青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

黄昏の 貴志の窓辺に 日が暮れて。

2022年05月23日 17時00分00秒 | 和歌山電鐵

(黄昏終着駅@貴志駅)

夕暮れ迫る貴志駅。現在は合併して紀の川市となっておりますが、旧貴志川町の中心市街にある駅。そう言えばお隣の大阪にも同じ読み方の喜志駅ってのがありますね。「喜志駅周辺何にもない」の喜志駅ですが、こちら和歌山の貴志駅も既に夕方となってはめぼしいものが何かある訳ではなく、一緒に乗って来た乗客たちはそそくさと迎えの自家用車に乗って帰宅してしまった。そんな駅にポツンと一人取り残される、どこの地方ローカル私鉄でもよくある光景。

猫の目と耳をモチーフにした貴志駅舎。本当であれば、貴志駅には猫のたま駅長をモチーフにした猫カフェだったりグッズショップだったりがあるはずだったのですが、既に午後4時に店を閉めており暗がりの中。待合室に掲示された歴代の猫駅長たちのご尊顔を眺めながら帰りの電車を待つ静かな時間。まあもとよりそんなに動物に興味がある訳でもないので、大勢の観光客に巻かれながら過ごさなくて良いのはありがたいか。

終点の貴志駅に到着する折り返しの電車。既に行先は和歌山に変えられております。合併するまでの貴志川町は、いちごを始めとする農業や水田を主産業にした人口2万人程度の小さな町。町の名前の由来である貴志川は、遥か高野山を源流とする紀ノ川の支流ですが、この貴志川町から一つ山を越えた上流部を野上電鉄というローカル私鉄が走っていました。南海本線で使い古された旧型の車両がトコトコ走っていた貴志川線と同様、関西私鉄の旧型車両を集めた最強にレトロな雰囲気の鉄道でしたが、貴志川線と違い地元の独立資本だったこともあり、欠損補助の打ち切りにより1994年に廃止となっています。

車庫は途中の伊太祁曽駅にありましたが、終点の貴志駅には機回し用の側線があって、線路の突っ込みの場所に小さな保線基地が置かれていました。保線用車両の隣に停車するたま電車。和歌山電鐵は朝の和歌山~伊太祁曽間に区間運転があるものの、伊太祁曽~貴志間は基本的にラッシュでも日中でも30分に1本の運行。

日中は観光客でごった返していた車内も喧噪が引け、これからは地元利用の時間帯・・・のはずですが、この時間から和歌山の街に向かう人はおらず、傾きかけた夕陽に照らされた紀州路を戻る。茫洋とした田園と農村の風景が次第に街並みに変わって行くと、和歌山駅に戻った頃にはすっかり日が暮れて青い時間。南海電車らしい尾灯一灯点けで折り返しを待つ電車を見送って、駅の近くの安いビジネスホテルに転がり込むのでありました。

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緑濃き 大池遊園 深春や。 

2022年05月21日 09時00分00秒 | 和歌山電鐵

(走れ、たまでん@和歌山電鐵貴志川線)

通勤・通学客を乗せるだけなら決して必要ではない設えが並ぶ「たま電車」の車内。いわゆる水戸岡デザインでは木工用具とアルファベットを中心としたレタリングのデザインってのはある意味定番化していて、一部界隈からは食傷気味・・・などと言われたりもしますけども、まあ鉄道車両という制約の中で要件を満たすデザインというものも大変なんでしょうね。あと、デザインや調度品の製造メソッドがあることで設計料も安く済むとか、そういうのもあるでしょうしね。どっかの本で読んだんだけど、「観光列車を作りたいんだけど、この予算内で収めて欲しい」っていう要望の中で最大限のデザインが出来るのってやっぱり水戸岡氏率いるドーンデザイン研究所ってのが一日の長があるのだそうで。

伊太祁曽を過ぎて、列車は紀ノ川流域から支流の貴志川流域へ。夕方が迫って来ましたけど、西の国は日が長い。もうちょっと途中下車が出来るでしょうって事で、大池遊園駅で下車。駅の入口になかなか年代物の筆致の看板。「おおいけ」ではなくて「おいけ」遊園。意外な難読駅名。

大池遊園は、和歌山市・紀の川市・海南市の3市にまたがる周囲約4kmの大きな農業用のため池。「遊園」と言っても遊具や遊園地がある訳ではありませんが、池の周りにはたくさんの桜が植えられていて、春は桜の名所。池のほとりには古い料理屋さんなんかもあったりして、近郷近在昔からの憩いの場だった事が伺えます。池のほとりの貸しボート、流石にこの時間では借り出している人はおらず。

ちなみに大池遊園、真ん中を横断するように貴志川線の線路が通っていて、低い橋脚で二回大池を渡ります。貴志川線は「桜の時期の大池遊園」ってのが一番フォトジェニックなシチュエーションで、貴志川線でちょっと画像を検索するとそういう写真が一杯出て来るからぜひご覧になって欲しい(笑)。大池遊園まで乗って来た「たま電車」が帰って来ました。もうとっくに桜の時期は終わってましたけども、新緑もそれなりに清々しく。

二本目は、アングルを変えて街道沿いの高台から大池全体を俯瞰気味に。背後に見える建物は大池荘と言って、ここも歴史のある湖畔の料亭旅館だそうな。見た目に少々黄昏感があるのだけど、それなりに宿泊需要もあるのだろうか。やって来たのはチャギントン列車。運営会社の岡山電気軌道が権利を買って、岡山市電で「チャギントン列車」ってのを走らせているのでその関連なのでしょうね。大井川のトーマス列車みたいなキャラクターもの。個人的には派手なラッピングよりもノーマルな車両が好ましい人なんですけど、この路線にはその「ノーマル」がないのでそこはしょうがないのかなあ。

池の周りをぐるりと回りつつ、大池遊園の駅に戻って来た。終点の貴志方面に向かう列車は岡崎前で出会った動物愛護ラッピング。系統板を吊り下げる場所に飾られているのはいわゆるウクライナカラーというヤツか。現在進行中の事象だけに何とも言えないけど、こういうのも、時期を経て見ればいずれは歴史の記憶の一ページになるのだろうか・・・

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猫招く 地方再生 ここにあり。

2022年05月17日 17時00分00秒 | 和歌山電鐵

(木の神様を祀る@伊太祁曾神社)

和歌山電鐵沿線最大の神社仏閣である伊太祁曽(いだきそ)神社。大正時代に山東軽便鉄道が開業する際、乏しい沿線人口に対して「沿線の神社仏閣への参詣者」を当て込んで建設された経緯があるのですが、沿線最大の社殿を持つのがこの伊太祁曽神社でした。明治43年の「軽便鉄道法」施行により、全国に雨後のタケノコのように軽便鉄道が建設されましたが、軽便法はそれまでの私設鉄道法に比べて設備の認可基準が緩く、個人でも許可申請が出来たうえ、開業10年間の欠損は国が補填してくれたという大盤振る舞いの法律でした。その中には鉄道会社としてはニーズも資本も乏しく短命に終わってしまった会社も少なくありませんが、大正から昭和の初期にかけては、国策として鉄道の建設が奨励された時期ではありました。

午後も非常に良い天気に恵まれた和歌山電鐵線沿線。これまたあてもなく何となく、途中の駅に降り立っては列車にシャッターを向ける。岡崎前駅にてたま電車を下車。春にしては強い午後の日射しの中、ボディの猫駅長が躍り出す。和歌山電鐵で使用されている車両は、南海からの転換時に承継された2270系。2Mユニットで組成された元高野線の22000系を1M1Tに組み替え出力をダウンサイジングし、ワンマン改造を施した車両。前面貫通路の埋め込みと、運転台側のドアだけが片開きになっているのが特徴。ワンマン車両に求められる降車時の運賃収受とスムーズな乗降の動線を作るためには、片開き扉で戸袋を運転台と反対側に寄せる事で、出入口と運転台をなるべく近付けておく事が必要だったのでしょうね。

岡崎前~交通センター前間。和田川と言う和歌山市内の小さな川の土手沿いを行く。チャリンコに乗った子供たちが駆け抜けていく後を追って、日本動物愛護協会ラッピングの2270系。さすがに「たま駅長」を通じて動物愛護に理解のある(?)和歌山電鐵らしいラッピングと申しましょうか。和歌山電鐵の車両は貴志側がダブルパンタになってるんですね。

電車を待って乗り込む貴志行きは「たま電車ミュージアム号」。車内に溢れんばかりのたま駅長の装飾、GW和歌山から乗って来た「たま電車」とはまた一味違ったデコラティブな車両である。車内は一日乗車券を持った小さな子供連れのお父さんお母さんで溢れていて、その中にデートでやって来た若い二人連れの姿なんかも。沿線利用は自動車に奪われ、南海本社からはそう目立った投資もなく、ジリ貧の気配が色濃かった貴志川線。この路線と車両自体を「たま駅長」の下でブランディングし、観光のアトラクションの一つとして沿線住民以外を呼び込み、路線自体を活性化させることに成功しました。

伊太祁曽駅で交換する「たま電車ミュージアム」と「たま電車」。車体前面上部に燦然と輝くティアラとネコミミ。 何でもありの圧倒的ファンタジックレールである。一般の乗客が躍起になってスマホで車内のあれこれを写真に収めるさまを見ると、貴志川線を再生させるために打ち出したプランが、ある意味鉄道路線自体のエンタメ化なんだろうなあと。

この鉄道会社に、いわゆる地方のローカル私鉄然とした鄙びた佇まいであるとか味わいだとかを求めて来ると、ここではそれを大きく裏切られることになります。地元に根差した利用の促進と全国へのアピール、これが地方鉄道の再生の一つの形なのかもしれません。

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猫の手が 客を呼び込む たま電車。

2022年05月15日 12時00分00秒 | 和歌山電鐵

(東西の和歌山を結ぶ@紀勢本線・和歌山市駅)

加太の街ブラを終えて、和歌山市駅へ戻って来ました。ここからは、南海電車からJR線にお乗り換え。和歌山市街の西側にある和歌山市駅と、東側にあるJRの和歌山駅を繋ぐのがJR紀勢本線の和歌山支線。加太線ホームの隣から出ています。使われている車両は227系の2連で、JR西日本の標準型というフェイス。いつも思うのだが、JR西のこの系統の車両って連結部の転落防止幌が競走馬のチークピーシズにしか見えない。

和歌山市からJRの和歌山駅までは、電車で10分弱。紀勢本線・阪和線・和歌山線が乗り入れる県都・和歌山の中心駅。南紀方面の特急くろしおやら、紀州路快速が忙しなく発着している光景を、一番駅の外れにあるホームから眺める。以前は、和歌山市駅に対してこの駅は東和歌山駅と言われていて、現在の紀和駅が和歌山駅と言われていた時代があったのだとか。

そんな和歌山駅の一番駅の外れのホームから出ているのが、和歌山電鐵貴志川線。鉄道ファンには「たま電車」でお馴染み、と言えばいいだろうか。JR和歌山駅に接続し、元々南海電鉄の支線・貴志川線として本線筋から離れ小島のような形の路線でしたが、収益悪化に伴う南海電鉄の撤退の意向を受け、平成17年に地元和歌山市と貴志川町が音頭を取る形で引受先の存続会社を公募。岡山県の両備グループ(岡山電気軌道)が支援に名乗りを上げ、「和歌山電鐵」の名称で生まれ変わりました。

和歌山市駅を拠点とする南海本線とは接続がなく、南海との合併以降も何となく傍流的な立場を抜け切れなかった貴志川線。架線電圧も長らく600Vから昇圧されなかったせいもあり、南海本線で使い古された骨董モノのツリカケ車両が行き交うだけの路線でした。貴志川線は元々「山東軽便鉄道」として大正初期に敷設された地方鉄道。戦後は和歌山電気軌道(和歌山市内線)と合併し「和歌山電鉄」を名乗って和歌山市街の域内交通を形成していたこともあり、「和歌山電鐵」を名乗るのは二回目という事になります。

車体に踊る猫のキャラクター。「たまでん」なんて言われると、私のような関東モノは「東急玉川線・世田谷線」の緑色の電車を思い出してしまうのですが、こちらの「たま」は猫のタマ。違う意味での「たまでん」です。南海から和歌山電鐵へ転換される際、終点の貴志駅で飼われていた駅猫を駅長に抜粋するという奇抜なアイデアと、水戸岡鋭治氏のデザインによる「たま電車」の導入は、地方再生のシンボルとしてのメディアミックスによって「ねこ駅長」ブームを巻き起こしました。この貴志川線のリブランディングと和歌山電鐵の運営手腕が高く評価され、両備グループの総帥である小嶋光信氏は「地方交通再生請負人」の称号を確立するに至ります。

改札口で初老の駅員氏から一日フリー乗車券を購入し、ホームに停車していた貴志行きの電車に乗車する。「たま電車」に一歩足を踏み入れると、そこには既に和歌山電鐵と水戸岡鋭治氏が作り出す独創的なファンタジスティック・ワールド。車内の本棚も、木のベンチも、連結部の暖簾も、普通に電車として走らせるには不必要なものばかりですが、そこかしこにあふれ出すギミックの数々が、この電車を特別な存在に押し上げています。鉄道ファン的にはメルヘンチックに寄せ過ぎているような感じも受けるのですけど、これこそが和歌山電鐵を再生に導いたメソッドの一つなのでしょう。

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