青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

実り赤く染まる奥久慈

2019年11月10日 18時30分00秒 | 水郡線

(奥久慈の秋の味覚@奥久慈リンゴ園)

水郡線の列車は、大子近辺でも日中だと2時間程度空いてしまう。撮影を効率よく行うには、朝早くに来るか本数の多い水戸口を狙うしかなさそうだが、とりあえず今回は奥久慈の応援を含めてということで子供が「やってみたい」といったリンゴ狩りに来てみました。訪れたのは国道沿いの「奥久慈リンゴ園」。リンゴの名産地と言うと、信州だとか青森だとかそっち方面を思い浮かべてしまいますけど、この時期の奥久慈は、あちこちが赤い実をつけたリンゴの木で彩られます。〇〇狩りと言われると、マツタケ狩りだのブドウ狩りだのイチゴ狩りだのはそれなりにお値段も高いイメージがあるのですが、リンゴ狩りは大人400円小人300円とリーズナブルなレジャーなのでありました。

紅いリンゴに唇寄せて。この時期に楽しめるのは陽光、シナノゴールド、秋映あたりで、ふじは若干時期が早いという事でした。子供と一緒に脚立を持ってリンゴ園の中をウロウロ。お目当ての木があったら、オトーサンが脚立を立てて子供が登って好みのリンゴをもいでくるという算段。調子に乗ってあれもこれもともいでいると、もいだ分はその場で食うかお持ち帰りにしなくてはならないので慎重さが必要である。そういう意味で、現地でパクパク食べれてしまうブドウ狩りやイチゴ狩りが高いのはそれなりの理由があるんだなあと。木々の間をめぐりつつ、色々な品種を見繕いながら5~6個もぎもぎ。あんまりもぎもぎ言ってると「もぎ!もぎ!もぎえいごろう!(楽天)」というコールが仙台の方から聞こえてきそうだ。あるいは工藤が出てきて「ピッチャー・モイデロ!」のコールが入るか。

畑の片隅に置かれた休憩所で一服しながら、もいだリンゴをナイフで剥いて食べる。さすがにもぎたてのリンゴは新鮮でパキパキしていて、噛むと甘酸っぱい果汁がほどよく喉を通過して行く。貧乏根性が働いて、一通りの品種を食べ比べてみたのだが、個人的には「シナノゴールド」という品種が一番美味かった。まあこの辺りは好みということになろうか。売店に売ってたリンゴジュースとアップルパイもオヤツ代わりにいただいたのだが、搾りたての生リンゴジュースの味も良かったけど特筆すべきはアップルパイ。中のリンゴのシャリっとした歯触りとほどよい甘さで非常に美味であった。これはリンゴ狩りしないでも買えるみたいなんで、時間ない人はお持ち帰りのお土産にしてもいいと思うよ。

美味しいリンゴとアップルパイでお腹いっぱいになった我々親子、家族用のお土産りんごを小脇に抱え、久慈川沿いの撮影地へ急ぎます。すっかり秋の日は西に傾き、山の端に僅かに色付く紅葉を照らしていました。季節は11月の半ばともなれば、元々日の当たる時間が短いこともあるのだけど、山塊に挟まれた路線なので余計に日照が厳しい。時刻は午後4時とそこまで遅くはないけれども、既に翳りの中の川沿いの桟道を、水戸行きの列車が疾風のように走り抜けて行った。明るいうちに撮影出来る列車はここまでだろうか・・・

今回は現地到着が遅かったから撮れ高少なかったかなあ。効率よくカットを稼ぐにはやっぱり朝から来てなきゃダメね。
まあ今回は子供もいたし、ガラにもなく観光とかもしてしまったのである程度仕方ないのかもしれないけど。

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その姿、言葉もなくて

2019年11月08日 17時00分00秒 | 水郡線

(第六久慈川橋梁@国土地理院地図より)

今回の台風19号による久慈川流域の水害によって破壊された久慈川第六橋梁は、袋田の駅を出て大子方面へ200mほどの場所にあります。その無残な惨状はテレビのニュースなどで既に目にしているところではあるのですけど、改めて自分の目でもその現場を見てみたくて訪れてみました。下小川から大子にかけての久慈川は東の阿武隈山地と西の八溝山地に挟まれた隘路をくねるように久慈川が流れ、奥久慈渓谷を形成しています。その分、水によって橋に架かるエネルギーも相当に大きくなったことは想像に難くありません。

橋の脇にある県道の高台から、久慈川と破壊されてしまった鉄道橋の凄惨な現場を眺める。あまりの有り様にしばし言葉を失う。テレビで見て知ってはいたけれど、何というかリアルに勝るものはないなという事実を改めて。隣にいる子供もさすがにびっくりして「やっばあ~!!」と言ったまんまでいる。袋田駅側の土台から引きちぎられるように崩された橋のガーター部分が、水に押し流されてはるか向こう100mくらい下流の橋に引っかかるようにして止まっていた。おそらく5~6個は立っていたと思われる石積みの橋脚は無残にもボキリと折れ、これも破壊し尽くされて川の中のあちこちに散らばっているような状態でした。

根元の部分からせん断された大子側の橋脚。石積みで巻き立てられた橋脚は、中身を大きめの砂利石で埋めている古風な作りのもの。おそらく昭和初期の開業当時からのものであったろうと推測されますが、建設されて以降90年余、これほどまでの洪水はなかったのでしょう。石積みの橋脚の上に乗っていたガーター桁は水の中に落とされ、くの字に折れ曲がって無残な姿をさらしています。この辺りは久慈川の護岸も崩されてしまったようで、土嚢を積んでの仮復旧と併せて堤防の補修が始まっていました。

線路の袋田側はすでにレールが外されて鉄板が引かれており、河川工事用の取り付け道路になるようです。久慈川第六橋梁は川の流れに蛇行した部分にかかっており、おそらく川の流路の外側で流れを強く受け止めていた袋田側の土台が破壊され、それに引きずられるようにガーター橋と橋脚が川に流されていったように見えます。現在のところ、この久慈川第六橋梁の復旧の見通しは立っていないようですが、これはただ壊れた橋を架け替えるだけではなく、周辺の護岸工事を含め久慈川における治水の在り方をもう一度ゼロベースで見直して、もう二度とこのような災害が起こらないように、河川改修と併せた復旧へのグランドデザインを作り上げる必要があるのだとか。

となると、県の認可や建設省の認可、そしてJRの復旧費用に対する予算付けなど、復旧に向けての段取りがどこまで迅速に出来るか。要するに「ヒト・モノ・カネ」をどこまで投入できるかということなのですが、梶山静六センセでもお元気だったらばドカーンと国の予算が付いたのかしら。常陸太田の奥にある竜神大吊橋は「観光の目玉に!」と静六センセが一生懸命だったみたいだけど、こっちの橋のほうも、あちらの方から何とか一つ後押しを願えないものなのだろうか。そんな浮世離れした話でもしなければやってられないほどの目の前の状況でありました。ようやく今週になって落ちた橋梁部分の撤去が開始されたようですが・・・うーん、どう早く見積もっても1年くらいはかかるのだろうか。

とにかく、月並みですが早い復旧を祈るばかりです。

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故郷を 忘れじ鮭の 背白く

2019年11月06日 17時00分00秒 | 水郡線

(水害の爪痕@下小川橋)

西金に着いた329Dの折り返しである324Dを撮影しに、西金~下小川間にある第一久慈川橋梁までやって来ました。鉄道の線路と並行して、R118から下小川の盛金集落に続く橋があるのですが、水害から半月を経てなお欄干に絡みつく大量の流木が被害の大きさを物語っています。よく見ると、橋のガーター部分にも流木が突き刺さっており、川の周囲の状況から見ても最大時はこの橋が水没するくらいの水が来たのではないかという事が想像出来ます。橋の下には集落への水道管が通っていたみたいですが、川の増水で破壊されてしまったようで、橋の歩道部分に剥き出しの仮の送水管がくくりつけられていました。

子供と二人で三脚を並べる上小川橋から、第一久慈川橋梁の橋脚を眺める。すっかりと水量が落ち着き、見た目にはいつもの清流を取り戻した久慈川。水郡線は、旧山方町の中心部であった山方宿の辺りから、久慈川との逢瀬を重ねながら常陸大子ヘ遡って行きます。久慈川はその源を福島栃木茨城県界に位置する八溝山に発する川ですが、源流部は八溝山の北麓を流れた後に南に向かっており、水郡線は常陸大子から先、福島県内に入っても磐城棚倉付近までは久慈川流域を走ります。この第一久慈川橋梁から、最後の橋梁である近津~中豊間まで久慈川に架かる橋は11ヶ所。水郡線の旅は、久慈川の流れを辿る旅でもあります。

見た目にはいつもの清流を取り戻しているように見えても、川岸は増水でなぎ倒された植生が覆っており、半月前の水の勢いの激しさを思い起こさせるには十分な状態でした。橋の周辺を少し歩いてみたのですが、この画像の左端にある橋のたもとのよろず屋さんの辺りまではどうやら水に浸かった様子。道の脇にはかき上げられた泥が乾いて埃っぽく、川岸の民家は避難してしまったのか空き家になっていたり、家族総出で窓ガラスを外して家の中の泥を履き出しているお宅があったり・・・そのお宅の前を、使えなくなった家財道具を運び出す軽トラが通って行くような状態で、まだまだ普段の暮らしを取り戻すには、時間が掛かりそうな様子でした。

何となく撮り鉄なんかやってるのも憚られるような気分で、神妙に列車の通過を待つことに。復旧工事に向かうダンプが通るたびに、ブルブルと橋が揺れる。西金折り返しの324Dは、そんな私たち親子の気分などよそに、青葉と紅葉のカラフルないで立ちで第一久慈川橋梁を渡って行きます。背後の山の紅葉はさすがにまだまだ、界隈で聞いたところによると、今年は10月になっても暖かい日が続いたことから、山の色付きも2週間程度は遅いとの由。本当であれば、水郡線随一のロケーションを誇る第四久慈川橋梁のたもとに陣取って、錦屏風に彩られた鷹ノ巣山の紅葉と弓なりにカーブしてくる橋を渡る水郡線の列車を撮りたかった。来年の秋は撮らせてくれるかな。それまでに何とか、復旧の道筋が付いていると良いのですが。

三脚を畳んでいると、子供が大声で「お父さん!あれ!」と叫んだ。ふと川を見ると、背中の色の抜けたようなサケの集団が川の浅瀬をゆるゆると遡上して行くのが見えた。サケは生まれた川の匂いを覚えていて、産卵の頃になるとその故郷の川に戻って来るという習性はつとに知られるところですが、洪水が起こった後などは苔や水草などの流失で川の匂いが変わる事もあるらしく、さすがのサケも戻る川を間違えてしまうこともあるのだとか。そんな中、サケは未曽有の洪水にも負けずに川の匂いをかぎ分けて、大海原から故郷の久慈川に戻って来ました。体を白く傷だらけにしながら、水害で傷付いた故郷に戻って来たその姿。何とも言い表せないような強さがあって、柄にもなく感動してしまったのでありました。

故郷を 忘れじ鮭の 背(せな)白く。自然は時に人を傷つけ、時に人より逞しい。

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コスパでは語れぬ未来

2019年11月05日 17時00分00秒 | 水郡線

(快走!E130@玉川村~野上原間)

上菅谷から常陸太田方面の支線を分けた水郡南線、常陸大宮を過ぎた後は、久慈川の流域に跨る低い丘陵地を超えて行きます。セイタカアワダチソウの生い茂る築堤を行く西金行きの329D。所定では郡山行きの列車ですが、青葉+紅葉の4連で運転されていました。子供にスマホを持たせ、「どこトレ」で走行位置を確認しながらながらロケハンしつつ水郡線の列車を追っていたのですが、最新型の車両だけに国鉄型気動車とは駅を出てからのダッシュ力も駅間の走行性能も雲泥の差で、かなりのスピード感があります。非電化ローカルなんて並走する国道で追い抜けば何発もやれるだろ!と飯山線感覚(笑)でいると面食らいます。

里のお宮を横目に奥久慈へ急ぐ329D。水郡線に初めて乗ったのは、確か家族旅行で袋田の滝を見に行った小学生の頃だったか。たぶんあの時も水戸の駅を9時くらいに出るディーゼルカーに乗って行った覚えがあるんですけど、当時の時刻表を調べてみると9:04に水戸を出る郡山行き329Dという列車があった。列番もずーっと変わってないんだな。ちなみに当時の329Dは水戸9:04→常陸大子10:32→郡山12:49というダイヤでしたが、現在の329Dは水戸9:23→常陸大子10:39→郡山12:33。途中2~3本の交換待ちに大子での5分程度の運転停車と条件はそう変わらないので、大幅にスピードアップしたのはやはり車両の性能が圧倒的に良化したからと思われます。

329Dを追って、現状の水郡南線の終着駅である西金の駅までやって来ました。駅前には西金~常陸大子間の水郡線代行バスが待っていて、臨時に配置されたらしいJRの職員さんたちが到着した乗客を順次誘導していました。4両編成の列車に対しバス3台が待機していましたが、様子をうかがっていると袋田の滝方面への行き方を尋ねるハイカーが目立ちましたね。やはり大子町の観光の一番の呼び物は袋田の滝であることを考えると、運休が長期化するようであれば袋田駅までは列車を入れて欲しいかなと。西金~大子間のバス輸送だと、観光シーズンは滝入口の交差点から延びるR118の渋滞に引っかかって機能しなさそうだし、何よりバス代行を袋田~大子間に縮めればバス代行の定時性が確保しやすいはず・・・ですが。

JR東日本の災害による長期運休路線と言えば、平成22年の岩泉線の土砂崩落による長期運休から始まって、平成23年の東日本大震災による東北沿岸部の各路線の被災、同年の福島豪雨での只見線の被災が記憶に新しいところですが、残念ながら、今回の水郡線のような自然災害(地震、津波、水害、土砂災害)による長期運休は平成後期から全国的に珍しいものではなくなってしまいました。熊本地震でやられた豊肥本線であるとか、西日本豪雨でやられた中国地方の各路線とか、高波にやられた北海道の日高本線とか、日本中の至る所で線路が寸断されています。復旧を遂げた路線もあれば、復旧までの長い道程の途上にある路線や、また日高本線のようにほぼ廃止の決まった路線もあったりとその後は様々。道路は国や地方自治体が直してくれるからいいけど、鉄道はねえ。国鉄のままだったら良かったのに、とは口が裂けても言えませんが。

道路に比べ、地方の鉄道路線を復旧させるのになかなか腰が重くなるのは、いろんな意見を募っても結局「費用対効果」というところに話が収斂してしまうからなのでしょう。いわゆる「コスパ」の話をされたら、斜陽の一途を辿る地方ローカル線はぐうの音も出ません。そうなる事態に備えて鉄道会社同士で災害協力金のようなものを積み立てておけないのかな、と思ったりもしますが、まあそうなったらそうなったで、今度は利用者の運賃にハネっ返ってくるからまとめるのも難しいんだろうな。「国土強靭化計画」も結構ですが、その中に地方ローカル線は入っているのかどうなのか。今度じっくり勉強してみようかなとも思ったりします。コスパでは語れぬ未来もあるはずです。

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常陸路の鮮色彩

2019年11月04日 17時00分00秒 | 水郡線

(常陸路秋景色@後台~下菅谷間)

水郡線は、名前の通りに水戸~郡山を結ぶ(正確には郡山の手前の安積永盛まで)本線と、上菅谷から常陸太田までの10km程度の支線を合わせた総計150kmの路線です。茨城県と福島県、北関東と南東北、久慈川水系と阿武隈川水系を結ぶ長大なローカル線ですが、水戸近郊の区間は運転本数も多く、通勤通学客の姿も目立ちます。那珂インターを降りてから向かった線路をまたぐ高架橋から眺めてみると、残り柿とススキの向こうに後台の駅が見えました。

水郡線の主力気動車であるキハE130系。JR東日本の中では新世代の気動車って感じがする。国鉄時代はキハ28・58やキハ40系列がゴロゴロしていた水郡線ですが、当時は上野から急行奥久慈なんて列車も走っていましたねえ。水戸までは急行ときわに併結されていたので、奥久慈併結の急行ときわは交直流電車の457系ではなくキハ28・58で運転されていたのを思い出します。日中の柏とか松戸あたりを古ぼけた気動車急行が爆走していたのが懐かしいな。急行奥久慈が廃止された後は、そのまま奥久慈編成はつくば万博の「エキスポライナー」に投入されていましたね。取手の先で直流と交流が切り替わる常磐線の特性もあって、デュアル走行の出来る交直流電車が万博輸送には極端に不足していたのですが、気動車だったら関係ないからね。

水郡線はJR化以降一時期キハ110系列で置き換えられていた記憶があるのですが、早々にこのE130系列が投入され、キハ110系列は東北の他の路線へ転出して行きました。水戸~常陸太田間は朝夕それなりのラッシュがあるので、2ドア車では客を捌きにくいというのがあったのかもしれません。かつての八高線や相模線のような首都圏の非電化路線に使われていたキハ30・35系は、通勤型気動車と言われて通勤通学需要に応えていましたが、JRになってからはこのジャンルのニーズにフィットした気動車というものの新造はありませんでしたのでね。キハE130系列はまさしくキハ30・35系列のような3ドアロングシートの通勤型DCの系譜を継ぐ存在ですが、こちらは通勤輸送も観光輸送もこなせるようセミクロスシートの車両も用意されています。

何といってもキハ130系列の特徴は、JR東日本にしては珍しい(?)このド派手な塗り分けでしょうか。ブラックフェイスに配した前面の黄色のラインは、視認性を高める警戒色なのかな。側面もグリーンの太いラインにドアは黄色、そして戸袋にブルーのフィルムを配した側面のカラーリングは、どっちかと言えばJR九州の車両なんじゃねーかと錯覚しそうになる。水郡線には側面がグリーンの車両とレッドの車両があるのですけど、それぞれが奥久慈の新緑と紅葉を表しているのだそうだ。朝の光を浴びて秋の常陸路を駆けるキハE130系。真面目に撮影するのは初めてですが、ちなみに子供が地上から、オトーサンが高架橋の上から撮影しています(笑)。

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