青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

比島、箱庭の路地裏物語。

2024年03月30日 10時00分00秒 | えちぜん鉄道

(おなじみ、終着駅の前の駅@比島駅)

「終着駅の一つ前は、良い駅の法則」。それをことさらに意識したのが、このえちぜん鉄道の比島駅に降り立ってからだったろうか。永平寺口から先の勝山方面はガクッと乗客の流動が落ちる勝山永平寺線、九頭竜川の右岸に広がる勝山市街に対して、線路はわざわざ(?)人の少ない山裾の左岸を細々と走っている。暴れ川である九頭竜川に架橋することを避けたルート取りが昔からこの路線のネックになっていて、福井県で一番人口の少ない都市(人口2万人程度)とはいえ、勝山市街からの乗客を拾いきれない弱さみたいなものがあるんですよね。勝山へ向かう電車が軒を掠めるように小さい集落を通り過ぎるとき、忘れないで!と囁くように佇む比島の駅。福井から30分おきにやって来る電車も、2本のうち1本しか停車しない。わざわざこの駅のためだけに通過電車と停車電車を分けるのも誤停車や誤通過なんかの元だろうと思うのだけど、終点の勝山での交換時間がタイトだから仕方ないんですかね。日中は、勝山駅に下り電車が着いた瞬間に閉塞を開けて福井行きが発車するダイヤになっているので、上り電車を遅らせないために、下り電車の多少の遅れは比島通過で回復させる、みたいなスジになっているのかもしれない。

この駅の特徴である、路地と線路の近さ。江ノ電の稲村ケ崎みたいな、ここって併用軌道じゃないのか?と思うようなロケーション。ただこう、なんか昔と雰囲気が違うな・・・と考えたら、駅の前にあったお宅のケヤキの木がいつの間にか切り倒されていた。前に訪れた日は夏の暑い日で、比島駅まで勝山からレンタサイクルをキコキコと漕いでやって来ては、駅前のケヤキの大木の木陰で涼んだことを思い出すのだが、ある意味比島駅のランドマークのような風景であったので無念である。私が乗って来た電車が勝山に着くと、すぐに上りの福井行き電車が返してくる。冬の路地に寒椿の色だけが冴える、モノクロームの路地を行く。

えち鉄の電車は上下の電車が30分おきに2本で計4本。1時間もあれはそこそこのカット数が稼げるのも良いところ。比島の駅を出て行く電車が、勝山寄りの路地にあった立派な邸宅の前を通り過ぎて行く。重厚な漆喰壁の蔵があって、いかにも雪国の旧家という感じがある。北陸の古い家並み、先日の能登半島地震を見ても分かる通り冬場の雪に備えてかとにかく屋根瓦が頑丈そうである。それにしても、この辺りのお宅は、家の前に出る際には、前を通る車よりもどっちかと言えば電車の方に注意した方がいいですね。なんとも不思議な空間であるなあ。そして、2月の訪問ともなれば、雪の比島を撮りたかったという気持ちがあったのだが、どん曇りで寒いだけで雪なんかかけらもありゃあしない。ここまで雪の少ない年というのも珍しいというのが福井の人の話であったが、降っても暖かくてすぐ溶けてしまい、全く積もらなかったのだそうな。電車が来ない時間は比島駅ホームの待合室で休憩していたのだが、置かれた除雪用具も今年は手持ぶさた感が満々、といった感じであった。

電車が通り過ぎれば、ただ静寂の中に戻る比島の駅。路地を散歩する犬と近所の人々。
極めてクローズドな空間にひっそりと囲まれたこの佇まいと雰囲気、これぞ比島ワールドという感じの箱庭感があって、いつ来てもいいものです。

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ジャンジャンと 鐘が鳴るなり 永平寺。

2024年03月28日 17時00分00秒 | えちぜん鉄道

(かつての乗り継ぎ駅のいま@永平寺口駅)

前回えちぜん鉄道を訪問した際には訪れなかった場所をゆるりと回って行くことにして、でもどこで何を見る?とか特に決めていなかったのでなんとなく永平寺口駅で下車してみる。九頭竜川が大野盆地から勝山市を流れて福井平野に出る寸前、扇のかなめのような場所にある永平寺口の駅。地鉄で言うと愛本みたいな位置にある(分かりにくい)。今でこそ、勝山に向かう勝山永平寺線の中間駅でありますが、かつてはここから永平寺へ向かう永平寺線が分岐しておりました。その時は、駅名も「東古市(ひがしふるいち)」でしたよね。永平寺線が永平寺まで走っていた頃、確か中学生くらいの頃だったと思うのだが、何故か家族で真冬の高山と永平寺と東尋坊を見るツアー?みたいなのに行った記憶がありまして、その時の観光バスの車窓に映ったのが雪に埋もれた永平寺線のか細いレールと寂れたホームだったのをうっすらと覚えているんだよな・・・

永平寺口駅の構内踏切から。黄色いロータリー除雪車が置かれているカーブの向こうに続いていたのが、かつての永平寺へ向かう線路。永平寺口駅のホームから奥に見える高架橋は、中部横断自動車道の一部である永平寺大野道路。北陸自動車道の福井北ICから越前大野市を通り、九頭竜湖から油阪峠を抜けて美濃白鳥に至る高規格道路で、最終的には安房峠道路を経由して松本までの160kmについてバイパスや従来道の線形改良を実施。国道158号と国道416号の都市間連絡機能をほぼ代替します。このえち鉄の勝山本線と越美北線という福井の鉄道2路線をますますの窮地に追い込むものであることは、残念ながら確かなようです。「道路にばかり予算がついて、鉄道には予算が回らない」というのは、もう日本の構造的な宿痾みたいなものですけど、国の予算を引っ張って地元の建設屋さんに落とすという「利益誘導」を図るためには、「道路をつくる」ことが一番手っ取り早く、道路族とか建設族みたいな地方議員が半世紀以上一生懸命働いた結果ということも出来る。地方鉄道みたいな民業に一生懸命に利益誘導してもたかが知れているということも言えるし、戦後の鉄道事業者の「政治」に対するロビー活動が弱かったということも言える。戦前はあったんですよ。政治による鉄道の誘致合戦とかもね。

永平寺口の駅に隣接して建つ京都電燈古市変電所跡。えち鉄の前身である「京福電気鉄道」が京都と福井にそれぞれ鉄道会社を持っていたのは、越前電気鉄道として創業した当時のオーナー企業であったのが京都電燈だったことによるもので、京都電燈が京都で現在の叡山電鉄と京福嵐山本線、福井で開業したのが越前電気鉄道ということになります。戦時中に京都電燈が国策によって関西電力・北陸電力・日本発送電に事業譲渡し消滅する際、京都電燈の鉄道部門が「京福電気鉄道」として分離独立。同じ福井県内で傍系であった三国芦原電鉄や、永平寺の檀家さんたちの出資で成立した永平寺鉄道(金津・現:芦原温泉駅~東古市~永平寺間)を吸収して規模を広げて行きます。残念ながら金津~丸岡~東古市間は合理化のために早々に廃止(1969年)されているのだけど、当時の京福ってのは大野市までの越前本線、三国港までの三国芦原線、金津~永平寺までの永平寺線ほか支線を含めて100km近くの営業距離を有していたんですよね・・・その昔はそれだけ地域における鉄道のニーズが高かったことの証跡でしょうか。

東古市~永平寺間の永平寺線が廃止されるまで使われていた1番ホームには、旧駅舎が「地域交流館」として残されていました。車寄せの洋風な感じと白い板張りの建物、優雅な半円の飾り窓や細かな装飾に趣があります。「男はつらいよ」のロケ地看板は、吉永小百合をマドンナに迎えた「男はつらいよ・柴又慕情(第9作)」で、寅さんが旅先で意気投合したマドンナ歌子と別れるシーンに東古市の駅が登場したことによるらしい。ちなみにこの「柴又慕情編」は、冒頭に尾小屋鉄道(金平駅)の実写映像が使われているのは有名な話で、夢枕から覚めた寅さんが昭和中期のありのままの軽便ナローの世界から旅を始めるという鉄道マニア的に物凄い「沁みる」シーンが収録されていることもポイントが高い。バケットカーに牛乳缶を積むシーンなんかは、それこそノス鉄系モデラーの皆さんにはたまらんのではないかと。

構内踏切から、今は平日の1往復の区間列車の折り返しにしか使用されない永平寺口の1番ホームを見やる。福井名物の踏切に関する警告看板も愛らしい。「警報音がジャンジャン鳴ったら渡らないでください」という注意看板。踏切の警報音ってジャンジャン鳴るものなのか・・・?という疑問はさておき、「福井といえばコレだよな」感のある謎アイテム。福鉄とかえち鉄に見られるこの「ジャンジャン」というオノマトペの語源に関しては定かではないが、昔は踏切の警報音ってのは打鐘(ゴング)式のものが多かったから、「鐘を打つ音=ジャン」という競輪用語から来てるんじゃないかと思っておるのだよね。福井には競輪場ありますし、福井競輪の無料バスって京福バスがやっているしねえ。非番の日に競輪場に行ってた現業の連中が、踏切のゴング音を競輪の打鐘の俗称である「ジャン」と絡めて表現したのが起源なのでは?と。誰か正解求む。

ちなみにこの看板、キーホルダーにもなっているそうなのだが、見つけられんかったでなあ。

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越前福井の夜明け前。

2024年03月24日 10時00分00秒 | えちぜん鉄道

(福井の美味いもの晩餐@福井駅前・福福茶屋)

福井の夕食は、福井駅前にある「ハピリン」という名前の商業ビルの中にある「福福茶屋」で。この日は平日で、平日では通常の福鉄の一日フリー乗車券は使えないのだ。そのため、平日でも利用可能な「福福茶屋食事券付1日フリー乗車券(1,840円)」を購入していたのであった。ただまあ、フリーきっぷで1,480円の「福井名物定食」がいただけるし、夜7時以降の入店だとグラスビールが1杯サービスになるし、実質はフリー乗車券の部分がおまけになっているような(?)なかなかご機嫌なチケットである。撮り鉄、こういうイベント的なキップがないとひたすらコンビニメシで電車撮り続けてしまうからちょうどいいのよ。大好きな越前おろしそば、ミニ海鮮丼、昼に続いてのソースカツ丼のミニ丼三つに小鉢三種。のんびり食事しながら、せっかくなのでビールをお代わりもう一杯。優雅な時間である。結局何だかんだと福井駅前を出たのが22時前。ほろ酔い加減の田原町行きに乗り、足羽川沿いにあるビジネス旅館へ帰るのでありました。

翌日朝。一晩お世話になったビジネス旅館を辞し、福井の街を歩く。足羽川を渡り、フェニックス通りを田原町方面へ。どこかで朝食でも食べられそうな店はないかなと思い辺りを見回したが、県庁所在地とはいえビジネス街のフェニックス通りに、こんな時間にコンビニ以外のめぼしい店は開いていなかった。フェニックス通りのランドマークである福井地方裁判所の前をFUKURAM Linerが通り過ぎて行く。福大前西福井行き。田原町から一駅だけえちぜん鉄道の三国芦原線へ入る運用です。今日も雨こそ降らねどどんよりとした北陸の曇り空。風が冷たく寒いのだが、雪のかけらもない福井市内、本当の北陸の冬の寒さとは程遠いのだろう。

テクテクと宿から歩いて20分、わざわざ田原町の駅まで歩いてきた。福大前西福井で折り返してきたFUKURAM Linerとえち鉄の三国港行電車。窓口で今日はえちぜん鉄道+福井鉄道の共通一日フリーきっぷ(1,400円)を購入。今日はえちぜん鉄道を中心に乗ろうと思うので、別に福鉄分はいらなかったのだが、共通で買ってもえち鉄オンリーで買っても400円しか変わらんのでな。ささやかな売り上げ貢献である。前回訪れた時は、まだ福井鉄道が三国芦原線へ乗り入れるための工事中で、福鉄のホームは屋根のない仮設ホーム、駅舎も昔ながらのトタン板で囲われた古い駅舎だったのを思い出しながら三国芦原線の福井行きに。福井市街の北部を大回りする三国芦原線、あの時は「まつもと町屋」なんて駅はなかった。高架になって大きく変わった福井口の姿に唖然としながら福井駅へ。北陸新幹線の開業で富山も変わったけど、福井の方が変わったよね。鉄道事情。

JR福井駅、新幹線口の姿。2月の終わり、開業半月前くらいの光景。もう開業して一週間経ったから、この風景もだいぶ変わったものになっているのでしょう。開業後の写真はいくらでも撮れるけど、開業直前の光景というのはあまり記録されないと思うので。だだっ広いスペースが無機質に転がっているこの感じ、引っ越し前の部屋へ内見に来たような静かな期待感・・・みたいなものが感じられるでしょうか。駅の改札口回りだけじゃなくて、高架下の商業スペースも突貫で物産品の販売エリアだとか、カフェだとかのお店の内装工事をやっていた。駅前広場も大規模な植栽の工事が入っていたが、こうやって地元企業に公共工事が落ちて行くのはいいことだ。

JR福井駅3階テラスから眺める、えちぜん鉄道福井駅。このデザイン、あえてディスプレイのようにテラスへ向けて開口部を設け、中を見せることで興味を惹起するような・・・そういう意図があるのだとしたら、なかなか攻めてるなあと思う。ちなみに、この開口部分はホームから先の引き上げ線になっていて、朝ラッシュ時点で運用が終わり、福井口に帰って行く編成や、日中に解放された増結用の単車が置かれたりとそういった用途に使われているようだ。ただ、えちぜん鉄道の前身である京福電気鉄道が、ブレーキが壊れた旧型車両が暴走して正面衝突事故を起こし、それが京福廃線からのえち鉄転換の原因になったことを思えば、冒進事故からの車両落下みたいな可能性を恐れぬデザインは「ご安全に」という思いもある。安全面を考えたら、絶対この開口部は設けない方がよくて、分厚いコンクリートの壁にでもしておけばいいのであって。

一通り福井駅の新幹線口を眺め、改めてえちぜん鉄道のホームへ。勝山行きの単行が発車待ち。勝山行きも三国港行きも日中は1時間に2本、勝山行きは単車と2連が1本おきに、三国港行きは基本2連の運行。勝山方面の方が需要が少ないということなのかな。単車になっちゃうと立ち客が出て混んでるなあという便もあったりするのよね。ホームではえちぜん鉄道のシンボルともいえるアテンダントさんがお出迎え。ルッキズムみたいな物言いには最近批判も多い世の中ですけど、この日私が乗った電車のアテンダントさんは、ちょっとかわいかったことを申し添えておきたい。

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シン・ジャパニーズトラム、見参。

2024年03月20日 15時00分00秒 | 福井鉄道

(FUKURAMを超えろ、ジャパニーズトラム@福井駅前~福井城址大名町間)

福井城址大名町で青色のFUKURAMと交換するのは、「FUKURAM Liner」こと福鉄2000形。2023年2月に導入された、福井鉄道の最新型車両。2013年からFUKURAMこと福鉄F1000形を導入し、低床型新型トラム車両の導入に舵を切った福井鉄道。生え抜きの福鉄200形や、名古屋市交の改造車である600形などのステップ付きの経年の高床車を置き換え、「ああ、200形の引退は大変残念だけど、このまま福鉄はFUKURAMを軸にした車両の導入を続けて行くんだろうなあ」なんてぼんやり思っていたのですが、FUKURAMの導入は第4編成である1004Fまでで一旦お休みとなり、この「FUKURAM Liner」が1編成追加で投入されました。流線型のFUKURAMとは異なる非常にソリッドなデザインと、シャープに流れるサイドの福鉄カラーがカッコいいですよねえ。最近の鉄道車両、前面下部にラインを落とし込むようなデザイン(京成3100形とか)が非常に多いのですが、これもその「流行り」に乗ったものなんでしょうか。

ヒゲ線を通って恐竜のオブジェが待つ福井駅前へ。新しい街に新しいトラムが映える。先に導入された「FUKURAM」は、ボンバルディアトランスポーテーション(ドイツ)のライセンスを受けて日本の新潟トランシスが製造したブレーメン型と言われる超低床型トラムですが、この2000形「FUKURAM Liner」は、日本式超低床型トラム「リトルダンサー」シリーズのロングタイプ車両で、大阪のアルナ工機を中心とし、東芝や東洋電機製造ほか日本の交通機器産業に関わるオールジャパンの企業体の技術を結集して作られています。噂によると、FUKURAMの場合はいっぺん不具合が見つかると、重要部分がドイツのライセンス製品のために日本では調達が出来ず、故障や事故の際の保守管理に時間がかかるなどの問題点があるようです。よくイタリア車とかアメ車とか買っちゃうと、故障したときに部品が本国取り寄せになっちゃってカネも時間もかかるみたいな話を聞きますが、それの電車版みたいな感じ。では、日本はどうなのかというと、そこまでLRT車両の市場が大きくないので、保守や管理などのランニングの部分のサポートは見込めても、イニシャルの部分の量産性や納期の問題があるのだそうですが・・・(だから福井は当面の需要を満たす1編成だけの発注になったなんて話も)。宇都宮のLRTも、開業に備えて車両を用意するのに国内メーカーではその納期に間に合わせることがなかなか難しくて、結局新潟トランシス&ボンバルディア連合に発注したんだとか。鉄道産業における世界の産業構造の話になってしまったが、色々と勉強になることもあり。

ともあれFUKURAM Liner、見た目の意匠が目を引く存在で、道行く先でカメラを持っている同業者の姿が。観光客も連られてスマホのカメラでパチリ。ちなみに、私はこの車両を最初見た時にパッとひらめいたのが「OLFAカッター」ですね。あの、切れなくなると刃先をポキポキ折って新しい刃を出して使うやつ。これ、黄色く塗ったらまんまOLFAカッターやな、って。運転席のところからポキポキ折れそう。折れたらアカンやろけど(笑)。

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ヒゲ線今昔模様。

2024年03月17日 17時00分00秒 | 福井鉄道

(鉄軌分界点を行く@赤十字前~商工会議所前)

北府駅で福鉄200形とのご対面を果たした後は、家久の駅で途中下車してJR北陸本線の日野川橋梁に行ってみたり・・・一応、北陸路を駆ける最後のサンダーバードの雄姿などを撮影したのだが、どうにも天気がどん曇りのままで冴えない写真を無駄に量産するだけに終わる。あ、そうそう、3月16日の土曜日に北陸新幹線はめでたく金沢~敦賀間が延伸開業したそうで、おめでとうございます。北陸本線の金沢~敦賀間はIRいしかわ鉄道と第三セクター・ハピラインふくいというキラキラネーム臭のする新設第三セクターが並行在来線として開業しました。今までは特急サンダーバードと特急しらさぎが毎時2本ずつ走っていましたから、線路容量の空いた分を使って増発したダイヤを組んでいて、地元密着の生活路線としての姿勢を鮮明に打ち出しています。福鉄はそれこそ昔っから福井~鯖江~武生間で国鉄と併走していますけれども、今までは普通列車の本数であったり駅数であったりと細かい部分で上手に棲み分けが出来ていたから特に問題はなかったん小ですよね。ただ、これからは「フリークエンシー」という部分で完全な競合相手となります。地鉄の滑川~魚津だとか、経営危機が叫ばれている弘南鉄道の大鰐線みたいな国鉄と地方私鉄の併走区間は、そもそも都市間輸送を担う国鉄と、域内輸送を担う地方私鉄という「役割の違い」で併存していた経緯がある。それが、今や旧国鉄が地方私鉄の領分に踏み込んで来ており、少子高齢化に伴う乗客の奪い合いが始まっている。並行在来線問題に弾かれて話題にもなりませんが、結構悩ましい問題なのではないかと思いますね。

福井駅から少し離れたビジネス旅館に荷物を置き、軽い体で福井駅前周辺の繁華街へ。平日の夕方、市役所前改め、福井城址大名町の電停では、オフィス街から退勤する人の波がありました。そう言えば、前回の福井遠征も平日の休みで来ているような・・・福井鉄道、以前は土休日と平日のダイヤが違いまして、やっぱり来るなら平日だななんて思っていたのですけど、北陸新幹線の敦賀開業に合わせた2024年3月のダイヤ改正でなんと上下で5本の増発。初電終電の繰り上げ繰り下げの実施が行われました。噂では薄給と激務により運転士の退職と同業他社への転職に歯止めがかからないらしく、それで先日まで一部列車の減便とかやってたんだよなあ。そんな中で増便とか大丈夫なんだろうか。乗っていると、何となく比較的若い運転士氏が目立つんですよね。現業を指導する経験のある中堅~ベテランの運転士さんとかが少ない印象を受ける。そのくらいの年齢層になると、やっぱりそれなりの給料を払わなければ生活だって大変になってしまうだろうし・・・そうそう、ダイヤ改正と同時に料金改定をして15%の運賃の値上げも行ったんですよね。この賃上げが、従業員の待遇改善に繋がればよいのですが。

福井銀行の本店をバックに、福井駅前~福井城址大名町間の通称「ヒゲ線」に入って行く旧名鉄組。福井駅前、新幹線開業に伴い駅前の大規模な再開発が始まっていて、以前は昭和の雰囲気がプンプンした長屋のような雑居ビルが立ち並んでいたエリアは跡形もなく取り壊されていた。その跡地には現在タワマンが建設中なのだが、いくら駅前といえども福井駅前のタワマン、いったいどのくらいの値段で売り出しがかかるのだろうか。福井駅前電停も、以前より少し福井駅寄りの駅前広場の中まで延伸され、小ぎれいな電停に変貌していました。変わりゆくヒゲ線の風景の中でなにか面影を探しているうちに、目についた商店街のカバン屋さん。婦人向けとおぼしき店頭に並ぶその懐かしきデザインを見て、そっとシャッターを切りました。

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