元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

ドン ベントレー「シリア・サンクション」

2024-05-19 06:08:51 | 読書感想文

 原題は“WITHOUT SANCTION”。本国アメリカでの出版は2020年で、日本翻訳版が刊行されたのが2021年だ。題名通り舞台はシリアで、元米陸軍レンジャー部隊の主人公の活躍を追うスパイ・アクションである。文庫本版で約560ページもある長尺ながらスラスラと読めたが、中身はやや大味。とはいえ著者にとってはこれがデビュー作であり、何より現時点でまた緊張の度を増してきた中東情勢をネタにした小説なので、読んで損はしないと思う。

 内戦下のシリアで極秘任務に当たっていたCIAのチームがテロリストの新型化学兵器の攻撃に遭い、多大な被害を受ける。そしてあろうことか、その兵器を開発した科学者が米国に接触してきた。何でも、アメリカ側のエージェントが現地に捕らわれているらしい。事態の収拾のため国防情報局のマット・ドレイクは、シリアに潜入して武装勢力とのバトルを繰り広げる。一方、ホワイトハウスでは大統領選を間近に控え、首席補佐官とCIA長官との鍔迫り合いが展開されていた。

 死と隣り合わせのミッションに過去何度も挑み、そのため心身共に満身創痍になった主人公が、それでも国と名誉のために戦いに挑むという設定は、常道ながら納得出来るものだ。また、マットの妻や親友との関係性もよく練られている。敵は一枚岩ではなく、ISはもちろんロシア軍も主人公たちの前に立ちはだかる。さらに正体不明の“死の商人”みたいなのも登場し、ストーリーは賑々しく進んでゆく。

 また、首都ワシントンでの勢力争いを平行して描いているのも面白く、いかに国際情勢が自由や平和などの御題目ではなく、欲得ずくの思惑で進んでいくのかをあからさまに見せる。何より現職大統領がラテン系だというのが興味深く、この点は現実をリードしていると言って良いだろう。

 だが、マットの任務後の様相こそ具体的に描写はされているが、その他のキャラクターの去就はハッキリしない。おかげで大雑把な印象を受けてしまったが、本書はシリーズ第一作であり、それらは次作以降に語られていくのだろう。

 作者のベントレーは陸軍のヘリコプターのパイロットとして約10年の経験を積み、アフガニスタンにも派遣されて手柄を立てている。退役後はFBI特別捜査官として対外情報収集と防諜に従事し、SWATチームにも加わったことがあるという、かなりの経歴の持ち主だ。こういう人材が小説を書いているのだから、読み応えがあるのは当然か。機会があれば別の作品も目を通してみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラスター・グレイ「哀れなるものたち」

2024-01-28 06:08:05 | 読書感想文

 ヨルゴス・ランティモス監督による映画化作品が公開されているが、劇場に足を運ぶ前に、原作小説に目を通してみた。一読して、これはなかなかの曲者だと感じる。内容もさることながら、よくこの小説を上手い具合に翻訳して日本で出版できたものだと感心するしかない。読む者によっては変化球が効き過ぎて受け付けないのかもしれないが、屹立した個性を獲得していることは誰しも認めるところだろう。

 19世紀後半のスコットランドのグラスゴー。怪異な容貌の医師ゴドウィン・バクスターは、投身自殺した若い人妻ベラを救うため、妊娠中だった彼女の胎児の脳を移植し蘇生させるという神業的手術を成功させる。生まれ変わったベラは知識欲旺盛で、自分の目で世界中を見てみたいという思いに駆られる。そしてあろうことか、いい加減な弁護士のダンカン・ウェダバーンと出奔し、大陸横断の旅に出るのだった。

 この荒唐無稽な話が実はゴドウィンの自伝に載っていた話であり、しかもその自伝も劇中の小説家アラスター・グレイによる“発見”に過ぎないという、何やら最初から怪しげな臭いがプンプンしている。さらには後半に一度エンドマークが出たにも関わらず、その後には事の真相(らしきもの)が延々と語られるという、何が嘘か誠か分からないようなキテレツな様相を呈する。

 まあ、全体的に見ればヒロインの成長物語なのだが、その語り口は徹底してひねくれている。加えて、当初は精神年齢が幼く時間が経つにつれて成熟していくというベラの造型にマッチするように、文体自体も千変万化で読む者を翻弄する。グレイの著作の特徴として自筆のイラストを装幀、挿絵に使用することが挙げられるらしいが、これが徹底してオフビートで果たして小説の内容に合っているのかどうか判然としない。

 また、ベラの“心の叫び”みたいなものがページいっぱいに書き殴られるくだりは目眩がする思いだ。もちろん翻訳本だから“日本語で”書かれているのだが、まさに掟破りの暴挙だろう。文庫本にして500ページ以上ある長編で軽く読み通すには相応しくないシロモノながら、読後の充実感はけっこうある。だが、終盤に延々と続く“脚注”のページは余計だと思った。本文の途中に挿入するなり、別の方法があったと思われる。

 さて、すでに高い評価を得ている映画版の方だが、個人的にランティモス監督の前作「女王陛下のお気に入り」(2018年)は評価しておらず、あまり期待はしていない。とはいえ、賞レースを賑わせてはいるので観てみるつもりである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テッド・チャン「あなたの人生の物語」

2024-01-14 06:03:50 | 読書感想文

 1967年生まれの台湾系アメリカ人SF作家、テッド・チャンが2002年に発表した短編集。本書を読んだ理由は、表題作「あなたの人生の物語」がドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画「メッセージ」(2016年)の原作だと聞いたからだ。この映画は封切り当時に観ていて、感想も拙ブログに書いているのだが、正直あまり評価出来るような内容ではなかった。ただ、捻った設定が少々気になったので、あえて元ネタの小説をチェックした次第。結果、映画化作品とはかなり違うことが分かる。もちろん、クォリティはこの原作の方が上だ。

 テッド・チャンは大学でコンピュータ科学を専攻していたとかで、執筆作も多分に理系らしいロジカルな展開だ。ただし、決して理詰めで融通に欠けるわけではない。サイエンスを突き詰めた先にある神秘性や寓意性、そして宗教観にまで達する深みが、作品に一筋縄ではいかない奥行きを与えている。

 この表題作は宇宙的なスケールの御膳立てを見せながら、いつの間にか文字通り“あなたの人生”に帰着していくプロセスが実に巧みだ。映画版のように、筋立てが突っ込みどころ満載の通俗的シャシンとは次元が違うと思わせた。なお、この短編はシオドア・スタージョン記念賞とネビュラ賞の中長編小説部門を受賞している。

 このアンソロジーには他に8編の作品が収められているが、どれも素材はさまざまながら、平易な論理性の裏に底知れぬ奇想が渦巻いている点は共通している。それだけに、読んでいて引き込まれるものがあるのだ。特に印象的だったのは、古代バビロニアを舞台にした「バビロンの塔」である。前近代的な宇宙観が、実は当時には正当性を得ていたという着想の元、主人公の青年の先の読めないアドベンチャーにもなっているという卓抜な筋書きには唸った。

 「顔の美醜について ドキュメンタリー」は、人間の外観に関する美意識が科学的に解析されるようになった未来を描き、社会風刺満点のコミカルなタッチもあり面白く読ませる。なお、同書に収められた「理解」は映画化が予定されているとかで、これも楽しみだ。この作者はもう一冊「息吹」という短編賞があり(2019年出版)、機会があればこれも目を通してみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長浦京「リボルバー・リリー」

2023-11-24 06:08:03 | 読書感想文

 今年(2023年)公開された行定勲監督&綾瀬はるか主演による映画化作品は観ていないし、そもそも観る気も無かった。事実、評判もあまりよろしくなかったようだが、この原作の方は大藪春彦賞を獲得して評価されていることもあり、取り敢えず読んでみた次第である。感想だが、とにかく長い。長すぎる。何しろ文庫版で642ページもあるのだ。それでも中身が濃ければ文句は無いのだが、これがどうも釈然としない内容。ストーリーを整理してこの半分ぐらいに切り詰めれば、タイトな出来映えになっていたかもしれない。

 大正末期の1924年。関東大震災から1年が経ち、東京の街の復興は順調に進んで以前のような活気を取り戻しつつあった。幣原機関で訓練を受けて16歳からスパイとして任務に従事し、東アジアを中心に50人以上を暗殺した小曽根百合は、その頃は引退して東京の花街で女将をしていた。あるとき、消えた陸軍資金の鍵を握る少年・慎太と出会ったことで、彼女は慎太と共に陸軍の特殊部隊から追われるハメになる。

 アメリカ映画「グロリア」(80年)を思わせる設定だが、緊張感はあの映画にはとても及ばない。危機また危機の連続ながら、似たようなシチュエーションの繰り返しで途中から飽きてくる。主人公たち以外にも数多くのキャラクターが登場するが、意外にもそれらは深く描き込まれておらず、(敵の首魁も含めて)どれも呆気なく退場だ。

 そもそも、こういう題名を付けるからにはヒロインの銃器に対する執着を過剰なほど書き綴っても良いと思うのだが、淡泊で物足りない。ラストは予定調和ながら、カタルシスをを覚えるところまでは行かず。率直に言って、ヒロインの“現役時代”をアクション満載で語った方が盛り上がったと思う。

 また、舞台を大正時代に設定したことで町中で銃撃戦が勃発することの不自然さを払拭出来たのは良いとして、その時代の空気感の描出は不十分。単にレトロな大道具・小道具を並べただけのように思う。とはいえ、作者の長浦京にとってはこれが二作目で(発表は2016年)、これ以降もコンスタントに作品を発表しており、今は高い実力を身に付けている可能性は大いにある。機会があれば最近の作品も読んでみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」

2023-09-17 06:51:16 | 読書感想文

 カウンターカルチャーにも大きな影響を与え、ボブ・ディランも絶賛したという、ビート・ジェネレーションの誕生を告げた名著と言われる一冊。執筆されたのは1951年で、出版されたのは1957年。日本では「路上」のタイトルで1959年にリリースされているが、2007年からは「オン・ザ・ロード」の題名で新訳本が発売されている。

 1948年のニューヨーク。離婚して落ち込んでいた作家のサル・パラダイスは、やたらテンションが高い友人のディーン・モリアーティに誘われて、西海岸までの気ままな旅に出かける。この長い行程の旅は劇中で4回おこなわれ、2人は道中でいろんな経験をして、さまざまな人間と出会う。主人公はケルアックの分身で、ディーンは彼の悪友だったニール・キャサディ、他の登場人物も作家仲間のアレン・ギンズバーグやウィリアム・バロウズをはじめ、大部分が実在の人物をモデルにしているらしい。

 とにかく、かなり読みにくい本であるのは確かだ。まず、段落で分けられている箇所が極端に少なく、文章が切れ目なく延々と続いていくのには閉口した。加えて、海外文学の翻訳本(特に文庫本)には付き物の、登場人物の紹介欄が無い。だから、キャラクターの数はやたら多いにも関わらず、誰が誰だか分からない。エピソードは文字通り行き当たりばったりで、ストーリー性は希薄だ。

 しかし、あてのない旅に興ずるサルとディーンの姿には、戦後すぐの虚脱感が横溢したアメリカの風景が投影されていると思う。何か目標があって歩みを進めるわけでもなく、さすらうこと自体が目的化している寄る辺ない人間模様が垣間見える。本書は5つのパートに分かれているが、勝手に書き飛ばしているような1部から3部までは正直退屈だった。

 しかしメキシコまで足を延ばす4部と、主人公たちの“その後”に言及されている5部は面白い。長い放浪の果てにも、いつかは自分自身と世の中に向き合わなければならない局面がやってくるのだ。そこにどう折り合いを付けるか、それが人生を決定する。ケルアックは生前は“ヒッピーの父”などと呼ばれていたらしいが、実は保守派で反共主義者、ベトナム戦争にも反対していなかったというのは興味深い。

 なお、本編は2012年に映画化されている。ただし、アメリカ映画ではなくブラジルとフランスの合作であったためか、あまり目立たず私は見逃している。ただ監督が「セントラル・ステーション」(98年)などのウォルター・サレスでカンヌ国際映画祭にも出品されており、けっこう見応えはあると想像する。いつか観てみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘンリック・イプセン「野鴨」

2023-05-19 06:15:57 | 読書感想文

 ノルウェーの劇作家イプセンの作品は若い頃に「人形の家」を読んだだけだが、今回久々に手に取ってみたのが本書。1884年刊行の本作は、悲喜劇のジャンルで最初の現代の傑作と見なされているらしいが、実際目を通してみると実に含蓄の深い内容で感心した。主人公たちの思慮の浅さには呆れるしかないが、それは傍観者である読み手の立場だから言えること。このような図式は現代においても変わらず存在している。

 豪商のヴェルレは阿漕な遣り口で財を築き、亡き妻に代わってセルビー夫人との再婚を控えていた。息子のグレーゲルスはそんな俗物の父を嫌い、家を出て写真館を営む友人のヤルマールの家に身を寄せる。ヤルマールは父と妻ギーナ、そして13歳になる娘ヘドウィックの4人暮らし。貧しいけれど彼らはそれなりに幸せな日々を送っていたのだが、グレーゲルスはそんな有様を“欺瞞だ!”と決めつける。

 グレーゲルスは結婚前にヴェルレの屋敷で働いていたギーナの“過去”を暴いたのを皮切りに、家族の本当の姿すなわち“現実”を曝け出すことこそが理想であると主張。そんなグレーゲルスの思想に簡単に感化されてしまったヤルマールは暴走を始め、やがて当のグレーゲルスの手に負えないほどの事態に発展する。

 昔、某漫画家がリベラルな左傾の人々を揶揄して“純粋まっすぐ正義君”と呼んだことがある。今は左系統の者たちよりも、右傾のトンデモ言説にハマってそこから一歩も抜け出せない“ネトウヨ”と言われる連中の方が多くなったような雰囲気だが、右だろうが左だろうが手前勝手な“世界の正義”を振り回すばかりではロクなことにはならない。

 厄介なことに、この“純粋まっすぐ正義君”のスタンスは“伝染”するらしく、特にヤルマールのように凡夫でありながら自意識ばかり強い人間は容易にハマってしまう。世間を騒がせているカルトの存在も、それと無関係ではないだろう。“純粋まっすぐ正義君”の陥穽に引っ掛からないためには、確固とした現実主義と“公”の意識が不可欠なのだが、あいにくそれらを会得するには精進が必要。だが“純粋まっすぐ正義君”にとってはイデオロギーにかぶれること自体が精進だと勘違いして、そこから前に進まない。

 ヤルマールの家は野鴨をはじめ動物を多数飼っているが、それらに対する態度が誤った主義主張のメタファーになっているあたりが玄妙だ。この「野鴨」は現在に至るまで舞台劇は継続的に上演されているが、映画は戦前にドイツで作られただけだという(サイレント作品)。題材は決して古くは無いので、現時点でも映像化は価値があると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辻村深月「傲慢と善良」

2023-01-22 06:07:11 | 読書感想文

 直木賞作家の肩書きを持つ辻村深月の作品は今まで何冊か読んでいるが、いずれもピンと来なかった。とにかくキャラクターの掘り下げも題材の精査も浅く、表面的でライトな印象しか受けない。とはいえ、私がチェックしたのは初期の作品ばかり。最近は少しはテイストが違っているのかと思い、手にしたのが2019年に上梓された本書。だが、残念ながら作者に対する認識は大きく変わることはなかった。

 東京で小さな会社を営む西澤架は、30歳代後半になって本格的に始めた婚活が実を結び、坂庭真実との挙式を半年後に控えていた。だが、ある日彼女は忽然として姿を消す。かねてよりストーカーの存在を疑っていた真実の態度を思い出した架は、彼女の故郷である群馬県まで足を伸ばし、真実の過去の交際相手たちと面会する。

 小説は二部構成で、前半は架の視点から、後半は真実を主人公にして進められる。第一部はまだ興味深く読める。失踪した婚約者の行方を追う中で、架は彼女の意外な経歴と人間的側面を知ることになる。地元でどういう職に就いていたのか、家族との関係はどうだったのか、なぜ上京したのか等、今まで彼が関知しなかった事柄が次々と判明する。また、当の架も婚活に踏み切った動機が幾分不純であったことが示される。

 まあ、ここまでは語り口は少し下世話ながらミステリーとしての興趣は醸し出され、けっこうスリリングだ。しかし、第二部になるとヴォルテージがダウン。真実の立場やメンタリティというのは“この程度”なのかと落胆するしかなかった。とにかく、愚痴めいた言い訳の連続で、ひょっとしてこれが女性の本音として一種の普遍性を保持しているのかもしれないが、読んでいて面白いものではない。もっとエンタテインメントとして昇華するような工夫が欲しかった。

 そんな調子で気勢が上がらないままページが続き、やがて脱力するようなラストが待っている。主人公2人以外に共感できる者がいればまだ救われたが、どいつもこいつも愉快ならざる面子ばかり。真実の母親や過去のお見合い相手、架の女友達など、よくもまあ付き合いきれない人間ばかり集めたものだと呆れてしまう。

 もっとも“類は友を呼ぶ”という諺があるように、考えの浅い人間の周りにはそれなりのレベルの者しか寄ってこない傾向にあるというのも本当のことだろう。しかし、欠点だらけの者と傑出した人間との邂逅も実際は有り得るし、それを面白く描くのも小説の在り方だ。あられも無い本心ばかり垂れ流すだけでは、物語の体を成さない。とにかく、辻村の作品とは距離を置いた方が良さそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今村昌弘「屍人荘の殺人」

2022-10-21 06:19:08 | 読書感想文

 久々に肩の凝らない娯楽編でも読みたいと思い、手に取ったのが本書。何でも、第27回鮎川哲也賞をはじめ『このミステリーがすごい!2018年版』や週刊文春『2017年ミステリーベスト10』における一位、第18回本格ミステリ大賞など、数々のアワードを獲得した話題作らしい。だから幾ばくかの期待を持って接したのは間違いない。しかし実際読んでみたら、賞レースを勝ち抜いた作品が必ずしも面白いとは限らないという、普遍的真実(?)を再確認するだけに終わってしまった。

 大学のミステリ愛好会の葉村譲と会長の明智恭介は、何かと訳ありの映画研究会の夏合宿に無理矢理に参加するため、同校の“探偵少女”こと剣崎比留子と共に長野県にある湖畔のペンション“紫湛荘”に押しかけた。ところが合宿一日目の夜に一行が肝試しに出かけた際、まさかのゾンビの大群が襲ってくる。どうやら近隣で開催されていたロックフェスティバルで、ゾンビウイルスのパンデミックが発生したらしい。何とかペンションまで逃げ帰った彼らを待ち受けていたのは、これまたまさかの連続殺人事件だった。葉村たちはゾンビの襲撃を防ぎながら、究極的な密室殺人の謎に挑む。

 スプラッターホラーと本格ミステリーとの二本立てという仕掛けは珍しいし、主要登場人物が前半早々に退場してしまうのも意表を突いている。ただし、面白いと思ったのはその2点のみだ。あとは何とも気勢の上がらない展開が続く。有り体に言えば、これは推理小説ではなくライトノベルに近い。

 ゾンビ出現の顛末には一応目をつぶるとしても、犯人像には無理がありすぎる。もちろん動機は存在するが、それがこれだけの惨劇を生み出した背景だと言われても、到底納得できない。そもそも、ゾンビ襲来という超イレギュラーな事態を犯人が予想できるはずもなく、もしもこのトラブルが無かったらどうやってを自分が疑われずに目的を達成するつもりだったのか全く分からない。

 また、肝心のトリックは手が込んではいるが、真に読む者を驚かせるような仕掛けは無い。人物描写も十分ではなく、譲と比留子との掛け合いはまるでラブコメだし、やたらゾンビに詳しいオタク系部員を除けば、どのキャラクターも軽量級だ。とはいえ作者の今村はこれがデビュー作ということで、今後スキルがアップする可能性はゼロではないだろう。そのあたりは留意したい。

 なお、2019年に木村ひさし監督によって映画化されている。だが、そんなに話題にならなかったところを見ると、出来の方もイマイチだった公算が大きい。わざわざチェックする必要も無いようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加藤陽子「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」

2022-09-23 06:48:18 | 読書感想文
 筆者の加藤は、2020年に日本学術会議の新会員候補に推薦されたが、他の5名の候補と共に当時の菅義偉総理によって任命を拒否されたことで知られる。本書を読むと、その理由が分かるような気がするのだ。これは何も彼女が研究者として資質が劣っているというわけではなく、ハッキリ言えば安倍長期政権から菅政権にわたって綿々と受け継がれた、反知性主義のトレンドに与していなかったからだろう。

 圧倒的不利な条件を多くの者が認識していながら、どうして我が国は先の大戦に身を投じてしまったのか。加藤は日清戦争を巡る情勢からその背景を考察していく。特筆すべきは、このレクチャーが中高生を対象に5日間にわたって実施された集中講義の議事録を元にしていることだ(初版は2009年。文庫化は2016年)。十代の者を相手にしているので、難しい専門用語やインテリぶった凝った言い回しは一切出てこない。それでいて、講義内容にはまったく手を抜いていない。



 近代日本が、いかに道を誤って第二次大戦の敗北という破局に行き着いたのか、俗に言う小賢しい“後講釈”を廃して当時の政府が置かれた立場を勘案して突き詰めてゆく。人間というのはいつの時代にも、いくら確実な情報が提示されていても、ひとつのフェーズや部分的なセンテンスだけに拘泥して“自分の都合の良いように”解釈してしまうものなのだ。その誤謬が積み重なれば、最終的には良くない方向へ突き進んでしまう。

 加藤のスタンスは、90年代後半から台頭した“自由主義史観(≒新皇国史観)”とは趣を異にしており、そしてそれから波及したと思われる浅はかな右傾トレンド、そしてそのシンボルと思われた安倍政権及びその後継勢力には一線を画している。また当然のことながら、古色蒼然とした左傾思想とも袂を分かつ。イデオロギー的にニュートラルなのだ。

 第9回小林秀雄賞を受賞したほどの内容で、幅広い層に奨められる書物なのだが、この本だけ読んで日本の近現代史が分かったような気分になるのも、また禁物である。戦前の日本が国際情勢を都合の良いように解釈した、その判断基準についてはあまり言及されていない。また、(資料があまり残されていないという事情もあるが)その頃の国民意識の分析も万全とは言えない。しかしながら、それらに関してもさらに知りたいという気にさせてくれるのも確か。その意味でも価値のある書物である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐藤正午「月の満ち欠け」

2022-07-01 06:13:20 | 読書感想文

 第157回直木賞(2017年)受賞作だが、有名アワードを獲得した作品が必ずしも優れているとは限らない。とはいえ作者は実績のある佐藤正午なので、そんなに下手な小説ではないだろうと思って手に取ってみたのだが、その予想は見事に外れた。これはつまらない。すべてにおいて微温的で、何も読み手に迫ってくるものが無い。正直、読んで損した気分だ。

 大手ゼネコン社員の正木竜之介の妻である瑠璃は、近頃の夫の無軌道ぶりに愛想をつかし、レンタルビデオ店でバイトをする大学生の三角哲彦と浮気してしまう。ある時、瑠璃は夫の会社の先輩が“ちょっと死んでみる”というライトな遺書を残して自ら命を絶ったことを知る。彼女はこの一件を通じて“ちょっと死んで”みたら別人に生まれ変わり、改めて哲彦の前に現れることが出来ると勝手に合点してしまう。その一週間後、瑠璃は地下鉄に飛び込んで自殺。哲彦はショックを受けると共に、いつか瑠璃とまた会えるという根拠のない予感がするのだった。

 ファンタジー系作品のジャンルの一つである“生まれ変わり”をネタにしているが、この構図が成立するためには、当事者側に“生まれ変わりを希求する切迫した動機”があることが必須である。しかし、本作にはそんなものは無い。確かに瑠璃の思い込みは強かったと思われるが、それはあくまで彼女の勝手な妄想だ。

 ならばその妄想が無限に膨らんで取り返しの付かない事態に発展するという、ホラー仕立てにすれば何とか体裁を整えられたかもしれない。だが、この小説にはそういう思い切った外連味は見当たらない。ヒロインは何となく死んで、何となく生まれ変わったり、何となく他の者に憑依したり、そんなことを何となく繰り返す。彼女と関わる男たちは、これまた何となく困惑してみせるだけで、激しい葛藤も深い苦悩も無しだ。

 このような弛緩したやり取りが続いて、物語は何となく終わる。当然のことながら、魅力がある登場人物なんて、一人も出てこない。しかるに読後感も漠然としたもので、時間と手間を無駄にした空しさだけが残る。なお、今年(2022年)廣木隆一監督による実写映画化作品が封切られるが、私は観る気はない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする