元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「グッバイ・クルエル・ワールド」

2022-09-30 06:20:33 | 映画の感想(か行)
 これはちょっとヒド過ぎる。まったく映画になっていない。まさにタイトル通り早々に“グッバイ”したくなるようなシャシンだ。監督の大森立嗣は出来不出来の幅がある作家だが、今回の仕事ぶりは下から数えた方が早い。ネット上では“寝たという声が多かった”とか“途中退場する客がいた”とかいうコメントがあるが、それも頷けるほどの内容だ。

 覆面姿の5人組が、ラブホテルで秘密裏に行われていたヤクザの資金洗浄現場を急襲し、大金を強奪する。彼らは犯行後金を山分けして日常生活に戻るのだが、ヤクザ組織も黙っておらず、裏金で飼い慣らした現役刑事を伴い強盗団を追い掛ける。さらには分け前をもらえなかった強盗組織の一人も、逆ギレして凶行に走ろうとする。

 この“ヤクザの金を横取りした連中と、取り戻そうとするヤクザとの抗争”という設定は、石井隆監督の快作「GONIN」(95年)を彷彿とさせるが、本作はあの映画の足元にも及ばない。展開は間延びして緊張感が希薄、かつ突っ込みどころ満載。キャラクター設定はいい加減で誰一人として共感できる者がいない。さらにはアクション場面はデタラメの連続(たとえば、白昼堂々と素人がショットガンを撃ちまくるというシーンは勘弁して欲しい)。これほどホメるべきポイントが見つからない映画も珍しいのではないか。

 かと思えば、バックに流れる音楽がボビー・ウーマックなどのブラック・ミュージックだったり、主人公たちが乗るクルマが古いアメ車だったり、ハネっ返りの若い男女二人組が無茶をやらかしたりと、明らかにクエンティン・タランティーノ作品をパクっているあたりが痛々しい。別にヨソの映画を“参考”にするなと言いたいわけではないが、これほどの芸の無さには呆れるしかない。

 脚本担当の高田亮は「さよなら渓谷」(2013年)や「そこのみにて光輝く」(2014年)などで知られるが、今回の不調はこちらが心配するほどだ。主演の西島秀俊をはじめ、斎藤工に宮沢氷魚、玉城ティナ、片岡礼子、螢雪次朗、奥田瑛二、鶴見辰吾、そして監督の実弟である大森南朋など、キャストはかなり豪華。だが、いずれも機能していない。特に強面とは程遠い西島が元ヤクザというのは、無理筋にも程がある。ラストの処理もまったく釈然とせず、落ち込んだ気分で劇場を後にするしかなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブレット・トレイン」

2022-09-26 06:10:56 | 映画の感想(は行)
 (原題:BULLET TRAIN)本作で一番興味を惹かれたのは、原作が伊坂幸太郎の「マリアビートル」である点だ。伊坂の小説は過去に国内で何回も映画化されてきたが、真に満足できるものは一本も無かった。作り手の力量がイマイチである点が大きいのだが、それ以前に彼の小説の独特の作風と語り口が日本映画のルーティンと合致していないと思ったものだ。しかし、今回これをハリウッドで映画化すると、ほとんど違和感が無いのが面白い。

 あまり割の良い仕事が回ってこない殺し屋のレディバグに新たに与えられたミッションは、東京駅発の新幹線に乗りブリーフケースを盗んで次の駅で降りるという、かなりイージーなものだった。しかし、実際に乗車してみると見知らぬ殺し屋どもが次々に襲ってきて、降りるタイミングを逸してしまう。挙げ句の果ては、世界的シンジケートのボスであるホワイト・デスが待ち受ける終点の京都駅へ向かうハメになる。



 徹底的にウェットな心理描写を排除し、各キャラクターはニックネームで呼ばれるように現実感を剥奪されている。ただし、プロットの組み立ては登場人物に人間性が希薄なため、ドラスティックに推し進めることが出来る。これを日本映画でやると絵空事の域を出ないのだが、対してハリウッド映画の賑々しさが加味されてしまうと(もちろん、十分な資本投下も相まって)観ていて納得してしまうのだ。

 デイヴィッド・リーチの演出は「デッドプール2」(2018年)に続いて悪ふざけ一歩手前のハチャメチャぶりを全面展開している。このやりたい放題の所業に拒否反応を示す観客もいるとは思うが、私は楽しんでしまった。ハリウッド名物“えせ日本”も、京都近くに富士山がそびえたりする不手際(?)もあるとはいえ、まあ我慢できる程度に抑えられている。

 主演のブラッド・ピットをはじめ、アーロン・テイラー=ジョンソンにブライアン・タイリー・ヘンリー、マイケル・シャノン、ジョーイ・キング、サンドラ・ブロックら多彩なキャストも、楽しそうに常軌を逸したキャラに扮している。さらに真田広之が重要な役で出演し、さすがのアクションを披露しているのも嬉しい。音楽担当はドミニク・ルイスだが、それよりも場違いとも言える既成曲の使い方が笑えた。ともあれ、伊坂の小説は今後もハリウッドでの映画化を望むものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「タップス」

2022-09-25 06:16:00 | 映画の感想(た行)
 (原題:TAPS)81年作品。アメリカ映画界では、70年代末からベトナム戦争に題材を求めたものが目立ってきた。当然のことながら、それらは反戦のメッセージを伴っていたり、国家と戦争、および個人の関係性をシビアに捉えたものばかりである。本作はベトナムものではないが、戦争の実相を描出しているという意味で、確実に当時のトレンドの中に位置する一本である。

 マサチューセッツ州バンカーヒルにある全寮制の陸軍幼年学校は、開校以来約150年にわたって12歳から18歳までの少年たちを軍のエリートに育成する役割を担い、実績を上げてきた。ところが夏休みを前にした時期に、当学校は次年度いっぱいで閉校になることが発表される。ミリタリー・アカデミーは時代錯誤な存在であるという世論が大きくなり、土地開発のために廃止が決まったのだった。



 そんな折、校長のベイシュ将軍が過失致死傷の容疑で逮捕されたのを切っ掛けに、学校の即時閉鎖が決定される。納得できない生徒会長のブライアンは、在校生に呼びかけて武装した上で抗議の籠城に踏み切る。学校の周りを包囲した州軍の指揮官カービー大佐が説得にあたるが、生徒たちの決心は固かった。デヴァリー・フリーマンによる同名小説の映画化だ。

 幼年学校とはいっても、本格的な訓練が実施されるために戦争を始められるような大量の銃火器が学内に保管されていることに驚かされる。もちろん生徒たちには目的外使用は固く禁じられてはいるが、彼らもそれらは教材に過ぎないと思っている。ただし反面、究極的にはその兵器は社会規律を遵守するための道具として機能させるものであることも叩き込まれている。ならば彼らの身近に社会正義に反する事態が勃発した際は、実力行使も辞さないという思考形態に行き着くことも、十分考えられるのだ。

 生徒たちが信じるのは秩序と名誉である。だがそれは個人が作り出すのではなく、国家が認めたときに初めて発生する。国家、つまりは“公”の概念の基本になるものをスルーしてしまえば、どんなに大義名分があろうとも、兵力の行使はただの犯罪に過ぎない。ならば国家自体に秩序と名誉を担うだけの資格が無い場合はどうなるのかというと、それもまた戦闘行為は不当なものであるという主張をも、この映画は訴えている。

 どんなに崇高な目的があっても、登場人物たちの目の前で展開するのは生身の人間が犠牲になる地獄絵図だ。彼らは自分たちが信じてきた認識が間違っていたことを知るのだが、一方で実力行使を目的化した極端な考えに走る者もいる。そのような行為が終盤の惨劇に繋がるのだが、それもまた人間の多面性の一つだと達観しているあたりが本作の意識の高さを示している。

 ハロルド・ベッカーの演出は強靱で、観る者を最後まで引っ張ってゆく。ジョージ・C・スコットやロニー・コックスらベテランはもとより、ティモシー・ハットンやショーン・ペンなど、当時売り出し中の若手が顔を揃えているのも見どころだ。またデビュー間もないトム・クルーズが重要な役で出ているのも要チェック。オーウェン・ロイズマンの撮影、モーリス・ジャールの音楽、共に万全だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「この子は邪悪」

2022-09-24 06:12:23 | 映画の感想(か行)
 開巻数十分までは面白くなりそうな雰囲気は醸し出していた。だが、ドラマの概要が見え始めると次第に鑑賞意欲が減退。後半になるとストーリーの迷走が止まらず、終盤は観客を無視したような処理が罷り通り、呆れ果てて劇場を後にした。このシャシンがオリジナル作品の企画コンテストで入選したネタを元にしているというのだから、脱力するしかない。

 甲府市で心理療法室を開業している窪司朗は、妻と2人の娘と平穏に暮らしていた。だがある日、交通事故に遭い重傷を負う。妻は昏睡状態に陥り、何年も意識が戻らない。次女は顔に重度の火傷を負い、五体満足なのは長女の花だけだ。彼女はひょんなことから高校生の四井純と知り合い、仲良くなる。彼は母親が心神喪失状態で、その原因を探っているという。そんな時、司朗が5年ぶりに目を覚ましたという花の母を家に連れて帰ってくる。久々の一家団欒が戻ると思われたが、花は以前の母とは違う雰囲気に戸惑っていた。

 久々に再会した親が“本物”なのかどうか分からず、一方で町では心神耗弱状態に陥る者が目立つようになる。この御膳立ては悪くない。うまく作れば訴求力の高いサスペンス物に仕上がったはずだ。しかし、途中から無理筋のモチーフが乱立するようになり、ラストで明かされる“事の真相”は、あまりにもトンデモで白けてしまう。

 この結末に持って行こうとするならば、当初からもっと大風呂敷を広げるべきだ。そして、製作側にはそれをやってサマになる力量の持ち主が必要だった。ところが本作の監督である片岡翔(脚本も担当)には、その片鱗も見受けられない。彼は過去に「町田くんの世界」(2019年)というアレな内容の作品のシナリオを担当していたが、本作のレベルも同様だ。

 花に扮するのは南沙良で、こういう“心に傷を負った少女”を演じさせれば相変わらずの安定感を見せるが、欲を言えば今後は役柄の幅を広げた方が良いと思う。司朗役の玉木宏はミスキャストだろう。彼は“卓越した腕前を持つ医者”には見えない。もっと別に相応しい俳優がいたはずだ。純を演じる大西流星はジャニーズ系らしいが、あまり印象に残らず。

 なお、ラストショットで「この子は邪悪」という題名の意味が分かるのだが、正直“だからどうした”という感想しか持てない。とにかく、この企画にゴーサインを出した製作陣の姿勢には納得しがたいものがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加藤陽子「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」

2022-09-23 06:48:18 | 読書感想文
 筆者の加藤は、2020年に日本学術会議の新会員候補に推薦されたが、他の5名の候補と共に当時の菅義偉総理によって任命を拒否されたことで知られる。本書を読むと、その理由が分かるような気がするのだ。これは何も彼女が研究者として資質が劣っているというわけではなく、ハッキリ言えば安倍長期政権から菅政権にわたって綿々と受け継がれた、反知性主義のトレンドに与していなかったからだろう。

 圧倒的不利な条件を多くの者が認識していながら、どうして我が国は先の大戦に身を投じてしまったのか。加藤は日清戦争を巡る情勢からその背景を考察していく。特筆すべきは、このレクチャーが中高生を対象に5日間にわたって実施された集中講義の議事録を元にしていることだ(初版は2009年。文庫化は2016年)。十代の者を相手にしているので、難しい専門用語やインテリぶった凝った言い回しは一切出てこない。それでいて、講義内容にはまったく手を抜いていない。



 近代日本が、いかに道を誤って第二次大戦の敗北という破局に行き着いたのか、俗に言う小賢しい“後講釈”を廃して当時の政府が置かれた立場を勘案して突き詰めてゆく。人間というのはいつの時代にも、いくら確実な情報が提示されていても、ひとつのフェーズや部分的なセンテンスだけに拘泥して“自分の都合の良いように”解釈してしまうものなのだ。その誤謬が積み重なれば、最終的には良くない方向へ突き進んでしまう。

 加藤のスタンスは、90年代後半から台頭した“自由主義史観(≒新皇国史観)”とは趣を異にしており、そしてそれから波及したと思われる浅はかな右傾トレンド、そしてそのシンボルと思われた安倍政権及びその後継勢力には一線を画している。また当然のことながら、古色蒼然とした左傾思想とも袂を分かつ。イデオロギー的にニュートラルなのだ。

 第9回小林秀雄賞を受賞したほどの内容で、幅広い層に奨められる書物なのだが、この本だけ読んで日本の近現代史が分かったような気分になるのも、また禁物である。戦前の日本が国際情勢を都合の良いように解釈した、その判断基準についてはあまり言及されていない。また、(資料があまり残されていないという事情もあるが)その頃の国民意識の分析も万全とは言えない。しかしながら、それらに関してもさらに知りたいという気にさせてくれるのも確か。その意味でも価値のある書物である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「NOPE/ノープ」

2022-09-19 06:22:21 | 映画の感想(英数)
 (原題:NOPE)ジョーダン・ピール監督はM・ナイト・シャマランの“後継者”になるのではないかと思った。しかし、出世作「シックス・センス」(99年)以外は芳しい結果を残せずにキワモノとしての評価が先行するようになったシャマランとは違い、最低限のエンタテインメント性を確保している点は、まあ認めて良いだろう。とはいえ、諸手を挙げて褒める余地はそれほど無い。

 ハリウッドから遠くない田舎町で広大な敷地の牧場を経営していたヘイウッド家の当主オーティスが、突然空から降り注いできた異物のために急死する。長男のOJは、父親が災難に遭う直前に雲の中から巨大な飛行物体が現れるのを目撃したと妹のエメラルドに話す。兄妹はその正体を突き止めようとするが、その間にも近くにあるテーマパークで入場客が多数行方不明になるなど、不穏な事件が頻発する。やがて脅威は、再びヘイウッド牧場に迫ってくる。



 単純なインベーダー物(?)と思わせて、これ見よがしで意味不明なモチーフを遠慮会釈無く挿入してくるあたりが、この作家の“個性”なのだろうか。テーマパークの経営者は元子役で有名な番組に出演していたこともあるのだが、撮影中に起きた悲惨な事件を切っ掛けに足を洗ったらしい。だが、それが本編にどうリンクしてくるのかというと、何も無いのだ。

 牧場では主に馬を飼っていて、撮影用にスタジオに貸し出したりするのだが、その際にOJが“映画史上初めて馬の映像が撮られた時は、黒人が調教師を務めていた”だの何だのというウンチクを披露するものの、“それがどうした”というレベルで片付けられる。兄妹がこの怪現象を駆逐することよりも、動画を撮影してネットでバズらせることを主目的にしているのも、何か違う気がする。

 斯様に御膳立てには不審な点はあるが、SF風ホラーとしてはそんなに出来は悪くない。くだんの飛行物体が潜んでいるらしい雲がまったく動かないというネタは効果的。終盤の畳み掛けるような展開も、一応は見せる。ただ、敵の造形の扱いにはもう少し工夫が必要だった(あまりにも荒唐無稽すぎる)。

 ダニエル・カルーヤにキキ・パーマー、ブランドン・ペレア、マイケル・ウィンコット、スティーヴン・ユァンといった顔ぶれには有名どころは見当たらないが(笑)、破綻の無い演技を披露してくれる。マイケル・エイブルズによる音楽も悪くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Zola ゾラ」

2022-09-18 06:21:59 | 映画の感想(英数)
 (原題:ZOLA)86分という短い尺ながら、恐ろしく長く感じられる。面白くも何ともない映画。断じてカネ取って劇場で見せるようなシロモノではない。ハッキリ言ってしまえば、途中退場しても少しも後悔しない内容だ。とはいえ、聞くところによると評論家筋にはウケが良いらしい。世の中、分からないものだ。

 2015年、デトロイトでストリッパーとウェイトレスを掛け持ちしているゾラは、ある日、働いているレストランにやってきた客ステファニとダンスという共通の話題を通して意気投合する。翌日、ゾラはステファニから“フロリダで良い稼ぎになるダンスの仕事がある”と誘われ、急な話に戸惑いながらも同行することになる。旅のメンバーはステファニの他に、彼女の恋人だという若い男デレクと、ガラの悪そうな中年男だ。そして現地に着いてみると、聞いた話とは違っていた。

 デトロイト在住の一般女性アザイア・“ゾラ”・キングがツイッターに投稿した文面を元に製作されたシャシンらしいが、本作の売り物はその“ツイッターの映画化”というアイデアのみである。もちろん、元ネタがどうであれ映画として面白ければ文句は無いのだが、これがまったくダメだ。

 ドラマの導入部は典型的な“巻き込まれ型サスペンス”の様相を呈しているが、実際にはサスペンスなんか少しも醸成されていない。ゾラがフロリダでやらされるのは、ステファニの売春の手引きである。ダンスの仕事ではないのは不当だが、別に命の危険にさらされることは無く、ゾラ自身が客を取らされることも無い。

 よく考えてみれば、ステファニがゾラを誘う理由なんか最初から存在しないし、デレクが同行する必然性も無い。やさぐれた連中ばかりが登場するにも関わらず、事件らしい事件も起こらないのだ。ジャニクザ・ブラボーなる監督の腕前はパッとせず、盛り上がりに欠けるシーンが漫然と続く。また、R18指定らしいセクシャルな場面やバイオレンス描写も存在しない。

 ゾラとステファニ、そしてその他のキャラクターすべて魅力に欠けるが、テイラー・ペイジにライリー・キーオ、ニコラス・ブラウンといったキャストも印象に残らない。設定だけならば、もう少しマトモなスタッフが関与すれば見どころのある作品に仕上げられるはずだ。製作方針の誤謬としか言いようがない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あの頃。」

2022-09-17 06:22:26 | 映画の感想(あ行)
 2020年作品。最近の邦画界では安定したレベルを維持していて信頼のブランドと思われていた今泉力哉監督作だが、この映画に限ってはどうにも受け付けられない。題材自体ピンと来ないし、筋書きはどうでもいいし、各キャラクターにも共感できない。ごく狭いターゲットを見据えて撮ったとしか思えないシャシンだ。

 2003年、大阪に住む劔樹人は大学院進学に失敗し、カネも無ければ交際相手もいないドン底の生活を送っていた。そんな中、ふとした切っ掛けで松浦亜弥のミュージックビデオを見た彼はいたく感激。“ハロー!プロジェクト”のアイドルに夢中になった彼は、ファンのイベントに足を運ぶようになる。そこて知り合った個性的な連中と一緒に騒いだり、集会を主催したりと、楽しい日々を送る。だが、時間の経過と共に仲間たちはそれぞれの道に進み、各メンバーは離れ離れになっていく。



 プロデューサー兼ミュージシャンとして実績をあげている劔樹人の自伝的コミックエッセイ「あの頃。男子かしまし物語」の映画化だ。個人的に、劇中で取り上げられる“アイドルオタクの生態”などにはまったく興味は無い。しかも映画では、その“生き様”を幅広い観客に納得させるような仕掛けも見当たらない。

 最初からアイドルにハマった奴とはこういう感じで、こんな行動形態を取るものだという、暗黙の了解事項が傍若無人に横たわっている。だから、門外漢が観てもお呼びではない。映画の後半に、メンバーの一人が重病に罹ったときに劔をはじめとする登場人物たちが大阪に再集結するのだが、そこで何をやるかといえば生前葬と銘打ってはいるが中身は旧態依然たるファンの集会だったりして、脱力するばかりだ。

 今泉の演出は安全運転と言えるが、目立った部分は無い。劔に扮しているのが松坂桃李なのだが、一応は“二の線”で売っている彼に冴えないオタク野郎はマッチしていない。頑張って演じれば演じるほど、違和感だけが印象付けられる。

 仲野太賀に山中崇、若葉竜也、芹澤興人、コカドケンタロウといった面子はオタク仲間になりきっているようだが、キャラ自体の訴求力が低いので感心するには至らない。中田青渚や片山友希、西田尚美などの女優陣も精彩が無い。わずかに目立っていたのが、松浦亜弥に扮した山崎夢羽だ。彼女も実際にハロプロ一派なのだが、とても松浦本人に似ているので驚いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「サバカン SABAKAN」

2022-09-16 06:28:38 | 映画の感想(さ行)
 子供を主人公にした一夏の“冒険”を描いた映画は、過去にも秀作・佳作が目白押しだ。それだけ普遍性が高い鉄板の設定ということだが、本作はとても及第点には達していない。違和感なく物語を綴るだけのシナリオが出来ておらず、無理な展開が目立つ。筋書きは行き当たりばったりで、観終っても何のカタルシスも無い。

 86年の夏、長崎県長与町に住む小学5年生の久田孝明は、ある日同じクラスの竹本健次から一緒にイルカを見に行こうと誘われる。ところが孝明はあまり気が乗らない。なぜなら健次は家が貧しくて同級生から避けられていたからだ。それでもクラスで唯一自分を笑いものにしない孝明を気に入っていた健次は、彼を無理矢理に連れ出す。様々なトラブルに遭遇しながらも何とか目的地に到達した2人は、それから夏の間仲良く過ごすようになる。しかし悲しい事件が起こり、2人の夏は終わりを告げる。

 最大の不満点は、健次のキャラクターが練られていないことだ。貧乏なのは仕方が無いとして、コイツは供え物を平気で盗み、畑からミカンを何度も拝借し、町の売店では万引きの常習犯でもある。そして孝明を強引に危険な遠出に誘い、重大事故の一歩手前まで追い込んでしまう。どう考えても付き合うには値しない人間だ。

 また、健次の家は見かけは本当にボロいのだが、中に入ると至って普通なのは拍子抜けだし、タイトルになっているサバの缶詰が大して効果的に取り上げられていないのも不満だ。だいたい、子供が潮の流れが速い海域を泳いで沖の島まで渡るのは不可能だし、助けに入る女子高生の正体も最後まで分からない。

 くだんの“健次が遭遇する悲しい事件”にしても無理矢理にデッチ上げたようなシロモノで、到底納得できるものではない。斉藤由貴のポスターやキン肉マン消しゴムなど、この時代を象徴する事物こそ登場するが、かなりワザとらしい。TVディレクター出身の金沢知樹の演出は平板で、何やら「スタンド・バイ・ミー」あたりを意識したような雰囲気も目立ち、観ていて萎える。

 尾野真千子に竹原ピストル、貫地谷しほり、岩松了、茅島みずきなどのキャストは大して記憶に残らず。子役2人は達者だが、それはこの手の映画にとっては最低限の条件なので殊更評価するほどのことではない。大人になった孝明に草なぎ剛が扮しているが、それ自体は印象に残らず。映し出される長与の風景は別に美しくも何ともなく、その点も愉快になれない。観る必要の無い映画だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「キングメーカー 大統領を作った男」

2022-09-12 06:51:10 | 映画の感想(か行)
 (英題:KINGMAKER )見応えのある実録ポリティカルサスペンスで、この手のシャシンを作らせると韓国映画は無類の強さを発揮する。取り上げた題材といい、キャストの動かし方といい、苦みの効いた筋書きといい、すべてが及第点。また登場人物たちの言動を追っていくと、政治家の何たるかを改めて考えたくなる。その意味でも示唆に富んだ作品と言える。

 1961年、韓国東北部の江原道にある小さな薬局のしがない店長ソ・チャンデは、野心家で策略家という別の顔を持っていた。彼は野党の新民党に所属するキム・ウンボムの演説を聞いて感激し、早速ウンボムの選挙事務所に乗り込んで選挙に勝つための戦略を提案する。一同はチャンデを怪しむが、ウンボムはその思い切った選挙戦術を気に入って彼をスタッフとして採用する。



 その結果ウンボムは補欠選挙で初当選を果たしたのを皮切りに、瞬く間に党の有力者にのし上がる。だが、勝つためには手段を選ばないチャンデに、リベラル派のウンボムは次第に違和感を覚えるようになる。第15代韓国大統領の金大中と彼の選挙参謀だった厳昌録との関係を、事実を元にして描く。

 チャンデがいわゆる脱北者であることが大きなポイントになっている。自由と公正を求めて韓国に逃れてきたものの、そのプロセスは綺麗事など言っていられないほどのハードでシビアな側面があったことは想像に難くなく、彼の“目的のためならば汚いことでも平気でやる”というスタンスはそのあたりを起源としている。

 ところが、チャンデは理想主義を売り物にして支持を集めていたウンボムとは根本部分で相容れることは無い。結局は2人は袂を分かつことにもなるのだが、互いを完全に否定できないのも確かだ。この、理想と汚い現実とが並び立つことこそ政治そのものである。斯様な主題の組み立て方は図式的かもしれないが、激動の韓国の現代史をバックに描かれると興趣は増すばかりだ。

 それにしてもチャンデの遣り口はエゲツない。政敵の関係者になりすまして選挙違反をやらかすのは序の口で、とにかく“選挙に勝つには票を得るよりも、競争相手の票を減らすことが効果的”と嘯く確信犯ぶりはある意味痛快だ。その反面、自身は決して政治の表舞台には立てないことを自覚する悲哀も見せる。

 脚本も担当したビョン・ソンヒョンの演出は力強く、主人公2人がそれぞれの立場で正念場を迎え、それを乗り越える過程を畳み掛けるようなタッチで綴る。演じるイ・ソンギュンとソル・ギョングのパフォーマンスは万全で、特にイ・ソンギュンは「パラサイト 半地下の家族」とは全く異なる役柄を軽々とこなしているのは驚かされる。それにしても、韓国は“地域性”が大きくモノを言うことが改めて印象付けられた。政治の世界だけではなく、この区分けは文化面でも厳然としているのだろう。ドキュメンタリータッチのザラザラした画調も場を盛り上げる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする