青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

サラバ、富士の嶺の申し子

2014年11月30日 07時00分36秒 | JR

(引退興行@JR東海371系)

2012年の3月に「特急あさぎり」の定期運用から外れて以降は、季節臨などでJR東海管内を走っていたJR東海371系が今月をもって運行終了との由。その引退に際し、かつての主戦場としてゆかりのある御殿場線の80周年を記念し、「御殿場線80周年記念号」として浜松~沼津~松田を往復する急行列車が11月の後半の土休日に設定されました。かつては小田急線内を走り、1日2回は新宿まで顔を出していた事でも馴染みの深い車両。定期引退時にもそれなりに撮ったつもりではいましたが、引退ともなればまた違った感慨があるもの。戦闘機のコクピットを思わせる紡錘形の前面ガラス、今回のために作られた方向幕には富士山と紅葉、そして御殿場線と言えば足柄山であり、足柄山と言えば金太郎ですね。


371系のラストラン行路、往路は浜松7:38→松田10:39、復路が松田17:06→浜松20:07とたっぷり3時間の行程でしたが、2年前までは定期で静岡(出区)→沼津→新宿→沼津→新宿→沼津→静岡→浜松→静岡(入区)と言うモーレツ運用をほぼ毎日こなしていた編成にしてみれば大した話ではないのかもしれません。そんだけのロングランなら撮る場所も色々あるんじゃないかなとは思うのですが、まあこの日は家の近所からでも富士山とか見えてないしムリするこたあないと言う事で慣れ親しんだ松田駅近くの桜観音ストレートへ。ちょっとリレーボックスが邪魔になってしまう撮影地ですが、ラストランを控えてピカピカに磨き上げられた371系が定刻よりやや遅れて通過して行きました。

  

松田駅では到着後に御殿場線のあさぎり号用のホームを使っての長時間留置があり、撮影してからでも駅にて十分にその姿を拝むことが出来ました。1編成しかないこの371系は「X1」と言う編成番号を貰っているんですが、写真を撮るとこの編成番号が誇らしげにフロントマスクに浮かぶのが個人的にはとてもカッコよかった。松田と言う比較的首都圏から行きやすい場所でもあり、多くのマニアが371系の最後を見届けようと集まっていましたね。

  

371系の特徴である2階建てサロ。1枚ガラスが3連続で1・2階を繋ぐと言う大胆なデザインでしたが、ついぞ乗る事は叶いませんでした。そのカラーリングからしても同じく2階建て車両を組み込んだ新幹線100系とよく比較されましたが、この371系が貰った編成番号が「X1」なのも、新幹線100系の編成番号が同様に「X1」から付けられていた事を大いに意識しての事だと思われます。松田駅の1番線に停車するその姿は、「特急あさぎりのりば 新宿・御殿場方面」と言う案内板とともに定期運用当時の姿を思い起こさせてくれますな。


本来であれば、定期時代は松田駅1番に入った後は小田急との連絡線をゆっくりと通過し、新宿に向けて四十八瀬の渓谷を縫うように走って行くはずの371系。今回は、夕方までの留置を松田駅の先の上大井駅で行う運用らしく、回送が定期では走らなかったルートに入ります。松田駅の先の川音川橋梁は広い河原に障害物の少ないデッキガーターと言う「ここしかないでしょ」と言うロケーション。カブリツキには既に50人近くのヲタがひしめいていましたが、子供と一緒なのでややカメラの構え座は離れた位置で控えめに。少し空気のヌケは悪かったものの、色付く松田山と土手の桜もみじを従えてゆっくりと371系が川音川を渡って行きます。

  

   

わりかし御殿場線ってのは近くにあった事もあって、この371系は結構な回数のカットを撮っていたのを思い出して画像フォルダをひっくり返してみる。まあしょうもないボツカットも多いけど、その中でもマシなカットを何枚か。再掲があるのはお許しいただきたいが、いや~思った以上に枚数を撮ってたね(笑)。そんなにこの車両好きだったかオレ?って感じなのだがw


そんな中でも、やっぱり御殿場線の名撮影地である狩屋踏切を行く姿には別格の存在感がありましたね。特に12月からの冬の時期、早朝の御殿場って余裕で氷点下になるんだけど、371系は朝のあさぎり1号でこの撮影地を確か8時半ちょい過ぎくらいかな?に通過するんで、早朝のまだ雲がかからない状態のクリアーな富士山と合わせて実に絵になる一枚を撮ることが出来ましたね。このワンカットは確か初めて狩屋踏切に三脚立てた時の一枚。すっきりしたホワイトに群青のライン、やっぱりこの車両は富士山と合わせるのが一番絵になる、まさに富士の嶺の申し子のような車両でした。この先、同僚だった小田急RSE20000系のように譲渡先があるのかどうか分からないし、とにかく1編成しかない事から酷使され倒した車両ですし、ツブせる編成がない分部品取りもしにくい抵抗制御の車両と譲渡に際しては難題は山積みだと思いますが、ちょっと富士急行の社長こっち来いやくらいの勢いでトレードを希望しておきますw

Thank You & Forever Central Japan Railway series 371(X1)
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四方津秋模様

2014年11月23日 06時24分20秒 | 中央東線

(ヤマのオトコよ115@中央本線四方津駅)

前の日に長瀞で紅葉を見たものの、鉄道関係はかなり消化不良に終わったアタクシ。翌日はちょっと午前中はいないと家族に言い残して朝早く家を出て来ました。願わくばもう一度秩父でデキ貨物を紅葉とともに合わせたかったんだが、さすがに二日連続の秩父詣では出来ない話。お手軽なところで中央東線の紅葉はいかがなもんかいな?と言う事で、この日は上野原にクルマを置いて隣駅の四方津まで出てみました。1駅だけですが115系(長野色)に乗れたのはラッキーね。

 

わざわざクルマを置いて電車で出てきたのも、この日の撮影地はちょっとクルマだと停め場所に難儀してしまう撮影地に行こうと思っているからなんですね。四方津の駅を降り、坂を下って桂川の谷を渡る橋の上から。この谷はいい紅葉ですね。橋を渡ると線路とは対岸の山を登る坂道、この辺りは桂川を挟んで大きな河岸段丘になっとりまして、結構な急坂。


やって来たのは、中央本線の大呼戸沢橋梁を俯瞰する有名撮影地。あまり有名撮影地にコダワるほうじゃないんで、何度も近くまで来ていながらこっから撮影するのは初めてね。下り線の赤いアンダートラスの大呼戸沢橋梁を挟んで、奥のコンクリートアーチは上り線の新大呼戸沢橋梁、そして手前は甲州街道の大呼戸沢橋。対岸のハイキングコースから、桂川に流れ込む支流の沢を渡る橋が三つ並んで俯瞰できます。山の色づきは思ったほどではなく、ピークは先かなと言う雰囲気ですが、そのハイキングコースの一角に…やはりいますな、お鉄がウジャっと(笑)。

 

ほのかに色づいた秋の大呼戸沢界隈。ここでは鉄橋を中心に切り出す構図が定番と言う事でさっそく三脚をセッティングして長玉で狙ってみますが、いきなり右へ左へ山スカ115系のお出まし。感覚的なもんだが、朝と夕方は山スカの運用が多いような気がしますです。最近は鉄ヲタから「絶滅危惧種指定」されているこの車両、色々な車両が走る中央東線ではありますが、最近は山スカのみを好んで撮影される方も多いですね。

 

朝方の四方津の山は晴れたり陰ったり。色味が異なるのはWBを試行錯誤しているからとご理解ください(笑)。中央東線のエースE351系「スーパーあずさ」、現在の東線最速ランナーですが、高速バスの戦いから将来的にはリニアとの戦いに晒される事になるのでしょうか。当然JR東日本には新型車両を投入しての対抗策が求められるのですが、高尾~甲府の線形が良くないせいで速度的な限界はあります。

 

115系長野色。この界隈では一番多く見られた安定の車種ではありますが、最近は高崎や宇都宮から余剰となった211系が転属しておりその数を徐々に減らしております。同じ115系でも山スカは豊田、長野色は長野の所属なんですが、長野方面から先に211系のシェアアップが始まっているようです。ちなみに豊田区には投入がないようなんですが、山スカを置き換えるのはE233の山スカ色(5両補助編成)とかなんじゃないだろうか。

 

並んで撮影している御仁は同じレンズで同じように切る方が多いようなのだが、太陽も高くなって見晴らしが効くようになって来た。同じ構図で切ってても面白くないのでタテ位置で山の奥行きを出してみる。山の奥に山の連なる峡東の道、現在の甲州街道は桂川沿いを走っていますが、旧甲州街道はこの山の向こうの中央道に沿って犬目宿のある小盆地を抜け猿橋に抜けています。横浜から松本に向かう185系特急「はまかいじ」。

 

レギュラーの列車たちに混じり、臨時列車が常時設定されているのが土休日の東線。今日は485系「華(はな)」を使ったなにがしかの臨時電車が走りましたね…ってかあんまりネタものを調べないので列車名がわからんwたぶん富士山目指して河口湖へ行く臨時電車なんじゃないの?(適当)。


光も上がり切った大呼戸沢の谷を189系の「ホリデー快速富士山号」が通過して行きます。東線の土休日ではおなじみの列車ですが、所属こそ違え最近は一貫して国鉄型特急車である189系が使用されているためファンも多いですね。この日は1往復のみの運行ですが、連休なんかには複数設定されたりもするんで、ヘタすりゃ河口湖の電留線が189系だらけになるなんてこともしばしば。波動用の立場に置かれてもなお、国鉄特急車ってのはある意味別格の風格があります。

 

一番最初に架橋された(と思われる)トラスの下り線、そして現在の上り線は昭和41年に増設された新線となります。中央東線の高尾から勝沼にかけては平地に乏しいこともあり、複線化の際は既存線に並行して敷設することが出来ずその大半を山側に迂回した形で増設されました。特にこの四方津から梁川にかけては旧線がトンネル4つで抜けている狭隘区間を新線は大きく山側に1本のトンネル(新巌山TN)を掘る形でクリアしており、上り線と下り線はここで大きく離れる事になります。甲州街道も現在の上り線と同じようなコンクリートアーチですが、たぶん上り新線の敷設と同じ時期に架け替えられたのではなかろーかと。昭和30年代後半から40年代前半に作られた山岳橋梁にはこの形が多く、有名なところでは信越本線の碓氷峠新線にもこの形のコンクリートアーチが採用されていたはずです。


撮影を終え静かな里山を歩いて20分、四方津の駅に戻って来ました。大月方から新宿行きの特急「あずさ」が通過して行きますが、この構図でも左側の旧線は石積みの重厚なポータルの坑門、右側の新線はコンクリートのシンプルな坑門とその表情が全く違います。この旧線が開通したのは甲武鉄道時代の明治35年と言う事なので、ひょっとしたらその時代から変わらぬ佇まいなのかもしれませんね。


帰りの電車も長野色の115系。上野原までの一駅だけですが、ボックスシートに足を投げ出すオッサンや山登りを終えたザックを背負った集団を乗せ、東線らしい断面の狭いトンネルを轟音とともに走り抜ける。トンネルの壁に反響するモーター音、ビリビリと震えるドアやサッシ。昔の国鉄の電車ってみんなこうでしたよねえ。103系がバリバリだった時代の武蔵野線の西国分寺から新秋津の間とか、隣の人と会話すらままならなかったもんな…ノッチを切った時の断流器のカッコン!って音とかも久しく聞いていなかったサウンドではあります。

この日は午後にばんえつ物語用の客車を使ったロクヨン牽引の臨客もあったらしいのですが、ネタがなくてもビジネスユース、観光輸送、都市間輸送と普段の顔で十分に面白い撮りごたえのある路線です。プラスして平日なら甲府の先の竜王までタキ貨物での石油輸送もあったりするのですからねえ。このバリエーションの豊かさが続くことを願っています。
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秋麗の岩畳

2014年11月16日 23時17分53秒 | 日常

(チチブ・ジョシタビ@東飯能駅)

関東圏の紅葉も、場所によってはそろそろ見頃なんてニュースが聞こえて来た土曜日。最近は上の息子とばかり出かけてしまってヨメさんと下の子は置き去りにするシーンが多かったので、今回は家族全員で。行き先は紅葉が見られれば…と言う事で特に決めていなかったんだが、箱根じゃありきたりだしどうせ渋滞でしょ?って事で圏央道を北へ北へ飛ばしてみる。東飯能の駅前にクルマをデポして乗り込むのは西武秩父線、吉高由里子のCM効果かなんなのか、以前に比べると格段に若い女性グループを見かけることが多くなりました。

  

西武電車に乗る機会はあまりないですけど、乗ったとしても多摩川線とか国分寺線とか多摩湖線とかこの秩父線とか末端部分ばかり乗っているような気がするな(笑)。秩父線の主力車両4000系は西武電車の中でもカラーリングが一線を画すライオンズカラー、クロスシートのテーブルの下には昭和の時代の国鉄車両を彷彿とさせるセンヌキがついている。「ビンのふたをひっかけてこじる」ってアレですが、王冠付きの飲み物でも買ってくればよかったぜ。東飯能から西武秩父までは約45分、高麗川の渓谷に沿って登って行くにつれて彩りを増す山々、谷を詰めて突入する正丸トンネルには息子も「このトンネルなっがいね~!」とびっくり。

  

西武秩父から御花畑駅へ乗り換え、秩父鉄道で長瀞へ。長瀞と言う観光地がどのくらいメジャーなのかは知らんけど、やはり紅葉の時期ともなるとそれなりの人出ですね。何ともいい意味であか抜けないお土産屋さんの並ぶ駅前通りを抜け岩畳へ出ると、さすがに「見頃」と言うスマホアプリの情報通りになかなか素晴らしい紅葉を見る事が出来ました。ライン下りもけっこうな人数の行列、これも秩父鉄道の大事な収入源です。

  

本当ならば、わざわざ長瀞まで来るんであれば燃え盛る山々と絡めて秩父鉄道をじっくり撮る…と言うのが常道だと思うのですが、天気は良かったのだがさすがに川風は冷たい。小さな子連れにこのコンディションではそれもままならず、紅葉客でごった返す長瀞駅に進入するデキ301牽引の鉱石列車を眺めるのがせいぜいでした(笑)。土俵の盛り塩のようにきれいな三角に積まれたその積み荷を見て、思わず子供を肩車。「おお~!石灰石いっぱい積んでる!」といい反応を見せてくれたのがせめてもの慰めですなw


何やかんやと秩父路のワンデイ・トリップ。今回は東飯能の駅から「秩父フリーきっぷ」を使ってみたのだが、これって野上~三峰口と西武秩父~芦ヶ久保が2日間乗り放題なんで本当だったら三峰口あたりまで行ってみたかったんだけどねえ。秋の日暮れは早く、帰りの電車を一本逃したので駅前の仲見世商店街で秩父名物わらじカツ丼を。何でカツ丼に紅ショウガなんて乗ってるんだと思ったのだが、タレが甘い味噌ダレ+ボリューミーなカツ2枚と言う油ギッシュな組み合わせには、紅ショウガのさっぱり感がいい口直しになるのでした。

 

帰りは快速急行池袋行き@2000系。これぞ西武電車っつー定番車両が、日暮れの芦ヶ久保にてレッドアローの交換待ち。寒いからやめときなと言う親の勧告にも負けじとホームに出たがる子供、そう言えばこの駅って2月の大雪で埋もれちゃって大変だったんだよねえ。

芦ヶ久保の駅を吹き抜ける武甲降ろしの寒風に、冬がひたひたと忍び寄って来るのを感じました。
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Delicious Mirin 流山

2014年11月08日 22時06分44秒 | その他私鉄

(水色カラーの流馬号@流鉄線馬橋駅)

現在の流鉄線の主力車両5000系は元西武電車の新101系。新101系も結構な数が地方鉄道へ譲渡されて行っておりますが、東急の7200系あたりと双璧の嫁ぎ先の多さなんではないでしょうか。えーと、上信、秩父、伊豆箱根、三岐、近江、そしてこの流鉄ですか。と言う事は、この流鉄5000系とご面会したことで譲渡先の西武新101系をコンプリートした事になるわけですな。パチパチパチ。って別に自分そんなに西武線マニアでもないし新101系が好きな訳でもないんだけどw

上信  秩父  伊豆箱 
三岐  近江  流鉄 

まあ折角なんで、今までお会いして来た車両たちの姿を。秩父鉄道に行ってしまった車両(秩父鉄道6000系)の改造ぶりが激しいのが目立ちますが、まあどこも面影を残しつつ頑張っているようです。印象としては、新101系と言うか西武鋼製車の特徴である前面の銀鉄板はやっぱ外さないほうが自分は好みですわなあ。ちなみに流鉄の流馬号(水色編成)とほぼ同じカラーリングの車両が近江鉄道でデビューしていたりする。三岐だけ引き気味の写真だけしかなくて編成写真がなかった(笑)。

 

さて、そんな記念すべき最後の新101系こと流鉄5000系は特に発車の合図もなく馬橋駅を発車し、特に何の感想も語りにくい松戸市の住宅街を北に向け走り出しました(笑)。馬橋、幸谷、小金城趾、鰭ヶ崎、平和台、流山。どのみち全部乗っても10分ちょっとの短い路線、休日の日中は20分ヘッドのダイヤで2編成が行ったり来たり。真ん中の小金城趾で上下電車が交換、今日のもう一本は真っ赤っか~の赤城号でした。

 

あっという間の流山駅。今や流山市民は常磐新線ことつくばエクスプレスに南流山駅と流山セントラルパーク、流山おおたかの森駅が開業したせいもあり、東京へは一本で出れるようになりました。しかしながら、それまでの長い間はこの流山電鉄がせっせこせっせこ東京へ向かう流山市民を馬橋の駅まで送り届けていたんですよね…何となく、捨てられた女の風情と言うような絶妙な黄昏感が漂う流山駅には流山線の車庫があって、今日は使われない編成が留置されております。流鉄の現役車両は最近全て新101系に置き換わっており、赤、黄緑、オレンジ、水色、黄色の5編成があります。


流山駅の奥にある検修区。検修区の「区」の文字が旧字体の「區」となっているところが渋いのう。入区しているオレンジ編成は、7月に小金城趾の駅の近くで結構激しい踏切事故を起こしてしまった編成のようです。残り4編成あれば十分ダイヤは回って行くんだろうけど、直すのに結構長引いてるのかな。


流山駅。人口17万人を誇る流山市の玄関口にて、市役所の真隣りにある割には慎ましやかな佇まい。駅前通りには目立った商店もなく、江戸川に沿って走る県道へ続いております。昭和40年代後期に武蔵野線が通り、そして平成になってつくばエクスプレスが開通し完全に主役の座を奪われた流山線ですが、流山の名産品である白みりんの輸送に果たした流山線の功績は大きく、流山市の産業に多大な貢献を果たしたことに疑いはありません。往時はみりん工場(現在の流山キッコーマン)につながる専用線もあったらしく、駅前から斜めに伸びる路地はその専用線の跡なんだとか。


流山のみりんは「万上(マンジョウ)の本みりん」と言う名前で呼ばれ、現在はキッコーマンがその製造を引き継いでおりますが、千葉県の北部は、野田の醤油と流山のみりんと言う日本固有の調味料の産地だったんですね。そんな流山市でみりんが誕生したのが文化11年(1814年)、数えて今年は流山みりんの誕生200周年と言う事で、実に地味なアニバーサリーを迎えておるのであります(笑)。そもそも現在の流山電鉄は、みりんの出荷のために地元有志が資金を集めて作った流山軽便鉄道がルーツだしね。

  

心なしかほのかにみりんの甘い香りを残す流山の街、息子にトイレを済ませて折り返しの電車に乗る。帰りもきっちり小金城趾で上下の列車が交換し、ほとんど動きのないようなどんよりとした坂川の流れに沿って走った電車を、帰りは馬橋の一つ手前である幸谷駅で下車してみる。ここは名前こそ「幸谷」となっておりますが、位置的には常磐線の新松戸の駅の隣にあって、ロッテリアの横の路地を通って2分くらいで乗り換える事ができます。

流山電鉄自体はどこの電鉄会社のグループにも属さないインディーズ色の強い鉄道会社で、電鉄と並行した不動産経営で収益を上げているそうな。幸谷駅の真上にあるマンション(カーサ新松戸)も流鉄が経営しているんだって。全線通して乗ってもたった200円の運賃で、頼みの定期客はTXに取られ、実際TX開通以降は毎年鉄道事業では欠損を計上するなど楽な状況ではないようです。3両編成を2両編成に減車し、全面ワンマン化を行うなどの合理化に努めてはいるようですがねえ…

首都圏から30分程度でなかなか得難いのんびりムードは貴重なので、末永い健闘を期待したいもの。
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流れ流れて流鉄線

2014年11月04日 22時10分15秒 | その他私鉄

(一枚の切符から@流鉄馬橋駅)

アタクシの汚い手をでっかくアップにしてごめんなさい。PASMOやSuica全盛のこの時代、久しくキップと言うものを買う事もなくなった訳でありますから、こんなペラペラの紙の切符一枚でも何だかものすごく新鮮な気分になります。そういえば、昔の私鉄電車のキップって券面の全面に亘って小さな文字で「てつどうてつどうてつどうてつどう…」って数限りない文字が書いてあったのを手に取ってから思い出しました(笑)。あと、券面の発行番号を加減乗除していかにして10にするかとかよくやってたなあw

  

三連休の最終日、事前の予想よりはだいぶ天気が持ち直して来たものだから、息子を連れてちょっと乗り鉄。とりあえず横浜出て、京急に乗って、品川からどうしようっかなと思いつつそのまま浅草線内を乗り越し、ふらりふらりと乗り換えて京成高砂駅。京成金町線のホームが2階に上げられて本線から切り離されてしまったのに驚き。前は上野発の4両編成の普通電車がそのまま金町線に乗り入れて京成金町まで行くのも結構多かったと思うんだけど…真ん中に柴又駅を挟んで駅三つ。京成でも一番レトロな車両が回され、下町をのんびり走る金町線の雰囲気ってのは嫌いじゃない。この日は封じ込めの3500系4連が機織り運用、ゆらり揺られて京成金町駅→JR金町駅へ。

  

思えば常磐線の駅なんて来たのはかなり久しぶりの話、しばし金町駅に滞在して常磐線の列車を眺める。以前じーちゃんばーちゃんの家が千葉県にあった時には毎月のように乗っていたものだが、自分が免許を取ってからは千葉へ行くのもクルマになり、そしてじーちゃんばーちゃんそのものが千葉からいなくなってしまった。当時は中電の415系が白に青帯へ順次塗り替えられて、デカ目403系はそろそろ引退…とかそんな時期でしたか(つくば博が終わったくらいの時期ね)。エメラルドグリーンの103系がブンブン!地下鉄から追い出された1000番台も快速線に転用されてブンブン!とやたら103系がフルターボで駆け回っていた常磐快速線。特にこの金町と北小金の辺りは線形も良くて、かっ飛ばしぶりは凄まじかったですねえ…。つくばエクスプレスが開通して千葉県北部~茨城県南部の常磐線乗客もかなり少なくなったと思うのだが、それでも国電時代から続く迫力の10+5の快速15連運行は健在。息子は初めて見るスーパーひたちに「かっこええええええ!!」と大興奮ですが、おとーちゃんは水カツのボンネット485系にヘッドマークは水色地に梅散らしのL特急ひたちが懐かしいw


下りの快速電車が通過したのち、間髪入れず下りの接近を示す線路際の表示灯がチカチカと点滅したらしく、「あ、また来るよ!」と息子が。教えてくれるまで気が付かなかったが、最近息子は表示灯の点滅で列車の接近を感知すると言う技術を学んだらしい(笑)。こんな間隔で続行の列車ってことは貨物かなんかか?と思いきややって来たのは勝田所属のEast-iD。親子ともども初めて見たよ!

  

ひとしきり金町で行きかう常磐線の列車を眺めたのち、営団6000系にて馬橋駅へ移動。馬橋駅と言えば、私が子供の頃には南側に貨物の大きなヤードがあって、ワキ5000とかのパレット積みの貨車がたっくさん留置されていたんですよね。んで、その頃から駅の横には「鉄道用品株式会社」って会社があって、子供心に「何を扱ってる会社なんだろ?」と気になってしょうがなかったのだが、その謎は解明されず現在に至る。つか、この会社の横の側線に置かれているワム80000って記憶に間違いなければ自分が小学校くらいの頃からずーっとそのままになっているような気が…馬橋の主だな。


息子と楽しく電車に乗って、とりあえず夕飯までに元気に家に帰れれば良いと言う、最近の親子の日帰り流浪の旅は特に予定のないノープラン。さりとてどこかで家に向かって折り返さなきゃなりません。ここ馬橋から流山電鉄に乗って流山まで乗って、そこを本日の折り返し地点とすることにしましょうか。常磐線の改札を出て跨線橋を降りると、首都圏の駅にしては極めて鄙びた雰囲気の閑散とした改札口。ちょっとヨレヨレの色褪せた制服を着た駅員さんが、電車に乗って来た子供と親しげに会話するようなほのぼのとしたムード…

一日乗車券もあったけど、ちょっと途中下車している余裕はなさげなんで流山まで200円の切符を購入。
ってか、確かに6kmないくらいの路線だけど、初乗り120円って安いよねえ?
規模的にもうちょっと高くしないと採算取りにくいんじゃないかと思うんだけど…
次回にちょこっとだけ続く。
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