元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ピータールー マンチェスターの悲劇」

2019-08-31 06:31:13 | 映画の感想(は行)

 (原題:PETERLOO)今まで知らなかった歴史上の事件を紹介してくれたことは、とてもありがたい。しかしながら、映画として面白いかどうかと聞かれると、あまり色好い返事は出来ない。史実をありのままに伝えようと腐心するあまり、ドラマ面での興趣がネグレクトされているような印象だ。しかも上映時間が2時間半というのは、抑揚を欠いた展開を見せつけるには、あまりにも長い。

 1815年に長く続いたナポレオン戦争は終結したが、イングランドは経済状態が悪化。さらに地主や農業資本家の利益を擁護した穀物法の制定が拍車をかける。この社会の窮状は北部において顕著で、選挙権の欠如の問題と結びつき、民衆の間には政治的急進主義が広まってゆく。議会改革を訴えていたマンチェスター愛国連合は、1819年8月16日に有名な急進派の活動家であるヘンリー・ハントを招き、マンチェスターのセント・ピーターズ・フィールドで大規模な集会を決行した。しかし、地元の治安判事たちは軍当局に群衆を蹴散らすことを命じ、武装した騎兵隊が集会に乱入。多数の死傷者が発生する。

 この出来事は本作を観て初めて知った。歴史家ジャクリーヌ・ライディングの協力を得て、綿密にリサーチされた史実の再現は確かに見応えがある。当時の風俗の描写にも抜かりが無い。しかし、映画としての味わいは淡白だ。

 冒頭、ワーテルローの戦いと生き残ったマンチェスター出身の若者ジョセフがクローズアップされるが、以後はジョセフがドラマの中心になることは無い。北部のリベラリスト達や、彼らを押さえつけようとする当局側の者がドラマを引っ張っていくことも無い。集会の主賓はヘンリー・ハントだが、彼のプロフィールが紹介されるわけでもない。

 ならば群像劇・集団劇のスタイルを取っているのかというと、それに見合う骨太なドラマ展開は用意されておらず、映画は平坦に進むだけだ。クライマックスの騒乱場面は迫力があり、ここは監督マイク・リーの実力が発揮されている。だが、この事件後どのような影響が生じたのか、英国史にどういう位置付けが成されているのか、そういうフォローは一切無い。そもそも、この事件が何年に起こったのかも映画の中で示されないのだ。

 映像面で史実を表現したという次元に留まっており、映画としての求心力は弱い。マキシン・ピークにロリー・キニア、デイヴィッド・ムーストといったキャストはいずれも印象に残らず、ゲイリー・ヤーションの音楽は控え目に過ぎる。ただ、ディック・ポープによる撮影は見事だった。
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Nmodeのアンプ、X-PM7MKIIを試聴した。

2019-08-30 06:29:18 | プア・オーディオへの招待

 2008年設立の新興ブランドNmodeが今年(2019年)リリースしたプリメインアンプX-PM7MKIIを聴くことが出来たので、リポートしたい。前作のX-PM7も発売時に試聴したことがあり、かなり良い印象を持ったことを覚えている。あれから約4年が経ち、どのような展開に相成ったのか、聴く前は大いに興味をあった。

 外観と寸法はほとんど変わっていないが、今回新たに前面パネルに数字が表示されるようになった。これはクロック周波数をあらわしており、外部クロックの併用により音質アップが期待できるという、デジタルアンプらしい仕様がフィーチャーされている。また、リモコンが使用可能になったのは大きな進歩だ。リモコン自体はかなり簡易なものだが、無いよりあった方が断然良い。

 繋げたスピーカーはDIATONEのDS-4NB70およびDynaudio社の複数のモデルだ。聴いたソフトはクラシックとポップスおよびジャズで、ほぼオールジャンルをカバー。音量はフル・ヴォリュームに近いレベルまで上げることもあったが、おおむね家庭内で鳴らす程度に留めた。

 実際の音だが、一聴してこれはかなりの優れものだと感じた。とにかく高いレベルでの解像度と情報量が実現している。特に管弦楽曲の再生では、各音像が混濁することはない。それでいて特定周波数帯域での不自然な強調感や、いわゆる(見かけの)ハイファイ度を上げるための音の硬さとは無縁で、聴感上の特性はまさにフラットだ。

 また前作のX-PM7に比べ、出力が17W×2から20W×2(いずれも8Ω)にアップしていることもあり、駆動力は向上しているように思う。これならば低能率のスピーカーでも、音圧不足を感じることは無いだろう。デジタルアンプに付き物のノイズは、かなり抑え込まれている。それから消費電力が小さいこともセールスポイントになると思われる。

 参考のために、他社のプリメインアンプとも聴き比べてみた。具体的にはLUXMANとYAMAHAの製品だ。結果、Nmodeの圧勝である。特にLUXMANはX-PM7MKIIよりも上位の価格帯のモデルだったが、音圧とヴォーカルの温度感こそ先行するものの、分解能や聴感上のレンジの広さに関してはとてもNmode製品には及ばない。

 もちろん、X-PM7MKIIは誰にでも奨められるというわけではない。ヴォリュームと入力切替しかないフロントパネルは、多機能を要求するユーザーには不向きだ。メーターが付いていないとアンプとは認めないというマニアも、お呼びではない(笑)。そして何より、アンプで“音を作っていこう”と思っている者、つまりアンプに独自の“音の着色(個性)”を期待しているオーディオファンにとっては、完全に埒外のモデルだ。

 しかし、アンプに(見た目を含めた)必要以上の存在感を求めないユーザーには、十分に購入候補に成り得る。X-PM7MKIIは見掛けは素っ気ないが、パネルの質感は高い。いくら大きくて重くても、安くはない製品に平気で樹脂製のヴォリュームつまみを採用するような某メーカー等とは一線を画している。

 あと関係ないが、Nmodeをプロデュースしている株式会社リリックは、2014年に創業地の鹿児島県から社長交代に伴い福岡県糟屋郡に本社を移転しているが、同じ福岡県民として、何となく親しみが持てる(笑)。今後とも質の高い商品をリリースして欲しいものだ。
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「天気の子」

2019-08-26 06:31:02 | 映画の感想(た行)
 新海誠監督の前作「君の名は。」(2016年)は、映像は素晴らしいが中身はカラッポの映画であった。だから本作を観るにあたって内容に関しては1ミリの期待も抱かず、ただ瀟洒な画面が流れていればそれでヨシとしよう・・・・というスタンスでスクリーンに対峙したのだ。しかし、その想いが打ち砕かれるまで、開巻からさほど時間はかからなかった。

 東京の裏町のゴミゴミとした風景は、確かによく描き込まれている。だが、それは“実写をそのままアニメーションの画面として置き換えたもの”に過ぎず、映画的な興趣にはまったく結び付かない。たとえば、キャラクターの動きやセリフを一時的に排して、映像そのものに何かを語らせるという工夫は見当たらない。単なる“背景”として機能しているだけだ。ならば“雲の上”の風景などの超自然的な場面はどうかといえば、これが宮崎駿作品の二番煎じとしか思えないような、アイデア不足のモチーフばかりが並ぶ。結局全編を通し、映像面での喚起力はゼロに等しかった。

 ドラマ部分は相変わらず低レベルで、話の辻褄がまるで合っていない。まさに支離滅裂の極みだ。キャラクター設定も薄っぺら。説明的セリフとモノローグばかりが粉飾的に山積している。要するに、作者には脚本を書く能力がもともと欠けているのだろう。

 加えて、声優陣も壊滅的。主人公2人をアテる醍醐虎汰朗と森七菜は、前作の神木隆之介と上白石萌音に比べると、それぞれの俳優としてのキャリアの差が声のクォリティに直結している。小栗旬もパッとせず、倍賞千恵子はやっぱりアニメの吹き替えは不向きだし、本田翼に至っては“声だけ”なのに、やっぱり大根だ。RADWIMPSによるナンバーは、ハッキリ言って耳障り。作者は映画音楽の何たるかも分かっていない。

 しかながら、“商品”としては良く出来ていると思う。この映画を観て“感動”してしまうのは、たぶん基本的に意識高い系の(中高生を中心とした)若年層だろう。彼らは映画として描写不足に終わっている部分に対しても“何か裏の意味があるのではないか”と、勝手に推測してくれるらしい。そして「君の名は。」のキャラクターがどこかに出ているの何のというネタが振りまかれることによって、それを自分の目で確かめるために何度も映画館に足を運んでくれる。

 結果としてリピート率の高い“優良顧客”を囲い込んで、興行成績を盤石にものにするという、とても効果的なマーケティングが展開されている。実際に客の入りはめっぽう良い。これで新海監督も次回作を堂々と撮れるだろう。もっとも、私は観ないけどね。
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「マカロニ」

2019-08-25 06:31:35 | 映画の感想(ま行)
 (原題:Maccheroni)85年作品。観た後に、とても温かい気分に浸れるヒューマンコメディだ。設定は面白いし、キャストも名人芸。そして、人生の後半戦に突入してどのように身の振り方を考えるか、その点でも大いに参考になる。

 仕事でナポリに滞在することになったアメリカの航空機メーカーの副社長ロバートは、実はイタリアに対してあまり良い印象を抱いておらず、しかもヨメさんとは離婚寸前で、鬱屈した日々を送っていた。ある日、アントニオという男が彼を訪ねてくる。アントニオはロバートが40年前に従軍してナポリに赴任していた際、恋仲にあったマリアという娘の兄であった。



 後日、ロバートがアントニオが住む地域に足を運ぶと、何と誰もがロバートのことを知っている。戦後アントニオは妹を慰めるため、ロバートになりすまして彼女に手紙を書き続け、その内容というのが世界を股に掛けて活躍する冒険家としてのロバート像だったのだ。それは近所でも評判になり、ロバートはちょっとした英雄に祭り上げられていた。驚き憤慨するロバートだったが、アントニオの温かい人柄に触れるうちに、この“虚構の話”に乗っかることを決める。

 口八丁手八丁のアントニオに閉口しながらも、一芝居打つことに楽しみを見出してゆくロバートの、内面の変化が過不足無く描かれている。若い頃は一本気で純情だった彼も、初老に差し掛かると世間のしがらみに神経をすり減らし、偏屈なオヤジになり果ててしまった。

 だが、年を重ねても心の中に若さを持ち続けているアントニオと出会うことにより、自分も夢のような“物語の世界”に生きてみたい、と考えるようになる。そして終盤には、ナポリの犯罪組織と対峙して活躍するという、思わぬヒーロー的なはたらきをする場面まである。やはり人間、いくつになっても自身の物語を演じる気概さえあれば、前向きになれるものだ。

 エットーレ・スコラの演出は名人芸で、各エピソードは展開が読めるものばかりながら、語り口の上手さで見せきっている。主演のジャック・レモンとマルチェロ・マストロヤンニのコンビネーションも抜群で、笑いとペーソスを盛り上げることには抜かりがない。ナポリの空に鐘の音が高らかに鳴り響く感動のラストまで、観る者を存分に楽しませてくれる。
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「風をつかまえた少年」

2019-08-24 06:22:37 | 映画の感想(か行)

 (原題:THE BOY WHO HARNESSED THE WIND)題材は興味深く、展開に破綻は無い。キャストは皆好演だし、メッセージ性も万全だ。学校の体育館などで生徒たちに見せるには格好の作品かと思う。しかしながら、手練れの(?)映画ファンとしては物足りない。もっと精緻なドラマツルギーが欲しいところだ。

 2001年、アフリカ大陸南東部に位置する最貧国のひとつであるマラウイを大干ばつが襲う。農村に住む14歳のウィリアムは、飢饉による貧困で学費を滞納し、中学校を退学させられる。それでも勉強熱心な彼は、こっそりと学校の図書館に通い、自学自習に励む。彼はそこで一冊の本に出会う。それは風力発電に関する書物で、村にその設備を作れば、乾いた畑に水を引くことが可能になる。

 早速彼はプロトタイプを作成してラジオを鳴らすことに成功するが、父親はそんなウィリアムの行動を理解しない。干ばつによる被害は大きくなり、村では略奪が発生し、政府に惨状を訴えた族長は暴行に遭い、学校も閉鎖されることになる。風力発電を可能にするには、父親が所有している自転車の部品が必要だ。ウィリアムたちは必死で父親を説得しようとする。実在の人物ウィリアム・カムクワンバを描いたノンフィクション(2010年出版)の映画化だ。

 まず、映画の焦点が主人公の風力発電機の開発ではなく、主にマラウイの苦境の描写に向けられていたことに違和感を覚える。確かに、21世紀に入っても電気も水道も無い不自由な生活を強いられている人々がたくさんいることは問題だ。そして、不穏な政情が国民を苦しめていることも憂慮すべきことだ。

 しかし、それらは映画の核心ではない。題名通り、これは“風をつかまえた少年”の話のはずである。舞台背景ばかりに重きが置かれると、肝心のモチーフが描出不足になる。風力発電のメカニズムとは何か、果たして自転車のダイナモで用が足せるのか、一つの井戸から水を汲み出すことに成功しても、それで解決出来たのか等々、こちらが知りたいことは何も示されない。また、一見リベラルで、実は頑固だという父親のキャラクターがハッキリしていないのも不満だ。

 とはいえ父親役で出演しているキウェテル・イジョフォーは俳優として実績を積んではいるが、監督はこれが初めて。要領を得ない部分があるのは仕方が無いとも言えるし、第一作で取り敢えず手堅くまとめたのは評価すべきかもしれない。ウィリアムを演じるマックスウェル・シンバは健闘しているし、他の出演陣も良い。広大なアフリカの景色と、葬式時に出てくる民族衣装の者達の扱いは目を引いた。
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「ハンバーガー・ヒル」

2019-08-23 06:26:00 | 映画の感想(は行)
 (原題:Hamburger Hill)87年作品。ヴェトナム戦争を扱った映画だが、同年作られた「プラトーン」や「フルメタル・ジャケット」等に比べると地味な印象を受ける。しかしながら、ドラマ的要素を抑えてドキュメンタリー・タッチの方向に振っている分、リアリティはあると思う。無視出来ない作品だ。

 1969年、南ヴェトナムに展開していたアメリカ軍第101空挺師団の第3分隊に、新たな命令が下される。アシャウ渓谷にある丘、通称“937高地”にある北ヴェトナム軍の要塞を掃討せよというのが、その内容だ。隊長のフランツの元に配属されたのは、いずれも二十歳そこそこの若者ばかりだ。



 フランツは何とか彼らに北ヴェトナム兵の強さと恐ろしさを吹き込もうとするが、やがて直面する現実は想像を絶していた。10日間にわたる戦闘により、若いアメリカ兵は次々と命を落としてゆく。多大な犠牲者を出したアパッチ・スノー作戦を描いた作品で、タイトルの意味は、兵士たちが容赦なく“ミンチ状態”にされていく激烈な戦況に由来している。

 この戦争には大義があったはずだが、現場レベルではとうの昔に忘れ去られ、戦闘のための戦闘が日々繰り返されるだけの虚無的な雰囲気が横溢している。フランツの部下は数多いが、いずれもキャラクターはクローズアップされていない。いつもはくだらない冗談を言い合うが、いざ戦地に出ると絶望的な状況に慄然とするという、ステレオタイプの兵士像が提示されるだけだ。

 しかし、この場合はそれで正解だろう。ワン・オブ・ゼムとしての兵隊はその程度の扱いしか受けていない。皆“平等に”辛酸を嘗めるだけだ。終盤、生き残ったことが奇跡であるようなわずかな兵隊たちが目にする“ウェルカム・トゥ・ハンバーガー・ヒル”という立て札が、無常観を醸し出す。

 ジョン・アーヴィンの演出はケレン味は無いものの、堅実な仕事ぶりだ。隊長役のディラン・マクダーモットをはじめ、アンソニー・バリル、マイケル・ドーランといった顔ぶれは決して派手ではないが、役柄に良くマッチしている。若い頃のドン・チードルが出ているのも要チェックだ。音楽はフィリップ・グラスで、さすがのスコアを提供している。
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「トイ・ストーリー4」

2019-08-19 06:29:33 | 映画の感想(た行)
 (原題:TOY STORY 4 )鑑賞後、居たたまれない気持ちになった。この映画の作り手は、一体何を考えてこの人気シリーズのパート4を手掛けたのだろうか。もちろん本作にはテーマ(らしきもの)が用意されているのだが、それ自体は極めて安易でチープであるばかりではなく、パート3までの世界観を丸ごと否定してしまうような暴挙でもある。これは断じて評価するわけにはいかない。

 ウッディやバズ、そして仲間たちが、新しい持ち主ボニーの元に来てから2年が経った。最初はボニーの遊び相手になっていたウッディも、次第におもちゃ箱の隅に追いやられるようになってしまう。ある日、ボニーが幼稚園で“自作”したおもちゃのフォーキーが現れる。



 フォーキーはボニーのお気に入りになるが、家族でキャンピングカーでドライブに行った際に行方をくらます。ボニーのためにフォーキーを探しに行ったウッディは、かつての仲間ボー・ピープと再会。力を合わせてフォーキーを取り戻そうとするが、そこに一度も子供に愛された事の無い人形ギャビー・ギャビーが立ちはだかる。

 すっかりイメチェンして“自立した女(?)”になったボーと顔を合わせたことにより、ウッディは終盤で“ある決断”を下すのだが、それは前作までに積み上げてきた全モチーフをひっくり返してしまうものだ。おもちゃは人間を見守ることしかできない“精霊”のような存在だが、持ち主がおもちゃに愛情を注げば、必ずそれは自分に返ってくるという卓越した設定、つまりはおもちゃと持ち主との関係性こそが本シリーズの核心だったはずだ。

 ところが本作ではおもちゃ達は人間を脇に置いたまま“自律的に”行動し、時には持ち主の家族の邪魔をするため“実力行使”に及ぶ。これはひょっとして“おもちゃにも人権がある!”などということを主張したいのだろうか。言うまでもなく、そんなのはお門違いだ。

 バズはパート1の前半みたいな低レベルの言動しか見せてくれないし、他のレギュラーメンバーもほとんど見せ場が無い。そもそも、舞台がキャンプ場にほとんど限定されているので、前3作のような空間的な広がりが感じられず、息苦しさを覚える。ボニーも周囲に馴染めない“困った子”になったし、父親に至ってはウッディを平気で踏んづける。おもちゃも人間も、共感出来るキャラクターが見当たらないのだ。

 ジョシュ・クーリーの演出は可も無く不可も無し。トム・ハンクスやティム・アレン、そして今回キアヌ・リーヴスまで加わった声の出演陣も特筆出来るものは無し。本国では評価が高く大ヒットしているようだが、この調子でパート5が作られても、私はたぶん観ない。
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「ブラッディ・ミルク」

2019-08-18 06:38:15 | 映画の感想(は行)
 (原題:PETIT PAYSAN)2017年製作のフランス映画だが、日本では劇場未公開。私は福岡市総合図書館にある映像ホール“シネラ”での特集上映にて鑑賞した。正直言って、あまり面白くもおかしくもない映画だ。しかし、主演男優の存在感は最後まで観客を惹き付けるには十分すぎる。その意味では観て損は無い。

 フランス北部の農村で酪農業を営むピエールは35歳ながら、未だ独身。農場と牛を両親から受け継ぎ、牛の世話と搾乳に追われる日々だ。隣国ベルギーでは牛の難病が蔓延し、大量の殺処分が発生していた。やがてその被害はフランスにも及ぶ。ある日ピエールは飼っている一頭の牛が感染していることに気付く。誰にも知られずに“処分”したものの、被害は他の牛にも広がってしまう。獣医である妹や当局側は疑い始めるが、ピエールは後には引けず、隠蔽工作にひた走る。



 物語は一直線で、捻りは無い。疫病の正体や感染経路は、最後まで明かされない。事態は何も変わらず、映画は終盤を迎える。また、この病気には人間も罹患するの何のというモチーフは中途半端に放置されている。

 しかしながら、主人公の造型は興味深い。仕事熱心で人望もあるのだが、この年齢で結婚していない上に親と同居。基本的に牛飼いにしか興味が無い。そんな彼が、疫病によって自身のアイデンティティが浸食されてゆく危機に陥る。必死になって食い止めようとするのだが、好転する兆しは見られない。

 この、蟻地獄のように不幸な状態に陥っていく男をリアルに演じるのは、巷では新時代のフランスの名優と言われるスワン・アルローだ。とはいえ、私は彼のパフォーマンスに接するのは初めてなのだが、確かに優れた資質を持っていると感じる。特にニューロティックな内面の表現には卓越したものがあり、本作でセザール賞の主演男優賞を獲得しているのも十分納得できる。

 ユベール・シャルエルの演出は淡々としているが、決して弛緩していない。上映時間を90分に抑えたのもよろしい。サラ・ジロドーやブーリ・ランネール、イザベル・カンディエといった顔ぶれは地味だが、皆芸達者で安心して観ていられる。
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「マーウェン」

2019-08-17 06:33:18 | 映画の感想(ま行)

 (原題:WELCOME TO MARWEN )ロバート・ゼメキス監督のオタク趣味が全面展開している怪作だ。考えられるだけのプロットの捻りと映像ギミックを駆使しているが、実話をベースにしたヒューマンドラマという基本線を踏み外していないという点が評価出来る。

 イラストレーターだったマーク・ホーガンキャンプは、ある日5人の男達に暴行されて瀕死の重傷を負い、一時期は昏睡状態に陥る。目覚めたときには、彼は自分の名前も覚えていないばかりか、身体の自由さえ効かない状態であった。重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむマークだったが、リハビリを兼ねて始めたのが、フィギュアの撮影だった。自宅に作った空想の世界“マーウェン”では、ホーギー大佐と5人の女性戦士がナチス親衛隊と日々戦いを繰り広げていた。

 マークはその様子を写真に収めて発表するが、それが評判を呼び個展まで開かれることになる。それでも、暴行事件の裁判で証言しようとすると、事件の記憶がフラッシュバックして上手くいかない。そんな中、向かいの家にニコルという赤毛の女が引っ越して来て、マークは一発で気に入ってしまう。ニコルと同じ赤い髪のフィギュアを購入し、“マーウェン”の主要キャラクターとして登場させる始末だ。脳に障害を負った実在のフォトグラファーであるホーガンキャンプを描いたドラマである。

 “マーウェン”で起きる出来事はCGで作成した人形が“演じて”いるのだが、それらは生身の人間と微妙にクロスする。マーク自身であるホーギー大佐は何度も人種差別のメタファーであるナチスを駆逐するのだが、倒した相手はすぐに生き返り、彼は“終わりなき日常”を生きるしかない。その世界観を統括しているのが魔女のデジャ・ソリスで、これがマークが抱えるトラウマが具現化した姿である。

 ドラマは実世界で何とか前に進もうとするマークの姿と、“マーウェン”におけるホーギー大佐とデジャ・ソリスとの戦いを同時進行させる。図式的と言えばそうなのだが、これがけっこう面白い映像を提供することになる。

 “マーウェン”でのバトルはゼメキスの面目躍如で、畳み掛けるような筆致が光る。特に、デロリアン風のタイムマシンが登場するシーンは笑えた。ラストでも問題は全て解決するわけではないが、マークの境遇も落ち着くところに落ち着き、後味は良い。主役のスティーヴ・カレルは好演。レスリー・マンにジャネール・モネイ、ダイアン・クルーガーといった脇の面子も良い仕事をしている。
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「ザ・ドロッパーズ」

2019-08-16 06:33:06 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Fast Break)79年作品。やっぱり、ダメ人間が奮起して大舞台で活躍するというパターンは、いくら見せられても見飽きないものだ。スポーツ映画は「ノースダラス40」や「タッチダウン」のような捻った作品よりも、こういうオーソドックスで前向きな映画の方が一般的には訴求力が高い。

 ニューヨークのレストランに勤務しているデイヴィッドは、バスケットボールが三度の飯より好きなオタク野郎だ。いつか自分の手でチームを率いて一旗揚げたいと思っていて、そのため嫁さんからも愛想を尽かされつつある。何とかコーチの座を得ようと全米の大学に手紙を出していたが、ある日ネヴァダ州のカドワラダー大とかいう名も知らない大学から返事が来た。学長のアルトンは成り行きでこのポストに就いたのだが、安上がりで手っ取り早く学校の名を知らしめるため、バスケット部を立ち上げたいらしい。

 デイヴィッドは何とか訳ありのメンバーを4人集めてネヴァダに向かうが、学校の設備のショボさに愕然とする。それでも素質のありそうな学生をスカウトするが、どいつもこいつも救いようのない落ちこぼればかり。どうにかしてモチベーションを上げたいデイヴィッドは、メンバーの一人で撞球の名人ハスラーと一緒に名門ネヴァダ大学のコーチを罠に掛けて、無理矢理に対抗戦を組ませることに成功。試合に向けて、カドワラダー大チームの奮闘が始まる。

 展開はまさにスポ根ものの王道路線で、しかも演技しているのはほとんどがプロのバスケット選手だ。そして終盤には、この手の映画に付き物のアクロバティックな驚異的プレイもちゃんと用意されている。また、苦肉の策で女子学生を男性に見立てて送り込んだのは良いが、メンバーの一人が彼女に恋心を抱いて“オレはゲイか”と悩んだり、読み書きもできない野郎に何とかして追試をやってもらうことにしたりと、ギャグが映えるネタも挿入されている。

 ジャック・スマイトの演出はケレン味のないスマートなもので、小粒ながらニヤリとさせられる。主演のガブリエル・カプランをはじめハロルド・シルヴェスターやマイケル・ウォーレン、バーナード・キングといった面々はあまり馴染みが無いが、それぞれ味がある。鮮やかな幕切れを含めて、鑑賞後の印象は良好だ。
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