青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

昔日の 四国航路や 今いかに。

2022年05月29日 10時00分00秒 | 南海電鉄

(さらなる南海を目指して@特急サザン)

篠突く雨を突いて、和歌山港行きの特急サザンがホームに入線して来た。三連休の最終日、なんばを朝7時台に出て来る特急電車の乗車率はお世辞にも良いとは言えないのだが、そんな車内からパラパラとさらに半数程度の乗客が降りた。ここから終点の和歌山港までは僅か一駅なので、特急車の後ろにくっついた普通車に乗って、誰もいないロングシートに体を預けました。

和歌山市から和歌山港の間は、和歌山港線と言う独立した路線名称を与えられておりますが、見た目上は和歌山市からの南海本線の続きっぽく見えます。以前は終点の和歌山港駅までの間に久保町・築地橋・築港町の三つの駅があり、そして和歌山港の先に線路が伸びて、水軒と言う駅が和歌山港線の終点でした。いずれも和歌山市街の港湾部に片面ホームだけの小さな無人駅がありましたが、利用者の少なさか平成中期に廃止され現在に至ります。

港湾部らしいやや荒涼と雑然が入り混じるような風景の中を走り、運河を渡って築堤に上がると、電車はものの5分ほどで終点の和歌山港駅に到着。大きく左にカーブしたホーム、荷物を抱えた乗客たちが、雨の中を足早に出口へ向かって行きます。ここ和歌山港からは、徳島行きの南海フェリーが出ていて、特急サザンの和歌山港行きは基本的にフェリーへの乗り換えに合わせた連絡ダイヤ。8:15に到着したサザンは、8:30に和歌山港を出る徳島行き4便に接続。徳島までは2時間半の船旅です。

かつての南海電車にとって、和歌山港からの四国へのアクセスルートは高野線の高野山参詣と並び立つ流動の二枚看板でした。なんばから、和歌山~徳島航路に接続する特急には「四国連絡」という大看板が付き、関西~四国間の大動脈として大いに栄えました。しかしながら、昭和63年の瀬戸大橋の開通や、平成10年の明石海峡大橋の開通により、関西~四国(特に徳島方面)間の移動の主流は自動車や高速バスによる淡路島経由に遷移。時間的にも距離的にも大回りを強いられる南海電車と南海フェリーによる四国連絡は、衰退の一途を辿っています。乗り換え客が引けると、僅かな乗客が車内に佇むほかはない静かな和歌山港駅のホーム。

乗客が減少し、航路廃止の噂が絶えない南海フェリーですが、南海電車と共通した割引切符なんかで利用促進を促してはいます。「とくしま好きっぷ」という割引切符では、なんば~徳島港が2,200円というお値打ち価格ですしねえ。徳島バスの徳島駅前~梅田・なんば・USJ行きが3,800円という事を考えると相当に安い。時間は・・・どうなんだろ?高速バスが所定で3時間だけど、鉄道+フェリーはなんばから徳島港まで接続にもよるけど3時間半くらい。そして、徳島駅から徳島港が結構離れていてバスで30分かかるのでさすがに分が悪い。繁忙期の渋滞とかの不確定要素を加味すればどっこいどっこいかもだが。少し古びた木製の上屋、ホームのくず物入れの陰から、黒猫が顔を出した。駅に居着きの猫なのか、閑散としたホームが猫の通り道になっているのか。

かつては北海道と本州の間の青函連絡船、そして四国と本州の間の宇高連絡船。鉄道に連絡する鉄道会社が運営する航路、いわゆる鉄道連絡船というものは全国各地にありましたが、南海電鉄×南海フェリーのコラボレーションにより続いている四国航路は、日本最後の鉄道連絡船という事になります。和歌山港線は、和歌山港を中心とした市の港湾地区へのアクセスや物流ルートとして県が昭和30年代に建設。県の所有物を南海が運営する形態となっていますが、水軒地区に開設された貯木場への貨物輸送に関しては一度も行われる事なく頓挫するなど、何とも中途半端な活用状況となっている。和歌山港の利用状況も定期のフェリーは南海フェリーのみであり、時の流れと産業構造の変化によって、やや斜陽化しているのは疑いないところなんでしょうね。

雨の中、出発待ちの7100系なんば行きサザンはガラガラ。この特急に接続するのは、徳島5:35発の3便なので、さすがにこの時間帯では徳島から公共交通機関利用で渡って来る乗客はおらず、自動車かトラックの航走が中心みたいです。早朝だと徳島駅からタクシーでも乗らんと徳島港へは行けませんので、徒歩+鉄道利用者にとっては条件が厳しいんですよね・・・もうちょっと港の位置が駅に近ければ、このルートも活性化もするのかもしれないけど。

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春しとど 濡れて和歌山 雨の朝。

2022年05月26日 22時00分00秒 | 南海電鉄

(物凄い析出物でした@花山温泉)

和歌山の夜は、駅前のビジホに荷物を投げ込んだ後、和歌山と言えばこの一湯って事で日前宮駅から歩いて花山温泉薬師の湯」へ行ったり、駅前の安居酒屋で酒飲んだりして過ごす。26℃の源泉から41℃の加温浴まで、成分濃厚なオレンジ色の鉄サビ臭強い含鉄強炭酸塩泉がドバドバだし、浴槽は石灰華で鍾乳洞みたいになってるし、人気あるのが分かる濃厚な湯でしたね。

翌朝。天気予報通りの雨。逆転での晴れ間を期待していたのだがそうはならなかった。ビジネスホテルのありきたりなバイキングの朝食を済ませ、飛び出した休日の雨の和歌山駅前は人も疎ら。とりあえず何しよう?ってのも天気が悪いのでノープランになっちまった。天気が良ければ、紀勢線でそのまま白浜~紀伊勝浦回りで名古屋に抜けて帰ろうかなとかアホな事まで考えておったのだが。

ひとまず悪天候でJRに用はなくなってしまったので、また紀勢本線ローカルで和歌山市駅に戻る。こうなるのであれば市駅の方に宿を取るべきであった。雨の朝の南海・和歌山市駅。加太行きの角ズームと、特急サザンなんば行きの7100系。分散冷房キセ、下枠交差前パン、そして幌付きの精悍な顔が実に凛々しい。昭和30~40年代に作られた私鉄車両ってのはどうしてこうも魅力的であるのか。そして、南海は全線に亘ってこの手の車両が未だに大手を振って跋扈している。高野線の6000系と本線の7100系は模型で飾っておきたいくらいだ。

GWながら、雨のせいで出鼻をくじかれたか、静かな和歌山市の朝。新旧のサザンを見送る。幌で繋がる一般車と特急車の境目は、格差社会の境目と言ったら大袈裟か。南海本線の優等列車、現在は関西国際空港へ向かう空港特急はラピート、そして和歌山市へ向かうのがサザン。「Southern」の名前の通り南の海を目指す列車ですが、その昔は南海も自社で気動車を仕立てて、和歌山市から国鉄に乗り入れ和歌山で天王寺発の「急行きのくに」と併結、南紀は白浜や新宮まで向かう列車もありましたね。

基本的にはなんばと和歌山市を結ぶ都市間特急である現行の「サザン」ではありますが、その中の何便かはここ和歌山市から先、和歌山港まで足を伸ばす列車があります。和歌山市の駅でManacaを通してから、どこに行こうか決まらずに駅でぼんやり時間を潰してしまったのだけど、何となくやって来たこの列車に乗って、本当の南海の終点の駅に行ってみようと思います。

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潮風を 嗅いで路地裏 加太の街。

2022年05月13日 17時00分00秒 | 南海電鉄

(新緑包む終着駅@加太駅)

終点・加太駅。もう少し海の近くの雰囲気有ろうか、という勝手なイメージがありましたが、潮風の気配は少し乏しい場所にあり、かえって駅を取り囲む丘陵地帯の新緑が綺麗な色を見せていました。加太の駅が港から少し離れているのは、鉄道が開通した明治の時代に、街場の人達から鉄道に対するちょっとした反対運動があったからなのだとか。当時の鉄道となれば当然ながら陸蒸気。火の粉で火事になるだとか、騒音で鶏が卵を産まなくなるとか、とにかく各地で色々な理由による鉄道敷設の反対運動も多かった事は知られる話です。

観光客がぞろぞろと加太の街に繰り出せば、折り返しの準備に余念なく。GWという事で、職員の方々も案内や精算に大わらわ。普段は静かな駅なのだろうけど。「めでたいでんしゃ」をフラッグシップに置き、華やかに勢いよくポップに飾り付けられた加太駅舎。電車を降りて、早速自分も街歩きに繰り出して見る事にしましょうか。

加太は、狭い路地に黒い瓦屋根と焦げ茶色の板塀の旧家が立ち並ぶ、いかにも昔ながらの漁師町。和歌山県の最北部・紀伊水道に面するこの街は、紀伊水道を挟んで本州と淡路島の距離が一番近い事から、海運と漁業を中心に発展して来ました。漁村、というには立派な作りの商家が多いのは、廻船業や漁業で富を成した家が多かったからなのか・・・天気がいいせいもありますが、明るく豊かな街並みという雰囲気があります。

お寺の大伽藍、旧家の壁の琺瑯看板。まあね、最近はこういった街の景観についてもレトロ的なものを集客の柱に立てて観光誘致をする地区も多いので、どこまでが真でどこまでが虚かなかなか見極めにくいところもあったりしますが・・・人通りの少ない裏路地を燦々と照らす日の光に目を細めながら、そぞろ歩きを楽しむ。

加太の港。かつては淡路島までの航路もありましたが、今は定期の旅客船は沖合に浮かぶ友ヶ島までの観光航路(友ヶ島汽船)が残るのみ。友ヶ島は加太の沖合・淡路島との間に浮かぶ無人島で、明治時代に大日本帝国陸軍により大阪湾の守備陣地として置かれた砲台跡などが残っているのだとか。釣りやキャンプ、海水浴の好適地という事ですが、東京湾で言うところの猿島的な位置付けなのかな。去年の秋に松山に行った際、瀬戸内海の沖合に浮かぶ興居島まで船で渡ったのを思い出したのだけど、今日はちょっとそこまで渡っている時間はなさげ。

美しい森に包まれ、加太の海を眺める総鎮守・淡島神社。紅い社殿が美しい。全国に「淡島神社」と呼ばれる神社はかなりの数がありますけれども、この紀州加太の淡島神社が総本山なのだそうです。氷川神社とか琴平神社とかも、総本山からの「勧請(かんじょう)」という形で全国に広がってますけど、「勧請」の言葉の意味を調べると、「本社に祀られている神の分霊を迎え、新しく設けた分祀の社殿に迎え入れて祀ること」とあります。いわゆる神社仏閣にも「のれん分け」的なフランチャイズのシステムが太古の昔からあるのですよね。「少彦名命(すくなひこなのみこと)」を祀る淡島神社は、女性の病気回復や安産・子授けなどの願いにご利益があるのだそうで、神殿の周りを囲むように全国から持ち込まれた人形供養の神社としても有名。

時間はお昼時。せっかく漁港のある街まで来たのだから、港の近くにある食堂みたいなので魚料理でも・・・と思ったのだけど、さすがにそこはGW。めぼしい店はどこもクルマで一杯人で一杯。加太観光、鉄道利用よりもクルマで来る人間の方が圧倒的に多いようだ。大阪・京都方面のナンバーが目立ったが、その辺りから日帰りドライブで来るにはちょうどいい距離感なのだろうな。京都から加太なんか遠いだろうと思うのだけど、最近は京奈和道という無料高規格道路が宇治から奈良・五條・橋本を通って和歌山まで伸びて来ている。あまりクルマで関西まで来ることはないのだが、中京・関西圏は首都圏に比べてあっという間に高規格道路が出来てしまうよね。

昼メシは後回しにして、加太の路地裏を潮風に吹かれつつ野良猫の様にブラブラと。
味のある書き文字の海の家、夏場ならやってるんだろうか。

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磯ノ浦 寄する波音 鉄の音。

2022年05月11日 17時00分00秒 | 南海電鉄

(支線の駅@八幡前駅)

コンパクトな平屋建ての駅舎に、必要最低限な駅の設備が収まりよくまとまっている。いかにも「支線の駅」と言った面持ちの八幡前駅にフラリと降りてみる。「八幡」というのはこの駅の北にある「木本八幡宮」の事らしい。近ければ次の電車までの待ち時間にササッとお参りしても良かったんだけど、駅からは1.5km程度離れているようだ。「前」というほど近くはないのだな。本殿が和歌山県の重要文化財に指定されているそうです。

加太線の沿線は、比較的古くからの住宅街という感じ。どこも駅前は狭く、小さな商店がぽつぽつと見受けられるだけで、商店街が形成されていたりする余地は残っていない。この日はGWでしたので、加太へ向かう観光客が大勢乗車していましたが、普段は和歌山市北部から和歌山市街への通勤通学路線なのでしょう。加太へ向かう親子連れを横目に、めでたいでんしゃ「かしら」。

磯ノ浦駅。磯ノ浦は古くから知られた和歌山の景勝地。下り線だけが拡幅されたホームに、今は使われていなさそうな鉄柵の臨時改札。紀ノ川の流れによって運ばれた砂によって作られた浜辺は、かつては「二里ヶ浜」と呼ばれていたほどの長く続く白砂青松の砂浜でした。その名は今でも加太線の駅名としても残っています。磯ノ浦駅も、夏の繁忙期は多客対応でてんてこまいになったのでしょうね。

終点加太で折り返して来る「かしら」を撮影し、小さな駅を降りると、徒歩2~3分で海に出る事が出来る。さすがにまだ海に来るような人は少ない時期だが、サーフィンをしている人は目立つ磯ノ浦の海岸。二里ヶ浜、と言われたからには、かつては二里(8km)程度の砂浜が続いていたのだろうと思われるのだけど、1940年に紀ノ川の河口部の土地を一括接収して建設された住友金属工業和歌山製鉄所の戦後の規模拡大によって、二里ヶ浜は東側からどんどんと製鉄工場に姿を変えて行きます。高度経済成長の波に乗り、ついに工場の敷地は磯ノ浦に迫りました。しかし、激しくなるばい煙や粉じん公害と併せ、美しい海と浜辺を守れという地元住民の猛烈な反対運動によって、最終的にはこの砂浜だけは埋め立てられることなく今に至っています。

少し風は冷たいながらも、朝の曇天からは見違えるような素晴らしい晴天に恵まれる。紀伊水道の向こう右手にゆったりと続く陸地は淡路島か。そして、その横にぽつんと小さく見える島は、淡路島の南に位置する沼島(ぬしま)か。土地の買収、漁業権の買い取り、工場での漁業権を失った漁師の雇用と生活保証。昭和の時代に全国で見られた沿岸部の工業開発のメソッドは、第一次産業従事者への金銭による国策への隷属でした・・・なんて言ってしまうと、その産業の近代化による果実を享受している現代社会の否定になってしまうのだけど、そこを大きく通り過ぎて日本の工業が競争力を失ってしまったこの令和の時代。「昔徳川・今住金の城下町」と謡われた和歌山工場も、工場の高炉停止による規模縮小が進められているそうで、栄枯盛衰を感じてしまうのであります。

新緑のレールを踏んでやって来た「かい」に乗って。座席では、海の生き物が気持ちよく泳ぐ。
昭和の時代にギリギリで残された、二里ヶ浜の形見のような浜辺を眺めながら、加太へ。

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めでたきに 色とりどりの 帆を上げて。

2022年05月09日 17時00分00秒 | 南海電鉄

(これで運気も鯛アップ@南海加太線・めでたいでんしゃ)

一昔前ならば、GWともなると「スルっとKANSAI・2dayチケット」と言われる関西圏の民鉄ほぼ乗り放題になる魔法の杖のようなフリーパスで色んな会社を乗り倒していたもんですが、何でか知らんけど何年か前に海外からのインバウンド旅行者向け以外は発売を廃止してしまいましてね。最近はあまり関西私鉄の乗り鉄に来ておりませんでした。今回和歌山に行く事が決まってから色々と付け焼刃で調べたのでアレなんですが、ひとまず南海加太線が「加太さかな線おさんぽきっぷ」という比較的手ごろな感じのフリーパスを出していたのでそれに乗っかる事に。

和歌山市駅に入線する加太線の電車。数日前までは「和歌山に行く」という事を想定していなかったので、加太線に乗りに来るなんて思いもよらなかったんだけど、まあこれはいつも通り「その地域にある地方私鉄を巡って来る」という基本に立ち返るというか。あ、勿論加太線は現在れっきとした大手私鉄である南海電鉄の路線ですが、その辺りはご容赦いただきたく(笑)。大手私鉄の末端路線≒地方私鉄みたいなもんじゃない?暴論?

改めて南海加太線。紀ノ川駅から南海本線と分かれ、和歌山市北部の住宅街を海岸線に沿って進み、磯ノ浦から小さなサミットを一つ越えて終点の加太に至る全長9.4kmの路線。列車は全て紀ノ川駅から本線に乗り入れ、和歌山市~加太間の通し運転を行っております。全線単線。トンネルはナシ。途中の西ノ庄駅以外はすべて列車交換可能。あ、それと紀ノ川~東松江間に信号所(梶取信号所)があって、ここでも交換を行えるようです。加太は万葉の時代から和歌に詠まれる景勝地で、最盛期には1万人に迫る人口を誇りましたが、今は人口3千人弱の静かな港町です。

全線をそのまま乗って行けば僅か20分と少々で終点に到着してしまう短い路線。折角のフリーきっぷでもあり、見どころも何も知らないけれど、紀州の西端を走る大手私鉄の末端支線を味わってみる事にする。紀ノ川駅から分岐して最初の停車駅・東松江。モルタルの古い駅舎と構内を結ぶ通路は住民たちの生活の道になっていて、待合室の中を我が物顔で自転車が通って行く。緩く風の吹き抜ける旧駅舎の待合室では、「めでたいでんしゃ」の幟がはためいていた。

「めでたいでんしゃ」とは、南海本社の加太線に対するテコ入れ策として開始されたプロジェクトの一環の観光列車。7100系ワンマン2連をリフォームしたもので、「さち(桃)かい(青)なな(赤)かしら(黒)」の4編成を加太線に順次投入。南海では高野線の「天空」に次ぐ既存車両のリフォームによる観光列車ですが、普段はいつもの南海カラーの電車が行き来しているだけだった加太線に、突然こんな華やかなカラーリングの電車が投入されたインパクトは結構デカいんじゃないかな。勿論GWだからって事もありますけど、車内もなかなかの混雑でしたのでね。デザインワークなんかも、ちょっと人を食ったようなファニーな感覚があって洒落ている。


この日の午前中は、「かしら」と「かい」の2編成が運用に就いていました。
青空と競うように輝くスカイブルー。加太観光の新しいイメージリーダーです。

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