青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

土木で日本を変えて行く。

2024年01月27日 15時00分00秒 | 日常

(もはや神々の領域か@新東名高速道路・河内川橋)

一応クルマ好きの嗜みとして、冬になったらスタッドレスに足元を履き替えて、何があってもいいようにはしているのですけど、昨年来全くこの冬寒くもなりませんでねえ。今んところ雪国に行く理由もないし、用事もなかったものだから、裏の倉庫にスタッドレスを仕舞いっぱなしにしていたんですよね。ただ、さすがにこのままではシーズンにスタッドレスに履き替えないまま終わってしまいそうだなって思ったので、重い腰を上げて1月半ばに足回りを冬モ-ドに変更して来ました。どうせ3月ごろには暖かくなってノーマルに戻してしまうことを考えると無駄な出費だなあと思うのですけど・・・。閑話休題、そんな理由もありまして、折角スタッドレスに履き替えたのだから少し山の方へ足を伸ばしてみようかなと、履き替えたその足でそのままドライブ。新東名を新秦野ICで降りて、そのままR246を御殿場方面に流していると、右手に谷を跨ぐ大きな構造物が目に入って寄り道。丹沢湖から流れる酒匂川の上流部、河内川の谷を跨ぐ巨大な高架橋。正式には、新東名高速道路河内川橋。全長は約770mの鋼・PCコンクリートアーチ橋で、下を流れる河内川から路面までの高さは約120mという超巨大な土木構造物が絶賛建設中です。

R246を御殿場方面へ走っていると、少し手前に現在の東名高速の酒匂川橋ってのがありますよね。赤いトラスが酒匂川と御殿場線の谷峨の駅を跨いでおるので、見た方もいらっしゃると思うのですけど、あれもかなり高い位置を走っているなあ・・・と思わせて高さが65mくらいですから、この河内川橋はその倍の高さがあります。下にある中学校(清水中学校)の4階建ての校舎と比べるとその高さが分かろうというものですが、それにしても基礎から足場を組んで120mの高さまで上げて、あたかも木の枝が天に向かって葉を広げるように両側に向けてバランスよくアーチの弧を伸ばしていく建設方法は、この平地の少ない山岳国家である日本の土木工学の技術の結晶のようで壮大である。基礎も深い場所では35mまで掘り下げて、そのズリ出しは基礎の横にズリ出し用の導坑を掘ってそっから搬出するのだとか。新東名高速道路は、現在新秦野ICから新御殿場IC間が最後の未開通区間。本当であったら2023年に全通の予定だったのだが、この区間の工事に時間を擁しており、現在のところ全通は2027年度。この辺りには、一説には関東大震災を引き起こした・・・とも言われる「国府津・神縄断層帯」というものが通っており、断層破砕帯を通過する高松トンネルの掘削に時間を要しているとのこと。

河内川橋を裏側から。青空に屹立する何本もの巨大クレーン。アーチの先端部の吊り下げ足場なぞ、どのようにして組んで支持しているのだろうか。ここまで巨大な土木構造物が忽然と聳え立っている姿は「男の子ってこういうのが好きなんでしょ」の最たるもの。昨年の秋に野岩鉄道に撮影に行ったあの雰囲気を「土木と自然のマリアージュ」と評したが、この現場は「土木で自然を超えて行く」という圧倒的なパワーゲーム。この河内川橋の建設を担うのは大成建設と鹿島建設という日本のスーパーゼネコンによるJV。鹿島のキャッチコピーじゃないが、「地図に残る仕事」というのはこういうものを言うのだろう。自分は全く門外漢の仕事をしているが、一回の地図好きとして、こういう国家的プロジェクトとも言える現場に携わってみたかったかなあ・・・なんてちょっと違う未来を妄想してみたり。

新東名が開通すると、自宅から名古屋までクルマで三時間程度だろうか。早くこの橋の上を走ってみたいと思わせる、そんな土木構造物です。

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2021年の大晦日に寄せて。

2021年12月31日 12時00分00秒 | 日常

(波頭飛沫く@七里ヶ浜)

あっという間の2021年の大晦日でございます。いやあ、あっという間って言ってるけど、最近はホントに一年が過ぎるのがあっという間になってしまった。歳を取るごとに一年が早く感じてしまうのは、「人生におけるパーセンテージ理論」によって表されると個人的には思ってまして、それは何なのかってーと、ほら、10歳にとって1年ってそれまでの人生の10%じゃないですか。んで、50歳になると、1年って人生の2%しかないんですよ。そりゃあ早い訳だよ、と一人で納得している。平日を悶々として週末を待つような過ごし方していると余計にね。まあそれだけ自分の趣味のスタンスが確立しているという事なのかもしれないけどな。それこそ10代の時の5分の1くらいの感覚で、一年がパッパカパッパカと走馬灯になって行く。時と共に早くなる体感時間の経過と、反比例して失われて行くのは健康と体力。おそらくもう人生の折り返し地点は過ぎている数なので、これからはそういうのを上手に天秤に掛けながらバランスを取って暮らして行きたいものですね。天災激しく疫病蔓延り、政治経済混沌の時代ですが、メンタルの消耗を先送り先送りしながらなるべく元気に生きていきましょう。

適当に煮豚を作りながら掃除をしつつ、孤独のグルメを流しっぱなしにして写真編集しながらTwitterしている大晦日。いつもの如くのながら生活である。この歳にもなるともう年が改まる事にいささかの感慨もないけれど、一応は節目という事で、形ばかりで恐縮ではございますがご挨拶申し上げます。本年も拙ブロクにひとかたならぬご愛顧のほどを頂きまして、誠にありがとうございました。

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たかが10年、されど10年。

2021年03月11日 08時00分00秒 | 日常

(震災10年@あの頃の小田急)

本日で、東日本大震災から10年。10年を長いと見るか短いと見るか、それは人それぞれだと思います。個人的には10年目だから特別な訳でもなく、10年経って何が変わる訳じゃなし、明日になったら10年と1日目が始まるだけなのかなと思う。あの日の出来事で自分の生命、家族、親類縁者、財産、仕事に何も被害がなかった自分。いつその当事者になるかもしれないという覚悟を改めて。でもやっぱり10年も経ったら記憶は薄らぐのか、何だか色々なことを思い起こす10年目の3・11。あの日から始まった「がんばろう日本」、新型コロナに危機のフェーズが移っている世界で、いつまで頑張ればならぬのやら。

防ぎようもない自然災害に対して、日々の備えと用心が必要なのは言うまでもありません。しかしながら、つい先だっての福島沖地震のように災害はいつだって現在進行形で、いつかその時は必ずやって来る。いささか運命論者的な言い方になってしまいますが、「いつそうなってもいいように後悔なく生きる」という事が一番大事なのかなと思ったりもする10年目。改めて東日本大震災で被害に遭われた方々の快復と、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

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謹賀新年

2020年01月01日 09時00分00秒 | 日常

(銚子半島の日の出@飯岡・刑部岬展望台)

明けましておめでとうございます。
旧年中はこのブログをご覧の皆様をはじめ、ひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
本年も相変わらず、変わらぬお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
皆様のご健康とご多幸、そして趣味活動の健やかならんことをお祈り申し上げます。

令和二年 元旦

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鉄道の日

2019年10月14日 23時00分00秒 | 日常

(新幹線E7系@長野駅)

本日10月14日は鉄道の日、という事で、この三連休は全国各地で様々な鉄道のイベントが開催を予定されていました。しかしながら、関東甲信越から東北を襲った台風19号の襲来によって、とてもお祝いムードでは迎える事は出来なくなってしまいました。前回の15号が風台風だったので、どちらかといえば自分も暴風の被害を脅威と捉えていたフシもあったのですが、土曜日未明から我が家でも屋根を叩きつけるような雨。それでも、陸地に接近すれば勢力の衰えと偏西風によって台風の速度が上がり遠ざかって行くのが今までのパターンだったのですが、八丈島付近からダラダラと時速30km程度で接近し上陸後も全くそのスピードが上がらず、伊豆半島から箱根丹沢関東山地、そして日光那須福島方面の山塊に暖かく湿った空気がぶつかり続けました。その結果、土曜日から日曜日のまる一日以上をかけて非常に強い雨が降り続いたという猛烈な雨台風でした。

関東甲信越一円の豪雨災害はいずれも多数の人的被害を出していますが、長野県の千曲川流域における堤防の決壊と広範囲の浸水が特に被害が大きいようです。とりわけ浸水地域にあった北陸新幹線の長野新幹線車両所が、最新の新幹線であるE7/W7系10編成120両もろとも水没してしまったという映像は、台風一過の秋晴れだった日曜日の朝に衝撃的な映像として網膜に突き刺さって来ました。近年の自然災害の被害の甚大なことが、本来であれば台風被害とは無縁だったはずの信州も飲み込んでしまった事、個人的にも長野近郊の訪れた場所や見覚えある風景が泥水で変わり果ててしまった姿には、何とも言えない気持ちがあります。


長野市内に限らず、東信では千曲川の赤い鉄橋が落橋してしまった上田電鉄の別所線も大きな被害を出しました。こういった地方ローカル線は、大規模な災害による設備損壊が命取りとなりかねない事情があります。それでも、別所線は地元の足として沿線の住民が存続の運動に強い意欲を持って取り組んでいるイメージがありますし、何といっても分社化されたとはいえ東急グループの一員。地方自治体からの支援と併せ、迅速な復旧作業を願いたいと思います。春まで通った飯山線も、飯山市街や津南方面で洪水被害が出ているようで、もともとそう地盤の強いところを走っていないだけに、被害状況が案じられますが・・・

そして、ふと自分の地元を見れば、小田急は渋沢~新松田間の四十八瀬川による道床洗堀、そして箱根登山鉄道の湯本から上は、複数の土砂崩れや沢水による土砂の流れ込みによってズタズタにやられていた。どうやら小涌谷の蛇骨(じゃこつ)川の鉄橋が土砂とともに押し流されているようだ。台風の通過と並行して箱根の雨量を追っ掛けてたんだけど、時間70ミリくらいの雨量が一日中続いていて、これはヤバいなと思っていたのだが案の定であった。箱根の48時間雨量が1000ミリ超えとか信じられない数字だ。小田急はともかく、登山線の復旧は被害の規模が大き過ぎて現状見通しが全く立っておらず、かなりの長期戦を覚悟しなければならないだろう。登山線の途絶は箱根の観光に甚大な影響を与える事が必至で、沿線のホテルや旅館(特に宮ノ下・強羅周辺)はこの秋の観光需要をかなり逸失したに等しいのではないか。

個人的には、登山線の旧型を最後の紅葉シーズンで撮る事がおそらく叶わないであろう事が残念でならない。自然災害の前に趣味の話などするべきではないのかもしれないが・・・。被災された方々と被災された鉄道会社にお見舞いを申し上げるとともに、まだ被害の状況も錯綜する段階ではありますので、ご自愛くださいますよう。

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