元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「エンドレス・ワルツ」

2013-03-31 06:47:51 | 映画の感想(あ行)
 2012年に惜しまれつつ世を去った若松孝二監督による95年作品で、間違いなく彼の代表作の一つ。70年代前半に活躍した天才的サックス・プレイヤー阿部薫(町田康)と、その妻でエキセントリックな作風で知られた小説家鈴木いづみ(広田玲央名)の破滅的な愛を描く。実話を元にした稲葉真弓の原作の映画化だ。

 ジャン=ジャック・ベネックスの「ベティ・ブルー」やアンジェイ・ズラウスキの「狂気の愛」といった同タイプの作品と比べても、数段本作のクォリティは高い。観る前はこの題材と時代設定からして若松監督の「われに撃つ用意あり」みたいな全共闘世代の甘ったれた思い出話を延々と聞かされるのかと思っていた。ところが映画は薄っぺらい世代論などはね返してしまうほどの強靭な求心力を持つ秀作に仕上がっている。

 実際に主人公たちと親交のあった若松監督が、その壮絶な生き方を目の当たりにして、彼らの映画を作ることが同世代の自分の使命だと(某映画祭のシンポジウムで、監督はそう話していた)確信したほどの気合いの入った作品。時代背景に対する先入観みたいな二次的ファクターは入る余地はない。



 とにかく主演二人の演技の素晴らしさに圧倒される。私は登場人物について何も知らない。しかし、スクリーン上で描かれる彼らは当時のカリスマだった薫といづみそのものだ(たぶん実際こういうキャラクターだったと思わせる)。今でも二人が生きていてそこに実在するかのような錯覚を覚えてしまう。

 二人に見えているのはお互いだけだ。駆け引きや、斜に構えるところは微塵もなく、真正面からぶつかり合い傷ついて消耗していく。周囲の何物にもとらわれることなく、ただ純粋な愛情だけを差し出す二人の姿を追っていくと、恋愛のある種の理想形をそこに見てしまうのだ(それが結果として破滅に向かっていくとしても)。

 誰だって心の中ではストレートに想いを相手にぶつけたいと思っている。ただ、周囲や何やらのしがらみで出来ないだけだ。70年代前半という時代背景を越えて、現代にも通じる普遍的なヒーロー&ヒロイン像を創り出したこの映画の成果は大きい。

 薫の演奏シーンはフリージャズというジャンルを超越した凄い迫力。二人以外のキャラクターの扱いがイマイチなのは残念だが、目をつぶろう。そして映画の始めと終わりを二人の娘のナレーションで綴ったのも、ハードな展開に柔らかいニュアンスを与えたという意味では正解だった。また、このヴォルテージの高い作品をわずか3週間で撮り上げたという事実には驚嘆あるのみだ。
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「ジャンゴ 繋がれざる者」

2013-03-30 06:48:54 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Django Unchained)冗長な出来で、これがどうしてアカデミー脚本賞を取れたのか分からない。そもそも、娯楽西部劇の分際で上映時間が2時間45分もあること自体、タイトな作劇とは無縁であることを如実に表している。クエンティン・タランティーノもヤキが回ったとしか思えない内容だ。

 南北戦争前夜の19世紀半ばのアメリカ南部。元歯科医で賞金稼ぎのシュルツは、次の標的に関する情報を持っている奴隷ジャンゴを奴隷商人から強奪する。当初はターゲットの情報を聞き出すだけのつもりが、気骨のあるジャンゴを気に入ったシュルツは、彼を助手として賞金稼ぎの旅に同行させる。

 各地で次々と“実績”をあげる彼らだが、やがて生き別れになったジャンゴの妻ブルームヒルダを探すことになる。彼女は残忍な領主カルヴィン・キャンディのもとにいることが分かり、二人は綿密な奪還計画を練るのだが・・・・。

 とにかく、ほとんど盛り上がらない映画だ。ストーリー上で見せ場になるべきシークエンスにおいて、スリルもサスペンスも感じられないのだから困った。活劇場面の迫力もイマイチで、特筆すべきアイデアがまったくないまま漫然と流れていく。

 さらに目障りなのは、あっちこっちの映画から引用したと思われるモチーフの羅列である。それをさり気なくやれば別に文句はないが、これが“この部分は映画マニアにウケるところなんだよ!”とばかりにワザとらしく展開しているのは実に不快である。こういう小ネタを必要以上にバラまいたおかげで、各ショット・カットの持ち時間が大幅に水増しされてしまい、挙げ句の果てがこの無駄に長い上映時間である。

 本来タラン氏の映画にリアリティを求めること自体が間違いだとは思うが、後半の話のもって行き方はあまりにも杜撰。都合良く(ダラダラと)事が運び、映画が終わってもカタルシスは皆無。繰り返すが、この程度でオスカーをもらってしまっては、候補になった他の脚本家達もいい面の皮であろう。

 ジャンゴ役のジェイミー・フォックス、シュルツに扮したクリストフ・ヴァルツ、いずれも凡庸な仕事ぶり。巷で話題になっているらしい悪役キャンディを演じたレオナルド・ディカプリオも、彼としては“軽くこなした”程度で、特筆すべきものはない。

 思えば、昔のマカロニ・ウエスタンの「ジャンゴ」シリーズはけっこう面白かった(もちろん、リアルタイムでは観ておらず、多くはテレビ画面でお目に掛かっただけだが ^^;)。あの悪意に満ちた残虐描写と理不尽な筋書きは、禍々しい魅力を放っていたと思う。ところが、それにオマージュを捧げたとされる本作は斯様に脳天気な出来で、本来の「ジャンゴ」のテイストから懸け離れていることも愉快になれない。とにかく、個人的には話にならない凡作だ。
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トヨタのプリウスに乗ってみたが・・・・。

2013-03-29 06:47:11 | その他
 この前、出張先でレンタカーを使う必要性が生じ、その際にトヨタのプリウスを選んだ。理由は、私も一緒に行った同僚もプリウスに乗ったことがなく、ベストセラーのハイブリッド車がいったいどういうパフォーマンスを見せるのか興味があったからだ。なお、乗ったモデルは排気量が1800CCの現行機種である。

 さっそく運転席に乗り込んでみると・・・・早々と途方に暮れてしまった(爆)。まったく、凄まじいまでの視認性の悪さだ。前方の車両感覚がほとんど掴めないのに加え、サイドも見えにくい。後方に至っては、遙か彼方にそれらしい光景が見え隠れするのみ。これではまともにバックも出来ない。

 以前試乗したホンダのフィットも前方の見切りが良くなかったが、プリウスは全方向がブラインドになっているような感じである。特に背の低いドライバーならば、運転するのに相当な困難を伴うのではないだろうか。



 走り出してみると、走行性能とハンドリングは可も無く不可も無しで特筆するようなものはない。ただし、ブレーキの感触は非常に良くない。踏み出した時点では効きが悪く、深く踏み込むと“ガクッ”と急に作動する。前に停止車両がある場合に、幾度となくヒヤヒヤした。

 乗り心地もホメられたものではない。道路の凹凸に大きく影響される。シートのホールド感がイマイチであることもあり、長時間の運転は疲れそうだ。内装はそれなりの出来だが、高級感はもちろん洒落っ気もない。なお、燃費についてはレンタカーなので言及を差し控えさせてもらうが、“かなり良い”とは聞いている。

 あと、これはかねてより気になっていたことだが、低速運転の時はエンジン音が極小になり、近くの歩行者が気が付かないことがある。私も、駐車場を歩いている際に知らない間にプリウスが背後から迫ってきて驚いた経験がある。今回の運転では幸いにして歩行者とニアミスするケースは無かったが、いずれにしろドライバーに気を遣わせる機種であることは間違いないようだ。

 車を降りた後は、私も同僚も“こんな車は欲しくない”という意見で一致した。さらに個人的な基準で断定させてもらうと、これは“欠陥車”に近い。私は過去に同クラスのトヨタ車に乗っていたことがあるし、現行のアリオンも運転した経験がある。どちらも“80点主義のトヨタ車”らしく際立った個性は無いが、手堅さや安定感はあった。ところがこのプリウスにはそんな堅実さがどこにも見当たらない。ただ“ハイブリッドですよ。エコですよ”という御題目と、奇を衒ったデザインがあるだけだ。



 さて、問題はこのような自動車がとてもよく売れているという事実だ。たとえば、同じエコカーならば(車格は違うが)マツダのデミオのスカイアクティブ仕様とこの車を乗り比べてみて、どちらが運転しやすいかと問われれば、大多数の消費者はデミオだと答えるのではないだろうか。ちなみに、昨年プリウスを社用車として複数購入したという取引先は、導入当初は物珍しさもあって社員がよく利用していたが、運転のしにくさが知れ渡った今では誰も乗らなくなっているという。

 そういえば、ウチの嫁御の知り合いが最近プリウスを買ったらしいが、その経緯が“試乗したその日の夜にセールスマンが家まで訪ねてきて、今月ボクは一台も売り上げがないんですよと強引に泣きつかれ、やむなく購入した”というものだったとか(-_-;)。昔から“技術の日産、販売のトヨタ”と言われているが、こういう体育会系のセールス方法は今でも罷り通っているらしい。

 ともあれ、いくら押しの強いセールスだろうと、消費者に商品の価値を見抜く目が備わっていれば“欠陥車”なんか掴まされないと思うのだが、実際にはそうではないところを見ると、柄にもなく“日本の車文化は未熟だぁ”などと某評論家みたいな大それたセリフも吐きたくなる(笑)。

 さて、最後に話は変わるが、更改を予定している我が家の自家用車について、検討の結果ようやく候補を絞り込むことが出来、近々契約する予定である。納車後にはリポートをアップしたい。
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「ブルー・ベルベット」

2013-03-25 06:32:08 | 映画の感想(は行)
 (原題:Blue Velvet )86年作品。デイヴィッド・リンチ監督の代表作の一つ。アブノーマル度においてはデビュー作の「イレイザーヘッド」はまさに決定版であり、今だにこれを超えるものには出会ってはいないが、本作の変態度も相当なものだ。

 甘いテーマ曲とキラキラと明るい映像をバックに初老の男が庭木に水をやっている平和な場面から映画は始まる。しかし、次の瞬間男は発作を起こして倒れる。カメラが下に移動すると何やら得体のしれない虫がうごめいていて・・・・・、という冒頭のシーンからして異様な雰囲気でこの監督の作品らしい。

 その男の息子ジェフリー(カイル・マクラクレン)は父を病院に見舞った帰り道、草むらに落ちていた人間の片耳を拾う(もちろん、蟻がたかって気持ちが悪いやつ)。警察に届けるがまともに相手にしてもらえない。しかし、彼は刑事の娘の助力を得て、汚いアパートに住むあやしい女性歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)の部屋に留守中忍び込む。しかし、突然帰宅したドロシーに彼は倒錯したセックスの相手をさせられ、さらにそこに現れたフランク(デニス・ホッパー)とドロシーとの異様な行為をクローゼットから覗き見るハメになる。



 デニス・ホッパーがスゴイ。悪態をわめき散らし、酸素マスクで馬力をつけ、青いベルベットの布を口にくわえて“ママァ、ママァ”とうわごとを言いながら興奮するありさまは変態そのもの。同じような異常さは、怪しげな店を経営しているオカマのベン(ディーン・ストックウェル)についても言える。厚化粧の彼がバックの甘い歌声に合わせて歌うふりをしてみせる場面は腐った妖気がそこかしこに漂い、吐き気をもよおす(注:これはホメているのだ ^^;)。

 でも、圧巻はイザベラ・ロッセリーニだろう。濃いブルーのアイシャドーに下品な赤い口紅、張りを失ったバストに疲れた肌、「ホワイトナイツ/白夜」や「今ひとたび」などで清純な役をやった女優と同一人物とはとても思えない変貌ぶりだ(知ってる人もいると思うが、彼女は大女優イングリッド・バーグマンの娘である)。

 捨てられた片耳をめぐるサスペンス・ミステリーはたいしたことはない。もとよりそれを重視した作品ではないからだ。なんといってもデイヴィッド・リンチの異常な世界を楽しむ映画なのだ。脚本がどうのこうのといったことを言わせない、ショッキングなシーンの連続と絶妙の音響効果で最後までまったく飽きさせない。リンチ監督はこの作品でアカデミー監督賞の候補にまでなっている。
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「メッセンジャー」

2013-03-24 06:36:55 | 映画の感想(ま行)

 (原題:THE MESSENGER )ここ数年の、中東情勢に対するハリウッドのスタンスの変化を垣間見せてくれる一作かもしれない。戦争の悲劇を扱ったこの映画は2009年に作られていて、今回遅れて日本公開されたわけだが、本作の製作から3,4年経った今では「ゼロ・ダーク・サーティ」や「アルゴ」といった“アメリカ当局バンザイ映画”の方が大きく評価されるようになってしまった。もちろん、ほんの数作しか俎上に載せずに断定的なことを言うのはスマートではないが、最近は米国の立場を問題視するような作品をあまり見かけないのは確かである。

 イラク戦争に陸軍兵士として赴いていたウィル軍曹は、負傷のため帰国する。ただし退役まで数ヶ月を残しており、軍上層部はその間に新たな任務を彼に与える。それは、ベテランのトニー大尉と共に、戦死した者の遺族に訃報を伝えるメッセンジャーとしての仕事だ。

 この任務は辛い。本当に辛いのだ。悲しい報せを受け取った遺族は、やりきれない怒りの矛先を、国や軍ではなく目の前のメッセンジャーにぶつけるしかない。二人は来る日も来る日も罵声と怒号に曝され、精神的に参ってゆく。

 ある日ウィルは夫の戦死を伝えた未亡人のオリヴィアと出会う。悲報に接しても気丈に振る舞う彼女に惹かれる彼だが、戦場でのシビアな体験とそのトラウマにより、人並みの色恋沙汰さえ縁遠いものになってしまった。

 彼らのミッションは、考えただけでも身を切られるようだ。でも、誰かがやらなければならない。戦地で死ぬような目に遭い、国に帰ってからも遺族の悲嘆に直面しなければいけない状況など、間違っている。その間違いの元こそ、戦争に他ならない。声高な戦争反対のシュプレヒコールこそないが、この静かな反戦のメッセージは心に染みる。

 オーレン・ムヴァーマンの演出は丁寧で、主人公二人の微妙な立場の違いと互いのスタンスの取り方を、微妙なシークエンスやカットの積み上げによって的確に見せる。演じるベン・フォスターとウディ・ハレルソンのパフォーマンスは万全で、胃の痛くなるような任務に当たるうちに、いつしか自分達の生き方を考え直し、かすかな希望に縋り付くプロセスを切々と表現する。

 そして興味深いのは、メッセンジャーとしての仕事の段取りが紹介されていること。告知は一定時間内に実行せねばならず、告げる相手は親兄弟や配偶者のみ。遺族宅の近くに車を停めてはならず、家に入るときはチャイムを鳴らすのではなくノックすることetc.いずれのルールも合理的なものだが、この“合理性”そのものも理不尽であるのは論を待たない。いくら“ルール”を守ろうとも、死んだ者は帰ってこないのだ。

 未亡人役のサマンサ・モートン、遺族の一人を演じるスティーヴ・ブシェミも妙演。地味だが、見応えのある映画だ。
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「から騒ぎ」

2013-03-23 07:37:05 | 映画の感想(か行)

 (原題:Much Ado About Nothing)93年作品。当時は才気煥発だったケネス・ブラナーが、デビュー作の「ヘンリー五世」(89年)に続いて再びシェイクスピアの戯曲に挑んだシャシンで、間違いなく彼の代表作の一つである。

 イタリア、トスカーナ地方。領主のドン・ペドロが部下のクラウディオとベネディック(ブラナー)、腹違いの弟ドン・ジョンを引き連れてレオナート家にやってくる。クラウディオとレオナートの娘ヒーローは恋仲であり、とんとん拍子で結婚が決まるが、ヒーローの従姉のベアトリスはベネディックとケンカばかり。しかし二人は内心互いに好意を持っていた。

 ところが、ペドロとベネディックに反感を持つドン・ジョンは、スキャンダルをでっちあげて、クラウディオたちの結婚式をつぶそうとする。果たして無事に二人はゴールインできるのか。

 冒頭のドン・ペドロの一隊が到着する場面から、そのダイナミックな俳優の動かし方、音楽の盛り上げ方、大胆なカメラワークなどで、イッキに映画の中に引き込まれてしまう。とにかく演出力がすさまじい。キャラクター設定やセリフは間違いなくシェイクスピアだが、見事に映画として、スクリーンの中でドラマを躍動させている。

 「ヘンリー五世」では、シリアスなセリフ回しだけで観客を感動させたブラナーだが、今回はコメディということで、チャップリンばりの大コミカル演技で爆笑の渦。ここまでやる人だとは思っていなかった(^_^;)。ドン・ペドロに扮するのがデンゼル・ワシントン。弟のドン・ジョンにはキアヌ・リーブス(どうして兄が黒人で弟が白人なのかと文句は言いっこなし)。ベアトリスはもちろんエマ・トンプソン(今回はあまりクサくなかった。いい演技だった)。さらに自警団長ドグベリー役としてマイケル・キートンまで出てきて、これが「ビートルジュース」を上回る変態ぶりで大いに笑わせてくれる。

 クラウディオには「いまを生きる」のロバート・ショーン・レナードで、ヒーローに扮しているのが当時は初々しさのあったケイト・ベッキンセールだ。まさにオールスター・キャストだが、これだけ個性の強い面々を自由自在に動かして、映画にしか表現できないシェイクスピア劇を構築するこの頃のブラナーの才能は恐るべきものがあった。

 ギャグの洪水で楽しませ、中盤はハラハラドキドキ、当然最後はハッピーエンドで感動させてしまう、娯楽映画のお手本のような作品。実際にトスカーナ地方でロケされた、イタリアらしい鮮やかな映像に目がくらむ。パトリック・ドイルの音楽も素晴らしい。
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「フライト」

2013-03-22 06:37:25 | 映画の感想(は行)

 (原題:FLIGHT)かなり御都合主義的な展開で、評論家諸氏の意見にあるらしい“骨太な人間ドラマ”とはとても呼べないような内容だが、物語の設定自体には問題提起としての価値はある。その意味では観て損は無いかもしれない。

 主人公のウィトカーは国内線のベテランパイロットだ。ある日、荒天の中をオークランドからアトランタに向かう便の操縦席に座った彼は、離陸直後の乱気流こそ上手く切り抜けたものの、やがて機体の不調により墜落の危機に遭遇する。急角度で高度を下げる航空機を背面飛行させてバランスを取り戻し、地上の開けた場所に胴体着陸を敢行。乗客・乗員102名のうち96名が助かり、彼は一躍ヒーローになる。

 しかし、入院時に検査された彼の血液からアルコールが検出。機体のゴミ入れからは複数のウォッカ瓶も見つかる。さらに薬物使用の疑惑も広がり、一転して犯罪者の烙印を押されそうになる。過失致死罪となれば終身刑は確実だ。周囲のスタッフや弁護士は何とか責任を他に転嫁しようと躍起になるが、次第にウィトカーにとって不都合な真実が暴かれてゆく。

 冒頭、フライトの前夜遅くまでスッチーとウッフンな関係に勤しみ(爆)、酒浸りの身体をコカインで無理矢理に覚醒させて仕事に臨むウィトカーの姿が映し出されるので、主人公は“無罪”ではないことが早々と明かされる。しかも、重度のアル中でジャンキーの彼がそう簡単に“更生”するはずもないことは、観客にとっては丸分かりだ。

 またウィトカーは妻子にも逃げられていて、無理矢理に息子に会いに行くと完全に煙たがられる。どこから見ても彼に“訴訟に勝てるようなキャラクターの設定”が成されていないのだが、困ったことに作者は主役にデンゼル・ワシントンを配することにより、強行突破を図ろうとする。

 いくら贅肉プヨプヨのだらしない男を演じさせようとも“腐ってもデンゼルだ”(?)とのポリシーを掲げ、無理筋のプロットを連発。終盤の主人公の決断の理由も、分かったようで分からない。エピローグに至っては、蛇足以外の何物でもないだろう。

 しかし、いくらどうしようもない人間でも、この事故の被害を最小限に食い止めたのはウィトカー自身なのだ。この、ロクでもない奴が不完全なコンディションのまま非常時に対処し、それなりに成果を挙げてしまった場合、果たして当人はどこまで断罪されるのか・・・・という問いは、けっこう重い。

 何しろ本作の場合、事故の責任は彼自身にはないのだ。こういう事態は、現実世界でも皆無ではないはず。誰が責任を取り、どういうペナルティが相応しいのか。逆に言えば、映画自体を主演俳優のキャラクターに丸投げせず、この設定をとことん詰めていけばこの作品のクォリティは上がったはずだ。

 ロバート・ゼメキスの演出は相変わらずテンポが良く、ジョン・グッドマンやドン・チードル、ケリー・ライリーなどの脇の面子も申し分ないのだが、映画のベクトルを安易な“人間ドラマ”に向かわせてしまったことが、ストーリーの前段設定以外に語るべきものがない出来に留まってしまったと言える。
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TADの新型スピーカーを試聴した。

2013-03-21 06:33:30 | プア・オーディオへの招待
 PIONEERのハイエンド部門のブランドであるTADの新型スピーカー、TAD-CR1MK2(ペアで390万円)を試聴してみた。前作のTAD-CR1は過去に何回か聴いており、そのたびに酷評したのだが(爆)、このモデルチェンジ版はどういう展開になったのか、期待1割で怖いもの見たさ9割という不謹慎な態度で試聴に臨んだ次第。

 なお、SACDプレーヤーには同社のTAD-D600(260万円)、プリアンプにTAD-C600(300万円)、メインアンプにはTAD-M600(500万円)という国産品としては超高価なラインナップが揃えられていた。



 実際のサウンドだが、やっぱり予想通りというか、聴感上での物理特性は凄いが基本的にメカニカルで無味乾燥な音だと感じた。このスピーカーを鳴らすということは、通常我々が思っている“音楽鑑賞”という概念から乖離していることが印象付けられる。

 しかし、今回の場合は前作と様相が少し違うようにも思えた。前回までが単に“スペック上のデータ追求”という課題の結果報告みたいなものでしかなかったのに対し、この新型は“データ値を突き詰め、その後に到達する何か”を垣間見せてくれたような感じがしたからだ。とにかく、聴いている間の“不快度”は前作よりは低い。

 ではその“何か”とは具体的にどういうものかというと・・・・一概には説明できない(こらこら ^^;)。ただ、このニューモデルに接して真っ先に思い浮かべたのが、かつて松下電器(現Panasonic)がTechnicsブランドでリリースしていた一連のオーディオ商品のうち、その最後期に発表された製品群だ。

 Technicsのオーディオ機器は技術的には凄いものがあったが、一部のモデルを除けば音楽的な味わいに欠けていた。しかし、90年代末に発表されたこのブランドの最後発の製品は、スペック追求の末に行き着いたような清涼で見晴らしの良い展開を示していて感心したものだ。まさに国産品でなければ成し得なかったサウンド世界と言っても良いだろう。



 今回のTADの新作スピーカーは、そんなTechnicsの“到達点”に少し通じるものがあると感じる。それに大きく貢献したのが新開発の低域ユニットかもしれない。発泡アクリルをアラミドファイバーで挟み込んだ振動板を採用しているとかで、中低音のS/N比が向上しているらしい。

 とはいえ、かつてのTechnicsは今のTADのように超高額品オンリーではなかった。一般ピープルでも十分に手が届く価格帯の商品でも独自のテイストを披露出来ていたのだ。現在のPIONEERにそれが可能かというと、無理だと思う。何しろ、あの頃の松下電器の資本力は並外れていた。いくらPIONEERがオーディオの老舗でも、ハイエンドであるTAD-CR1MK2の方法論を普及品に応用するのは並大抵のことではない。

 何のかんの言っても、私には総額一千万円にも達するTADのシステムは買えないし、大半の消費者にとっても同様だ。極端な高価格品でいくら存在感を見せても、エンドユーザーが手にすることが出来る製品が上質でなければ何もならない。今後も同社のスピーカーは精彩を欠いたままなのだろうか(-_-;)。
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「バイオレンス」

2013-03-20 06:18:35 | 映画の感想(は行)
 (英題:Rage)95年フィリピン作品。一般公開はされておらず、私は96年のアジアフォーカス福岡映画祭で観ている。結婚を間近に控えたルイサ(マリセル・ソリアーノ)は、ある雨の日に悪徳警官のエリック(トントン・グチェレス)にレイプされてしまう。結婚後もそのショックが抜けず、夫のジェイク(リチャード・ゴメス)を拒み続けたため、元々粗暴な性格のジェイクから日々手ひどい暴力を受ける。

 そんな時彼女はエリックと偶然再会。エリックは彼女の境遇に同情し、夫殺しを持ちかける。湖に沈められた夫は事故死として処理され、ルイサはエリックとねんごろな仲になるが、話はそこで終わらなかった・・・・。本国では大ヒットしたというサスペンス編で、監督はアメリカ在住経験もあるのチト・ローニョ。

 いかにもフィリピン大衆娯楽映画の泥臭い外見だが、けっこう面白く観た。それは登場人物の心理を丁寧に追っているからで、どこぞの粗製濫造サスペンスみたいにステレオタイプの役柄をハメこんで、あとは小手先の処理で見せようとする姿勢とは一線を画していると思う。

 特にルイサのキャラクターが出色で、演じるソリアーノは少々オバサン臭いが、自分をレイプした相手に気を許して結果的に夫を殺すように仕向ける(それも無意識を装って)ふてぶてしさが何やら今村昌平の映画に出てくる女たちを連想させる。決して犠牲者としては描かれず、外見的に無力であることを逆手に取った狡猾さが面白い。

 男二人は暴力の権化として捉えられるが、それが異常でも何でもなく、冒頭の路上の殺し合いを皆が涼しい顔して眺める場面からもわかる通り、フィリピンでは普通であることを強調しているのはちょっとしたショックだった。

 結婚祝いに送られたライフル銃や、ルイサが結婚当初にベッドの下に隠すナイフ、エリックが取調中に射殺した無実の男のエピソードなど、いくつかの前振りがすべてクライマックスの伏線になっている設定。ルイサの同僚がいつも話しているグロテスクな寓話がルイサの状況を暗示していく展開もうまい。

 ラスト近く、死んだと思っていたキャラクターが実はゾンビのごとく生きていてルイサを追いつめる場面は、素朴なタッチ(?)ながらけっこうハラハラさせられる。そして最後の強引なオチは、アメリカ映画でやると大顰蹙ものながら、荒削りなフィリピン映画では許されるだろう。

 なお、ジェイク役のゴメスは当地では若手ハンサム・スターの代表として通っていたそうな。スターにこういう血の気の多い役を平気でやらせてしまうのが、お国柄をあらわしているようで興味深かった。
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ハイレゾ音源を試聴してみた。

2013-03-19 21:06:01 | プア・オーディオへの招待
 ハイレゾ音源の試聴会に足を運んでみた。このハイレゾ(ハイレゾリューション)音源とは一体何かというと、インターネットからダウンロード出来る音源の中で、通常CDを上回る定格を持つものを指す。

 現行のCDは20KHzまでの帯域の音楽信号しか収録されていない。対してハイレゾ音源は96KHz/24bitをはじめとして、CDと比べて遙かに大きな情報量と広帯域をフィーチャーした仕様を確保している。CDに代わる音楽ソフトとしては長い間SACDが取り沙汰されていたが、ハイレゾ音源はPCオーディオの普及と共に脚光を浴び、業界筋では“これこそが次世代フォーマットの本命”との声も高いとか。肝心のソフト数だが、現時点で少なくとも2万曲が出回っているらしい。



 試聴に使われた機器は、音源が通常のノートパソコン、D/AコンバーターがONKYODAC-1000、コントロールアンプが同P-3000R、パワーアンプが同M-5000R、スピーカーが英国B&W社の805Dというラインナップである。

 実際の試聴では複数のフォーマットを切り替えることにより、それぞれの解像度や情報量の差を感じ取ることが出来た。しかし、残念ながら“ハイレゾ音源と通常CDとの比較”という一番知りたかったことが実行されていない。

 確かにハイレゾ音源は規格面では通常CDよりも上だが、パソコンとCDプレーヤーとでは商品コンセプトが異なっていて、実用レベルであらゆるケースにおいてハイレゾ音源が優れているとは言い難いと思う。

 ちょっと考えただけでも、ハイレゾ音源はダウンロードの際のスピードや回線状態により品質が変わってくると想像出来る。またパソコン自体のスペックやメモリー容量とも無関係ではないはずだ。もちろん使っているソフトも大きく影響してくるだろう。

 つまりは、CDは店頭で並んでいるものは皆同一の定格が保証されているのに対し、ハイレゾ音源はダウンロードの時点ですでに品質にバラツキが出てくる可能性がある・・・・とも言えるのだ(事実、居合わせたメーカーの担当者も同様のことを述べていた)。

 しかも、ダウンロード音源はパッケージとしての音楽ソフトの形態が、従来とは相容れない。このあたりもイマイチ私がPCオーディオに踏み込めない理由である。

 結局、今回の試聴会で一番印象に残ったのは、ONKYOのアンプ類とB&Wのスピーカーとの相性だ。結論から言えば、良好だと思う。805Dは店頭やオーディオフェアの会場でMARANTZをはじめ複数のブランドのアンプと組み合わせられていたが、ONKYOとのコラボレーションは他の組み合わせとは一味違う辛口で寒色系の展開を見せる。ただしそれは決して違和感は覚えず、キレと伸びの良さで音楽を闊達に聴かせてくれる。正直、私もこのシステムを欲しいと思ったほどだ(まあ、今のところは買えないけど ^^;)。
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