青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ふらり、城南小私鉄

2016年10月30日 10時26分35秒 | 東京急行

(古豪奮闘!@雪が谷大塚駅)

先日から周り始めている関東私鉄10社スタンプラリー。進捗率は50%弱といったところなのだが、東急のスタンプポイントが武蔵小杉と雪が谷大塚。必然的に武蔵小杉→多摩川→蒲田→雪が谷大塚と流れたので、池多摩線系統に乗る機会に恵まれました。池多摩線系統と言えば今でも活躍する7700系の3連、言わずと知れた東横線の日比谷線直通車7000系をVVVF改造したオールドファンには懐かしの車両。


子供の頃は3500系と3650系あたりの非冷房車が跋扈する旧型車天国だった池上線と目蒲線系統。私が知っているのは緑の時代までですが、さらに古い塗装である昭和30~40年代の濃い藍色&山吹色にリバイバルされた編成があります。さすがにこのレベルになると文献で見た事があるなあレベルのお話ですが、側面にあしらわれた「T.K.K」のロゴが渋い。


蒲田の大屋根の下で折り返し準備のリバイバルカラー編成。東京急行の「T.K.K」だけでなく、小田急の「OER」、京王帝都の「K.T.R」、京浜急行の「KHK」など、一昔前は城南地区に走っていた私鉄電車はどれもアルファベット三文字のエッチングを車体に施していたような記憶があります。


池上線の旗の台駅のホームに進入する1000系標準色。頭上で立体交差する大井町線が2面4線の立派な高架駅に生まれ変わっているのとは対照的に、良い意味での郊外電車感がホームのトタン屋根と木組みの柱に残っていますね。五島慶太直系の目黒蒲田電鉄が敷設した目蒲線と異なり、池上本門寺への参詣客を当て込んだ池上電気鉄道の流れを汲む池上線の駅は、都内にあってもどこか地方の小私鉄然とした鄙びた感じがしてそこがいい。


細かいコルゲートが浮き立つような午後の日差しに洗われて、7700系が旗の台の駅に進入。2代目の7000系が色々な東急の懐事情により増備されないため、特段運用を外れる事もなく今日も走り続けて50年超。東急の現有車両の中では車歴としたら圧倒的なオールドタイマーではありますが、弘南や福島、水間など全国に散らばった同僚たちともどもいまだ健在で、ステンレス車体の持ちの良さを再確認するのですが。
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目糞鼻糞くぬぎ山

2016年10月29日 23時22分50秒 | その他私鉄

(あらこんなところに小田急が@松戸駅)

2週間ぶりのお久しぶりですが、今年も秋の「私鉄10社スタンプラリー」の季節がやって参りました。関東一円に散らばった私鉄各社の駅まで行ってスタンプを押して、各会社ごとのカードを貰ってくるというレギュレーションは去年と変わりません。子供がやりたいって言ってるからやってるけど、時間とカネばっかかかって商品はしょぼいし、達成感と言う個人の感情以外はほぼ実入りのないイベントなので来年は正直ご免こうむりたいところ(笑)。と言う事で最近は首都圏を広い範囲でスタンプ目指してフラフラと彷徨っているのでありますが、松戸の駅で小田急4000系と遭遇して面食らう。綾瀬より向こうでこの色を見ることになるとはね。


今日は東武電車のスタンプ(東向島)と京成電車のスタンプ(京成津田沼・宗吾参道)をゲットしにはるばる千葉方面まで行って来たんだが、行きすがらの駅で新京成のイベントがやってるってのをポスターで見てしまったんで、急きょ予定を変更して東向島から北千住経由で松戸へ出てくぬぎ山に行ってしまった。正直自分の人生の中でまるで縁もゆかりもない新京成の車両には大して思い入れはないのだが、くぬぎ山のタヌキこと8500系は好き。もう残り3編成しかないらしいけど。


ちょっとキ〇ガイじみたショッキングピンクとホワイトと言う全く落ち着かないカラーリングに変えて一体どこへ向かおうとしているのかさっぱり分からない新京成。従来色と並べると、普通にマルーン基調の従来のカラーリングの何が悪いんじゃと思うんだが、しかしこのショッキングピンクは何だか地味な学生時代を送った冴えないボンクラ少年が髪を染めて高校デビューしたようで気恥ずかしい。こんな色使ってるの新京成かC-C-Bのドラマー(笠浩史)くらいのもんだろ。


ちなみにくぬぎ山のイベント、京急とか体験しちゃってる身としては小ぢんまりとして感じられましたけど、車庫線ほとんどを使っての車両の並べ方がやけに盛大だったのが印象深かったですね。今日はこんな下総の片田舎までご苦労な事にヨメさんと下の子供の女性陣も参戦していたのだが、ヨメさん曰く「新京成とか、この先の人生でもう一回乗るかと言われたら乗らなそうだよね。きっと一生この辺りに用事なさそうだし」とナチュラルに新京成沿線民をdisっていた。そんなヨメは生まれた時から現在まで生粋の相鉄線沿線民…たぶん八柱あたりの住民も「相鉄なんてこの先の人生で一回も乗らないだろうな」と思っているのではないだろうか(笑)。目糞鼻糞じゃ。
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古き良き 急行列車で 行く旅路

2016年10月17日 22時29分51秒 | 東武鉄道

(東武の三段ロケット@区間快速会津田島(新藤原)東武日光行き)

板荷駅で撮影した区間快速。多層建ての列車である事はご説明した通りですが、前の2両が会津田島行き、後ろの2両が東武日光行きであるのに加え、真ん中の2両は会津田島行きに付いては行くものの新藤原で解放されてしまうというのも面白い。そのため、前面の方向幕に【会津田島(新藤原)東武日光】という三つの行き先が書かれている訳です。先頭車両のナンバーを見てみると「62102」となっていますが、これは6050系の中でも東武が発注した上で野岩鉄道開業時に同社へ譲渡された2編成のうちの一つ。


6050系に付いては、先代の日光線快速用車両だった6000系の下回りを流用してハコだけ乗っけたグループと、一切を新造したグループの2つに分かれています。その大きな違いは台車にあるんですが、この画像で言うと右が流用車、左が新造車ですね。どちらも東武らしい軸箱から平行に板が伸びるミンデンドイツ式の台車ですが、6000系由来のFS357は真ん中に空気バネを置いているクラシカルな形の美しい台車です。


 

下今市駅での解結風景。自動幌などは装備されていないので、連結器の解放後は乗務員が自ら幌と渡り板を畳んでいくスタイル。東武日光線の6050系快速って座れてナンボみたいなとこがありますんで、結構前の4両からここで東武日光行きの後ろ2両に乗り換えて来る客も多いですね。

 

解放作業は約5~6分程度で終了し、会津田島(新藤原)方面の車両が先に発車して行く。三連休最終日とは言え午後の下りで立ち客まで出る盛況の車内であった。さすがに日光は世界遺産登録地だけあって海外勢が目立ちますな。成田からだと京成で日暮里まで出て北千住から東武線乗って来るのかなあ。京成高砂で普電に乗り換えて京成関屋→牛田乗り換えを颯爽と使いこなす海外勢もひょっとしたらいるかもしれんがw


 

下今市に残った東武日光行きもおもむろに発車。2両編成では繁忙期には輸送力不足の気配ありありと言った感じなのだが、まあこっから東武日光までは2駅しかないので我慢しろと言う話なのだろう。そもそも行楽シーズンは北千住からかなりの乗車率で走る事も少なくないので、(東武動物公園2+東武日光2)+(新藤原2+会津田島2)の8連で走ればええんちゃう?と言う感じもするのだけど、どうしても東武の優等に関しては浅草駅が狭くて基本的に6連までしか無理という物理的な問題が付きまとうのであります。

 

主に特急きぬ・きぬがわに接続する下今市~東武日光のシャトル便。南栗橋以南では2時間ワンサイクルの区間快速・快速でしか姿を見ない6050系も、ここまで来るとまさに独壇場。全ての車両が新栃木の車両区に所属し、昭和末期から野岩線や会津鉄道を含めた運用をカバーして来ました。しかしながら早くも登場から30年を経過しており、来春に投入される東武日光線系統の新型特急車両500系は3両固定編成で、基本的には分割併合前提の3+3の6両で運用されるそうなので、ある程度この形式の淘汰も進むのではないかと。来春に新型特急車両の投入、そして来夏には鬼怒川温泉~下今市間でのSL運行開始と何だか色々なことが変わりそうな2017年の日光・鬼怒川界隈であります。


先に到着した東武日光からの区間快速に、ホームの駅員氏に誘導されながら併結される会津田島からの4連が慎重に近付いてきました。幌部分の上にある小さな2つの急行灯が点灯していますね。分割併合の出来ないスペーシアを補完して来た6050系、さすがに大所帯なので一気に淘汰されることもないのだろうけど、浅草口からの長距離運用の縮小や、よりローカルな新栃木以北の短距離輸送にシフトする可能性は十分考えられます。東武5700系の時代から続く、古き良き急行列車風の雰囲気を残す車両で楽しむ長旅。楽しめる時に楽しんだ方が良さそうです。
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紅き空っ風の使者

2016年10月16日 21時20分57秒 | 東武鉄道

(東武で一番過疎な駅@板荷駅)

下小代の築堤を後に、電車に乗って板荷駅までやって来ました。最初は1駅くらいだから歩いてみようかなとも思っていたんだが、この辺りの駅間は結構な距離があるのでヤメてしまった。下小代は日光市ですが、ここは鹿沼市。ホームからゴツゴツとした岩山を眺められる駅です。無人の下小代に対してここ板荷の駅は一応駅員が詰めている有人駅ですが、なんでも東武電車の中で一番利用者の少ない駅なのだとか…

 

板荷駅駅舎。駅の周りには小さいながらも集落はあるし、そこまで乗客が少なそうにも思えないけどね。佐野線の葛生の方とか小泉線のあたりの無人駅の方がよっぽど客がいなそうなイメージがあるんだが。ICカードが普及した昨今らしく自動券売機はなく、乗車券が欲しければ出札窓口で買うスタイルというのも珍しい。窓口時間は9時から16時ですが、12時から1時間は昼休みになってしまうのが一人勤務のネック。労働時間厳守。

 

ここは駅から下小代寄りの一つ目の踏切が好ポイント。下り電車は板荷の駅を出てカーブしてくるところを正面がちに、上り電車はそのカーブへの差し掛かりを小首をかしげた感じに角度を付けて撮る事が出来ます。隅田川の流れをイメージした青い塗装が「粋」、スカイツリーのライトアップの色味に似せた江戸紫が「雅」という愛称のスペーシア。この辺りは普通・快速と有料特急の割合が1:2くらいで、圧倒的にスペーシアが走って来る割合が多い。

 

ゴールドのスペーシアと、本来ならば「臨時特急きりふり」で運転されるはずだった350系。午前中の人身事故によるダイヤ乱れで、臨時のきりふりは運転打ち切りかもしくは運休になってしまったらしい。いずれにしろ先ほどの臨時快速同様午後の上り便に充当するために東武日光まで回送された模様。原形1800系は6両ですが、この編成は特急りょうもうを退役した後、4両編成に組成変更された上でリニューアルを受け改番されています。定期仕業はなく、臨時便の波動輸送に充当されているのは同じですけどね。


さて、ここで改めて先ほどの原形1800系が新栃木へ回送されるシーンを狙います。今度は線路っぱたにかぶりついて編成写真を撮りたかった。臨時快速への充当時は、午前中は南栗橋車両区(回送)→浅草(臨時快速)→東武日光(回送)→南栗橋車両区と走り、午後遅くに再び南栗橋車両区(回送)→東武日光(臨時快速)→浅草(回送)→南栗橋車両区というちょっと無駄の多い運用をしているようです。今回の東武行脚は別にこの編成を狙いに来た訳ではないんだけど、さっき下小代の築堤で撮影した時にビビッと来るもんがあったのはやはり体の中に染み込んだ「子供の頃の花形車両」への憧れなんだろうか。

東武と言えば当時は「けごん・きぬ」のDRC1720系が看板列車だったけど、空っ風吹く太田・伊勢崎・桐生方面のビジネスユースと言えばこの「特急りょうもう」の真っ赤な1800系。赤城の駅で上毛電鉄のふっるい電車と並んだ写真は、「ヤマケイ私鉄ハンドブックス」なんかで見た記憶が鮮烈である。そんなに安い本じゃなかったんで、お年玉でばあちゃんに買って貰ったんだよなあ。
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スカーレットは颯爽と

2016年10月15日 08時08分25秒 | 東武鉄道

(東武電車の晴れ舞台@下小代の築堤)

駅から緩い坂を下り、県道に出て左へ。ものの5分ほどで線路を見渡す場所に出て来ました。手前に田んぼ、後ろに里山の緩やかな稜線を背負って長い築堤が伸びています。この鬼怒川の支流である行(なめ)川の谷を渡る大築堤が、東武電車の中では随一の撮影地である下小代の大築堤。10月になったのでどうかなあ…と思われた田んぼには幸いにしてまだ稲穂が残っていて、スイスイとアキアカネが飛んでいる。さすがに有名撮影地だけあって、軽トラで乗り付けた近所のおっちゃん連中が、何本か三脚を出しながら賑やかに芋だのお菓子だのを配りあっているのがなんか面白かったw


すっかり農家の休憩時間みたいな雰囲気のお立ち台で、おっちゃんらの脇に三脚を出させてもらう。うーん、青空があっても光がなかったり、光があっても青空がなかったり、なかなか天候がかみ合ってくれないですね。日光東照宮建立400周年記念塗装のゴールデンスペーシア。凄い。なんかチョコボールのキョロちゃんみたい。色が。


ゴールドのスペーシアに続いてはパープルのスペーシア。これは「雅(みやび)」カラーの編成。何をもって雅としているのかは不明。おっちゃん連中と隣に構えたお兄さんとぼつぼつ喋りながら順調にパシャパシャ撮影していたんだけど、ここでパタッと電車が来なくなってしまった。隣のおっちゃん連中が口々におっかしいなあ~と騒ぎ始めたのだが、スマホで見てみたらどうやら大袋の駅付近で人身事故があったらしく抑止がかかっているらしい…


この時点で現場を既に抜けている下り列車は来るのだろうけど、浅草発で現場の手前で抑止されている列車はどうなるのか全く不明になりました。新宿からJRを走り、栗橋から日光線に入って来る特急きぬがわは事故も関係ないですね。NEX崩れのE253改造車。特急きぬがわは最初485系の改造車でデビューしましたけど、正直あちらの方がスマートでカッコ良かったような気がするのですがねえ。


青空があったのは朝のうち、次第に空は霞がかかったような雲に覆われてしまいました。日差しだけはまずまず届いているのでアングルを変えつつ撮影を続行。2+2+2の6連快速が築堤を行く。東武のオールドファンの方ならご存知でしょうが、「だいや」や「おじか」の愛称で走っていた5700系の快速急行から続く、日光線系統多層建て長距離優等列車の系譜を継ぐのが6050系であります。


6050系を改造してこしらえたスカイツリートレイン634型。正式名称で「むさし(634)型」と呼ぶらしいこの形式、当然とうきょうスカイツリーの高さである634mを意識して付けられた名称であることは言うまでもありません。土休日を中心に、スカイツリー観光へ向かう人向けのジョイフルトレインで、特急料金要。伊勢崎線系統へ行ったり、日光線系統へ走ったり、日によって運行パターンがかなり違うのでご利用の際はご注意を。


とにかくダイヤが乱れているので、撮るものもとりあえず走って来る列車を撮影するしかないという状況。ちなみに、この日ここ下小代の築堤に集まった連中のお目当ては、浅草を7:55に出て来る秋の日光線臨時快速。この列車には現在東武で1編成しか残存しない1800系が充当される事になっていますが…。「いつ来るんだべか」「途中で(運転)打ち切りになるんでねーか?」「ところでこないだの真岡(鉄道)でなぁ」「このイモ、こないだ貰ったののお返し!」と相変わらずお隣の下野農民撮り鉄軍団は賑やかである。いや、農民でないのかもしれないけどw


耳元でU字工事が喋るが如くの独特の北関東訛りで下野農民軍団のお喋りは続く。とりあえずこちらもいつ来るかヤキモキして来たので、SNSあたりで情報を捜索した結果、臨時快速は約30分遅れくらいで日光線を北上している模様である。一応その辺りの情報を農民軍団に教えてあげたら、「おー、30分くらいなら待てっぺ!」「一回家に帰ろうかと思ってた!」と喜んでくれた。ホントに家近いんですね、みんな(笑)。

結構使い込まれたハスキーと、かなりごっつい高級一眼レフにお高いレンズと安くても投下費用は50万越えとお見受けする下野農民軍団。農家のオヤジの優雅なカメラ趣味か。残念ながら青空は隠れてしまったけど、かくして定時から30分遅れ、下小代の築堤に東武1800系の臨時快速が颯爽と現れた。スカーレットに身を包み、白のラインをキリリと巻いたその姿は貫禄十分。「特急りょうもう」に使われていた当時のカラーのまま、波動用として残されているのがこの1800系1819編成。1800系の最終ロットであります。ちなみに、側面幕が回送表示だったので、この日はどっかで運転を打ち切った上で当初予定通り東武日光までは客扱いをせず走った模様。どうりで抑止時間の割には遅延が短いと思った。
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