元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「4分間のピアニスト」

2007-12-31 07:20:34 | 映画の感想(英数)

 (原題:Vier Minuten)かなりの求心力を持った映画だと思う。主人公は、ピアノ一筋に生きて昔はフルトヴェングラーからもその才能を認められたほどの腕前だったが、気が付けば家庭を築くなどの人並みの幸せを掴めないまま老境に至ってしまった女性ピアノ教師。そんな彼女がドイツの刑務所で出会ったのが殺人犯として服役している若い娘。粗暴極まりない性格だが、ピアノの腕だけは天才的だ。

 荒みきった若者の心が優秀な師匠と芸術の力によって良い方向へ導かれる・・・・という、ありがちなアウトラインを持つ本作は、同類の筋書きを持つ凡百の映画とは比べものにならないほどのヴォルテージの高さを誇っている。

 この二人はピアノが好きという共通点のみで接近するのだが、当初は相手のことなんか何とも思っていないように描かれる。教師が興味があるのは娘の才能だけ。娘はピアノを弾くことしか関心がない。そんな二人が理解し合えるようになるには、ハリウッド映画のような御為ごかしの予定調和など最優先で排除しなければならない。

 映画はそれぞれの過去、しかも二人がなぜそんな気難しい人間になったかを、小出しにかつ容赦なく(効果的に)描出する。教師側の若い頃のエピソード、ドイツ敗戦間近の野戦病院で看護婦をしていた彼女が体験する悲惨な出来事は、観ていてまるで身を切られるようだ。彼女の人生はそこでいったん“終わった”かのように思われる。年を取ってから今回ようやく自分の全才能を賭けて向き合える対象を見つけるまでの間、彼女はその空虚な心を抱いたまま長い時間を過ごしてきたのだ。その痛切さが十分伝わってくる。

 娘の方も、かつては天才少女ピアニストとして評価されてきた逸材だが、養父からの性的虐待及びそれを契機として悪い仲間と付き合い始めたため、犯罪に手を染めてしまう(無罪であることも暗示させるが)。

 そんな二人のレッスンは、まるで戦争だ。本音がぶつかり合うバトルの末、ようやく連帯感らしきものを会得するが、それはまた綱渡りのような危なっかしさをも内包している。二人の戦いは映画が終わってからもずっと続く・・・・そんな一筋縄ではいかない人間模様を、ドイツの俊英クリス・クラウス監督は骨太な筆致で浮き彫りにする。

 若い娘を演じるハンナー・ヘルツシュプルングは、ハッキリ言って凄い。全身これ攻撃性の塊だ。登場早々に看守を半殺しにするのを手始めに、程度を知らない暴力を横溢させる。見ているだけでスリル満点だ。老教師役のモニカ・ブライブトロイも頑迷さと苦悩を滲ませた、奥行きの深い演技で迎え撃つ。二人とも今年度の外国映画の中では屈指のパフォーマンスだ。

 先日観た「僕のピアノコンチェルト」も音楽の使い方に感心したが、本作はさらに堂に入っている。ベートーヴェンやシューマン、モーツァルトのお馴染みの名曲はもちろん、ロックやジャズのテイストを大胆に取り入れたアネッテ・フォックスの音楽が素晴らしい効果をあげている。特に題名になっているラスト4分間のヒロインの演奏は、まさに激烈と言うしかなく、この部分だけでも十分入場料のモトは取れるだろう。鮮やかな幕切れを含めて、観る価値十分の秀作と言える。
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「時の輝き」

2007-12-30 06:47:02 | 映画の感想(た行)
 「恋空」を観て思い出したのがこの映画だ。95年作品。監督は後に「釣りバカ日誌」シリーズなどを手掛けて松竹の代表的な職人監督になる朝原雄三で、これがデビュー作になる。とにかく「恋空」と同じくティーンエージャーの男女同士の恋愛編で、難病ネタも共通していながら、作り手の技量によってこれほどまでにクォリティに差がつくものかと大いに感じ入った次第である。

 看護学校に通う由花(高橋由美子)は、実習中の病院でかつての片思いの相手・峻一(山本耕史)と再会する。実は彼も由花のことを思っていたことがわかり、楽しい日々を過ごす二人。だが、峻一は不治の病に冒されていて・・・・という話で、折原みとの同名小説の映画化である。

 いくらでもウェットになりそうな題材ながら、安易なお涙頂戴路線には絶対に走らないところが良い。由花は死期が近い峻一と出来るだけ一緒にいたいと考える。それは同情や憐れみではなく、充実した時間を過ごしたいという、つまりは自分のためだ(それはまた自分が愛する彼のためでもある)。病気そのものをネタにせず、徹底的にヒロインの視線で描かれているところ、つまり彼女の前向きなキャラクターが素材の下世話な部分を完全に乗り越えてしまっている。演じる高橋は予想外の(?)好演で“あたし神崎由花、元気が取り柄のピーカン娘”という赤面もののナレーションも違和感がなく、マジメでひたむきな好ましいヒロイン像を体現化している。

 朝原雄三の演出は非常に丁寧かつ正攻法だ。二人が愛を告白し合う場面のいじらしいほどの純な感覚。雨に降られた海水浴でのデート。心が弾む遊園地でのデート。胸が締め付けられるような冬の花火のシーンetc.本当に主人公たちを愛していることが観る者に伝わってきて好感が持てる。橋爪功や樹木希林など、大人たちの扱いも節度を保っている。脚本には山田洋次が参加。

 正直言って、自分が主人公たちの年齢だったころには、こういう重大な体験をしたことがない。好きな相手に思い詰めたこともない。無味乾燥な十代を送った私である。でも、彼らを見ていると、誰にでもこういう“時が輝く”ような体験ができる気がしてきて、思わず心の中で微笑んでしまう。本当にそうありたいものだ。

 技術的には、何よりもカメラワークの素晴らしさに圧倒される。撮影は「魚影の群れ」や「光る女」などの長沼六男。美術的に最も安定した構図である“三角形図法”がどのショットどのカットにおいても貫かれているのに感心するとともに、作品自体の堅牢さをアピールすることに成功している。主人公二人と脇のキャラクターとの間に必ず適度なスペースを設け、観客の視線が二人に収斂するように仕向けたり、茶系のフィルターをかけて画面に温かい雰囲気を与えるなど、細心の配慮が施されている。適切なライティングと焦点の切り替えの見事さも相まって、透き通るような、実に気持ちの良い映像に仕上がった。

 西村由紀江の音楽が美しい。東野純直による主題歌も素敵だ。心が洗われるような(クサい表現だが、事実だからしょうがない)青春映画の佳篇。どんなにベタな題材でも、送り手が真剣に作ればこのようなレベルの高い映画に仕上がるのだ。観客を嘗めきったような「恋空」のスタッフは猛省すべきだろう。
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「恋空」

2007-12-29 07:40:45 | 映画の感想(か行)

  新垣結衣は“女優”の域には達していない。今のところ“単なるアイドル”だ。前回の「恋するマドリ」は一応主演だったものの狂言回し的な役どころで、それほど演技力を要求されることはなかったと思うが、本作のように自分が主役としてドラマを引っ張っていかなければならないシチュエーションに直面すると、途端に実力不足が露見する。

 とにかく彼女は表情に乏しく、内面が全然見えてこないのだ。人気のあるうちに一度厳しい監督に徹底的にしごかれるか、実力者と共演して研鑚を積むかしないと、ただでさえ人材豊富なこの世代の中にあっては、いずれ埋没してしまうだろう。

 さて、大ヒットしたこの映画だが、いくらお子様向きのシャシンとはいえこの出来の悪さは如何ともしがたい。エピソードがあれもこれもと詰め込みすぎで、しかも終盤に近付くほどにその“詰め込み度合い”が増しており、しまいにはストーリーは空中分解の様相を呈している。

 さらにその個々のエピソードは韓流ドラマも顔負けのクサさで、難病ネタを中心とする必然性のない不幸の釣瓶打ち。それらを“ここがこうだから、アタシはこう思って悲しんだ”みたいな説明的セリフを山のように振りかけて粉飾している。無駄なモノローグに寄りかかっているためかキャラクターの描写は限りなく薄く、生活感も実体感も皆無。今井夏木とかいう新人監督の演出は凡庸極まりなく、これだけ見せ場というものが見当たらない映画も珍しいと思う。

 所詮はケータイ小説を土台にしたイロモノか・・・・。“この程度の作品でボロ儲けできるのだから、中高生相手の商売なんてチョロいもんだぜ”という送り手側の高笑いが聞こえてくるようだ(暗然)。

 あまりケナすのも何なので、長所も二つばかりあげておこう。まずは映像の美しさ。大分県でロケした街や郊外の有り様、そして題名通りの空の描写は見事だ。カメラマンの山本英夫はなかなか健闘している。もう一点は新垣の相手役に扮する三浦春馬だ。まだまだ演技は硬いが、不敵な中にナイーヴさを垣間見せる面構えがよろしい。もっと精進すれば将来有望な若手男優となるだろう。次回は違った役柄で見てみたい。
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「僕のピアノコンチェルト」

2007-12-27 06:40:07 | 映画の感想(は行)

 (原題:Vitus )なかなか痛快な映画だ。12歳の天才ピアニストのヴィトスが主人公だが、彼は上手いのはピアノだけではなく、数学にも科学にも強いオールマイティの異能児である。でも子供の身でありながら飛び抜けた頭脳を持ってしまったことによる悩み(周囲から浮いてしまうこと)もちゃんとあり、努力家の父や気負いすぎの母を健気に思いやっている。

 こういう“出来過ぎの主人公”が巧みに立ち回って物事を納めてゆくというストーリーは、ヘタするとトンでもなく嫌味な絵空事のシャシンに仕上がるものだが、そこは「山の焚火」や「最後通告」などで子供の扱い方には定評のあるフレディ・M・ムーラー監督、見事に地に足が付いた良作にまとめている。

 一番の勝因はブルーノ・ガンツ扮する祖父を主要キャラクターとして置いたこと。祖父は特異な才能を持つ主人公を特別扱いせず、また子供だからと軽くも見ず、一個の人格として接している。しかも泰然自若で自由主義の味わい深いキャラクターであり、何より主人公を誰よりも愛しているし、ヴィトスも祖父が大好きだ。こういう自然体の登場人物の存在がいささか荒唐無稽なストーリーを観客との間にワンクッション置く効果をもたらし、筋書きが観る側に無理なく入ってくる。

 そしてヴィトスを演じるテオ・ゲオルギューは本当の現役のピアニストであることもすごい。もちろん映画出演は初体験だが、単に“子供らしい存在感”ではなく“手応えのある演技”をモノにしているあたりは、さすがに天才肌だ。

 音楽の使い方も申し分ない。全編を流れる名曲の数々、それらが漫然と響くのではなく、場面に合った曲調のものを選出している。ラストのコンサートの場面は実際に演奏会を開いて撮影したらしい。観客の反応も演出ではなくドキュメンタリーだ。なるほど、作り物ではない臨場感があり、映画の締めとしては良好だ。

 なお関係ないがこの映画はスイス製作である。よって当然スイス人の日常を追った作劇になっているが、面白いのは皆ドイツ語と英語と、時にはフランス語を混在させて喋ること。確かにどれも公用語なのだが、戸惑わないのだろうかと思ってしまった。本当のところは、私はスイスに行ったことがないので分からないけどね(笑)。
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モブ・ノリオ「介護入門」

2007-12-26 06:41:05 | 読書感想文
 痴呆で寝たきりの祖母を介護するジャンキーでプータローの主人公の生活と意見を、独特の筆致で綴った第131回芥川賞受賞作。介護の現場を知りたいのなら、もっと真摯で感動的な書物はいくらでもあるだろう。ただ、本書は「ラップ調の文体」で介護問題を論じているところが目新しい。というか、それ以外に取り柄のない本である。

 しかも、私はヒップホップ(特に日本製)が嫌いなこともあり、段落のほとんど無いゴツゴツとした言葉の羅列を追うのは辛く、3ページ読んだだけでいい加減疲れてきた(笑)。お決まりの「YO!」という掛け声はともかく、朋輩と書いてニガーと読ませるのは相当無理がある。

 たぶん作者はマジメな奴なのだろう。でも、マジメな見解をマジメに主張しても小説として面白くはならない。今回はヒップホップという変化球で何とか切り抜けた感があるが、今後どうなるかは不明。芥川賞の選考に「将来性」が加味されているとしたら、一発屋の気配が濃厚なこの作者に賞をくれてやるのは疑問である。
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「カンナさん大成功です!」

2007-12-25 06:35:44 | 映画の感想(か行)

 (英題:200 Pounds Beauty )映画祭出品作品を除いて、今年唯一映画館で観た韓国映画。そもそもなぜ本作を観る気になったのか、それは原作が鈴木由美子による同名漫画だからだ。もちろん原作は読んでいないが、日本発のネタをどう料理するかほんの少し興味があったからである。だが、結果は相変わらずの田舎芝居ぶり。思わず苦笑してしまった。

 人気歌手の“吹き替え役”に甘んじていた百貫デブのヒロインが、全身整形によってスリムな美人に変身。想いを寄せていたハンサムな音楽プロデューサーに猛チャージを掛ける。彼女が整形をカミングアウトできずにあたふたと悩む様子や、周囲が美人扱いしてくれるにもかかわらず本人の内面はブスの頃のままだというギャップを、監督(脚本も担当)のキム・ヨンファはこれ以上ない程に泥臭いお笑いで塗りたくる。

 その臭さはかつての香港映画も顔負けだ。こんなにベタなギャグじゃないと韓国の観客は満足しないのかと、ほとほと呆れてしまった。それにしても、かくも整形ネタを大々的に打ち出すとは、整形が常識の韓国芸能界にあっては一種の“自爆テロ”ではないかと思い至った。おそらく作っている側もヤケクソ気味だったのだろう(爆笑)。

 劇中で主人公が自らの整形のリクエストとしてイ・ヨンエとかコ・ソヨン、シム・ウナなどの名前を持ち出す場面があるが、よく考えると韓国映画界には彼女たちの後にはロクな女優が育っていないことを意味するのではないかと思ってしまった。たとえばこの映画の主演女優のキム・アジュンはスタイルこそ良いが大して魅力がない。あえて言ってしまえばあまり品がないのである。共演(歌手役)のソ・ユンもヒドい。日本映画界ならば脇役としても使ってもらえない・・・・とは言い過ぎか(笑)。

 唯一の見所は冒頭のコンサートシーン。大きな会場を借り切ってのエキストラ大量動員による盛り上がりはなかなかのもの。途中で吹き替え役の主人公が体重のため抜けた床に落ち込み、そのためヴォーカルが出せなくなり、場を保たせるためプロデューサーが目にも止まらぬ速さで舞台効果を連発するシーンは大いに笑った。このペースで全編行って欲しかったのだが・・・・。
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「黙秘」

2007-12-24 06:53:22 | 映画の感想(ま行)
 (原題:Dolores Claiborne )95年作品。メイン州の小さな島で、女主人を殺した容疑に問われているメイドのドロレス(キャシー・ベイツ)。20年前彼女の夫が変死を遂げた事件(事故として処理)でもいまだに彼女を疑っている警部(クリストファー・プラマー)は、当時の重要な証人でもある彼女の娘で新聞記者のセリーナ(ジェニファー・ジェイソン・リー)をニューヨークから呼びよせる。セリーナとドロレスは15年も会っておらず、相当の確執を抱えているようで、警部はそこにつけ込んで有罪に持ち込むつもりだ。スティーヴン・キングの小説を映画化したのは、ベテランなのに「愛と青春の旅立ち」以外はほとんど評判にもなっていないテイラー・ハックフォード(笑)。

 はっきり言って、ミステリー映画としては出来はよくない。事の真相は物語の中盤で割れてしまうし、クライマックスの盛り上がりもイマイチだ。展開は不必要に遅い。編集であと20分切れば少しはマシになったかもしれないが・・・・。それでも妙に気になるのは、心の中に傷を負った登場人物たちの、一緒にいればいるだけますます落ち込んでしまう、そんなどうしようもない悲しさが全編を覆っているからだ。アメリカ映画には珍しく(失礼 ^^;)、容赦のない描き方が目立つ。

 キャシー・ベイツの演技は素晴らしい。夫に虐げられた30代から50代までの女の苦しみを、人生の年輪を感じさせるほど的確に浮き彫りにしている。老けメイクが見事なせいもあるが、若いころと年老いてからのヒロインの造形を、本当にひとりの人間が年月を重ねてきたように見せるというのは、並大抵のことではない。ロクデナシの夫となんとか上手くやっていこうとした20年前の彼女が、ある事件をきっかけに自虐的で人生捨てたような生活に落ち込んでいく、その無理矢理とも思える設定を彼女の演技ひとつで納得させてしまう。

 J・ジェイソン・リーもなかなかの演技だ。20年前の事件の記憶を無理に封じ込めたため、その反動でいまだに心の殺伐さが抜けきらない。有能なのにドラッグやアルコールに溺れ、職場の信頼やいい仕事にありつけない。悲しいほど荒んだ生活を、硬い表情と冷たい視線だけで表現している。そしてC・プラマーの警部や、ドロレスを死ぬまでこき使った老婦人など、登場人物はどれも暗い。あがけばあがくほど暗い自己憧着に落ち込んでいく、もう自暴自棄的な暗さというか・・・・。

 ラストはもちろん一応の解決を見て、母娘はそれぞれの道を歩んでいく。しかし事件の呪縛から抜け出しても、心の傷は消えずまた別の暗い孤独に苦しむことは火を見るよりも明らか。安易なハッピーエンドとは無縁の作者の確信犯ぶりが映画ファンにとってはけっこう納得できたりして(^^;)。演出面では現在と過去をカットバックさせる際のテクニックが面白い。ガブリエル・ベリステインのカメラがとらえる厳冬の島の風景は身を切られるように冷たい。
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「スマイル 聖夜の奇跡」

2007-12-23 07:10:20 | 映画の感想(さ行)

 結局“加藤ローサって可愛いね”という感想しか残らない映画だ(爆)。陣内孝則の監督第二作は、80年代の北海道を舞台に万年負け組の少年アイスホッケーチームが奮起して活躍するという、設定だけならば絵に描いたようなスポ根もの。しかし陣内のことだから定石通りには事は進まない。

 コーチになる新米教師(森山未來)はホッケーどころかスケートも滑れない素人。それが恋人(加藤)の父親に結婚を承諾させるために、父親が所有する少年ホッケーチームを優勝させなければならず、意に添わないコーチ役を引き受けるハメになる。しかもコイツはタップダンサーになるために上京したものの、足の故障のため断念。だがコーフンすると今でも思わずタップを踏み、試合途中でもベンチで踊りまくっているという、アホ丸出しの設定だ。

 そして“コサック・ダンスで鍛えた足腰を活かしたい”とロシアからの転校生をチームに引き入れたり、“土俵上でスベるよりリンクでスベってみないか?”と相撲の上手い生徒を勧誘したりと、無茶苦茶な運営活動を展開。主人公が完全にオフビートな野郎なので、演出もかなりふざけまくっている。スローモーションやCGを使ったマンガチックなギャグ場面が満載だ。

 しかし、悲しいことにこれらは完全に“ハズして”しまっている。まったく笑えないのだ。例えるならばウケない漫才を見せられ、しかも最前列に座ってしまったため途中退場も出来ないような居心地の悪さが終始付きまとっている。

 かと思うと、チームの面々がゾッコンになるフィギュアスケート選手の女子生徒が病で倒れたことによる“難病もの”路線や、エースストライカーの複雑な家庭事情をダシにした“泣かせるホームドラマ”のテイストなど、取って付けたような扇情的ネタが挿入され、観ているこっちは盛り下がるばかりだ。肝心の試合の場面もただ漫然とカメラを回しているだけで、スポーツ映画に必要な“キメ”の場面も覚束ない。こりゃ、ダメだ。

 唯一の見所が試合会場でギャラリー全員がクリスマスソングを唱和する場面。さすが元々ミュージシャンの監督だけあって、ここだけは熱いオーラがスクリーンから漂ってくる。逆に言えば、音楽絡みの題材しか上手くこなせないという監督の資質の“(現時点での)限界”を露呈させたことにもなる。

 陣内は今後も畑違いの素材にチャレンジして監督としてのスキルを積むか、あるいは前作「ROCKERS」みたいに自分の得意分野だけを活かす企画だけを手掛けるか、どっちかに決めるべきであろう。個人的には後者が賢明だと思うが・・・・(^^;)。
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最近購入したCD(その12)。

2007-12-22 06:44:24 | 音楽ネタ
 またまた最近購入したディスクを紹介します。まず、メロディアスなパンク・サウンドを聴かせる、いわゆる“エモ系”の先駆のひとつと言われたアメリカのバンド、ジミー・イート・ワールドの3年ぶりになる新譜「チェイス・ディス・ライト」。

 この手の音は肌触りの良い旋律で聴きやすいのだが、その分飽きるのも早い。しかし、このアルバムはキャッチーで親しみやすい“エモ系”のトレンドを維持しつつ、巧妙にオルタナティヴなどのテイストも取り入れ、各曲ごとの音造りの掘り下げが実に深く、ヴァラエティに富み、聴き手を離さない。ニルヴァーナやスマッシング・パンプキンズのアルバム製作も手掛けたブッチ・ヴィグがエグゼクティヴ・プロデューサーとして参加していることも大きいのだろう。



 歌詞もとことん前向きで力強く、時には気恥ずかしくなるほどだが(笑)、こういった曲調に乗せられるとまったくおかしくない。たぶんライヴでは観客も唱和して大いに盛り上がるのだろう。なお、少し安い輸入盤よりもボーナス・トラックが3曲も入った国内盤がオススメだ。

 英国出身のピアニスト、デイヴィッド・ゴードン率いるトリオが2000年に吹き込んだ「Undiminished」を聴いてから、ジャズに関しては初心者である私の“好きなジャズの傾向”を確認できた。それはまずピアノトリオであること。さらに、主に欧州製であること。しかもECMレーベルの諸作のような芸術家肌の高踏的なシロモノではなく、適度にハードバップな、それでいて硬質で強靱な傾向を備えた寒色系の叙情派メロディをキメるミュージシャンであることだ(実に分かりにくい表現で恐縮だが ^^;)。



 それを代表するのが本作。スタンダード・ナンバーもあるが、オリジナル曲が素晴らしい。怜悧な美しい旋律、そして演奏はマッシヴでストレートアヘッド。グイグイと引き込まれる強力なビートがたまらない。そして特筆すべきは録音の良さ。私の持っているディスクで5本の指に入るほどのクォリティだ。広い音場に各楽器が絶妙な距離感で定位するサウンド・デザインには感服するしかない。オーディオシステムのチェック用にも使えよう。輸入盤のみのリリースだが、一聴の価値あり。

 エスビョルン・スヴェンソン率いるスウェーデンのピアノトリオ「e.s.t.」による実況録音盤「ライヴ・イン・ハンブルグ」も最近発売されたCDの中ではスグレモノだ。前述のデイヴィッド・ゴードン・トリオも辛口だったが、これは“超辛口”である。

 北欧のミュージシャンらしい、クリアでリリカルな旋律構成を、強烈なリズムがバックアップする。ドラムンベースやテクノ・トランスなどのテイストを巧みに取り入れ、ジャズのコンサートには珍しい大観衆を抜群のグルーヴで圧倒する。電気系の使い方も堂に入っていて、曲調も大規模組曲風。これはジャズというより、プログレッシヴ・ロックに近い(新時代のEL&Pか ^^;)。

 ピアノトリオというユニットを、どこまで突き詰められるか。かつてビル・エヴァンズが内省的アプローチを突き詰めたのに対し、「e.s.t.」は外部に向かって徹底してブレイクアウトする。その大胆不敵なパフォーマンスには脱帽するしかない。一度で良いから、実演に接してみたいものである。録音も良好で、会場の熱狂を無理なく伝えてくれる。必聴盤だ。
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「アイ・アム・レジェンド」

2007-12-21 06:50:07 | 映画の感想(あ行)

 (原題:I AM LEGEND )どうしようもない映画である。こんなのが一応“正月映画の目玉”ということになっているのだから、いかにこの冬休みシーズンが不作なのか分かろうというものだ(爆)。

 ガンを制圧する画期的な治療法を開発する過程で新種のウイルスが発生。人類のほとんとが短期間で死に絶え、わずかに生き残った連中は“ダーク・シーカー”と呼ばれるゾンビと化している。幸いに免疫を持っていた主人公の男が、一人で誰もいないニューヨークで愛犬とサバイバルしており・・・・という設定自体、画面からはまったく説得力が感じられない。

 アウトブレイクからわずか数年で山のような犠牲者が出たのなら、街中に死体あるいはその残骸がゴロゴロしているはずだが、まったく見当たらないのはどういうわけだ? いったい誰が死体(およびゾンビが食い散らかした後)を片付けたのか。だいたい彼が生活する上で必要な上下水道や電力などの生活インフラの整備主体も分からない。

 また、中盤にゾンビどもが彼を罠に嵌めるシークエンスがあるが、これほどの知性がありながら、ラスト近くまで主人公の居場所ひとつ突き止められないとは噴飯ものだ。また、日没前後におけるゾンビとの絡みで直射日光に弱いことは示されるが、ならば曇天や雨の日には動き回れてもおかしくはない・・・・という解釈も成り立つが(笑)、もちろんそのあたりの詳しい説明も無し。そもそもCGで描かれるゾンビの造型はチャラチャラとしていて見苦しいではないか(^^;)。

 フランシス・ローレンスの演出は凡庸の極みで、山も谷もない話が延々と続く。特に主人公が何度も回想する妻子との別れの場面は十分に盛り上がってしかるべきだが、これが同じシーンの繰り返しで、しかも“結末”が尻切れトンボになっており、大いに脱力した。主人公が別の生き残りの人間とめぐり会う後半からの展開に至っては、すでに映画作りを放棄したかのような腑抜けぶり。ラストシーンなど、あまりのバカバカしさに“カネ返せ!”と叫びたくなった。

 リチャード・マチスンによる原作の前回の映画化であるチャールトン・ヘストン主演の「オメガマン」の方がよっぽど筋が通っていたし、SFゾンビもの(?)としても「プラネット・テラー in グラインドハウス」の足元にも及ばない。ウィル・スミスの大根演技も願い下げで、これは本年度のワーストワン有力候補である。
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