元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「オフィシャル・シークレット」

2020-09-28 06:33:08 | 映画の感想(あ行)

 (原題:OFFICIAL SECRETS)実話とのことだが、本当にセンセーショナルな題材だ。この事件が起こったこと自体、驚きでしかない。さらに映画は国家と個人の関係性や、組織の内部規制と公共の福祉との相克、果ては欧米を揺るがす難民問題に至るまで、重大なモチーフを次々と繰り出してくる。観終わった後の満足感は決して小さくはない。

 2003年、イギリスの諜報機関GCHQ(政府通信本部)で通信傍受と翻訳の業務に就いていたキャサリン・ガンは、ある日アメリカのNSA(国家安全保障局)からの、国連安保理に関するメールを受け取る。内容は、イラク攻撃を正当化するため安保理の参加国に対して“裏工作”を仕掛けるというものだ。

 このメールに驚き義憤に駆られたキャサリンは、情報をリベラル活動家にリーク。そして内容が英国オブザーバー紙に掲載される。その記事はセンセーションを巻き起こし犯人探しが始まるが、キャサリンは自ら名乗り出て、そのまま公務秘密法違反で逮捕されてしまう。やがて彼女の起訴が決まるが、キャサリン側は名うての弁護士であるベン・エマーソンに仕事を依頼する。実際に起きた告発事件の映画化だ。

 普通、個人情報などを扱う職場では、従業員は秘密順守の誓約書にサインさせられる。これは当然のことだ。しかし、偶然に多くの人命に関わる重大な情報を入手した場合、組織内の規定に則ってそれを秘匿すべきか、あるいは正当なコンプライアンスを遵守してリークも辞さない思い切った手段を取るか、それは大きな問題だ。もちろん、道義的には後者を選択しなければならない。だが、前者を選んでも誰も非難しない。粛々と業務をこなしているだけなのだから、それは“正常運転”だ。

 しかし、キャサリンはあえて情報を公開することに踏み切った。面白いのは、彼女はリークした後も自身の判断が正しかったのかどうか苦悩する点だ。彼女は正義感を振りかざして大胆な行動も厭わない“確信犯”ではなく、ただの従業員なのである。このあたりの、等身大のキャラクター設定は納得出来るものがある。また、キャサリンの夫は元難民であり、当局側が強制送還をチラつかせてもみ消しを謀るあたりもリアルだ。

 実際には彼女の奮闘及ばず、アメリカは国連安保理の決議を待たずにイラク戦争に突入。ところが最終破壊兵器は見つからず、甚大な被害を残しただけだった。とはいえ、キャサリンとオブザーバー紙のスタンスは、正しい認識に従って行動する者は確実に存在することが浮き彫りになり、頼もしい気分になる。

 ギャヴィン・フッドの演出は骨太で、ドラマを弛緩させない。主役のキーラ・ナイトレイはさすがの演技力。マット・スミスやマシュー・グード、レイフ・ファインズなど脇のキャストも手厚い。国際情勢に関心のある向きは必見の映画だと言える。
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「ワンダーウォール 劇場版」

2020-09-27 06:11:33 | 映画の感想(わ行)
 元ネタは2018年にNHK BSプレミアムで放映された“京都発地域ドラマ”で、未公開カットなどを追加して2020年に劇場公開されている。上映時間は68分と短いが、モチーフ自体は興味深く、面白く鑑賞出来た。とはいえ、観る側が昔の学生気質のようなものを少しは理解していないと受け付けないかもしれない。

 京都にある京宮大学の学生寄宿舎・近衛寮は、建てられてから百年以上が経過しているが、歴代の学生たちによって守り続けられてきた。寮は自治会によって運営され、時には学校当局とも対立することもある。折しも学校側は寮の老朽化による建て替えを提案してきたが、当然ながら自治会は反発する。両者の膠着状態は数年間続き、学生部長の判断により寮の解体は一応棚上げになった。しかし、突然部長は大学を辞め、後任の者は自治会との交渉過程を全て反故にして寮生に立ち退きを通告してくる。



 前半、狂言回し役の学生“キューピー”が近衛寮に入るためこの大学を受験したことが示されるが、ハッキリ言って今どきこういう寮生活にあこがれる学生というのはかなりの少数派だろう。劇中で“近衛寮は変人ばかり”と言われているが、たぶん実際の古い学生寮というのは変人しか入居したいとは思わない。

 しかしながら、近衛寮の内実を見ると雑然とした独特の魅力があることが分かる。ここにしか住めない変わり者の学生も、確実に存在する。だが、本作のテーマは古い寮の再発見みたいなノスタルジックなものではない。後半、どうして学校側が寮の建て替えを画策したのか、その理由が示される。



 早い話が、大学当局は学生のことなど考えておらず、すべては打算なのだ。背景には、教育にカネを出さない国と緊縮指向の世間の風潮がある。そういう目先の経済優先の空気が大学教育を蔑ろにしてゆく、その構図を本作は批判している。前田悠希の演出は丁寧だが、終盤に“合奏シーン”を2回も挿入するのは余計だった。1回に絞って、残った時間は別のエピソードでも入れて欲しかった。

 須藤蓮に岡山天音、三村和敬、中崎敏、若葉竜也などの若手、そして山村紅葉や二口大学、成海璃子など、キャストは万全。なお、近衛寮のモデルになっているのは京都大学の吉田寮である。学生側と大学側との対立は長期にわたっており、ついには裁判沙汰にまで発展した。穏便な解決を望みたいところだ。
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「ソワレ」

2020-09-26 06:55:39 | 映画の感想(さ行)
 まるで要領を得ない映画だ。作者の意図が見えない。もしかしたらアメリカン・ニュー・シネマの“復刻版”を日本映画でやりたかったのかもしれないが、時代も環境も違う中で形式だけ移管させようとしても、上手くいくはずもない。加えて作り手の余計なケレンが目に付き、鑑賞後の印象は芳しいものではない。

 役者を目指して上京した岩松翔太だが、なかなか芽が出ない。所属する小劇団での稽古には身が入らず、小遣い稼ぎのために振り込め詐欺の片棒を担いだりする。ある時、劇団員たちは和歌山県の高齢者施設で演劇を教えることになる。その施設がある町は、翔太の生まれ育った土地だ。そこで彼は介護員の山下タカラと知り合う。



 彼女は複雑な事情を抱えており、誰にも心を開かず、若さに似合わず世捨て人のような生活を送っていた。そんな中、翔太たちは彼女を夏祭りに誘うとするが、そこにムショ帰りのタカラの父親が押し掛けて翔太と揉み合いになる。タカラは彼を助けるために父親を刺殺してしまうが、翔太は彼女に“一緒に逃げよう”と持ちかけるのだった。

 アメリカン・ニュー・シネマの鉄板ネタである“罪を犯した者たちの逃避行”を前面に掲げるが、広いアメリカならともかく、日本国内ではたかが知れている。翔太自身や彼らを追う刑事たちが言うように、これは逃亡ではなく“かくれんぼ”であり、ただのママゴトだ。こんなもので映画的興趣が喚起されるわけがない。

 そもそも、主人公たちにまったく感情移入出来ない。翔太は俳優としては認められず、挙げ句の果ては犯罪に手を染めている。そんな奴に自身の不甲斐なさを独白されても、観ている側は鼻白むだけだ。タカラも不憫な生い立ちのため自主性を失っているようで、それが逃避行の間に少しばかり前を向けたとしても、鬱陶しさしか感じない。

 だいたい、翔太たちの劇団が東京から遠く離れた和歌山で、しかも翔太の地元だというのは御都合主義だろう。そしてタイミング良く(前振りも無く)タカラの父親が施設の寮に乗り込んでくるのも、無理筋だ。また、随所で挿入される(時制を無視した)登場人物の空想だの妄想だのといったシーンも、ワザとらしくてシラけるだけ。ラストの処理は作り手にとっては“してやったり”と得意気だろうが、まさに取って付けたようで脱力した。

 外山文治の演出は平板で、特筆出来るものはない。主演の村上虹郎と芋生悠は頑張っていたとは思うが、映画の出来がこの程度なので“ご苦労さん”としか言えない。なお、本作は小泉今日子らが設立した映画会社“新世界合同会社”の第一弾。とりあえずは次回に期待したい。
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「土曜の午後に」

2020-09-25 06:28:58 | 映画の感想(た行)

 (原題:SATURDAY AFTERNOON)アジアフォーカス福岡国際映画祭2020出品作品。昨今のコロナ禍によってこのイベントも今年度は規模が大幅に縮小され、上映本数も開催期間もスケールダウンした。唯一観たのがこのバングラデシュとドイツの合作による映画だが、内容はかなり強烈でインパクトが大きい。あまりの過激さにバングラデシュ国内では上映禁止となったらしいが、それも頷けるほどだ。

 2016年7月1日、ダッカのレストランに7人のテロリストが乱入。人質を取って警官隊とにらみ合うが、結果として17人の外国人(日本人も含む)をはじめ計20人が殺害される大惨事となった。映画はレストラン内での、人質とテロリストとの駆け引きを描き出す。

 本作の最大のアピールポイントが、86分の上映時間で一度もカメラを切り替えていないことだ。つまり、ワンカットで撮られているのである。しかも、最近公開された「1917 命をかけた伝令」のような“疑似ワンカット”ではなく、正真正銘のカメラ一台での作劇のように見える。実話を基にしており、しかも舞台をレストランのワンフロアに限定している分、この手法が大きな効果を上げている。

 テロリストたちは全員が狂信者で、イスラム教徒(スンニ派)以外はすべて敵だと思っている。たとえ相手が回教徒であっても、難癖を付けて容赦なく始末する。この、ほとんど理屈が通用しない殺戮マシーンである彼らの恐ろしさは筆舌に尽くしがたい。だが、彼らはインド人に対して病的な敵愾心を抱いており、それを利用して人質の一人が策略を練るあたりが、ドラマとして盛り上がるモチーフになっている。この筋書きは秀逸だ。

 モストファ・サルワル・ファルキの演出は粘り強く、最後まで観る者を引っ張ってゆく。もっとも、テロリストたちが人質のそばに無造作に銃を置いたり、漫然と窓際に立っていたりと、気になる点はあるのだが、それでも映画自体の求心力は衰えない。

 今回の映画祭はコロナの問題によりゲストは誰も呼ばれていないが、上映前には監督からのビデオメッセージが映し出された。監督はここに描かれた事実の陰惨さと共に、未来に対して一筋の希望を織り込んだと述べていたが、劇中の人質たちの勇気ある行動はそのことを体現していると言える。キャストのパフォーマンスも万全で、これはぜひとも一般公開を望みたい。
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「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」

2020-09-21 06:17:11 | 映画の感想(は行)
 (原題:BOOKSMART )軽佻浮薄な学園ものと思わせて、実は深いところを突いてくる、なかなか玄妙な作品だ。物語の構成は凝っており、それ自体で一本の映画が出来上がるほどのモチーフを次々と積み重ねてゆく。しかも、観終わってみれば爽やかな青春ドラマとしての手応えも感じる。本国での批評家の高評価も納得する内容だ。

 ロスアンジェルスの高校で生徒会長を務めるモリーとその相棒エイミーは、猛勉強の甲斐あってそれぞれ申し分の無い進路を勝ち取り、卒業まで数日を残すのみとなった。しかし、ひょんなことから遊んでばかりの同級生たちが有名大学への進学や一流企業の内定を得ていることを知り、ショックを受ける。



 ならば卒業前夜だけでもハジけて失った時間を取り戻そうと、生徒副会長のニックの家で開催されるパーティーに乗り込もうとする。ところが、2人ともニックの自宅がどこにあるか知らない。取り敢えず町に飛び出したモリーとエイミーだが、そんな彼らを思いがけないハプニングが続けざまに襲う。

 まず、エイミーが同性愛者という設定は、よくある“卒業パーティーで男子をゲットしようとする女子の話”を巧妙に回避している。さらに、目的地になかなか行き着けない2人の焦りを煽るように、意外な人物たちが登場。やっとパーティー会場にたどり着いたモリーとエイミーを待っていた、思いがけない“事の真相”の数々。起伏のある筋書きには飽きることが無い。

 本作の主題は、先日観た「アルプススタンドのはしの方」に通じるものがある。つまり、人はすべて多面性を持っており、一面的な評価しか出来ないのは“未熟”であるということ。そして多面性を認識することが“成長”だということだ。ただし「アルプス~」が舞台設定を絞って濃密なドラマを展開させていたのに対し、本作はハリウッド映画らしく波瀾万丈のシークエンス展開で見せる。

 これが監督デビューになる女優のオリヴィア・ワイルドの仕事ぶりは達者なもので、序盤こそまどろっこしい点があるが、一度エンジンが掛かると最後まで見せきってしまう。ラストの扱いも秀逸だ。主演のビーニー・フェルドスタインとケイトリン・デヴァーは好調で、メリハリのあるパフォーマンスには感心してしまう。ビリー・ロードやモリー・ゴードン、メイソン・グッディング、ダイアナ・シルヴァーズなどの他の若手キャストも良い仕事をしている。ジェイソン・マコーミックのカメラによる、西海岸らしい(?)明るい映像の雰囲気も捨てがたい。
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「コンフィデンシャル/共助」

2020-09-20 06:56:07 | 映画の感想(か行)
 (英題:Confidential Assignment )2017年韓国作品。人気ドラマ「愛の不時着」の好演で、ファンを激増させたヒョンビンの魅力が爆発している(笑)アクション編。それだけではなく、設定は面白いし各キャラも“立って”いる。活劇場面も健闘していて、公開当時は本国で動員数ナンバーワンヒットとなったというのも納得出来る内容だ。

 北朝鮮の人民保安部に属する捜査員のイム・チョルリョンは、アメリカドルの偽札を作る犯罪グループを追い詰める現場にいた。ところが任務遂行中に上司のチャ・ギソンが裏切り、チョルリョンは同僚である妻と仲間たちを失ってしまう。ギソンは偽札の銅板を奪って韓国へ逃亡。その事実が明るみに出ると、世界中から糾弾されることを恐れた北朝鮮当局は、秘密裏に銅板を取り返すためチョルリョンを韓国に派遣する。偽札の件を秘密にしたまま犯罪者の協力要請を受けた韓国側は、落ちこぼれ刑事のカン・ジンテをチョルリョンの相手役に任命。こうして前代未聞の南北共同捜査が実現する。



 いくら南北の協働とはいえ、北側は銅板のことを伏せているし、ジンテはチョルリョンの密着監視を命じられており、そこには裏の駆け引きが存在する。とはいえ、互いに秘密を抱えたままでは捜査に行き詰まる。だから自然と両者は腹を割って話せる仲になってゆくのだが、そのプロセスに無理がない。

 ジンテはチョルリョンを自宅にホームステイさせ、文字通り“同じ釜の飯を食う”間柄に引き込む。ジンテの家族もクセ者揃いで、そこにハンサムな北の捜査官が乗り込んできて一騒ぎ起こるあたりがおかしい。また、敵役のギソンも一筋縄ではいかないキャラクターで、南北両政府に対して屈折した思いを持ち、脱北したいと言う手下を簡単に始末するなど、単純な悪玉にしていないところは評価出来る。

 キム・ソンフンの演出はスピーディーで、特にアクション場面に卓越したものを見せる。街中でのチェイス場面は素晴らしく、観ていて手に汗を握ってしまった。中盤のカーアクションからラスト近くの銃撃戦まで、見せ場を矢継ぎ早に出してくる。ヒョンビンは評判通りの二枚目で、しかも身体の切れが良い。ジンテを演じるユ・ヘジンのヘタレ系のキャラクターとは抜群のコンビネーションを見せる。キム・ジュヒョクにチャン・ヨンナム、イム・ユナ(少女時代)など、脇の面子も“立って”いる。ラストの処理はありがちだが、後味は悪くない。
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「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」

2020-09-19 06:59:35 | 映画の感想(あ行)
 (原題:MR.JONES)アグニェシュカ・ホランド監督が“本気”を出した一作。歴史の闇を身じろぎもせず正面から捉え、観る者を慄然とさせる。ハリウッドでの有名俳優相手の仕事や、テレビシリーズの演出などで娯楽作品の担い手として知られた面もあったが、やはり彼女はアンジェイ・ワイダから薫陶を受けていたことを改めて確認出来る。

 1933年、元首相のロイド・ジョージの政策スタッフを務めていた若き英国人記者ガレス・ジョーンズは、世界恐慌の只中でどうしてソ連だけが経済成長を続けているのか疑問に思い、単身モスクワを訪れる。ところが外国人記者は常に当局側に監視され、思うような活動が出来ない。ソ連繁栄の謎を解く鍵がウクライナにあることを察知した彼は、密かに当地への汽車に乗り込むことに成功する。だが、雪深いウクライナの地でガレスが見たものは、想像を絶する惨状だった。



 1932年から翌年にかけてウクライナで起きた大飢饉“ホロドモール”に関しては、トム・ロブ・スミスの小説「チャイルド44」の中で触れられていたので存在は知っていたが、恥ずかしながら内実はこの映画を観て初めて認識した。いたるところ死体の山で、生き残っている者たちも半死半生だ。

 そもそもこの地域は土地が肥えていて何を植えても十分な収穫のある穀倉地帯だったのだが、ソ連当局の“農地改造”によって住民の生活は壊滅した。その有様をモノクロとカラーの中間のような切れ味満点の映像で綴った本作のインパクトは、並大抵のものではない。実を言えばこのパートは映画全体の中でのごく一部に過ぎない。それでもこれだけの衝撃度なのだから、ホランド監督の気合はすさまじいと言える。



 ガレス・ジョーンズは実在の人物だが、ここでは母方がウクライナ人の血筋であるという設定になっている。だから母の故郷が斯様な状態であることを知るに及んだガレスの絶望ぶりが、より強調される。また、ソ連当局に完全に篭絡された外国人記者たちの生態も興味深い。何もできない彼らは、夜ごと怪しげなキャバレーに通って憂さを晴らすのみだ。そして、ソ連やナチスドイツなどの独裁政権にシンパシーを抱く政治家や、共通の敵に対抗するため、スターリンとも手を結ぶ連合国側の節操の無さも痛烈に描かれる。

 主演のジェームズ・ノートンをはじめ、ヴァネッサ・カービー、ピーター・サースガード、ケネス・クランハムなど、キャストは演技派が顔を揃える。終盤のガレスの“その後”に関する言及も驚きで、登場人物たちに関わるジョージ・オーウェルが「動物牧場」を執筆した経緯が描かれ、興味深いモチーフが満載だ。観て損のない力作と言える。
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「ヒットマンズ・ボディガード」

2020-09-18 06:10:23 | 映画の感想(は行)

 (原題:THE HITMAN'S BODYGUARD)2017年作品。日本においては劇場未公開だが、Netflixにて配信されている。ライアン・レイノルズとサミュエル・L・ジャクソンが主演のアクション・コメディということなので、ある程度の内容と出来が予想されるが、実際観た印象もその通りだ。つまりは“殊更優れているわけではないが、少なくとも観ている間は退屈しない”というシャシンである。

 ロンドンにある大手ボディガード会社の主任マイケル・ブライスは、日本人の武器商人の護衛を担当していたが、任務完遂の寸前に依頼人は暗殺されてしまう。2年後、責任を取って会社を辞めたマイケルは、単発的な護衛の仕事で細々と生計を立てていた。その頃、ベラルーシの独裁者デュコビッチは人道に対する罪でハーグの国際司法裁判所で裁かれる予定になっていた。しかし、重要な証人が次々と消される中、残されたのはデュコビッチと一時取引関係にあった凄腕の殺し屋であるダリウス・キンケイドだけだった。

 インターポールに拘留中のダリウスをハーグまで護送する途中、デュコビッチの一派が襲ってくる。生き残ったのはダリウスと、マイケルの元カノであるルーセルだけだった。ルーセルは仕方なく護衛をマイケルに依頼。ダリウスとマイケルは過去に遺恨があるのだが、成り行き上マイケルは協力を承諾し、期限内にハーグまでダリウスを送り届けることにする。

 雲霞の如く襲来するデュコビッチ配下の刺客たちを蹴散らしながら、タイムリミットが設定された中、決死の道中が続く・・・・と書けばサスペンスフルな内容かと思われるが、実際は脱力系のバディ・ムービーである。パトリック・ヒューズの演出はゆるく、各エピソードの細部が練り上げられずにキレが悪くなっている面がある。しかしながら、本作においてはそれが大きな欠点になっていない。これはひとえに、レイノルズとサミュエル御大の存在感ゆえである(笑)。

 2人は顔を合わせた時点から火花を散らし、隙あらば相手を潰してやろうという緊張感をみなぎらせる。それでいて次第に(やむを得ない事情により)連帯感を共有し、終盤には何とか助け合うようになる。御都合主義の展開だが、主演の2人の顔を見ていると、あまり気にならない。アクション場面は新しいアイデアこそ無いものの、かなりの迫力だ。特に、アムステルダムやハーグ市内でのカーチェイスは見応えがある。繰り出されるギャグも上手くハマり、退屈させない。

 それにしても、ベラルーシという実在の国の元首を悪者に仕立て上げるとは、なかなか大胆だ。デュコビッチ役のゲイリー・オールドマンをはじめ、エロディ・ユンにサルマ・ハエック、ジョアキム・デ・アルメイ、ティネ・ヤウストラと、脇の面子も良好。ネット配信作品としては観て損した気分にはならない。
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「東京の恋人」

2020-09-14 06:25:50 | 映画の感想(た行)
 ハッキリ言って、古臭い映画だ。しかも、キャラクターの作り込みが浅く、各キャストの演技も褒められたものではない。ならば全然面白くない映画なのかといえば、決してそうではないのだ(笑)。本作の持つ、奇妙な懐かしさは独特の魅力がある。もっともそれは、80年代あたりの日本映画をリアルタイムで観た層(私を含む ^^;)に当てはまる話だろう。それ以外の観客は、まるでお呼びではない。

 主人公の立夫は学生時代に撮った短編映画が高評価を得て、卒業後も映画に関わろうとしていたが実績を上げられず、結婚を機に東京を離れて北関東に移り住みサラリーマン生活を送っている。ある日、昔の恋人である満里奈から“会いたい”との連絡を受け、彼は数年ぶりに上京する。彼女も結婚していたが、そんなことはお構いなしに2人は濃密な時を過ごす。だが、すでにそんなに若くはない彼らは、後先考えずアバンチュールを続けられる立場にはなかった。



 一応現代の話なのだが、登場人物たちの佇まいや振る舞いは3,40年前を思わせる。立夫が自主映画がモノになると考えていたこと自体が古い。2人がジム・ジャームッシュ監督の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(84年)のマネをして喜ぶシーンがあるが、今どきの若い衆はそんなことはしない。立夫が使うカメラはフィルム式で、彼を含め周りの連中はところ構わずタバコを吸いまくる。そもそも、2人のファッションは妙にレトロである。

 しかし、それらは観る者によってはノスタルジックに映るのだ。二度と戻らない青春を、昔のエクステリアに投影する方法は、けっこう琴線に触れるものがある。監督の下社敦郎はまだ30代だが、この年代で斯様な古めかしさを演出できるのは、ある種の才能かもしれない。

 立夫役の森岡龍は主役としての“華”はなく、存在感は希薄でセリフ回しも一本調子だ。満里奈役の川上奈々美も同様だが、彼女はけっこう人気のあるAV女優とのことだ。しかし、それにしては色気が不足していて服を着ている方が可愛く見える(笑)。他のキャストも上手い演技をしていない。だが、それらも含めて許してしまえるほど、この映画のノスタルジーは捨てがたい。あと関係ないが、2人が行った小さな食堂で出される“特製カレーライス”が美味しそうだった。
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「ハヌッセン」

2020-09-13 06:59:27 | 映画の感想(は行)

 (原題:Hanussen)88年西ドイツ=ハンガリー合作。ハンガリーの巨匠イシュトヴァーン・サボー監督の代表作で、骨太なテーマの捉え方や力強い演出、キャストの演技の素晴らしさで、実に見応えのある映画に仕上がっている。第一次大戦後からファシズムの台頭までのヨーロッパの歴史に関心がある観客にとっては、必見の作品と言って良い。

 第一次大戦での頭部の負傷により、偶然にも霊感を得ることになったオーストリア軍曹クラウス・シュナイダーは、戦後はエリック・ヤン・ハヌッセンと名乗り、超能力者としてステージに立つことになった。特にその予知能力は評判を呼ぶが、一時は詐欺罪で逮捕されてしまう。しかし裁判で自らの能力を証明し無罪を勝ち取ったハヌッセンは、ますます有名になりベルリンの社交界の仲間入りを果たす。敵対する警察当局のスタッフをやり込めるなど、彼の活躍は世間を賑わせるが、やがてナチスから危険人物として見られることになる。

 戦争後のドイツの混乱の中からファシズムがのし上がっていくプロセスを、ハヌッセンというトリックスターを擁して描くという、その構図が巧妙だ。当時のドイツはハイパーインフレに見舞われ、モラルは完全に失墜していた。本作では地に落ちた市井の雰囲気を、主人公がよく行くキャバレー等の光景として扱っているに過ぎないが、その頃の様子は非常に良く表現されている。

 不安に駆られた国民は、いわば一発逆転的な浮き世離れしたテーゼを唱えるカリスマを求める。その一人がハヌッセンであり、もう一人が彼と同じオーストリア出身で、誕生日まで同じだったヒトラーである。ひとつの時代にカリスマは二人も要らないのだ。そのうち一人は消え去る運命にある。そして、荒唐無稽な主張で民衆を扇動したもう一人のカリスマも、時代が移れば潰されていくしかない。終盤にハヌッセンがナチスの兵隊に向かって“おまえたちは滅びる”と言い放つが、それが歴史の真実だろう。

 主演のクラウス・マリア・ブランダウアーは名演で、国家権力に踏みつぶされてゆく個人の悲哀を切迫感のあるパフォーマンスで表現していて圧巻だ。エルランド・ヨセフソンやイイディコ・バンサジ、ワルター・シュミディンガーといった他のキャストも申し分ない。正確な歴史考証と、ラホス・コルタイのカメラによる美しい映像が印象的。この頃のサボー監督の作品は「連隊長レドル」(85年)だけが日本未公開だが、是非とも観てみたいものである。
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