元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ボクたちはみんな大人になれなかった」

2023-04-30 06:11:33 | 映画の感想(は行)
 2021年11月よりNetflixより配信。主人公の生き方を肯定するわけではないが、理解はできる。言い換えれば、劇中の登場人物たちの境遇とは接点のない人生を送っている観客に、彼らの存在感を認めさせた時点で本作は成功したと言って良いだろう。的確な時代考証も含めて、鑑賞して損のない作品だと思う。

 40歳代半ばの主人公佐藤誠は、テレビ番組のテロップ等を作る会社に勤めて約30年経つが、仕事面で大きな功績を残したわけではなく、交際相手の石田恵との結婚にも踏み切れない。煮え切らない日々を送る彼は、いくつかの再会をきっかけに昔のことを思い出す。まだバブルの余韻があった90年代前半に、佐藤はトレンディな(笑)世界と思われていたテレビ業界に職を得る。



 とはいえ番組制作のツールを手掛ける請負会社のスタッフに過ぎないのだが、それでも佐藤はここから頭角を現して小説家としてのデビューも飾りたいとの希望は持っていた。やがて加藤かおりという恋人も出来て、人生本番というときに前に進まなくなる。作家の“燃え殻”による同名小説の映画化だ。

 タイトルとは異なり“大人になれなかった”のは主人公だけだろう。百歩譲っても、佐藤と近しい何人かがモラトリアムの次元にいるに過ぎない。あるいは“大人になれなかった”ことを見届ける前に主人公の元から離れてしまう。本当はかおりと別れた時点で佐藤は自身の生き方を見直すべきだったのだが、そうしないまま中年に達してしまった。ただ、こういう奴を嫌いになれないのも、また事実。

 映画は現在から時間を遡って進行するが、主人公がどうしてこういう選択をしたのかは、その時点ではそれほど不合理ではなかった点が面白い。要するにそれは、時代の“空気”というものだろう。特に90年代の明るい雰囲気の描出は、確かに佐藤のような者の存在は少しも不自然ではないと思わせる。それだけに、時制が現代に戻る終盤の扱いはホロ苦い。これが監督デビューになる森義仁の仕事は堅実で、元々はMVやCMの製作者だったにも関わらず、小手先の映像ギミックには決して走らない。

 主演の森山未來は複数の年齢層を違和感なく演じていて感心したし、ヒロイン役の伊藤沙莉もヒネくれた女子を上手く表現していた。東出昌大にあまり演技力が必要ではない役を振ったのも賢明だし(苦笑)、大島優子に篠原篤、岡山天音、萩原聖人、徳永えり、原日出子、SUMIRE、片山萌美など、良いキャストを集めている。それにしても、WAVEのビニール袋にはウケた。六本木のあの商業施設には、私も何度も足を運んだものだ。本当に懐かしい。
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「ザ・ホエール」

2023-04-29 06:07:03 | 映画の感想(さ行)
 (原題:THE WHALE )冒頭タイトルが出るまで、この映画の監督がダーレン・アロノフスキーであることを知らなかった。だからその瞬間、本作が宣伝文句にあるような“心震わすヒューマン・ドラマ”などでは断じてなく、一筋縄ではいかないヒネクレ映画であることを予想した。そして実際その通りだったのだから世話はない。もっとも、これは決してケナしているわけではなく、変化球を駆使した快作として大いに評価できる。

 アイダホ州の地方都市に住む中年男チャーリーは大学の国文学の教員をオンラインで務めているが、教え子たちには自分の姿を絶対に見せない。なぜなら、彼は肥満症を患っており体重は270キロにもなる魁偉な容貌の持ち主だからだ。しかも、心臓が弱っていて余命幾ばくも無い。今は同性の恋人だったアランの妹で看護師のリズの世話を受けながら何とか生活が出来ているが、彼は命が尽きるまでに疎遠だった高校生の娘のエリーと和解したいと思っている。劇作家サム・D・ハンターによる戯曲の映画化だ。



 元ネタが舞台劇であるため、カメラはチャーリーが住むアパートの一室をほとんど出ることはない。また、登場人物が少なくそれぞれに大きな役割が与えられていることもあり、観る側にとっての圧迫感は相当なものだ。加えて、主人公の職業を反映してかハーマン・メルヴィルの「白鯨」が大きなモチーフになっており、この小説自体が旧約聖書からの象徴的な引用が多いことから、年若い聖書のセールスマンのトーマスというキャラクターを用意して宗教的なアプローチも垣間見せる。

 エリーが書いた「白鯨」に対する感想文がドラマのキーポイントになっているようで、実はそうでもない。「白鯨」のエイハブ船長がモビィ・ディックを倒せば総て救われると信じているように、エリーは父親の存在を否定することが自身の人生を切り開く第一歩と思い込んでいるようだ。しかしそれは違う。

 当の彼女が小説「白鯨」に対してネガティヴな印象を持っているように“信じる者は救われる”というようなオール・オア・ナッシングなスタンスで世の中が割り切れるはずがないのだ。この映画は執着的な思い込みから登場人物たちが“解脱”していくプロセスを重層的に綴った作品だということが出来る。ずっと暗鬱だった画面が明るくなる終盤の処置がそのことを如実に示しており、また感動的でもある。

 アロノフスキーの演出は、こういうギリギリまでに追い詰められた人間たちを描く段になると無類の力強さを見せる。特殊メイクで巨漢になりきったブレンダン・フレイザーの大熱演も相まって、各キャラクターに逃げ場を与えない。エリーに扮した新鋭セイディー・シンクや、リズ役のホン・チャウ、妻メアリーを演じたサマンサ・モートン、トーマス役のタイ・シンプキンス、皆目を見張るようなパフォーマンスだ。ロブ・シモンセンの音楽とマシュー・リバティークによる撮影も万全で、これは本年度のアメリカ映画では見逃せない一本だ。
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「キル・ボクスン」

2023-04-28 06:13:48 | 映画の感想(か行)
 (英題:KILL BOKSOON)2023年3月よりNetflixより配信された韓国製サスペンス・アクション。これは面白くない。聞くところによれば、配信されると再生数が初登場世界1位になったらしいが、この程度の出来では承服しがたい。もっとも映像処理は「マトリックス」シリーズを思わせる凝ったところがあるので、そのあたりがウケたのかもしれない。

 暗殺請負会社“MKエンターテインメント”に所属する凄腕の仕事人キル・ボクスンは、思春期の娘ジェヨンを育てるシングルマザーでもある。娘がいる身でこの稼業を続けることに限界を感じていた彼女は引退を考え始めるが、そんな折、請け負った仕事に迷いが生じて完遂できず、上司や同業者との間に気まずい空気が流れ始める。しかもジェヨンは学校で次々と問題を起こし、ボクスンの悩みは尽きない。

 冒頭、ヒロインのターゲットになったヤクザが怪しげな日本語で凄んでいるというシーンを観ただけで、鑑賞意欲は随分と減退する。それでも我慢して付き合ってはみるが、一向に盛り上がらない。子育て中の女殺し屋という設定で意外性を出したつもりだろうが、ボクスン親子の住む家は超豪邸で、これでジェヨンが母親を堅気の社会人だと思うのは無理がある。ここは普通の中流家庭として描いた方が効果的だった。

 暗殺専門会社は“MK”以外にもけっこうあるらしく、経営者連中が多数集まって業界連絡会(?)みたいなのを定期的に催すというのも噴飯物。アメリカや中国ならばともかく、韓国国内にそれだけの従業者を抱えられるだけの“需要”があるとは思えない。予想通り中盤以降には殺し屋同士の内紛が勃発するのだが、そこに切迫した事情があるわけでもない。ただ“MK”の親玉が勝手なルールとやらをデッチあげ、それに違反したのどうのという内輪の話が漫然と進むだけだ。

 それでも活劇場面のヴォルテージが高ければ許せるのだが、これが低調。映像的ケレンばかりが目につき、アクション自体の力強さが無い。そもそも主演のチョン・ドヨンは活劇向けのキャラクターではなく、終始違和感しか覚えない。ピョン・ソンヒョンの演出は快作「キングメーカー 大統領を作った男」(2022年)を手掛けた監督と同一人物と思えないほど気合が入っていない。ソル・ギョングをはじめ、イ・ソム、ク・ギョファン、キム・シア、イ・ヨンといった他の面子も大して魅力なし。
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「生きる LIVING」

2023-04-24 06:22:57 | 映画の感想(あ行)
 (原題:LIVING)予想以上にウェルメイドで、鑑賞後の満足度は高い。1952年に作られた黒澤明監督の「生きる」は間違いなく映画史上に残る傑作だが、この再映画化ということになるとハードルはかなり高く、過度な期待は禁物。ただし、脚本をカズオ・イシグロが担当すると聞き俄然興味を覚えた。そして実際に観てみると、良い意味でイシグロのカラーが出ていることに感心する。

 舞台はロンドンだが、時代設定はオリジナルと同じ。ストーリーもほぼ一緒なのだが、本作は黒澤明の身を切るような冷ややかで厳しい人間観察は影を潜めている。それが最も顕著なのは、元ネタで小田切みきが演じた、主人公の部下だった若い女子の扱いだ。オリジナルにおけるこのキャラクターは、それまで堅物だった主人公がなぜか若干ソフトになったことを面白がり、しばらくは付き合ってはみるが、彼が難病に罹患していることを知るやダッシュで離れてしまう。とにかく厄介なことには関わりたくないという、徹底してドライな造型だった。



 対してこのリメイク版における元市職員の女子は、かつての上司の境遇を知って心が揺さぶられ、涙さえ流すのだ。また、オリジナルで伊藤雄之助が扮したメフィストフェレスみたいな小説家に比べれば、この映画の無頼派の物書きはけっこうナイスガイだ。黒澤版では主人公の仕事仲間はチンケな小役人ばかりだが、本作の主人公の部下や同僚はほぼ真人間であり、若く前向きな新入職員まで登場させている。息子との関係性も、殺伐としたオリジナル版とは随分と違う。

 斯様にこの映画は、黒澤版とは異なるハートウォーミングなテイストが目立っている。これがシナリオ担当者の個性なのだが、それでこの題材の大きさが損なわれているかというと、そうではない。善意の者たちが目立つからこそ、この世を去る主人公の悲哀と決意が際立つとも言えるのだ。オリジナル版に比べて40分ほど短いのも、徹底して人間の性を追い詰めた黒澤明と一線を画したある種の娯楽性を獲得している。

 監督のオリヴァー・ハーマナスの名は初めて知ったが、カンヌで受賞するなど実績はあるようだ。本作では実に重心の低い万全の仕事を見せ、また83年生まれと若いことから、今後の活躍が期待できる。主演のビル・ナイのパフォーマンスはまさに横綱相撲。市役所職員としてはいささか年を取り過ぎているようにも思えるが、悠然と構えた英国紳士を余裕で表現している。

 エイミー・ルー・ウッドにアレックス・シャープ、トム・バーク、エイドリアン・ローリンズらの配役も派手さは無いが本当に手堅い。当時のロンドンの町並みは巧みに再現されており、主人公が口ずさむスコットランド民謡“ナナカマドの木”は、黒澤版における“ゴンドラの唄”に負けないほどの存在感を示す。本年度のヨーロッパ映画の収穫だ。
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「わたしは光をにぎっている」

2023-04-23 06:05:23 | 映画の感想(わ行)

 2019年作品。観ていて戸惑うしかない映画だ。言いたいことは大体分かる。しかし、それ自体は観ている側にとっては大したことではなく、語り口も手慣れているとは言い難い。そもそも、斯様なネタをこのように扱うシャシンが、どうして作られたのか理解できない。製作サイドでは本作に如何なる勝算を見込んだのだろうか。邦画界には不思議なことが横行しているようだ。

 二十歳になる宮川澪は、両親を早くに亡くして祖母と一緒に長野県の野尻湖畔の民宿を切り盛りしていたが、祖母が入院してしまい民宿の閉鎖が決まる。父の親友だった三沢京介を頼って上京した澪は、彼が経営する銭湯を手伝うようになる。しかし、東京での生活にも慣れきてた彼女に突きつけられたのは、銭湯が区画整理のため閉店しなければならないという、非情な現実だった。

 コミュニケーションが苦手な主人公が、それまで何とか暮らしていた場所から見ず知らずの土地に移らざるを得なくなり、藻掻きつつも周囲と折り合いを付けるまでを描いたドラマだ。正直こういうネタは珍しくはなく、あとは描き方次第で作品のクォリティが決まるのだが、本作は話にならない。そもそもヒロインの“成長度”はさほどアップせずに終わってしまうのだ。

 銭湯を切り回すことや、その常連客および周辺の者たちとの付き合い方は覚えるものの、主人公の世界はそこから広がらない。京介は銭湯が店じまいすることを数年前から知っていながら、何の準備もしないままタイムリミットを迎えて狼狽えるばかり。その他の連中も、再開発を機に新天地を求めるラーメン屋店主を除けば、皆諦観に浸るのみだ。

 つまりは、作者は主人公の生き方よりも、失われていく東京の下町情緒(?)に対する感傷を切々と綴りたいのだろう。ところが、私のようにノスタルジーなどさほど覚えない観客もいるわけで、昨今の北九州市の旦過市場の火事に代表されるように、古い商店街を放置したままでは防災上問題が出てくる。このような地域はとっとと再開発すべきだ。

 中川龍太郎の演出はテンポが良いとは言い難く、さらに固定カメラを引いたままの長回しという、昔の映画青年が喜んで使いそうな手法の多用には盛り下がるばかり。主演の松本穂香をはじめ、渡辺大知や徳永えり、吉村界人、忍成修吾、光石研、そして樫山文枝など顔ぶれは多彩ながら印象は薄い。だいたい、カメラを引いてばかりでは表情もロクに読み取れない。ただし、冒頭と終盤に映し出される野尻湖畔の風景だけはすこぶる美しく、そこは鑑賞する価値はあるだろう。
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「トリとロキタ」

2023-04-22 06:20:22 | 映画の感想(た行)
 (原題:TORI ET LOKITA)ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督作品らしい厳しいタッチが横溢しているが、これまでの彼らの映画に(程度の差こそあれ)必ずあった“救い”というものが見受けられない。それだけシビアな現実をリアルに活写していると言えるが、それで映画としての面白さ喚起されているかは別問題であろう。

 アフリカから地中海を渡ってベルギーのリエージュまでたどり着いた少年トリと年上の少女ロキタは、他人同士ながら本当の姉弟のように支え合って生きていた。特にロキタは情緒不安定で、しっかり者のトリとしては目が離せない。未成年の2人はビザが無いため、ドラッグの運び屋をして金を稼ぐ毎日だ。ロキタは何とか偽造ビザを手に入れるため、さらにヤバい仕事に手を染めることになる。



 アフリカでの辛い生活から逃れるためにヨーロッパに渡っても、別の意味での苦界が待っている。いくら主人公たちが子供でも、容赦しない。看過できないのは、たとえEUの本部があるベルギーのような国でも、麻薬汚染をはじめとする治安の劣化が避けられないことだ。一見何の変哲もないレストランの厨房でドラッグの取引が展開されていたり、郊外の工場がアヘンの精製所になっていたりと、実態は本当にエゲツない。

 それら社会のダークサイドにとって、トリとロキタのような年若い異邦人は絶好の餌食になる。工場で働かされているロキタをトリが探し出すパートこそミステリー的な興趣はあるが、あとはひたすら暗鬱な現状のリポートに終始する。作者はこの有様に怒りを覚えて本作を撮ったのだろうが、出口の見えない筋書きは、映画として重苦しくもある。同監督の「息子のまなざし」(2002年)や「少年と自転車」(2011年)のような、終盤に一縷の光を見出すような建付けにした方がより喚起力が増したと思われる。

 この監督の作品に出てくる若輩者たちは素人同然であるケースが多いが、この映画のパブロ・シルズとジョエリー・ムブンドゥも同様だ。しかし、存在感は格別である。アルバン・ウカイにティヒメン・フーファールツ、シャルロット・デ・ブライネ、ナデージュ・エドラオゴといった他のキャストも好演。2022年の第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、75周年記念大賞を受賞している。
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「生きちゃった」

2023-04-21 06:14:31 | 映画の感想(あ行)
 2020年作品。話の設定や筋書きには納得できない点も少なからずあるが、各キャラクターが抱える屈託の表現はけっこう非凡だ。決して観て楽しいシャシンではないものの、描かれたモチーフに関してしばし考える時間を設けたくなる。キャストの仕事ぶりも達者で、石井裕也監督の作品としては上出来の部類である。

 山田厚久と奈津美、そして武田の3人は、高校時代からの仲の良い幼なじみだ。長じて厚久と奈津美は結婚し、5歳になる娘の鈴と東京で暮らしている。ある日、体調が悪くて仕事を午前中で切り上げて家に戻った厚久が見たものは、奈津美がヨソの男を連れ込んでよろしくやっている現場だった。



 ショックで口もきけない厚久に向かって奈津美は、離婚するので家を出て行ってほしいと言い放つ。しかも彼女は、厚久に対して愛情を感じたことは無いらしい。失意のうちに北関東の実家を訪ねた厚久を迎えたのは、気難しい両親とヤク中で引きこもりの兄だけで、何の慰めにもならない。一方で奈津美は、同居しているくだんの浮気相手の洋介の甲斐性無さに辟易するようになる。

 不倫をはたらいた妻に離縁を切り出され、しかも住むところも娘の養育費も巻き上げられてしまうという筋書きは、ハッキリ言ってあり得ない。また、厚久はふとしたはずみに妊娠させてしまった奈津美に対して責任を取るため、婚約相手の早智子との仲を清算して奈津美と所帯を持ったらしいが、これも無理がある。そもそも、厚久と武田が一緒に英語や中国語を習っているというのも(一応は後半の伏線にはなっているとはいえ)意味不明だ。

 しかしながら、これらは厚久の煮え切らない性格を浮き彫りにする意味では効果的である。厚久は思っていることを言葉に出せない。周囲に流されてばかりで自分で能動的に決断することは無い。そんなスタンスのまま、いつも貧乏くじを引かされて陰にこもるばかり。武田のプロフィールは詳しくは明かされないが、厚久と奈津美のことを絶えず気にかけていて大事なところでフォローしようとする、その作劇上の役割は的確だ。厚久がやっと自分の気持ちを言い出そうとする、その切っ掛けを作るために腐心する終盤の扱いは大いに納得した。

 厚久役の仲野太賀、武田に扮した若葉竜也、共に好演。原日出子に鶴見辰吾、伊佐山ひろ子、嶋田久作、毎熊克哉、柳生みゆなどの脇のキャストも万全だが、特にインパクトが大きかったのは奈津美を演じる大島優子だ。かなり攻めた体当たり演技を披露していて、ちょっと前まで人気アイドルとして愛嬌を振り撒いていた者とは思えない。
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「零落」

2023-04-17 06:15:27 | 映画の感想(ら行)
 監督としてはあまり実績を残せていない竹中直人のメガホンによる作品なので正直大して期待していなかったのだが、実際観てみると悪くない出来だった。万全の内容とは言い難いが、ドラマがまとまりを欠き空中分解することは決してなく、主人公に感情移入したくなる箇所もある。最近観た日本映画の中では、印象に残った部類だ。

 漫画家の深澤薫は、8年もの間連載してきた作品を完結させ、つかの間の休息の時間を迎えていた。ところが、満を持して取り掛かるはずの次回作のアイデアが浮かばない。気が付けば編集者でもある妻のぞみとの関係も冷え切り、雇っていたアシスタント達のアフターケアも考慮せねばならず、気苦労ばかり募る日々だ。



 ある日、気晴らしに風俗店を訪れた彼は、猫のような眼をしたミステリアスなヘルス嬢ちふゆに出会う。元より猫っぽい女が好きな薫は余計な詮索なんかしないサバサバした性格の彼女にのめり込み、果ては帰省するちふゆの故郷まで付いて行く。浅野いにおによる同名コミックの映画化だ。

 主人公の薫は才能はあるのだろうが、長期連載が終わった後の読者層や業界筋との関係を、仕切り直しすることが出来ない。私生活も危機に陥り、宙ぶらりんのまま無為に毎日を送るしかない。こういう“中年の危機”みたいな様相は上手く描写されていると思う。そして、縋り付くように行きずりの女と懇ろになるあたりも、気持ちは分かる。

 また、出版業界のいい加減さも紹介される。連載中は薫をチヤホヤしていたくせに、新作がなかなか出なくなると手のひらを返したような塩対応。ファミレスでの逆ギレ場面はエゲツなくて苦笑してしまった。果ては深みは無いがウケが良い軽佻浮薄な作品を売り込んで成果を上げる。もっとも、通俗的なヒット作と薫が目指していたらしい作家性本位の漫画の何たるかが説明されていないのは落ち度だろう。

 主演の斎藤工は好調で、人生投げたような捨て鉢な雰囲気が良く出ている。抜け目なさそうな妻役のMEGUMI、根性腐ったようなアシスタントの女を演じて新境地開拓の山下リオ、トレンディ(?)な人気を誇る女性漫画家に扮した安達祐実、超太めの風俗嬢役の信江勇など、女優陣はかなり健闘している。

 しかし、ちふゆを演じる趣里は演技指導が不十分なのか、今回は意外と精彩が無い。同じく猫みたいな女優ならば、主人公の若い頃の交際相手に扮した玉城ティナの方が数段上だ。映像面では柳田裕男のカメラによる茫漠とした海の風景が印象的。竹中作品では珍しい“映像派”方面に振った絵作りだ。志磨遼平の音楽も良い。
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「ポリス・ストーリー3」

2023-04-16 06:13:46 | 映画の感想(は行)
 (原題:警察故事3 超級警察)92年作品。第95回米アカデミー賞で主演女優賞を受賞したミシェル・ヨーを、最初に見たのがこの映画(当時はミシェール・キングと名乗っていた)。とにかく強烈な印象を受け、アジアには凄い人材がいるものだと驚いたことを覚えている。もちろん本作はジャッキー・チェン主演による人気シリーズの三作目なのだが、主人公よりヒロインの方が目立っているという玄妙な結果には感心するしかない。

 麻薬汚染が顕著になってきてた香港の現状を打破すべく、警察当局は中国人民武装警察部隊と手を組み、東南アジアの麻薬シンジゲートの大物チャイバの検挙に乗り出す(この頃の香港は中国への返還前である)。香港警察のチェンは中国捜査当局の女性刑事ヤンと協力して、チャイバの手下で服役中のパンサーを味方のふりをして計画脱獄させ、チャイバの元へ案内させる作戦に出る。だが、行く先々で妨害が入り、特にチェンの恋人メイがヤンとの仲を浮気だと疑ったことから重大なピンチを招いてしまう。



 前二作に比べ、舞台が中国本土やマレーシアといった香港以外にも拡大し、スケール感がアップしている。それでいて上映時間は96分に抑えられており、作劇はタイトだ。とはいえスタンリー・トンの演出は相変わらず泥臭く、無理矢理な展開や大して効果的ではないギャグの挿入が目立つ。だが、ことアクションシーンになると目覚ましい求心力を発揮。ひょっとしたら活劇映画史上に残るのではないかと思うほどのヴォルテージの高さだ。

 そしてヤンに扮するミシェル・ヨーの身体能力は凄まじい。程度を知らない格闘場面やガン・アクションはもとより、終盤のバイクに乗ったまま走行中の貨物列車の屋根に飛び乗り、そのまま悪者どもとの乱闘場面に突入するというシークエンスに至っては、もはや映画全体がマルチバースに移行したかのような世界が現出する。

 対するチェン役のジャッキーも負けてはおらず、飛行しているヘリコプターに縄梯子一つでしがみつき、クアラルンプールの上空を振り回されるという“在り得ないシーン”を提供。スタントマン無し、CG無し、命綱無しの状態で、よくここまで出来るものだと感動を覚えた。メイ役のマギー・チャンをはじめ、トン・ピョウやユン・ワー、ケネス・ツァン、ジョセフィーヌ・クーといった他のキャストも好調。主題歌はもちろんジャッキー自身が担当している。
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「マッシブ・タレント」

2023-04-15 06:20:55 | 映画の感想(ま行)
 (原題:THE UNBEARABLE WEIGHT OF MASSIVE TALENT )アクションコメディとしては凡庸で、敢えてコメントするほどのレベルではない。しかし、あのニコラス・ケイジが現実のケイジ自身を彷彿とさせる映画スター(?)をヤケクソ気味に演じるという設定は効果的で、それほど退屈しないで最後まで観ていられる。こういうシャシンもあっていい。

 かつては売れっ子で主要な映画アワードの受賞歴もある俳優ニック・ケイジは、今では落ちぶれて多額の借金を抱える身だ。しかも嫁さんには逃げられ、娘にも愛想を尽かされている。そんな彼に、スペインの大富豪の誕生日パーティに参加するだけで100万ドルが得られるという、実にオイシイ仕事の依頼が来る。



 胡散臭さを感じながらも借金返済のためにスペインまで足を運んだ彼を迎えたのは、パーティの主賓でニックの大ファンであるという大金持ちのハビ・グティエレスだった。彼の大らかな人柄に惹かれたニックはすぐに意気投合するが、そんな中、ニックはCIAの幹部からある依頼を受ける。実はハビは国際的な犯罪組織の首領らしく、彼の動向をスパイしてほしいというのだ。

 この一件の裏にはカタロニアの政治家の娘が誘拐され、ハビが所有する広大な敷地のどこかに監禁されているという背景があるのだが、それほど効果的には扱われていない。そもそも監督トム・ゴーミカンの腕前がイマイチで、面白そうなシチュエーションは用意されているものの、演出のテンポが悪くサスペンスもギャグもキマらない。また、後半ニックの妻子もスペインに来てしまうという筋書きは彼女たちの“活躍”を挿入するためとはいえ、無理矢理感が強い。

 それでも何とかスクリーンに対峙できたのは、ニコラス・ケイジのセルフ・パロディが満載だからだ。誘拐される娘が観ているたのが「コン・エアー」で、以下「フェイス/オフ」や「ザ・ロック」、「月の輝く夜に」、「コレリ大尉のマンドリン」、「ゴーストライダー」等々、ニコラス御大のネタが性懲りもなく出てきて、それだけでもニヤついてつまう。果ては彼の“心の声”を象徴する謎なキャラクターが登場し、興趣は高まるばかり。

 キャストではハビ役のペドロ・パスカルが絵に描いたような好漢ぶりでインパクトが高く、シャロン・ホーガンやアイク・バリンホルツ、ティファニー・ハディッシュ、リリー・シーンらのパフォーマンスも良好。音楽担当はマーク・アイシャムで、ライト過ぎる作劇にはもったいないほどの堅実なスコアを提供している。
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