元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「正義の行方」

2024-06-08 06:27:50 | 映画の感想(さ行)

 ドキュメンタリー映画としてはかなりの力作であることは分かるが、どこか釈然としないものを感じる。たぶんそれは、重要なことが描かれていないからだろう。もちろんドキュメンタリーとはいえ作者が伝えたいテーマは存在しており、フィクショナルなテイストの介在は避けられない。そこを扱う題材とどう折り合いを付けるかが、作品の成否の要素になる。本作の場合、そのあたりがどうも微妙なのだ。

 1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が行方不明となり、同県甘木市(現・朝倉市)の山中で他殺体となって発見されるという、いわゆる飯塚事件が起きる。94年に犯人として逮捕されたのは、被害者と同じ校区に住む久間三千年だ。久間は2006年に死刑判決が確定し、2008年に刑が執行される。しかし、執行の翌年に冤罪を訴える再審が福岡地裁に請求された。2022にNHK-BSで放送され高評価を得た「正義の行方 飯塚事件30年後の迷宮」を、劇場版として再編集したものだ。

 映画はこの事件に関わった弁護士や警察官、新聞記者がそれぞれの立場から語る内容を淡々と綴る。面白いのは、本作にはナレーションが存在しないことだ。観る者を(少なくとも表面上は)なるべくミスリードしないようにする配慮かと思うが、ハードな雰囲気を作品に付与して観る者を引き付けることに貢献していると思う。

 とはいえ作者のスタンスはハッキリしており、死刑判決が出てから執行までが早かったこと、及び当時のDNA鑑定の信用性が万全ではなかったことを引き合いに出し、冤罪の可能性を指摘していく内容になっている。つまりは警察当局と司法、検察の体制の不備を突こうとしているのだ。また、目撃者の証言が全面的に信用出来るものではないらしいことも匂わせる。

 しかし、映画は大事なポイントを見逃している。それは、どうして久間が警察の第一のターゲットに成り得たのかということだ。いくら、警察でも純然たる一般人を突然マークはしない。それなりの背景があるはずだ。にも関わらず映画はそのことについて言及していない。そして、捜査当時の警察庁長官は国松孝次だ。国松といえば“あの事件”を思い出す向きも多いだろうが、映画は少しも触れていない。もちろん飯塚事件とは直接の関係は無いだろうが、取り上げることにより映画に厚みを与えると思われる。監督の木寺一孝はどうしてそうしなかったのか、疑問の残るところだ。

 なお、2024年6月5日に福岡地裁は再審を認めない決定を下した。まあ当然のことかと思う。もしも本件に関して再審が認められると、司法制度の根幹が揺らぐような大騒ぎになる。裁判所側としても受け入れるわけにはいかない。だが、真相がすべて明らかになっていないような隔靴掻痒感は残る。この状態は決定的な新証拠が出てこない限り、今後もずっと続くのだろう。
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「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」

2024-05-27 06:07:26 | 映画の感想(さ行)
 これは面白い。個人的には今年度のベストテン入りは確実だと思えるほど気に入ったが、観る者を選ぶ実録映画でもある。ここで描かれている題材や時代背景、登場人物たちに少しでも思い入れのある観客ならば、たとえ映画自体が気に入らなくても作品のパワーと作り手の熱い思いは感じ取れるだろう。だが、それらに興味が無かったり世代的に外れている者だったら、まるで受け付けないシャシンかと思う。しかし、たとえそうでも一向に構わない。現時点でこれだけのものを見せてくれれば満足するしかないのである。

 80年代初頭。ピンク映画の巨匠と言われた若松孝二監督は、名古屋にミニシアター“シネマスコーレ”を開設する。そこの支配人に任命されたのは、かつて東京の文芸坐に籍を置いていたが結婚を機に地元名古屋に戻ってビデオカメラのセールスマンをしていた木全純治だった。木全は劇場の運営をめぐって若松と幾度となく衝突するが、それでも如才なさを発揮して経営を支えていく。やがて映画館には金本法子や井上淳一などの若い人材が身を寄せるようになる。



 80年代といえば、私が日本映画に興味を持ち始めた頃だ、ビデオの普及により映画館の斜陽化が巷間で取り沙汰されてはいたが、一方では従来型の劇場とはコンセプトを異にしたミニシアターがブームを起こしていた。そして何より、才能豊かな若手監督たちが次々と一般映画を手掛け、邦画界は活況を示していたのだ。通説では日本映画の黄金時代は昭和30年代だと言われているが、80年代は別の意味での邦画の最盛期だった。若松監督も、そのムーブメントを察知したからこそミニシアターを立ち上げたのだろう。

 当時活躍していた新進監督たちの名前がポンポン出てくると共に、旧態依然たる従来型の興行様式との確執も効果的に描かれる。最も面白いと思ったエピソードは、学習塾大手の河合塾のプロモーション・フィルムの演出を井上淳一が担当するくだりだ。映画に対する情熱は人一倍だが、現在に至っても大した実績を残せていない井上が、この時ばかりは師匠の若松から叱咤激励されながらも目覚ましい働きを見せたことは本作を観て初めて知った。そして本作の監督も井上自身だ。映画人生の大半が不遇でも、この映画を完成させたことだけで彼の名前は残ると思う。

 若松に扮する井浦新はアクの強さ全開で、彼の代表作になることは必至だ。井上を演じる杉田雷麟や金本役の芋生悠は好調。それに有森也実、田中要次、田口トモロヲ、田中麗奈、竹中直人といった豪華なゲスト陣が華を添える。唯一残念だったのが、木全に扮しているのが東出昌大であること(苦笑)。もっと演技の上手い役者を持ってくれば映画のクォリティはさらに上がったはずだ。なお、タイトルからも分かるとおり、この映画は白石和彌監督による2018年製作の「止められるか、俺たちを」の続編だが、前作の存在を失念しそうになるほど本作のヴォルテージは高い。
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「地獄門」

2024-05-12 06:07:15 | 映画の感想(さ行)

 1953年作品。大映の第一回カラー映画で、第7回カンヌ国際映画祭では大賞を獲得している。今回私は福岡市総合図書館にある映像ホール“シネラ”での特集上映にて、初めてスクリーンで観ることが出来た。映像の喚起力はかなりのもので、この時代にこれだけのものを撮り上げたスタッフの力量には感嘆するしかない。ただし、内容は現時点で接してもアピールできるかどうかは意見の分かれるところだろう。

 平安時代末期に勃発した平治の乱において、焼討をうけた御所から上皇と御妹上西門院を救うため、警備役の平康忠は身替りを立てて敵を欺こうとする。上西門院の身替りになった袈裟の牛車を守るのは、豪腕として知られた遠藤盛遠だった。彼は大挙して襲ってくる二条親政派の者たちを撃退して彼女を彼の兄盛忠の家に届けたが、あろうことか袈裟に一目惚れしてしまう。しかし彼女は御所の侍である渡辺渡の妻だった。それでも諦めきれない盛遠は、しつこく袈裟を付け回す。菊池小説「袈裟の良人」の映画化だ。

 盛遠の言動は、たちの悪いストーカーそのものだ。普通ならば、旦那の渡か盛遠の“上司”である平清盛に申告して、盛遠を処断してもらうのが常道だろう。ところが袈裟は、事を荒立てるのを潔しとせず、自身でケリを付けようとする。これを“袈裟の貞淑さが泣かせる”とばかりに認めれば本作は評価出来るだろうし、製作当時はそれが通用していたのだろう。だが、今観るとやっぱり違和感を覚える。さらに、ラストの処理も綺麗事に過ぎると思う。

 とはいえ、和田三造による衣装デザインをはじめとする美術は素晴らしく、これを見届けるだけでも鑑賞する価値がある。また、名匠として知られた衣笠貞之助の演出は骨太で、一時たりともドラマが停滞しない。アクションシーンは圧倒的で、後年「眠狂四郎シリーズ」を手掛ける三隅研次が助監督として参画しているのも大きいだろう。杉山公平のカメラによる流麗な映像も言うことなし。

 主役の長谷川一夫は悪役を楽しそうに演じ、山形勲に黒川弥太郎、田崎潤、千田是也、石黒達也、植村謙二郎、殿山泰司などの顔ぶれも確かなものだ。そして袈裟に扮する京マチ子の魅力はただ事ではない。盛遠ならずとも、ゾッコンになってしまうだろう(笑)。

 名物プロデューサーだった永田雅一のワンマン体制で作られたシャシンらしいが、こういう独走ぷりを見せる製作者は毀誉褒貶はあるにせよ、映画界を活性化させるものなのだろう。ひるがえって現在はそんな人材が見当たらないのは、ある意味残念だと思う。
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「ソウルメイト」

2024-03-18 06:30:28 | 映画の感想(さ行)
 (英題:SOULMATE)映画向きのネタではないと思った。これはテレビの連続ドラマに仕立てた方が良い。特に後半のアクロバティックな展開は、テレビ画面で眺めていれば“やっぱり韓流ドラマだからなァ”と納得出来る余地がある。だが、一本の映画の中に収めてしまうと違和感ばかりが先行してしまう。序盤が悪くないだけに残念だ。

 済州島に暮らす女子ミソとハウンは、共に絵を描くのが好きな小学生からの大親友。だが、十代の頃に知り合った男子生徒ジヌの存在は、2人の仲に亀裂を生じさせてしまう。疎遠になって16年もの時間が経過したある日、ハウンはミソにある秘密を残して消息を絶ってしまう。香港のデレク・ツァン監督が2016年に手がけた「ソウルメイト 七月と安生」(私は未見)の韓国版リメイクだ。



 絵画のスキルを高めつつ世界中を見て回りたいという夢を持つミソと、何より堅実な人生を送ることに価値を見出すハウン。2人は対照的なタイプだが、子供の頃からウマが合う。この友情を違和感なく描出している前半は悪くない。ジヌをめぐるやり取りも、平凡なラブコメ劇に堕することなくリアルかつハートウォーミングに仕上げている。ところが、大人になった彼らが織りなす複雑すぎる生き方は、あまりにも強引な作劇で戸惑うばかり。

 そもそも冒頭の、絵画展で入選した作品の作者が見つからないというシークエンスの存在自体が間違いだったのではないか。ここに無理矢理に帰着させるために、牽強附会の極みのようなストーリーを用意するハメになったとも言える。繰り返すが、この建て付けは連続韓流ドラマだったら許されるし、たとえ批判が出ても“ディレクターが交代した”の何だのという言い訳が通用するのかもしれない(苦笑)。しかし、映画の中でやってはダメだ。もっと自然な筋書きを提示する必要があった。ミン・ヨングンの演出も、映画が進むにつれ煽情的なタッチが目について愉快になれない。

 とはいえ、主演のキム・ダミとチョン・ソニのパフォーマンスはかなり良好だ。けっこう幅広い年齢を演じているのだが、違和感が無い。ジヌに扮するピョン・ウソクも上手く役柄をこなしている。また、カン・グヒョンのカメラによる済州島の風景はとても魅力的だ。なお、オリジナルの「ソウルメイト 七月と安生」は本作とは設定がかなり違うようで、機会があればチェックしてみたい。
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「初心者のための幸せガイド」

2024-03-10 06:10:56 | 映画の感想(さ行)

 (原題:HAPPINESS FOR BEGINNERS )2023年7月よりNetflixから配信されたラブストーリー。設定はありきたりで、ストーリーも意外性は少ない。だが、観る者の神経を逆なでするようなキャラクターやエビソードは存在せず、必要以上にヘヴィなモチーフも取り入れられていないため、ストレス無く向き合える。103分というコンパクトな尺で、キャストは皆好演。そして何より映像がキレイだ。個人的には観て良かったと思っている。

 教師のヘレンは数年前に結婚した旦那が極度の浮気性のため、やっとの思いで離婚する。そんな過去を吹っ切るため、彼女は過酷なハイキングツアーに参加するが、なぜかヘレンの弟の友人で元医者のジェイクもツアーのメンバーに名を連ねていた。その行程は、コネティカット州からニューヨーク州にかけての山間部の自然保護区を踏破するというもの。若いコーディネーターのベケットの高圧的な指導に閉口しながらも、彼らのグループは次第に結束を深めてゆく。キャサリン・センターによる小説の映画化だ。

 ヘレンと行動を共にする者たちはそれぞれ屈託を抱えていて、何とか現状を変えたくてたまらない。しかし、それらはいたずらに重々しいものではなく、ドラマのアクセントとして機能させるのみだ。途中でメンバーの一人がピンチに陥るが、決してシビアな展開には持って行かない。考えてみればジェイクの境遇などはかなり厳しいのだが、ヘレンとの関係性によって“何とかなるのではないか”という安心感を醸し出している。

 脚色も担当したヴィッキー・ワイトの演出はスムーズで、才気走ったところは無いものの、手堅く最後まで映画を引っ張っている。ダニエル・ベッキオーニのカメラによる紅葉が映えるコネティカット州の山あいの風景は痺れるほど美しく、この映像を眺めているだけで何だか得した気分になる。

 インドア派(?)の私としては実際はこういうハードなアウトドア活動は遠慮したいのだが、難行苦行の末にしか巡り逢えない風景があるというのは、認めざるを得ない。主演のエリー・ケンパーは好調。相手役のルーク・グライムスをはじめ、ニコ・サントス、ベン・クック、シェイボーン・ウェブスター、ブライス・ダナーなどの面子も万全の仕事ぶりだ。

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「自転車泥棒」

2024-02-12 06:09:16 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Ladri di Biciclette )1948年作品。第二次世界大戦後のイタリアで作られたネオレアリズモ映画の代表作。昔テレビ画面で鑑賞したような記憶があるが、今回私は福岡市総合図書館にある映像ホール“シネラ”での特集上映にて、初めてスクリーンで観ることが出来た。話自体は重苦しいもので、描きようによっては悲惨なだけのダークな映画になったところだが、一方で力強さや突き抜けたような明るさも存分に感じられる。かなり奥行きの深い、語る価値のある作品かと思う。

 戦争が終わって数年経った頃のローマ。経済は回復しておらず、町には失業者が溢れていた。そんな中、2年間も職を得られず職安に通い詰めていたアントニオ・リッチは、ようやく役所のポスター貼りの仕事を得る。業務には自転車が必要だが、あいにく自前の自転車は質入れ中。そこで妻のマリアが家のベッドのシーツを質に入れ、その金で買い戻す。意気揚々と仕事に出かけたアントニオだが、初日に自転車が盗まれてしまう。自転車が無ければまた職を失うことになり、彼は6歳の息子ブルーノと一緒に自転車を探し回る。

 ほぼ全編でロケーション撮影が敢行され、雰囲気はドキュメンタリーに近い。主人公を襲う逆境の数々には観ていて身を切られる思いだ。警察に届けても“自分で探せ”と言われるだけ。町で犯人らしき者を見かけて追いかけるが空振りに終わる。ついには当初バカにしていた、マリア行きつけの占い師に頼み込む始末。アントニオの、絵に描いたような小市民ぶりには共感できるし、そんな父親を慕うブルーノの純情には泣かされる。

 ただし、決してシビアな展開ばかりではない。主人公の困窮に何とか手を貸そうとする友人のバイオッコとその仲間たちの心意気には胸を打たれるし、終盤に切羽詰まったアントニオが起こした不祥事に対する“被害者”の配慮は有り難いとしか言えない。それに、犯人らしき者が住む地域の住民の結束や、資本家の横暴に対する労働組合の存在感など、地元のコミュニティがしっかり機能していることが明示されている。この共同体の存在が戦災からの復興を予想させて、鑑賞後の心象は重いものではない。

 ヴィットリオ・デ・シーカの演出は見上げたもので、モチーフを無理なく配置して主人公たちの境遇を的確に映し出す手腕には感服した。キャストはプロの俳優を使わず素人を起用しており、アントニオに扮するランベルト・マジョラーニは失業した電気工で、ブルーノ役のエンツォ・スタヨーラは監督が街で見つけ出した子供だ。リアネーラ・カレルやジーノ・サルタマレンダといった脇の面子もプロ顔負けのパフォーマンスを披露している。

 なお、終映後に何とメイキング映像が挿入されている。撮影風景やキャストに対する監督の演技指導の様子などが示され、これが実に面白い。驚いたのは、エキストラに当時19歳のセルジオ・レオーネが参加していることで、彼がこの十数年後に娯楽映画史上に残る快作の数々をモノにすることを考えると本当に感慨深い。
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「サン・セバスチャンへ、ようこそ」

2024-02-04 06:07:21 | 映画の感想(さ行)
 (原題:RIFKIN'S FESTIVAL )ウディ・アレン監督作としては、特段目新しいことをやっているわけではない。いつも通りの展開だ。そもそも、高齢の彼に新たな路線を打ち出す余力は(まことに失礼ながら)無いと思う。ならば本作は評価に値しないのかというと、そうでもない。長年映画界で仕事をしてきただけに、往年の名画に対する思い入れは人一倍だ。そのあたりが窺えるだけでけっこう楽しめる。

 ニューヨークの大学で映画学の講義を受け持っているモート・リフキンは作家としての顔を持っているが、そちらはさっぱり売れない。そんな彼が映画の広報の仕事をしている妻のスーに同行して、スペイン最大の映画祭であるサン・セバスチャン国際映画祭に行くことになる。スーの役割は新進気鋭のフランス人監督フィリップのプロモーションを務めることだ。



 冴えないオッサンのモートンに対し、スーは色香は十分残っているイイ女である。案の定、彼女はフィリップと懇ろな関係になる。失意で体調も優れないモートンが足を運んだのが、友人に紹介された地元のクリニック。ところが担当医師のジョー・ロハスは思いがけない美人だった。舞い上がったモートンは、何かと理由を作り出してそのクリニックに通い詰める。

 ウディ・アレンの映画に決まって登場するのは、監督の分身とも言える講釈ばかり並べ立てるインテリぶった野郎だ。本作ではモートンがそれに該当するのだが、彼の言動と“末路”はほぼ予想通り。意外性の欠片も無い。しかしながら、モートンが夢の中で体験する“昔の名画の世界”は、かなりウケた。

 フェデリコ・フェリーニの「8 1/2」をはじめ、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」、ジャン=リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」、イングマール・ベルイマンの「仮面 ペルソナ」などの巧妙なパロディ映像が次々と現われるのは、懐古趣味と言われるかもしれないが、それだけで嬉しくなってしまうのだ。さらには、モートンが昔の日本映画に関してウンチクを披露するくだりは大いに納得出来る。

 バスク自治州のスペイン有数のリゾートタウンであるサン・セバスチャンの風景は美しく、ヴィットリオ・ストラーロの流麗なカメラワークも相まって観光気分が存分に味わえる。主演のウォーレス・ショーンをはじめ、ジーナ・ガーション、ルイ・ガレル、エレナ・アナヤ、セルジ・ロペスというキャストも万全で、クリストフ・ヴァルツが意外な役柄で出ているのも楽しい。W・アレン御大はあと何本映画を撮れるか分からないが、今後もマイペースでフィルモグラフィを積み重ねて欲しいものだ。
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「スイッチ 人生最高の贈り物」

2023-12-24 06:10:36 | 映画の感想(さ行)
 (英題:SWITCH)ストーリーは完全に一昔前のスタイルで、開巻当初はこのベタな設定には正直“引いて”しまいそうだと危惧したが、実際はかなり丁寧に作りこまれており、結果として気分を良くして劇場を後にすることができた。主題やコンセプトがどうあれ、語り口とキャストのパフォーマンスが良好ならば見応えのあるシャシンに仕上がるものなのだ。クリスマスの季節にぴったりの韓国製ハートウォーミングコメディである。

 売れっ子男優のパク・ガンはソウルの一等地にある高級マンションに居を構え、夜な夜な若手女優との情事を楽しむという優雅な独身生活を送っていた。12月24日の夜、歓楽街でマネージャーのチョ・ユンと遅くまで飲んだ後、乗り込んだタクシーの運転手から“別の人生を考えたことがあるか?”と聞かれる。テキトーに受け答えしていたパク・ガンだったが、翌朝、目が覚めるとそこは見知らぬ家だった。



 おまけに過去に別れた元恋人のスヒョンが妻として振舞っており、2人の幼い子供までいる。俳優であることは同じだったが、“元の世界”とは違って売れない舞台役者であり、たまにテレビの再現ドラマに出る程度。対してチョ・ユンは演技派俳優として脚光を浴びていた。パク・ガンは“この世界”でも自身が有名スターであることを皆に知らしめるため悪戦苦闘する。

 過去に幾度となく目にしたような、いわゆる“入れ替わりネタ”のバリエーションであり設定には新味は無い。ところが周到な作劇により高い訴求力を獲得している。まずパク・ガンとチョ・ユンが同じ劇団員出身で、共にメジャーな舞台を目指していたことが大きい。つまりは主人公の成功は失敗と紙一重の話だったのだ。

 だから“入れ替わり”の実質的な度合いが(確かに境遇は違うが)極端なものにはならず、ストーリーが絵空事になることを回避している。そして人生の価値は富でも地位でも名声でもなく、そばに誰がいるかで決まるという、普遍的ではあるが誰もが失念しがちなことを平易に表現ようとしているあたりが巧みだ。

 脚本も担当したマ・デユン監督の仕事ぶりは申し分なく、ドラマ運びはスムーズだしギャグの振り出し方も堂に入っている。主演のクォン・サンウは好調で、マッチョではあるがあまり上等とは言えない性格の男が、イレギュラーな事態に遭遇してみるみるうちに本来の実直さを取り戻していくあたりのパフォーマンスは感心する。

 チョ・ユン役のオ・ジョンセも良いのだが、特筆すべきはスヒョンに扮するイ・ミンジョンだ。かなりの美人で、演技力もある。聞けば彼女はイ・ビョンホンの嫁さんらしく、ビョンホンに関連したお笑いネタを繰り出すあたりはニヤついてしまった。子役2人も達者だ。くだんのタクシー運転手の“正体”が明らかになる幕切れは鮮やかで、まさしく“クリスマスの奇跡”を現出させてくれる。
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「女優は泣かない」

2023-12-18 06:08:37 | 映画の感想(さ行)

 元々はCMやテレビドラマのディレクターである30歳代の監督による作品なので、観る前は軽佻浮薄で底の浅いシャシンなのかという危惧もあったが、そうでもなかったので一先ず安心した。もっとも、正攻法の作劇ではなく多分に狂騒的なテイストもある。だが、ドラマの根幹はけっこう古風で万人にアピールできる。あまり気分を害さずに劇場を後にした。

 スキャンダルで業界から“干されて”しまった女優の園田梨枝は、彼女の人間像と再起に迫るという触れ込みのドキュメンタリー番組に出ることになり、撮影のために故郷の熊本県荒尾市に10年ぶりに帰ってきた。ところが現地に派遣されたスタッフは、テレビ局のバラエティ班ADである瀬野咲だけ。どうやら落ち目の女優のために予算は割けないらしい。

 しかも咲はテレビ的なウケを優先し、事実は二の次三の次のヤラセ演出を強行する。そんな彼女に辟易した梨枝を迎えたのが、疎遠になっていた家族と幼なじみの猿渡拓郎。家出同然に上京した梨枝を、姉も弟も歓迎はしない。加えて父親は難病で入院中。咲はそんな状況も、何とかドキュメンタリーのネタにしようと画策する。

 咲のキャラクターは、ハッキリ言って鬱陶しい。確かにテレビ屋らしい調子の良さを強調した造形ではあるのだが、長く見ているとウンザリする。ところが実は彼女は映画監督志望で、この仕事をこなせばデビューの機会が与えられる(かもしれない)という事情があり、必要以上に力んでいたのだ。

 梨枝は身勝手な女に見えながら、本当は家族と地元のことを気に掛けている。家族の側も梨枝に冷たいようで内実は思い遣っている。この“一見○○だが、実は○○”というパターンが脚本も担当した有働佳史の得意技らしいが、その“実は○○”の部分がプラス案件であるのが好ましい。もちろん逆のケースもあり得るが、本作みたいな内容ではこれで良いと思う。

 後半は人情話が中心になるものの、前半とのコントラストが利いていて大して違和感もなく見せ切っている。梨枝に扮する蓮佛美沙子は快調で、不貞腐れていながらも純情ぶりを垣間見せるあたりは感心する。咲役の伊藤万里華は「サマーフィルムにのって」(2021年)の頃よりは大分演技がこなれてきた(とはいえ、まだ精進は必要。今後に期待したい)。

 上川周作に吉田仁人、三倉茉奈、浜野謙太、宮崎美子、升毅といったキャストも悪くない。そういえば、私は熊本市には住んだことはあるが、荒尾市には縁がない。何となく“福岡県大牟田市の隣町”といった印象しかない。ならば本作は地元の魅力がフィーチャーされているのかという、そうでもないのが残念だ。ただし、方言の扱いは手慣れていると思った。
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「正欲」

2023-12-17 06:03:23 | 映画の感想(さ行)
 観終わってみれば、共感を覚えたのは男性恐怖症の女子大生に関する箇所のみ。あとは完全に絵空事の展開で、気分を悪くした。世評は高いようだが、リアリティが希薄な案件をデッチ上げて勝手に深刻ぶっているだけの、何ともやり切れないシャシンだと個人的には思う。特に“多様性”に対する認識の浅さには脱力するしかない。

 横浜市在住の検察官の寺井啓喜は、小学生の息子が不登校になったことに悩んでいた。広島県福山市のショッピングモールで働く桐生夏月は、冴えない日々を送りつつも中学生時代に転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知り、密かに心をときめかせる。神奈川県の大学に通う神戸八重子は、学園祭実行委員としてダイバーシティフェスを企画しており、諸橋大也率いるダンスサークルにアトラクション出演を依頼する。映画はこれら複数のパートが平行して進む。



 寺井の息子が元気を取り戻す切っ掛けになるのが動画配信であるのは良いとして、その内容はとても不登校の処方箋になるものとは思えず、しかもそれが高再生数を記録するのもあり得ない。さらに妻の由美は教育方針をめぐり夫と対立し、果ては動画指南役の若い男を家に入れる始末。夏月は極度に人付き合いが下手で、陰気な両親(祖父母?)と陰気な家で暮らしている。佳道は水しぶきを浴びることに執着する“水フェチ”で、そのため周囲と上手く折り合えないが、同じく人見知りが強い夏月とは連帯感を持っていたようだ。大也は容姿端麗ながら、誰にも心を開かない。

 その“水フェチ”というのが映画内での重要なモチーフの一つらしいのだが、そんなに水が好きならば一人で休みの日にでも水浴びしてれば良い話。もちろん地方に住んでいれば近所の目が気になるかもしれないが、転校先あるいは就職先では(犯罪行為にでも手を染めない限り)大した問題ではないはず。寺井の妻子の言動は常軌を逸しているとしか思えず、現実感はゼロ。大也のバックグラウンドも判然としない。

 唯一、八重子は過去にトラウマになるような辛い経験をした結果男性を避けるようになり、それを克服しようとしているという、平易な造形が成されている。映画の素材として相応しいのは彼女だけであり、あとは不要だ。また監督の岸善幸の腕前は大したことがなく、ヤマもオチもない作劇に終始。終盤は幾分ドラマティックな展開にしようとしているが、明らかに筋の通らない結末には呆れるしかなかった。

 稲垣吾郎に磯村勇斗、佐藤寛太、山田真歩、宇野祥平、徳永えりなど多彩なキャストを集めてはいるものの、うまく機能していない。特に夏月に扮した新垣結衣は彼女としては“新境地”なのかもしれないが、見た目および演技力と役柄がまるで合っていない。対して八重子を演じる映画初出演の東野絢香は存在感に優れ、今後も要チェックの人材だと思う。なお、朝井リョウによる原作は読んでいないし読む予定もない。だから小説版と比較しての感想は差し控えたい。悪しからず。
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