元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「第20回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その1)

2023-03-31 06:22:46 | プア・オーディオへの招待
 去る3月24日から26日にかけて、福岡市博多区石城にある福岡国際会議場で開催された「九州ハイエンドオーディオフェア」に行ってきた。今年は20回という節目であることもあり、コロナ禍で長らく実施していなかったオーディオ評論家の福田雅光の司会による“オーディオアクセサリーの聴き比べ大会”が開催された。

 今回のネタは仮想アースとクリーン電源装置である。結論から先に言えば、これらのアクセサリーを使用することによるメリットはあると思う。聴感上のS/N比や音場の見通しなどが、非使用時に比べてアップしているのが見て取れる。ただし、敢えてこれらを導入する価値があるかどうかは、意見が分かれるところだ。なぜなら、いずれも財布には優しくないからだ。



 たとえば、クリーン電源装置の代表モデルであるACCUPHASEのPS-1250の価格は税込で88万円もする。この金額を文字通り“アクセサリー費用扱い”でポンと出せるハイエンドユーザーだけが購入の対象にするような性格の商品だ。大半のユーザーは、それだけの予算があるならばスピーカーやアンプなどの主要コンポーネントのグレードアップに回すだろう。

 さて、2022年11月に北九州市で開催されたオーディオフェアで紹介されていたESOTERICの超弩級レコードプレーヤーGrandioso T1(定価700万円)が今回も展示されていたが、関係者の説明によると、実はこの機器にはユニークな機能が付与されているらしい。それは、モーターとターンテーブルを接触させずに駆動させるマグネドライブ・システムを採用しているこのモデル、モーターとターンテーブルの“距離”を調節してトルク(回転力)を弱めることも出来るのだという。

 どうしてそんな機能があるのかというと、トルクを故意に低下させることによりBGM的なソフトな音にするためらしい。通常、トルクなんて大きければ大きいほど音質がアップして好都合だと思われるが、あえてローファイをセレクト可能にするあたり、このブランドはある意味ユーザー思いなのかもしれない。そういえば新製品のプリアンプGrandioso C1X solo(定価200万円)は、音をフェードアウトする際のレベル設定が出来るという。果たしてその機能が必要なのかは不明だが、特性追及一辺倒ではない姿勢を示そうとしているあたりは興味深い。



 ACCUPHASEのブースで面白かったのが、同社が引き受けた機器の修理案件が紹介されていたことだ。このメーカーはどんなに古いモデルでも原則修理を引き受けてくれるのでユーザーからの信頼度も高いが、中には困ったケースもあるらしい。アンプのケースを開けてみると埃が山のように積もっていて、何とか除去してユーザーに返却したものの、間を置かず同じ症状で再修理の依頼が舞い込んだという。つまりは、凄まじく不潔な環境で使用されていたということで、そんな状況で高級オーディオ機器を使うなと言いたい。

 また、適度に温かいアンプの上部パネルが飼い猫の寝床になってしまい、そのままオシッコを漏らして(笑)アンプが動作不能になった例もあるとか。猫の小便は金属を錆び付かせる効果が高いとかで、かなりの部品が使い物にならなくなる。驚いたことに、このような事例は同社だけで年間10件以上発生するらしく、最近のペットブームはオーディオファンにとっては大きな不安要因になりつつあるようだ。

(この項つづく)
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「イノセント」

2023-03-27 06:16:56 | 映画の感想(あ行)
 (原題:L'innocente )75年作品。名匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作だが、その前の「家族の肖像」(74年)及び前々作の「ルードウィヒ 神々の黄昏」(72年)に比べれば、かなり平易で通俗的な作りである。だから物足りないと感じる映画ファンも少なくないようだが、却って分かりやすさが増して万人にアピールできる出来になっており、これはこれで大いに評価したい。

 20世紀初頭のローマ。トゥリオ・エルミル伯爵はジュリアーナと結婚して数年経つが、すでに倦怠期に入っていて彼女を恋愛対象として見ていない。今は元公爵夫人で未亡人のテレーザ・ラッフォに夢中。トゥリオは妻を家に置いてテレーザと2人でフィレンツェに不倫旅行に出かけるが、留守中にトゥリオの弟フェデリコが家に連れてきた友人で作家のフィリッポに、ジュリアーナは惹かれてしまう。それから数か月後、ジュリアーナの妊娠が発覚。これは自分の子ではなくフィリッポとの間に出来た子だと思い込んだトゥリオは、捨て鉢な行動に出る。イタリアの人気作家ガブリエーレ・ダヌンツィオの「罪なき者」の映画化だ。



 トゥリオの性格と振る舞いは、タイトルの“イノセント”とは正反対の自分勝手でバチ当たりなものだ。ところが主人公にとっての“イノセント”とは、自身の欲望に愚直なほどに従うことらしい。だから、嫁さんを放置してヨソの女と遠出することも平気だし、ジュリアーナのお腹の中の子が別の男との間に出来たと疑うことも、彼にとっては“イノセント”なことなのだ。

 この倒錯した価値観を全面展開してスベクタクル級のメロドラマに仕上げてしまうあたり、やはりヴィスコンティ御大はただ者ではない。しかも、トゥリオの無軌道ぶりに当時の貴族階級の没落ぶりを投影させるという巧妙さも見せる。主演のジャンカルロ・ジャンニーニは、自ら“イノセント”であることを決意した挙句に、周囲からの“イノセント”なまでの反感を買ってしまう屈折した主人公像を上手く表現している。

 ジュリアーナに扮するラウラ・アントネッリ、テレーザ役のジェニファー・オニール、共に好演。マッシモ・ジロッティやディディエ・オードパン、マルク・ポレルといった脇のキャストも手堅い。贅を尽くしたセットを美しく捉えたパスカリーノ・デ・サンティスのカメラ、フランコ・マンニーノの音楽も言うことなしである。
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「オットーという男」

2023-03-26 06:09:56 | 映画の感想(あ行)
 (原題:A MAN CALLED OTTO )ハリウッドでヨソの国の映画をリメイクするとロクな結果にならないのが常だが、最近では「コーダ あいのうた」(2021年)のような例外もある。では、スウェーデン映画の秀作「幸せなひとりぼっち」(2015年)の再映画化である本作はどうか。結論から言えば、そんなに悪い出来ではない。元ネタを知らない観客ならば、十分に感銘を受けるだろう。しかしながら、個人的には承服しがたい。それは極論すれば、アメリカ製娯楽映画のルーティンにこの題材をインストールした際の違和感に尽きる。

 オハイオ州の地方都市に住む初老の男オットーは、町一番の嫌われ者だ。とにかく曲がったことを許さない。毎日近所をパトロールしてはルール違反者に対し諄々と注意する。とことん無愛想で、野良猫には八つ当たり。だが、彼は妻に先立たれて仕事も定年退職し、生きる張り合いを失いつつあった。とうとう自ら命を絶とうとするが、向かいの家に越してきた陽気なラテン系の一家が何かと邪魔して自殺も出来ない。仕方なく彼らと付き合うことにしたオットーだったが、皮肉なことにそれが彼の生活を変えていく契機になる。



 主人公に扮するのはトム・ハンクスだ。この時点で本作の建付けは予想できてしまう。要するにオットーは悪ぶっているが実は“いい人”であり、映画が進むにつれてそれが前面に出てきて、後半はハートウォーミングな展開になるということが丸分かりなのだ。もしもハンクスに本当の“性根の腐った奴”を演じさせれば凄いことになると思うが、彼自身が製作にも関与しているのでそれは無理な注文である。

 しかも、作劇自体をハンクスのキャラクターに“代弁”させているせいか、主人公が元ネタで紹介されていた主人公の両親のエピソードや、彼が最近まで勤めていた職場をどうして選んだのかといった重要なモチーフが抜け落ちてしまった。

 マーク・フォースターの演出は堅実で破綻は無く、マリアナ・トレビーニョにマヌエル・ガルシア=ルルフォ、レイチェル・ケラーといった他のキャストも万全だ。若き日のオットーを演じるトルーマン・ハンクスは、主役の実の息子である。映画初出演とのことだが、危なげない仕事ぶりだ。

 余談だが「幸せなひとりぼっち」で印象的だった主人公と友人との“クルマの自慢合戦”はボルボとサーブのバトル(笑)だったが、本作ではGMとフォードに置き換えられている。だが、やっばりインパクトが大きいのは元ネタの方だ。特にサーブは国民的ブランドと言われながら今は存在しないので、作者の拘りもひとしおだったと思われる。
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「フェイブルマンズ」

2023-03-25 06:05:03 | 映画の感想(は行)
 (原題:THE FABELMANS )これは面白くない。スティーヴン・スピルバーグの自伝的作品ということで、さぞかし映画に対する激烈な愛が全編に迸っている熱い作品なのだろうと思ったら、ただのホームドラマだったので拍子抜けした。しかも、家庭劇として良く出来ているわけでもない。凡庸なテレビの連続ドラマの総集編を延々見せられているような案配で、手持ち無沙汰のまま2時間半を過ごしてしまった。

 1952年、ニュージャージー州に住むフェイブルマン一家は、当時封切られていたセシル・B・デミル監督の「地上最大のショウ」を鑑賞する。初めて映画館の大スクリーンに接した6歳の長男サミーは、たちまち映画の虜になり、母親のミッツィからプレゼントされた8ミリカメラを駆使して自主映画の真似事を始める。



 やがて一家はアリゾナ州に引っ越すが、サミーの映画熱は衰えずに仲間内での映画製作や家族の行事の記録等に腕を振るう。だが、ミッツィはエンジニアである夫バートの相棒としてたびたび家に出入りしていたペニーと懇ろな仲になり、家庭は崩壊の危機に直面。サミーはそんな事態に心を痛めつつも、映画人を目指してカリフォルニア州へと向かう。

 スピルバーグは現時点において世界で最も著名な映画監督の一人だが、自身をモデルとした本作の主人公の少年時代から青年期にかけて、どういうわけか常軌を逸するほどの映画愛が描かれることは一度も無い。単にサミーは趣味の延長として映画を仕事に選んだに過ぎないのだ。ハッキリ言って、これは欺瞞だろう。スピルバーグほどの人間が“趣味の延長線上”で監督やっているわけがなく、おそらくは彼はそう思い込んでいるだけなのだ。

 言い換えれば彼は“自分は偉大なるアマチュアなのだ”といったエクスキューズを捨てきれない。だから、この自伝的作品において自身の映画への偏愛を描くことは重要ではなく、ユダヤ人として冷や飯を食わされたことや、母親がよろめいたことを取り上げる方が大事になってしまった。だが残念ながら、それらのネタは深みが無い。有り体に言えば退屈至極だ。終盤には“あの人”を登場させて何とか体裁を整えようとするが、時既に遅しである。

 主演のセス・ローゲンをはじめ、父親役のポール・ダノ、母親に扮するミシェル・ウィリアムズ、そしてジャド・ハーシュやジュリア・バターズらが大根に見えてしまうのも、作品コンセプトに求心力が足りないからだ。あと余談だが、サミーの高校時代のガールフレンドを演じるクロエ・イーストが、何となくエイミー・アーヴィング(スピルバーグの最初の妻)に似ているように思うのは、気のせいだろうか(笑)。
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「2ハート」

2023-03-24 06:06:03 | 映画の感想(英数)
 (原題:2 HEARTS)2020年10月よりNetflixより配信。スチール写真やトレイラー映像から受ける“典型的なラブコメ”といった印象とは、実際観てみると大きく違う。これは真摯に作られたヒューマンドラマだ。しかも構成や画像処理は手が込んでおり、平板な出来にはなっていない。終盤の展開は感動的でもあり、鑑賞後の満足度は決して低くはない。

 70年代、中米の大手ラム酒業者社長の御曹司ホルヘは、生まれつき肺に疾患があり大人になるまで生きられないと言われていた。しかし手術が成功し30歳代になっても元気に稼業に勤しんでいた。そんな彼は乗り合わせた旅客機のCAレスリーに一目惚れ。猛アタックの結果、結婚までこぎ着ける。



 2000年代、イリノイ州に住む大学生クリスは学業があまり得意ではなく、親や兄からは小言を貰いつつも本人はあまり気にしていない。そんな彼が同じ大学の上級生サマンサと知り合い、恋仲になる。一方、時が経ち中年になったホルヘは肺の具合が悪化。移植手術以外では助からないと宣告される。同じ頃、クリスは友人の家にいる間に突然倒れる。緊急治療室に担ぎ込まれるが、そこで彼が脳動脈瘤を患っていることが明らかになる。実話を元にした筋書きだ。

 冒頭、ハワイの海岸に佇むクリスのモノローグが挿入されるが、これがラストの伏線になる。映画はホルヘとクリス、一見何の関係も無いストーリーを平行して描く。観る側はこの2つが終盤で融合し、そしてそこに繋がるモチーフが臓器移植であることを予想出来るのだが、扱い方は変化球を駆使している。

 具体的には、スムーズに進んだと思われるシークエンスが、実は登場人物の想像や願望だったりするのだ。しかも、その繰り出し方は緩急が付けられていて、どこで幻想と現実が反転するのか予測出来ない。観る者によっては反則かと思われる手法だが、本作の場合正面切ってリアリズムでやられるよりも、こっちの方が訴求力が高い。その代わり、クリスと家族との確執や、キューバから亡命してきたホルヘの親世代の苦労など、周辺のネタは丁寧に掬い上げられている。

 最後は予想通りかもしれないが、やはり当事者たちのきめ細かい心情が描かれて感慨深い。ランス・フールの演出はイレギュラーな手法に足を引っ張られず堅実なタッチに終始している。ジェイコブ・エロルディにエイダン・カント、ラダ・ミッチェル、ティエラ・スコビーらキャストは正直知らない名前ばかりだが、皆好演だ。ヴィンセント・デ・ポーラのカメラによる明るく美しい映像も要チェックである。
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「ベネデッタ」

2023-03-20 06:14:26 | 映画の感想(は行)
 (原題:BENEDETTA )監督ポール・ヴァーホーヴェンの前作「エル ELLE」(2016年)は、彼らしくない(?)スマートでハイ・ブロウな線を狙ったせいで要領を得ない出来に終わっていたが、5年ぶりにメガホンを取った本作では従来の“変態路線”に復帰して闊達な仕事ぶりを見せる。時代劇としてのエクステリアも抜かりはなく、鑑賞後の満足度は高い。

 舞台は17世紀のイタリア中部トスカーナ地方ペシアの町。聖母マリアと対話可能で“奇蹟”も起こせると言われた少女ベネデッタは、6歳で地元のテアティノ修道院に入り、聖職者の道を歩むことになる。成人して修道院の生活にもすっかり馴染んだある日、夫のDVに耐えかねて修道院に逃げ込んできた若い女バルトロメアを保護する。



 ベネデッタは何かとバルトロメアの面倒を見ているうちに、同性愛の関係に発展。それを見咎めた修道院長のフェリシタは教皇庁に告発するが、ベネデッタは聖痕を受けて“イエスの花嫁になった”と主張。教皇大使ジリオーリと対立する。そんな中、イタリアでは当時は不治の病とみなされたペストのパンデミックが発生し、ペシアの町にも危機が迫ってくる。実在の修道女ベネデッタ・カルリーニの伝記映画だ。

 まず、映画は本来なら人々を救済するはずの聖職者の団体が、実は利権にまみれた生臭い存在であることを描き出す。何しろ修道院に入るにも多額の“お布施”が必要なのだ。そして個人的な妬み嫉みを神の名を持ち出して正当化しようとする浅はかさも示され、ベネデッタにしても“奇蹟”を都合よく利用しようとする。果てはマリア像をバルトロメアとの秘め事の“道具”にするという、バチ当たりなモチーフも挿入される。

 ならば本作はアンチ・クライストの冷笑的なシャシンなのかというと、そうではない。主眼は理不尽な宗教界のしきたりや、当時の封建的なモラル、そして疫病の蔓延などの逆境をものともせずに突き進むベネデッタの勇姿だ。その生き様は、目先の些事や地位やプライドなどに拘泥する修道院や教皇庁を通り越し、ダイレクトに市民にアピールする。

 ヴァーホーヴェンの演出はとことんエゲツなく、インモラルな描写にも手加減はしない。まあ、舞台がイタリアなのにセリフはフランス語というのはちょっとアレだが、そこは御愛嬌だろう。ベネデッタに扮するヴィルジニー・エフィラとバルトロメア役のダフネ・パタキアとの濡れ場は実に湿度が高い。特にエフィラの四十歳代とは思えぬボディとエロさには感服(笑)。

 脇にシャーロット・ランプリングやランベール・ウィルソンといったクセ者を配しているのも見どころだ。ジャンヌ・ラポワリーのカメラが捉えた泰西名画を思わせる映像と、アン・ダッドリーによる音楽も言うことなし。それにしても、ラストのベネデッタの決断と、それに続く史実の紹介には感慨深いものがある。
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「トゥルーマン・ショー」

2023-03-19 06:20:39 | 映画の感想(た行)
 (原題:The Truman Show )98年作品。SF仕立てのメディア風刺劇で、封切り当時は斬新な内容だったのかもしれないが、今から考えるとアイデア倒れの感が強い。何しろあの頃は、まさかネット環境にある多くの者がやがて勝手に情報発信を始め、テレビのバラエティ番組の地位を脅かすようになるとは思いもしなかったのだ。しかも、決して作劇は丁寧ではなく欠点も目立つ。キャストの健闘だけが救いである。

 離島にある町シーヘブンで保険会社に勤めるトゥルーマン・バーバンクは、生まれてから一度も島から出たことは無い。それは子供の頃に父を水難事故で亡くし、海を渡ることに恐怖心を覚えるようになったからだ。ところがある日、彼が雑踏の中で見かけたホームレスの老人が、死んだはずの父親であることに気付く。さらにその直後、その老人は何者かに連れ去られてしまう。



 実はトゥルーマンは出生時から今まで24時間テレビ撮影されており、そのままリアリティ番組「トゥルーマン・ショー」として世界中でオンエアされていたのだった。自らの境遇に疑問を持つようになった彼は、シーヘブンから脱出することを考えるようになる。

 まず、いくら主人公がナイーヴだといっても、斯様なヴァーチャル世界においていい大人が今まで違和感を覚えずに生きていられたはずがない。また、どうして父親が“番組”に入り込めたのかも不明だ。トゥルーマンは学生時代に出会ったローレンのことを忘れられないようだが、彼女も“番組関係者”でもないのになぜ主人公に接触できたのか分からずじまいだ。

 この“番組”を仕切っているチーフプロデューサーのクリストフは、トゥルーマンおよび彼が住む世界に対して全能の神のように振る舞うが、夜郎自大な態度が鼻につき愉快になれない。そもそも、この“番組”が世界中で高視聴率を記録するほどの面白いプログラムであるとは、あまり思えない。リアリティ番組を長期間持続させるには、対象を漫然と映すだけでは成立しないはずだが、そのあたりも本作は適当にスルーしている。

 ラストの処理は思わせぶりながら、観ている側が知りたいのはトゥルーマンの“その後”であるはずなのに、まったく言及されていないのは手抜きだろう。監督のピーター・ウィアーは実績のある演出家だが、この映画はどうも“やっつけ仕事”の感が強い。それでも主役のジム・キャリーは頑張っており、ドラマが深刻になることを回避している。

 エド・ハリスにローラ・リニー、ノア・エメリッヒ、ナターシャ・マケルホーンといった面子も申し分ない。それだけに作品のヴォルテージの低さが気になるところだ。なお、ブルクハルト・ダルウィッツとフィリップ・グラスによる音楽は評価したい。
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「エンパイア・オブ・ライト」

2023-03-18 06:08:52 | 映画の感想(あ行)
 (原題:EMPIRE OF LIGHT )気のせいか、最近“映画自体を題材にした映画”の公開が目立っているようだ。しかしながら、そのいずれも成功していない。そもそも、映画人にとって最も身近なネタである“映画そのもの”は取っ付きやすいのはもちろん、この業界に携わる者ならば誰でも映画に対しての見解を持っている。しかし送り手の思い入れだけでは、よっぽど巧妙に作らない限り観客には届かない。ならば本作はどうかといえば、映画はあくまで筋書きの小道具として扱われ、その割り切り方は評価に値するだろう。

 80年代初頭のイギリス、海辺の町マーゲイトにある映画館エンパイア劇場の女子従業員ヒラリーは、スタッフとしてはベテランながらメンタル面で問題を抱え、おまけに支配人のドナルドからはセクハラを受けていた。その映画館に新たに採用された黒人青年スティーヴンはヒラリーを先輩として慕うが、やがて男女の仲になっていく。



 面白いのは、映写技師のノーマンを除いて登場人物の誰もが映画に対してそれほどの興味を抱いていないことだ。ヒラリーは映画よりも文学が好きで、スティーヴンは大学進学までの“繋ぎの仕事”として映画館勤めを選んだに過ぎない。だが、このエンパイア劇場の佇まいには心惹かれるものがある。

 この映画館は昔は地元の社交場としての位置付けで、週末には紳士淑女が着飾って集ったと思われるほど門構えは立派だ。海岸の風景とも良くマッチしている。しかし、全盛期には4つのスクリーンが稼働していたものの、すでに上階の2館は廃墟になっている。映画が娯楽の王様であった時代はとうに過ぎ、劇場のスタッフも映画を店先に並べる単なる“商品”としてしか見ていない。

 それでも、終盤にはヒロインの心を慰めるものはやはり映画であったという、気の利いた展開になっている。しかも、彼女が観る映画はハル・アシュビー監督の「チャンス」(79年)だ。孤高の主人公が周囲を巻き込んでいくというこの作品(私も大好きだ)が、ヒラリーの立ち位置そして願望を反映していて感慨深いものがある。サム・メンデスの演出はキャラクター設定に幾分無理があると思うが、落ち着いたタッチで安心して観られる。

 主演のオリヴィア・コールマンは評判になった「女王陛下のお気に入り」(2018年)のパフォーマンスよりも良い演技をしていると思う。マイケル・ウォードにトビー・ジョーンズ、コリン・ファースなどの脇の顔ぶれも悪くない。トレント・レズナー&アティカス・ロスの音楽も優れものだが、何よりロジャー・ディーキンスのカメラによる透き通るような映像が素晴らしい。この美しいヴィジュアルに接するだけでも、本作を観る価値がある。
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「スマホを落としただけなのに」

2023-03-17 06:28:11 | 映画の感想(さ行)
 (英題:UNLOCKED)2023年2月よりNetflixより配信。志駕晃による同名小説の映画化作品(2018年)の、韓国版リメイクである。とはいえ、元ネタの中田秀夫監督版は観ていないし観る予定も無い。どうして演出力が欠如したあの監督に次々と仕事が回ってくるのか、邦画界の不思議の一つだ(苦笑)。それはさておき、この韓国製サスペンスはびっくりするようなレベルの高さこそないものの、約2時間退屈させないだけの求心力がある。観て損は無い。

 ソウルにある健康食品の販売会社に勤めるOLのイ・ナミは、ある晩帰宅途中にバスの中にスマートフォンを落としてしまう。幸いすぐに拾得者から連絡があり、ディスプレイが割れていたので修理に出してくれたという。ナミは指定されたスマホのメンテナンス店に向かう。彼女の父親はカフェを経営しているが、最近若い男ジュニョンがよく通うようになり、ナミとも顔見知りになる。一方、街では連続殺人事件が発生しており、担当のウ・ジマン刑事は現場で見つかった遺留品から、犯人は数年前に家出した息子ではないかと疑う。



 本作の興味深い点は、早い時点で犯人がジュニョンであると明かしていることだ。通常ならば面白さがスポイルされるところだが、その分手口の巧妙さと悪質さの描写がエゲツないので欠点にはならない。ナミが修理済として手渡されたスマホは、実はまったくの別物。知らずに操作しているうちに、彼女のプロフィールから交友関係、職場での立場や個人的な悩みまで、すべてが犯人側に知れてしまう。このくだりはかなり怖い。

 さらに犯人はナミのスマホを遠隔からコントロールすることにより、彼女を窮地に追い込んでいく。もちろん、四六時中スマホをいじっている昨今の若い衆を風刺しているのだが、それ以上に、情報化社会に潜む陥穽の不気味さが印象付けられる。クライマックスはナミと犯人との対決になるのだが、段取りがよく練られていて引き込まれる。

 キム・テジュンの演出はソツがなく、テンポ良くドラマを進める。主演のチョン・ウヒは表情が豊かで身体のキレも良い。ジュニョンに扮したイム・シワンは、端整な顔立ちの中にヤバさを垣間見せて圧巻だ。ジマン刑事役のキム・ヒウォンも、尋常では無い人相の悪さでアピール度が高い(笑)。パク・ホサンにキム・イェウォン、オ・ヒョンギョンなど脇の面子も悪くない。

 なお、ついでに中田監督版のストーリーもチェックしてみたが、筋書きはかなり違う。そして話の面白さとしてはこの韓国版には及ばない。これが両国の映画界のレベルの差だと即断は出来ないが、韓国作品に比べれば最近の邦画には観たい娯楽作があまり無いのは確かだ。
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「逆転のトライアングル」

2023-03-13 06:14:25 | 映画の感想(か行)
 (原題:TRIANGLE OF SADNESS )リューベン・オストルンド監督の前作で第70回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した「ザ・スクエア 思いやりの聖域」(2017年)は、個人的にはどこが良いのか分からなかったが、連続してカンヌで大賞を獲得した本作は幾分マシな内容ではある。だが、底の浅さは相変わらず。諸手を挙げての高評価は差し控えたい。

 人気モデルでインフルエンサーとしても知られるヤヤの彼氏は、二枚目だがいまいちパッとしないモデルのカールだ。マンネリ化してきた関係を一新すべく、2人は招待を受けて豪華客船クルーズの旅に出る。乗り合わせたのは怪しげな商売で財を築いた成金ばかり。客室スタッフたちはそんな乗客たちを煙たく思いつつも、高額チップのために笑顔を絶やさない。



 晩餐会の夜、船は嵐に遭遇してせっかくのパーティーは惨憺たる有様に。さらには武装組織の襲撃を受け、船は沈没。ヤヤとカールを含めた少数の生き残りは無人島に流れ着く。だが、島には食料も水も無く、携帯電話も通じない。そんな中、リーダーシップを発揮したのはサバイバル能力に長けたトイレ清掃婦のアビゲイルだった。

 天候が悪化することは十分予測出来たにもかかわらず船は航行を止めず、それどころか豪華なディナーパーティーを強行。船長は飲んだくれて救助信号も送らない。果ては突然海賊が襲ってくるという無理筋の展開。要するにリアリズムを最初から放棄しており、私の苦手とするファンタジー路線を狙っている(苦笑)。

 金持ちの乗客は全員が白人で、機関士には黒人がいて、掃除係はアジア人という、超図式的なキャラクター配置。それが無人島では立場が逆転するという、これまた絵に描いたようなカタルシス狙いの筋書き。格差社会と人種差別を糾弾して風刺する意図は分かるが、これだけあからさまな御膳立てだとシラけてしまう。

 だが演出はパワフルで、夕食会の惨状を容赦なく描くなど、観る者を引きずり回す腕力があることは認めよう。しかし、無人島に流れ着いてからのストーリーは工夫が足りずに飽きてしまった。結局、一番面白かったのは序盤の“高級ブランドとファストファッションの、モデルの立ち回りの違い”というネタだったりする。

 ハリス・ディキンソンとチャールビ・ディーンの主演コンビは好調。特にディーンはゴージャスで華があったが、撮影後に急逝したという。実に残念だ。ウッディ・ハレルソンにビッキ・ベルリン、ヘンリック・ドーシン、ドリー・デ・レオンといった顔ぶれは濃くて悪くない。それにしても、前回大賞を取った「TITANE チタン」もそうだが、カンヌ映画祭は変化球を利かせ過ぎたシャシンが有利な雰囲気だ。果たしてこのままで良いのか、大いに疑問である。
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