元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「悪い奴ほどよく眠る」

2013-08-31 06:40:28 | 映画の感想(わ行)
 黒澤明監督1960年作品。お馴染みの黒澤御大の“小役人罵倒、愚民差別”のスタンスが炸裂しており、力で迫る演出で一応楽しめるのだけど、他の傑作群と比べてイマイチ感銘度が薄いのは、焦点が定まらず余計なシーンが目に付くからであろう。

 土地開発公団の副総裁の娘の結婚式で思いがけないハプニングが起こったのを皮切りに、庁舎新築にからまる不正入札事件をめぐる不可解な出来事が頻発する。差出人不明の密告状を受け取った検察当局が動き出すが、連重要参考人の自殺や失踪が相次ぎ、真相はなかなか掴めない。そんな中、くだんの娘の夫になる副総裁の秘書は独自の捜査に乗り出す。



 汚職の巨魁であるべき公団副総裁の上に、庶民がとても近づくこともできない“黒幕”を置いてしまっては、主人公の努力も何やら最初から徒労に終わりそうで、娯楽作としてはしっくりこない。各エピソードの扱いも総花的で、メリハリに欠ける。

  主演の三船敏郎をはじめ、加藤武や森雅之、志村喬、西村晃、香川京子とキャストは多彩だが、それぞれの芝居にちょっとクサさを感じる瞬間もある。でもまあ、三船の存在感はさすがだった(田中邦衛のヒットマンも笑えたけど ^^;)。
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「ローン・レンジャー」

2013-08-30 06:22:40 | 映画の感想(ら行)

 (原題:THE LONE RANGER )終盤の列車上でのアクションは凄い。通常、鉄道を舞台装置に使った活劇編では、使われる列車は一本である。まあ、二本以上登場させるケースも皆無ではないが、それはすれ違う際の切迫感の演出に使ったり、あるいはまったく違うロケーションに配置して時間的な緊迫感を高めるために使用する場合に限ったことだと思っていた。しかし、この映画は立体交差しながら併走する二本の線路にそれぞれ列車を一本ずつ配備し、走行中に登場人物達がその二本を“行き来”しながらアクションをこなすという、画期的な方法論を提示している。

 つまりは活劇空間が三次元的に拡大するということで、スペクタクル度の乗数効果を極限にまで高めているのだ。アクションの段取りやアイデアもその舞台にふさわしく、緻密に考え抜かれている。ただ派手に迫るだけではなく、観る側の予想を裏切る仕掛けが多数配置されており、文字通り息をもつかせぬ展開で圧倒される。さらにはバックに流れるのが勇壮なロッシーニのウィリアム・テル序曲なのだから、何も言うことは無い(笑)。

 さて、この活劇場面を除くと、本作は大したシャシンではない。1933年に始まったラジオドラマを皮切りに、さまざまなメディアで取り上げられてきた西部劇のヒーローものだ。黒いマスク姿の正義のヒーローとインディアンの悪霊ハンターが悪い奴らを懲らしめるという筋書きで、今回が4回目の映画化になる。

 何と言っても監督がゴア・ヴァービンスキーだ。「パイレーツ・オブ・カリビアン」を思い起こすまでもなく、大味な作風には定評(?)がある。

 無駄に長い上映時間の中、メリハリに掛ける展開がダラダラと続く。悪霊ハンターのトントの生い立ちや、ローン・レンジャー誕生の経緯はもちろん描かれているが、それがまあキレもコクもドラマティックさも無い平板なもので、しかも愚直に一から十までエピソードを羅列しているだけなので、いい加減飽きてくる。

 そもそも、冒頭に示される老いたトントが幼い少年に語って聞かせるというモチーフからして無駄だ。ほとんど存在する意味を見出せず、単なる上映時間の水増しだと思われても仕方がない。

 ジョニー・デップをはじめアーミー・ハマー、ヘレナ・ボナム=カーターと各キャストは頑張っているが、内容がこの程度では、それが報われているとは言い難い。要するにこの映画、見応えがあるのはラスト近くの列車アクションだけであり、それ以外は無視してもいっこうに構わない。極端な言い方をすれば、最初の方だけを観て途中退場し、適当にロビーで時間を潰して終盤になってから再入場して列車活劇のみを楽しめばそれでOKだとも言える。
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「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」

2013-08-26 06:13:43 | 映画の感想(か行)
 (原題:The Fabulous Baker Boys )89年作品。本当にオシャレな映画である。これはお薦め品だ。

 “ファビュラス・ベイカー・ボーイズ”というジャズ・ピアノのデュオを組むフランク(ボー・ブリッジス)とジャック(ジェフ・ブリッジス)のベイカー兄弟は、女性ヴォーカルを入れてグループを立て直そうとする。オーディションで彼らの心をとらえたのはスージー(ミシェル・ファイファー)という女だった。

彼女を加えた“ベイカー・ボーイズ”は大成功をおさめ、ジャックとスージーとの間にもいつしか愛が芽生えてくるが、過去に決別できないジャックのためにスージーは去ってしまい、ついに“ベイカー・ボーイズ”も解散してしまうのだった・・・・・。



 まずキャラクター設定が良い。弟のジャックは独身で一匹狼のアウトロー的雰囲気をただよわせて、しかも気位が高い。女にもてる。ケンカっぱやい。しかしピアノはうまいし隣家の女の子には優しいところも見せる。対して兄のフランクはナイトクラブのしがないピアニストでも分相応にそれに甘んじている。しょせんは三流プレーヤーだと自覚している。弟はまだミュージシャンとしての夢を捨てきれないが、兄は家庭を大事にする普通の人間である。

 言うまでもなく、ボー・ブリッジスとジェフ・ブリッジスは本当の兄弟である。しかし、俳優としての人気は完全に弟のジェフが上だ。そのへんのところが映画の中にも持ち込まれているのが面白い。兄のボーはあえて脇に回り、際だったところはないが、あたたかみのあるキャラクターという持ち味を出して、映画に幅を持たせている。

 そしてスージーは退廃的でセクシーな女だ。プライドが高く、野心満々。フランスの煙草しか吸わない。男に平気でケンカを売る。自己中心的。気が強く、負けず嫌い。実際そばにいたら敬遠したいタイプの女性だが、映画の中ではすごく魅力的なのである。彼女は男にコビを売ったりしない。完全に自立している。そして二人の男を遠慮なくののしり、いつしか兄弟同士で過去の傷のなめあいをやっている彼らを挑発する。

 スージーを演じるミシェル・ファイファーは素晴らしい。この頃は美しさが際立っていたが、演技力も相当なものだ。どんな悪女を演じても品のよさを失わない。彼女はこの作品でアカデミー賞の主演女優賞候補になっている。

 雨の多い街シアトルを舞台にしているのもいい。落ち着いた色調の映像と雰囲気抜群の音楽、しゃれた会話、どこかヨーロッパ映画を連想させる。シックな大人のラブ・ストーリーである。監督は当時若冠29歳でこれがデビュー作のスティーヴ・クローヴス(後に「ハリー・ポッター」シリーズの脚本を執筆)。まさに必見の映画だ。
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「素敵な相棒 フランクじいさんとロボットヘルパー」

2013-08-25 07:06:05 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Robot&Frank)設定は面白いが、映画はまったく盛り上がらない。これはひとえに演出と脚本が上手くいっていないからだ。

 舞台は近未来。郊外に一人で住む老人フランクは、このごろめっきり物忘れが酷くなり、日常生活にも支障を来すようになった。心配した長男が、介護用のロボットをフランクにあてがう。だが、彼の本性は“泥棒”であった。若い頃には逮捕され、臭い飯を食った経験もある。久々に自分の“相棒”になりそうな奴が現れたことで、さっそくフランクはロボットに泥棒のノウハウを教え、共に盗人稼業に復帰しようとする。

 元泥棒で認知症気味の老人と、融通の利かない機械人形との珍道中という、いくらでも楽しくなりそうな素材を、本作の作り手達は台無しにする。そもそも、このネタを扱う上で“家族の絆を再確認させよう”などという御大層なモチーフを前面に出すこと自体が大間違い。そんなことは“本題”であるはずのおちゃらけ笑劇のオマケとして付け合わせれば良い。

 トンチンカンなことばかり言う老人と、それをいちいちクソ真面目に受け答えるロボットとの漫才を面白おかしくキメた後は、どう見ても侵入不可能な“難攻不落のターゲット”に果敢に挑む彼らの大活躍を、ハッタリかました演出と派手な映像で賑々しく展開させれば良かったのだ。しかしこの映画はそれに徹しきれなかった。

 中途半端な窃盗行為と、煮え切らない親子の情愛と、マヌケすぎる警察当局と、これまたマヌケすぎる“被害者”とが、生ぬるい展開の中で漫然と並んでいるだけ。1時間半ほどの映画だか、かなり長く感じられた。

 あまり予算が掛かっていない映画のようだが、金が無いというのは“面白くなくても良い”という言い訳にはならない。アイデア次第で何とかなるものだが、監督のジェイク・シュライアーと脚本のクリストファー・D・フォードにはそこまでの甲斐性は無かったようだ。

 だいたい、一般消費者に市販されるロボットには最初から“法令遵守システム”みたいなものが組み込まれていると考えるのが普通ではないだろうか。それをジジイの屁理屈一つで簡単に犯罪行為に荷担してしまうというのは、どう見てもおかしい。それにロボットのデザインが某社の有名モデルとそっくりで、オリジナリティのカケラも無いのも痛い。

 フランク役にフランク・ランジェラ、息子にジェームズ・マースデン、娘にリヴ・タイラー、主人公が慕う女性にスーザン・サランドン、そしてロボットの声にピーター・サースガードと、けっこうキャスティングは頑張っているのに残念だ。
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「影たちの祭り」

2013-08-23 07:16:25 | 映画の感想(か行)

 題材の選定だけで8割方成功している映画である。日本初の手影絵専門劇団「かかし座」の創立60周年を記念して作られたドキュメンタリー。彼らは2009年から「ハンド・シャドウズ・アニマーレ」と呼ばれる海外公演のシリーズを展開しているが、映画はブラジルでの巡演を前にした国内リハーサルの最終段階を追っている。

 この「かかし座」は総勢40名ほどで構成されているが、「ハンド・シャドウズ・アニマーレ」に参加出来るのはその中の精鋭メンバー数人だ。それだけに、個々のレベルは高い。ハッキリ言ってしまえば、これは“神業”に近いのではないかと思ってしまった。

 何気なく指をかざすだけで、スクリーン上にはさまざまなキャラクターが魂を吹き込まれたように活き活きと動き出す。一つのキャラクターを複数で演じるのは当たり前で、その阿吽の呼吸というか、精緻なタイミングの取り方に舌を巻いてしまった。演じる彼らはまるでダンスを踊っているようで、舞台裏ではスクリーンでの作劇とは別の世界が展開しているあたりも実に興味深い。

 主宰者の後藤圭は、そんな彼らに対してさらに高いハードルを用意する。それは手影絵キャラクターを創造するのではなく、純粋に“手の動き”だけで人の一生を表現しようという実験的な試みだ。しかも後藤は、本番まで間もない時期にこの提案をおこなう。明らかな無茶振りだが、団員達はそれをアッという間にクリアしていく。ここのくだりは凄い。音大出の後藤による、音楽と巧みにシンクロした演出も見事だ。

 メンバーの一人一人が抱える屈託も紹介されるが、あまり過度には突っ込まない。作品の目的が彼らのパフォーマンスの紹介に焦点が当てられているので、これは適切な処理だろう。ただし、個人的には彼らが手影絵にのめり込むようになったきっかけを、アウトラインだけでも良いから描いて欲しかった。

 舞台場面以外で気に入ったシークエンスは、劇で演じる動物を詳しくリサーチするために、劇団の若手女性パフォーマーの二人が動物園に出掛けるパートである。普通の女の子のように動物を見て喜んだりするが、次の瞬間には太陽光をバックにして動物の動きを手影絵にしてその場で再現するという離れ業をやってのける。そのプロセスが自然に捉えられているので、それだけインパクトは大きい。

 ドキュメンタリー作品は初めてだという大嶋拓の演出は節度を守っており、余計なケレンもなく、観る者に圧迫感を与えない。素材自体の存在感をそのまま写し取ろうと腐心しているようで、好感が持てる。上映規模は限られるが、幅広く奨められる映画だと思う。
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「ゴースト ニューヨークの幻」

2013-08-22 06:12:21 | 映画の感想(か行)

 (原題:Ghost)90年作品。誰でも知っているラヴ・ストーリー映画の代表作で、公開当時は土曜日曜は満員。平日でも6時からの上映は立見も出る有様だった。私は当時ウィークデイの朝一回目を観たのだが、3分の2以上の入りで驚いたことを覚えている。なお、このヒットのおかげでその年の正月映画のひとつ「ゴッドファーザーPART3」の公開が翌年2月に延びたらしい。

 筋書きはあまりにも有名なのでここでは繰り返さない。この頃は清純派のテイストも兼ね備えていた(笑)デミ・ムーアと、今は亡き好漢パトリック・スウェイジのナイーヴな演技が光った。だが、それよりも楽しかったのは、インチキ霊媒師を演ずるウーピー・ゴールドバーグで、実に表情豊かな演技で笑わせてくれる。

 SFXが効果的である。特に、人の身体や物体を主人公がすり抜けるシーンは、「ミクロの決死圏」などを思い出すような凝った絵作り。加えて、そのとき主人公が一瞬感じる衝撃感(といっていいのだろうか)がこちらに伝わってきて、秀逸。ラストの「未知との遭遇」みたいなあの世の描写。悪いことをした人間が死ぬと、魂を地獄へと連れ去って行く死神のイメージ、などなど、妙に納得させられる場面が多い。

 監督はジェリー・ザッカー。「フライング・ハイ」や「トップ・シークレット!」などの悪ふざけお笑い映画ばかり手掛けてきた人物だが、このようなキメの細かいドラマをも演出できるとは思わなかった。

 この作品といい、スピルバーグの「オールウェイズ」とか「フィールド・オブ・ドリームス」とか、邦画では相米慎二監督の「東京上空いらっしゃいませ」や大林宣彦監督の「ふたり」など、当時は幽霊の登場する映画(ホラーを除く)の公開が重なっていた。ひょっとしたら、作り手が恋愛映画やヒューマンドラマのバリエーションを探っていくうちに、相手を殺してしまわないとハナシが成立しないという次元にまで到達していたのかもしれない(爆)。

 音楽はモーリス・ジャールで、なかなかいいスコアを書いているが、印象的なのはもちろんライチャス・ブラザーズ歌うところの「アンチェイン・メロディ」だ。「オールウェイズ」における「煙が目にしみる」と同じような大きな効果をもたらしている。
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「ペーパーボーイ 真夏の引力」

2013-08-21 06:14:31 | 映画の感想(は行)

 (原題:THE PAPERBOY)退屈極まりない映画だ。フロリダを舞台に、うだるような暑さの中で男と女の爛れた関係が展開するサスペンス劇といえばローレンス・カスダン監督の「白いドレスの女」(81年)を思い出すが、本作はあの映画の足元にも及ばない。とにかく、最初から最後まで作劇が弛緩しきっている。

 69年、フロリダ州の田舎町に住む青年ジャックは大学をドロップアウトし、今では父親が経営する小さな新聞社で新聞配達を手伝っている。ある日、都会で新聞記者をしている兄のウォードが4年前に起きた殺人事件を取り上げることになり、一時的にこの町に戻ってくる。ジャックは彼を手伝うことになるが、今回の取材のきっかけを作った年上の女シャーロットと出会い、心を乱される。彼女は収監中の犯人で死刑囚のヒラリーと文通を重ね、ついには婚約したという変わった女だ。事件の真相が明らかにならないまま、この兄弟は重大なトラブルに巻き込まれていく。

 監督リー・ダニエルズの仕事ぶりがショボくて話にならない。ジャックの荒んだ内面も、ウォードの抱える屈託も、ほとんど表現出来ていない。ミステリアスな雰囲気のシャーロットの扱いも表面だけ。ヒラリーは単なる粗暴な男でしかなく、興味を惹かれるようなキャラクターも付与されていない。

 そもそもこの話はジャックの家のメイドであったアニタの回想によって進むのだが、第三者から語られることによって何か興趣が生まれているかというと、まったくない。演出のテンポはのろく、特になかなか話が進まない前半部分は観ていて眠くなってきた。

 かと思えば、重要なプロットであるはずの箇所の描写が勝手に端折られていたりする。さらにはヘンにドキュメンタリー・タッチを狙ったような、故意にフォーカスをズラしたような画面処理は実に不愉快。映画に動きがある終盤の扱いにしても、サスペンスの盛り上がりは皆無だ。結局、何が言いたいのかよく分からないまま幕が下りる。鑑賞後の徒労感は相当のものだ。

 ジャック役のザック・エフロンに加え、ニコール・キッドマンやマシュー・マコノヒー、ジョン・キューザックといった多彩なキャストを配していながら、誰一人として印象に残るような演技をしていない。特にキッドマンは本作でゴールデン・グローブ賞にノミネートされてたらしいが、「白いドレスの女」のキャスリーン・ターナーとは月とスッポン。ポーズだけの悪女演技など、勘弁して欲しい。

 フロリダの湿地帯の風景だけは興味深かったものの、どう見ても金を払ってまで観るべきシャシンとは思わない。
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「ゴージャス」

2013-08-20 06:21:37 | 映画の感想(か行)
 (原題:Gorgeous)99年香港作品。ジャッキー・チェン映画には珍しく、トニー・レオンやスー・チーといった普段彼とは縁のない連中が共演しているコメディ編だ。ジャッキーが彼ら香港映画の本流(?)にすり寄っただけなのか、逆にトニーたちがジャッキーの人気に便乗したのかは知らないが、結果としてユニークな快作に仕上がったことは歓迎したい。



 台湾の漁村に住む孤独な娘プウ(スー・チー)は、ある日浜辺でビン入りのラブレターを拾う。内容に興味を持った彼女は、差出人がいる香港へ向かうが、ビンを流したメーキャップ・アーティストのアルバート(トニー・レオン)は何とゲイだった。これも何かの縁とプウは彼の家に住み着いてしまうが、ひょんなことで実業家のチェン(ジャッキー・チェン)と知り合う。彼を気に入ったプウは猛烈なアタックを開始するが、チェンと敵対するライバル業者やその手下のキックボクサーなども入り乱れ、大騒動が展開する。

 何しろジャッキーがやり手のビジネスマンで中盤までむっつりした表情しかしないというのは意表を突いているし、それどころか始まって数十分間は出てこないのも面白い。典型的な香港流ボーイ(おじさん ^^;)・ミーツ・ガールものだが、ちゃんとクンフー活劇場面があるのが嬉しい。

 ヴィンセント・コックの演出はソツがなく、特にアクション場面になると真価を発揮する。そして本作でのスー・チーのメチャクチャな愛らしさ。すっかりマイってしまった。ラスト・クレジットにおけるNG集も最後の最後まで楽しませてくれる。観て損のない快作であろう。
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「最後のマイ・ウェイ」

2013-08-19 06:20:50 | 映画の感想(さ行)

 (原題:CLOCLO)監督のフローラン・エミリオ・シリは「スズメバチ」で知られるアクション派であり、本作においても主人公が直面したトピックがテンポ良く時系列的に並べられているが、伝記映画としての密度はかなり低い。登場人物の内面には踏み込まず、ただ映像が流れていくだけだ。

 世界的ヒット曲「マイ・ウェイ」を作ったフランスのミュージシャン、クロード・フランソワの生涯を映画化したものだが、正直言って私はこの曲を彼が作曲したものだとは知らなかった(英語の歌詞を作成したポール・アンカが曲も手掛けたと思っていた)。それどころか、クロード・フランソワという歌手も今回初めて知った。

 何でもフランスを代表する往年のシンガーであり、6千万枚以上のレコードを売ったという大スターらしいが、今まで名前も聞いたこともなかった。彼が活躍していた60年代から70年代後半にかけては、日本でも随分とフレンチ・ポップスが受け入れらていたものだが、これほどの大物がどうして我が国では知られていなかったのか、観る前は疑問に思っていた。

 ところが、劇中で流される彼のナンバーの数々を聴いて、その理由が分かったような気がする。正直言って、彼の曲は(「マイ・ウェイ」を除けば)“軽い”のだ。お世辞にも洗練されているとは言えず、深みの無いチャラチャラした曲想は聴いていて1分で飽きる。これはフランスの(土着の)歌謡曲でしかなく、ワールドワイドな人気など望めない。同世代のミッシェル・ポルナレフやジョニー・アリディの方が、よっぽど幅広い層にアピール出来る才能を持っていたと思う。

 さて、映画は序盤にエジプト生まれのフランソワと失意の内にこの地を去る彼の父親との確執を取り上げているが、これがいかにも通り一遍で、興趣に乏しい。このあたりをもっと突っ込めば面白くなったとも思えるが、活劇派のシリ監督には望むべくもない。あとは彼が成功への階段を上り詰め、奔放な女性関係を含めて、事故であっけなく世を去るまでを要領よく紹介するだけだ。

 ただし、主演のジェレミー・レニエは好演。小柄ながら抜群のリズム感で有名ミュージシャンになりきっている。特に、オーティス・レディングのコンサートに出掛けたフランソワが、興奮のあまり客席で派手に踊り出してしまうくだりは圧巻だ。

 全体的に、楽曲の出来はイマイチながらミュージカル的な場面は良く出来ていて、その意味での満足度は高いだろう。この時代のファッションや風俗の再現も上手くいっていると思う。
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B&W社のスピーカーと英国のオーディオ事情。

2013-08-18 06:50:08 | プア・オーディオへの招待
 この前、英国B&W社のスピーカーをまとめて聴く機会があった。聴けたのは802D、804D、そしてCM9である。アンプはMARANTZのPM-11S3、CDプレーヤーは同SA-11S3だ。

 とはいえ、これらの機種は以前からショップやオーディオフェアで何度も接したことがあり、今さらコメントすることも無い。ただあえて言えば、やっぱりこのブランドの真骨頂は800シリーズにあるということだろう。CM9は端正な音で聴きやすいのだが、面白味が無い。この機種だけではなく、CMシリーズは全てそういう傾向にある。

 対して800シリーズは聴感上の物理特性の高さだけではなく、空間表現力に優れた表情の豊かさがあり、聴いていて飽きることがない。CMシリーズとは価格が違うので仕方が無いのかもしれないが、個人的にはCMシリーズと同価格帯の他社製品の方が、聴いて楽しい音を出すように感じられる。



 さて、その試聴会で印象深かったのはスピーカーの音ではなく、同席していたB&W製品の輸入代理店でもあるMARANTZのスタッフの話である。

 職業柄、欧米にはよく足を運んでいる彼によると“もはやハイエンドオーディオ市場が成立しているのは、日本をはじめとする東アジアだけ”とのことだ。ヨーロッパではドイツやイタリアの一部の金持ちが高価なシステムを購入することがあるらしいが、多くの一般ピープルは値が張るオーディオ装置には見向きもしないのだという。

 ならば彼の地では趣味のオーディオが廃れているのかというと、そうではないらしい。高級機ではなく、さりとてミニコンポみたいな安物(失礼 ^^;)とも一線を画す、日本円にして20万円前後までのシステムで音楽を楽しむ層が多いとのことだ。



 ちなみに英国では、そんな手頃な装置を扱う“コンビニ的なオーディオショップ”がけっこうあり、ロンドンには15,6件は存在するという。しかも店長はいずれも若く、日本の団塊世代御用達ショップのオーナーみたいに自分勝手なウンチクを滔々と披露することもなく、まずは客の立場を考えて購入の相談に乗るのだという。

 もちろん、店に置いてあるのは高級品ではないので、いたずらに客を高額商品購入に誘導することもない。客の側としても、扱っている製品の価格セグメントが定まっているので買いやすい。

 最近つくづく思うのだが、オーディオ製品というのはあまりにも高価だ。今年自家用車を新調したのだが、その購入代金でも802Dとそれを駆動するアンプとプレーヤーは一度には買えない(爆)。昔に比べて市場が小さくなったせいか単価当たりの利益率を上げざるを得ず、ラインナップが高額商品にシフトしていくのは分からなくも無いが、これでは趣味のオーディオが一般庶民から離れていくばかりだ。

 そういえば、私がオーディオに興味を持った70年代末には、各雑誌でメインに取り上げられていたのは“20万円で揃えられるシステム”であったように思う。メーカーもディーラーもそういうエントリークラスの購入層を大事にしていたのならば、その後のバブル景気や長期不況などに振り回されずに一定の顧客を今でも確保出来ていたと想像する。

 いずれにしても、イギリスに存在するという“コンビニ的なオーディオショップ”には一度足を運んでみたいものだ(まあ、実現するかどうかはかなり疑わしいが ^^;)。
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