青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

川間朱茜

2018年08月30日 20時47分30秒 | 小湊鐡道

(夕暮れ時@上総川間)

夏の終わりを告げるような、千切れ雲と夕焼け空。赤く焼けた空を狙って、西側が開けた上総川間の田園地帯で座を構えます。田んぼと森から聞こえる虫のすだきを聞きながら狙うは18時過ぎの上総中野行きですが、んー、思ったほどには空が焼けなかった。台風の影響か、低い位置にやたらと雲が出ているのでしょうがないか。


僅かながらでも乗客の下車があった上総川間の駅を後に、37列車が発車して行きます。ちなみに、上総中野行きはこの列車で最終。18時過ぎで最終とか驚くべき速さなのだが、どっこい休日ダイヤでは上総牛久基準で最終列車がさらに30分繰り上がります。かそけき夕暮れの下を通り過ぎたキハの姿の後を追ったら、田んぼの上を夥しい数のアキアカネが飛んでいました。昼間は相変わらずうだるような暑さが残る8月の終わりですが、季節はしっかりと進んでいるようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬立栄枯

2018年08月27日 22時00分00秒 | 小湊鐡道

(接近表示@馬立駅)

緩く日は西に傾いて、馬立の遅い午後。待合室に列車の接近を告げる灯りが点る。子供の頃、東京の国電のホームでよく見た接近表示器。小湊鐡道なりの設備投資による近代化に向けてのアイテムだったんだろうけど、それがいい感じに侘びて来ていて、なおかつ現役で稼働しているのがミソ。小湊鐡道の沿線、特に人口が多い五井~上総牛久間でも、平成初期のバブル期をピークにして需要減が続いています。


千葉市内への通勤圏に開かれた住宅地に入居してきた団塊世代が60~70代になり、その子供たちが選ぶのは都心回帰。家の数だけは建っているけれど案外と活気のない雰囲気や、昼間に人の姿が見えないあたりに街としての生命力が下がっている印象を強く受けます。私の亡くなった祖父母も昭和40年代に開発された北総の新興住宅地に住んでいたので、似たような肌感覚を覚えますね。


そのほとんどの部分を市原市内に有する小湊鉄道線は、そのまま市原と養老川流域の歴史と寄り添って来ました。この「馬立」という地名は、この辺りで農耕や荷役に使う馬のセリ市が開かれていたことに由来するそうです。「牛久」の手前が「馬立」とはこれいかに、という感じですが、いずれにしろ房総半島の中央部に牛馬に代わって恩恵をもたらしたのが小湊鐡道であることは間違いありません。



ツルリとシンプルな顔をしたキハ200形の交換。お隣いすみ鉄道のキハ28・52コンビに目が行きますが、こちらもデビューから50年モノのビンテージ気動車。見た目にシンプルなデザインなのであまり古くなっているイメージもないんだけど、日本で営業に供されている気動車の中ではもはや最古参の部類に入るのではないだろうか。小湊がキハ200形に形式を揃えているのは、可能な限り部品を共通化し異常時のリカバリメソッドを積み上げる事で保守管理を容易にするためだそう。その甲斐あって、未だに特に置き換えの声を聞くこともなく、房総の里山のイメージリーダーとして今日も走り続けています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月崎耕土

2018年08月26日 23時00分00秒 | 小湊鐡道

(隔てる世界@月崎~上総大久保間)

月崎駅の南側にある小隧道。このトンネルをくぐって、列車は野田っぽりに出て行くのですが、隧道の手前の深い森に昼間のトップライトが僅かに差し込んだところをワンカット。川砂利とセメントで無骨に塗られた小湊鐡道の隧道群も、素っ気なさの中に歴史を過ごして来た風合いが現れていて良い。夏の間に伸びた下草から、蒸されたような草いきれが立ち上る野田っぽり。しかしメイン機をフルサイズに変えてからはどうもニーニッパじゃ短くていかんなあ…200-500辺りの導入を真剣に考えなくてはいけないのかなと感じる今日この頃。


春は菜の花に埋め尽くされる野田っぽり。この時期は何とも茫洋としてメリハリがない景色。それでも竹藪を何年もかけて伐採し、渋太く残る根を引っこ抜いて荒れ地を整備したのですから、里山トロッコの運行を開始して以降、沿線の景観保持に力を入れている小湊鐡道の施策が一番表れているのがこの場所じゃないかなと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝生原晩夏

2018年08月25日 17時00分00秒 | 小湊鐡道

(夏草の築堤を@上総中野~養老渓谷間)

養老渓谷駅手前の朝生原の大築堤。名残りの夏の空を背負って、ベージュと朱色の気動車が駆けて来る。この築堤の背後に迫る小丘陵地が、養老川と夷隅川の分水嶺。この辺りは小湊鐡道でも一番の山深い場所で、人家もめっきり少なくなります。ここの大築堤は盛り土の量が多いせいか、豪雨によってたびたび崩れてはこの区間が不通になったりすることも。


築堤の下には沢水が流れ、おそらく以前は水田が広がっていたものと思われますが、既に耕作放棄地となった谷間は自然に還り始めています。申し訳程度に植えられた栗の木には栗のイガが青々と実っていて、熱を帯びた風に揺れる竹林とともに正しく房総の晩夏。BGMに久石譲の「Summer」とか流したくなる、そんな風景だと思う。朝生原の晩夏。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中野邂逅

2018年08月24日 23時19分56秒 | 小湊鐡道

(百日紅咲く駅@上総中野駅)

夏の花と言えば、初夏がタチアオイ、盛夏がサルスベリ、そして晩夏はフヨウ。そんなイメージがありますが、終着駅の上総中野の駅のホームにはサルスベリが植わっていて、きれいなピンク色の花を咲かせていました。比較的花の咲く時期が長い事から、漢字では「百日紅(サルスベリ)」と書くそうな。DMH17エンジンのアイドリング音が響く夏のホーム。白い砂利が眩しい。


キハ203の車体にエッチングされた「K.T.K」の社名版。首都圏でこんな味のあるサボを差して走る列車と言うのもなかなか得難い鉄道情景ではある。すすで汚れた車体と、周囲の塗装のひび割れが味わい深い。このキハ203は1963年製造ですから御年55歳、相変わらず小湊鐡道ではキハ200形をそのまま使い続けているようですが、一番新しい車両でも40年を超えていたりします。


折り返し作業中の小湊のキハ200。製造年次の古いタイプは、日中は尾灯を点灯させる代わりに、尾灯周りに付いている反転板をペロッとめくり上げて尾灯代わりにするのが小湊スタイル。昭和40~50年代くらいの国鉄の気動車はみんなこんな感じだったけど、時代に取り残されたような取扱いが今も残っています。


この日はお盆休み明けの平日で、いすみ鉄道の国鉄型キハは稼働日ではありませんでした。それでも、キハ200と同じく国鉄色ツートンに身を包み、キハ20系列を模したレトロデザインのいすみ350型。パッと見でキハ22かキハ52ですが、その中身は平成25年に新潟トランシスで製造の新型軽快気動車。いま日本で一番昭和な雰囲気の乗換駅で、つかの間の邂逅です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする