元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

勝手に選んだ2012年映画ベストテン。

2012-12-31 06:26:51 | 映画周辺のネタ
 2012年の個人的映画ベストテンを発表する。2012年は個人的事情により鑑賞本数が減り、全ての注目作をカバーしているとはとても言えないが、とりあえず10本は選ぶことが出来た。



日本映画の部

第一位 ヒミズ
第二位 希望の国
第三位 わが母の記
第四位 僕達急行 A列車で行こう
第五位 苦役列車
第六位 鍵泥棒のメソッド
第七位 綱引いちゃった!
第八位 任侠ヘルパー
第九位 ロボジー
第十位 しあわせのパン



外国映画の部

第一位 別離
第二位 家族の庭
第三位 ヘルプ 心がつなぐストーリー
第四位 哀しき獣
第五位 ファミリー・ツリー
第六位 サラの鍵
第七位 少年と自転車
第八位 ゴモラ
第九位 007/スカイフォール
第十位 アベンジャーズ

 邦画は東日本大震災を題材にした2本が上位を占めた。やはり、日本映画にはこのテーマを扱う義務がある。どう描いても明るい映画になるはずもないが、だからといってこのシビアな素材から逃げていては、カツドウ屋の名がすたるというものだ。

 洋画の一位は2011年にアジアフォーカス福岡映画祭で観ているのだが、やはり傑作であることには間違いない。イラン映画として初の米アカデミー賞を獲得したことも含めて、要チェックの作品である。

 なお、以下の通り各賞も選んでみた。まずは邦画の部。

監督・脚本:園子温(ヒミズ)
主演男優:夏八木勲(希望の国)
主演女優:二階堂ふみ(ヒミズ)
助演男優:香川照之(鍵泥棒のメソッド)
助演女優:梶原ひかり(希望の国)
音楽:田中ユウスケ(鍵泥棒のメソッド)
撮影:芦澤明子(わが母の記)
新人:三吉彩花、能年玲奈(グッモーエビアン!)

次に洋画の部。

監督:アスガー・ファルハディ(別離)
脚本:マイク・リー(家族の庭)
主演男優:ジョージ・クルーニー(ファミリー・ツリー)
主演女優:ヴィオラ・デイヴィス(ヘルプ 心がつなぐストーリー)
助演男優:クリストファー・プラマー(人生はビギナーズ)
助演女優:ジェシカ・チャステイン(ヘルプ 心がつなぐストーリー)
音楽:ジョン・ウィリアムズ(戦火の馬)
撮影:ロジャー・ディーキンス(007/スカイフォール)
新人:シャイリーン・ウッドリー(ファミリー・ツリー)

 例年ならばワーストテンも選ぶところだが、正直言って今回は思い出したくもない映画を俎上にのせるのは遠慮したい(笑)。

 さて、11月に北九州市で開催されたAVフェアでは140インチのスクリーンを使用したシステムがデモされていたが、これは本当に凄いと思った。3D機能搭載なのは当たり前として、(通常、ディスプレイの下にセットされたスピーカーから出る)センターの音像をヴァーチャルで画面の高さにまで持ってくるという技術には舌を巻いたものだ。ここまでくるとミニ・シアターの設備とあまり変わらない。

 昨今のミニ・シアターの斜陽化と家庭用AVシステムのイノベーションとが直接リンクするわけでもないが、映画という娯楽がある意味で非・日常的体験をさせてくれるものである以上、劇場の規模が大きくモノを言うのは間違いないだろう。今後の展開を注視したい。
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最近購入したCD(その25)。

2012-12-30 07:44:18 | 音楽ネタ
 今年(2012年)はクロード・ドビュッシーの生誕150年に当たる。それを記念した新譜がいくつかリリースされたようだが、私が購入したのはピアノ曲の前奏曲集だ。第1巻と第2巻があるが、決して短い曲集ではないのでそれぞれ別のCDに収められているのが普通である。しかしこのピエール=ロラン・エマールによるディスクは1枚に収録されている。演奏時間も80分に達し、その意味でも“お買い得”と言えるだろう(笑)。

 肝心のエマールのパフォーマンスだが、これはかなり上質である。この曲の代表的名盤といえばアルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリの艶っぽい演奏を思い出す向きも多いだろう。またサンソン・フランソワの才気迸るプレイや、ジャック・ルヴィエの透明感あふれる演奏も無視できないが、当ディスクはそれらに匹敵する出来だ。



 タッチは実にナチュラル。余計なケレンは見あたらない。素材を微分的に突き詰めるような冷たさはなく、ストレートアヘッドで、なおかつたおやかな温度感が充満。原曲の旋律美を思う存分堪能できる。オーディオで言えば、B&Wのハイエンド型スピーカーのようだ(何のこっちゃ ^^;)。録音も素晴らしく、これは現時点でこの曲のスタンダードとなるディスクだろう。

 グルジア出身の女流ヴァイオリニスト、リサ・バティアシュヴィリが20世紀の作品を中心に取り上げたアルバム「ECHO OF TIME(邦題:時の谺)」は2011年度のレコード・アカデミー賞(音楽之友社主催)の協奏曲部門を受賞した話題作だ。



 収められている曲は、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番とカンチェリのヴァイオリン弦楽合奏とテープのための「V&V」、アルヴォ・ペルトの鏡の中の鏡、ラフマニノフのヴォカリーズ等だ。ヴォカリーズを除いて一般には馴染みのない曲ばかりだと思うが、いずれもロマンティシズムを前面に出した好演である。

 特に感心したのがショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲で、情感がこもっていて、なおかつクールという微妙な味わいを体感できる。バティアシュヴィリ自身がグルジアの動乱により家族とともにドイツに亡命していることからも、旧ソ連で抑圧される立場にあったショスタコーヴィチと通じるものがあるのかもしれない。共演のエサ=ペッカ・サロネン&バイエルン放響の演奏も素晴らしい。

 ヴォカリーズ等ではエレーヌ・グリモーのピアノの好サポートを受け、まさに天翔るような技巧の確かさを認識することができる。録音も水準を超えており、幅広い層に奨められよう。



 英国の異能ロッカー、フローレンス・ウェルチ率いるフローレンス・アンド・ザ・マシーンの2枚目のアルバム「セレモニアルズ」は、近年聴いたロック系アルバムの中では一番インパクトが高かった。ウェルチは間違いなくケイト・ブッシュやビョークあたりのポジションを継承しているミュージシャンだと思うが、そのサウンドは一度聴いたら忘れられないほど個性的だ。

 いろいろなジャンルのサウンドを取り入れると共に、それを自家薬籠中のものにして重層化し、壮大な音のタペストリーを構築する。ヴォーカルは力強く、エレクトリカルなアレンジは秀逸。曲調はハードではあるが、多分にメロディアスだ。

 とにかく、それぞれのナンバーが一本の大作映画のような密度を獲得しており、リスナーに対して軽く聴き流すことを許さない。アグレッシヴで強靱な内容の歌詞も要チェックだ。NMEアワードも獲得したこのバンド、次回作も楽しみである。
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「007/スカイフォール」

2012-12-29 07:09:12 | 映画の感想(英数)

 (原題:SKYFALL )ダニエル・クレイグが主役を張った前2作よりもずっと面白い。もっとも、クレイグが昔のボンドみたいな軽妙洒脱でスマートな持ち味を発揮し始めたということでは全くなく、彼の愛嬌に欠けるゴツゴツとしたキャラクターはそのままだ。違うのは物語世界の大きさである。

 彼の雰囲気に合わせるように、いくら題材を(前回までのように)テロ組織のマネーロンダリングとか、南米の石油利権をめぐる陰謀とかいうハードなものに振ってみても、逆にリアリティが無くなるばかりだった。考えてみれば当たり前で、国際的な巨悪に個人が真っ向勝負出来るわけもなく、設定に現実味を出せば出すほど、荒唐無稽なスパイ映画という基調と乖離するばかり。ならば思い切って話をミニマムにしてみたのが本作だ。そしてそれは成功している。

 ジェームズ・ボンドはトルコにおいて、悪者に奪われた世界中の諜報部員のリストを取り返すべく、派手な立ち回りを演じる。ところが、上司Mの強行命令による味方からの銃撃によって川へ転落。MI6は彼が死んだと思ったがボンドはしぶとく生き延びる。そんな中、MI6本部にテロが仕掛けられMが窮地に立たされたことを知ったボンドは復帰を決意。犯人である元エージェントのシルヴァと対決する。

 ロケ地こそワールドワイドだが、ストーリーはMとボンド、そしてかつてMの部下だったシルヴァとの確執という、極めて狭い範囲で展開する。Mが冷徹な判断を下したために危うく死にそうになり、しかしそれでも国家への忠誠を忘れないボンドと、本来最もMと近い関係にありながら“目的のためならば手段を選ばない”という彼女の姿勢に反発して敵に回ったシルヴァ。まるで三角関係のヴァリエーションのような構図は、今までこのシリーズが取り上げてきた大風呂敷を広げたような設定とは一線を画すものだ。しかもそれが(前任者達が演じたボンドのような)浮き世離れした役に向いていないクレイグのキャラクターに、実に良くフィットしている。

 そして、そんな等身大のボンドを強調するように、今回初めて彼の“生家”が紹介される。イアン・フレミングの原作によればボンドの父親はスコットランド人ということになっているが、それを裏付けるように、敵役との決着を付ける場所はスコットランドの寒村にある彼の“実家”だ。

 冒頭の列車の上でのチェイス・シーンやロンドンの地下鉄での追っかけ、クライマックスの大銃撃戦など活劇場面は盛り上がるが、それ以上に監督サム・メンデスは登場人物の内面に気を遣っており、映画に奥行きを与えている。そして本作はロジャー・ディーキンスという一流のカメラマンを起用しているためか、映像が清涼で美しい。たぶんヴィジュアル面ではシリーズ随一だろう。

 Mに扮するジュディ・デンチは、実質的には主人公とも言える役柄を得て、その実力を発揮している。悪役のハビエル・バルデム、MI6を統括する政治家を演じるレイフ・ファインズと、脇の面子も重量級だ。今回は物語の都合上ボンド・ガールが活躍する場は少ないが、それでもボンドの同僚を演ずるナオミ・ハリスは魅力的である。

 本作によりこのシリーズとして新しい地平に踏み出したとも言えるが、これからどうなっていくのか興味は尽きない。クレイグ主演でもっと物語世界が削ぎ落とされ、ストイックになるのか。あるいは主役が交代して再び荒唐無稽路線に転じるのか。やはり次回作も観ることになるだろう。
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ortofonの真空管式アンプを試聴した。

2012-12-28 06:43:13 | プア・オーディオへの招待
 ortofon(オルトフォン)の真空管式アンプを試聴することが出来た。同社はデンマークのオーディオメーカーで、特に良く知れられているのがアナログレコード用のカートリッジだ。ステレオ初期から本格的な製品を発表し、名機と呼ばれているものも多い。ちなみにortofonのカートリッジは私も所有している。

 ただし近年は日本法人の「オルトフォンジャパン」が商品展開に大きく関与し、幅広いラインナップを揃えるようになった。今回聴けたアンプはKailas-b4という中堅機種で、定価は約17万円。前に紹介したDENONのPMA-2000REPIONEERのA-70等と競合する価格帯に位置する。



 なお、今回はアナログプレーヤーに接続しての試聴で、独ACOUSTIC SOLID社のハイエンド・プレーヤーが使われていた。カートリッジはもちろんortofon製である。スピーカーはこれもortofonのKalias 5で、価格は10万円台の半ばながら恰幅の良いスタイリングだ。

 出てきた音だが、残念ながらあまり芳しいものではない。音像にあまり存在感は無く、音場も薄い。解像度は高くなく、音の伸びも足りない。しかし、この結果は多分にスピーカーのKalias 5によるところが大きいと思う。Kalias 5は質感を期待するような製品ではなく、押し出し感と屈託の無さが身上のモデルだと個人的には思うからだ。

 本音を言えば、Kalias 5以外の、もっとアキュレートな持ち味のスピーカーに繋いで欲しかった。そうすればKailas-b4の真価も確かめられただろう。



 今回は(今回も? ^^;)あんまり参考にならないリポートなので無理矢理話を変えるが(爆)、この真空管式アンプというのは一見レトロな様式ながら、現在でもしっかりと存在価値をアピールしている。その理由は、ハイファイ性よりも温かみのある音色を特徴付けたサウンドデザインによるものだろう。もちろん、真空管式アンプでもスクエアーな音作りをしている製品もあるが、少なくともKailas-b4等のクラスまでは“いかにも管球式”といったテイストを前面に出しているように思う。

 有り体に言ってしまえば、いわゆる“デジタルっぽい音”に拒否反応を示すリスナーがけっこういて、そういう層が採用する選択肢の一つが管球式アンプということなのだろう。

 オーディオが不況に陥ってから随分と時間が経つが、意外と真空管式アンプが現状を打破するツールの一つになるかもしれない。ソリッドステート型アンプとの音の違いを特徴付けられるし、何より大きな真空管がフィーチャーされた見た目の面白さはインテリアとしての側面も強調できる。

 そういえば最近、TRIODERubyという小型でデザイン性を高めた管球式アンプをリリースしたが、売り方によっては女性のユーザーも取り込めるだろう。こういう商品がもっと世に出て欲しいものだ。
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「最終目的地」

2012-12-27 06:44:17 | 映画の感想(さ行)

 (原題:The City of Your Final Destination)殊更ドラマティックな出来事もなく、展開は“ゆるい”とも感じるが、描かれるドラマは深いという玄妙な映画だ。ピーター・キャメロンの原作を得たジェイムズ・アイヴォリィ監督の、的確な仕事ぶりを久々に堪能できる。

 アメリカの大学院生オマーは、一冊の著作を残しただけで自殺してしまった作家のユルス・グントの伝記を執筆するため、遺族が住む南米ウルグアイに赴き、公認の許可を得ようとする。その屋敷には作家の未亡人、そして愛人とその娘が生活を営み、同一敷地内の別邸には作家の兄とそのゲイのパートナーが住んでいるという、奇妙な構成の面々が顔を揃えていた。

 オマーは歓迎されるわけでも疎まれるわけでもない微妙な空気の中に身を置くことになるが、不慮の事故で負傷してしまった彼を案じて本国から恋人が駆け付けてくるに及び、周囲に波紋が広がってくる。

 邸宅の主であったグントは去ってしまったが、いまだにその影響を受けた人々が彼の抜けた穴の周りで所在なく佇んでいる。そんな閉塞的な状況に外部の者が乗り込んでいって突破口を開くという、ある種図式的な筋書きながら、各登場人物の屈託を掘り下げることにより、見応えのある作品に仕上がっている。

 グントの不在に対して折り合いを付け、それぞれの“最終目的地”に向かっておずおずと歩き出す登場人物達。狂言回し的な存在かと思われたオマーもまた、自らの生き方を振り返り、新しい方向性を獲得するに至るのだ。これがハリウッド等の通俗的なシャシンならば泣かせどころや大仰なエピソードなんぞを挿入してくるところだが、さすがにアイヴォリィ監督の語り口は抑制されている。

 派手な見せ場の代わりに、グントの一族の出自や、それにまつわる宝石類などのモチーフを巧みに配備させる。エキゾティックな南米の風景と、時間が止まったようなグントの屋敷とのコントラストも鮮やかだ。「マルメロの陽光」などで知られる撮影監督ハビエル・アギーレサロベによるカメラワークが光る。

 グントの兄に扮するアンソニー・ホプキンス、グントの妻のローラ・リニー、愛人を演じるシャルロット・ゲンズブール、そして日本からこの地にたどり着いた男として真田広之に役が振られているが、いずれも渋味のある好演だ。大学院生役のオマー・メトワリーも悪くないのだが、周りが“濃い”ので幾分軽量級に見られるのは仕方が無いかもしれない。

 人間、新たな目的地を見出すのに“遅すぎる”ということはないのだろう。惰性に走りがちな日々を送っている者にとっては、含蓄のある作品であると言える。
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「戦慄の絆」

2012-12-26 06:46:46 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Dead Ringers)88年作品。カナダの鬼才デイヴィッド・クローネンバーグ監督の代表作だ。真紅の画面をバックに、さまざまな手術器具(ことに婦人科専用器具)のデッサンやさらには人体解剖図などが配置されたオープニングからヤバさ全開である。

 同監督の「ザ・フライ」みたいな徹底したグロ描写の連続したフリーク映画ではなく、ホラー的クリーチャーも出てこないし、スプラッター的血しぶき場面も皆無である。だが、この映画の不気味さは凡百のホラー映画を完全に上回り、まさに格の違いを見せつけてくれる。

 双子の婦人科医師がいる(ジェレミー・アイアンズ2役)。幼い頃から一心同体で育ちともに名医として知られる兄弟はある日一人の女性(ジュヌビエーヴ・ビュジョルド)と出会う。彼女は彼らの患者だが、次第に彼女にひかれたプレイボーイの弟は彼女と付き合い始める。しかし、それから兄弟二人の関係は危機に瀕するようになり、破局にいたるラストが待ち受ける、というのが粗筋だが、これが単純に“一人の女性と双子の兄弟による三角関係の悲恋ドラマ”にはなっていないところがこの監督らしい。



 もちろん兄弟に同性愛的傾向があるという安易な発想ではない。自分たちはシャム双生児と同じく一つなのだと信じている(それは、妄想に近い)彼らだから、兄と弟が違った行動をとることによって生まれる自我の崩壊が深刻になってくる。

 つまり、たとえば「私」という人間は「あなた」とは違う。外見や育ちがどんなに似ていようと、それはあたりまえのことである。双子だって同じだ。この映画の兄弟は本来別個の人物として認知されるべきであった。しかし、たまたま双子で同じ職場で同じ仕事をしていたばかりにともに破滅への道を歩かざるを得なくなる。これは一種の悲劇だろう。

 弟が先にくだんの女性に手を出したと知った兄はノイローゼになる。ところが弟もドラッグに溺れるようになる。狂った兄は道具屋に奇怪な形の手術器具を作らせる。それは“シャム双生児を分離させる道具”で、ラストのショッキングな場面の重要な小道具になるのだが、人間の妄想の恐ろしさというものを見事に描き出したシーンとして忘れられない印象を残す。

 二人はいずれこうなる運命だったのだろう。その女性の出現は単なるきっかけに過ぎない。さらに彼女は“子宮が三つある内部奇形の患者”として二人の前に登場するという手の込んだ設定になっている。ここまでくるともう脱帽だ。

 一見地味な映画だが、「ザ・フライ」等と同じくらいSFXは手が込んでいる。大部分は主演の双子を演じるジェレミー・アイアンズの合成場面に使われた。まったくこの合成は見事としか言いようがなく、まるで二人の俳優が演じているような錯覚をおぼえてしまう。双子の診療所の異様なたたずまい、無機質な二人のアパートメント、真紅の手術衣、おぞましい手術器具、すべてがこの映画の不安な気分を盛りたてて、氷のような冷たい映像を作り出すことに成功している。

 静かな画面が醸し出す人間心理の恐さ、観た後に次第に毒が回ってくる映画だ。
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「グッモーエビアン!」

2012-12-25 06:47:38 | 映画の感想(か行)

 劇中で登場人物たちがつぶやく“ロックだねぇ”というセリフとは裏腹に、この映画は全然ロックしていない。別に“映画というのは常にロックしなければならない”というわけでもないが(笑)、本作においてはこの“ロックしている”というフレーズが物語のキーになっているだけに、ロックの何たるかが描かれなければ絵空事になってしまう。

 シングルマザーのアキと中学3年生の娘・ハツキは、小さなアパートでの2人暮らしを送っている。ある日、約2年間音信不通だったヤグが突然帰国し、アキとハツキの部屋に転がり込んでくる。ヤグはアキが十代で子供を身籠もったときからずっと側でフォローしていた男で、ハツキにとっては最も身近な大人の男だ。そんな中、ハツキの親友トモが気まずい雰囲気のまま転校することになり、ヤグが一肌脱ぐことになるが・・・・。

 アキとヤグは元パンクバンドのメンバーであったことから“ロックだねぇ”というフレーズが連発されることになるのだが、作劇自体はロックのリズムとは程遠く、モタモタしている。説明的なセリフが必要以上に多く、加えて説明的なシークエンスも目立ち、ストーリーが一向に前に進まない。

 さらに、アキとヤグのキャラクター設定にも問題がある。アキは娘に対する放任主義を公言しているが、いざハツキが自分の意志で進路を決めようとすると、真っ向から反対するのには呆れた。ヤグはハッキリ言って五月蠅いだけの“鬱陶しい野郎”であり、どうしてアキとハツキが当然のごとく受け入れているのか判然としない。

 また、こういう家庭では娘がグレるか、あるいはその兆候を見せてもおかしくないのだが、映画ではハツキが徹頭徹尾マジメに育っていたことを何の疑いもなく提示しており、このあたりもウソ臭い。

 アキ役の麻生久美子とヤグを演じる大泉洋は熱演だが、ストーリーが低調であるため、空回りしているようにしか見えない。肝心のバンドのライヴ場面は終盤にやっと登場するが、これが何の工夫も無く漫然とカメラを回しているような体たらくで、ロックの生々しさや攻撃性はほとんど出ていない。

 音楽の扱い方が上手い日本映画は少ないが、本作も本当にヘタである。それに、名古屋が舞台なので名古屋弁がポンポンと飛び出すのは当然ながら、使い方がわざとらしくてまったく効果が上がっておらず、時にイライラさせられた。この監督(山本透)は三流である。

 なお、ハツキ役の三吉彩花(かなりの長身 ^^;)とトモに扮する能年玲奈はイイ味を出していた。特に能年は独特の柔らかい雰囲気を持つ逸材で、今後の活躍が期待される。
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「たそがれ清兵衛」

2012-12-24 06:50:58 | 映画の感想(た行)
 2002年作品。後に「隠し剣 鬼の爪」(2004年)「武士の一分」(2006年)へと続く、山田洋次監督による時代劇シリーズの第一作にして最良作だ。

 山田監督は時代ものを手掛けてもテーマの扱い方は少しも変わらない。本作では藤沢周平の短編「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助六」の三つを巧みにミックスした脚本を得て、派手な斬り合いも用意された娯楽作に挑んでいるが、映画の焦点は組織や時代の趨勢に押し潰されそうになりながらも、ささやかな幸せを守ろうとする宮仕え侍の姿だ。

 大仰な大義名分や正論ぶったイデオロギーよりも小市民の生活の方が大事である・・・・といった山田監督の姿勢はそれ以前から一貫している。しかし、その反権力的なスタンスは“庶民への共感”という自然な思いを、時として大上段に振りかぶった“糾弾シュプレヒコール”へと容易にスリ替えてしまうのだ。



 「男はつらいよ」以外の作品の多くはその構図にとらわれてしまい、メッセージ性ばかりが前面に出ていて映画としてはあまり評価できなかったのである。ところが、今回はそのへんを実にうまくクリアしている。これはひとえに映画の焦点を主人公の視線から離さなかったためである。

 主人公の清兵衛にとって御家騒動も幕末の動乱も切迫した事態であることには変わりないだろう。しかし、彼は決して弱小藩の使用人である立場を放棄することはない。自ら出来ることは全てやり通し、あとは粛々と運命に従うのみである。その“身の丈にあった”処し方を等身大に描ききることにより、もっとも美しい“市民の在り方”を無理なく観る者の心に刻みつけることに成功している。またそれが、理不尽に市民を翻弄する“時代”の真実をも活写しているのだ。

 主演の真田広之は彼のキャリアの代表格となる仕事ぶり。ヒロイン役の宮沢りえの端麗さも光るが、ここに出てくる市井の人々の佇まいがすべて美しい。そして前衛舞踏家の田中泯が演じる剣豪の凄さは言うまでもない(当時、よくこういう逸材を見つけてきたものだと驚いたことを覚えている)。「息子」以来の山田洋次の秀作であり、彼が時代劇の良き作り手であることをも証明している。
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「みんなで一緒に暮らしたら」

2012-12-23 06:36:17 | 映画の感想(ま行)

 (原題:Et si on vivait tous ensemble?)一人きり、または夫婦だけで老後を迎えるより、気の置けない仲間が集まって共同生活を営んだ方が幸せかもしれないというアイデアに基づいて出来た筋書きだが、当然のことながら事はスンナリと運ばない。いくら気心が知れた友人といっても、しょせんは他人だ。あるいは親しい間柄だからこそ、まったく知らない者を相手にするケースとは別の意味で、越えられない壁を作ってしまうことがあるだろう。

 パリ郊外に住むアルベールとジャンヌ夫妻、ジャンとアニー夫妻、そして独身生活を送るクロードの5人は仲の良い友人同士。しかしある日心臓発作で倒れたクロードが養老院に無理矢理入れられそうになったことから、彼らは一緒に住み始める。

 共同生活の障害になるのがクロードをめぐる三角関係だというのがフランス製コメディらしいが、はっきり言ってこれは手ぬるい。まあ、あまりシビアなネタを提示すると喜劇として成り立たないのは分かるが、もっと普遍性を高めたモチーフを出して欲しかった。たとえばアルベールが患っている(軽度の)認知症にもうちょっとスポットを当ててみると、コメディ性をそれほど損なわないで万人が共感できる映画に仕上がったかもしれない。

 さらに、世話係として雇ったドイツ人の学生ディルクにジャンヌが“老人の性欲”うんぬんを説くあたりはどうでも良い。そのことが後の展開の伏線として十分機能しているとは言い難く、せいぜいが風俗通いに対するエクスキューズとして使われる程度だ。

 しかし、登場人物の一人が退場してしまうと、やはり厳粛な気持ちになる。哀感に満ちたラストは、有り体な言い方になるがやはり“老いの悲しさ”が滲み出て痛切だ。

 ステファン・ロブランの演出は慎重なタッチだが、リズム感を欠いている。余計なシーンを省いてタイトに仕上げて欲しかった・・・・とはいっても、監督になって日が浅いロブランにとって撮ったシーンは容易にカットできなかったのかもしれない。

 久々にフランス映画に出演したジェーン・フォンダはさすがの存在感。ジェラルディン・チャップリンも海千山千ぶりを見せる。昔は冴えたコメディ演技で観客を沸かせたピエール・リシャールがすっかり渋くなっているのも嬉しい。

 食い足りない映画かもしれないが、多彩なキャストのアンサンブルと美しい映像は楽しめる。日本映画でも同じような題材を取り上げたら、けっこう良いものが出来るかもしれない(もちろん、オールスターキャストで)。
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「アラジン」

2012-12-19 06:06:56 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Aladdin )92年のディズニー製アニメーション。結論から先に言うと、この一つ前のディズニー作品である「美女と野獣」に比べて、本作はレベルダウンしている。・・・・ということを書くと、いろいろ批判もあるだろう。第一、同じディズニー作品といっても、こっちはアドベンチャー、前作はラブ・ストーリーだ。監督もアニメーターも違う。比べるのがおかしいのである。

 でも、公開当時は多くの観客は大ヒットした「美女と野獣」に触発されて劇場に足を運んだのは確かだろうし、配給側も“「美女と野獣」をも越えるアニメーションの傑作”てな感じで売ろうとしていた。比べたくなるのも人情である。

 まず、主人公のアラジンとジャスミン姫のキャラクターは、どこにでもいる若者像であり、無難ではあっても面白味に欠ける。悪役の大臣も絵に描いたようなワルでこれも意外性がない。



 コメディ・リリーフを務める脇役はアラジンの飼っているサルと、大臣のオウム、ジャスミンの虎、と3匹もいて面白さが分散される。しかも、魔法の絨毯が人格を持って重要な役割を演じているので、ますます印象が薄くなってしまう。

 舞台が陰影に乏しいアラビアのせいなのか、色彩が前作に比べてイマイチ。宮殿の造形、内部のセットにしても豪華さが不足している。キャラクター・デザインにしても完全に前作の方が上。表情の豊かさが段違いの差だ。

 主題歌をバックに、主役の二人が魔法の絨毯に乗って飛び回るシーンはさすがに美しいが、「美女と野獣」での二人が大広間で主題歌をバックに踊る場面のロマンティックさに比べると見劣りする。全体的に狂騒的なタッチであり、ジェットコースター・ムービーの線を狙っているが、大人の観客を満足させる出来かというと、深みが足りず不満が残る。

 しかし、魔神ジニーのキャラクターは出色! 声の出演はロビン・ウィリアムズで、得意の話芸と百面相(?)をアニメーションのレベルまでパワーアップさせており、観た後は“アラジンって、脇役だったんじゃないかな?”と思ってしまうほど。ジニーを見るだけで入場料のモトが取れるだろう。
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