元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「キャラバン」

2012-02-28 07:03:11 | 映画の感想(か行)
 (原題:Caravan )99年作品。舞台はチベットに近い北ネパールのドルポ地方。厳しい自然の中で暮らす住人たちは、冬場は食料を調達するためヤクの群れと共にキャラバン隊を組み、山岳地帯を分け入って別の村まで行かなくてはならない。困難な道程に加え、その年には村の長老と住民との確執も発生。彼らは切迫した状況に追い込まれる。

 フランスの監督エリック・ヴァリがプロの俳優を使わずに撮り上げた、ドキュメンタリー・タッチの力作。米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされるなど、世界的に高い評価を得た。

 これは良い映画だ。ネパールの山岳地帯に住む人々の冒険談ながら、実に普遍性の高いテーマを内包している。新旧世代の対立や家族の絆、共同体における伝統(社会的リファレンス)の意味、自然の美しさと厳しさ、そして運命の不思議とそれを乗り越えて成長してゆくことの崇高さetc.これらをすべて手際よく一本のロードムービーに収斂させ、しかも骨太で奥行きの深い作劇に高めていった作者の手腕に感心させられる。

 クルーゾーの「恐怖の報酬」を思い出させるような断崖絶壁での行軍のシーンなど、見せ場にも事欠かない。そして何より登場人物全員が実にイイ顔をしている。シネマスコープの画面一杯に広がる雄大なヒマラヤの風景。とにかく“ビデオで見てはいけない映画”の代表作であろう。
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「キング・アーサー」

2012-02-26 08:21:25 | 映画の感想(か行)

 (原題:King Arthur )2004年作品。5世紀のイギリスを舞台に、伝説の英雄アーサー王と“円卓の騎士たち”の活躍を描く。アーサー王は実在した人物かどうかは不明だが、同じく彼を主人公として扱ったジョン・ブアマンの「エクスカリバー」(81年)とは違い、作者側でひとつの“史実”を考案していることが目新しい。

 しかも、アーサーはローマからブリテン島に派遣されてきた“現場監督”に過ぎず、円卓の騎士達も東方騎馬民族出身の外国人だという設定は、ソマリアやボスニアなどの辺境の地で“蛮族”と戦った現代の多国籍軍を思い起こさせる構図だ。

 製作者のジェリー・ブラッカイマーは非現実的な“伝説”には興味がないらしく、戦場のリアリズムの創造に徹している。そして、凶暴な敵役がアングロサクソン人であることも、製作意図をいくらでも裏読みできる点で興味深い。

 黒澤明に心酔しているという監督のアントワン・フークアは主人公達をまるで「七人の侍」のように扱う。活劇シーンは同じ年に製作されてCGに頼りっぱなしだった「トロイ」(ウォルフガング・ペーターゼン監督)と違って迫力満点だ。特に凍った湖面での死闘は段取りが上手くて感心した。

 アーサー王役のクライブ・オーウェンをはじめ男優陣は地味だが、リアリティ重視の作劇ではそれも納得できるし、何よりその分ヒロイン役のキーラ・ナイトレイが男どもを蹴散らす大活躍を見せてくれるので、まるで気にならない(改めてナイトレイは“時代劇の似合う女優”であることを確認できる)。ハンス・ジマーの音楽も快調だ。

 以下蛇足だが、私がアーサー王伝説の存在を知ったのは、元イエスのキーボード奏者リック・ウェイクマンのソロアルバム「アーサー王と円卓の騎士たち」による(発売は75年)。いわゆるコンセプト・アルバムの形式を持つ重厚長大な作りで、こういう音楽作りが認められたのも、プログレッシブ・ロック全盛だった時代性のためであろう。
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「TIME タイム」

2012-02-25 07:16:48 | 映画の感想(英数)

 (原題:In Time )つまらない映画だ。物語の設定だけは何やら面白そうだが、それが成立する前提条件が十分に語られていないばかりか、各モチーフも掘り下げ不足。加えて、芸のないストーリー展開が観る者を脱力させる。結局は何のために作ったのか分からない映画に成り果てており、観る価値はあまりない。

 近未来、科学の進歩により人類は老化を克服し、全ての人間の成長は25歳でストップ、以降の余命は腕に表示される体内時計が示す時間によって設定されるようになる。そこでは余命が通貨代わりになり、富める者は半永久的な寿命を享受する一方、貧乏人は早々にくたばってしまうという残酷な世界だ。

 貧民街に住む青年ウィルは、ある男から長大な時間を譲り受けたことから犯罪の容疑者として手配されてしまう。彼は真実を暴くために上層階級が住むエリアに侵入。そこで現状に不満を持っている大富豪の娘シルビアと出会い、行動を共にするようになる。

 まず、この“余命のデータをやり取りする方法”というのが噴飯物だ。腕と腕とを絡めれば簡単にデータが行き来する。これではセキュリティも何もあったものではない。こんな状況では(富裕層エリアはともかく)下流ゾーンは完全な無法地帯に成り果てていてもおかしくないが、取りあえずは(縮小レベルながら)均衡を保っているのだから話にならない。

 シルビアがウィルと意気投合するプロセスは説得力がなく、彼女の父が関与するシステムの仕掛けも説明不足。アンドリュー・ニコルの演出はキレもコクもなく、主人公達を追いかける当局側(タイムキーパー)やギャングといった連中を配していながら、スリルを盛り上げる活劇的な仕掛けもない。だいたい、いつ体内時計がゼロになるかといったサスペンスをいくらでも盛り込めるのに、何の工夫もなく敵役が次々と退場してしまうのには脱力してしまう。

 おそらく作者は本作の設定を通して、富が一部の層に集中してしまった現代アメリカ社会を批判しているのだと思うが、語り口がヘタ過ぎるために風刺にも何にもなっていない。また予算不足のためか画面に奥行きが無く、所々に安っぽい部分が見えるのも愉快になれない。ついでに言えば、25歳を過ぎたような風体の者が散見されるのにもタメ息が出る(爆)。

 ジャスティン・ティンバーレイクは可もなく不可もなし。一曲でも歌ってくれたらポイントが増えたかもしれない(笑)。ヒロイン役のアマンダ・セイフライド(正式な発音はサイフリッドらしい)は頑張っていたが、あのメイクと髪型は彼女に合っていない。とにかく気勢の上がらない活劇編であり、良かったのはコリーン・エイトウッドによる衣装デザインぐらいだ。
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「LOVERS」

2012-02-21 06:32:16 | 映画の感想(英数)

 (原題:十面埋伏)2004年作品。快作として名高い「HERO」(2003年)に続く張藝謀監督による武侠活劇巨編の第二弾だが、前作より大幅に落ちる出来だ。

 脚本が練られていないのが致命的で、9世紀中頃の中国を舞台にした反政府組織と官憲側とのバトルという大規模な設定が、ラスト近くには主人公三人の痴話ゲンカにまでスケールダウンしてしまう筋書きをはじめ、個々の描写にも突っ込みどころが満載。とにかく、観ていて盛り下がるばかりだ。

 公開当時に各評論家が指摘していたとおり、組織のボスを演じるはずだったアニタ・ムイの急逝が大きいと思われる。シナリオのリライトが間に合わず、彼女の存在感によってクローズアップされるべき反政府側の大義や影響力がスッポリ抜け落ちたまま作劇を強行したおかげで、ストーリー自体が釈然としないものなったのだろう。低予算の香港製アクション劇ならともかく、行き当たりばったりで撮れるような作品の“格”ではないはずだ。

 金城武、チャン・ツィイー、アンディ・ラウらの演技も精彩を欠き、アクション・シーンはCGの使い方が低調でキレもコクもない。カメラマンが交替したせいか、前作のような観客の目を奪う映像美にも乏しく、見せ場が序盤のヒロインの舞踏シーンだけというのは寂しい限りである。
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「天国から来たチャンピオン」

2012-02-19 06:31:14 | 映画の感想(た行)
 (原題:Heaven Can Wait )78年作品。後に緩いドラマ(?)を連発するエレイン・メイが脚本に参加しているせいかキレ味やタイト感は不足していると思う向きもあるだろうが、これはこれでよく出来たファンタジー編である。41年製作の「幽霊紐育を歩く」(監督アレクサンダー・ホール)のリメイクで、主演はウォーレン・ベイティ。監督はバック・ヘンリーとベイティ自身が担当している。

 NFLの花形選手だったジョー・ペンドルトンが、スーパーボウルの前日に交通事故で死んでしまう。しかし、天国の“台帳”によれば彼はまだ50年もの寿命が残っており、この事故は新米天使のミスだったことが分かる。ただちに地上に戻ろうとするジョーだが、すでに彼の遺体は火葬されていた。仕方なくジョーは、妻とその情夫に殺されるはずだった大富豪レオの肉体に“間借り”することになる。



 死んだはずの人間が何かの拍子で地上に戻るという設定のドラマは数多く作られているが、本作は必要以上にシリアス路線は取らず、かといって軽佻浮薄なお笑いにも走らないという、良い意味での中庸をキープしている。

 演出には無理がなく、スマートで洒脱な印象も受ける。途中はラブコメ的な展開をも見せるが、それも悪くないアクセントになっている。ラストの処理は御都合主義かもしれないが、作品の性格上許される範囲だと思う。

 ベイティは好演。ヒロイン役のジュリー・クリスティーも魅力的だ。ジェームズ・メイソンやジャック・ウォーデンのベテラン勢も良い。特筆すべきはウィリアム・A・フレイカーの撮影による透き通るような色遣いと、とデイヴ・グルーシンのジャジーな音楽で、作品に格調の高さを与えていた。なお、2001年に監督 クリス・ワイツとポール・ワイツの手によって再びリメイク版が作られているが、かなり評判が悪い(私は未見)。何でもその映画では主人公はスポーツ選手ではなくコメディアンになっているそうで、それだけでも面白くなさそうだ(笑)。
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「ドラゴン・タトゥーの女」

2012-02-18 06:43:16 | 映画の感想(た行)

 (原題:THE GIRL WITH THE DRAGON TATTOO )世間の評判は良いらしいが、正直言って私は出来が悪いと思う。何より話自体が大して面白くない。加えて作劇がヘタである。原作はベストセラーの大長編だが(私は未読)、約2時間半の上映時間に収める必要があるためか、どうも脚色が上手くいっていない印象を受ける。

 ストックホルムの出版社がリリースする月刊誌「ミレニアム」で大物実業家のスキャンダルをスッパ抜いたものの、逆に名誉毀損で訴えられ結果敗訴に追い込まれたジャーナリストのミカエル。そんな彼に某財閥の元会長から新たな仕事がオファーされる。それは、40年前に起きた富豪一族の娘ハリエット失踪事件の真相を解明してくれとの内容だった。ミカエルは凄腕の女ハッカーであるリスベットと共に調査に乗り出すが、やがて当事者達が想像もしなかった事実が明らかになる。

 そもそも令嬢失踪事件と主人公が抱える訴訟案件という2つの題材を、互いに大きな連携性もないまま並べていること自体が噴飯物である。しかも途中で一方が解決したら、順番待ちのようにもう一方を漫然と進行させるような芸のなさを見せつける。

 さらに言えば、この失踪ネタそのものがほとんど目新しさがない。二流のホラー・サスペンスと同程度の中身しかなく、そこに至る謎解きのプロセスも凡庸だ。訴訟ネタについても別に深みのある内容ではない。有り体に言えば、どうでもいい話である。

 ならば批評家筋から絶賛されているリスベットの造形はどうかといえば、これもあまり感心しない。演じているルーニー・マーラは確かに頑張っているが、マーラ自身が典型的な“良いところのお嬢さん”であるためか、表情や振る舞いのあちこちに“育ちの良さ”とか“品の良さ”みたいなものが滲み出ており、ダーク・ヒロインとしての凄みがスポイルされている。ここは別の女優を持ってくるべきだった。

 ミカエル役のダニエル・クレイグは好演だが、本来の(?)007シリーズの主役とは縁遠くなってしまうようなキャラクター設定だ。これで無事にジェームズ・ボンドを演じられるのかと心配になってくる(笑)。

 それにしても、ほとんどの登場人物がスウェーデン人であるはずなのに、演じているのがイギリス人やアメリカ人で、当然のことながら全員英語をしゃべっているのには違和感がある。舞台をカナダやアラスカ、あるいはイギリス北部等に移し替えれば簡単に解決するのに、どうして実行しないのだろうか。デイヴィッド・フィンチャーの演出は、今回は精彩を欠いており、どうにもテンポが悪い。終盤の扱いなんか、ほとんど腰砕けだ。

 結局この映画の一番の見所は、冒頭のタイトルバックであろう。ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーがアレンジを担当したレッド・ツェッペリンの「移民の歌」(ヴォーカルはヤー・ヤー・ヤーズのカレン・O)をバックに、黒いドロドロとした液体と女体とがエロティックにうごめく。これが実に禍々しくてカッコいい。フィンチャー作品のタイトルとしては「セブン」と並ぶインパクトの高さだ。あえて言えば、この冒頭部分だけを観て劇場を後にしても、さほど後悔しないシャシンだと思う。
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アナログレコードの優秀録音盤(その2)。

2012-02-17 06:28:48 | 音楽ネタ
 保有しているアナログレコードの中で録音が優秀なものを紹介する。今回はなんと、アイドル歌謡三題(笑)。まずは松田聖子のアルバム「風立ちぬ」で、81年にリリースされている。なお、このディスクは通常のLP盤よりも重量が大きい“MASTER SOUND”シリーズの一枚で、オーディオファン向けに発売された限定盤だ。

 知っての通り、松田聖子は当時CBSソニーが大々的に売り出していたシンガーで、レコード作りにも惜しみない予算が投入されていた。録音面でも十分に練り上げられており、その頃はクラシック音楽のレコーディングに使われ始めていたデジタル録音をいち早く取り入れるなど、その先見性にはオーディオマニアも注目したものだ。



 本作はアナログ録音だが、楽曲のクォリティで言えば間違いなく彼女の代表作だ。特筆すべきはA面に収録された「冬の妖精」から「風立ちぬ」までの5曲を、大瀧詠一が作曲とサウンドプロデュース・編曲を担当していることである。大瀧はこのアルバムが発売される7か月前に「A LONG VACATION」(通称ロンバケ)という大ヒット作を生み出しているが、この「風立ちぬ」のA面はロンバケと対になることを意図したと自身が語っていたように、実に気合いの入った逸品に仕上がっている。録音もロンバケとは比べものにならないほどレベルが高い。

 5つのナンバーがまるで組曲を形成するように配置され、アレンジも精緻を極めている。特に4曲目の「いちご畑でつかまえて」のラスト部分がフェードアウトすると思わせて、再びフェードインしラストの「風立ちぬ」になだれ込んでいく様子など、そのアイデアには舌を巻くばかりだ。財津和夫や鈴木茂、杉真理らが担当したB面も悪くないのだが、やはりこのアルバムのハイライトはA面に尽きると言っていい。

 次に挙げるのが小泉今日子の「ヤマトナデシコ七変化」の12インチシングル。84年のリリースである。通常のシングル盤と同じく45回転でありながらLPサイズの形態を取っていた12インチシングル盤は、長いヴァージョンを収めるために当時は多くの種類がジャンルを問わず市場に出回っていたが、私の知る限り、邦楽で本作を超えるインパクトを持つディスクにはお目に掛かったことがない。



 作詞が康珍化で作曲が筒美京平という盤石のスタッフによる本ナンバーは、言うまでもなくその頃の大ヒット曲である。この12インチシングルは通常版のほぼ2倍の演奏時間で、途中で“語り”が入ったり、中国語による合いの手が挿入されたり、ヘヴィメタル風のギターリフも大々的にフィーチャーされるという、まさにやりたい放題の怪作に仕上がっている。

 そして録音だが、すこぶる優秀だ。冒頭の打ち込み系の強奏を聴いた途端、その音像の鮮明さと情報量の大きさが強く印象付けられる。三次元的に広がる音場と、ピンポイントで定位するヴォーカル、そのコンビネーションは絶妙。特に底が見えないかのような中低域の深々とした展開は、リスナーを驚愕せしめるだろう。なおB面には「艶姿ナミダ娘」のロングバージョンが収められているのだが、圧倒的なA面に比べると印象が薄いのは仕方がない。

 最後に紹介するのが、今は演歌歌手として活躍している長山洋子がアイドルだった頃に出したシングル盤。桑田佳祐の作詞・作曲による「シャボン」というナンバーだ(発売は84年の8月)。もっとも、これは桑田が彼女のために書き下ろした曲ではなく、サザンオールスターズのナンバーのカバーである。



 オリジナルはサザンの「人気者で行こう」というアルバムに収録されており、このディスクの中で一番メロディアスな楽曲である。ヴォーカルも桑田ではなく原由子が担当しており、柔らかい雰囲気を醸し出していた。この長山のヴァージョンはさらにウェットな歌謡曲的アレンジが施されており、それだけ端麗なメロディが前面に出ていると言える。

 長山は元々歌唱力があり、聴いていて安心感がある。録音はかなりの高水準。特に高音の伸びは素晴らしい。全編に渡って取り入れられたストリングスが効果的で、しかもその音像は氷のようにクリアだ。広い音場に長山の艶やかなヴォーカルが展開する様子は、清涼な音色も相まってリスニングルームの空気まで浄化されるような印象を受ける。

 今回挙げたディスクはいずれも80年代の作品だが、この頃の歌謡曲の録音水準は世界レベルだった。ちょうど音楽メディアの主流がアナログ盤からCDに移行し始めていたこともあり、ソースの音質が大きくクローズアップされていた時期でもある(オーディオが一種のブームだったことも見逃せない)。そのため、各レコード会社は音楽ソフトの高品質化に積極的に取り組んでいたようだ。レコード店でもアナログ盤とCDとが同時に置かれており、ユーザー側の選択肢も大きかった。今から考えると実に良い時代だったと思う。

 対して、現在の邦楽の主流であるJ-POPの録音は劣悪だ。再生機器の簡便化に呼応するかのように楽曲レベルと音質は低下するばかりで、ネットからのダウンロードに至っては最初から情報量を間引いた圧縮音源がまかり通っている。音楽文化の一端を担うはずの流行歌が、まさに“安かろう悪かろう”といった完全に使い捨ての消耗品に成り果てているのだ。今こそ歌謡曲の方法論の復活が望まれよう。
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「ムーラン・ルージュ」

2012-02-16 06:55:24 | 映画の感想(ま行)
 (原題:MOULIN ROUGE)2001年作品。19世紀末のパリを舞台に、ナイトクラブ「ムーラン・ルージュ」の高級娼婦と若い作家との悲恋を描くミュージカル編。ユアン・マクレガーとニコール・キッドマンという有名どころが主演で、実際に吹き替え無しで歌わせた点も話題になった。

 冒頭からいかにもバズ・ラーマン監督らしいケレンとハッタリの洪水。映像ギミックを使いまくって“これでもか、これでもか”という具合に攻めてくる。ただし、10分ほどで飽きてしまう。これで2時間を超える上映時間は辛い。

 陳腐すぎるストーリーと平板な演技はミュージカル映画の常套だが、もはやハリウッドにおいてミュージカルという様式が安っぽい物語を余裕で支えていた古き良き時代は遥か彼方に過ぎ去ってしまった。作者はそのことに対するオマージュをパロディのつもりで描きたかったのかもしれないが、結果として昔のMGMミュージカルがいかに素晴らしかったかを再確認しただけである。

 既成曲の寄せ集めに過ぎない音楽も願い下げだし、こういうのを観るヒマがあれば「雨に唄えば」や「巴里のアメリカ人」をビデオで見ていた方がずっとマシである。
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これからはブログの更新が不定期になります。

2012-02-12 11:06:46 | その他
 当ブログが発足して6年以上になりますが、今までは“原則として毎日更新。都合により休む場合は、ブログ上に周知した後、一週間単位での休止”というスタンスを取ってたところです。しかし、今年(2012年)から個人的な事情により新作映画を追いかけることが難しくなりました。加えて、福岡地区ではミニシアターの閉館が相次ぎ、観たい映画が最近激減したという背景もあります。

 よって、今後はブログの更新を不定期にします。もちろん長期間ブログを放置したりはしませんが(笑)、これまでのように必ず連日更新するというパターンからは離れます。

 当然のことながら、映画館で観る本数は少なくなるとはいえ、鑑賞出来た際にはレビューをアップします。また、旧作の感想文や映画以外のネタに関しては機会があれば書き込みます。

 それでは、これからもよろしくお願いいたします。->ALL
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「J・エドガー」

2012-02-11 06:39:46 | 映画の感想(英数)

 (原題:J.EDGAR )いかにもイーストウッド監督らしい“生ぬるい”出来だが、大して腹も立たずにエンドロールを迎えられるのは、取り上げられた題材が実に興味深いからだ。

 FBI初代長官のジョン・エドガー・フーバーは謎の多い人物だった。近代的な科学捜査の確立やデータベースの構築に邁進する一方で、政府要人に対しては盗聴などの阿漕な手段を使って秘密を掌握。政治の“黒幕”として約50年もの間権力を保ち続けた男だ。しかも私生活では結婚もせず、同性愛やマザコンの噂もあった。こんなにも面白いモチーフを採用した時点で、観客を引きつけるポイントを獲得したも同然だろう。

 もっとも、その描き方は多分に隔靴掻痒という感じで要領を得ない。映画は70代になった主人公が回顧録の執筆に取りかかるところから始まり、若くして後にFBIとなる組織の長に就任した20代の頃からの回想シーン、そしてアメリカ社会を揺るがした数々の事件とそれらに対応するフーバーの姿を、時系列をランダムにして描く。

 この手法は素材に対して冷徹に切り込んだ印象を観る者に与えるが、主人公の内面に肉迫しているかというと、そうではない。見終わっても、フーバーがどういう人間であったのか判然としない。ただ部下との“熱い”関係や母親との親密性などが“記号”として並べられるだけで、それらの深い背景や葛藤などは描かれない。単なるポーズだけだ。

 逆に言えば、正面からフーバーの人物像に対峙出来ないため、時制をバラバラにしてお茶を濁したとも結論付けられる。ラスト近くに回顧録の内容と現実との齟齬が指摘される一種の“オチ”があるのだが、それを効果的にするような前段の仕掛けが弱いため、勿体ぶって明かされても“それで?”と言うしかない。それでも、禁酒法時代のギャングとの戦いや、リンドバーグの愛児誘拐事件、赤狩り、公民権運動などが次々に紹介されると、歴史物としての風格が出てくるから不思議なものだ。

 加えて、キャストの力演がある。レオナルド・ディカプリオは渾身のパフォーマンスだ。青年期から晩年まで、この怪人物を精一杯演じきる。たぶん彼の大きなキャリアとなるだろう。フーバーの“愛人”に扮するアーミー・ハマーも素晴らしい。胸の内に秘めた切ない想いを最後まで貫く“純情”演技には感心するしかない。母親役のジュディ・デンチもさすがの海千山千ぶりだし、秘書を演じるナオミ・ワッツも腹に一物ありそうな雰囲気を上手く醸し出していた。トム・スターンのカメラによる彩度を落とした渋み溢れる映像や、デボラ・ホッパーによる衣装デザインも良い。

 たぶんイーストウッドは場違いな“正義”を振り回して権力維持活動から逃れられなくなった主人公を、かつての「許されざる者」で弾劾したジーン・ハックマン扮する保安官に重ね合わせているのだろう。もっともそれは作者の頭の中で完結しているだけで、映画として説得力を持つに至っていない(まあ、いつものことだ ^^;)。それでも、フーバーという人物がアメリカの現代史の中で暗躍していたという事実を知るだけでも、観る価値はあるかもしれない。
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