青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

映像の世紀

2006年05月31日 10時27分18秒 | 日常
遅ればせながらだが、改めてへんしうちょ入魂の作である動画を見ると笑えてしょうがないのだがwいやー、これを大作と呼ばずして何が大作かと。
カンヌ行っとけ(笑)。

それにしても道中ホントくだらないトークしかしてなかったのと、いい年こきっぷりが露呈されているのと、とりあえず自分の声を自分の耳で聞くのはかなり嫌だということが判明致しましたw

作り込み方を見ていると、ある程度のモチーフが有るからこそ、という感じがする。ただ映像を編集しただけでなく、文字を入れる事によって映像の訴求力がかなり高まっている事を実感。確かに、最近のテレビ作りってみんなこうだもんなあ。

映像編集用のフリーソフトとかで作っているのだろうか。
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ダービーデーでしたが

2006年05月28日 22時38分39秒 | 日常
会社の研修でしたorz

15時半に終わったので、速攻ウインズに駆け付けた。馬券は間に合わなかったが…

何か、ダービーにしちゃあ妙に粛々としたレースだったなと。
善臣が歩きペースの単騎に持ち込んで楽逃げも、インサンで折り合った石橋が直線チョン差しで終了。あんま回顧するようなレースでもないような。
叩き合ってるのがヨシトミ先生と石橋ってのが余計格無しオーラを発していた感じがする(笑)。
石橋もミスなく普通に乗って普通に勝ったので非の打ち所もないのだが、馬が強いのと、他の馬の距離適性がなかったんだろうね。重い馬場もあって、走っただけでスタミナ切れた馬が何頭もいた感じ。
先週がキングヘイロー、今週がオペラハウス×ダンシングブレーヴ、最終もエリシオって事で、府中2400近辺はヨーロッパ系のスタミナ血統が幅を利かすような馬場具合だって事でしょうか。

久々に競馬の話をしてしまった。
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PCの現状

2006年05月27日 10時56分34秒 | 日常
お亡くなりになられてから一週間が過ぎました。

壊れた→とりあえずPCデポ
「ウチではemachinesさんと契約してないんで、修理は受けられないですね~」
→emachinesに電話
「1年保証の期間が過ぎているので、販売店さんに持ち込んで下さい」
→秋葉原某ツクモ電気に電話
~持って行くの面倒なんで、どっか代理店ないんですか?
「じゃあ往復の発送費と自己負担になりますが、修理会社と直でやり取りして」
→修理会社に電話
「精密機械ですので、ご郵送での受付はちょっと」
「どうしてもと言うなら日通の精密機械専用便で送ってくれ」
「往復で6,000円くらいかかる」
→街のPC屋に持ち込み、診断
「どうやらマザーボードの問題ですね。分かりました、修理しましょう」
→なんも連絡なし
「部品が見つからないから、探している最中」
「販売店ではないので、メーカーと直で部品をやり取りする立場にない」
~じゃあどうやって部品調達するのよ?
「ジャンク系の市場に出る部品の中から、合ったものがあれば調達します」
~いつになるの?
「部品が出ればすぐにやりますが、何とも言えません」

前途多難。
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越中黒部&能登半島一周ツアー 完結編

2006年05月20日 10時05分09秒 | 日常
(写真:同行お疲れ様でした)

持つべきものは、旅の友。
ネタに付き合う心意気(笑)。

続き。

町野高校からさらに海岸線沿いを西へ。
のと鉄道の廃線跡とか町野高校とか、マイナーな所ばかりを好んで観光して来た我々だが、正統派能登観光と言えばこの白米千枚田(輪島市HP)は絶対に外せないスポットの一つと言えるだろう。有名観光地だけに、道の駅に止まり切れない車は国道の路肩まで溢れ返っており、かなりの数の観光客と、風景を収めようとするアマチュア写真家が棚田を見下ろす国道沿いに陣取っていた。ちょっと煩い感じがしたので、青い海に向けて広がる棚田の間の細道を海に向かって降りて行く事にする。

確かに素晴らしい風景だ

青い海、岩場に寄せる波頭。午後の太陽に照らされて、大小無数の田んぼ一枚一枚が「銀鱗」という感じで光っている風景は強く印象に残る。いつの時代から築き上げられたものなのだろうか。田植えを待つ千枚田の幾重にもうねる畦(あぜ)が、何となく能登の歴史を裏付ける年輪のようでもあります。
ぐるりと千枚田の中の農道を歩いて戻って来ると、へんしうちょは崖の上でお座りをしていました。
「だって、こんな急な坂道、降りたら登らなきゃいけないじゃん!」
仰る通り(笑)。

午後の日は西に傾き始め、輪島市街から旧門前町(現在は輪島市)を経て今日最後の景勝地である能登金剛へ向かう。能登半島を回って気がついたのだが、案外とソメイヨシノは少なく、その代わりシダレ桜や八重桜の多い事。5月の連休の時期がちょうど見頃であったのだろう。国道の道すがらに、そのピンク色を鮮やかに見せてくれていた。
関野鼻(せきのはな)と言う海辺の断崖に面したドライブイン風の食堂で遅い昼飯。時間も外れていた事もあり広いフロアに客は我々のみ。異常なほどガランとしていた食堂に、調理場のババアの雑談とバカ笑いがこだまするのであった(笑)。
付近は松本清張の小説(「ゼロの焦点」って有名なんでしょ?)で登場したヤセの断崖(関野鼻パークハウスHPより・てか、何だこの女の微妙なポージングはw)と言う景勝地があったり、まあ船越栄一郎がいつ出てきてもおかしくない傑作ワイド劇場(但し開始から1時間35分後限定)と言う感じの風景が続く。

能登金剛の海を照らして、傾いていく夕陽を見ながら、表題のようなネタ写真(笑)を撮りつつ、ようやく旅の終わりが近づいて来る事を実感。白川郷、黒部峡谷、なぎさドライブウェイ、能登半島一周と、これでだいたいのミッションは完了した。

今回の旅をまとめると何か、と問われたら、ネタ画像&映像収集はともかくとしても(笑)、「うら寂しさと暖かさ」の旅だったような気がする。

自然厳しい黒部の峡谷に、うら寂しい奇跡的なボロ宿(笑)を維持する鐘釣のおばちゃんは、我々のために露天風呂をサルベージしてくれた。売れ残りを危惧していた能登空港のおばちゃんは、無駄にカキフライを大サービスしてくれたw
穴水から先の、廃線となったのと鉄道の打ち捨てられた物悲しさ。廃線となっても、まだ諦め切れずに咲いていた鵜川駅の花と、蛸島駅の放置された車両。廃校となった町野高校のグラウンドでは、ホームベースだけが妙にリアルだった。風雪に耐え、曲がりながら生きる禄剛崎を始めとする能登の木々の数々。肥沃な平野があれば、決して出来る事はなかった千枚田…
生きるために幾多の不便をかこちながら、それでも人はそこに住む訳だ。

合理化された世の中に置き去りにされた存在に味わいを求めるのは、もう自分もおっさんである事を改めて確認させられる「感傷的なノスタルジー」なのかもしれないけどね。

ともかく、長々とした物語もこれで一応の完結。
へんしうちょ、Kenshin両氏には感謝の意を表します。
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越中黒部&能登半島一周ツアー その8

2006年05月17日 10時37分18秒 | 日常
(写真:能登金剛・関の鼻から)

黄昏迫る旅の終わり。
能登半島は広かった。

続き。
能登空港を離れ、県道経由で再びR249へ復帰する。廃線になったのと鉄道の末端部分に沿って、これからはひたすら海沿いを行く。廃線になってまだ1年足らずという事で線路も駅舎もまだそのまま放置されており。
と言うか、撤去するにも金がかかるからそのままなんだろうね。

鵜川駅へ立ち寄ってみる。
既に打ち付けられた扉の前に赤々としたチューリップが、役目を終えた駅の前で静かに咲いている。廃線を何とかして食い止めたかったのだろう「未来へ続くのと鉄道」と言う看板も虚しい。駅の中にもホームと線路の間には誰かの手が入っているかのような花壇があり、ここでも真っ赤なチューリップが風にそよいでいる。その色の鮮烈さが、打ち捨てられた鉄道風景と対をなしているかのようで非常に印象的だ。こう言う光景は自分としては悪くない。寂寥感を感じる場所と言うのは好きだ。
帰宅してからネットで色々調べると、北日本新聞の記事が出て来た(結構読みごたえある記事です)。花壇の主は、列車の来なくなった駅でも、花壇の手入れを続けているのだろう。もう列車の来ることのない駅に、せめてもの慰めと錆びたレールの上にチョロQを走らせるへんしうちょ。彼なりの手向け、なのだろうか(笑)。
奥能登へ進むに連れて田舎具合は段々と濃くなるようで、車窓にはカラスの羽根のような黒々とした木造の漁村集落が続く。矢波、波並、藤波と、確かに波をかぶりそうな海沿いの集落を経て宇出津(うしつ)。ここからR249を一旦離れ、海岸線沿いに縄文真脇遺跡なぞに行ってみるのだが、何とも印象のない「遺跡風公園」で特に私には面白みが感じられず、もっぱらこちらのほうの見学に時間を割いたのは言うまでもない(笑)。

恋路海岸、珠洲市街を経て、とうとう能登半島も押し詰まってきた。
のと鉄道(旧能登線)の終着駅だった蛸島駅に寄ってみる。一応現存する駅舎がちょっとした展示資料館になっているらしく、ちらほらと観光客の姿も見受けられる。ホームに出ると、再び走り出す日を夢見て一両の気動車が展示されていて、既に散ったソメイヨシノの木の下で静かに海風に吹かれていた。
雑草の線路に降りると、「61」と書かれたコンクリートの標柱がまるで卒塔婆のようだ。「穴水から61km」を意味する標柱ととっさに理解。微妙な傾き加減がいかにもローカル線の終着駅らしいなあ、と思いつつ、旅路の果てと言う感じの風景を切り取って、蛸島駅を後にした。

空が明るく開けた田園と森の中の道を、能登半島の最果ての禄剛崎へ急ぐ。最果ての灯台のある集落はその名も「狼煙(のろし)」。古代よりのろしを上げるような場所であったんだろうね。漁船の上に止まるカラスに演歌的な風景を感じながら駐車場に車を止め、灯台のある高台へ。白亜の灯台に広がる青い日本海、180度の海である。相当に風の強い土地なのだろう、外海に面した崖地の松が逆立ったような枝振りを見せている。家を出てからおそらく7~800kmは走ったのだろうか。そう思うと、ここの最果て的雰囲気と広がる青い海は、青森の大間崎へ行ったくらいの到達感はあったな(笑)。

車は禄剛崎から奥能登の日本海側へ進み、曽々木海岸へ。一応石川県は松井の出身地だからか、結構無理やりくさいこんな岩があって一同失笑。車窓には、外浦の高い波に洗われた海岸線が続く。
ふと車の右側に、学校が見えて来た。その名前を見て、コアなプロ野球ファンなら足を止めずに入られない。

石川県立町野高校

見た目、何の変哲もない田舎の高校である。しかし、こんな高校から1997年のドラフトで横浜ベイスターズから1位指名を受けた選手が出ている。ただ、それを旅の目的としてピックアップする人間はあまりいないかと思われるが(笑)。
この谷口に限らず、古くは「史上初の契約金1億円・北陸のドクターK」水尾義孝(確かドラフト以降にヒジかなんかが悪いのが発覚して、「そっちのドクターかよ!」と言う突っ込みが入った)、現役では七尾工業時代に石川県予選で23奪三振ノーノーをかまし、ノンプロ三菱ふそうを経て入団した森大輔。現在でも森は満足に投げることも出来ず、「キャッチボールが出来た」程度の事がニュースになるほどの重度の故障に苦しみ、西洋医学を捨ててリハビリのために中国へ行ってしまったまま。つか、前身の大洋時代からほとほと悪いベイスターズと北陸との相性。へんしうちょ的にはオプションの「ベイ怨念の北陸ドラフト黒歴史ツアー」か(笑)。

町野高校は、グラウンドや校舎の敷地内に雑草が生い茂っていた。
いくらGWとは言え明らかに様子がおかしく、薄々感づいてはいたが、帰ってから調査したところどうやら廃校されて随分と日が経っているらしい。川べりの土手からグラウンドに侵入する我々。田舎の学校にしてはそれなりに立派なグラウンドであったのだろう。朽ち果てたダッグアウト。マウンドも、風に削られてほとんど山の形を残してはいなかったが、真っ白なホームベースだけが静まり返ったグラウンドの端でその存在をアピールしていた。

万感の思い(笑)でへんしゅうちょがマウンドに立った
谷口は今でもノンプロの新日石で野球を続けているそうだ。こんな場所から、プロ野球の選手がドラフト1位で巣立っていったのだなあ。谷口。おらが町のヒーローよ。
その時の町野高校の大騒ぎぶり、いかがなものだったのだろうか。

続く。
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