなかったトホホなギャグに代表される通り、TVの三流バラエティ番組といい勝負である。

 封切り当時には、私は数人の女性グループと劇場に足を運んだのだが、彼女達ははけっこう盛り上がっていた(笑)。特にマーティン・シーンがチラッと出演するくだりは大盛況。映画の出来不出来に神経質になるより、たまにはこんなくだけた雰囲気で映画も観に行くのもいいかなって、思ったりした私であった。

 実は、連れの女性の一人はこれを観る直前に「ローデッド・ウェポン1」も観ていたのだが(^_^;) 、出来はどっこいどっこいで、しかしあちらはチャーリーとエミリオの兄弟共演なのに対し、こちらは親子共演なので、その分だけ「ホット・ショット2」の勝ち(意味不明 ^^;)ということらしかった。
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「ハラがコレなんで」

2011-11-26 06:50:00 | 映画の感想(は行)

 作り方を間違えている映画である。序盤、妊娠9ヶ月のヒロイン・光子が新たに越してきた隣人に対して傍若無人に振る舞って絶句させたり、尋ねてきた運送屋に過度に馴れ馴れしい態度で接してドン引きされる場面まではいい。世間の常識からズレている主人公と周囲とのギャップにより笑いを取ろうという戦法は、おなじみ「男はつらいよ」シリーズをはじめとして、昔からコメディの定番とされている。その意味でこの導入部は正解だ。

 しかし、光子が住処を追われて自分が育ったオンボロ長屋に流れ着いてくるあたりから映画は早々に失速する。この長屋およびその近所に住んでいるのは、光子と同じように浮世離れした連中ばかり。ヒロインとの“差別化”がまったく図られていない。

 要するに“ヘンな奴と周りのヘンな奴らが、内輪だけで勝手にヘンなことをする話”であり、ボケばっかりでツッコミのない漫才を見せられるがごとく、冷え冷えとした空気が流れるばかりだ。こんな与太話のどこで笑えというのか。さらには後半、シュールな展開を狙ったような“あり得ないパターン”が続発し、どんどん場はシラけていく。

 オンボロ長屋でのエピソードは主人公の回想場面などでサッと流し、ドラマの中心をオフビートな光子の振る舞いに翻弄される“カタギの皆さん”に据えた方が、よっぽど盛り上がったと思う。

 ヒロインはアメリカ人のダンナからは捨てられ、仕事もなければ金もないシビアな状況に置かれているのだが、とにかく“粋であること”をモットーに楽天的なスタンスを崩さない。それはそれでいいのだが、作者が考える“粋”という概念が、どうも一般的な認識から乖離しているようなのだ。少なくとも、産気付いたにもかかわらず長距離のドライヴを敢行したり、地下に不発弾が埋まっているような長屋に住み続ける事が“粋”であるとは、断じて認めない。それはただの自暴自棄だ。

 石井裕也監督は前作「あぜ道のダンディ」でもそうだが、こういった“ダンディズム”とか“粋”とかいう言葉自体の表面的な印象に拘泥してしまい、肝心の中身についてはほとんど精査していないように見受けられる。まだ若くて人生経験が浅いからなのかもしれないが、生半可な認識力で物語の焦点になるようなモチーフを振り回さないでもらいたい。

 主演の仲里依紗は力演で、全編腹ボテ姿で押し通すなど役者根性には見上げたものがあるが、映画自体の出来がこの程度では頑張っているのに報われないイメージがある。中村蒼や石橋凌、稲川実代子、斉藤慶子といった脇役も狂騒的に立ち回っているわりには印象に残らない。石井監督にはもうちょっと題材を練り上げる手堅さが欲しいが、次回は他人の脚本で撮ってみるのもいいかもしれない。
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アーバン・ウェイト「生、なお恐るべし」

2011-11-25 18:18:48 | 読書感想文
 コーエン兄弟による映画「ノーカントリー」を思わせる重量級のクライム・サスペンスである。ヤバい品物を運んで生計を立てている中年男のハントは、ある日受け渡しの現場を地元の保安官補ドレイクに発見されてしまう。何とかその場は逃げおおせたが、依頼元は失敗の代償として彼に別の仕事を押しつけてくる。

 やむなく引き受けたハントだが、依頼元は口封じのためにその仕事が完了すると同時にハントを消すべく“調理師”と呼ばれる残虐な殺し屋をも派遣していた。一方、運んだ品物の収受を確認するべく麻薬シンジケートも動き出し、ハントの行方を追う。かくして事態は三つ巴・四つ巴の様相を呈するようになり、激しい暴力の応酬が展開する。



 ダイナミックな展開のストーリーラインもさることながら、各キャラクターの“立ち具合”が尋常ではない。作者のウェイトは80年生まれで、本書を手掛けた時はまだ20代だった。そんな若輩者が、ハントが漂わせる“中年の悲哀”を的確に描出しているのには舌を巻く。父親との確執が頭を離れないドレイクの造型や、屈折した“調理師”の内面描写も実に達者なものだ。

 麻薬汚染が隅々まで浸食している米社会の病巣を指弾すると共に、西部劇のような舞台作りにも要注目。この作家の作品は今後も見逃せなくなると思う。
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「クリムゾン・リバー」

2011-11-24 06:08:12 | 映画の感想(か行)
 (原題:Les Rivieres Pourpres )2000年作品。アルプス山中で発見された変死体をめぐって、パリから派遣されたベテラン刑事と地元の所轄の若手刑事とが共同で犯人を追い掛けるサスペンス編。

 フランス映画にしては金はかかっていることは分かるが、思い付きの域を出ないプロットと、TVドラマ並みの薄っぺらい演出にタメ息の連続。ラスト近くの展開なんて、あまりのくだらなさに椅子からズリ落ちそうになった。主演の二人(ジャン・レノとヴァンサン・カッセル)も手持ちぶさたの感じ。

 ヒロイン役の女優(ナディア・ファレス)はルックスがイマイチだし、グロ度も「セブン」や「カル」なんかに遠く及ばず。残念ながら観る価値はあまりない。

 監督はマチュー・カソヴィッツだが、演出家としての才能はあまりないように思える。俳優業に専念した方が良いようだ。
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「フェア・ゲーム」

2011-11-23 06:39:46 | 映画の感想(は行)

 (原題:Fair Game )映画の出来よりも、描かれる内容そのものが衝撃的な作品だ。イラク戦争前夜の情報戦を描く本作、開戦の大義名分であったはずの“イラクによる大量破壊兵器の保有”がデッチ上げであったことを、CIA側はとうの昔に知っていて、さらにはこの映画の主人公のように戦争を阻止しようとする動きがあったことが驚きである。

 いや、正確に言えば“知っていたこと”自体は問題ではない。大量破壊兵器が存在しないのならば、CIAは得意の特殊工作で“存在するように”見せかけようとすることもあり得たはずだ。実は私もイラク戦争の開戦時には“大量破壊兵器あろうと無かろうと関係ない。もしも無かったらCIAあたりが兵器の存在を捏造するのだろう”と思っていた。しかし、実際にはあれほどの兵力と予算を投入しながら、結局“大量破壊兵器はありませんでした”で終わってしまった。

 特殊工作の一つも満足に出来ない。大局的な国益はおろか、諜報活動の有用化さえ覚束ないアメリカという国の弱体化を目の当たりにするようである。我が国も、経済面でも足腰が立たなくなりつつあるアメリカをそろそろ見限る方法論があってもいいように思うのだが、相変わらず対米追随主義にかぶれている政治家が目に付くのは情けないことだ。

 この映画はCIAの工作員であったヴァレリー・プレイムが2007年に上梓した「格好の標的:CIAのトップエージェントは、いかにして国家に裏切られたか」という実録本を元にしている。彼女は世界中を飛び回って集めた情報により、イラクが大量破壊兵器を保有している可能性はゼロに等しいことを突き止める。ところが振り上げた拳を下ろせない当局側は、開戦に都合が悪い彼女の主張を叩き潰すため、彼女の身分をマスコミにリークし、職務を遂行できないようにしてしまう。

 実にシビアな事実だが、残念ながら映画は開戦しなければならない本当の理由まで示さない。単に個人対組織のバトルに収斂してしまうのは残念だ。ダグ・リーマンの演出は「ボーン・アイデンティティ」同様、表面上は取り繕われているが、深いところまで入っていけないもどかしさが付きまとう。

 ヴァレリーに扮するナオミ・ワッツは好演で、仕事と家庭の板挟みで悩むヒロイン像を上手く表現している。大使として海外に赴任していたこともある経験を活かし、ヴァレリーをサポートしてゆく夫役のショーン・ペンも適役。トム・マッカ―シー、ノア・エメリッヒといった脇の面子も良い。寒色系の絵作りがテーマの重大さを引き立てる。食い足りない箇所もあるが、国際情勢に興味を持っている観客にとっては必見と言える。
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「ぼくの国、パパの国」

2011-11-22 06:33:50 | 映画の感想(は行)
 (原題:East Is East)99年作品。70年代のマンチェスターを舞台に、パキスタン人の父とイギリス人の母を中心にした家庭を描く。

 当然、カルチャー・ギャップをネタにしたエピソードが満載で、それなりに納得はできるものの、どうも面白くない。監督ダミアン・オドネルが新人であるせいか、演出にキレもコクもないのが凡庸な印象を受ける最大の要因だとは思うが、おそらく映画の企画自体が「題材におんぶに抱っこ」状態で、脚本が出来た時点で安心してしまったのだろう(原作は舞台戯曲だという)。

 当時のヒット曲を散りばめた音楽の使い方も、何やらタイミングが悪く印象に残らない。

 イギリスにおけるパキスタン(およびアジア系)の移民を扱った映画には他にスティーヴン・フリアーズ監督の「マイ・ビューティフル・ランドレット」などがあるが、いずれも地域社会との軋轢などの問題を内包している。

 話は変わるが、最近取り沙汰されているTPPには(農業や製造業だけではなく)労働市場の項目もある。もしも批准されるならば、外人労働者の流入によって我が国も本作に描かれるような人種的確執が表面化する可能性もあるのだ。交渉に拙速は禁物だが、どうも今の為政者達はTPP加入は確定事項として扱っているフシが見受けられる。実に困ったことである。
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「ミッション:8ミニッツ」

2011-11-21 06:25:43 | 映画の感想(ま行)

 (原題:SOURCE CODE )ダンカン・ジョーンズ監督のセンスが活きたSF映画だ。前作「月に囚われた男」は荒唐無稽な設定を描いているようでいて、作品の焦点は見事にヒューマニズムに振られていた。本作も同様で、活劇の要素が多い筋書きの中に作者の主人公達を信頼しきっている様子が垣間見える。そのため観賞後の味わいは格別だ。

 シカゴで乗客が全員死亡するという列車爆破テロ事件が発生する。政府当局は真犯人を突き止めるため、ある犠牲者の死の8分前の意識に入り込む特殊な“装置”を作動。任務についたスティーヴンス大尉は、その8分間を何度も“体験”することにより、少しずつ事件の真相に近づいていく。しかし、実はこのミッションの背景にはスティーヴンス自身に関わる重大な秘密が隠されていた。

 死亡者の最後の8分間の記憶にサイコダイビングするという設定は面白い。しかも、それは何度でも疑似体験が可能だが、すでに起こった事実(過去)は変えようがないという厳然としたプロットが横たわっている。確かにこの任務は事件解決には役立つだろうが、果たして犠牲になった人々および疑似体験のたびに辛い思いをするスティーヴンス本人が“救われる”ことになるのか、そこが作劇上の大きな課題になることは言うまでもない。

 普通に考えれば事件はすでに発生しているので、タイムマシンでもないこの“装置”がオールマイティな力を発揮することはないように思える。ところがジョーンズ監督は巧みな演出力で、終盤にある種の“解決方法”を提示している。

 しかもそれは本作の惹句のような“映画好きほどだまされる”といった大向こうを唸らせるドンデン返しではなく、ストーリーを別の視点から捉えることによる、まことにしなやかなスタイルで観客にアピールするのだ。それを可能にしたのは、言うまでもなく作者のとことんポジティヴなスタンスである。少しでも斜に構えるようなポーズを見せると、この結末は絵空事になっていただろう。

 主役のジェイク・ギレンホール、相手役のミシェル・モナハン、そして主人公にシンパシーを抱く女性将校に扮したヴェラ・ファーミガなど、キャストは皆好演。幾度もアングルを変えて描かれるディザスター場面の迫力や、サスペンスを盛り上げるテンポの良さも要チェック。他の活劇専門ハリウッド監督(?)のような腕力重視の面は見当たらない代わりに、知的なセンスが全編を覆う。この監督の作品は今後も追いかけたいと思う。
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