元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「テレーズ」

2010-02-27 06:46:00 | 映画の感想(た行)
 (原題:THERESE )86年フランス作品。19世紀末に実在した聖処女テレーズの信仰に人生を捧げた姿を描く。87年のセザール賞で(作品賞を含む)6部門を獲得。監督は「別離」などのアラン・カヴァリエで、撮影は後に米アカデミー賞を獲得することになるフィリップ・ルースロが担当している。

 ハッキリ言って、こういう映画が一番困る。同じ宗教を題材にしていても、「サクリファイス」や「ミッション」のように何らかの普遍性を持つものとは大違い。完全に“門外漢はお断り”の作品で、内容がほとんど分からずに、最初から終わりまで頭を抱えっぱなしだった。さらにカヴァリエ監督の“実験的な”演出方法、つまり舞台セットをほとんど置かず、カメラは固定で、ワンカットごとにフェード・イン&フェード・アウトを頻繁に繰り返すという手法のため、この分かりにくさは強調される。映画雑誌の紹介記事を読まなければ、ストーリーさえも理解できないところだ。



 一番疑問に思えたのは、テレーズがどうしてどうして“聖処女”とまで呼ばれるようになったのか、その理由が描かれていない点である。若くして死んだ修道女など当時はいくらでもいただろうに。そしてそのほとんどが死ぬまでイエスへの愛を唱えていたに違いない(しかるに、なぜテレーズだけが・・・・)。

 おそらく本当は別の、誰しも納得できるような理由があったはずだ。映画はそれに対して少しも答えていない。そういえば、肺病にかかって日々衰えていくはずのヒロインが、見かけはとても元気だというのもおかしな話である。結局、強く印象に残ったのは、カルメル会とかいう修道会の厳しい戒律の数々ぐらいだ。

 “無言の行”というのがあって、修道長がいいと言うまでひとことも喋ってはならないとか、修道院と外界とは木の格子で仕切られていて、外部の者と会うときは顔を黒いベールで隠さなければならないとかetc.しかしそれはあくまで学問的な興味であり、映画自体の面白さとはあまり関係がない。ルースロのカメラによる映像はさすがに静謐で美しく、主演のカトリーヌ・ムーシェも魅力があるのだが、それらだけで作品そのものが評価できるわけでもない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ザ・コンテンダー」

2010-02-26 06:35:22 | 映画の感想(さ行)
 (原題:The Contender )2000年作品。アメリカの政界を舞台に、副大統領候補となった女性議員をめぐるスキャンダルと、それに立ち向かうヒロインの奮闘を描くドラマ。死去した副大統領の後釜として大統領は女性上院議員を指名するが、それを面白く思わない下院の委員長は、彼女への攻撃を開始。学生時代のセックス・スキャンダルを暴きたてる。

 BGMがほとんどないドキュメンタリー・タッチを狙った演出が功を奏している。ジョアン・アレンをはじめとするキャストの頑張りもなかなか。でも、話のレベルが低いような感じがするのは私だけ?

 副大統領が若い頃に奔放な女だったからって、それがどうした。そんなの笑い飛ばしてやればいいではないか。そもそも、女性の“過去”がこんなにも大仰に扱われなきゃならないなんて、アメリカの民主主義とやらはその程度のものかと思ってしまう。もっとハードかつ切迫した題材を与えてやればよかっのだ。それとも“女性議員が主人公なら、ヘヴィな政治ネタより下半身ネタで十分”とでも思っているのだろうか。だとすればずいぶんと失礼な話である。

 監督はロッド・ルーリーなる人物で、「ラスト・キャッスル」以外は目立った仕事がないものの、まずは手堅い仕事だと思う。ゲイリー・オールドマン、ジェフ・ブリッジス、クリスチャン・スレーター、サム・エリオットといった脇の面子も豪華だ。それだけに、ネタ自体にもっと工夫を凝らして欲しかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「千年女優」

2010-02-25 06:22:41 | 映画の感想(さ行)
 2001年作品。注目すべきアニメーション作家である今敏監督の代表作。戦中戦後に映画界のトップスターとして君臨し、現在は北鎌倉で隠遁生活を送る一人の女優の生涯を描いた異色ドラマである。私はこれを面白く観た。

 彼女が“初恋相手”と出会う少女時代から、映画界入りしてキャリアを重ねていくプロセスを、現在の彼女および彼女をインタビューするテレビプロダクションの社長それぞれの視点から二段構えで描かれてゆく展開は興味深い。しかも、両者が別々のシークエンスを形成するのではなく、ヒロインの回想と助監督であった社長の思い入れとが交錯し、それに彼女の出演映画のシーンを頻繁に挿入させながら一本の物語として綴られるという野心的な構成。



 単なる有名人の回顧録という設定から大きく逸脱し、虚実取り混ぜた展開で映画の送り手(女優)と受け手(社長をはじめとする一般のファン)との思い入れを両立させることにより、日本映画の戦後史さえも大きく捉えようという作者の志の高さに感服した。ヒロインのモデルは原節子かと思われるが、ある時は田中絹代であり、またある時は山田五十鈴や岸恵子でも有り得る。要するに日本映画の一時代を築いた“大女優”の存在自体のメタファーなのだろう。

 さらに黒澤明の「蜘蛛巣城」や稲垣浩の「無法松の一生」等の往年の作品群が劇中で一部“再現”されていることに舌を巻くと共に、この作品の中での“虚実”を超え、映画ファン総体としての映画に対する本当の“虚実”に肉迫していることに関しても深い感銘を覚えるのである。こと“映画的映画”の探求という意味でトリュフォーの「アメリカの夜」やキアロスタミの「クローズ・アップ」に比肩するほどの仕事であると思う。

 そしてこれがアニメーションであり、実写においてヒロインの一生を複数の女優で演じ分けねばならない障壁(それは作劇のシームレス化を阻害する)を難なくクリアしていることに大いに納得してしまう。意味不明の老婆の出現や劇中映画の繋ぎがスムーズではないといった欠点も散見されるが、アニメーションの新たな地平を切り開いたという点で特筆される出来だと言える。

 それにしても、巷の“アニメしか観ないアニメおたく”にはあまり理解できない作品であることは確かだ。“映画の一ジャンルとしてのアニメーション”をちゃんと認識しているまっとうな映画ファンにこそ観てほしい作品である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アカシアの道」

2010-02-24 05:58:52 | 映画の感想(あ行)
 2001年作品。アルツハイマー症で急速にぼけ始めた母親と、介護する一人娘との葛藤を描く。近藤ようこの同名コミックの映画化で、脚色と監督は松岡錠司。同監督は感心しない映画もけっこう撮っているのだが、本作は彼の代表作の一つであると思う。

 題材から予想される教条主義的な展開は皆無。孤独な母親と、それ以上に孤独な娘の詳細かつ深遠な内面が描かれており、安易な建前論など入る隙がない。特に、小さなアパートの一室で誰にも助けを求めることができず自暴自棄に陥ってゆく娘の描き方は容赦がない。

 しかし、作者は決して登場人物を断罪したり見捨てたりはしない。誰にでも起こりうる状況の中の人物像を普遍的かつ肯定的スタンスで追うだけである。だからこそ、悲劇に終わりそうになるラスト近くの展開も全く無理がない。観ていて身につまされてしまう。母親を演じる渡辺美佐子と娘役の夏川結衣の演技も素晴らしく、見応えのある秀作だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人間失格」

2010-02-23 06:21:08 | 映画の感想(な行)
 やはりこの原作は映画化が難しい。かつて鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」や「陽炎座」を製作し、自身もメガホンを取って「赤目四十八瀧心中未遂」という快作をモノにした荒戸源次郎の腕をもってしても、空振りに終わってしまうのだ。

 とにかくまずは主人公・大庭葉蔵の内面に迫らなければ話にならないが、これがまるで不発。映画作りにおいて当たり前のように語られる“登場人物の内面描写”というモチーフが、これほど重大な意味を持つ題材は他にあまりないと思うが、心象風景を並べたり、俳優の演技力に委ねるぐらいではとても追いつかない。



 葉蔵がどうして人の心が分からないようになったのか。なぜ道化を演じるのか。そして生まれてきたこと自体に罪悪感を抱くのか。それらの本質的な洞察について作者の全精力を動員させ、なおかつ主人公の個別的な苦悩を普遍的なテーマとして結実させるべく細心の注意を払わねばならない。ところが、この映画は最初から白旗を揚げているようなのだ。主演に(ジャニーズ事務所の)生田斗真とかいう、顔は良いけど演技面ではまったくの大根を持ってきた時点で、作者の“投了モード”が横溢している。

 あとは鈴木清順のモノマネみたいなケレン味たっぷりの映像的ギミックの羅列。確かにキレイだが、この太宰治の著名な小説の映画化でそんなことばかりして何になるのか。さらには原作に出てこない中原中也まで意味もなく登場するに及び、いい加減バカバカしくなってしまった。



 それでも女優陣は健闘している。寺島しのぶ、小池栄子、石原さとみ、坂井真紀、室井滋、大楠道代、そして三田佳子という豪華キャストで、各々見せ場が用意されている。彼女たちを見ているだけで飽きないのだが、それが却って主人公の影の薄さと緊張感のなさを強調させてしまうことになり、結果としては愉快になれない。

 終盤、戦争への道をひた走る当時の世相を引き合いに出し、主人公の優柔不断ぶりとを対比させて何かを語ろうとしている様子が窺われるが、見事に取って付けたような感じである。本題である葉蔵の屈託さえ描けていないのに、余計なところに色目を使うなと言ってやりたい。要するに本作、文芸映画としては食い足りないし、アイドル映画としても中途半端、映像を楽しむにしても“この映画でなければならない”というセールスポイントにも欠ける、何とも感心しない出来に終わってしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「サイン」

2010-02-22 06:24:19 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Signs )2002年作品。ペンシルバニア州バックス郡を舞台に、元・牧師で今は農場を営んでいる主人公が、畑に巨大なミステリーサークルが出来ていたことをきっかけに、奇天烈な事件に巻き込まれていくというSF風スリラー。感想だが、聞きしにまさる駄作だと思った。

 低俗テレビドラマで消費されるC級SFホラーでしかないストーリーを、いかにも“何かあるゾ”という勿体ぶった語り口でいけしゃあしゃあと垂れ流す、その神経には脱力する。モタモタした演出とキャストのわざとらしい大仰な演技も目を覆うばかり。

 予算をケチったせいかロケ地は一ヶ所限定でクリーチャー・デザインは限りなく安っぽい。それがまた画面全体の貧乏臭さを助長させる。これで“ヒッチコックにオマージュを捧げました”と平然と言ってのけるとは、M.ナイト・シャマラン監督は相当な食わせ者である(要するに「シックス・センス」だけの一発屋だろう)。

 設定がチャチならば、逆にそれを売り物にして“笑い”に昇華出来れば良かったのだろうが、この監督にはそういう度胸はないようだ。メル・ギブソン御大もこんなのに付き合わされてお気の毒と言うしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「カタクリ家の幸福」

2010-02-21 07:21:19 | 映画の感想(か行)
 2001年作品。人里離れた山中でペンション経営を始めた一家が、数々のトラブルに巻き込まれながらも、何とか折り合いを付けていく様子を描くミュージカル風味の喜劇。元ネタは韓国映画の「クワイエット・ファミリー」で、山岸きくみが脚色を担当。監督は三池崇史である。

 ひとことで言って、つまらない。ギャグは寒いし、展開も行き当たりばったり。同じ“ミュージカル仕立てのお笑い編”でも、森田芳光の「ピンクカット/深く愛して太く愛して」や黒沢清の「神田川淫乱戦争」等の足元にも及ばない。だいたい、元になった「クワイエット・ファミリー」自体が凡作なので、いくら策を弄しても何とかなるものではないだろう。



 キャストは主演の沢田研二をはじめ、松坂慶子、西田尚美、武田真治、丹波哲郎と、けっこう豪華。ただし、彼らの存在感を持ってしても、この低調ぶりは如何ともし難い。

 今回つくづく思ったのは、三池崇史監督ってのは“思い付き”で作品を連発する作家だということだ。よく言えば好奇心と精神力が旺盛。悪く言えば粗製濫造(たまに面白いのもあるが)。でもそれ自体が否定されるべきことではない。カツドウ屋にとってエネルギッシュなのはいいことである。ただし不幸なのは、彼のような作家が他にほとんどいないことだ。

 この映画にしても、かつての東映任侠映画の同時上映(添え物)として公開されたなら、たとえ面白くなくても観客は文句を言わないはず。だが、どう見たってC級プログラム・ピクチュアでしかない本作がミニシアターとはいえ堂々一本立て興行してしまうと、笑って済ますわけにはいかないのだ。プログラム・ピクチュアという方法論そのものが滅びかけている邦画界では、彼は延々と一人相撲を続けるしかないのだろうか。困ったことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「山田村ワルツ」

2010-02-20 06:51:45 | 映画の感想(や行)
 昭和62年作品。風刺が効いたコメディの佳作である。農村の嫁不足がテーマで、女日照りで性的に悶々としている若い野郎共が主人公。まあ、悩みというのは本人が深刻になればなるほど、傍目には滑稽に見えることがあり、そのギャップが笑いを呼び込むのである。

 監督は金子修介で、彼がロマンポルノ時代に培ってきたコアなコメディセンスをそのまま一般映画に移管したような作りで、しかも当時は全国一斉公開だった。よくもまあプロデューサーからOKサインが出たものだ。

 そもそも田舎の人間すべてが木訥で人情に厚いというのは迷信である。脚本担当の一色伸幸によれば“田舎の人間は、時には押しつけがましく乱暴だ”とのことで、これは私も少し賛同したい(爆)。このヒネた(ある意味核心を突いた)スタンスに則り、本作には通り一遍のカタルシスを巧妙に回避した飄々としたテイストが充満している。

 嫁取りゲームにあれやこれやの珍作戦を繰り広げる青年団と、村長をはじめとする年配層、冗談半分でお見合いに応じてくる女性陣、そしてなぜか村に迷い込んできた天才少女作家、それぞれの立場でのなりふり構わぬ私欲を漲らせた駆け引きが可笑しい。主演の天宮良は、これが“地”かと思わせるほどの適役。ヒロインに扮した小沢なつきも可愛いし、米米クラブのの登場は笑いをより一層盛り上げる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「花とアリス」

2010-02-19 06:26:55 | 映画の感想(は行)
 2004年作品。親友同士の女子高生2人と先輩男子との淡い三角関係を甘酸っぱく綴る岩井俊二監督作。問題作「リリイ・シュシュのすべて」(2001年)を経た岩井は、このような他愛のない学園ドラマを手掛ける場合でも登場人物の屈託に対して容赦ないアプローチを敢行している・・・・と評論すべきなのかもしれないが、正直言ってどうでもいい。この少女マンガみたいな(少女マンガはほとんど読んだことはないが ^^;)ポワ~ンとした甘酸っぱい雰囲気に年甲斐もなく思いっきり酔える映画だと断言したい(笑)。

 とにかく主演の二人が可愛い。共通の“好きな相手”である先輩に仕掛ける罪のないウソ(記憶喪失ネタ)も可愛い。終盤にそのウソがばれて、それぞれに自分の気持ちに折り合いを付けるあたりも実に可愛い。こういう“可愛い作劇(謎)”で2時間以上も引っ張れる岩井監督の才能は、やはり凄いと思う(並の作家なら恥ずかしくなって途中で投げ出しかねない)。



 主演の鈴木杏と蒼井優の魅力も存分に引き出され、鈴木が舞台の袖で真実を知って涙を流すところや、蒼井がオーディション会場でバレエを披露する場面などは泣けてきたし、雨の中でびしょ濡れになりながら互いの本音をぶつけ合うシーンには感動してしまった。

 阿部寛や相田翔子、大沢たかおといった多彩な脇役も良いし、特に蒼井の父親役の平泉成の扱いは印象深い。観賞後の印象が良好な青春映画の佳篇だと思う。篠田昇のカメラによる繊細極まりない映像も素晴らしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「イシュタール」

2010-02-18 06:22:12 | 映画の感想(あ行)

 (原題:ISHTAR)87年アメリカ作品。まったく笑えない喜劇であり、スリルもサスペンスもない活劇編であり、恋愛沙汰も友情ネタもないドラマである。しかし、これはこれで存在価値は(わずかながら)あると思う。これは要するに、冗談のノリで作ってしまった映画だ。

 有名俳優とスタッフが一流ホテルのバーで飲みながら与太話をしたついでに、フッと頭に浮かんだジョークを“これだけの面子を集めるからカネ出せや”と製作会社にねじ込んでデッチあげられたシャシンと言っていいだろう。ダスティン・ホフマンとウォーレン・ビーティが、フランスからイザベル・アジャーニまで呼んできて、あのエレン・メイがメガホンを取った話題作・・・・といった受け取り方をして作品に臨んだりすると“なんじゃこりゃー!”である(笑)。

 まあ、よく考えると、いくら同じ“有名スターが顔を揃えたコメディ”でも、昔の「底抜けシリーズ」や「珍道中シリーズ」は、お笑いが得意な俳優達が真剣にネタ合わせをやって、観客の腹の皮を捩らせるように腐心した“真っ当な喜劇”であった。対して本作は全然違う。テレビのトークショーの延長線上にあるような、限りなく軽佻浮薄なスタンスで撮られている。つまりは“ヤラセ”が見えてしまうのである。

 だから、この映画を観るにはあらかじめ“こういう映画なのだ”と了解するしかない(そうすればD・ホフマンがヘタな歌声を披露する場面も、少しは笑える ^^;)。もちろんそれは少なくとも開巻20分以内には気が付くべきで、それをスッ飛ばしてしまうと“カネ返せ!”の状態に陥ることになること必至だ。深酒をして帰宅した夜に、テレビ画面でザッと流しておくには絶好の映画かと思う。

 なお、撮影監督は大御所ヴィットリオ・ストラーロである。だが、普段の彼の仕事で見られる美しい映像は皆無。たぶん彼も“お遊び気分”で本作に付き合ったのだろう。どうせならばワン・シーンにボッブ・ホープの顔でも出しておけば、もっとジョーク気分が盛り上がったと思う(爆)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする