青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ソラモノイロイロ

2014年01月25日 23時35分48秒 | 京浜急行

(カブリツキパラダイス@京急800型車内)

全長18m、3扉車が基本形態の京急電車。たいていの車両には運転台と1枚目の扉の間に2人掛けの小さなベンチシートがあって、ここが20m、4扉車がデフォの他の大手私鉄にはないお楽しみスペース。タッパの足りない小さな子供連れでも悠々と前面展望が楽しめる。昼下がりの閑散とした車内で、ここだけが子供の声で賑やかなカブリツキパラダイス。


京急鶴見駅で快特とエア急を退避する800型ダルマ。線内の普通車ではお馴染みのクルマでもある。あ、そーいや「普通車」っつー言い方って京急独特ですよね。職場に京急で通って来る若い女の子(当然非鉄)が「今日はいつもの普通車に乗り遅れたんで特急で来ました」って会話を聞いてちょっと違和感を覚えてしまったのだが(笑)。小田急沿線の文化では全部の駅に停まる列車は「各停(各駅停車)」なんだよな。まーその子は浦賀生まれの生粋の京急っ子なんで…駅のホーム放送でも「普通車品川行き、ドア閉めま~す 前方ヨシ・側面ヨシ」なんて言ってますからねえ。


今日は曇りベースではあったけど、最近の冷え込みに比べれば随分と暖かい日でありました。京急川崎で子供に「どれみふぁのでんしゃのりたい」と申されたので要請に基づき何本か待ってみたのですがスカ…シーメンス車も少なくなりましたなあ。アテが外れた男性陣、今度は女性陣の要請に基づき羽田空港方面へ。蒲田から空港方面は京成電車も混じって来るので、子供的にも新鮮みたいですね。

  

空港のデッキから第二ターミナルを。ANA系列の駐機エリアなんで青い飛行機を無為に眺める。見渡す限りのANA・ANA・ANA…ふいに阿部幸太郎の事を思い出してしまった。ANA党専科とか言われてクスッと来る人は90年代千葉テレビとかTVKで競馬中継ばっか見ていた人間確定ですw

  

ヒコーキ関係には全く疎いのだが、駐機場の中でも一際目立っていたのが全日空の旧塗装機。機体上部のブルーのラインから「モヒカンスタイル」と言われていたそうだが、子供の頃父親がこの機体色に塗られたロッキードのトライスター(古っ!)のミニチュアモデルを出張土産にくれたのを今でも覚えている。「ALL NIPPON AIRWAYS」のロゴも懐かしいね。2009年に就航して、この塗装で飛ぶのは今期いっぱいみたいです。テツだけじゃなくて、ヒコーキもリバイバル塗装ブームなんですかねえ。離陸シーンも撮ってみたが、長いタマで動くものを追っかけるような撮り方は撮り慣れてないから難しいわ。周りを見ると500mmの長玉を振り回す職人が一杯。NikonのD4に一脚付けてNikkorの500mmVRとか振り回してる若い兄ちゃん、そんなカネあるんだったら俺にくれよ!w


しっかしヒコーキなんて2年前の秋に富山に行って以来乗ってないですなあ。千葉方面に住んでれば成田発着のLCCとか使って旅行に行ってもいいのかもしれないけど。早割とかバリバリ使って日帰りで帯広だ若松だ行ってた頃が懐かしいですねえ。まあ贔屓にしてたのが日本エアシステムって時点で遠い昔の話だがな。でも、JASのB777-200レインボーセブンは普通席でも全席モニター付きの名機だったんだよ。ドル箱の千歳便とかでもMD-81みたいなクソ狭い機材を突っ込む会社でもあったけどな(笑)。

 

ひとしきりヒコーキを眺め、昼食を済まし、下の子のオムツを替えて、食事をさせて…とこういう細々とした事をするのに羽田空港って設備が整ってるから便利だよなあ。これがヨメさんが羽田空港方面に行きたがった理由の一つなんだが、親子鉄をするのにも見る場所におけるアメニティ設備の充実と言うのは重要なポイントです。しかし下の子は一応(?)女の子なんだけど、アニキの趣味に引っ張られて過ごしているとやっぱり鉄子方面に行っちゃうの???と言う心配をよそにアニキ(笑)は「こんどはなにのってかえる?」と言うので帰りはモノレールに乗せてやる事に。一応ヨメさんには羽田空港限定の美味しいスイーツ(笑)をお土産に持たせて東京モノレール、君も僕ものれーる。


空港第二ビル→国際線ターミナルの2駅分をモノレールで移動。駅の暖かい待合室からモノレールを眺められるスペースがあったのでここで暫し駅撮りしていく事に。日立アルウェグ式(跨座式)VS三菱サフェージュ式(懸垂式)と言う図式の日本のモノレール市場ですが、アルウェグ式の代表がこの東京モノレールですね。当初は日立資本でしたが、現在は売却されてJR東日本グループの一員。ちなみに三菱サフェージュ式の代表が湘南モノレールですが、あれは沿線にある三菱電機の鎌倉工場がサフェージュ式の実験線的な意味合いで建設した一面もあるんだとか。

 

東京モノレールも今月から歴代の全塗装を復活させ、ヒストリートレインと銘打って走らせているそうで…まあちょっとこのネタを小耳に挟んだからこそ息子の依頼に応じたとも言えるのだが(笑)。今日は500型塗装の紅白のカラーリングを纏った1000型が運用に就いてましたね。運行初日は浜松町から歴代の色を10時発の列車から続行で全部出しすると言うパレード形式のイベントをやったんだそうで、なかなか凝った演出。秩父の旧101系とか富士急の1000型とかでもやればいいのにねえ。


モノレールと言えば、我が地元の向ケ丘遊園にも遊園駅から遊園地を結ぶ短いモノレールが走っておりました。あれは跨座式の亜種であるロッキード式だったか。ゴムタイヤのアルウェグ式と違ってロッキード式は鉄の車輪で走るもんだから、2両編成の小さなモノレールがそれはもうとんでもない轟音を立てて遊園のダイエー前の空中を走り抜けていたものだ(笑)。ロッキード式なんて言われると、航空技術とモノレールの技術ってのにも何らかの共通性があったのかなかったのか。

ちなみに大学の小田急バイト時代、平日の遊園駅モノレール改札の日勤業務と言うのがありまして、狭い小屋の中での一人勤務と言う条件で、まあ客が全く来ないからとにかく何もやる事がない(笑)。人生であれほど黙って時計を見続けるだけのヒマな時間を過ごしたことはねえよって感じでねえ。なんかあそこにいると、余りにも誰からも声かけられなくて、自分の存在が消えて行くような気がするほどだったからなあ…何もしないことがこんなに苦痛である事を知ったと言う上では得難い経験だったんだけど、遊園管内で言えば「G1時の競馬対応の登戸駅よりも 寒いホームの朝勤よりも もっと哀れなのは 忘れられたモノ日勤です」って感じで、何ともマリー・ローランサン的なw


国際線ターミナルから京急で蒲田に戻り、「どれみふぁでんしゃ」を再度待ってみたのだがやっぱりスカ…2100は来たんだが、とっくにシーメンスのVVVFが取っ払われた2101Fではなあ。去年内装もフルレストアされてるんで乗ってる分にはいいんだけど。トップナンバー編成なんだし、けいきゅんマーク付けるくらいならシーメンスのインバーターを残しといて欲しかったぜ(保存車的な意味合いで)。
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夕暮れ便り新百合編

2014年01月19日 22時07分47秒 | 小田急電鉄

(パールホワイトの夕照@新百合ヶ丘付近)

前回のエントリーに続き、似たような路線でお送りする本ブログ(笑)。今日は実家に帰ってたんだけど、めっきり冷え込んだ夕方に子供と嫁さんを両親に任せてぶらっと。オートバックスでまた懲りもせずスタッドレス買おうかどうか眺めた挙句、また決断を下せないでいる自分。そうこうしているうちに新車の初の冬シーズンは終わってしまいそうだが…帰りしなに通りがかった新百合ヶ丘で、線路にいい夕日が入っているのでちょっと撮ってみた。下りのVSEが新百合をゆっくり通過。パールホワイトに差す夕日。


この辺りは津久井道に沿って線路が走ってて、自分の記憶ではもっと線路際の柵が低く撮りやすかった記憶があるのだが、万福寺の山が削られて再開発された頃に歩道沿いの柵がかさ上げされてしまった。新百合ヶ丘の駅も周囲はすっかりビルに囲まれて、さがみ/えのしまEXEの編成後部分はビル影の中。


冬の夕方のいい光ってのは本当に一瞬だ。津久井道から線路をくぐって百合丘の二丁目側に出てみたら、あっさりと冬の夕日は丹沢の向こうに消えてしまいました。特急以下の各種別が発着番線入り乱れ吸い込まれて行く新百合界隈、特に新宿から下って来る電車は優等がランド2号踏切あたりから各停のケツをつつく形になるのが常なので、ゆっくりゆっくり新百合に進入して来る。そんな下り電車の乗客に見られながら1000系幕車の快速急行新宿行き。息子よ、これが編成美だw


川崎市麻生区の新百合ヶ丘。いつのまにやら「川崎の山の手」なんて代名詞も(誰が付けたんだよ!)付けられるほどの高級住宅街となりまして、戸建てで駅から歩ける範囲だと8,000万円はくだらないんだぜ。百合丘から新百合にかけての津久井道の道沿いなんかずーっと山でさ、ヘタすりゃタヌキが轢かれてお亡くなりになっているような場所だったんだけどなあ。未だに所詮麻生区なんて多摩区から生まれたヒヨっ子のくせによ!と言う思いが捨て切れず、NGワードは「多摩急行」という生粋の多摩区民のアタクシには、遊園の没落と新百合の躍進に、庇を貸して母屋を取られた感がしてならないのでありますが。

ビルの向こうの丹沢の稜線だけが変わらない、新百合ヶ丘の夕暮れ便りです。
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新町にて

2014年01月18日 23時28分22秒 | 京浜急行

(お疲れさんです@神奈川新町駅)

先週の画像から。
午前中ちょいとの私用と高島線界隈を軽く撮って帰宅したアタクシは、子供に「どこ行ってたの!」と怒られて結局もう一度出掛ける羽目になったのでありました。休みの日はお父さんにどこかへ連れて行って貰えると思っているらしい。まあ親として子供に頼られているうちが華なのかなと思わなくもないのだが、結局リクエストがいつもの京急なので連れて行ったのが神奈川新町の駅。よーするにもう一度ほぼ同じ場所に戻って来たと言う(笑)。この駅には駅の南側を跨ぐ人道橋があるのだが、ここから暫し京急を眺めます。


足元をびゅんびゅんとかっ飛ばして行く京急電車。既に何回も眺めている新町検車区のいつもの風景…ですが、時刻は冬の夕方時。冬らしい低い位置からの西日が、新町の検車区の複雑に組み合わさったレールに反射してはっと息を飲むような光景。構内を渡る踏切には帰りを急ぐ人の波。この踏切は京急線とJRに挟まれた島のような街(神奈川区亀住町)に繋がっているのですが、新町検車区やら東神奈川のハマ線の電留線やら鉄道施設が見放題と言う何とも恵まれた(笑)環境の街でもあります。


夕日に光って、飴細工の糸のような金色のレールが綾をなして流れる。
新町止まりの車両の入庫が足の下で行われていて、子供的には1番線→引き揚げ線→入庫線と頻繁に入れ替わる進行方向が面白い様子…手前の架線柱のビームは五月蠅いけど、いつもの風景が光の変化でこうも違って見えるものなのだなあ。日が傾き、亀住町の家から夕飯の匂いが流れて来る。冬の夕方の風は冷たく、子供を風邪引かせる訳には行かないんだけど、日が沈むまでその風景をずーっと眺めてしまいました。
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ハマの路地裏物語

2014年01月13日 20時29分45秒 | JR(貨物)

(青空、単回、倉庫街@東高島駅付近)

年末年始が挟まった関係で、「部品の手配が付かない」と言う業者の言い訳により修理に出した当人ですら忘れていたNikkor70-300が戻って来た。日付を確かめてみたら、修理に出したのが12月の上旬と言う事で約1か月半もかかった様子…まあ年末年始に何か特別の撮りモノがあった訳じゃないからいいんだけど、それでいて特段安いとも思えない費用が掛かっていることを考えると、素直にNikonのサポセンに修理出せばよかったぜ。ってな訳で午前中だけ時間を貰って新レンズの動作テストを兼ねてぶらりと高島線方面へ。青空の広がった連休の最終日、冬らしい透明な日差しの中を単回の桃太郎が通り過ぎる。


あ、「高島線」なんつってもお鉄趣味の人にしか分からないかもしれませんが、東海道線とは別ルートを通って鶴見から横浜市内の港湾部を通り、根岸線の桜木町へ抜けて行く貨物線の事です。やれベイクォーターだMM21だとシャレオツな風景が広がるハマのウォーターフロントですが、どっこい古びた倉庫街と小さな鉄工所、そして運河の中を進むシーンもあったりとその沿線風景は古き良きヨコハマのイメージが残るディープな空間でもあります。タグボートが行き交う運河の向こうを、ブルサン牽引の倉賀野行きタンカートレインがのっそりと通り抜ける。


東高島駅から続く倉庫街を、EF210に牽引された八王子行きタンカートレインが走り抜ける。枝葉のように分かれていた支線からの物資輸送がなくなった今、高島線はもっぱら根岸にあるJX日鉱日石エネルギー根岸輸送所からの燃料輸送の主要ルートとして使われとります。前はEF64・65が多かったと思うんだけど、あっという間にEF210天国になってしまったなあ。


横浜駅東口のMM21地区を走る根岸行きEF64(JR貨物色)。旧高島埠頭地区も親水公園として整備されました。横浜BRITZやサッカーの横浜マリノス練習場なんかも近いオシャレ地区ですが、このお立ち台にはロクヨンを狙いに来た同業者多数…(笑)。ここはきれいに順光で抜けるからかもしれないけど、ちょっと前ならロクヨンなんて普通に撮影出来たと思うんで時代の流れを感じます。個人的にはロクヨンと言われると南武線の石灰貨物だなあ。赤ホキを引き連れて奥多摩から青梅線、南武線を通って浜川崎まで。日中の南武線では珍しくもない存在だったけど、タタタタン、タタタタンと言うリズミカルなホキ車のジョイント音が今でも耳に残ってます。


出田町埠頭の踏切から宇都宮貨タ行きのEF210。この踏切は新鶴見方面行きなら結構長く抜けるのね。普段は仕事以外の人間なぞめったに来ないような無機質な港湾地区の中を走る高島線は、列車頻度の割には複線区間もあったりするしっかりした貨物線ですが、線路脇の枯草の手が入ってない雑然とした感じに「ハマの裏路地」的な雰囲気を感じます。それにしてもここんところの寒波襲来でみんなフル編成持って出荷しているみたいですね。


同じ場所から今度は返空の根岸行きEF64を…っていくら何でも足回りのトタン板どーにかなんなかったのかよと言う写真ですが、言い訳させて貰えば最初に決めたアングルに大型トラックが入って来ちゃって、直前で切り替えざるを得なかったんです(泣)。まあこれは関係者以外誰も来ない埠頭の入口の踏切でデンシャの写真を撮ってるモノズキが悪いんであって、お仕事中のトラックの運ちゃんには知ったこっちゃないよと言うのは分かりますがね(笑)。ってかこんな時だけ広島更新色のロクヨン&順光&ピンもしっかり合っているってーのは…さすが全検明けのNikkor70-300、無駄にキレッキレです(笑)。あまりのヒキの弱さに、再履修決定事項ですかね。

 

この高島線界隈、昭和の時代には埋め立て地にある工場向けにそれこそ網の目のような支線を持ち、材料の搬入・製品の搬出に利用された文字通り京浜工業地帯の大動脈でありました。御多分に漏れず時代の趨勢の中で鉄道の役割はトラックにその座を譲り、ほぼ全ての支線が現在はその役割を終えちゃってるんだけれども、沿線を歩けば鉄道貨物華やかなりしころの遺構に触れる事が出来ます。そして、その世界は「あぶない刑事」の世界であって、倉庫の裏からタカとユージが出て来て茶ワムの並ぶ貨物駅で銃撃戦をおっ始めそうな…そんな雰囲気があります。

瑞穂埠頭に向かう廃線跡の立派なトラス橋は、在日米軍のドックに繋がっていた支線のなれの果て。
錆びた鉄条網と金網の向こうに、冬の冷たい太陽が光っていました。
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第16回蛭子バス

2014年01月05日 05時30分30秒 | 日常
早いもんで正月休みもあと1日。カレンダーを見るにつけ焦りばかりがこみ上げて来るのでありますが、そんな中昨晩は新春恒例・第16回目の蛭子バス。最近は安定して12%台の視聴率を叩き出すテレ東きっての優良コンテンツ、18:30から21:45まで子供の世話そっちのけでテレビの前にカブリツキ(笑)…だったのだが、結果から言うと番組初の2回連続での失敗。うーん、今回のルートである「館山~会津若松」って聞いた瞬間から何の脈絡もないルートだなあと思ったのだけど、回を重ねる毎にそもそものルート設定がかなり行き詰っている印象を受けましたねえ。それでは雑感をダイジェストで。

・今回のマドンナである「ちはる」って見ても言われてもピンと来なかったが、「マモーミモー野望のテーマ」の人か…
・ちはるの見た目は目を細めると菅野美穂に似ている。
・朝からカツ丼。2014も不変の蛭子(収録は2013年だけど)
・会ったその日に「なんか見た目がバカっぽいんだよね」と蛭子がちはるを断罪w
・予想通り房総半島を抜けるのに一苦労。今回のルート聞いてまず思った事だが。房総半島南部の過疎っぷりなめんな。
・大多喜の案内所(小湊バス)でルートを尋ねられたおばちゃんが「長男に聞いてみます」と言ってルイルイが「長男に聞くんだ!?」と驚いていたが、アレは「私では分からないから長南(の営業所)に聞いてみます」って事だよね。大多喜地区の主幹営業所だし。
・女子高生が「九十九里鉄道のバスがあります」と言ったのはなんか萌えた(笑)。
・蛭子がトイレで見つけたバスの運ちゃんを腕抱きかかえて捕獲@八街
・初日の佐原泊で番組初のカラオケボックスでの夕食。佐原くらいの街ならチェーン店の居酒屋くらいあるだろうに…
・と言うか大手チェーンだとスポンサー様のシバリが出ちゃうからダメなのかな。
・そーいやこの番組で食事が大手のチェーンだったことないよね(コンビニは除く)
・バスの行き先「江戸崎」を見て「稲敷市なんだ!」と驚くルイルイ。平成の大合併で地名が消えている事を実感。(旧)江戸崎町より稲敷市の方がわからんw
・石岡の乗り継ぎで「かしてつバス」が小川とか玉造の方に出ているのを見てなんか悲しかった。
・水戸の茨交バスの営業所の案内がちょっとなあ。新米の人らしいが。
・この辺りから、今回は人に聞きすぎて決められないリーダー・ルイルイの決断力不足が目立ち始める。
・水戸からなら常陸太田方面に行った方が良かったんじゃ…日立市とか大子に抜けられると思うのだが。
・烏山の山あげ会館のお姉さんのよどみなさに、アンディランドのカメ実況を思い出す。
・後半戦は寝てる蛭子&マドンナにマジでルイルイがキレ気味になって来るのが分かってハラハラw
・「路線バスの旅音頭」製作希望。
・今回のMVPは東野交通黒磯営業所。よく2時間も付き合ったな。
・「108」でとうや交通、マイナーだが一応東武グループで、昔は鉄道も走らせてたんだよな。
・フリースの上にシャツを着るとんでもないファッションの蛭子。
・4日目のスタートが11時って時点で詰みだなとは思いました。また白河の関の前後で歩きかよ…
・JRバス関東の白棚線のバス停(古関バス停)、廃線跡を転用した一本道の雰囲気が色濃く残ってていいね。
・そして白河行きと棚倉行きが同時に来て慌てる一行。さながら列車の交換のようだったw
・白河あたりでルイルイがプレッシャーと寒さで疲労困憊、思わずあの蛭子がコーヒーを買って差し入れる一幕も…
・あの蛭子が差し入れる、と言う状況が、ルイルイのテンパり具合を表しているのだろうなあ。
・郡山でジ・エンド。相当な悔しがり方だったが、果たして正解はあったのだろうか。
・自分としては福島空港をうまく使えば、常磐交通とか福島交通あたりが何とかしてくれるのではと思うが。
・そういう意味で4日目の11時出発って時点でアウトだよねえ。

今回気になったのが、人気番組になったせいなのかバス会社の現場が無理難題にも応対してくれるんだけど、正直そのご厚意にみんな甘え過ぎているのではないかと。普通運行中のバスの運転手にあんなに質問攻めに出来ないと思うんだけどなあ。東野交通のバスの営業所に2時間とか、運行中のJRバスを道の真ん中で2台止めて質問攻めとかありえん(笑)。もうちょっと最低限の要点だけに質問は絞って、自分で決断してかないと…逆に聞きすぎて選択肢が狭められちゃう(水戸でのバス見送りとか)のも目立ったので。他にも開店前の食堂でメシを用意してもらう事も数回…ストイックさが減って来たような気がしないでもないw

ともあれDVD発売とか行きつくところまで行ってしまった感じはあるこの番組。
栄光期から爛熟期に来て、過渡期が来ているような気がします。
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