元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

何気なく選んだ2017年映画ベストテン。

2017-12-31 06:53:53 | 映画周辺のネタ
 2017年の個人的映画ベストテンを勝手に発表する。まずは日本映画の部。



第一位 彼女の人生は間違いじゃない
第二位 しゃぼん玉
第三位 ANTIPORNO
第四位 光(河瀬直美監督版)
第五位 帝一の國
第六位 愚行録
第七位 映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ
第八位 最低。
第九位 彼女がその名を知らない鳥たち
第十位 ビジランテ

 次に、外国映画の部。



第一位 ムーンライト
第二位 人生タクシー
第三位 ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ
第四位 わたしは、ダニエル・ブレイク
第五位 ドリーム
第六位 ハクソー・リッジ
第七位 ベトナムを懐(おも)う
第八位 ヒトラーの忘れもの
第九位 女神の見えざる手
第十位 ベイビー・ドライバー

 前年とは打って変わり、2017年の日本映画は不作であった。普段ならばランクインされていないレベルの作品も無理にかき集めて、何とか10本揃えたという感じである。一位の「彼女の人生は間違いじゃない」にしても、出来よりも題材に惹かれての選定だ。

 対して、外国映画は近来まれに見る豊作。特に一位の「ムーンライト」は私自身のオールタイムベストテンにも選びたいほどの傑作だった。ベストテンに挙げた作品以外にも「沈黙 サイレンス」や「幸せなひとりぼっち」「キングコング:髑髏島の巨神」「LOGAN/ローガン」「残像」「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」「パターソン」「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」「婚約者の友人」等々、秀作・佳作の目白押しである。

 また全体に洋画には世相に鋭く切り込んだ作品が目立つ。(少なくとも表面的には)毒にも薬にもならない展開の邦画とは大違いである。

 なお、以下の通り各賞も勝手に選んでみた。まずは邦画の部。

監督:廣木隆一(彼女の人生は間違いじゃない)
脚本:河瀨直美(光)
主演男優:菅田将暉(帝一の國)
主演女優:瀧内公美(彼女の人生は間違いじゃない)
助演男優:桐谷健太(ビジランテ)
助演女優:筒井真理子(ANTIPORNO)
音楽:ルドビコ・エイナウディ(三度目の殺人)
撮影:ピオトル・ニエミイスキ(愚行録)
新人:間宮祥太朗(全員死刑)、葵わかな(サバイバルファミリー)、石川慶監督(愚行録)

 なお、新人部門の葵は映画よりもNHKの朝ドラでの好演を加味しての選出だ。

 次に、洋画の部。

監督、脚本:バリー・ジェンキンス(ムーンライト)
主演男優:マイケル・キートン(ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ)
主演女優:ルース・ネッガ(ラビング 愛という名前のふたり)
助演男優:マハーシャラ・アリ(ムーンライト)
助演女優:アナ・デ・アルマス(ブレードランナー2049)
音楽:ニコラス・ブリテル(ムーンライト)
撮影:ジェームズ・ラクストン(ムーンライト)
新人:パウラ・ベーア(婚約者の友人)、ラヴィス・ナイト監督(KUBO/クボ 二本の弦の秘密)

 ついでにワーストテンも挙げておく。まずは日本映画。

1.家族はつらいよ2
2.光(大森立嗣監督版)
3.幼な子われらに生まれ
4.パーフェクト・レボリューション
5.三度目の殺人
6.ジムノペディに乱れる
7.笑う招き猫
8.彼らが本気で編むときは
9.ホワイトリリー
10.牝猫たち

 次に外国映画。

1.マンチェスター・バイ・ザ・シー
2.ザ・サークル
3.LION/ライオン 25年目のただいま
4.メッセージ
5.スター・ウォーズ 最後のジェダイ
6.エル/ELLE
7.ダンケルク
8.哭声/コクソン
9.20センチュリー・ウーマン
10.ビニー 信じる男

 日本映画に関しては、現役の監督たちが新作ロマンポルノを手掛けた“日活ロマンポルノ・リブート・プロジェクト”の数々がワースト入りしたのが特徴的。名の知れた監督に丸投げするのではなく、若手を含めた“ポルノでなければならない必然性”を見据えた人材を選出すべきだった。外国映画では、アカデミー賞の受賞作や候補作が並んでいる。もちろん、これらの作品をベストに挙げる観客もいるとことは予想出来るが、個人的にイヤなものはイヤである(笑)。

 なお、2016年のユナイテッド・シネマ福岡に続いて、2017年には天神東宝(TOHOシネマズ・天神本館)までが営業を終えてしまった。映画ファンが多い福岡県民にとってはかなりの“逆風”だ。ユナイテッド・シネマ福岡は2018年に“復活”するらしいが、それでもスクリーン数は十分ではないと思う。業界筋の奮起を望みたいところだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」

2017-12-30 06:32:56 | 映画の感想(さ行)
 (原題:STAR WARS:THE LAST JEDI )スピンオフ作品も含めたこのシリーズの中では、一番面白くない。まず言っておきたいが、「スター・ウォーズ」はSFではない。第一作(エピソード4)が公開された70年代後半にはSF映画がまだ(大量に客を呼べるコンテンツとして)市民権を得ていなかったこともあり、そのエクステリアからSFとして分類されたのも当然だが、99年製作の「ファントム・メナス」以降は、もとより科学的考証とは縁の無い本シリーズはファンタジー映画として捉えるべきだろう。

 以前も書いたが、私はファンタジー映画が嫌いである。話が絵空事であることを“免罪符”にするかのごとく、脚本がいい加減なケースも珍しくはない。本作はその“ファンタジー映画の難点”が突出して全面展開しており、評価出来る余地は無いと結論付けられる。



 もはやフォースの何たるかが全く定義付けられておらず、御都合主義的な“何でもあり”の状態に陥っている。ならばそのフォースを使えば話は手っ取り早く終わるはずなのだが、なぜかレジスタンス側は無謀な計画を強行。しかも、統制が取れておらず被害は大きくなるばかり。当然のことながら多数の犠牲者が出るが、しばらくするとそのことを忘れたかの如く、戦略性が希薄なバトルに打って出る。

 敵役のファースト・オーダー陣営も似たようなもので、やたら不気味で尊大な首魁はあっさりと消え、代わって指揮を執るカイロ・レンも個人的なルサンチマン以外には行動の規範となるものが見られない。前作から主人公の座についたレイは、わざわざルークを探し出すのだが、結局彼女は何を得たのか分からない。そもそも、ルークに実質的な存在価値があるのかも怪しいものだ(特に終盤の扱いは無理筋で脱力した)。

 とにかく言動に一本筋の通った登場人物が見当たらず、行き当たりばったりに勝手に暴れているだけだ。ライアン・ジョンソンの演出はメリハリが無く、やたら長い上映時間も相まって、眠気を抑えるのに苦労した。また、中盤に3つの場面が同時進行するのは「ジェダイの復讐」の、終わり近くの雪原(正確には塩だが)での戦いは「帝国の逆襲」の、それぞれ二次使用であることは論を待たない。もっと気の利いた斬新なアイデアは出せないのだろうか。



 それにしても、前作でハン・ソロが退場し、レイアも(演じるキャリー・フィッシャーはもういないので)今回限り。それどころかC-3POとR2-D2の出番もわずかだ。製作元がディズニーに移管されてから、旧シリーズからの“切り離し”が表面化しているということだろうか。昔からのファンを切り捨ててまで新たな展開を見せようというのならば別にそれでも構わないが、こんな気勢の上がらないシロモノでは今後の期待が持てない。たぶん次作は“仕方なく”観るだろうが、それ以降は(もし製作されるとしても)チェックする気が起きない。

 デイジー・リドリーやジョン・ボイエガ、アダム・ドライバーなど、キャストの演技には特筆すべきものは無い。特に困ったのはケリー・マリー・トランなるアジア系女優の起用。どう見てもスクリーンの真ん中に出てこられるようなタマではない。ただ、ベニチオ・デル・トロの登場は唯一興味を覚えた。彼が主人公を演じるスピンオフ作品が出来れば、ひょっとしたら観るかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アメリカン・ビューティー」

2017-12-29 06:45:53 | 映画の感想(あ行)
 (原題:AMERICAN BEAUTY )99年作品。とても面白く観た。これに似た映画といえば森田芳光監督の「家族ゲーム」(83年)かもしれない。しかし、あの映画にあった“しょせんテメエら皆ボンクラじゃん”というニヒリスティクな達観はなく、作り手の視線のレベルが登場人物と同等である点が広い層にアピールする理由だと思う。

 広告会社に勤める中年男レスターは、郊外の新興住宅地の一戸建てに妻キャロリンと高校生の娘ジェーンの3人で暮らしているが、最近は妻とは倦怠期で反抗期の娘とは話も出来ず、鬱屈した日々を送っている。さらに会社からは早期退職を打診され、ストレスが溜まるばかりだ。ある日、隣に元海兵大佐のフィッツの一家が引っ越してくる。彼の息子リッキーは根の暗そうな若造だが、何とジェーンはそんな彼に興味を持ち、交際を始めてしまう。



 一方、キャロリンは仕事上で知り合った不動産業者のバディと堂々と浮気。レスターは会社に辞表を提出して多額の退職金を入手。そしてハンバーガー店でバイトを始めたかと思うと、あろうことかジェーンの友人であるチアガールのアンジェラに惚れてしまう。家族がそれぞれ勝手に暴走を始めた末に、事態は取り返しの付かない様相を呈してくる。

 冒頭に“広い層にアピール出来る”と書いたが、個々の描写は昨今のアメリカ映画の水準を大きく逸脱するほど辛辣だ(監督がイギリス人のサム・メンデスってのもあるだろうが)。ブラックユーモアの扱い方にも容赦ない冷酷さ(?)が光る。



 個々に重要な役割を担う各キャラクターの巧妙な配置と、それに応えるキャストの目を見張る仕事ぶり。そして卓越した画面配置と効果的な映像処理には感服するばかりだ。公開当時は“アメリカの中産家庭の危機を描いた”と言われていたが、このテーマは万国に共通するものだと思う。

 主演のケヴィン・スペイシーは絶好調。悩んだ挙げ句に常軌を逸していくオッサンを楽しそうに演じている。アネット・ベニングやピーター・ギャラガー、クリス・クーパーといった共演陣は濃くて良い。ソーラ・バーチとミーナ・スヴァーリのコギャル2人も頑張っている。

 トーマス・ニューマンの流麗な音楽。コンラッド・L・ホールのカメラによる清澄な画面(特に“風に舞うポリ袋”の美しさは特筆もの)。鑑賞後の満足感は高い。第72回アカデミー賞作品賞受賞。前年の「恋におちたシェイクスピア」に続き、この頃のアカデミー賞は良い選択をしたものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「彼女が目覚めるその日まで」

2017-12-25 06:27:21 | 映画の感想(か行)

 (原題:BRAIN ON FIRE )元より娯楽性を狙った映画ではなく、製作の目的が社会に対する“啓蒙”であると思われるため、盛り上がりには欠ける。だが題材自体は興味深く、主演女優は健闘しており、その意味では“観る価値はあまりない”とは言えない。

 ニューヨークの新聞社に勤める新入社員のスザンナは、先輩マーゴの手助けもあって次々と重要な仕事を任せられ、プライベートではボーイフレンドでミュージシャンのスティーヴンとの仲も好調。充実した毎日を送っていた。だがある日、突如として物忘れがひどくなる。さらに職場では前後不覚に陥り、大事な取材では要領を得ない質問を繰り返し、相手を激怒させてしまう。やがて幻覚や幻聴も発生。ついには全身が痙攣する発作を起こして入院を余儀なくされる。

 しかし、いくら検査しても異常は見つからず、医師団もお手上げ状態。会話すら出来なくなったスザンナは、精神病棟に入れられそうになる。それに対し両親やスティーヴンは、彼女が精神疾患であることを頑なに否定する。そんな中、医師の一人がかつての恩師に相談を持ちかけたところ、スザンナが罹患した病気の正体が明らかになる。当事者であるスザンナ・キャハランの著書を元に、女優シャーリーズ・セロンらが製作を担当。

 何と言っても主役のクロエ・グレース・モレッツの奮闘が印象的だ。彼女はたぶん現在のアメリカの女優の中では1,2を争うほど可愛いルックスの持ち主だと思うが(笑)、そんなモレッツが表情を引きつらせて難病患者を熱演しているだけで、映画的興趣は高まってくる。

 展開はヒロインの“病状”の定点観測であり、他のキャラクターの描写は通り一遍である。彼女の両親は離婚していて、今はそれぞれ別々のパートナーと暮らしているのだが、そのことがストーリーに大きく絡んでくること無い。単に“娘を心配する親”という設定が与えられているだけだ。上司の編集長をはじめとする職場の面々も深くは描かれないし、そもそも恋人のスティーヴンにしても優しいけど頼りない存在としか扱われていない。

 だが、本作の作劇の主眼が抗NMDA受容体脳炎という珍しい病気の紹介であることを考えると、致し方ないとも言える。疾患概念が成立したのが2007年で、それからわずか10年ほどしか経っていない。それ以前は「エクソシスト」の主人公みたいに“悪魔憑き”と見なされるか、あるいは精神病の一症例として片付けられていたであろうことを考えると、このような“PRとしての映画”も存在価値はあると思う。

 リチャード・アーミテージやキャリー=アン・モス、トーマス・マン、ジェニー・スレイトといった脇のキャストは、場をわきまえた的確な仕事をしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「リーサル・ウェポン3」

2017-12-24 06:47:27 | 映画の感想(ら行)
 (原題:LETHAL WEAPON 3 )92年作品。人気シリーズの3作目だが、主人公のリッグス刑事のキャラクターが1作目(87年)に比べて激変しているのには驚いてしまう。

 最初は彼はマーティン・スコセッシ監督の「タクシー・ドライバー」(76年)の主人公のような超危険人物で、その破滅願望は周囲はもちろん自分自身も消し去ってしまうようなヤバさだった。ところが1作目の終盤では同僚達の“友情パワー(?)”で真人間に近付き、2作目(89年)では色恋沙汰も交えて社会復帰が完了。本作では絵に描いたような脳天気キャラに徹している。ハッキリ言って、これではマイケル・ベイ監督の「バッドボーイズ」シリーズと変わらない。



 今回の敵役は街のならず者達に武器を横流ししている元警官、というチンケな野郎どもである。第1作の麻薬シンジケートや、第2作の南アフリカ政府の破壊工作部隊といった大物と比べれば、明らかに見劣りする。こういう小物は所轄の捜査員に任せておけば良いはずなのだが、なぜかリッグスと相棒のマータフ刑事が出動し、ロスアンジェルス市内の社会的インフラに壊滅的なダメージを与えてしまう。

 ストーリー運びは行き当たりばったりで、前作の胡散臭いキャラクターであるレオ・ゲッツも意味なく顔を出す。主人公2人とは別に捜査を進めているケバい女刑事が登場するが、プロット上で効果的だとは思えない。まあ、当然のことながらリッグスと懇ろになるという設定なのだが、それならそうで合理的な設定が必要かと思う。

 リチャード・ドナーの演出は覇気が無く、アクションシーンも派手だが大味。主役のメル・ギブソン御大をはじめダニー・グローヴァー、ジョー・ペシといった顔ぶれにも新味が無い。ただし、レネ・ルッソ扮する女刑事が主人公と互いの身体の傷を見せ合って服を脱いでいく・・・・という展開だけは面白い(別の映画でも使えそうなネタだ)。

 なお。撮影監督はヤン・デ・ボンが担当。映像の切り取り方にはソツが無い。彼がカメラマンに専念した仕事は(今のところ)これが最後で、以後は演出家として活動することになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ビジランテ」

2017-12-23 06:35:00 | 映画の感想(は行)

 脚本はとても万全とは言えないが、題材の今日性、およびキャストの力演によって見応えのある映画に仕上がった。クリント・イーストウッド監督の「ミスティック・リバー」(2003年)との類似性を指摘する向きもあるかもしれないが、切迫度ではこちらが上だ。

 埼玉県の地方都市で、地元の顔役を父に持って育った3兄弟。長男の一郎は高校生の頃に家出し、今では次男の二郎は市会議員を務め、三男の三郎はデリヘルの雇われ店長をしている。兄弟の父親が世を去り、二郎は遺産となる広大な土地を相続して政治活動に利用しようとするが、失踪していた一郎が30年ぶりに突然帰郷。一郎は公正証書を持参しており、土地は自分のものであると主張する。

 荒んだ生活を送っていた一郎はヤク中で、しかも借金まみれ。闇金の取り立てのヤクザ連中が当地に乗り込んでくる。一方、市議会のドンの手下である暴力団が、一郎の相続辞退を取り付けるために三郎にプレッシャーをかける。監督の入江悠によるオリジナル脚本作品だ。

 公正証書は当事者同士の承認が必要なはずだが、ならば出奔した一郎はいつ父親に会ったのだろうか。そもそも、数々の違法行為を起こしている一郎に相続の資格があるとも思えない。冒頭、高校生だった一郎が“あるもの”を河原に埋めるのだが、終盤に三郎が何の目印もない河原から埋めた場所を突き止める不思議。しかも、その“あるもの”は大した物ではない。また、二郎の市会議での立ち位置も示されていない。3兄弟が巻き込まれていく暴力の応酬も段取りがイマイチだ。

 普通、これだけシナリオに“穴”があると評価はできないものだが、本作はそれを補って余りあるテーマが存在している。それは地方都市のダークサイドをモチーフにする、社会全体に広がる暗鬱な空気の醸成だ。それを代表するのが、題名にもある自警団(ビジランテ)の扱いである。

 二郎をはじめとする議員有志は、地域の治安を守るという名目で結成された自警団の世話役になっている。だが、結局は一部勢力のPRにしかならない組織であり、果ては外国人等に対する不合理な差別と弾圧の温床にもなりつつある。それでも、自警団の存在に異議を唱える者はいない。この、手段が目的化したような硬直した様態の描出により、世間一般を覆っている抑圧的な空気を表現しようとした作者の意図は認めて良いと思う。

 入江悠の演出は、舞台が自身の出身地の埼玉県深谷であり、前の「22年目の告白 私が殺人犯です」よりも各描写に力が入っている。主演の大森南朋と鈴木浩介、桐谷健太は好演だ。特に桐谷の成長ぶりには驚いた。菅田俊神や嶋田久作といった“濃い”面々は印象的で、“日活ロマンポルノ・リブート・プロジェクト”から流れてきた間宮夕貴と岡村いずみも健闘している。ただし、二郎の妻を演じる篠田麻里子は全然演技になっておらず、観ていて盛り下がる。やっぱりAKB一派は映画には出てほしくない(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「弁天小僧」

2017-12-22 06:32:37 | 映画の感想(は行)
 昭和33年作品。この頃の大映の実力を再確認できる一本。歌舞伎のキャラクター及び手法を大胆に取り入れながら、娯楽時代劇としても高いレベルの出来を示している。それでいて1時間半のプログラム・ピクチュアとしての枠内に収まっているのも天晴だ。

 旗本の不良分子の集まりである“王手飛車連”の鯉沼伊織らは、富豪の雲州公が言うことを聞かない小娘を内緒で自宅の座敷牢に押し込めていることを知り、これを強請りのタネにしようと雲州邸に乗りこむが、町のやくざで“白波五人男”の一人である弁天小僧菊之助に先を越されてしまう。菊之助はその娘・お半を連れて逃げ、娼家に売り飛ばそうとするが、彼女の身の上を聞くうちに情が移って離れがたくなってしまう。



 一方、雲州公を強請ろうとした件が老中に聞こえ、“王手飛車連”は処罰されそうになる。伊織は叔父から隠居せよとの命を受けるが、懲りない彼は今度は呉服屋浜松屋幸兵衛を強請ろうとする。“白波五人男”の面々はその金を横取りすることを画策するが、町奉行の遠山左衛門尉の介入、さらに両親を知らないという菊之助の出生の秘密も絡み、事態は複雑な様相を呈してくる。

 短い上映時間の中で多くのモチーフやプロットを積み重ねながら、ソツなくまとめてしまう監督の伊藤大輔の手腕は見事である。アクション場面も万全で、殺陣の上手さは申し分ない。菊之助が手をポーンと打つと歌舞伎の場面に早変わりする呼吸の巧みさ。活劇としての面白さとアートっぽい様式美の見事な融合。卓越したストーリーテリングは痛切なラストまでグイグイ観客を引っ張っていく。

 菊之助とお半との切ない恋や、盗っ人ながら情には厚い“白波五人男”の男気など、次から次と見せ場が繰り出されて飽きることが無い。主演の市川雷蔵は文句なしで、さすがのカリスマ性を発揮している。勝新太郎や青山京子、田崎潤、島田竜三、黒川弥太郎、河津清三郎といったキャストも実に時代劇らしい面構えで嬉しくなる。撮影は宮川一夫で、ワイド画面を軽々と使いこなす手際の良さが光る。斎藤一郎の音楽も職人芸だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ジャスティス・リーグ」

2017-12-18 06:30:21 | 映画の感想(さ行)
 (原題:JUSTICE LEAGUE)前作「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」(2016年)よりは楽しめた。もっとも、前回の出来が大したことがなかったのでそこは割り引く必要はあるが(笑)、観て損することはないと思う。ただし「マン・オブ・スティール」(2013年)からのDCコミックのシリーズを追っていないと設定が分からないので“一見さんお断り”のシャシンであることは変わりがない。

 スーパーマンが前作で(一応)死んだため、メトロポリスおよび隣接するゴッサム・シティでは犯罪が頻発。バットマンやワンダーウーマンが何とか抑えている状態だった。そんな中、魔神ステッペンウルフが異次元世界から侵攻。強大な力を秘めるという3つのマザーボックスを奪還するため、各地で狼藉の限りを尽くす。



 桁外れのパワーを持つステッペンウルフに対抗するには仲間を増やす必要があると判断したバットマンことブルース・ウェインは、ワンダーウーマンに加え、アクアマン、サイボーグ、フラッシュという、いずれも一筋縄ではいかない個性の強い超人たちを集める。だが、もとより協調性に欠ける彼らを果たしてブルースはまとめあげることが出来るのか。ステッペンウルフの脅威は刻一刻と迫っていた。

 まず、限られた時間の中で“新入り”の3人のプロフィールが手際よく紹介されていることに感心した。もちろん深くは掘り下げられないが、それは今後のシリーズで個々に紹介されることなので文句は言うまい。性格の違いを表現出来ただけでもヨシとしよう。



 ストーリーは、一時は“退場”したはずのスーパーマン関連のネタも含め、賑やかに展開。ザック・スナイダーの演出は大味だが、見せ場をギッシリと並べることで冗長になるのを何とか回避している。ただ、敵役のステッペンウルフの扱いは中途半端。いくら出自が異世界でも、最後まで“凄んではいるが、何だかよく分からない”というレベルに甘んじているのは不満だ。もっとキャラクターを練り上げるべきだっただろう。

 ベン・アフレック扮するバットマンはちょっとむさ苦しいのが難点だが(笑)、エズラ・ミラーやジェイソン・モモア、レイ・フィッシャーの“新顔”が場を盛り上げる。そしてガル・ガドットは相変わらずイイ女だ。エイミー・アダムスやダイアン・レイン、ジェレミー・アイアンズといったお馴染みの面々も万全だ。ラスト・クレジット後にはこのシリーズの“方向性”が示されるが、マーヴェル陣営には負けないぞという気合は感じられる。くれぐれも「スーサイド・スクワッド」の二の舞にならないよう、留意してほしいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「未来の想い出 Last Christmas」

2017-12-17 06:56:28 | 映画の感想(ま行)
 92年作品。藤子・F・不二雄がこの映画のために書き下ろした同名コミックをもとに、森田芳光監督が映画化。現在までの記憶を持ったまま10年前に生まれ変わった二人の女性が“未来の想い出”を利用して人生の成功を収めようとする。

 公開当時にはすでに“ひどい”だの“最低!”だのといった評判が立っていたので、観る前はかなりの覚悟を決めていたせいか、それほど腹が立たなかった。少なくともその頃の森田監督の作品にしてはマシな部類ではないかと思う。しかしそれは「キッチン」とか「おいしい結婚」だとかの低レベルの作品群と比べての話だということを強調しておきたい。



 清水美砂扮する主人公の一人は売れない漫画家だが、向こう10年間のヒット作を知っているのを利用し、それのモノマネで一躍売れっ子になる。しかし、いくらヒットする題材を扱ったところで実力が無ければダメである。“現在”までの主人公が売れないままでいるのは実力がないために違いなく、ネタだけ仕入れても簡単にヒットするわけがない。そのあたりの展開が安易である。

 工藤静香扮するもう一人の主人公に至っては閉口するしかない。彼女も10年間の“記憶”を利用して株式評論家になり成功する。でも、いくら将来を予見できても、平凡な主婦である彼女がいきなり評論家になれるはずがない。それにしてもこの映画での工藤静香は、当時テレビでよく見かけた工藤静香とまったく同じである。これでは映画に出ている意味がない。もっともそれは森田監督の演技指導がお祖末なせいであるが・・・・。

 デビット伊東や和泉元彌らが演じる、彼女たちが好きになる男たちにしたってまったく魅力がなく、どうしてこんなのに惚れるのか納得できないし、その他脇役の連中にしてもいたずらにマンガチックで感心せず、要するに感情移入できるキャラクターが一人もいない。そして、1回だけだと思っていたタイムスリップを2回もやると、いいかげんうんざりしてくる。もうひとひねり欲しいところだ。

 なお、題名はもちろんWHAM!の往年のヒット曲から取っており、劇中にもそのナンバーは流れる。そういえばWHAM!のジョージ・マイケルは2016年に惜しくも世を去ってしまったが、昔WHAM!のファースト・アルバムを初めて聴いたときには驚いたものだ。この若さでこのクォリティ。もう彼の新たなディスコグラフィーに接することは出来ないのは、実に残念だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「最低。」

2017-12-16 06:31:16 | 映画の感想(さ行)

 興味深く観た。AV(アダルトビデオ)に関わるヒロインたちの真意など、男の私にはハッキリと分かるはずもない。だが、何らかの切迫した事情が“存在すること”だけは感じ取ることができた。無理な解釈を避けて現象面を中心に淡々と追う姿勢には、作者の冷静さが窺われる。

 30歳代の主婦・美穂は、仕事一辺倒で家庭を顧みない夫に不満を募らせていた。また、何かと忙しい姉の代わりに、昏睡状態で余命幾ばくもない父親の世話にも追われていた。ある時彼女はAVに出ることを志願し、周囲を偽って泊りがけの撮影にも出かけるようになる。地方のしがらみの多い人間関係から逃れるように上京した彩乃は、AV女優として活動している。だが、その仕事ぶりが実家にも知られるようになり、母親と妹が田舎から出てくる。

 祖母と暮らしている高校生のあやこの元に、母親が10数年ぶりに戻ってくる。母は以前AVに出ており、さらに妻子持ちの男と付き合った挙句に出来た娘があやこだった。無軌道な母親のことが学校にも知られ、あやこは周囲から孤立している。だが、絵を描いている時だけは自由になれる気がするのであった。AV女優兼作家の紗倉まなの同名小説(私は未読)の映画化だ。

 美穂と彩乃、そしてあやこの母親に共通しているのは、底なしの孤独の中にいることであろう。しかし、それを癒す方法がどうしてAVなのか、その理由を映画は明示しない。ただ、そこには重大な何かがあることだけは認識できる。それがよく表現されているのが、出演者たちの接写である。不安に満ちた表情をドキュメンタリー・タッチで掬い取り、観る者を引き込んでいく。

 監督の瀬々敬久はさすがピンク映画で実績を残しただけあって、絡みの場面では手慣れた仕事ぶりを見せる。しかも決して下品にならず、登場人物の葛藤をジリジリと焙り出しているようなタッチには感心した。

 3人のヒロインのエピソードは独立しているように見えて、絶妙なところで一部クロスしている構成は見上げたものだ(原作の“手柄”かもしれないが、それでも感服した)。また、希望を持たせる幕切れも素晴らしい。

 美穂役の森口彩乃、彩乃に扮する佐々木心音、あやこを演じる山田愛奈、いずれも好演。渡辺真起子や根岸季衣、高岡早紀、江口のりこ等のベテランがしっかりと脇を固める。ただ、欲を言えば彩乃の役は原作者の紗倉がやっても良かったのではないかと思う。紗倉の“出演作品”は見たことはないが、写真をチェックする限りでは佐々木よりも可愛い(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする