青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

常願寺戦史

2018年09月30日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(交換駅だった時代は遠く…@本宮駅)

東北本線にあるのは本宮(もとみや)駅ですが、こちら富山地鉄は本宮(ほんぐう)駅。雄山神社の中宮から取られた駅名ですが、雄山神社の中宮祈願殿は常願寺川を挟んだ対岸にあり、この駅からのアクセスはかえって遠回り。手前の千垣駅からバスが出てますので、そちらに乗るのが正解。ここもかつては交換設備があったようですが、合理化によって岩峅寺~立山間の交換可能駅は有峰口駅のみとなりました。そぼ降る雨の中を京阪カボチャの10030系。


駅前の道は、立山に続く旧道。今は川の対岸に室堂まで続く新道(県道富山立山公園線)が出来て車の通りも少なくなりましたが、駅の近くにいかにも由緒のありそうな神社を見付けてクルマを止める。この神社は「立蔵神社」と言って、西暦700年頃に立山を開山した佐伯有頼公が地域の五穀豊穣を祈願した由緒ある神社だそうで、ただならぬ風格も頷けるトコロ。社殿の前の三角の雪囲いが、この地の冬の厳しさを物語っているようです。


五穀豊穣の祈り。越後平野に劣らない良質な米を育む肥沃な富山平野ではありますが、立山カルデラから流れ出す常願寺川は、大雨による洪水とともに幾度となく大量の土砂を流し出しては流域の耕地を埋め尽くして来ました。北アルプスの激しい造山運動の中で、今も常に崩れ続けている立山カルデラ。崩れてしまえば富山平野を2mの厚さで埋め尽くしてしまう程の大量の土砂を食い止め、地域を守るための治山と砂防。千垣の鉄橋から見える大規模な砂防堰堤に、常願寺川と人間の戦いを見る。立山駅近くにある立山カルデラ砂防博物館とか、時間があったら超見たかったんだけどねえ。


横江駅近くにある横江頭首工。流量が一定でない暴れ川であった常願寺川の水を引き込み、富山平野の耕地を安定して灌漑するために作られた取水堰。1番から6番までの水路ゲートがあって、需要に応じて引き込む水量を調節出来るというハイテク取水堰である。思わず順番に1枠から白黒赤青黄色緑と色を塗ってやりたくなる(笑)。デンシャばっかり撮っているように見せかけて、こういう大規模な土木建造物大好き。


ここで引き込まれた水は常願寺川右岸の富山平野に常東用水として流れ、主に立山町や上市町、舟橋村方面の農村地帯を潤しているそうです。足元を轟々と音を立てて流れる水を見ながら、これで巨大流しソーメンとかやったら面白そうだなあとかアホな事を考えてしまった。横江頭首工にクレーンで吊り下げられるたけし。いや、全盛期のお笑いウルトラクイズだったらやってておかしくないと思う(笑)。


横江の頭首工で大部分の水を堰き止められた常願寺川の下流域は、雨にもかかわらずショボショボな流量。わざと堰の堤体からの流し込みを階段状にしているのは砂防対策でしょう。階段はスノコみたいになっていて、ここで流れて来た樹木や大きな岩が引っかかって止まるように出来ているのも、よく考えられた作りだなあと感心してしまうよね。


岩峅寺から先、立山線の濃いトコをブラブラ。結局全部の駅に行ってしまった。千垣の駅でトイレを借りがてら、駅前の大きな木の下で雨宿り。立山から降りて来たカボチャ京阪をスローシャッターで一枚。この時間だとさすがにアルペンルートを下ってくる客もいないと見えて、車内はガラガラでした。さて、そろそろヤマを降りて富山平野の方に行ってみんかね。
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有峰口今昔

2018年09月29日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(48年前の話なのに@有峰口駅)

岩峅寺から先、立山までの間では唯一の交換駅となっている有峰口の駅。千垣の鉄橋を渡ってすぐの駅で、開業当時は小見駅という名前でした。ここもたいそう古い駅舎がこの平成の御世まで残されていて、まあ地鉄ってこんな駅舎ばっかだからこちらの感覚も麻痺してくるというか(笑)。それでもこの駅に立ち寄ってしまったのは、右からの書き文字で残る「驛見小」の看板。もちろんこの駅の現在の名前は有峰口駅。有峰湖への入口であり、夏場は登山バスが薬師岳の登山口である折立ヒュッテまで走る。立山ほどではないけれど、アルピニストにはよくよく知られた北アルプスの前線基地。


観光振興の期待を込めてこの駅が「有峰口」と改称されたのは昭和45年のお話。その際に、旧駅名であった「驛見小」の文字の上から新しい駅名の看板を掛けたのだけれど、とある日に風か嵐かその看板が落っこちてしまったそうな。「あんまり高いところに看板架けても危ないっちゃねー」と言う話があったのか、いずれにしろ看板の位置はそれ以降駅の入口の扉上に移り、元の位置に架かる事はなかった…という真偽の定かではない話がある(笑)。


これもホントかどうか確証はないのですが、看板が落ちた際に一緒に「驛見小」の「見」の部分が剥落してしまったそうで、その後長らく「驛□小」という状態のまま放置プレーの状態が続きました。今でこそ真ん中の「見」の字を書き足しているので体裁は取れていますけど、よーく見ると明らかにタイル地が剥がれてしまった部分に直に書き足しているし、なによりフォントが異なる。でも、よく考えたら見栄えが悪いなら撤去すれば良いのだし、「見」の字を書き足して旧駅名時代のヒストリーをあえて残したという姿勢には、「古いものを丁寧に使い、しっかりと歴史を残す」という地鉄の考え方のようなものが表れていると思うんよねえ。


小見驛改め有峰口駅の駅舎内。こうしてみると、地鉄の駅の作りにもある一定のパターンがある。木造ラッチの横に、待合室に対し斜めになった出札口。まあこれは日本全国の木造駅舎に共通する作りなのかもしれませんが…そして病院系の広告看板がとにかく多いのが地鉄の駅の特徴かと思います。


地鉄に病院の看板が多いのって何でだろう、と考えてみた。越中富山の冬、大雪が降ればクルマも出せないし、昔は除雪なども今ほど行き渡ってはいないでしょうから、急に具合が悪くなって病院に行こうとしても交通手段は鉄道しかなかったのかなと。特にこの辺り、立山山麓ともなれば平野部に比べてもさらに雪は深そう。産婦人科の広告看板にある「入院・給食」の文字が珍しいんだけど、昔は食事付きで入院出来る病院って珍しかったという事なのだろうか。ともあれ、何かあってもすぐには対応できませんので、お産の予定がある方は入院・給食のある当院へ早めに入っていただいて…という意味の広告なんでしょうね。

そう言えば、市外局番の5ケタって、昔は「田舎だなあ」という視覚的イメージが凄くあったよね。最近は際限なく番号が増えていくせいで、どんどん市外局番って短くなっているらしいですけど。現在の下新川郡立山町の市外局番は「0764」や「0765」が使われているようです。
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立山涙雨

2018年09月28日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(荒涼とした河原を行く@本宮~立山間)

常願寺川と称名川の合流点に架かる鉄橋を渡って、立山駅へ向かうDDE。立山駅に近付くといよいよ雲は低く垂れ込め、雨だけでなく暗くなって来てしまった。正直強い雨の中でアングルもクソもなく、クルマの中で通過寸前まで待ってただ撮っただけになってしまったなあ…真東に向いた鉄橋だから、午前中はこの角度がバリッバリの順光になったはずなんですけどね(笑)。


いかにも山の天気らしい強い雨が叩き付ける立山駅に到着し、折り返しの準備中のDDE。折り返しは普通列車の電鉄富山行きなので、前面にある「特急」の文字は上からフタをして隠されてしまいました。特急ナシよって感じですか。DDEで走る場合は、2階建て車両に乗る際に指定席券と特急料金がかかりますけども、普通列車の際は乗車券以外の料金不要なので、乗り得の列車です。


さすがに三連休の初日とあって、アルペンルートに向かう観光客で駅周辺の駐車場は満車。ここからはまずケーブルカーに乗って美女平へ上がり、そっからはバスで標高2450mの室堂に上がって行きます。ケーブルカー、バス、ロープウェイ、トロリーバスと様々な乗り物で北アルプスを貫く日本最高かつ最強のゴールデン観光ルートですが、富山から信濃大町までまともに行ったら大人1名片道1万円。雨合羽を着込んだハイカーの方々が、やるせなさげにケーブルの立山駅へ向かいます。天気はどうあれ旅程があるなら向かうしかないのだけど、この日みたいな生憎のお天気で1万円を払うのは、正直コストパフォーマンスが…という話だよな(笑)。

ちなみに温泉好きとしては室堂のみくりが池温泉には泊まってみたいよ。日本最高所の温泉、強烈な酸性の硫黄泉が迎えてくれるそうだ。まあアルペンルートの料金にウダウダ言う手合いがそんな場所にいつ行けるのかは全く不明ですけどね…(笑)。






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千垣幽玄

2018年09月27日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(中宮神社へのアクセス駅@千垣駅)

初日はひとまず立山線と本線の上市付近までを回る事と決めていたので、お次は千垣駅へ。大正時代に富山県営鉄道の終点として作られた千垣の駅は、前立社壇のある岩峅寺に続き、雄山神社の中宮祈願殿や立山博物館へのアクセス駅。県道から一段下がった位置にある駅は、木造瓦葺のこれまた渋めのいでたち。駅から中宮や博物館のある芦峅寺の集落まではやや離れているため、町営バスが結んでいます。


寺田から千垣まで常願寺川の右岸を走って来た立山線は、千垣の駅の先で川を渡ります。ここに架かっている橋が地鉄随一の撮影地である千垣橋梁。深い谷を跨ぐ優美なアーチ橋は、立山線の景観の中でも白眉と言えるものでしょう。橋梁としては水面からの高さが30mほどとそこまで高くはないのですが、川岸の断崖が切り立っているせいか数字以上に高さを感じますね。こちら富山では10030系を名乗る2連のカボチャ京阪が千垣の駅を出て、そろりそろりと慎重に橋を渡って行きました。


千垣が長らく県営鉄道の終点だったのは、この常願寺川の鉄橋を架設するのに時間を要したからに他なりません。大正時代の技術では、100m程度の鉄橋でもスパン(支間)の長いアーチ橋を作り上げるのは並大抵のことではなかったんだろうなあと思う訳ですが、結局千垣から立山方面へ延伸するのには15年の際月を要しました。川の両岸から細身の鋼材を組み上げ、芸術品とも言える優美なアーチ橋を設計したのは小池啓吉氏。帝国大学で土木工学を学んだ橋梁技術者で、関東大震災で被災した東京市内の橋を架け替えるなど、首都の復興事業に尽力した人物でもあります。


電鉄富山発立山行きの特急立山3号。伝統の京阪色に鳩のマークも凛々しく、今や地鉄ご自慢の観光列車となったダブルデッカーライナーが堂々の進軍です。惜しむらくはもうちょっといい天気で撮影したかったなあ。それでも立山・有峰の前山に立ち上る霧が幽玄な雰囲気を醸し出して、華奢なアーチ橋と一枚の絵を作り上げてくれました。


この橋を設計した小池啓吉氏は、元々越中は高岡の出身。故郷に錦を飾るが如く昭和12年に完成したこの橋は、今も立山線のランドマークとして鉄路を支え続け、平成25年には土木学会選奨土木遺産にも認定されています。正直架設から80年を経過して老朽化も否めないのか、通過時は制限20km/hという厳しい速度制限がありますが、春は新緑、夏の清流、秋は紅葉、そして冬の雪景色と四季折々の富山の自然美を愛でる事の出来る大舞台。いつまでも大切にして欲しい、現役の鉄道構造物なのであります。
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岩峅寺縁起

2018年09月26日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(いつ見ても威風堂々@岩峅寺駅)

地鉄の旅は、鉄道車両もさることながらその鉄道を取り巻くストラクチャーを愛でる旅だと思っているのですが、そういう視点からは絶対に外せないのが岩峅寺の駅。駅の裏手にある前立社壇こと雄山神社の参拝客を迎える風格のある駅舎は、いつ見ても威風堂々としている。雄山神社は立山の頂上にある峯本社、中宮の祈願殿、そしてここ岩峅寺の前立社壇の三つから成り立っていて、古くから霊峰立山の山岳信仰を集めた由緒正しき越中富山の一の宮。


そんな風格のある地鉄の岩峅寺駅は、富山からの上滝線と寺田からの立山線の接続駅。どちらに乗っても電鉄富山までは35~40分程度。本数の多さでは立山線がリードしていますけども、富山市街の南部に行きたいのなら南富山経由の上滝線の方が便利。寺田経由でやって来た岩峅寺止まりの電車が、電鉄富山行きとして折り返しの準備中。立山側の方向幕が壊れているのか、運転台にサボを出しての運用です。


休日でしたが、仕事客と部活通いの学生さんが三々五々、親やヨメさんの送迎で駅に集まって来ました。傘を差して構内踏切を行き交う人の動きもやや忙しない。この時間は寺田経由の立山線(7:22発)と南富山経由の上滝線(7:23発)のどちらも電鉄富山行きがほぼ同時に発車するんですが、電鉄富山へは南富山経由の上滝線列車が若干早く到着するようです。


構内入替を終えて、立山線の電鉄富山行きとして出発待ちの14771編成。さっき横江の駅で会ったのはカボチャ編成だったので、やっぱり雷鳥カラーがいいですよね。立山や宇奈月へ向かっての勾配をものともしないオール電動車の2両編成は、110KWのモーターを4個装備したハイパワーな車両。地方鉄道の車両にして鉄道友の会のローレル賞を受賞したという事からも、実に意欲的なスペックの車両だった事が伺えますわな。パンなし側のスマートな顔もイケメンだけど、前パン振りかざしたイカツイ顔の方が私は好み。


岩峅寺駅の立山線ホームに残る特徴的な縦書きのレトロな駅名標。「岩峅寺」って駅名もなかなか初見では読みにくい難読駅名だと思いますが、「山」に「弁」と書いて「峅(くら)」と読むこの漢字には「神様が降り立つ場所」と言う意味があって、立山信仰の篤いこの地域でしか使われていない常用外の特殊な漢字なのだそうな。そう言えばもうちょっと常願寺川を登った雄山神社の中宮がある集落の名前は芦峅寺(あしくらじ)。太古の昔から続いてきた信仰の歴史が地名にも込められていて、その縁起を辿るのも興味深いですよね。
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