青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

春夏秋冬、白一色。

2013年06月22日 23時00分00秒 | 西武鉄道

(ミニ・トリップへレッツゴー@西武多摩川線是政駅)

突発的に行われる「小さな私鉄を訪ねて」シリーズ。そんなもんシリーズ化されていたのかと訝る向きも多いかと思いますが(笑)、先日実家に帰った際に西武多摩川線に乗って来ました。用もないのにこんな路線に乗るのもヒマ人か好事家の成せるワザだとは思いますが、そんなヒマでもないのでやっぱり好事家って事なんでしょう。ま、子供に「電車乗りたい!」って言われて、ちょこっと遊んで来るには手頃な路線。


中央線の武蔵境から府中市の是政までの8.0km、サーベラスに名指しで「いらねーだろ」と言われた西武多摩川線。是政なんて中途半端な場所で終わってしまっているのも原因だと思うのだが、東京都内では一番印象の薄い終着駅なのではなかろーか。場所で言えば府中街道の是政橋のたもと、川を渡って南に15分歩けば南武線の南多摩駅に出る事が出来るのだが、まあそんな乗り換えをする人間など皆無と思われる。


是政駅は片側単式の1面1線。側線には保線用の車両が留置されておりますが、以前は機回しに使われてたのであろうな、と思わせる配線になっております。日中のダイヤは12分ヘッドの折り返し運用、使用される車両は最近は西武の支線筋ですっかりおなじみになった白い西武新101系の4連。北に10分くらい歩けば東京競馬場に行く事も出来るので、降りて来る客の中にはスポーツ新聞を折り畳んだおっちゃん連中もちらほら…。ただ、南門からだと内馬場経由でスタンドへ行かなきゃならんので、正味25分くらいはかかるような気がするけどな。

 

折り返し時間もそこそこに発車した電車。そもそもが是政→競艇場前→白糸台→多磨→新小金井→武蔵境と駅が6つしかなく、全線乗ってもたったの12分しかかからんので、中間の白糸台駅で途中下車してみる。駅の南側を京王線が通過しており、ちょっと歩けば武蔵野台の駅に乗り換えられるようにはなってますが、やっぱりそんな乗り換えを選択する人は少ないと思われる。多摩川線の中間に位置する中心駅と言う事で、白糸台車両基地なるものが置かれてはおります。多摩川線自体が西武線本体から離れた飛び地状の路線なもんで、いちいち毎日の点検なんかを飯能の先の武蔵丘とかに持ってってやる訳には行きませんのでねえ。側線には夏編成がお休み中、♪初夏なのに~お休みですか~と声でも掛けたくなるような静かな白糸台の午後。

  

白糸台の駅は、島式ホームで構内踏切を通して駅舎と繋がる典型的な郊外電車型の駅。日中の白糸台駅では必ず列車交換と乗務員交代があるようなのだが、そもそもこんな短い路線で乗務員交代が必要なのかと思わなくもない(笑)。そして多摩川線の乗務員氏はご高齢の方が多いようにも見受けられるのですが…まあそう言う職場なんだろうと理解する事にする。ワンマン運転でドア開閉とかもやんなきゃいけないから仕事量としては多いと思うんだけど、とは言え乗客も少ないんでどっちもどっちなのかな。交換作業も別に何に追い立てられるという風もなく、割とたっぷり目に時間を取って発車して行くので、のんびりムードではあります。

  

白糸台から再乗車。住宅街と、雑木林と、ぽつぽつ畑の武蔵野の風景の中を意外にもそれなりの速度でビュンビュンと飛ばしてあっという間に高架化された武蔵境駅に到着。ほとんどの乗客が中央線との乗り換え改札に消えて行きます。多摩川線の新101系は「春」「夏」「秋」「冬」のイラストラッピングがそれぞれに施された4編成が就役しておりますが、なんで全部白に塗ってしまったのだろう。別に西武伝統の黄色でもいいし、どうせラッピングするのなら季節ごとの色で分けても良かったのにね。まあそれだと西武じゃなくて流山電鉄になっちゃうからかもしんないけど…あっちも同じ西武新101系ですしねえ(笑)。ただ、立ち位置としての多摩川線って、流電と同じような感じがします。どちらも国鉄の本線筋の中途半端な駅(武蔵境・馬橋)から出ているフィーダー的な短い盲腸線ですから。

 

折り返しの是政行きに乗車し、今度は終点の1個前の競艇場前駅で降りてみます。交換駅だったのに、武蔵境方面のレールを引っぺがされて棒線駅になってしまいました。まがりなりにも関東の大手私鉄の駅なのに、こんな仕打ちを受けているむごたらしさ(笑)。交換はなくても、上下客を分離すると言う意味さえ認められないのでしょうか…とは言えこっから終点の是政までは歩いても10分くらいなんで、是政方面の客は皆無なのだろうなあ。閑散とした改札口は自動改札もなく、タッチ式の簡易Pasmoリーダーが備えられているだけ。武蔵境以外の多摩川線の駅はみんなこんな感じで、積極的な投資は手控えられている様子。だからサーベラスに言われちゃうんだよ!と説教したくもなる(笑)。


当初はこっから終点の是政まで歩いて帰ろうと思ったのだが、今日はあいにく(笑)多摩川の開催日。もともと西武多摩川線は多摩川での砂利採掘を目的とする多摩鉄道を起源とし、そして砂利を採掘していた場所の跡地が多摩川競艇場。聞こえて来るモーター音に子供が反応し、「見たい見たい!」と言うので散歩がてら場内へ入ってみる事に…いや、マジで散歩だからな。

<多摩川JLCカップ初日 11R予選特選>
1 乙津康志(A2 神奈川)
2 下田哲也(A2 香川)
3 金子拓矢(A2 栃木)
4 小澤 和也(B1 埼玉)
5 松本弥佑紀(A1 沖縄)
6 山崎聖司(B1 千葉)

結局やるんじゃん(笑)。
競艇の予想って久し振り過ぎて昨今の選手相場なんてさっぱり分からないんだが、一応初日でモーターの出も不明瞭なんでしょうがなく地元の乙津から売れてると言うオッズ。もう乙津も45歳ですか…と言う事に無駄な感慨を覚えながら、センターの金子から買ってみる。締め切り直前の微笑みのバネッサが懐かし過ぎる!あの頃と違うのは、隣に子供がいる事なのだが(笑)。

 

レースは松本が動いて125/346。いいカドに収まった金子がちょっとスタートノゾき気味にツケマイを打ったのだが、乙津にうまーく止められて差し込んだ松本が2番手のBSは1-5-3の体勢。本命筋だなあと思いつつ見ていたら、3周1Mで松本が4番手の小澤に内側から当てられて大逆転の1-4-3は7,420円。多摩川オヤジから松本に教育的指導w


そのまま西門から是政方面へ歩いて帰ろうと思ったら、バスターミナルのあったはずの西門出入り口が閉鎖されていたので結局正門まで引き返し、競艇場前駅からそのまま電車に乗るハメに。そういや走行写真を撮ってないなあって事で競艇場前駅に進入する春編成を一枚。背後のスナックの看板が競艇場の帰り客を待っているようですな。


と言う訳ですっかり晴れ上がった是政に戻ってきました。かつては西武もこの多摩川線を使って多摩ニュータウン方面への延伸を考えたとか聞きますが、もしそうなっていたら是政の次は南多摩、向陽台、若葉台北、西武永山、西武多摩センターなんて感じになったのかねえ。きっと多摩センターの駅前にはPARCO多摩センターとか出来ていたんでしょう。

ニュータウンで繰り広げられたかもしれない「おいしい生活」を想像するには、今の是政の雰囲気はのんびり過ぎますな。
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梅雨の空から

2013年06月17日 23時02分38秒 | JR

(雨に濡れるTOKYO@北とぴあ俯瞰)

これも6月某日の話。JR王子駅前にある「北とぴあ」に登ってみる。ここの17階にある展望デッキは鉄道ファンには知られたビューポイント。眼下に広がる王子の街と、右に緑を湛えた飛鳥山。天気は梅雨らしく雨雲が低く垂れこめる中、流れて行く列車たちを見ながら物思いに耽る。駅前をせかせかと動き回る車と人の波…ああ、どうして君たちは生き急ぐのかと意味も分からず缶コーヒーを片手に勝手にアンニュイな気分になってみましたw


ここの展望階には、西以外の三方にロビーがあり、特に北と南からは首都圏から北へ向かう大動脈である東北上越長野の新幹線、宇都宮線高崎線京浜東北線系統の輻輳する線路たちが一望のもとに楽しめます。さっきまでのアンニュイな気分はどこへやら、とりあえず300mmの長タマ付けて新幹線狙い撃ち(笑)。北側の大宮方からE2系が大きくSカーブを描いて高架を駆け抜けて来る。いいアングルですな。


E5系+E2系のはや×こま編成。デビューしてからこのファインダーでE5系を捉えるのは初めてだったりする。E5系の長いお顔を架線柱に引っ掛けないようにするのはなかなか神経を使いますなあ。梅雨のどん曇りではE5のエメラルドグリーンは少しうすら寝ぼけたような色になってしまうけど、家に帰ってこの写真を子供に見せたら「プラレールとおんなじだ!」って喜んでました(笑)。


遠くの方からゆっくりと貨物線を南行するブルサン貨物。行き先は東京貨物ターミナルか、隅田川の貨物駅か…ブルサンに引っ張られてるから上越筋の貨物でしょうか。少し前まではロクヨンかPFが牽いてた上越筋の貨物も、最近はすっかりブルサンが主役。


東京11時発のはや×こまが梅雨空の街を北へ。最後尾の車両は言わずと知れたグランクラス、東京から新青森まで26,360円でめくるめくサービスが受けられるらしいけど、いくらすんばらしいサービスでも東京~新青森が3時間ちょっとじゃなあ。お弁当食べて一眠りしたら着いちゃうんじゃ、せっかく高い金払うんだったら半日くらいゆっくりサービスを味わってみたいと思ったり(笑)。まあそもそも死ぬまでに乗れるかどうかも分かんないけどさ。


雨の飛鳥山を下る都電と、飛鳥山公園のアスカルゴ。320kmでかっ飛んで行くはやぶさの足元に、チンチン電車とカタツムリがいるというのも面白いものです。アスカルゴってのは短い自動のケーブルカーみたいなもんで、王子駅前と飛鳥山山頂を2分で結ぶ無料の乗り物なのであります。ちょうど飛鳥山の紫陽花も見頃になって来てますんで、土日のお散歩のお供にぜひ(笑)。

ちなみに「北とぴあ」って北区にあるから「きたとぴあ」だと思ってたら「ほくとぴあ」なんだそうだw
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夏は、すぐそこ。

2013年06月15日 23時27分25秒 | 小田急電鉄

(梅雨はどこへ行った@イセツル串橋田んぼ)

鉄道写真の撮り方の一つに、線路際の田んぼの水を使って水面に映りこむ列車をシンメトリーに撮る方法があります。東北地方や甲信越に出向けばGW前後に田んぼに水が入り始めますから、いい時期にいい光線で水鏡写真をバッチリ押さえる事も出来るのですが、関東地方の田植えは房総半島を除けば平野部は5月の終わりから6月にかけて。だいたい梅雨の走りとも言える時期なもんで、田んぼに水が入る頃にはお天気はどーしてもぐずつき気味。そもそも家の近所ともなれば、線路が田んぼの中にスーッと伸びてるようなロケーションで撮れる場所すらない。GW以降子育てに邁進する我々家族に遠征している暇などあろうはずもなく…今年の水鏡はおあずけかしらなどと諦めておりましたが、買い物ついでに強引にハンドルを向けたらイセツルの串橋田んぼに僅かに残ってたよ水鏡ポイントが。


風があると水鏡にならんので無風が望ましく、鏡になるには土や雑草の上までたっぷりとした水が田んぼを覆っておらねばならず、苗は植わっていてもいいけどあんまり苗の間隔に密度があるとそれはそれで鏡にはならず、そして稲がすくすく育ってしまってはそれも水鏡にはならず…と意外に面倒くさい条件をクリアする必要があるのが水鏡写真。どこまで条件を詰めるかと言うのは個人の満足度にもよりますが、今年は撮れないと思ってたからこんなもんでも満足ですよ、私はw


このアングル、こないだ来た時は右側の田んぼが赤茶けた土のまんまだったんだけど、水が入って稲が植わるとまとまって来ますねえ。逆光気味だけど、伊勢原と秦野の街を分ける善波峠をバックにEXE10連が行く。EXEがフルノッチでやって来る時のモーター音と言うのは疾走感があって小気味いい。


梅雨はどこに行った、と言う感じのイセツル界隈。そもそも小田急線沿線に水鏡ポイントってどれくらいあるのかしら。広い田んぼの中を走るロケーションと言うだけでも、このイセツル串橋と開成から富水のあたりの田園地帯くらいしかないのではないかなあ。あ、秦野の大カーブもちょっと水鏡っぽく撮れるけど。


もう日射しは完全に夏のそれ。強い太陽光にMSEブルーはギチギチのコントラストですが、変にくすませるよりもベタッと濃い味風味で撮ってしまうのは昔からのクセなのでご了承下さい(笑)。子供も汗をかきながら声援を送るあさぎり5号。「みじかーい!みじかいよー!」って不満を漏らしてたが、10連じゃあ空気輸送になっちゃうからしょうがないだろw


田んぼの早苗越し&鶴巻ガーデンシティをバックに6連の急行相模大野行。今日はいつにも増して3000系比率が高かったなあ。鶴巻ガーデンシティは中古で1000万しないみたいだけど、あの辺りに住んでイセツルの季節の移り変わりを眺めているのもいいかもしれんなあ…と言ったら嫁さんに大反対された(笑)。冗談だっつーの。こんなトコ住んだら通勤が死ぬほど大変になるわw


家族四人で見ていたら、父と息子の親子連れさんが参戦。広く開けた線路際、農家のトラックしか来ないイセツルは安全に子供に電車を見せてやれるいい場所だ。電車そっちのけで子供同士がはしゃぎ始めると、五月蠅いのかあぜ道にいたアマガエルがぴょんと田んぼの水の中に身を潜めた。コラコラ、二人ともあんまりはしゃいでると田んぼの中に落っこっちゃうぞ!


VSEにみんなでバイバイ。
さすがにこれだけ集団で見送ると、運転士さんからのホーンの返りもいいな(笑)。
VSEのパールホワイトが強い日射しに輝いて…
夏は、すぐそこ。
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あゝ上野駅

2013年06月14日 23時30分22秒 | JR

(啄木碑@上野駅地上ホーム)

ふるさとの訛りなど聞こえて来なくなって久しい上野駅の地上ホーム。かつては東北、常磐、上越、信越、各方面へ夜行列車が行き交った人間交差点的な存在でありました。新幹線が開通し、名実ともに玄関口が東京に移り変わっても、その演歌的かつブンガク的な叙情っちゅーもんはまだこのホームに残滓として存在してるような気はします。6月の某日、そんな上野駅の地上ホームを訪れてみました。


欧羅巴のターミナルを思わせる、長いくし形の頭端式ホーム。今は主力を宇都宮・高崎線方面の中距離電車に奪われております。この大屋根が被った薄暗い感じが上野駅の地上ホームの雰囲気ですが、とはいえ昔はもっと屋根の面積が狭くて、階上の常磐線のところくらいまでしかなかったような気もするけどな。


カシオペア入線。リネン類交換の作業員が並んで待機する光景なぞ、もうこの駅くらいでしか見れないかもしれませぬ。運行自体にこのような専門の作業員の雇用を必要とするところにも寝台列車の衰退の一因があるのですが、目的地に着くことを目的としないカシオペア型の寝台列車に関してはJR九州に続いて東日本も追随の動きを出してきたみたいで、これは素直に喜んでいいのかもしれませんな。


そして北斗星入線。青函トンネル開通により誕生した北斗星も、あれから四半世紀。全盛時には1・3・5号に臨時の81号・83号+開放B寝台の特急エルムなんてーのもありましたな。プラチナチケットと言う呼び方がふさわしい人気を博した北斗星ですけど、実際使用されている24系客車の煤け方はちょっと悲しくなるくらい。車内もどう見てもくたびれた場末のビジネスホテルのようで、新幹線の函館延伸とともにその役目を終えるんだろうなあと言う事が残念ながら容易に想像出来ます。


上野から尾久への推進運転に備えてエンド交換。カマはこないだパーイチからEF510に取っ換えたんできれいなんだけど、どうせ朽ち果てて行くのならそのままパーイチに牽かせとけっつー気もしないでもないな(笑)。上野から機関車交換なしで青森まで走ると言うロング運用に耐えられなかったらしいが。


いずれにしろ、寝台列車がまさしく枕を並べてホームにいるというこの上野駅の朝の風景自体が貴重なもの。
朝のラッシュが終わり、人気の少なくなったホームに到着する寝台列車。到着し、扉が開き、荷物を持っていそいそと下りてくる乗客を包む「うえのぉぉぉぉぉぉ~ うえのぉぉぉぉぉぉ~ ご乗車、ありがとうございましたぁぁぁ…」と言う駅員肉声のアナウンス。これも伝統なのでしょうね。どこかに故郷の香りを乗せて、入る列車のなつかしさ。今でも上野は心の駅でありつづけているようです。
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TOQーBox

2013年06月13日 00時25分27秒 | 東京急行

(オールスターズ揃い踏み@長津田検車区)

土曜日は、恩田の田んぼでこどもの国線を見つつ帰ったのだが、途中で田園都市線の線路を見つけた我が息子。「見るっ!」ときっぱり言い残し、線路端に立つ梅雨晴れの夕方。まあずいぶんと日が伸びましたな。場所はつくし野駅からちょっと中央林間寄りのストレート、近所の子供もコンデジ持って撮影に来てましたが、撮るにはいい場所なのかね、ここ。


現在の東急グループを席巻する勢いでその勢力を伸ばす5000系。東横でも田園都市線でもこのウォーズマンが如き細いアイラインと鉄仮面を見ない日はないと言う状況でしょうか。東横筋の副都心線方面への直通車は数字だけで言えば4000番台のナンバーを付けているのだが、5000系の4000番台と記述しているものもあれば、4000系と言う独立した形式だと記述している資料もあり正直なところはよく分かりませぬ。ツヤ消しのボディに赤いラインを巻き、田園都市線仕様は緑のラインを追加しているのがポイントですが、おそらく東急車輛製造最期の大所帯グループとして向こう40年くらいは走るんだろうなあ。この10連は正面ステッカーにあるように6ダァ車を中間車に入れ込んで、殺人的とも表現される朝のデントのラッシュを支えております。


そしてまだまだ元気だ8500系。そもそもデントの元祖大所帯グループと言えばこの系列。コルゲート板で包まれたステンレスの割に重厚感のある車体、地下鉄線対応の8M2Tと言う強力な電動車比率。長津田検車区横の登り坂を抜けて、つくし野のストレートを100km以上のスピードでかっ飛んで来た急行中央林間行き。先頭車両の床下に櫛の歯のように並ぶ抵抗器が昭和のクルマだなあって思いますが、いや~電動車が駆け抜けるたびにブンブンとクマンバチの羽音のような迫力あるサウンドを久しぶりに堪能してしまいました。全盛期の常磐線快速(103系)もかくやと思わせる。長電とか秩父じゃ決してお目にかかれない迫力のその姿に脱帽でございます。


お次は…東武車30000系ですか。デントまで来るのは50050系が多いのでその姿をお目にするのも久し振りですな。関東の私鉄なのに関西のメーカーであるアルナ工機で制作されたこの車両、。正面の貫通路の渡り板をベロッと出してるとことかやっぱりどう見ても関東の顔をしていないんだよな。5700系からDRCに伝わる東武伝統のマルーンの帯をビシッと締めて、東武の車両の中では端正な顔立ちをしているけどね。アルミ地のところを余さずマルーンに塗り上げちゃったら、フツーに西宮北口駅とかに停車していてもそんなに違和感はなさそうだよなあ。


えー。東京メトロの08系らしいです。デントから新玉線を頻繁に使っていた大学時代には影も形もなかったクルマ、基本的にメトロさんの車番の振り方は路線ごとに一つ数字を割り振ってそれをインフレにしたりデフレにしたり変番させて使っているわけですが、半蔵門線は初代が8000系、2代目がこの08系、と言う事は次は18000系ですかね。千代田線の6000→06→16000みたいにね。そう言えばシロートみたいな質問で恐縮ですが、なぜ千代田線の06系って1編成しか作られなかったんでしょうね。ってこの08系の話を全然してませんね。ハイ、正直よくわからんのですよw


赤みを帯びて傾く太陽を浴びてやって来た、その半蔵門線初代8000系@爆弾ドア。しかも8001Fのトップナンバーときたもんだ。ちなみに日本初のボルスタレス台車を履いたクルマだと言う事は案外知られてない。台車の剛性、安全性と言う点ではやたらと糾弾の的になるボルスタレス台車ですが、その嚆矢とも言えるこの車両も色々あるらしくデビュー当時はそんなにスピード出せないとか何とかの理由で各駅停車にしか使われない時代もありました。営団6000のくの字型の腰折れスタイルと比べて、スパッと斜めに切った前面デザインは印象に強いですが、この斜めデザインって地下鉄の車両に多いような気がしますね。横浜市交通局とか札幌の地下鉄とかさ。


帰ろっか?と聞いたら、子供がもうちょっと見るというので待っていた最後の一本は東武車50000系。なんかここまで1本たりとて車種の被りがないというのが凄いですな(笑)。オレンジと言うのは東武の文化にないカラーだと思うのだが、西武のスマイルトレインみたいな「次世代フラッグシップ車」って事なのでしょうか。JR東の「彩」ほどではありませんが、ビミョーな隈取のネコ目もポイント。前面部があたかもお面のようにパコッと接合されているのは、この部分だけ別に作った鋼製パネルを車体に接合しているからでして、奇しくもそれは西武30000系スマイルトレインと同じ作り方。何のこたーなく、両者とも「A-Train」と言う日立製作所の鉄道車両における新設計思想のもとに作られた、いわば兄弟車のような存在なんですねえ。

案外と近所に走っている割には、撮ったことがなかった田園都市線界隈。古くは半蔵門、水天宮前までだったその行路も、半蔵門線の押上延伸を契機に中央林間から都会を抜け、遠く南栗橋へ、久喜へ。子供の頃、地下鉄の路線図ではいっちばん短かった紫のラインは、今や関東を縦断する距離にして約100kmを走り抜ける関東最長の相互乗り入れの担い手となって、我々親子にこんな光景を見せてくれるようになりました。東武の車両ってーのは、北千住でちらっと見れればいいくらいの遠い存在でしたからねえ。
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