元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「猿楽町で会いましょう」

2021-06-28 06:22:22 | 映画の感想(さ行)
 石川瑠華扮するヒロイン像が光っている。近年では深田晃司監督の「本気のしるし」(2020年)で土村芳が演じた悪女がインパクトが強かったが、本作の石川も負けていない。こういう女に関わったら身の破滅だと思わせるようなヤバさがある。また、他のキャラクターも丹念に掘り下げられており、辛口の人間なドラマとして見応えがある。

 主人公の小山田修司は売れないフォトグラファーで、いつかファッション関係の素材を撮りたいとは思っているが、今は単価の低い雑貨の宣材写真を手掛けて糊口を凌いでいる。ある時、修司はひょんなことから読者モデルの田中ユカの写真を依頼される。意気投合した2人は、渋谷の猿楽町のアパートで暮らすこととなり、撮った写真も賞に入選するなど修司にもようやくツキが回ってきたように思えた。だが、ユカは実は別の男の部屋に出入りしていることが発覚。さらに、彼女はモデルの仕事を得るために怪しげなバイトに手を出していることも明るみに出て、修司は困惑するばかりだった。



 ユカの造型が出色だ。彼女には漠然とした上昇志向らしきものはあるが、それ以外は見事なほどにカラッポである。彼女の物言いはすべて他人からの受け売りで、主体性のカケラも無い。しかも、他人が自分より先んじていることに対するジェラシーはあるらしく、陰湿なマネをすることに躊躇はない。それでいて、イノセントで男好きのする外見であるため、交際相手には困らなかったりするのだ。

 映画はそんな彼女を、一点の救いも無く描く。その容赦のなさは、一種のスペクタクルだ。ついでに言えば、修司を除いた他の連中もクズばかり。自分のためならば平気で他人を利用する。だが、中身の無いまま浮遊したように日々を生きるユカのクズっぷりには敵わない。いわばこの映画は“クズの中のクズ”を決めるバトルロワイアルみたいなものだ(笑)。そんな中にあって、修司だけはこの状況にしっかりと対峙することになり、いわゆる若者の成長物語になっているあたりが見上げたものだ。

 これが初の商業監督映画となる児山隆の演出は堅牢で、時制を3つに分けるテクニックも鮮やかに決まる。作劇のテンポが滞らないのも感心した。修司役の金子大地は、理不尽な事態に直面して我を失う一歩手前のディレンマをうまく表現して高得点。

 栁俊太郎に小西桜子、前野健太、長友郁真といった脇の面子もクセ者揃いだが、やはりユカに扮する石川のパフォーマンスは凄い。何を考えているのか分からず、何をしでかすのか全く予想できない。この年代の女優の中では群を抜く個性派で、今後の活躍が期待できる。松石洪介の撮影と橋本竜樹の音楽も的確な成果を上げている。
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ドラマ「全裸監督」

2021-06-27 06:34:55 | その他

 2019年8月より配信されたNetflixオリジナルシリーズ(全8話)。かなり評判が良いので見てみたが、すっかり楽しませてもらった。各回で演出者が違うこともあり、クォリティが平準化しているとは言い難いが、それでも題材の面白さとキャストの存在感により、見ていて飽きない。

 80年代初頭、北海道で英会話教材のセールスマンをしていた村西とおるは、クセの強い性格も相まって全然成績を上げられなかった。そこで社内トップの先輩から直々に教えを請うたところ、見事にブレイク。売り上げ一位にまで上り詰める。しかし、あえなく会社は倒産。尻の軽い妻とも別れて路頭に迷っていたところ、ひょんなことからビニール本のブローカーである荒井トシと知り合う。ビニ本製作に乗り出した村西はこれを成功させ、やがて当時は黎明期だったアダルトビデオを手掛けるようになる。アダルト業界の風雲児と呼ばれた村西とおるの半生を描いた、本橋信宏の「全裸監督 村西とおる伝」の映像化だ。

 とにかく、村西のキャラクター造型には圧倒される。彼には“迷い”というものが無い。とにかく、エロで世界を変えるのだ、皆が見たいものを見せるのだという、ある種“崇高な”使命感に突き動かされている。一切の妥協を許さず、逮捕されようが同業他社の妨害に遭おうが、まったく怯まない。

 それでいて、ビデオの演者たちに肉迫する姿勢は、理想的な映像クリエーターとしてのテイストも感じられ、見ていて実に気持ち良いのである。斯様な真っ直ぐな人間と対比するかのように、ワイセツ描写に及び腰な当局側や世間の風潮の滑稽さを浮き彫りにしている点もアッパレで、見事なアンチヒーロー物たり得ている。

 総監督は武正晴で、他に河合勇人や内田英治らディレクターが各回を担当しているが、出来にはバラつきがあり、余計なエピソードも存在する。そして終盤には展開が駆け足になったことは否めない。だがそれでも、ギャグとシリアスとセクシーを絶妙にブレンドさせた本作の求心力には瞠目せざるを得ない。

 主演の山田孝之は超怪演で、この無手勝流のキャラクター像は、彼の代表的なキャリアになることは間違いない。満島真之介に玉山鉄二、柄本時生、伊藤沙莉、リリー・フランキー、石橋凌、國村隼、冨手麻妙といった他の面子も持ち味を発揮。そして凄いのが黒木香を演じた森田望智で、まさに“本職”顔負けの思い切ったパフォーマンスに驚くばかりだ。通常の民放ドラマとは違う、Netflixらしいカネの掛かったセット、さらには海外ロケまで敢行している。もちろん、シーズン2もしっかりチェックする予定である(笑)。
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「スペース・スウィーパーズ」

2021-06-26 06:23:15 | 映画の感想(さ行)
 (英題:SPACE SWEEPERS)2021年2月よりNetflixより配信。題材とストーリー運びは特に目新しい点は見つからず、キャストの仕事ぶりもさほど印象に残らないのだが、韓国映画がこういうシャシンをリリースしたという事実は注目に値するだろう。エクステリアに限って言えばハリウッド作品にも匹敵する仕上がりで、こういう企画が通ったこと自体、彼の国の映画界の勢いを感じさせる。

 2092年、地球は環境の悪化により居住が難しくなっていた。大手宇宙開発企業のUTSは宇宙空間に巨大な居住エリアを建設するが、そこは上層階級の人間しか住むことが出来ない。そんな中、宇宙に散乱する金目のゴミの収集と売却を生業とする“スペース・スウィーパーズ”と呼ばれる者たちが跋扈していた。



 韓国籍の“勝利号”も宇宙のゴミの掃除に勤しんでいたが、ある時操縦士のテホが廃棄された宇宙船の中で一人の少女を発見する。その少女は行方不明の子供型アンドロイドの“ドロシー”のようで、内部に水爆が装着された大量破壊兵器らしい。“勝利号”の乗組員たちは“ドロシー”を闇組織に売り払って大金を得ようとするが、UTSの親玉も別の目的で“ドロシー”を追っていた。

 設定はよくあるディストピアもので、その中で“はぐれ者たち”が活躍するという筋書きも凡庸だ。そもそも、現時点でも月面に基地さえ作れない状態で、あと約70年で絵に描いたようなスペースオペラ的な設備とメカが実現するわけがない(笑)。ここは時代設定をあと100年ぐらい先にすべきだった。

 とはいえ、チョ・ソンヒの演出は賑々しくSF大作感を出しており、よく観ればそれほど予算は掛けていないのが分かるが、撮り方が上手いので画面が安っぽくならない。ただ、もっとエピソードを刈り込んで尺を短くすれば良かったとは思う。

 “勝利号”の連中は総じてキャラクターは“立って”おらず、“ドロシー”に扮した子役もあんまり可愛くないのだが、その中でロボットのバブズの造型だけは面白い。ソン・ジュンギにキム・テリ、チン・ソンギュといった出演陣は無難に役をこなしているといった程度。悪役のリチャード・アーミティッジもスゴんでいるわりには迫力に欠ける。しかしながら、アジア映画で本格的な宇宙物が観られたことは評価したい。
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「コンティニュー」

2021-06-25 06:22:28 | 映画の感想(か行)
 (原題:BOSS LEVEL)気軽に楽しめるB級活劇だ。基本的な設定はよくある“タイムループもの”で、決着の付け方が釈然としない部分があるが、全編に散りばめられた小ネタやモチーフは面白い。また作劇のテンポは悪くなく、ストーリーが渋滞を引き起こすこともない。キャストも有名どころを起用しているし、空いた時間に観るにはもってこいのシャシンだろう。

 元米陸軍デルタフォース隊員のロイは、ジョージア州アトランタにあるアパートの一室で目覚めると、突如謎の殺し屋に襲われる。何とかそれをやり過ごすと、別の殺し屋が次から次へと現れて、あえなく命を落とす。だが、殺されるたびに彼はその日の起床時に“戻って”しまう。ロイはそれを無限に繰り返していた。この異常事態は、大手軍事企業に勤める物理学者の元妻のジェマが関係しているのではないかという手掛かりを掴んだ彼は、何とかその研究所に乗り込もうとする。だが、ジェマが関わっている計画の責任者である軍属科学者ヴェンター大佐が、そこに立ちはだかる。



 策を練りながら目的地に到達するというアウトラインは、まさにRPGだ。ロイは、死ぬたびにそのシチュエーションを理解すると共に打開策をあみ出し、一歩一歩目標に近付く。その、殺されるパターンが多岐に渡っていて面白く、殺し屋たちの造型は徹底してマンガチックで笑える。特に、中国剣術の使い手に対抗するために知り合いのエキスパートから何度も“丸一日かけて”対処法を伝授してもらうというくだりはウケた。

 また、疎遠になっていた息子のジョーと会い、親子の絆を取り戻すパートも挿入されるなど、展開が一本調子にならないように工夫されている。ただし、そもそもこの時間ループの仕掛けがどういう段取りで動いているのかよく分からないのは不満だ。ラストの主人公たちの行動も腑に落ちない。しかし、スピーディーに繰り出される立ち回り場面を観ていると、欠点はあまり気にならなくなるのも確かである。

 ジョー・カーナハンの演出テンポは快調で、退屈さを覚えることはない。主演のフランク・グリロはあまり見ない顔だが、50歳過ぎてから仕事が順調に入るようになったという苦労人らしい。ここでは、マッチョな体型を活かしたパワー系のアクションを見せる。メル・ギブソンにナオミ・ワッツ、ミシェール・ヨーといった名の知れた面子を脇に配しているのも、作品が安っぽくならなくて良い。ただし残虐場面も少なくないので、誰かと一緒に鑑賞する際には注意が必要かもしれない(笑)。
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「恋恋風塵」

2021-06-21 06:23:46 | 映画の感想(ら行)
 (原題:戀戀風塵)87年作品。台湾の名匠と言われた侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の代表作の一つで、感銘度はとても高い。技巧的には精緻を極め、語り口は静かだが、内容はドラマティックで息もつかせない。そして、題名通りに“風の中の塵のように”儚くも崇高な人生の機微について思いを馳せる。見事な映画だ。

 時代設定は1960年代末。台湾北部の山村で生まれた少年ワンと少女ホンは、幼い頃から実の兄妹のように育った。ワンは中学を出た後に台北に出て、働きながら夜学の高校に通う。1歳下のホンも台北で暮らし始め、互いに助け合って生きていくことを誓う。だが、数年後ワンは兵役に就くことになり、2人は離れ離れになる。ホンはワンに毎日手紙を書くことを約束するが、2年間の兵役期間は若い彼らにとって変わっていくには十分な時間だった。



 ストーリーの骨子は、幼馴染みの少年と少女の悲恋であるが、その描き方には一点の緩みも無い。2人でいることが当然だと思っていた彼らが、環境の変化により徐々に内面が揺らぎ始め、当初は考えもしなかった結末に行き着いてしまう。声高なセリフのやり取りも、大仰な振る舞いも無いが、登場人物の微妙な表情や周囲の状況の移ろいにより、力強い物語性を演出する。

 さらに素晴らしいのは、主人公2人を取り巻く家族や、故郷の村の風景だ。若い彼らを温かく見守り、それでいて流れゆく時間に対してある種の諦念をも織り交ぜる。光や緑の匂い立つような輝きと、奥深い山々の神秘性。そこに暮らす人々の、長い歴史に裏打ちされた超然とした生き方が、観る者の心を打つ。特に、ワン少年の祖父の存在は、この作品のハイライトだ。激動の台湾現代史を生きた祖父の、まさにすべてを達観したような佇まいは、作品の格調を押し上げている。

 ワン役のワン・ジンウェンとホンに扮するシン・シューフェンは共に好演。そして祖父を演じたリー・ティエンルーは台湾の伝統的人形劇の演者として有名であるが、ここではカリスマ的な魅力を発揮している。名カメラマンのリー・ピンビンによる映像は痺れるほど美しく、チェン・ミンジャンの音楽もドラマを盛り上げる。
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「アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン」

2021-06-20 06:22:36 | 映画の感想(あ行)
 (原題:AMAZING GRACE )資料的な価値は大いにあり、不完全な形であった元のフィルムを何とか修復したスタッフの努力には感服するが、映画として面白いかどうかは別問題だ。コンサートの様子を描いたドキュメンタリー映画は少なくないが、正直な話、本作が過去の数々のウェルメイドなコンサート・フィルムに比べて殊更優れているとは思えなかった。

 1972年1月13、14日の2日間、ロスアンジェルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会でおこなわれたアレサ・フランクリンのライブを、シドニー・ポラックが撮影したものだ。その音源はアルバム「至上の愛 チャーチ・コンサート」としてリリースされ、ヒットを記録した。しかし、肝心のフィルムの方は撮影時の不手際により音と映像がまったく合っておらず、とても一般に見せられるものではなかったらしい。その後、長い時間をかけて再編集され、ようやく公開にこぎつけたものだ。



 “クイーン・オブ・ソウル”との異名を持つフランクリンのパフォーマンスは、やっぱり凄い。圧倒的な歌唱力と表現力で、観る者をねじ伏せる。司会を務めるジェームズ・クリーブランド師や、コーネル・デュプリーにケニー・ルーパーなどの手練れを揃えたバックバンドの存在感にも目を見張る。

 しかしながら、いくら修復を重ねたにせよ、元の素材は不完全なものでしかない。全体的に映像は粗く、ボケている箇所が多数ある。どこでカメラを回しているのだと突っ込みたいほど、画面の構図に難がある。また平気でスタッフが何度もカメラの前を横切っているのは、いくら何でもプロ意識に欠けるだろう。

 そして何より、教会音楽で育ったフランクリンの“原点”に戻るという企画で、教会という会場にも合わせたように、大半のナンバーがゴスペルソングだったのには、イマイチのめり込めなかった(もちろん、お馴染みのヒット曲は披露されない)。個人的にはソウル・ミュージックは好きだが、劇中で歌われるディープなゴスペルは守備範囲外だ。

 表題曲の「アメイジング・グレイス」も、かなりアレンジ強めのゴスペル寄りの歌唱で、あまり良いとは思えなかった。そして、司会者の煽りでトランス状態になって踊りだす観客がいるのも、何やら宗教的な陶酔感が前面に出ていて好きになれない(こちらがキリスト教にさほど思い入れが無いこともあるが)。

 なお、ウケたのは客席にローリング・ストーンズのミック・ジャガーとチャーリー・ワッツがいたこと。思わず“ステージに出て何か歌え!”と言いたくなったが(笑)、このコンサートの趣旨に鑑みれば無理な話だったのは惜しまれる。
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「明日の食卓」

2021-06-19 06:22:15 | 映画の感想(あ行)
 先日観た「茜色に焼かれる」と似たパターンの映画だ。つまり、キャストは熱演だが筋書きに無理があるということ。もっとも、本作の脚本の不備は「茜色に焼かれる」に比べれば大きくはないとも言えるが、それでも普遍性と共感性には欠ける。こういうネタはリアリティの有無が決め手になるが、そのあたりが煮詰められていない。

 主人公は神奈川県在住で2人の息子とカメラマンの夫に囲まれる43歳のフリーライターの石橋留美子、静岡県に住む年下の夫と優等生の息子と暮らす36歳の専業主婦である石橋あすみ、大阪在住でコンビニのアルバイトと工場勤務を掛け持ちしながら一人息子を育てる30歳のシングルマザーの石橋加奈の3人。彼女たちは面識は無いが、長男が“石橋ユウ”という名の小学5年生であることだけは共通している。また3人はいずれも家庭内に問題を抱えているが、そんな折、一人の“石橋ユウ”が母親に殺害されるという事件が起きる。椰月美智子による同名小説の映画化だ。

 3人のヒロインのうち、何とか造型がサマになっているのは加奈ぐらいだ。彼女の夫はヨソに女を作って家出したため、加奈は家計とローン返済のため絶えず仕事に追いまくられている。だが不況で工場の職を失い、おまけにロクデナシの弟が家に転がり込む始末。ところが大阪の下町の雰囲気が、そんなバタバタした“定番の不幸話”を巧みに中和して訴求力の高い人情話に仕上げられている。

 だが、留美子の夫はリストラされてから常軌を逸したダメ男に変身し、子供たちも元から常軌を逸した悪ガキだ。対して留美子はなぜかコンスタントに仕事が入る。斯様に現実味は希薄だ。あすみの境遇に至っては、子供はサイコパスで夫や義母や周りの連中もロクなものではなく、リアリティの欠片も無い。ハッキリ言って、加奈のエピソード以外は不要だ。

 映画は、殺された“石橋ユウ”はいったい誰の息子なのかというミステリーも加味されるが、これがまた肩透かしというか、到底納得できるものではない。瀬々敬久の演出はパワフルで悪くないとは思うが、シナリオに瑕疵があるのでチグハグな印象を受ける。

 ただし、俳優陣は良くやっている。ヒロイン役の菅野美穂と高畑充希、尾野真千子は頑張っている。特に菅野は久々の映画出演で気合十分だ。真行寺君枝の怪演は凄いし(笑)、山口紗弥加に烏丸せつこ、山田真歩、藤原季節といったクセ者たちも持ち味を出している。そして終盤に数分だけ登場する大島優子の演技には感心した(これでやっと彼女もアイドルを完全卒業だ ^^;)。花村也寸志の撮影と入江陽の音楽は水準をキープしている。
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「エクスティンクション 地球奪還」

2021-06-18 06:18:16 | 映画の感想(あ行)
 (原題:EXTINCTION)2018年7月よりNetflixより配信。まあまあの出来かと思う。侵略系SFと思わせて、実は話は捻りが加えられている。そのあたりに満足出来れば悪くないシャシンだ。キャラクター配置に抜かりは無いし、活劇場面もそこそこ健闘している。何より95分という短い尺は適切かと思う。

 政府機関に勤める電気技師ピーターは、妻と2人の娘と暮らしていたが、最近は町全体が地球外生命体に襲撃されるという生々しい悪夢を頻繁に見るようになる。病院にも足を運んでみたが、待合室で同じ内容の夢を見ている者が他にもいることを知り、危険なものを感じ取った彼は診察を受けずに帰宅する。そしてある晩、くだんの悪夢通りに上空から飛来した宇宙船が地上を攻撃し、街中が焦土と化す。さらに謎の生命体は集団で降り立ち、住民を次々と血祭りに上げてゆく。ピーターは家族を守り抜こうと奔走するが、やがてこの状況が腑に落ちないことに思い当たる。



 宇宙から侵略してくる生命体が、人間とさほど変わらない姿形をしていることで、ほぼネタが割れてしまう。ただし、冒頭から時折フラッシュバックで挿入される“戦場”の場面が本編とどう関係してくるのかという興味は、最後まで持続する。負傷した妻アリスを助けようとする主人公の悪戦苦闘や、バリケードなどものともせずに室内にまで侵入する敵の不気味さは、十分に印象的だ。また、必死の脱出を試みる住人たちと、それを阻止しようとする侵略者たちとのチェイスはけっこう盛り上がる。ただし、物語の背景は詳説されないので不満は残る。

 ベン・ヤングの演出は中盤にテンポが悪くなるのは欠点だが、まあ許容出来るレベル。こういう映画にマイケル・ペーニャが出ていると「世界侵略:ロサンゼルス決戦」(2011年)を思い出してしまうが、彼はなかなか頑張っている。ただし、出来ればもっと二枚目の俳優を持ってくれば訴求力がアップしたかもしれない(笑)。リジー・キャプランにマイク・コルター、アメリア・クラウチといた脇の面子はあまり馴染みは無いが、よくやっていると思う。なお、ザ・ニュートン・ブラザーズによる音楽は好調だった。
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「ファーザー」

2021-06-14 06:55:51 | 映画の感想(は行)
 (原題:THE FATHER)これは面白い。最初から最後まで、ワクワクしながらスクリーンに対峙した。もちろん、本作は深刻なテーマを扱っており、ストーリーも全然明るくはないことは分かっている。だから軽々しく面白がれるシャシンではないことは確かなのだが、この映像感覚と絶妙な作劇は、まさに映画的興趣に溢れている。今年度の外国映画を代表する一作だ。

 ロンドンのアパートで独り暮らしを送る81歳のアンソニーは、認知症により日常生活にも支障が出始めていた。心配する娘のアンは時折父のもとを訪れていたが、ある日彼女は再婚を機にパリに移り住むことを告げる。そのため、新しい介護士を手配するという。戸惑うアンソニーがリビングに目をやると、そこには見知らぬ男がいた。彼はアンの夫だと名乗り、アンソニーにキツい言葉を投げかける。



 ふと我に返ったアンソニーの前に、アンとその夫ポールがいた。アンはパリで暮らすなどとは言っていないという。そして父を施設に入れることをポールと話し合うのだった。フロリアン・ゼレールによる戯曲の映画化で、ゼレール自身がメガホンを取っている。

 認知症の罹患者を扱った映画は数多くあるが、その大半が当事者を取り巻く側から描いたものだ。認知症を患った側の視点から映画が進むことは、めったにない。ところが本作は、これ全編がアンソニーの一人称で展開する。彼の認知力と記憶力は日々低下し、かろうじて娘の顔は認識出来るが、その他の人間は実在しているのかどうかもアンソニーにとっては分からない。

 時間感覚も曖昧になり、時制の流れが掴めない。自分がどこにいるのかも理解出来なくなり、そこが自身が保有するアパートなのか、アンが住むマンションなのか、はたまた施設にいるのか、それが判然としない。彼にとっては迷宮に放り込まれたのと同じで、文字通りの手探りで過ごすしかない。

 映画はアンソニーが遭遇する世界を“そのまま”再現する。見知らぬ人物たちが目の前を行き来し、空間は歪んで足取りも覚束ない。この視覚的ギミックは、まさに映像のアドベンチャーであり、シュールでホラーテイストに溢れている。そして、この“異世界”を抜けた後に彼がかろうじて知るのが、今までの人生で積み上げた事物が次々と抜け落ちてゆくという、悲しい自身の姿だ。

 ゼレールの演出は幻想的なモチーフを繰り出してはいるが、アンソニーとその家族の物語という基調を決して外さない。だから映画が安っぽくならず、骨太な人間ドラマたり得ている。主演のアンソニー・ホプキンスの演技はまさに神業で、数多い彼のフィルモグラフィの中では最上位にランクできる。アンに扮するオリヴィア・コールマンも味わい深い好演。また、若い介護士を演じるイモージェン・プーツの明るさは救いだ。ベン・スミサードの撮影とルドビコ・エイナウディの音楽も文句なしだ。
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「モキシー 私たちのムーブメント」

2021-06-13 06:16:12 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MOXIE )2021年3月よりNetflixより配信。序盤は明朗だが軽量級の学園ドラマという印象。しかし、ドラマが進むとかなりシビアな問題を提起をしてくる。観た後には考えさせられる点もあり、印象は決して悪くない。とにかく、理不尽なことに対しては当事者が声をあげなければ何も変わらないという真理を、改めて確認出来る。

 ロスアンジェルスの郊外に住むヴィヴィアンは内気な女子高生。父親が去った後の母の奔放な言動や、体育会系の男子生徒たちがデカい顔をしている学内の雰囲気に閉口しながらも、幼なじみのクラウディアと共に地味な学校生活を送っていた。だが、転校してきたルーシーの存在はヴィヴィアンに少なからぬ影響を与える。ルーシーは校内のボス的存在であるアメフト部の主将ミッチェルから嫌がらせを受けても、まったく怯まない。

 賛同者を増やしていくルーシーの頼もしさに触発され、ヴィヴィアンは校内の性差別など告発した小冊子“モキシー”を匿名で作成して配布する。これが大反響を呼び、ミッチェルが無投票選出されるはずだった学内のスポーツヒーローのコンテストに、女子サッカー部のキャプテンが対立候補として出馬するまでになる。だが、学校当局はこの動きに不快感を示していた。ジャニファー・マチューの同名小説の映画化だ。

 リベラルで明るい雰囲気があるアメリカのキャンパス・ライフが、かくも閉鎖的で差別的であることに驚かされる。もちろん、多少のデフォルメはあるのだろうが、その有り様には気分が悪くなってくる。そんな状況にヴィヴィアンやルーシーは異議を唱えるのだが、面白いのはその行動が決して最初から妥当なものとして描かれないことだ。単に“粋がっている”ようにしか見えず、現実の壁に容易くはじき飛ばされてしまう。

 彼女たちは初めて自らの“甘さ”を悟り、仕切り直しで作戦を考えて実行していくのだが、それによって“成長”していくあたりが、観ていて気持ちが良い。終盤は急展開し、明らかな犯罪がおこなわれていたことが明るみに出て、この学園の虚飾が剥がされるような案配になる。

 エイミー・ポーラーの演出は殊更上手いとも思わないが、ドラマが破綻しないように最後まで保たせている。ヴィヴィアン役のハドリー・ロビンソンは残念ながら大して可愛くないのだが(笑)、演技は達者だ。ローレン・サイにアリシア・パスクアル=ぺーニャ、ニコ・ヒラガといった脇の面子もキャラが立っている。ミッチェルに扮したパトリック・シュワルツェネッガーは、父親アーノルドとは違って“悪役も出来る二枚目”という路線で今後はやっていけそうだ。エイミー・ポーラーにマーシャ・ゲイ・ハーデンといったベテラン女優も、クセの強さを前面に出している。
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