青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

暮れゆく2010

2010年12月31日 21時55分13秒 | 日常

(画像:暮れなずむ)

帳の降りた2010、我が街の夕暮れは藍を流した冬空に残照のグラデーション。ソバを茹でて酒を飲み紅白を見ていると言う普通の大晦日です。去年と違うのは、子供がちょろちょろとじゃれては部屋のものをひっかきまわす事くらいでしょうか(笑)。しかし紅白もすっかりNHKの番宣の一つになり下がってしまったのだな~と思わずにいられない今年の人選ですな。まあ昔から大河枠とか連ドラ枠とかあったけど、みんな国営でお世話になった(またはなる)人間が出てる妙な内輪感、それを殊更に強調する構成と言うか…未だに紅白をやはり特別視する一般大衆としては、それは国営による紅白の私物化だと思うのだがいかに。いちいち「来年のNHKの○○主演の…」とかうっさいよホント。そう言うのはスタジオパークでやれってーの。個々の出演者には特に含みはないが、並べて見ると「オトナの事情」と「政治的力学」があからさまに見える、そんな感じですかね。身内と事務所に阿る紅白に、国営のこの番組に対する自信のなさが感じられると言うのは言い過ぎでしょうかねえ。まあとりあえず松下奈緒は美しいからいいんだけど。正統派の美人ですよねこの人。

さて、あと少しで年も変わりますが、色々とご無沙汰をしている皆様には申し訳なく思うとともに、一応は元気でおる事をご報告させて頂きます。つか年を取る事の簡単さが最近骨身に染みる。正月は冥土の旅の一里塚、なんて昔の人はうまい事を言ったもんだ。
今年のご愛顧に感謝するとともに、来年も当ブログを宜しくお願いします。
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今年最後の富士拝み

2010年12月30日 23時00分00秒 | 日常

(笠雲富士@寿~三つ峠)

先週の日曜日に今年最後の富士拝みって事で午前中だけ富士急沿線に行ってみました。静岡側の富士山と違って山梨側は北から富士を見る事になるので光線の捉え方が難しい。撮影出来る場所は限られている中で、この富士急の寿~三つ峠の間は桂川沿いの谷から富士を仰ぐ事が出来ます。この日の富士は笠雲、伸びやかな稜線を隠す事なく上手い事写真のアクセントになってくれました。


この区間は富士吉田に向かって1000分の40の上り坂、カーブに車輪を軋ませながら山を降りる濃紺と水色の富士急リバイバルカラー色。富士急の主力車は元京王5000系で、京王線近代化の祖と言える屈指の名車であります。一昔前の競馬場線とか、末期は新宿から直行の競馬急行に使われていたんでよく乗ってましたねえ。府中競馬正門前行だと蹄鉄のマークだったり、多摩動物公園行きだとライオンのマークが付いてたんだよな。

さて、仕事納めとなりましてようやく明日から正月休み。まあたった四日間しかないしどうにもならなそうだが…ちっとも年末感のないまま年末になってしまった。初日の出、初詣、実家挨拶で終わるのではなかろうか。まあともかく一年間御苦労さま俺。
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たまに行くならこんな店

2010年12月29日 23時50分44秒 | 日常

(画像:あまり行きたくない)

ええ、小ネタですよ小ネタ(笑)。
山梨県富士吉田市某所にて。
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さらば、僕たちの学び舎

2010年12月26日 20時50分57秒 | 日常

(懐かしの手書き出走表@中央競馬ワイド中継)

今日は午前中ちょっと出掛けていたのだが、中央競馬ワイド中継の最終回を見届けるために早々に切り上げて帰宅した。12時半にいつも通りの中継がスタートして、最終回ですねなんて話はおくびにも出さずに淡々と進む長岡一也のオープニングトークに合わせて出て来たのがこの懐かしの出走表。ちょっと2枠の部分にやっつけ的な仕事のヌルさはあるものの、見た瞬間やられたと思いました(笑)。逆に言えば一番熱心に見ていた時期がこのスタイルだったからなあ。当時から同じ出走表でもベージュのボードと水色のボードと2種類あったような気がするのだが、何か違いがあったんでしょうかねえ。昭和60年から足掛け25年間、そのうち自分が見て来たのは20年間くらいで、最もコアに見ていたのが12年くらいでしょうか。
1部(12:30~14:30)の途中で過去の出演者たちからのメッセージ紹介、初代MC小林皓正さんはまだまだ元気そうで、久し振りに「ご機嫌よろしゅう」って挨拶を聞いたぞ(笑)。「中央競馬大作戦(RFラジオ日本)」とか聞きながら予想してた頃が懐かしいよ。対して松沢俊夫と松本憲二(暴力団)はすっかり歳を取ってしまったんだな、と言った風貌でしたねえ。松沢さんもトレードマークの渋い声が老人のそれになっていたし、マッケンに至ってはパンチやめて白髪のオールバックになってたしねえ。パンチじゃないマッケンなんてマッケンじゃないやい。マッケンはパンチで、内炭重夫は上岡龍太郎似で、坂本日出男は驚いてなくちゃいけません。あ、それは週刊競馬ブックの話だが。

2部に関しては思い出を残すために思わず録画してしまったw
最終レース、最後の柏木御大のメイン回顧、最終の阪神競馬、そしてお別れの挨拶。
スタッフと出演者には今年の4月にこの放送が終了する旨通知が行っていたそうで、そのせいか長岡アナと出演者からのお別れの挨拶も、25年続いていた番組にしてはあっさりサラッとしたもの。宮嶋千佳子あたり泣くかと思ったのに(笑)。思えば宮嶋さんって柏木&長岡に負けじと1992年から18年間もこの番組のアシスタントをやってたんだねえ。最近は目尻に小ジワも増えて経年劣化は隠しようもなかったが…

そのお別れの挨拶、長岡&柏木の「まあ競馬が終わる訳じゃないですしね」と言うコメントに、この番組の立ち位置が現れていたような気がするね。あくまで中継に携わる司会者も出演者も黒子に徹したと言うか、変に当たった外れたで騒がず、基本的にはレースとパドックを中心にした番組の仕立てがシンプルで心地よかった。昼の「ワイド中継」夜の「ハイライト」とともにフジのバラエティ路線と違い華やかさのかけらもなかったが、レースごとの解説や差し挟まれるエピソードや話題や特集コーナーには駆け出しにはマネの出来ない「長年競馬が好きなヤツラ」の取材だったり喋りがあったと思うんよね。んで、そのサジ加減がマニアック過ぎずガキっぽくもなくちょうど良かったんだよな。間違いなく関東の、私達と同年代±10歳くらいの人達はこの番組を「知識の学び舎」として競馬にのめり込んで行ったのだと思う。
2部の最後、現場組が中山のウィナーズサークルから一言コメント。その背後に一般ファンと思しき大勢の人々が「長い間ありがとう」「中央競馬ワイド中継よ永遠に」なんて手書きのボードを出していたのだが、その大勢をよく見るとやっぱ同年代なんだよねえ。たぶんみんな自分と同じワイド中継の塾生たち。その中で「I LOVE 柏木」なんてボードもあって笑ってしまったのだが。柏木信者かよ!でも気持ちは分かるぜ!

月並みですが、私も塾生として一言。
出演者並びにスタッフの皆様、25年間本当にお疲れ様でございました。
さらば「中央競馬ワイド中継」そして「中央競馬ハイライト」。
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冬将軍到来

2010年12月25日 21時06分45秒 | 日常

(画像:朝焼けの街@腰越通り)

今朝は風が強く気温も低く物凄い寒かったのだが、意外に海側からの雲が入って来て富士拝みはなし。と言うか江ノ電には行くつもりなかったんだけど、家を出て来る時に使いたかったレンズ置いて来ちゃってね。やる気なく引き返して来た途中で腰越に寄ったんだけどね。この時期七里ヶ浜からは小動の岬越しに真っ白い富士が望めるのだが。今年最後の土曜の朝、朝焼けの腰越電車通りを江ノ電が静かに進む。

関東地方は気温低くとも昼からはスカッ晴れに恵まれたのだが、裏日本とか東北は凄い雪になってるみたいですね。テレビで見てた阪神競馬でも小雪がチラついてたようだが…気になって鉄ヲタにはおなじみの会津若松駅ライブカメラを見たら凄い事になっていた(笑)。さすが会津の雪は違いますな。思えば今の車を買った時にスタッドレス履いて、喜び勇んで豪雪の奥会津に出掛けたっけねえ。さすがに5年経ってるんで今年の冬はそのスタッドレス履けるかどうか微妙だけど…こう言う雪景色を見ると本格的な冬シーズンの到来を思うとともに、今すぐオートバックス行って新品のスタッドレス履いて雪道走りたくなるなあw
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