青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

美濃の春、咲くや桜花のそれぞれに。

2024年05月04日 11時00分00秒 | 長良川鉄道

(中濃の町、宵闇の桜@富加駅)

柳屋食堂の「とんちゃん・けいちゃん」でお腹を満たし、やって来たのは富加の駅。前回長良川鉄道を訪問した時、雰囲気ある木造駅舎と桜の木があったのを覚えていたんですよね。日が暮れて、宵闇が辺りを包み始めた頃合いの空の色が好きだ。ちょっと洒落た言い方をするとブルーモーメント、なんていうんだけどね。以前はライトアップをしていたらしい富加の桜、今年は自然光と、暮れて行く空の下で、淡く白い花びらを咲かせていました。長良川鉄道の駅は、この駅のみならず構内踏切が駅の真ん中にあることが多い。上下の列車は、踏切を挟んでシンメに停車するんですけれども、おそらくこれは列車の鼻面を揃えて、通票(スタフ)の交換をしやすくしていた時代の名残りなんでしょうけど。

構内踏切のブザーが鳴って、美濃太田行きの気動車がやって来た。昼間の暖かさから空気が入れ替わって、少し肌寒くなってきた中濃の春の夕暮れ。空の蒼さと空気の冷たさに冴えて咲く桜の花が、ヘッドライトの明るさでほのかに輝きます。元々、国鉄末期の越美南線の時代には、美濃太田から美濃市までの20km近くに渡って交換駅はなく、ここ富加の駅の交換機能も取り外されていたようです。三セク転換による増発と駅の新設により交換需要が発生したため、美濃太田~美濃市駅間の中間であるこの駅に交換設備が復活しました。

富加の桜が少し微妙だったので、お隣の加茂野駅へ。ここも単式のホームに大きな桜が植わっていて、ライトアップこそされていませんでしたが、ホームを照らす街灯が満開の桜を浮かび上がらせていていい感じに幻想的でした。国鉄時代は、元々ここは加茂野口駅という名前で、お隣の富加駅が以前は加茂野駅を名乗っていましたが、加茂野駅が駅の所在地である加茂郡富加町に合わせて富加駅へ、美濃加茂市加茂野町にある加茂野口駅が加茂野駅へ、と実態に合わせて名前を整理した形となっています。美濃市や関市へは、岐阜市から名鉄美濃町線が直接アクセスする形で交通の主軸を成していましたが、長良川鉄道になってからの美濃太田~美濃市間の運転本数は倍増以上の本数を確保。美濃町線が廃線となった後の、中濃地域の公共交通を支えています。

今年の桜は旬の時期が実に短かったですけど、名鉄谷汲線から樽見鉄道、そして長良川鉄道を駆け足で巡った春の美濃桜旅。各地の桜もそれぞれに見事で、谷汲線の桜の廃線跡らしい儚げな趣、そして樽見鉄道の各駅の桜の見事さ、そして長良川鉄道は関下有知の桜並木の迫力と、それぞれに良さがありましたね。また来年の桜の時期に、どんな光景が見られるか楽しみにすることにいたしましょう。

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関下有知、圧巻の桜並木。

2024年04月30日 17時00分00秒 | 長良川鉄道

(圧巻の桜並木@長良川鉄道・関下有知~関市役所前)

樽見鉄道と、名鉄谷汲線の桜を巡りながら撮り歩く桜の旅。谷汲山でお参りを済ませた後は、大きく場面転換をして長良川鉄道に転戦しました。樽見鉄道に負けず劣らず、長良川鉄道の沿線も桜の美しいことでは非常に有名な路線。本当であれば、一日は樽見鉄道+谷汲線、もう一日が長良川鉄道というスケジュールでじっくり回れればよかったのだけど、日帰りの身ではそういう訳にも行かず・・・近場の美濃市以南の桜を見に行くことにしました。やって来たのは線路沿いの桜並木が見事な関下有知駅の桜。長良川鉄道の桜と言えばここかな?というくらいには有名な場所です。花の咲きぶりとしては満開に少し早く、八分から九分くらいの咲きぶり。それでも長いタマを使って圧縮すればより迫力が出ますね。それにしても谷汲から関市って案外距離あるのね。45分くらいで行くのかと思ったら1時間半近くかかっちゃったよ。

満開手前の桜並木の下を、北濃行きのNDCが走り抜けて行く。線路に対して東側に桜が植わっているので、西からの光線が必要な午後向きの撮影地なのは事前にリサーチ済みでありました。桜の撮り方色々ありますけど、バックショットだと列車が通り抜けたあとの風で花散らしになるのが好きだったりします。まあ、これは満開を少し過ぎた桜を狙ってやる撮り方で、まだ満開を迎えてもいない桜ではいくら列車が通り過ぎたとてそんなにはらはらと花弁は散らないのでありますが・・・

お試し撮りの北濃行きを見送った後は、カメラをあまり使わない長い望遠レンズに付け替え。これも最近はあまり使わなくなった三脚もガッツリセットして、久々のガチ撮りモードで本命の「ゆら~り眺めて清流列車2号」を迎える。長良川鉄道ご自慢の観光車両「ながら」を先頭にした2連は、満開の桜を従えたパレードのようでもある。企画によっては長良川の鮎を利用した列車レストランなんかも催行されたりする車両で、朱色に近い丹色は高級な漆塗りの椀を見る思いがする。ここ関下有知の桜のみならず、深戸の一本桜や湯の洞温泉口の桜、そして終点北濃の桜など、長良川鉄道沿線には桜の名所がたくさんあるのだそうだ。一度に回れる路線長ではないだけに、もう一度桜の季節にゆっくり来てみたいなあと思う。

関下有知の桜を堪能した後は、美濃市駅前「柳屋食堂」へ。開店すぐでこれだけの人が並んでいるのだから、地元人気が相当高い店であることが伺い知れます。この店、前回JR東海の「私鉄16社乗り鉄たび☆きっぷ」で長良川鉄道に乗りに来た時、ランチで使おうと思ったら臨時休業で壮絶な肩透かしを食らったんだよなあ。しょうがないからその時は別の店でランチを食べたんだけど、何年越しかのリベンジとなります。

この店の人気メニュー、麺類も他の焼きものもありますけど、ひとまず名物の「けいちゃん定食」を注文し、ついでに「とんちゃん」をプラス。「けいちゃん(鶏ちゃん)」「とんちゃん(豚ちゃん)」というのは、美濃・飛騨地方に伝わる鶏肉や豚のホルモンを辛口の味噌ダレで漬け込んで、タマネギやキャベツなどの野菜と炒め合わせた郷土料理のこと。いわゆるB級グルメの範疇に入る料理であろうか。調理したものを持ってくるのではなくて、味噌ダレを絡め、店員さんが大きなコテで押し付けながら目の前の鉄板で焼いてくれます。周囲のファミリー客、お父さんが中ジョッキをグイグイ空けていてご満悦。クルマなので生ビールが飲めないのが惜しい。その代わりと言っちゃなんだが、酒もともかくメチャメチャ白いメシが進むしかない濃いめの味付けなので、思わずご飯をお代わりしてしまった。とんちゃんとけいちゃんのどっちが美味いかというと、これは好みの問題になるけど「とんちゃん」の方がホルモンの色々な部分が入ってて好き。タン、レバ、カシラあたりがコロコロと入っているのが美味しい。ちなみに美濃市の焼肉屋にミノ焼きがあるかどうか期待してたんだけど、ミノ焼きはなかったなあ。こっちの方で「ミノ焼き」なんて言ったら焼き物が出て来る可能性の方が高いかもしれん(笑)。

旧名鉄美濃駅の保存ラインナップ。前回来てから旧札幌市電の車両の色が変わっていた。谷汲から美濃へ、名鉄600V区間の西端から東端まで移動をしたことになる。そうそう、一時期黒野の駅で展示されていたモ512号は、いつもは美濃駅で保存されているものを期間限定でレンタル展示したものでありましたよね・・・。一番右の563号の行き先が「西鏡島」となっていますけど、これは昭和30年代に廃止された名鉄鏡島(かがしま)線の終着駅のこと。岐阜市内線の徹明町から西へ、長良川の河畔にある鏡島町まで4kmちょっとの支線でした。谷汲駅、黒野駅、そしてここ美濃駅と、形は様々ですけど名鉄600V線区の車両を含めた遺構の保存って凄く充実してますよね。これがJRならまだしも、名鉄という私鉄路線でなされていること。それだけ、美濃の人々に浸透していた路線だったんだろうなと思う。今みたいにLRTが持て囃される時代時代がもう少し早く来ていれば、存続もあったんだろうか。

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愛岐の名車、桜と眠る。

2024年04月28日 10時00分00秒 | 名古屋鉄道

 (名鉄600V、北縁の防人@モ755)

樽見鉄道沿線の桜を愛でつつ、再び名鉄の谷汲線沿線まで戻って来ました。訪れたのは終点の谷汲駅。ここには、モ755とモ514という名鉄600Vを代表する2両の名車が、今でもきれいな形で保存されています。廃線の後、郷土の鉄路の歴史を残すための鉄道保存の取り組みについては、村の議会では負担が重すぎるとして予算が付かなかったのだそうです。現在の谷汲駅での車両保存は、村の議会でいったんは否決されながら、地元有志の熱心な働きかけによって名鉄からの譲渡に漕ぎ付けられたもので、それだけ谷汲村民にとってこの赤い電車が大きな存在だった・・・ということが分かるエピソードでもあります。

西国三十三か所霊場巡りの中では、一番東に位置する谷汲山華厳寺。名鉄谷汲線の前身である谷汲鉄道が、谷汲山への参詣客と沿線の開発を目的にここ谷汲駅までレールを敷設したのが大正15年(1926年)のこと。昭和初期に名鉄に合併され、同社の谷汲線となってから廃線となる平成13年(2001年)までの間、約80年に渡って西美濃の里山風景を走り続けたモ755。名古屋鉄道の一期生とも言える半鋼製の新型車両で、当時はデセホ700形と750形を名乗り、同形式の一部はお召列車にも使われたのだそうです。1960年代の本線の昇圧により、以降はほぼ揖斐・谷汲線を中心とした名鉄600V区間に転属。同線区の主軸として一生を終えています。

谷汲線は、21世紀までこのような昭和初期に製造された冷房もない半鋼製のツリカケ旧型車が最後まで路線を守り続けました。岐阜市内線の末期は、現在でも福井や豊橋で頑張るモ770形やモ780形のような新型車両も投入されましたけども、谷汲線と揖斐線の末端部分には、その恩恵はありませんでした。揖斐線と谷汲線への電力供給は、黒野の手前にあった小さな変電所だけが頼り。そのため揖斐や谷汲方面は変電所から離れれば離れるほど電圧が下がってしまい、インバータ制御で回生ブレーキを持つ新型車両では黒野以遠に入線することが出来ませんでした。モ750を始めとする旧型車は、直流の電気を交流変換せずにそのまま使用する直流モーターを装備しており、簡単な機構で電圧降下にも強いという特性がありました。路線が廃止されるまで、揖斐谷汲線の末端部が旧型車の天国であったのは、このような劣悪な電力環境の中で、直流モーターの頑強さと故障への強さが遺憾なく発揮された結果、ということが出来ます。

保存されたモ755の運転台周り。公称では600Vの路線でしたが、末端部は300Vも出ていなかったのでは、なんて話もあるくらいで、谷汲線の運転士さんは走るたびにいっつも電圧計とにらめっこしていたのではないだろうか。特に冬場の雪の日は、ただでさえ心もとない電力が架線に付着する雪によってさらに集電力が低下し、その中でスノープロウを装着して雪を押しながら走ることの苦労は大変なものがあっただろう。交換駅の北野畑の駅で交換相手の電車を待っていると、更地の駅を出て遠く八王子坂を力行してくるモ750の音に合わせ、力行による電圧降下によって車内の電気が付いたり消えたり・・・みたいなことが起こっていたらしく、北野畑の駅では、双方向の電車を同時に発車させることは電圧が弱すぎて難しいことから、先に出した電車が十分に加速してからもう1両の列車へ出発の合図を出していたのだとか。

モ755の傍らには、これも岐阜市内線と言えばこのクルマ!というモ514が。揖斐線の前身である美濃電気鉄道が新造した美濃電最後の新車。個人的にも名鉄600Vの岐阜市内線と言えば、忠節橋を渡って軌道区間に「急行」のマークを付けて乗り入れて来るモ510の2連という感じがします。モ510は美濃駅・JR岐阜駅前・そしてこの谷汲駅と三ヶ所で保存されているのだから、岐阜の人々にも思い出の深い車両なのだろうなとも思う。大正ロマンを感じさせる品のいい丸窓、武骨なリベット、錦鯉を思わせるノーブルな紅白のカラーリング。車内の座席に取り付けられた白いヘッドカバーと相まって高級感がある。製造当初から美濃町線で運行されていたものを、揖斐から岐阜市内への急行運転を開始するにあたってクロスシートに取り換えたのだそうな。

谷汲の街は桜の街。この時期、谷汲駅から華厳寺に続く道には桜が咲いて、多くの人が訪れていました。谷汲線がなくなってから、この街を訪れる手段はほぼクルマしかないんですけど、名刹と桜という組み合わせは古くから日本人の心を捉えて離さないものなのだろう。せっかくここまで来たのだから、と汗を拭き拭き参道を歩く。この日は春を通り越して夏のような一日だった。華厳時の本堂までは駅から歩いて15分程度、延暦年間(798年)の建立とされる西国三十三ヶ所霊場回りの結願の寺。けっこう色々な場所に行っては拝むタイプなのですが、どのくらいの神様が私についているのだろう(笑)。

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高科、桜盛りの里にて。

2024年04月26日 17時00分00秒 | 樽見鉄道

(瀬をはやみ、根尾の流れに@日当~鍋原間)

桜の写真を中心に撮り歩く根尾谷・樽見鉄道の旅。今年は桜の開花が遅かったせいか、桜と山々の芽吹きが同時に訪れている。そんな根尾川の谷は深く、そしてその水は蒼く清冽に流れております。第6根尾川橋梁を行く「うすずみ観桜号」。樽見鉄道は終点の樽見までに根尾川を10回渡るのだが、そのうちの8回は神海から先の新線区間。橋を作る事やトンネルを作る事に関して、安定的な土木技術が確立した時代の路線ということが出来ます。根尾谷にこだまするNDCのタイフォン、あっという間に車両は足元の舟山トンネルに吸い込まれて行きました。

桜の高科駅。樽見鉄道の各駅、この時期どこの駅にも桜が咲いていて訪れる人の目を楽しませてくれている。開業したのが平成の初期、植樹されたのもその頃だとすると、樹齢としたら30年と少しだろうか。一応、ソメイヨシノの寿命は約60~80年と言われていて、花を咲かせるために品種改良をされた種類だけに、樹木にしては非常に病害虫に弱く、寿命が短い。30歳くらいというと、桜の木としては一番の働き盛りという感じで、それこそ花付きもボリュームも見事なもの。この高科駅は集落からは遠く離れた田園の中の小駅で、普段は利用する人の少ない駅なのでしょうが、近所の子供たちが列車待ちの時間を使ってのお花見に来ていた。落ちてくる花弁を追いかけまわして大騒ぎ。こらこら、本数が少ないとはいえ、ホームで走ってはいけません。

薄く雲間から差す春の陽射し、街へ向かう列車へ乗り込む子供たち。行き先は桜の谷汲口か、それともモレラ岐阜へのショッピングか。駅前の農道をカブのおっちゃんが春風に乗ってゆるりと駆けて来る。高科の駅を出る樽鉄のDC、先頭のハイモ295-315は平成11年生まれと、樽鉄では一番古株の気動車なんだそうだ。タラコ色に塗られているのは、一応国鉄首都圏色のリバイバル・・・ということらしい。言われてみれば「ああ」という感じなのだが、ちょっとこの形の三セクDCを国鉄色に塗られてもリバイバル感はあまり出ないし、何なら樽鉄は他の車両のカラーリングもハデハデ過ぎて逆に埋没しちゃってるんよねえ。これならそもそも普段の樽見カラーにした方が良かったのでは?という気がしないでもない。

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世界に轟く「根尾谷」の名。

2024年04月24日 17時00分00秒 | 樽見鉄道

(飲んで、乗り過ごして、あれ・・・?@高尾駅)

神海から先の新線区間。深い谷を刻む根尾谷に沿って、トンネル&鉄橋&トンネル&鉄橋でストレートに樽見を目指すその途中、根尾川に沿った僅かな明かり区間の途中にある高尾駅。この「集落の位置と合わない高い位置にある森の中の小駅」というのは、いかにも「昭和の鉄建公団線の設計だなあ」ともいうべきバリアフリーのなさという感じがします。この時代の鉄建公団線、例えて言うならA市とB市をなるべく真っすぐトンネルと鉄橋で結んで連絡させることに重きを置いていて、その通過途中にある小駅についての利便性は特に考慮されていないのが特徴。なので、駅の名前になっている集落が駅から平気で2kmくらい離れてたり、主要国道から細道をたどった先の山の中にあったり、およそ地元の普段使いに馴染まない場所に設定されていたりするんですよね・・・

高尾駅前にある村の鎮守さま。ここにも立派な桜の古木。小さな神楽殿のようなステージを持つこの神社、高尾神社というらしい。高尾駅なんてーと、新宿とか吉祥寺で飲んだ酔客が電車を乗り過ごして連れて行かれた先、なんて雰囲気もありますが、こんなところまで連れてこられたら大変だ(笑)。淡墨桜対応の増結2連が、新しいお客さんを取りに本巣方面へ戻っていく。桜ダイヤでは、基本増便される列車は本巣~樽見間を快速運転するので、樽見での折り返し時間などもかなりタイト。神海~樽見間の新線区間には交換設備のある駅が1つもないので、こういう事になってしまうのだが。

高尾から水鳥駅に向かっては、根尾谷断層の上を築堤と高架橋で越えて行く。断層の周辺は公園として整備されていて、断層の上には「地震断層観察館」が建っている。植え込まれた桜がちょうど見ごろであった。「根尾谷断層」と言えば、明治24年(1891年)の濃尾地震によって生まれた日本最大の地震断層。地学の分野では世界レベルで有名な断層なので、教科書などにも載ってますから興味ない人でもその名前くらいは見たことがあるでしょう。濃尾地震の規模は、M8.0という内陸の直下型地震の規模では未曽有のもので、その被害の状況は岐阜県のホームページに詳しいが、死者が7,000人以上、西濃・中濃・尾西地域を中心に岐阜市や大垣町、笠松町その他での家屋の倒壊や火災による都市機能喪失。そして東海道線の長良川と揖斐川の橋梁が破壊されるなど、黎明期の鉄道路線にも壊滅的な被害をもたらしました。正月の能登地震では珠洲市で2m規模の断層が地上に露出したそうだけど、この濃尾地震によって根尾谷の地表に出現した断層崖の高さは、この地震断層観察館がある水鳥断層でなんと高低差最大6m。能登地震のM7.6は沿岸部に沿った海中の断層帯のズレなので、地震の構成自体の違いはあるものの、M8.0の破壊力というモノを発災130年の後にも伝え続けています。最近・・・というか、1995年の阪神大震災以降の日本は長期的な地震の活動期に入っていて、確実に太平洋プレートないしはフィリピン海プレートから押し込まれた力の大きな「ひずみ」がしわ寄せとなって様々な場所で大きな内陸地震を引き起こしている。太平洋プレートからの押し込みは2011年の東日本大震災で一定の開放があったのだと思うけど、南海トラフもいつ起こってもおかしくありませんからねえ。先日も高知・南予でM6規模の大きな地震が発生したばかりですが。

対岸の国道は、根尾の淡墨桜を見に行く車で大渋滞。淡墨桜って、結構な山奥にあると勝手に思っていたのだが、樽見駅から歩いて15分くらいなんだってね。今回は渋滞に巻き込まれるのが嫌だったんで行かなかったけど、駅から15分くらいなら十分徒歩圏内だと思うのは都会の感覚だろうか。逆に地方に行くと完全なる車社会なので、5分で歩けるところもクルマで行ってしまうとこはあるようだけど。お出かけは、早くて確実な樽見鉄道をご利用くださいというところ。桜のトンネルを潜って樽見を目指すモレラ号、今日は年イチの稼ぎ時。花見を楽しめるのも、平穏な日常があってこそ。地震のみならず、豪雨や水害によって常にどこかで災害が発生している日本の国だからこそ、常在防災の必要性を痛感しますね。

築堤を往く列車に、花見の人影が揺れて。

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