元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

当てもなく選んでしまった2020年映画ベストテン。

2020-12-28 06:28:30 | 映画周辺のネタ
 すでに惰性になった感はあるが、年末恒例の2020年の個人的な映画ベストテンを発表したいと思う(^^;)。

日本映画の部

第一位 なぜ君は総理大臣になれないのか
第二位 本気のしるし
第三位 風の電話
第四位 はりぼて
第五位 his
第六位 37セカンズ
第七位 彼女は夢で踊る
第八位 プリズン・サークル
第九位 のぼる小寺さん
第十位 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実



外国映画の部

第一位 パラサイト 半地下の家族
第二位 21世紀の資本
第三位 行き止まりの世界に生まれて
第四位 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー
第五位 黒い司法 0%からの奇跡
第六位 オフィシャル・シークレット
第七位 レイニーデイ・イン・ニューヨーク
第八位 赤い闇 スターリンの冷たい大地で
第九位 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!
第十位 カセットテープ・ダイアリーズ



 2020年に世間を騒がせ、おそらく今後もしばらくは続くと思われるコロナ禍が、映画界をも直撃した。緊急事態宣言時にはすべての映画館はクローズ。ようやく制限が解除されても、上映する映画が無い。特にハリウッド製の話題作は軒並み公開延期だ。それでもマイナー系を中心に各劇場はラインナップを揃え、こちらも何とかベストテンを選べたのは安心した。

 日本映画ではドキュメンタリー部門の健闘が光っていたが、それだけ“現実”の重みがヘタなフィクションを凌駕したということだろう。特に政治の無力性が国民の生活を圧迫している昨今、実録物はこれからも大きな存在感を持って作られると思う。

 外国映画では何といっても「パラサイト 半地下の家族」のオスカー獲得が話題になった。ただし、これを観て“韓国社会は格差が大きくて大変だなァ”という感想を安易に持ってしまうのは禁物だ。社会格差は日本の方が大きいのである。この実態を我が事のように捉えるか、あるいは他人事にしてしまえるのか、その“断絶”が世の中を覆っているように感じる。

 なお、以下の通り各賞も選んでみた。まずは邦画の部。

監督:大島新(なぜ君は総理大臣になれないのか)
脚本:深田晃司、三谷伸太朗(本気のしるし)
主演男優:三浦春馬(天外者)
主演女優:土村芳(本気のしるし)
助演男優:遠山雄(いつくしみふかき)
助演女優:浅田美代子(朝が来る)
音楽:橋本一子(ばるぼら)
撮影:向後光徳(水上のフライト)
新人:宮沢氷魚(his)、モトーラ世理奈(風の電話)、小野莉奈(テロルンとルンルン)、池田エライザ監督(夏、至るころ)

 次は洋画の部。

監督:ジャスティン・ペンバートン(21世紀の資本)
脚本:ポン・ジュノ、ハン・ジヌォン(パラサイト 半地下の家族)
主演男優:マ・ドンソク(悪人伝)
主演女優:マーゴット・ロビー(ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY)
助演男優:フランコ・ネロ(コリーニ事件)
助演女優:ナタリー・ドーマー(博士と狂人)
音楽:ロマン・トルイエ(シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!)
撮影:ホン・ギョンピョ(パラサイト 半地下の家族)
新人:パク・ジフ(はちどり)、リナ・クードリ(パピチャ 未来へのランウェイ)、オリヴィア・ワイルド監督(ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー)

 ついでに、ワーストテンも選んでみた(笑)。

邦画ワースト

1.Fukushima 50
 体制に阿って事実をねじ曲げるという、映画人として最も恥ずべき構図が展開している。ワーストワンは決定的だ。
2.ミッドナイトスワン
 悪ふざけとしか思えない、不快な場面の連続。
3.君が世界のはじまり
4.宇宙でいちばんあかるい屋根
5.スパイの妻
 ヴェネツィアでの監督賞受賞は“功労賞”だとは承知しているが、それにしても作品の質が低い。
6.おらおらでひとりいぐも
7.私をくいとめて
8.ロマンスドール
9.記憶の技法
10.ソワレ

洋画ワースト

1.テネット
 アイデア倒れ。映画的興趣は見当たらない。
2.燃ゆる女の肖像
 それらしい雰囲気だけ。中身は無い。
3.1917 命をかけた伝令
 技巧優先で、ドラマが不在。
4.男と女 人生最良の日々
5.ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語
6.悪の偶像
7.ペイン・アンド・グローリー
8.ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ
9.ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋
10.リチャード・ジュエル

 ローカルな話題としては、キノシネマ天神のオープンを挙げたい。館名に“天神”と付いてはいるが、ロケーションは天神とは離れている。それでもミニシアターが出来たことは実に大きい。しかも3スクリーンも備えている。これからどういう作品を提供してくれるのか、実に楽しみである。
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「ストップ・メイキング・センス」

2020-12-27 06:43:01 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Stop Making Sense )84年作品。ジョナサン・デミ監督といえば「羊たちの沈黙」(90年)や「フィラデルフィア」(93年)などで知られるが、個人的にはこの映画が最良作であると思う。何より、音楽ドキュメンタリーの分野において新機軸を打ち出したという意味で、本作の価値はかなり高い。音楽好きは要チェックだ。

 74年から91年にかけて活躍したニューヨーク出身の先鋭的ロックグループ、トーキング・ヘッズの83年12月のロスアンジェルス公演の模様を収録している。冒頭、リーダーのデイヴィッド・バーンが単身ギターを抱えてステージに現れる。そしてバーンのソロが始まり、曲が進むごとにベース、ドラムス、ギター、コーラスと、メンバーがステージに登場する。やがて全員揃ったところでヒット曲“バーニング・ダウン・ザ・ハウス”あたりから一気にライヴは盛り上がる。



 通常、この手の作品にありがちなサウンドとカメラがシンクロするような“ノリ”のショットや、ミュージシャンと聴衆の手拍子などがカットバックされるような、ケレン味たっぷりの演出は見当たらない。ただひたすらカメラはステージ上のトーキング・ヘッズを凝視する。ならば素っ気なく“ノリ”の悪いシャシンなのかというと、全然そうではない。このバンドの持つシンプルかつストレートな迫力が、レアな形で観る者をダイナミックに揺さぶってくる。

 もちろん、当時のトーキング・ヘッズは余計なヴィジュアル的ギミックを弄さずとも聴衆を魅了する実力があったからこそ、この手法が活きたのだ。言い換えれば、凡百のミュージシャンならば、このアプローチは失敗する。実力派だから、ストイックな作風がそのパフォーマンスを十二分に発揮出来るのだ。

 そしてラストナンバーの“クロスアイド・アンド・ペインレス”が演奏されるくだりになって、やっと観客が映し出される。そこは贅肉をそぎ落としたようなステージングと対比するかのように、熱狂の渦だ。これは演奏と聴衆との関係性に鋭く切り込むような、ミュージシャンとファンとの“馴れ合い”を廃した鮮烈なショットである。

 タイトルの「ストップ・メイキング・センス」とは、アルバム「スピーキング・イン・タングス」に収録されている“ガールフレンド・イズ・ベター”の一節から取ったもので、理屈で考えるのはやめようという意味だ。その題名の通り、小賢しい“お約束”でファンに盛り上げを要求するスタイルを拒否し、純粋に音楽を楽しむべきだというメッセージが伝わってくる。歌詞対訳の字幕スーパーは無く、曲名紹介も省かれているのも、その主題に準拠していると言えよう。なお、このバンドのスピンアウトのプロジェクトであるトム・トム・クラブのナンバーも紹介されていたのも嬉しかった。
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「天外者(てんがらもん)」

2020-12-26 06:06:37 | 映画の感想(た行)

 2020年7月に惜しくも急逝した三浦春馬の存在感が存分に印象付けられる一作。彼の持つカリスマ性と、観る者を惹き付ける演技力を見ていると、我々は何という逸材を失ってしまったのかという、残念な気持ちで一杯になる。映画自体は(悪くはないものの)取り立てて評価出来るものではないが、彼の主演作としての最後の勇姿を拝めるという意味では、存在価値はかなり高い。

 1856年、薩摩藩士の五代才助(後の友厚)は若輩ながら藩主の島津斉興の覚えがめでたく、長崎海軍伝習所へ藩伝習生として派遣され、オランダ士官から航海術を学ぶ。さらに数々の経験を積む間に、坂本龍馬や岩崎弥太郎、伊藤博文らと知り合い、志を共にする。

 才助のスタンスは攘夷あるいは開国かというレベルの低い議論とは一線を画し、日本は交易や産業振興によって世界を相手に出来るだけの経済力を備えなければならないという、将来を見据えたものだった。維新後、明治政府の高官として起用されるが、やがて退官して大阪商法会議を設立。大阪から日本経済を興そうと奮闘する。明治初期の経済に大いなる貢献を果たした五代友厚の伝記映画だ。

 正直言って、このネタを2時間の映画に収めるのは無理な注文だ。何回かに分けてのシリーズ物にするか、あるいはテレビの大河ドラマで扱うべき題材だろう。ただ主人公の功績を追うだけではなく、遊女との悲恋やら親兄弟との確執やら何やらも挿入されているのだから尚更だ。

 田中光敏の演出は「利休にたずねよ」(2013年)の頃のような破綻は無く、マジメな仕事ぶりだとは思うが、映画的興趣を生み出すまでには至っていない。各キャラクターの動かし方や映像表現などが、多分にテレビ的である。まさに大河ドラマの総集編みたいだ。また、セリフ回しがヘンに現代的で、薩摩弁もあまり使われていないのは違和感がある。

 しかしながら、やっぱり三浦春馬が出てくると場が盛り上がるのだ。不屈の闘志を秘めた熱血漢を見事に具現化。たぶん五代はこういう人物だったのだろうという、説得力がある。三浦翔平に西川貴教、森永悠希、森川葵、かたせ梨乃、蓮佛美沙子、筒井真理子といった脇の面子も上手く機能している。大谷幸の音楽も悪くない。

 なお、終盤の大阪での集会場面には大阪府知事や大阪市長もエキストラとして参加しているらしいが(私は見つけられなかった ^^;)、彼らには“本業”に精進してもらいたいものだ(あるいは、それが無理ならば辞めて欲しい)。
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「夏、至るころ」

2020-12-25 06:29:25 | 映画の感想(な行)

 青春映画の佳作だと思うが、特筆すべきは本作が極端に年若い監督のデビュー作である点だ。はっきり言って、ベテラン監督の手による作品でも、これより劣る映画はいくらでもある。しかも作風は正攻法で、新人にありがちな気負ったケレンはほとんど見られない。これならば、今後機会さえあればさまざまな題材をこなせそうである。

 福岡県田川市に住む高校3年生の大沼翔と平川泰我は幼馴染み同士で、ずっと一緒に和太鼓を叩いていた。だが、夏祭りを前に泰我が受験勉強のために太鼓をやめると言い出す。何でもそつなくこなす泰我を羨ましく思い、それまで彼の行動を追って生きてきた翔は動揺する。翔は初めて自身のことを考え、人生とは何か、幸せとは何かについて模索し始める。

 そんな時、2人は翔の祖父の友人で、ペットショップ店長の親戚筋の若い女と知り合う。彼女はミュージシャンになりたくて高校も出ずに上京し、いろいろやってみたが上手くいかず、失意のうちに故郷に戻ってきたのだ。翔と泰我は彼女と過ごすうちに、将来の自分たちについて思いを巡らせる。

 主人公たちの設定は悪くない。泰我は如才ないように見えて、本当に突出しているものは持っていない。反対に翔は、一見ダメな奴だが実は天才肌で、得意科目については他の追随を許さない。そんな、互いに相手にコンプレックスは持っているが自身についてはあまり見えていないという、若い時分にありがちな交友関係を自然なタッチで描いているのはポイントが高い。

 劇中にはクセいセリフが目立つのだが、そこは筑豊弁のオブラートに包み込んで違和感を払拭させている。また、バックに流れる和太鼓のリズムがドラマにメリハリを与えている。クライマックスになる夏祭りでのパフォーマンスの盛り上がりも大したものだ。

 本作の監督は女優でモデルの池田エライザ(96年生まれ)である。自身の体験を元にした筋書きだと言うが、映画では普遍性を持たせた設定に昇華させているのには感心した。また、長廻しや手持ちカメラなどの技巧を駆使していながら、これ見よがしなスタンスに陥ってはいない。そして何より、本人が(エキストラでしか)出ておらず演出に専念しているのは見上げたものである。

 主役の倉悠貴や石内呂依、さいとうなりといった若手は健闘しているし、リリー・フランキーに原日出子、高良健吾、杉野希妃などの脇の面子も機能している。今井孝博のカメラによる、ノスタルジックな田川の街の風景、崎山蒼志の主題歌も好印象。
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「水上のフライト」

2020-12-21 06:34:07 | 映画の感想(さ行)

 典型的なスポ根もののルーティンが採用されており、展開も予想通りだ。しかし、この手の映画はそれで良いと思う。ヘンに捻った展開にしようとすると、よほど上手く作らないとドラマが破綻してしまう。また本作では題材が目新しく、紹介される事実もとても興味深い。キャストの健闘も併せて、鑑賞後の印象は上々だ。

 体育大学に通う藤堂遥は、走り高跳びの選手として将来を嘱望されていた。しかし、ある日交通事故に遭い、彼女は下半身マヒの重傷を負う。心を閉ざし自暴自棄に陥っていた遥を外に連れ出したのが、彼女が小さい頃にカヌーを教えていた宮本浩だった。最初は躊躇っていた彼女だが、宮本が主宰するカヌー教室に集まった子供たちや、そこの卒業生である加賀颯太らの励ましを受けて、次第に前を向くようになる。そしてあるとき、パラカヌー競技に出会う。遥はこの種目で再びアスリートを目指そうとするのだった。実在のパラカヌー日本代表選手である瀬立モニカをモデルにした作品だ。

 陸上競技に打ち込んでいた頃の遥は、高慢ちきな女として描かれる。それが不運な事故に遭い“素”の自分に向き合うことによって、初めて今までの結果は彼女一人の精進によるものではないことを知る。周囲の理解やライバルたちの存在があったからこそ、実績をあげられたのだ。

 余談だが、いわゆる“勝ち組”と呼ばれる者たちには、この“他者があって今の自分がある”という視点が欠落しているケースが多い。自助努力だけでのし上がったと盲信し、他者に“自己責任”を押し付ける。本作のヒロインも、斯様な災難に遭わなければ鼻持ちならない人物のままだったのかもしれない。そのことを言及しているだけでもこの映画の優位性がある。

 主人公が本当に打ち込めるものを見つけてからのストーリーは一本道で、鍛錬を積んでスキルを会得し、大きな大会で活躍するまでスムーズに流れる。また、パラ競技に必要な器具の描写も面白い。兼重淳の演出は殊更才気走ったところはないが、堅実な仕事ぶりだ。

 主役の中条あやみはデビュー当時に比べるとかなり演技が柔軟になってきたが、同世代の俳優たちと比べると物足りないところがある。しかし、役作りに対して懸命に頑張っている。特に表情を歪めて汗だくでトレーニングに励むシーンなど、頭が下がる思いだ。努力を惜しまない若手を見るのは気持ちがいい。杉野遥亮に冨手麻妙、高月彩良、大塚寧々、小澤征悦といったち脇の面子も申し分ない。終盤の、文字通り水上を飛ぶようにカヌーを操る競技者の描写は印象的だ。大会の舞台になる山中湖の風景もすこぶる美しい。
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最近購入したCD(その39)。

2020-12-20 06:28:25 | 音楽ネタ
 今回は若手女性シンガーソングライター三題。まず紹介するのが、米カリフォルニア州パサデナ出身のフィービー・ブリジャーズ(94年生まれ)のセカンド・アルバム「パニッシャー」。評判になったデビューアルバムの「ストレンジャー・イン・ジ・アルプス」(2017年リリース)は聴いていないが、この第二作の内容だけでも彼女の実力が十分にうかがわれる。

 ブリジャーズの音楽は一聴すればよくあるウエストコースト系(?)フォーク・ロックのように思えるが、サウンドの端々にエッジが効いており、ほの暗い印象を受ける。ただし決してダークな展開にはならず、乾いたユーモアも感じられる。どこかジョニ・ミッチェルを思い起こさせるが、歌声は清澄で押し付けがましくなく、いつまでも聴いていたい気にさせる。



 またアレンジは精妙で、ギターの弾き語りだけではなくシンセやストリングスなども織り交ぜて曲ごとにバラエティを持たせている。歌詞の内容はおおむね内省的だが、日本に行った際の印象をネタにした“Kyoto”というナンバーもあるのは御愛嬌だ。なお、第63回グラミー賞で4部門にノミネートされており、イギリスの先鋭的バンドThe 1975とコラボするなど、今後の活躍が期待される逸材である。

 ノルウェーのベルゲン出身のオーロラ(96年生まれ)の日本デビュー・アルバム「インフェクションズ・オブ・ア・ディファレント・カインド・オブ・ヒューマン」は、2018年と2019年に発表されたミニ・アルバムに新トラックを通過して1枚に仕上げたもので、収録時間は80分に達する。しかし、中身はし少しも弛緩することなく、密度が濃い。なお、オーロラは芸名ではなく、本名はオーロラ・アクスネスだ。



 彼女のサウンドはびっくりするほどエンヤに似ている。また、ビョークやフローレンス・アンド・ザ・マシーンに通じるものも感じる。だが、エンヤよりロック色が強く、ビョークなどとは違って“濁り”や屈折した部分があまり見られない。あくまでも透明で清涼なサウンドストームに聴き手を巻き込んでゆく。また、けっこうハードな歌詞を扱っても、アプローチはストレートでシニカルな部分が無い。

 エンヤと同じくエフェクトを効かせた多重録音をメインとしながらも、ボーナストラックではアコースティックバージョンでの“素”の歌声も聴かせる。2019年のディズニー映画「アナと雪の女王2」(私は未見)に参加。本人のプロフィールや経歴は面白く、ケイティ・ペリーやアンダーワールド、ショーン・メンデスといった有名どころからも一目置かれる、興味が尽きない北欧の異能だ。

 フィリピンのイロイロ市出身で幼少時にイギリスに渡り、現在はロンドンを中心に活動するビーバドゥービーことビートリス・クリスティ・ラウス(2000年生まれ)のデビュー・アルバム「フェイク・イット・フラワーズ」は、コアなロックファンの間では話題になっている好盤だ。何より、この若さでグランジの真髄を受け継いだような陰影のあるサウンドを披露しているのが嬉しい。



 彼女はスマッシング・パンプキンズやソニック・ユース、エリオット・スミスなどから影響を受けたらしく、楽曲もそのテイストを踏襲している部分が大きいのだが、この年代の等身大の内面を吐露したような歌詞と何の衒いも無いストイックな歌声が聴く者を惹き付ける。プロデューサーに元ザ・ヴァクシーンズのピート・ロバートソンを迎え、若手のポップ・ミュージシャンにありがちな打ち込み多用のライトな展開を廃し、硬派のギター・サウンドで押し切っている。

 先のブリット・アワードではライジング・スター賞にノミネートされ、NMEアワーズではレーダー賞を受賞。他にも各アワードの新人賞を獲得している。すでに大ブレイクしているビリー・アイリッシュと肩を並べるのも時間の問題と思われるような、いわゆるZ世代を代表する注目株と言えるだろう。
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「燃ゆる女の肖像」

2020-12-19 06:23:06 | 映画の感想(ま行)
 (原題:PORTRAIT DE LA JEUNE FILLE EN FEU )世評はとても高いが、個人的には少しも面白いとは思えなかった。とにかく、この映画は何か描いているようでいて、その実何も描かれていないのだ。あるのは、小綺麗な画面と思わせぶりな舞台設定、求心力に欠ける演出、そして起伏の無いストーリーだけである。とにかく、観ている間は退屈至極で、眠気との戦いに終始する始末だ。

 18世紀のフランス、若い画家のマリアンヌは、ブルターニュに住む貴婦人から娘エロイーズの見合いのための肖像画を依頼される。その屋敷は孤島にあり、エロイーズは結婚どころか人付き合いも苦手なタイプだった。そのためマリアンヌは正体を隠し、単なる友人として彼女に近付く。2人は仲良くなり、やがて肖像画は完成するが、真実を知ったエロイーズは怒り、絵の出来にも苦言を呈す。仕方なくマリアンヌは描き直すとことにするが、意外にも今度はエロイーズはモデルになると言う。そして2人は互いに友情以上のものを抱くようになる。第72回カンヌ国際映画祭での脚本賞受賞作だ。

 同性愛が重要なモチーフになっているが、マリアンヌとエロイーズがどうしてそういう関係になったのか、映画はまったく言及していない。ひょっとしたら元々2人にはそんな性的指向があったのかもしれないが、それも説明されていない。恋に身を焦がすようになる2人の激しいパッションも、匂い立つようなエロティシズムも、どこにも見当たらない。ただ“一緒にいたので何となくそうなった”という、漫然とした図式が提示されるだけだ。

 さらに、マリアンヌの芸術に対する傾倒ぶりも表現されていない。序盤に小舟で島に渡る途中で彼女は画材を海に落としてしまい、飛び込んで拾い上げるシーンがあるのだが、そこには緊張感のかけらも無く、単なる義務感だけが透けて見える。冒頭で美術教師になった彼女の“その後”が紹介されるだけに、この凡庸な描写は致命的だ。

 また、意味ありげに登場する“燃える女”のイメージや、エロイーズの今は亡き姉の亡霊(らしきもの)、マリアンヌが自画像を描くためにエロイーズが鏡を自身の股間にセッティングする場面など、観ていて恥ずかしくなるようなイマジネーション不足の箇所が散見される。セリーヌ・シアマの演出は平板で、しかも故意にBGMを廃しているので映画全体が冗長だ。

 主役のノエミ・メルランとアデル・エネルも魅力が無い。久々にヴァレリア・ゴリノが見られたのが救いか。なお、ヴイヴァルディの「四季」の「夏」が主人公たちの愛聴曲になっているが、今でこそ有名なこのナンバーは、当時はマイナーな扱いであったはずだ。なぜ2人が知っていたのか不明である。
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「記憶の技法」

2020-12-18 06:24:36 | 映画の感想(か行)
 映画の“外観”とヘヴィな内容がマッチしていない。また、話自体に説得力を欠く。キャラクターの掘り下げも浅い。福岡市が主な舞台になっているのであまり文句は言いたくないのだが、もっと上手く作って欲しかったというのが本音だ。撮影から公開まで2年半もかかったのは“作品の出来も関係していたのでは”と思いたくもなる。

 東京に住む女子高生の鹿角華蓮は、幼い頃の曖昧な記憶の断片が何度もフラッシュバックし、時おり意識が混濁するという症状に悩まされていた。修学旅行で韓国に行くことになり、パスポート申請のために戸籍抄本を取り寄せた華蓮は、自分は今の両親の実子ではなく、養子として引き取られたことを知る。



 真実を知りたい彼女は親に内緒で修学旅行をキャンセルし、自身の本当の出生地である福岡市へと向かう。その旅には、なぜかミステリアスな同級生の穂刈怜も付いてくるのだが、やがて華蓮は幼少期に体験した悲惨な出来事に向き合うことになる。2016年に急逝した漫画家の吉野朔実の同名コミックの映画化だ。

 まず、ヒロインの過去に世の中を騒がせた事件が関係していたことが分かった時点で、ネット検索すれば概要は掴めるのではないか。わざわざ現地に足を運ぶ必然性が感じられない。怜は高校生のくせに六本木でバーテンとして働いており、親が怪しげな宗教にハマったことや青い瞳を持っていることが思わせぶりに示されるが、現実味は無い。

 そして、表向きは若い男女の秘密の旅行というラブコメ的な設定を採用していて、それらしいモチーフもあるのだが、映画のストーリーの中に鎮座している凶悪事件が醸し出す禍々しい雰囲気とまったく合っていない。ここはライトに振るか、あるいはシリアスに迫るか、どちらかに徹するべきだった。また、華蓮が突然福岡市から日帰りで釜山に行くという、どう考えても余計な行動を取るのも納得出来ない。ラストは無理矢理“感動”させるような扱いになっているが、それまでの展開がチグハグなので取って付けたような印象だ。

 これが初監督になる池田千尋の仕事ぶりは、ただ脚本を追っているだけでアピールしてくるものがない。主演の石井杏奈と栗原吾郎は、まあ可も無く不可も無しだ。それより柄本時生の存在感は光っていた。小市慢太郎や戸田菜穂などのベテラン勢は悪くなかった。福岡市の主なロケ地は福岡ドーム周辺と香椎線沿線などだが、無難な扱いである。
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「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」

2020-12-14 06:37:15 | 映画の感想(さ行)
 (原題:EDMOND)これは面白い。芸術に携わる者たちの矜持と、成果物としての演劇の素晴らしさを十分に描き出し、最後まで飽きさせない。それでいて歴史物としての風格があり、優れたコメディでもある。セザール賞では衣裳デザイン賞と美術賞の候補になっているが、作品賞や監督賞を獲得してもおかしくないほどの出来栄えだ。

 1897年のパリ。詩人で劇作家のエドモン・ロスタンは、かつてヒット作を手掛けていたが、次第にその古風なスタイルが飽きられ、約2年も筆が進まない状態に陥っていた。そんな中、大物俳優コンスタン・コクランの主演舞台を手がけるチャンスが舞い込む。しかし、決まっているのは17世紀に活躍した剣術家で作家のシラノ・ド・ベルジュラックを主人公にした劇ということだけで、内容は未定だった。



 ある日、親友のレオの代わりに彼が愛するジャンヌに宛ててラブレターを書いたことをきっかけに、エドモンは戯曲の筋書きを思いつく。やがて、実は借金だらけのコンスタンをはじめ、クセの強い俳優やスタッフたちがポルト・サン=マルタン座に集合し、この劇を完成させるために奮闘することになる。ベル・エポック時代を代表する演劇「シラノ・ド・ベルジュラック」の誕生秘話を描く、実録風ドラマだ。

 とにかく、各キャラクターが“立って”いることに感心する。無駄なキャラクターが一人も存在せず、それぞれのポジションに応じた見せ場が用意されているという、巧妙なシナリオが光っている。そして、それに応えるキャストの力量も申し分ない。主人公たちを次々と襲うトラブル。債権者に追われる者もいれば、複雑な色恋沙汰に巻き込まれて芝居どころではない者、演技経験ゼロでありながら大切な役を振られた者など、訳ありの面々が顔を揃える中、劇場の使用中止命令まで出てしまう。

 それでもこの傑作を世に出すのだという一同の心意気が、事態を少しずつ好転させていく。そのプロセスはまさにスペクタクル的だ。そして、劇に携わる者たちの人生が舞台上の登場人物とシンクロし、クライマックスは演劇の枠を逸脱するという野心的な試みも披露する。

 監督のアレクシス・ミシャリクは原案と脚本を手掛けているが、見事な仕事ぶりだ。また、エンド・クレジットの処理にも泣けてきた。主役のトマ・ソリベレを筆頭に、オリビエ・グルメ、マティルド・セニエ、トム・レーブ、リュシー・ブジュナー、アリス・ド・ランクザンなど、キャストは芸達者揃い。ジョバンニ・フィオール・コルテラッチの撮影とロマン・トルイエの音楽も言うことなしだ。
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「ジンジャーとフレッド」

2020-12-13 06:48:37 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Ginger et Fred)85年イタリア・フランス・西ドイツ合作。フェデリコ・フェリーニ監督の、後期の代表作だと思う。タイトルとは裏腹に、本作は往年のミュージカルスターであるジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアの伝記映画ではない。何しろ主演がジュリエッタ・マシーナ(当時66歳)とマルチェロ・マストロヤンニ(当時62歳)である。これは“アステア&ロジャーズ”を真似して、けっこう売れていた芸人の話だ。一度は解散した2人が、テレビの特集番組で30年ぶりに再会するという設定である。

 クリスマスの特番に出演するため、ローマの駅に降り立ったアメリア。彼女はタップダンス・コンビ“ジンジャーとフレッド”のメンバーだった。久々に会う相方のフレッド役のピッポは年は取っていたが、2人のコンビネーションは健在だ。さまざまな芸人たちが集まる中、彼らの出番が来た。ところが寄る年波には勝てず、昔のようには上手くいかない。それでも最後まで2人は楽しそうに踊るのだった。



 スタジオ内を歩き回る芸人たちは、レーガン大統領やベティ・デイヴィスやクラーク・ゲイブルやプルーストやら他多数のそっくりさんに、やたら高年齢の老人楽団とか、小人の一座やデブ女、殺人犯、はてはローマ教皇逝去の瞬間に鳴いた犬など、要するにマトモではないゲテモノの集まりだ。

 ただしそこはフェリーニ、フリークスたちの扱いには年季が入っていて、賑々しい雰囲気で楽しませてくれる。そんなイロモノ番組の、棺桶に片足を突っ込んだような元海軍大将の“前座”として、実は2人は呼ばれたのである。

 アメリアはピッポが好きだったのだが、彼の女癖の悪さに辟易して30年前にコンビを解消した。それから金持ちと結婚して、今は未亡人だが裕福で、昔の華やかさを失っていない。対してピッポは彼女と別れてから流浪の人生を送り、孤独で経済的にも恵まれず、しかもアル中である。相変わらず傲岸な態度を取るものの、アメリアとの“格差”は隠しようがない。テレビ局にやって来たのも、出演料欲しさでしかなかった。

 このあたりは人生の残酷さを描出して見応えがあるが、それでも2人が昔のようにショーを繰り広げる様子は、見事だ。このスポットライトを浴びる快感を若いときに存分に味わい、今でも機会さえあればそれを“再体験”できる。一瞬の煌めきさえあれば、人はそれを支えに生きていけるものだという、達観したスタンスが感じられる。ラストの処理も申し分ない。主演の2人はまさに“横綱相撲”で、圧倒的な存在感を醸し出している。フランコ・ファブリッツィやトト・ミニョネといった脇の面子も良い。哀歓に満ちた逸品と言える出来だ。
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