青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

中野通り、春、夕映え。

2023年04月10日 17時00分00秒 | 西武鉄道

(春の中野通り@西武新宿線・新井薬師前~沼袋間)

都内桜巡り。この日に丁度満開の発表があった東京の桜を、荒川二丁目から飛鳥山、面影橋、そして高田馬場へ歩いて最後は西武新宿線の新井薬師前へ。夕暮れ迫る中野通りの桜並木、クルマの波と人の波を遮るは二条のレールと踏切の遮断器。西武電車特有のサイレンチックな踏切警報音が鳴ると、クルマと人がその動きを止め、ライオンズブルーの電車が右へ、左へ。そして風にささめく桜の花びら。

桜の中を滔々と駆けては流れて行く電車たち。NRAの小江戸号、池袋~秩父線からは撤退してしまったものの、新宿線に限ってはまだまだ主軸の活躍。シルバーの車体に赤いライン一筋、レッドアローの愛称の名残りである。しかし、この踏切を望む事の出来る歩道橋、なかなか有名な撮影地なので結構な人だかりで、度々地元の方が「通学路を塞がないで!」と注意に来たりしていた。隣が小学校で通学路になってんのよね。この歩道橋。

午後は曇りがちな一日でしたが、夕方になって低くなった太陽が雲間からチラチラと踏切に差し込んで来た。マゼンタに染まる中野通りの踏切。そして西武電車と言えばライオンズブルーもいいけれど、このカナリアイエロー?のカラーリングがしっくり来る。特に新宿線系統は2000系じゃないっすかねーって感じになります。

混雑する歩道橋から地面に降りて、茜差す中野通りを歩く。新宿線にライナー車両の40000系も来たりするんですね。ただ、路上に降りてもコスプレしてる外国人さんがカメラで桜と自撮りしてたり結構なカオス。コスプレ外人がいるあたり、流石はサブカルの聖地・中野ブロードウェイを擁する中野区という感じもする。ってか、三月くらいからの訪日客の戻りっぷりってエグくないですか。インバウンド復活は外貨獲得という意味ではいい事なのかもしれないけど、コロナ禍以降のお出掛けシーンの回復ぶりは正直日本人よりも海外勢の方が勢いが強いのではないかと思わせる。コロナ前と比べて円レートが安くなってるってのもあるし、正直外国人から見た日本が「安い観光地」になっているのではないか?という気持ちがして忸怩たる思いが。

クルマのライトに灯が入る時間まで、ああでもないこうでもないとまったりと。日が暮れてシャッタースピードが稼げない時間まで中野通りで粘ってました。歩道橋に集まっていた撮り鉄キッズたちが三々五々に解散する中、近所の酒屋さんでレモンサワーを購入し、駅前路地にあった銭湯へシケ込む。ちょっと熱めのジェットバスで体をほぐしてから、帰りの新井薬師前駅で夜風に当たりながら飲むレモンサワーが染みる。ドラえもん電車がカーブの駅を通過する姿を見ながら、都内桜巡りを締めくくったのでありました。

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奥武蔵、小さな夏。

2021年09月01日 17時00分00秒 | 西武鉄道

(だれもいないせせらぎ・Ⅱ@西武池袋線・東吾野~武蔵横手間)

砂礫の川床の上を、さらさらと透明な水が静かに流れて行く、奥武蔵の夏。家から持って来た水筒の麦茶を飲み、途中のコンビニで買った握り飯を食いながら、通り過ぎる列車を待つ。蝉しぐれと川のせせらぎの音しか聞こえない水辺。少しだけマスクを外して山の嵐気を吸い込むと、ガーター橋を震わせて4000系が姿を見せる。長年に亘って武蔵と秩父を取り持つ伝統のライオンズカラー。千切れ雲の間から覘く青空と日差しが、木々の影を水辺に映して。

少し前に購入していたフルサイズの広角レンズ。なかなか家から持ち出せず保管庫の中でホコリをかぶっていましたが、広角で15mmまでカバー出来るのがいいですね。もっともっと2021年の夏を写したかったけれど、消化不良のまま、9月になってしまいました。

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無為に過ぎる夏

2021年08月28日 13時00分00秒 | 西武鉄道

(だれもいないせせらぎ@西武池袋線・東吾野~武蔵横手間)

7月の上信電鉄遠征以降、新型コロナ感染者数の拡大に伴い、特にどこにも行かない無為な夏が過ぎて行きます。子供と一緒に過ごす夏休みですが、エアコンの中で結局何もしなかったし、させてもあげられなかった。そういう後悔だけが残っています。最近、世間が辺て自粛して引きこもってるせいか、個人個人がそれぞれ好きだった趣味にすらなんの気持ちも動かなくなってて、抜け殻みたいになっていませんかね。あんだけ好きだった旅行、あんだけ好きだったゴルフ、釣り、あんだけ好きだった観劇、コンサート・・・いつの間にか、自粛しているうちに関心すら薄れてやしませんかい?と。この手の「趣味」ってもんはさ、別に人間やんなきゃやんないで次第にそこに順応してしまうというか、いつの間にか熱意が失われて「なんでこんなこと好きだったんだろう?」って思ってしまうもんなんですよね。世の中がこの疫病の災禍に包まれてかれこれ1年半になる訳ですが、そういう趣味に対する色気みたいなものが無くなっちゃったら、人間として生きていく豊かさが確実に褪せてしまうじゃないですか。こういう「趣味の喪失、意欲の減退、苛まれる空虚感」みたいなものも、コロナによる健康被害みたいなものだなあと思うんだけど・・・最近さ、休みに出掛けないし、飲みにも行かないし、平日も外食しないし、カメラを持たないから機材も買わないので、カネを使わないんですよね(笑)。先月なんか、正直小遣いが余っちゃったしさ(笑)。それだけでも未曽有の事態って事なんだけど。まあね、弊社いわゆる休業要請とかテレワークとか一切無縁の職業なので、今んトコ前と同じだけ給料が支払われているから呑気なことが言えるというのもある。職を失ったり働く場所が狭まったりしている人もいる中では、そこは有り難いことだとは思うのだけどね。

ともかく、自粛して家のテレビで暗いニュースばかり見ているくらいなら、あまり気乗りはしなくてもたまにはカメラ触ったり軽く乗り鉄したり・・・(もちろんマスクをするなりワクチン打つなり感染対策はちゃんとした上ですが)自分を保つためのリハビリは必要かなと思うんですよね。さすがにここまで全世界に広まってしまったらもうコロナウイルスは滅亡しないんだろうし、さりとてこのままコロナに怯えて死ぬまで暮らして行く事なんてまっぴらごめんだし。部屋に籠って感染に怯えて生きていく、それって意味のある人生なのか?と問われれば、大手を振って「自粛反対!コロナはただの風邪!医療従事者は全員コロナ患者を診ろ!」とまでは言わんけども、結局ある程度「コロナは怖い」を前提としつつも、自分なりの線引きをしてリスクテイクしつつメンタルを維持する方法を見付けないと、と思うのです。為政者は「不要不急はやめてください」と言われるが、個人個人の何が不要不急かなんて、誰も分かんないんだからさ。

誰もいない高麗川のせせらぎで、流れに素足を浸してカメラを持った。
密とは無縁の撮影スタイル、このくらいはいいでしょうというささやかな自粛レジスタンス。
通り抜ける30000系、荒み切ったコロナの御世に、スマイルを。

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秩父線今昔

2020年05月21日 17時00分00秒 | 西武鉄道

(吾野の定番アングル@西武新型特急Laview)

1001レを高麗カーブで押さえた後は、1003レ狙いで吾野のSカーブ軽俯瞰にやって来ました。折角2本あるんだから、同じところで撮影するのは能がないってんで・・・古くからの西武秩父線界隈の名撮影地らしいですけど、さすがにこの時期はニューレッドアローの秩父方面撤退のニュースもあって、そこそこの撮影者がいらっしゃいましたね。まだ「密です!」なんて言われてなかった時期。駆け抜けていく新型特急Laview・・・秩父の新しい顔として投入された新車ですが、側面窓の上下の長さと航空機的な円形の先頭部がインパクトあり過ぎます。初めて見た時、個人的には「カブトムシの幼虫みたい」というのが率直な感想でした(笑)。

1003レの露払いではるばる横浜からやって来たS-TRAIN。コウペンちゃんトレインというキャラクターラッピングでの登場です。あ、吾野のSカーブを「西武秩父線の名撮影地」なんて言ってますけど、正確には池袋から吾野までが西武池袋線なんですよね。便宜的に飯能から先が西武秩父線だと解釈しがちですが、たまにそこらへんに煩いマニアがいるので念のため(笑)。しっかし西武40000はLED写らんな。最近のフルカラーLEDはどの鉄道の車両もこうなっちゃうからあんまり好かん。小田急の更新1000とかも相当に撮り鉄泣かせである。

長瀞・三峰口行き快速急行1003レ。周囲は西武秩父線内でのニューレッドアローのお別れ勢・・・という感じだったんで、私たちのような4000系快速急行をピンポイントで撮りに来た人間は少数派だったようです。ちなみに西武4000系は、1989年(昭和63年)の秩父鉄道乗り入れ開始に伴って作成された車両なのですが、西武秩父線が開通した当初は、秩父鉄道的には「(対東京で)客が取られる」的な感情があって乗り入れに否定的だったとも聞きます。かつての秩父鉄道は、東武東上線から寄居経由で「急行ながとろ・みつみね」が乗り入れていた、というのもあったのかもね。結局、西武乗り入れの3年後、1992年3月をもって東武からの乗り入れは消滅しています。

我々的にはオマケのニューレッドアロー。待ってる間は隣に陣取ってたおじさんと話し込んでたんだけど、「ここでE851の貨物列車を良く撮影してたんだヨ。E851のさよなら運転の時は、下の斜面から撮り鉄で鈴なりになったなァ・・・」なんてアツい時代の話も聞いた。個人的にはE851の牽引する西武秩父線のセメント貨物ってのは目にする事の出来なかった憧れの列車なんで、実に羨ましい話である。私鉄にはありえない体躯の大型電機が、重連で正丸峠を超えて行く写真をカラーブックスとかで見て興奮したもんだ(笑)。

「貨物列車の目玉は、前日に用意された荷を満載した早朝5:55東横瀬発の2250列車で、セメントを満載したタキ1900と途中の狭山ヶ丘で切離すセメントバラ積みのテキ400、両端に国鉄乗り入れ規格の車掌車を連結した1000トンの列車(略)横瀬を重連単機で出庫し、東横瀬から次の芦ヶ久保までの連続上り25パーミルの難所をE851の重連が登坂していた(RM314号「西武秩父線開通40周年」より引用)」

おお・・・と言う感じで、在りし日のこんな文章を読むだけで血がたぎってしまうのですが、現在ではすっかり都市間輸送と観光路線になった西武秩父線。当初の建設目的には「武甲山の豊富な石灰石産業の一翼を担い、秩父地域の鉱工業の発展に寄与する」という名目もあった事を忘れてはいけません。三菱マテリアルによる東横瀬からのセメント出荷は1996年の春に廃止されてしまったのですが、貨物盛業だった頃の西武秩父線沿線にも、ぜひ来てみたかったですね。

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栄光の、紫紺の幕よ永遠に

2020年05月19日 17時00分00秒 | 西武鉄道

(梅見月の高麗カーブ@快速急行長瀞・三峰口行き)

四国・中国遠征から帰った後くらいでしたか、西武線の春のダイヤ改正で「土休日池袋発の長瀞・三峰口行き快速急行が廃止されるようだ」という話を聞きつけ、子供と撮影に行きました。時はダイヤ改正の1週前、朝早めに起きて圏央道をかっ飛ばし、飯能から先では有名撮影地であるはずの高麗カーブへ。そこそこ同業者いるかな?と思ったのですが、どうやら朝の下り快急を撮影するには光線が悪すぎたですな。まあ誰も来ないので子供と温かいお茶を飲みながらマッタリと待てたのだが。

インからじゃないと8連はケツ入らなさそうだったんでインに構えたんですが、高麗カーブってアウトからやるのが王道なんですね(笑)。子供にアウト側行って貰って自分がインから打てば良かったかなあ。前の日に雨が降ってしっとりと濡れた梅見月の朝、西武4000系の晴れ舞台とも言える、快速急行の8連運用1001レが高麗カーブを駆け抜けて行きます。

土休日の朝の2本の秩鉄直通快速急行。1001レが池袋7:05、1003レが8:05と長い事このダイヤは変わらなかったように思います。現在の1001レ・1003レは秩父線内への乗り入れこそ継続されていますが、飯能発の各駅停車に姿を変え、この「快速急行」の紫幕を見る事は出来ません。

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