青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

秋麗しく富士詣で

2013年11月30日 20時20分49秒 | 富士急行

(空がとっても青いから@富士急行線三つ峠駅)

明けて先週の日曜日、この日は富士急行線に国鉄形特急車が大挙してやって来るとの由。遠方はるばるご同慶の氏も参戦するとの事で、挨拶がてら沿線へ出向いてみる事に。本当は子供を任せて一人で来る予定だったんだけど、結局子供がこの日も付いて来た。「とーますらんどごうにのりたいよ!」折しも河口湖方面は富士山マラソン開催って事で交通渋滞も予想された事から、手前の三つ峠でクルマをデポして電車で行ってみる事に。


三つ峠駅の駅員さんから切符を購入。当然子供はタダで…と思いきや、「次の河口湖行きは富士登山電車ですので、お子様も子供料金を頂戴いたします」なのだとか。え~。そりゃ知らなかった。っつーか前回乗った時子供料金なんて払ったっけな??なんかあの時は特に何も言われずそのまま流れで乗ってしまったような気が…だとしたら申し訳ないのだがw

 

富士登山電車の中身については前回も触れているので割愛。ちょうど三つ峠から寿にかけてのM字カーブのあたりが車窓に一番バッチリと富士山が広がるんだけど。ほんに天気のいい日曜日でしたんで、拍手したくなるようなクリアな富士の姿。途中停車の下吉田駅ではアテンダントのおねーさんと撮影大会。真っ青な空に飛行機雲、交換のフジサン特急はみんなで手を振りお見送り。


ほどなく到着した河口湖駅。来たのは京王色の1000系リバイバル撮影会以来ですか。午前中に到着した国鉄特急型車両3本の揃い踏み、水色がJR化以降特急あずさ色として東線を駆けた183系、そして緑が特急あさまとして碓氷峠を越えた189系。それぞれが山男、それぞれが歴戦の古強者。望楼の如き切妻型の高運転台に、お腹には大きなヘッドマーク。「エル特急」な~んて今や死語となりつつある言葉が頭に浮かんで来るような、そんな造形ですね。


同好の友人氏と合流し、改めて国鉄特急型車両の3並びを。お抹茶色の長野色は武骨に、あずさ色はパステルカラーでスマートに見える。細かいところを見れば溶接の部分や部品の繋ぎ目に劣化やサビが浮き出ていて、決して万全のコンディションとは言えないんだろうけど、長野のあさま色は今でも長野~直江津の信越国境を毎日往復する活躍を続けております。豪雪地帯を駆ける車両の消耗の激しさが分かるような。


同好の氏に比べたら思い入れと言う部分にはかなわぬ部分もあり、多くを語るには憚られる部分もあったりしますが、真ん中のあずさ色のマリ31なんかは修学旅行シーズンになると神奈川県内の小学生を日光に連れてく団体列車として東海道線内を行き来している姿をよく見かけたものです。国鉄特急型がマニア受けを狙って国鉄特急色に続々塗装変更される中で、逆に貴重なあずさ色。そーいや昔日光線の107系みたいな塗装にしてる時もなかったですかね。一番右の編成はももずきんマークを付けていたのだが、いつの間にかすっぴんになってしまいました。


多客対応のE233の臨時快速が、居並ぶ大先輩の横を入線。富士山マラソン対応でこの日はJRからの乗り入れ多数。マラソン上がりのお客さんでごった返す河口湖の駅、10連がぶっ込めれば多客対応も楽なんでしょうが、そんな事したら踏切支障しまくりでどうにもならんのでしょう。6連の特急車ですら1両はドアカットしないと止まれない河口湖のホームは、こうなっちゃうとかなーり手狭ですな。しかし特急車を眺めながら子供がテツなお兄ちゃんに懐きすぎて困る。お鉄なヤツはだいたい友達ってか。親の立場としては撮影の邪魔になったんではないかと恐縮しきりでした。秋の日は釣瓶落とし、一足お先にテツなお兄ちゃん達とお別れし、我々は15時台の普通で河口湖から三つ峠に戻ります。


最初は寒くなって来たし、そのまま帰ってしまおうかなあとも思ったのだけど、やっぱり特急車が走っている姿もそりゃあ一回は拝んでおきたいもの。幸いにして三つ峠近辺は富士急きっての撮影地の宝庫ですから話は早い。いわゆる富士山バックの三つ峠定番にてまずはホリデー快速富士山号@あずさ色。午後遅くなると全く光線的には話にならないこの位置ですが、それでもここまで富士山がクリアに見えていれば格好は付きます。「河口湖号」から「富士山号」に名前を変えて新調したヘッドマークは茜差す富士山の図柄、そんなマークとシンクロしたような風景の中、寿からの急勾配を慎重に下り込んで来ます。


15分後の長野色を待つ間にすっかり露出は落ち…ISO800まで上げて目一杯絞り開放して1/320で何とか写したと言うか。長野色のお抹茶色は光が当たってないと厳しいっす。暮色の富士をバックに、妙高黒姫の申し子が桂川の谷を下ります。車内は富士山マラソン帰りの乗客で盛況、近年は波動用輸送の担い手としての運用が多い183系列の活躍の場としては、富士山の世界遺産登録に活気を取り戻す富士急行線はまさにピンポイント。185系とかじゃちょっと連続40‰の急勾配の上り下りってのは心許ないだろうからなあ。

今週からはフジサン特急が旧パノラマエクスプレスアルプス塗装にて復帰し、来年には小田急20000系RSEがデビューと話題の尽きない富士急行。富士急はバスと遊園地ばかりであまり鉄道部門にカネかけてないイメージでしたが、富士登山電車の導入から京王色復活、PEA色復活、RSE導入と最近はアツいですね。向こう一年間の動向には注意が必要な、元気な地方鉄道ではないでしょうか。一応上場会社だし、ホンキになりゃカネはありそうだもんなあ。

今後は、通う事が増えそうな富士急行です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ようやく秋、見つけた

2013年11月27日 21時24分31秒 | 京浜急行

(黄金色のホームにて@京急品川駅)

週中は多忙にて、子供が寝ている間に会社へ行き、子供が寝てから帰って来ると言う生活が続いている。その罪滅ぼしと言う事で週末くらいは相手をしてやりたいのが親心、先週は土日ともたっぷり子供サービスをしてしまった。サービスのし過ぎで子供が月曜日から体調を崩し、「連れ回し過ぎだゴルァ!」と嫁に怒られたのはご愛嬌…なのでしょうか(笑)。さすがにそこまでやると親のエゴなのかもしれないが、いずれにしろ土日とも天気が物凄く良かったものでしてね。去年もこの時期に来たのだけど、京急品川駅に沿って走る第一京浜のイチョウ並木が見頃だったのでね。


相鉄で横浜へ出て、そっから京急で品川へ。快特は混むので続行のエア急で行こうと思って待ってたら、7Dのエア急はリバイバル2000系でした。このリバイバル編成、基本土休日はエア急で回ってるようですが、平日はたまーに朝の特急品川行きで補助編成くっつけて2000系12連とかやってたりするので侮れない。

 

蒲田で普通に乗り換え、のんびりと品川へ。思った通りに黄金色に染まったイチョウをバックに入線して来る電車たち、1番線で出発を待つ列車の窓にも黄金色が映っていい感じですな。ターミナル駅なので入線数も多ければ乗降客も多く、なかなかいいタイミングで撮るのも難しいんだけどね。泉岳寺~都営線方面の2番線の真ん中くらいからの撮影ポジションですが、都営直通の電車が行った後が乗客も少なくて撮りいいようです。


部活帰りの女子高生、マフラー巻いて肩を組み歩く姿。10月はダラダラと暑く、11月になって一気に冷えて、本当に今年は秋がなかったなと思う。午後の光に輝く品川駅の金屏風、11月も終わりになって、やっと秋を感じるような風景が見れたような気がしますねえ…


何本か品川のホームで子供と電車を見送った後、品川駅ホーム下の「品達」でラーメン。最近はお子様ラーメンでは足りなくなって、大人の一人前を普通に食うようになって来たんだよな…1番線に入って来た品川止まりの普通を後追いで。


腹ごなしに2157Fブルスカ@八ツ山橋。さっきラーメン食ってる時にダイヤは確認済みなので、合わせて出て来たっつーのもあるんだが、相変わらずブルスカに対する子供の熱は凄い。品川方からその姿が見えた瞬間「あーっ!けいきゅうぶるーすかいとれいんにせんひゃっけいがきた~!」とか言っちゃって。つーかブルスカの時間を知ってるのかいつの間にか小学生っぽい子供たちもデジカメで参戦、ブルスカ登場に色めき立つ八ツ山の踏切は、かったるそうになかなか開かない踏切待ちをしているオトナとの好対照なコントラストが生まれております(笑)。正直こちらは毎朝乗ってる特急によくこの2100ブルスカが回って来るのでさほど珍しくもないのだがw


と思いきや、今度は青砥行きで600のブルスカが回って来た。こっちは都営線方面まで行くので若干捕獲が難しい編成ではあるのだが、こんな短時間で2本のブルスカ両方見られるなんてツイてるねえ。八ツ山の後追いはこんな感じで、ツラを大きく取ってフレームアウト気味に作るのが好きだったり。行き先の「青砥」ってのも「砥ぎ澄まされた青」って感じで、ブルスカの行き先に合ってるような気がしますね。

ちなみにブルスカの乗務員さん、基本的に注目される編成って事を自覚されているようで愛想がいいですねw
どちらも踏切に集まった子供達のコールに応えてホーン一発。
ようやく秋を見つけたような、品川界隈の土曜日です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

P.S元気です

2013年11月20日 23時57分30秒 | 京浜急行

土曜日は部下の結婚式があったのだが、そのおかげで現在部下はシンデレラハネムーン中。そしてヤツの分の仕事は当然アタクシにのしかかり、毎日毎日帰りが遅い。週末は珍しくすかっ晴れでよござんしたね。本当なら結婚式なんかうっちゃってどっか行っちゃっても良かったんだけどさ、披露宴の前に横浜界隈で京急を仕留める程度。同席の上司も「せっかく手に入れたパシフィコの券をヤフオクで売っぱらったカネが今日のご祝儀だよ」とご立腹であった。


披露宴も終わって夕方、酔っぱらったアタマでふらふらと適当に京急新子安まで出てみた。晩秋のこの時期独特の低い光線に照らされて、フルパワーで駆け抜ける15A快特。最近ヌルくなったと言われている京急のかっ飛びぶりも、川崎~横浜間では相変わらずの容赦のなさは健在です。

今日を絶頂に緩やかに下って行くのも結婚生活の厳然たる事実なのだが、末永くお幸せに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

214mの歴史

2013年11月12日 22時11分19秒 | 東海道線

(歴史を刻む谷戸の奥@清水谷戸トンネル)

横浜市内とは思えないほどひっそりと佇む清水谷戸トンネルの坑口。東海道本線が東京から走って来て一番最初にくぐるトンネルでもある訳ですが、現在は上り線が使用しているこのトンネルの左側は明治20年に当時の工部省鉄道局が掘り抜いたもので、現役として利用されているトンネルの中では最古のトンネルなのだそうです。今にも空から雨が落ちて来そうな日曜日、そんな歴史のあるトンネルを訪れてみました。


清水谷戸トンネルは、駅で言えば保土ヶ谷と東戸塚の間にあります。丘陵がゆるやかに浸食された地形を関東では谷戸と言いますが、そんな谷戸のどん詰まりをちょっとだけくり抜いた短いトンネル。長さは214mだそうですが、鶴見川水系と相模川水系の分水嶺にて古くは武蔵の国と相模の国を隔てる国境でもありました。そんな清水谷戸のトンネルは湘南への扉。80系から113系へ受け継がれた「湘南電車」の系譜ですが、現代の湘南電車・E231系が軽やかに谷戸を抜けて行きます。


同じ場所から振り返れば、東戸塚を抜けて大きく右カーブして来る線路を大写しで撮る事が出来ます。東戸塚の駅が出来る前はこの辺りも全く宅地化されてなくて、朝日を浴びて大きな築堤を駆け上がって来る九州ブルトレたちの格好の撮影地だったそーなのだが。


大宮色の185系踊り子109号伊豆急下田・修善寺行き。
この清水谷戸トンネルの東戸塚側坑口と言うのは、東戸塚の駅から歩いても10分足らずで来る事が出来ます。エキチカな場所なのに、屋敷森に囲まれた農家だとか牛小屋だとかがあって、時代に忘れられたようにローカルな雰囲気を残している。農家に続く小道は、線路と隔てる柵も低くて人通りもなく、カメラを構えるには実にいい塩梅の場所だったのだが、久し振りに訪れたら高い金網が出来て撮り辛くなっていたな。


そんな古(いにしえ)の名撮影地を駆け上がって来る踊り子102号。前は修善寺からの湘南5連、後ろは伊東からの大宮7連。昔ならケツまで抜けたんだろうが、現在では8両が精一杯みたいですね。子供を肩に担いで「バイバ~イ!」と声援を送ったら、ウテシ氏からタイフォンじゃなくてピィ~!と甲高いホイッスルの洗礼。この音色には息子も驚いたようで、「ねえ!ぴい~っってやってくれたよ!びっくりしたよ!」と興奮しておりました(笑)。


「ねえ~、おどりこのりたいよ~、ほーむいこうよ~」と言う息子をなだめすかしつつ、今度は保土ヶ谷側の坑口付近で踊り子115号伊豆急下田・修善寺行き。正調の湘南ストライプで揃えた編成美、清水谷戸へ向けての長い上り坂を威風堂々15連で闊歩する姿、今時15連で走ってる特急なんか踊り子以外ないんじゃないのかね。そしてモーターはMT54と言う国鉄急行型のものを換装しておりますので、15連での力行時はブゥ~ンブゥ~ンとハチの羽音のような特徴あるサウンドを奏でてかっ飛んで行くのであります。長大編成による行き先の異なる多層建て、JR東日本+JR東海+伊豆急行+伊豆箱根鉄道と4社に亘る運用、改めて話題にもなりませんが「特急踊り子」と言うのは今となっては異色ずくめの特急列車なのかもしれません。配属が大宮に統合された事によってカラーバリエーションも様々ですしねえ。


清水谷戸トンネルの東戸塚側にあった案内板。森に続く小道にひっそりと歴史を語る案内板を見る人は少ないのかもしれません。新橋から横浜(現在の桜木町)まで開通した東海道本線を西に伸ばす際に、当初は今の京急線に近いルートを通って桜木町から大岡川に沿って上大岡を経由し、戸塚を経ずに現在の港南台付近でサミットを抜けてそのまま藤沢へ至る案であったそうな。最終的に現在のルートが選ばれたのは、勾配がサミットを境に上下線の勾配が不均衡になる大岡川ルートに比べ、清水谷戸のトンネルだけを掘ってしまえば勾配が均衡するルートで建設出来る事が分かったからなんだそうだが…

このルート決定は、その後当時の終点であった横浜駅が桜木町駅となり、当時は中間駅に過ぎなかった神奈川駅が改めて横浜駅として現在の位置に定まったきっかけになったとも言える。そのような思いで見ると、ターミナルとしての今日の横浜駅の隆盛は、このトンネルの開通によってもたらされたものなんだろうね。
214mのトンネルに、大きな意味があった訳ですな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師走近づいて

2013年11月09日 23時05分00秒 | 日常

(師走近づいて@世界貿易センタービル)

週中の予報では晴れるはずだった土曜日、朝から寒々しい曇り空。子供が天気予報を見ながら「あしたはおてんきだからどこにでもいけるねえ」と楽しみにしてたというのに、罪深きは気象庁だ。なんかこの秋は週中だけ無駄にいい天気で、週末になると天気の崩れる繰り返し。10月は週末ごとに台風だったし…家の前の銀杏並木は色付く前に台風続きで葉が傷んだせいか枯れ落ちてしまい、あまつさえ枯葉の片付けが面倒くさいのか市役所が枝を大きく伐採してしまいました。特に当てもなく品川で京急でも見せてやろう…と思って出かけたら、八ツ山橋はちょっと子供連れで電車を見るにはツライ冷たいビル風。仕方ないので浜松町へ移動し、世界貿易センタービルの展望室から鉛の空に沈む東京を。


すっかり首都東京のシンボルの座をスカイツリーに奪われた感のある東京タワー。浜松町からタワーのある芝公園は目と鼻の先、この大きさでタワーを見ると「ヤンヤン歌うスタジオ」とか思い出してしまうアタクシ。「今日の第4曲目は、最近髪を切ってすっかりオトナっぽくなった松田聖子ちゃん、天国のキッス~♪」とか言ってたのは当時東京12チャンネルのアナウンサーであった小倉智昭氏であったなあ。そんな無駄な感慨にふける親を尻目に、東京観光に来た女子大生3人組に対し「あれが、すーぱーびゅーおどりこ、いずきゅうしもだいきと、しんかんせんえぬ700けい!」と親切に解説を行う子供なのでありました。

タワーの下の増上寺の境内はほんのり色付き始めておりますね。
京急品川駅の横にある高輪通りの銀杏並木はまだ全然だったんで、あと半月待ってまた来ようと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする