元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

2019-09-30 06:25:08 | 映画の感想(わ行)

 (原題:ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD )終盤のバイオレンスシーンこそ盛り上がるが、それ以外は何とも要領を得ない、平板な展開に終始。しかも上映時間が2時間41分。無駄なシークエンスも多く、題材にあまり興味の無い観客は、早々にマジメに鑑賞するのを諦めてしまうだろう。

 1969年のハリウッド。テレビの連続西部劇の主役で人気を得たものの、その後は悪役ばかりのリック・ダルトンは、将来に不安を抱き酒に溺れる毎日だった。そんな彼を、親友でありスタントマンのクリフ・ブースが支え続ける。リックの家の隣に越してきたのが、売り出し中の映画監督ロマン・ポランスキーと、その妻で若手女優のシャロン・テートだ。前途洋々に見える2人に対し、リックはジェラシーを覚える。

 だが、脇役として出た映画でのパフォーマンスが認められ、リックはマカロニ・ウエスタンの主演者として半年間イタリアで暮らすことになる。一方、ハリウッドにはヒッピー達も入り込むようになり、中でもチャールズ・マンソン率いる“ファミリー”は不穏な動きを見せていた。

 69年当時はリックみたいな境遇の俳優は少なくなかったと思われるが、それは今でも同じこと。役者稼業には“保証された確実な将来”なんてものは無い。クリフの立場はちょっと興味深いが、よく見るとリックとの関係性は十分描かれてはいない。この、あまり思ったほどキャラが立っていない2人が遭遇する出来事は、監督および脚本を担当したクエンティン・タランティーノにとっては思い入れがあるのかもしれないが、普遍性には欠ける。加えて、ドラマ運びが冗長かつメリハリが無い。盛り上がることもなく、時間ばかりが過ぎていくという感じだ。

 そして最も疑問に思ったのは、アメリカン・ニュー・シネマに対する言及がほとんど無いこと。69年には「イージー・ライダー」および「明日に向って撃て!」「真夜中のカーボーイ」が作られ、「俺たちに明日はない」や「卒業」は前年までに公開済だった。タラン氏はこういった作品群には興味が無いのかもしれないが、映画ファンとしては不満が残る。

 シャロン・テート事件に関するラスト近くの扱いはアッと驚く展開で、暴力描写も冴え渡っているが、ここに至る過程が退屈な小ネタの連続では、いい加減面倒くさくなる。

 主演のレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットは、まあ“いつも通り”で、特筆するようなものはない。アル・パチーノやブルース・ダーン、カート・ラッセルといった面子も単なる“顔見せ”だ。しかし、シャロン役のマーゴット・ロビーは良かった。たぶん実際にシャロンはこういう人だったのだろうという、説得力がある。マンソンの一味に扮するマーガレット・クアリーとダコタ・ファニングも良い味を出している。

 そして一番のハイライト(?)は、撮影所でリックを励ましていた子役の女優を演じたジュリア・バターズだ。現時点でまだ10歳だが、ノーブルな容貌と達者な立ち振る舞いに驚くばかり。子供の頃のD・ファニングよりもインパクトが大きい(笑)。
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「タッカー」

2019-09-29 06:31:15 | 映画の感想(た行)
 (原題:Tucker)88年作品。正攻法で撮られた、堂々たる偉人伝。80年代以降のフランシス・フォード・コッポラの監督作品では、一番納得のいく出来であろう。題材自体も実に興味深く、鑑賞後の満足度は高い。

 1945年。第二次大戦が終わり、アメリカが新時代に向かって突き進もうという機運に溢れていた頃、デトロイト郊外の小さな街で自動車のガレージ・メーカーを経営していたプレストン・タッカーは、仲間と共に新型車タッカー・トーペードを発表する。高い性能と斬新なデザインはたちまち世間の耳目を集め、しかも巧みなPRが功を奏し、本格的リリース前から市場を席巻する勢いだ。



 しかし、ビッグ3と呼ばれる巨大自動車会社や、業界の既得権益に依存していた政治家達は一斉に反発。露骨な妨害工作を展開する。ついにタッカーは罠に嵌められて訴えられ、工場は閉鎖寸前となった。主張を通して裁判に勝つためには50台の新車を期日までに完成させなければならず、タッカーは窮地に陥る。

 自動車産業の中心であったアメリカでは、戦後いくつかのニューカマーがビッグ3の寡占状態に果敢に挑戦したが、いずれも退場している。だが、それらが手掛けた車は現時点でも魅力的に映る。「パック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズに使われたデロリアンなどはその代表だが、このタッカーというブランドは本作を観るまで知らなかった。そのエクステリアは先進的で、もしもブレイクしていたならば、自動車のデザインのコンセプトが根本から揺らいだことだろう。

 斯様なモデルを作り上げたプレストン・タッカーと仲間達は、ビッグ3の牙城は崩せなかったが、確実に産業史にその名を残したのだ。彼らにあったのは夢と希望だけ。タッカーは困難にぶち当たっても、前しか向かない。観る者によっては“ドラマに陰影が足りない”と感じるのかもしれないが、コッポラの悠々たる演出は批判をねじ伏せるだけのパワーがある。

 主演のジェフ・ブリッジスは好演で、彼のフィルムグラフィの中では上位を占める。ジョアン・アレンやマーティン・ランドー、マコ、クリスチャン・スレーターといった脇の面子も申し分ない。敵役としてジェフの父親であるロイド・ブリッジスが登場するのも嬉しい。ヴィットリオ・ストラーロによるカメラ、凝りに凝ったセット、ジョー・ジャクソンの音楽、いずれも要チェックだ。
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「火口のふたり」

2019-09-28 06:29:36 | 映画の感想(か行)
 物語の設定、および登場するキャラクターが2人のみという思い切りの良さは興味をそそられた。しかし、中盤以降は監督と脚本を担当している荒井晴彦の“悪い意味での”持ち味が全面展開し、何とも釈然としない気分になる。ラストに至っては“なんじゃこりゃ”で、結局肩を落としたまま劇場を後にした。

 離婚して仕事も無くし、東京で無為な日々を送る永原賢治の元に、父親から電話が掛かってくる。従妹の佐藤直子が結婚するので、帰省して欲しいとのことだ。挙式まであと10日となる中、賢治は故郷の秋田に戻ってくる。直子に久しぶりに会い、新生活に向けての手伝いをする賢治だが、実は直子が東京の学校に通っている間、2人は恋愛関係にあった。



 片付けていた荷物から直子は一冊のアルバムを取り出すが、そこには2人の交情場面が写ったモノクロームの写真が収められていた。その頃のことを思い出した賢治は、直子の婚約者が戻るまでの5日間だけ、欲望のままに彼女と過ごすことにする。白石一文による同名小説の映画化だ。

 かつては“禁断の恋”めいたシチュエーションに身を置いたものの、今では賢治は鬱屈した生活に甘んじ、直子はさほど好きでもない相手と“早いところ子供が欲しいから”という消極的な理由で結婚を決める。この若くして人生に疲れたような2人が、何となく昔のように懇ろな仲になるという設定は、なかなか良い。しかも5日間というタイムリミットがある。人間、限定されたシチュエーションならば、捨て鉢な行動に走るというのも十分あり得る。とことん後ろ向きに過ごしてみるのも、また一興なのだ(笑)。

 しかし、後半から様子がおかしくなる。直子のフィアンセが自衛隊員で、しかも極秘の任務を与えられているというモチーフからして、かなり臭い。街には“イージス・アショア設置反対”のビラが貼られ、終盤にはこの国のカタチがどうしたの何のという、大仰なネタが振られる。挙げ句の果ては唐突に過ぎる幕切れを見せられ、憮然とした心持ちになった。

 かつて田中慎弥の小説「共喰い」の映画化で、天皇の戦争責任やら何やら余計なものを付与して観る者を脱力させた荒井は、ここでも似たようなことをやっている。企画に寺脇研が参加しているのも“ああ、やっぱりね”といった案配だ。

 主演の柄本佑と瀧内公美は好演。たった2人で、映画を支えている。だが、肝心の絡みの場面は盛り上がらない。前作「この国の空」(2015年)でもそうだったが、この監督はベッドシーンがそれほど上手くない。川上皓市の撮影は健闘していたとは思うが、終わり近くの巨大な発電用風車の場面は、同じ舞台の藤井道人監督作「デイアンドナイト」での同様の映像に及ばない。下田逸郎の音楽はそれ単体では決して悪くはないが、映画に合っているとは思えない。
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「デモンズ」

2019-09-27 06:10:31 | 映画の感想(た行)

 (原題:DEMONS)アジアフォーカス福岡国際映画祭2019出品作品。訳の分からない映画ではあるが、妙に観る者の内面に“刺さる”ものがあり、観ていて飽きない。デイヴィッド・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ」(2001年)との類似性を指摘する向きもあるだろうが、あの映画ほどのインパクトは無いものの、ネタの掴み具合では独自性を発揮していると思う。

 シンガポールの演劇界で手腕を振るう演出家ダニエルの新作に、新進女優のヴィッキーが起用される。本人はやる気満々で、彼女の兄も大いに喜んでくれる。ところが、同時にヴィッキーは奇妙な幻覚に襲われ始める。しかも、周囲の人間の言動が次第に常軌を逸したものになってゆく。やがて彼女はマレーシアでの公演のため地元を離れるが、その後消息を絶つ。一方、ダニエルの周囲にも異常な言動の人間が多数出没するようになり、夜は悪夢にうなされる始末。ついには、一緒に暮らす同性のパートナーとも意思疎通が出来なくなる。

 「マルホランド・ドライブ」が映画界の魔窟を(外観的に)描写していたのに対し、本作は芸能界に関わった者達の内面に切り込んでゆく。誰かを演じ、ドラマを演出するということは、その作品世界を(一時的にでも)受け入れることである。しかし、それが各人のキャパシティを超えてしまうと、取り返しの付かない事態に陥る。この映画はそんな表現者の苦悩を、露悪的なホラー仕立てで展開させる。

 監督ダニエル・フイの仕事ぶりは、他のホラー映画からの引用も見られるものの、快調に飛ばしておりドラマが停滞することは無い。特にダニエルの事務所を訪ねてきたスポンサー関係者が、突如として奇態な行動を見せる場面などは、インパクトがある。上映時間が83分とコンパクトなのも、的確な処理だと思う。

 ただ、ヒロイン役のヴィッキー・ヤンが全然美人ではないのは、かなり盛り下がる(笑)。観客が感情移入しやすいルックスを備えた役者に任せていれば、もっと好印象だったはず。ダニエルに扮するグレン・ゴエイは熱演で、こっちは見かけが普通である分、不条理な環境に放り込まれた者の悪戦苦闘ぶりが迫真的だった。
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「それぞれの道のり」

2019-09-23 06:58:33 | 映画の感想(さ行)
 (原題:LAKBAYAN)アジアフォーカス福岡国際映画祭2019出品作品。フィリピン映画生誕100周年を記念して、“旅”をモチーフに製作された3話から成るオムニバス映画だ。しかしながら、ラヴ・ディアス監督による第一話と、キドラット・タヒミック監督が撮った第三話はほとんど語るべきものは無い。せいぜいが現地の珍しい風俗が紹介されていることが目を引く程度だ。これらに対してブリランテ・メンドーサ監督による第二話は、かなり見応えがある。

 大財閥によって土地を奪われたミンダナオ島の農民達は、政府に直訴するためデモ隊を結成し、首都マニラのマラカニアン宮殿まで長い道のりを踏破しようとする。彼らと同行するフリーのジャーナリストは、その苦難の旅路を克明に記録する。



 疲労困憊してマニラにたどり着いた彼らを、マスコミや市民そして宗教関係者は歓迎。同時に、農民達と政府や財閥の関係者との交渉が始まる。だが、事態が好転するかに思われた矢先、さらなる仕打ちが彼らを待っていた。実話を基にしており、本作によってフィリピンにおける農政の理不尽さと、それに対抗する農民達の運動に関することを、初めて知った次第だ。

 この問題は根深く、過去何十年にわたって解決の兆しは見えない。現在においても、運動の指導者たちが原因不明の死を遂げるケースが少なくないという。デモ隊は郷土色豊かなフィリピンの各地を進み、地元の者達と交流する。行動を共にするジャーナリストも、自分の立ち位置を見直す。しかし、厳しい現実は彼らを打ちのめす。フィリピンという国の成り立ち、および西欧列強に蹂躙されてきた歴史と、その爪痕に今でも苦しむ庶民の姿が浮き彫りになり、観ていて慄然となる。

 ブリランテ・メンドーサの演出は即物的でジャーナリスティックな映像処理と、登場人物の内面に迫る静的なタッチ、そして実際のニュース映像を織り交ぜ、まったく飽きさせない求心力を持つ。そして、デモ隊に関わる市井の人々の凛とした佇まいを活写して、強い印象を残す。しかしながら、この二話だけが突出した出来であることは、一本の映画としてのレベルはどうなのかと問い質したくなる。いっそのこと、3本を別々の作品として仕上げた方が、訴求力が高まったかもしれない。
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「誰かの妻」

2019-09-22 06:25:00 | 映画の感想(た行)

 (英題:OTHER MAN'S WIFE)アジアフォーカス福岡国際映画祭2019出品作品。本作で描かれている封建的な地域性は世界のあちこちで現在も存在していることは分かるが、産業と情報のグローバル化はその中で暮らす人々の生活を悩み多きものにしている。そんな遣り切れなさと諦観が横溢し、何とも言えない気持ちになる映画だ。

 ジャワ島とマカッサル海峡の間に位置するカンゲアン諸島のひとつに住む高校生のヒロインは、たった一人の理解者だった母を亡くし、鬱屈した日々を送っていた。ある時、父親は彼女を知り合いの農家の息子と結婚させることを決める。学校も辞めさせられた彼女は、結婚式の当日まで相手の顔を知らず、結婚してからは当たり前のように家事と農作業を押し付けられる。

 だが、夫は農家を継ぐ気はまったくない。ある日彼は家出してマレーシアに働きに出てしまう。残された彼女は正式な離縁も出来ず、義父の世話を黙々とこなす毎日だ。そんな彼女も、農村に出入りする業者の若者に恋心を抱くようになる。彼は彼女に一緒に村を出ようと持ちかける。

 この土地では“女性は、この世界の支配者である男たちの所有物に過ぎない”という掟がある。その地が経済的に成り立っていればその掟も存続していたはずだが、隣国マレーシアに移住すればより良い暮らしが実現する(かもしれない)という情報だけは、彼女及び周囲の人々の耳に入ってくる。

 村の外には広い世界(同時に、弱肉強食的でもある)が広がっていることを認識しながら、地元のしきたりに絡め取られていくしかない者達の姿は痛切だ。ヒロインに出来ることは、ヤシの枝を使った細工を学校の生徒に教えることぐらい。しかし、それも義父をはじめ大人達はいい顔はしない。そしてラストの扱いは、観ていて身が切られるようである。

 ディルマワン・ハッタの演出は淡々としていてケレン味は無いが、ゆったりと時間が流れる島の生活を十分に表現している。キャストは大半が素人同然だが、いずれも存在感がある。特筆すべきは、美しい島の風景だ。デジカム撮りなので、それほど画質の精度は高くないが、それでも田園地帯の中を水牛の群れが悠々と歩いている場面は印象に残る。
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「アルファ 殺しの権利」

2019-09-21 06:38:48 | 映画の感想(あ行)
 (原題:ALPHA,THE RIGHT TO KILL )アジアフォーカス福岡国際映画祭2019出品作品。いわゆる麻薬戦争といえば、まず思い出されるのが60年代のビルマ・ラオス・タイ国境付近、そして80年代以降のコロンビアやメキシコ等だが、フィリピンでも発生していることは、恥ずかしながら本作を観るまで知らなかった。その事実を紹介しているだけでも、この映画の存在価値はある。

 マニラ市警の麻薬取締課で班長を務めるエスピノは、内通者エライジャからの情報を得てSWATと共に取引現場に乗り込む。警官隊は見事にシンジケートの関係者を鎮圧するが、エスピノは密かに現場から麻薬と札束を押収。麻薬はエライジャを通じて売りさばき、代金を自分の懐に入れていた。上司からの覚えもめでたく、表向きは積極的に社会活動もおこなう“人格者”として通っていたエスピノだったが、裏の顔は真っ黒である。彼は次第にエライジャの存在を出世の邪魔だと思うようになり、無謀な行動に打って出る。

 この映画の作りはいささか荒っぽく、活劇場面も気勢が上がらない。ハリウッドで同様のネタを扱えば、もっとスマートにやるだろう。しかし、フィリピンの映画人による当事者意識が横溢した映像に接すると、スクリーンから目が離せなくなってしまう。

 時折挿入されるマニラ中心部の摩天楼と周囲に広がる貧民街とを同一画面で捉えたショットは、この国の問題を直截的に表している。エライジャの住む家は、ゴミ捨て場と変わらない。麻薬組織が牛耳る地域では、地元のカタギの住民もその恩恵にあずかっている。

 エライジャがエスピノと待ち合わせる場所が教会の前で、その教会の中では神父が寛容と博愛を説いているという皮肉。貧民街の描写は徹底してリアルで、そこで展開される、ならず者同士の剣呑なやり取りを手持ちカメラで映し出す。

 ブリランテ・メンドーサの演出はパワフルで、洗練とは無縁とばかりに押しまくる。特に終盤の血も涙も無い展開には、ただ驚くばかり。しかも、この映画の製作に警察当局も協力しているというのだから凄い。主演のアレン・ディゾンとエライジャ・フィラモーの存在感はかなりのもので、他のキャストの仕事ぶりも気合いが入っている。また、上映時間が94分とコンパクトである点も評価したい。
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「恋の街、テヘラン」

2019-09-20 06:36:15 | 映画の感想(か行)

 (英題:TEHRAN:CITY OF LOVE )アジアフォーカス福岡国際映画祭2019出品作品。ドラマの設定とキャラクターの造型はとても面白い。しかしながら、それらを十分に活かすような筋書きにはなっていない。脚本をもう一捻りして訴求力を発揮して欲しかった。

 元ボディビルのチャンピオンで、今は若手の育成に専念するトレーナーのヴァヒドは、そのインパクトのある外見を武器に映画のオーディションに応募。見事に合格するが、映画はフランス資本で、テヘランでの撮影許可も下りていない。そんな状況で本業を休んで俳優業に専念出来るのか悩む日々だ。

 男性を対象にした美容エステサロンに勤めるミナは、太った冴えない女。気に入った男性客の連絡先を勝手に抜き出し、セクシーな声を使って架空の女に成り済ます。宗教歌手のハッサンはその美声を買われて葬式での歌唱を主な仕事にしているが、雰囲気と外観が“葬式臭く”なってしまい、婚約者にも逃げられる。そこで彼は出会いの機会を増やそうと、ウェディング・シンガーへの転身を試みる。

 生き方がヘタな中年男女の物語だ。3人の置かれた環境の描写は秀逸。ヴァヒドは若い弟子に入れ込むが、期待した結果にはならず、家では老いた父親との要領を得ないやり取りに終始。ミナの言動と外観は明らかに痛々しいのだが、“自分はこんなものじゃない!”と必死で自分に言い聞かせて暴走を続ける様子はスラップスティックな笑いを呼ぶ。

 優柔不断なハッサンのために周りの知り合いや親戚がいろいろとフォローしようとするものの、一度身に付いた“葬式臭さ”は容易に払拭出来ず、ストレスは溜まるばかりだ。3人は互いの面識は無いのだが、それぞれのエピソードが微妙にクロスする。だが、作者はそういう玄妙な“御膳立て”だけで満足しているようなフシがあり、3人の人生が絡み合って新たな局面に突入するとか、そういう思い切ったことをする様子は無い。そこが大いに不満だ。

 アリ・ジャベルアンサリの演出は丁寧で、終盤で大きな縫いぐるみを背負って街を歩くミナの描写に代表されるように、映像面でも健闘している。しかし、ここ一番でのパワーは不足している。主演の3人は好演。特にヴァヒド役のメーディ・サキは、大柄なマッチョ男ながら繊細な表情の演技も出来る。幅広いジャンルに適合しそうだ。
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「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」

2019-09-16 06:57:57 | 映画の感想(か行)

 (英題:THE SPY GONE NORTH)見事なポリティカル・サスペンスだ。昨年(2018年)公開された「1987、ある闘いの真実」や「タクシー運転手 約束は海を越えて」を挙げるまでもなく、韓国映画はこういうネタを扱うと、無類の強さを発揮する。政治ネタを忌避し、せいぜいが「新聞記者」などという低劣な作品でお茶を濁している日本映画とは大違いだ。

 92年、韓国陸軍の将校だったパク・ソギョンは、国家安全企画部のチェ・ハクソン室長の命令で、スパイとして北朝鮮へ潜入することを命じられる。表向きは軍を辞め、酒に溺れて身を持ち崩し、その後実業家として再起したという設定でプロフィールを確立し、95年に北京で北朝鮮の対外経済委員会の関係者と接触する。

 やがて、パクは北京駐在の対外経済委員会の所長リ・ミョンウンと会うことに成功。リ所長は経済的に苦しい状態にある北の政府を救うため、パクが持ちかけた南北共同の広告事業に興味を示す。そしてついにパクは金正日にも謁見し、この“商談”をまとめることが出来た。だが97年の大統領選に金大中が立候補したことにより、安企部の周囲が慌ただしくなる。今までの苦労が水の泡になると察したパクは、リ所長と共に一か八かの大勝負に出る。

 スパイ物に付き物のアクション場面どころか、色を添えるための美女の登場も抑えられている。主人公も二枚目ではない。それでいて、徹頭徹尾ハードボイルドで観る者を引き込む。実話を元にしているが、場を盛り上げるための創作的モチーフも多数挿入されていると思われる。実録物とフィクションの要素を高い次元で融合させた監督(脚本にも参画)ユン・ジョンビンの実力は端倪すべからざるものだ。

 南北双方の虚々実々の駆け引きには息をつく暇もなく、特に“贈答品”をめぐるやり取りには、その巧みさに唸った。北側にはチョン・ムテク課長という国家安全保衛部のスタッフも加わっており、彼を出し抜くためパクは周到に立ち回るが、その段取りには無理が見られない。さらには大統領選を前にしての南北の“談合”まで俎上に載せるなど、重層的な素材の扱い方には感心する。

 キャラクター設定も絶妙で、ディレンマに苦しみつつもミッションを遂行しようとするパクと、北の高官でありながら国民の窮乏を何とか救いたいと思っているリベラル派のリ所長が、不思議な友情で結ばれるくだりは説得力がある。敵役のチョン課長の意外な人間臭さも印象的だし、金正日が出てくるシーンなど、「007」シリーズでスペクターの親玉が登場する場面より盛り上がる。主演のファン・ジョンミンをはじめ、イ・ソンミン、チョ・ジヌン、チュ・ジフンらキャストは皆好演。チェ・チャンミンのカメラによる彩度を抑えた映像は効果的。“事件”後を描く感動のラストまで、存分に楽しませてくれる。
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「ワイルド・スピード スーパーコンボ」

2019-09-15 06:59:07 | 映画の感想(わ行)
 (原題:FAST & FURIOUS PRESENTS:HOBBS & SHAW)数多く作られている「ワイルド・スピード」のシリーズは、今まで一本も観たことがなかったが、本作はスピンオフとして“単品でも楽しめる”という評判を耳にしたので、劇場に足を運んでみた。そして、後悔した(笑)。とにかく大味で、キレもコクも無い。何となく、マイケル・ベイ監督の諸作を思い出してしまった。

 米DSS捜査官のルーク・ホブスは、ロスアンジェルスで娘と静かな暮らしを送っていた。一方、MI6に在籍していた元特殊部隊員デッカード・ショウはロンドンでの優雅な日々を満喫していた。そんな2人のもとに米英双方の政府から要請が来る。内容は、消息を絶ったMI6の女性エージェントのハッティを見つけて保護せよというものだ。



 ハッティはテロ組織から危険な新型ウイルスを奪うことに成功するが、ブリクストン率いる組織の戦闘員に追い詰められ、ウイルスを自分の身体に“注入”したまま姿を消したらしい。しかも、彼女はデッカードの妹である。ルークとデッカードは犬猿の仲らしいのだが、やむなく手を組む。そんな2人の前に立ちはだかるブリクストンは、サイボーグ化によって超人的な力を手に入れていた。ルークの出身地であるサモアで、最終的な一大バトルが展開する。

 主人公2人の起床時から“仕事”に出掛けるまでを平行して描く、冒頭の処理は良かった。これならば“一見さん”でもキャラクターの設定は分かる。しかし、その後は話にならない。

 敵の組織の目的が、殺人ウイルスで世界中の無能な人間を全て抹殺し、自分達だけで理想社会を作るの何のというシロモノだが、これは今どきアメコミの映画化作品でも恥ずかしくて採用しないような子供っぽいネタだ。ハッティはウイルスが体内に入っているのだが、なぜか“時間内であれば体外へ抽出可能”という笑える設定(せめてワクチンの存在ぐらい示して欲しかった ^^;)。しかも、抽出作業中でも元気に暴れ回ったりする。

 ルークとデッカードの会話シーンはグダクダな上に長い。そしてアクション場面もそれに呼応するように、締まりが無い。どの場面もCG合成が丸分かりだ。そもそも効果的なアクションシーンというのは、リアリティが介在するギリギリのところを狙ってこそ成立する。本作のように、最初から何でもアリの脳天気な仕掛けばかりでは、観る側も鼻白むばかり。

 デイヴィッド・リーチの演出は「デッドプール2」(2018年)より随分とヴォルテージが低く、盛り上がりに欠ける。主演のドウェイン・ジョンソンとジェイソン・ステイサムの演技は、まあいつも通りで特筆するべきもの無し。敵役のイドリス・エルバもただのキン肉野郎で、凄みに欠ける。ただ、ハッティ役のヴァネッサ・カービーだけは「ミッション:インポッシブル フォールアウト」(2018年)に続いて良かった。
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