元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

果たして、女系天皇でいいのか?

2005-11-30 18:49:35 | 時事ネタ
 皇室ネタ、もうちょっと続けます。前回(11/23)書き込んでからいろいろと考えたのだが、あの胡散臭い「皇室典範に関する有識者会議の概要報告書」通りに典範が書き改められたとして、そもそも「女性皇族と結婚して自らも皇族になる男」とはどういうプロフィールを持つ人物になるのだろうか。

 皇族には名誉はあるが自由はない。確かに食いっぱぐれはないが(笑)、自分の考えを公にすること自体が制限される(第一、参政権もないし)。そういう地位に、今まで自分が積み上げてきた社会的キャリアを投げ出してでも成りたがる男っていったい・・・・。

 まず考えられるのは貧乏な野郎だ。あるいは、たとえ親が金持ちでもグータラで定職があるのかどうかも分からない奴。そう、あの杉村太蔵みたいな男だ。彼ならば「皇室ってカネ持ってるんだって、ラッキー」とか言って皇族に成りたがるだろう。でも、実際はそういう奴は政治家にはなれても「品格」が必要とされる皇族には縁遠い。または成り上がりのIT長者みたいなのが“カネは儲けた。次は名誉だ”ってな具合に女性皇族に近づくのだろうか。でも、実際結婚してしまうと大好きな金儲けが出来なくなる。浮気でもしようものなら国賊扱いだ。

 ひょっとして「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーの中に、将来自分の一族から“皇族”を輩出させようと画策している者がいるのかもしれない。だが、いくら自分がそう思っていても、実際に結婚させられる自分の孫や曾孫の立場ならば“勝手に親族が決めてんじゃねーよ!”と憤慨するのが当然。“現代の平清盛”を気取ろうとしても、上手くいくはずもない。

 だいたい、今の皇太子夫妻を見てみればいい。御両人が結婚にこぎつけるまでどれでけの紆余曲折があったことか。男性である皇太子が民間から女性をめとるのにあれだけ苦労しているのだ。いくら“食いっぱぐれのない、名誉のある地位だ”といっても、皇太子妃候補になるような女性は世間から一目置かれるようなキャリアを積んでいるのは当然で、それを放棄するだけでも大変だ。ましてや将来、女性皇族と結婚するため自由な身分とキャリアを捨て去ってでも名誉に生きる“男性”が現れる可能性は極小だとは言えないか。

 “このままでは皇位消滅である。だから女系天皇にしよう”という「皇室典範に関する有識者会議」の主張は“天皇制の維持”の観点からは一見もっともらしいように思えるが、実際問題として女系になった方が皇位継承は危うくなるとも言えるのだ。こんないい加減な意見をゴリ押しする「有識者会議」は、裏に別の意図があると思われても仕方がないね。
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「ボーン・スプレマシー」

2005-11-30 07:02:32 | 映画の感想(は行)
 マット・デイモン主演のアクション映画「ボーン・アイデンティティー」の続編。期待していなかったが、楽しめた。少なくとも前作より面白い。

 これは監督ポール・グリーングラスの手柄だ。実にキビキビとしたドラマ運びで、無駄なシーンを極力抑えている。手持ちカメラの使用など、ディテールを活かしたリアル感あふれるアクションも魅力的。格闘シーンの段取りの上手さはもとより、ターゲットに接近したり街中を逃げ回ったりするシークエンスでの主人公の“徹底した理詰めの行動”が実に効果的である。“たぶん本物のスパイもこういう思考形態を取るのだろうな”と観客が納得してしまうのだ。

 そして最大の見所であるカーチェイス場面。アクション映画の原点に戻ったかのような即物的な撮り方(特に、カッティングの鋭さ)で迫力満点。やっぱり活劇はこうでなくてはいけない。

 ストーリーも哀切極まりなく、デイモンの好演もあって“スパイ稼業の理不尽さ”を存分に観客に印象付ける。ヨーロッパ・ロケによるクールな雰囲気も捨てがたい。なお、本作はロバート・ラドラム原作小説3部作の第2作にあたり、次回が完結編となる。この調子で頑張って欲しいものだ。
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“造反県連”への締め付け

2005-11-30 06:58:33 | 時事ネタ
 新聞によれば、自民党本部の自民党地方組織への締め付けが強くなっているという。特に先の選挙で「造反議員」を支援した県連への「攻撃」は激しいとか。岐阜県連に対しては役員の離党、佐賀や大分など5つの県連には会長の辞任を迫っている。言うことを聞かない場合は党規委員会による処分が待っているらしい。

 まあ、先の選挙が自民党サイドで「郵政民営化」というワンポイントの政策を掲げていた以上、それに反対した県連がオトシマエを付けられるのは仕方がない。

 だが、しょせんは国民生活に直結しておらず単なるスローガンに過ぎない「郵政民営化」に造反したの何だのという理由だけで地方組織をねじ伏せていいものか。しかも都道府県議選挙の公認まで党本部で行う案すらあるとか。そうなると地方の声を封じ込めることにはならないか。自由な議論が出来なくなりはしないか。党執行部および小泉総裁の地盤は首都圏だ。だから第一義的に彼らは都市部しか見ていない。でも、中央では合理的な政策に見えても、地方ではまったくそうではないケースだって多々あるはずだ。


 党本部としては「小さな政府」「官から民へ」というスタンスで挙党態勢を作り上げるつもりだろうが、そういう「上から下まで単一のイデオロギーで染め上げる」ことは危険ではないだろうか。与党が「異論を許さぬ、硬直的な組織」になってしまっては、国民のためにならないのは言うまでもない。
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「着信アリ2」

2005-11-30 06:54:51 | 映画の感想(た行)
 前作もさほど面白いとは思わなかったが、少なくとも三池監督らしいエゲツない描写にニヤつくことは出来た。しかしこの続編は徹頭徹尾ダメである。

 そもそも脚本が壊滅的にヒドい。「死の予告電話」の何たるかを語らず、話の辻褄が合わないまま舞台はなぜか台湾に移るが、話の範囲が広がっても中身はカラッポだ。終盤の廃坑を舞台にした「追跡劇」なんて段取りが悪すぎて泣けてきた。

 塚本連平とかいうテレビ屋出身の演出家の腕は最低で、セリフごとにキャラクターの画像を切り替える凡庸なカット割りをはじめ、状況説明を登場人物のモノローグ(爆)で処理したりと、素人丸出しである。ラストなんて、映画作りを途中で放り出したとしか思えない醜態だ。

 当然、ホラー場面はそれらしい工夫もなく全然怖くない。主演のミムラと吉沢悠はほとんど魅力なし。ルポライター役の瀬戸朝香に至っては、一人で「大映ドラマ」の世界に入り込んでいる(笑)。

 何やら三作目の製作にも色気を見せるような終わり方だが、もっと企画を煮詰めないと、次作は大コケすること間違いなしだ。
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「Ray/レイ」

2005-11-29 06:53:28 | 映画の感想(英数)
 レイ・チャールズの半生を要領よくまとめた作品だが、感銘度は低い。

 幼い頃に父が家庭を捨て、貧困の中で母と暮らし、そんな逆境をバネにして世に出たはずが、妻以外に多くの女を作り、挙げ句の果てはドラッグに溺れる。要するにロクデナシの父親と同じことをしているわけで、違いと言えば“ビッグになってカネが出来、好き勝手に振る舞えた”という状況だけ。そのジレンマと葛藤を映画は深く突っ込まない。

 監督にテイラー・ハックフォードという“面白味のない人材”を起用したことも大きいが、作品自体が“レイ・チャールズの追悼イベント映画”みたいな性格で製作されているフシがあるのは愉快になれない。

 子供時代の親子関係が後の人生に大きく影響を与えたというのなら、晩年近くの主人公が幼い頃を回想する形式にした方がはるかにドラマを感動的に仕立て上げることが出来ただろう。

 それにしても、我々がよく知っているレイ・チャールズのヒット曲の数々が、彼がヘロインにどっぷり漬かっていた頃に生み出されたものが多いことは、改めてミュージシャンとドラッグの関係性を考えさせられる。

 使われている楽曲及び演奏シーンは文句なし。美術も良い。主演のジェイミー・フォックスは熱演だが、モノマネに終わっているという意見も出るかもしれない。
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福岡古楽音楽祭

2005-11-29 06:50:37 | 音楽ネタ
 ちょいと古い話ですが、9月に行われた第7回福岡古楽音楽祭のコンサートに行ってきましたので、リポートします。私が行ったのは9月24日の「バルトルド・クイケン/フルートリサイタル」(於:あいれふホール)。演奏メンバーはバルトルド&ヴィーラントのクイケン兄弟のほか有田正広(フルート)、寺神戸亮(ヴァイオリン)ほか。

 さすが世界有数のバロックフルート(フラウト・トラヴェルソ)奏者のB・クイケン。凄いテクニックだ・・・・と感心はしたものの・・・・ねっ、眠い。何なんだこの眠たさは(爆)。コンサートが中盤にさしかかると、隣の席も前の席も居眠り状態ではないか(笑)。やっぱり原因は曲目だろうな。第一曲目のヘンデルはまあいいとして、S・L・ヴァイスだのF・ドゥヴィエンヌだの、一般には馴染みが余り無い作曲家の、これまたマイナーな曲目ばかりが並ぶ。まあ、いくらマイナーな曲でも、アピールできるものであればいいのだが、どう聴いても乗れないナンバーばっかりだ。

 音楽祭の意図がどうか知らないが、もうちょっとポピュラーな線を狙っても良かったのではないかな。とはいえ、会場は満員。ポピュラーな曲目を並べて観客動員数を増やし、もうちょっと広いホールでやるという方法もあるが、あまりデカい小屋だと古楽器のコンサートには適さないだろうし、難しいところだ。

 ラストでやっと知っている曲(J・S・バッハの「音楽の捧げもの」)が演奏され、ようやく目が覚めたという感じだった。あー、やっぱりバッハは良いなぁー(^^;)。
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サテンの夜(Nights In White Satin)

2005-11-29 06:47:47 | 音楽ネタ
 映画「ステルス」の中で、いきなりムーディー・ブルースの名曲「サテンの夜(原題:Nights In White Satin)」が流れてきたのにはびっくりした。演奏しているのはグレン・ヒューズとレッチリのチャド・スミス、ジョン・フルシアンテらしい。

 実を言えば、この原曲は相当好きですね。60年代の曲なので、私が十代に初めて聴いた頃にはすでにナツメロだったわけだ。あの大仰なアレンジと意味のないスケールのデカさ。そしてほとんど意味の分からない歌詞。いやぁ、最高です(爆)。

 彼らのアルバム「童夢」ってのを昔持っていましたね。何より徹底して「うしろ向き」の歌詞が印象的。時代を感じさせました。

 また、「ステルス」のサントラにはインキュバスが3曲も提供しているとのことで、ちょっとCDが欲しくなってきた私です(映画は“お笑い”だったけどね ^^;)。
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「理由」

2005-11-28 06:58:31 | 映画の感想(ら行)
 直木賞の受賞対象になった原作は宮部みゆきの作品群の中でそれほど出来の良い小説ではない。題材を一歩引いて見るルポ形式を採用したためか、散漫な印象を受ける。少なくとも「火車」や「スナーク狩り」などと比べると読後の満足感は小さい。

 しかし大林宣彦はそんな原作を“そのまま”映像化するという暴挙に出た。結果、それが紙一重で成功してしまうのだから、映画は分からない。

 大林は原作のまとまりのなさを逆手に取り、似非ドキュメンタリーなる“虚構”をデッチあげることによって、強引にドラマを骨太のフィクションの世界に引きずり込む。「北京的西瓜」で試みたような、仕組まれた“自然な演技”が逆方向の人為的作劇を喚起し、しかもそれが“自然的な”エクステリアを身にまとっている以上、最初からフィクションとして製作する通常の方法よりも、リアリティとの双方向性を数倍も確保している。

 こういう芸当は大林しかできない。他の作家がやっても失敗するだけだ。しかも、100人以上もの著名キャストが監督を信用しきってスッピンのままカメラの前に出ているのだから、この“偽ドキュメンタリー”はいっそう手が込んでいる。

 主題を字幕として表示したり、やり過ぎの感があるラストや、デジカム撮影による不明瞭な画面(特に、空の描写)など、いくつかの欠点はあるが、それらを“小さな傷”だと思わせるほどの野心作である。

 出演者陣では勝野洋や村田雄浩、岸部一徳、柄本明、南田洋子などが印象に残った。新人の寺島咲も良いし、宮崎将と宮崎あおいが、ちゃんと兄妹役で出演しているのも嬉しい。必見。
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「ハウルの動く城」

2005-11-27 18:58:55 | 映画の感想(は行)
 宮崎駿監督作品としては最低の部類である。何より脚本が壊滅的だ。

 魔女に呪いをかけられ90歳の老婆にされてしまう18歳のヒロインが、自分の運命に大して悲観するでもなく“あっという間に”その境遇を受け入れてしまうという噴飯ものの設定をはじめ、加害者に対する確執も描かれないばかりか、どうやったら魔法が解けるのかも不明。だいたい、場面ごとに何の脈絡も前提条件もなく、ヒロインの見た目が20代から90代にランダムに移行していく様子も意図が分からない。

 対するハウルも全くキャラクターの練り上げが出来ていないし、そもそも彼が戦っている相手とその理由も全然説明されていない。彼とカルシファーとの関係についても明示されていない。

 いったい何を描こうとしているのか、どういう方向で観客を楽しませようとしているのか、皆目分からない。まったくもって、作者の独りよがり。

 映像面も特筆されるべき箇所は皆無。少なくとも同じ年に公開された大友克洋の「スチームボーイ」に完全に負けている。そしてトドメは声優。木村拓哉がヒドいってことは当初から予想していたが、倍賞千恵子の仕事はまさに惨状と言うしかない。 時間をかけてこの程度のものしか作れないのなら、もう宮崎駿は引退した方がよいだろう。

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 ・・・・なんてことを某掲示板に書いたのがほぼ一年前。「その通りだっ!」というレスもあったけど、「宮崎作品をケナすのは許せない」とか「画面がキレイだからそれでいいじゃん。文句付けるなコラ!」とかいう香ばしい反響がいくつか返ってきたことを思い出す(爆)。

 まあ、どんな感想を持とうと個人の自由ではあるのだが、ただひとつ「誰が何と言おうと傑作である。宮崎監督作品イコール傑作である。だいたいこれはファンタジー映画なんだから、ストーリーなんてどうでもいいのだ。オマエみたいにあれこれケチをつけるのは禁物だぞ!」というレスには正直参った。それって、ファンタジー映画そのものをバカにしているセリフじゃないか。「あなた、アニメ以外の映画観たこと無いだろゴラァ!」と言い返したくなった私である(実際は言い返していません。念のため ^^;)。
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「フォッグ・オブ・ウォー/マクナマラ元米国防長官の告白」

2005-11-27 16:58:04 | 映画の感想(は行)

 2003年度アカデミー長編ドキュメンタリー賞に輝いたエロール・モリス監督作品。ケネディ・ジョンソン両政権の国防長官を歴任し、後に世界銀行総裁へと上り詰めたロバート・S・マクナマラへのインタビューを中心に、20世紀の戦争史を振り返る。

 これを観ると「華氏911」なんてのが“子供の遊び”に思えてくる。特定のイデオロギーに基づいてニュースフィルムを編集し、あまり笑えない寸劇を織り交ぜただけのマイケル・ムーア作品と、現代史の当事者本人を引っ張り出した本作との差は明白だ。

 東京大空襲における戦略やキューバ危機の内幕など、歴史好きを唸らせるネタもさることながら、戦争の関係者たちが誰一人として本心では交戦を望んでいなかった事実に愕然とする。小林正樹監督の「東京裁判」でもそういうアプローチは成されていたが、こういう“戦争に至るトレンド”は世界共通のものであることに改めて感じ入らざるを得ない。

 我々が享受している“平和”は、国際関係の微妙なバランスの上にかろうじて成立しているに過ぎないのだ。“人は善をなさんとして悪をなす”というマクナマラのセリフはずっしり重い。

 ベトナム戦争敗北の責任の一部は彼にあることは明らかだが、現時点での御為ごかしの弁明など何もならないことを、当時の国防長官だったマクナマラは一番よく知っている。老人は諦観してあの頃を回顧するしかないのだ。まさに“戦争は霧の中にある”。

 固定カメラは彼の表情をくまなく捉え、どんな逃げ道も与えない。時折挿入される当時のアーカイブ映像が絶妙の映像のリズムとなり、観る者をぐいぐいと引き込んでゆく。フィリップ・グラスの音楽も抜群の効果だ。
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