青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

上州の 風に吹かれて 旅の味。

2022年12月05日 17時00分00秒 | バス

(戦い済んで日が暮れて@群馬藤岡駅前)

上野村から神流町、そして万場での休憩を経て、午後の奥多野線バスは神流川の流れを新町駅へ向けて戻って行きます。神流町ではハイキング帰りの乗客を、鬼石から藤岡へ向かって、そこそこの停留所からそこそこの乗客があり、新町駅に向かって立ち客も出る状態になりました。何となくバスの車内もワサワサッとした感じになりましたので、帰りは敢えて新町の駅までは出ず、途中の群馬藤岡駅で下車してみることに。

釣瓶落としの秋の日はとうに暮れた群馬藤岡の駅。トンガリ屋根が瀟洒なスタイルです。群馬県の旧国名は上野(こうずけ)国ですが、常磐・東北・上越方面のターミナルである上野駅との混同を避けて、旧国名を冠した駅は一つもありません。その代わり、県名である「群馬」を冠した駅はいくつかあって、群馬総社(上越線)、群馬八幡(信越本線)、群馬原町(吾妻線)、そしてここ群馬藤岡があります。この駅が八高北線として開業したのは1931年(昭和6年)のこと。その僅か2年前に、東武日光線に藤岡駅(栃木県旧藤岡町)が開業しており、そことの混同を避けたものと思われます。

ここ群馬藤岡と、一つ先の児玉までは高崎市への通勤通学圏内と見え、ダイヤ的にもそれなりの本数が設定されています。八高線で一番本数の少ないローカルな区間ってのが小川町~児玉間なのだけど、秩父鉄道と接続する寄居周辺がエアポケットなのは、勿論並行して東武東上線があったりする点もそうだろうし、関東の長大ローカル線である八高線を通しで乗り通すタテの移動の需要は少ないという事なのでしょうな。折しも夕方の帰宅時間、八高線のエース車両であるキハ110から、それぞれ大勢の学生が降りて来て、改札口へ去って行きます。群馬の高校生、キハの窓辺にスタバを置いて、帰りの列車でウトウトと微睡む。高崎デートの帰りかな。

帰りは群馬藤岡から高崎へ出て、上野東京ラインの始発グリーンでもキメて帰ろうという趣向。この時間でも、八高線の藤岡方面から高崎方面への流動はそれなり。藤岡市に県立高校が3つくらいあるので、土曜日でも部活とか校外活動とかの需要は多いんでしょうね。

時間が夕方時だったので、少し小腹を満たしてから帰りたく、高崎駅ホームの立ち食いそばでおばちゃんにかき揚げそばの注文を乞う。のだが、「ごめんねー!今日天ぷらみんな売れちゃって!たぬきくらいしかないけど!今日はお天気良くていっぱい出ちゃったのよ!アタシも今日は売れそうだと思ってさ!いっぱい揚げたんだけど!ごめんねー!」という事で、たぬきそばになった。ワカメたっぷり、揚げ置きで少ししなっとした揚げ玉に、関東らしい醤油濃いめのツユが染み込んで行く。正直麺は袋めんの茹でそばで、くたっとした感じのいわゆる昔ながらの味なんだけど、美味いとか美味くないじゃなくて、この高崎の立ち食いそばは「ホームの風」で食わせる味なんだよな。看板にあるように、まさに「旅の味」なんだよ。

自分がたぬきそばを手繰っている間にも、ポツリポツリと地元客が入って来て注文をしていくホームの立ち食いそば。今は立ち食いそばに限らずみんな供食店舗をコンコースに引き上げちゃうけど、ホームの風を調味料にして食わせる味ってのがあんだよね。国鉄の時代は駅弁駅そばを中心に外部業者に委託する業務が多くて(「民業圧迫」とならぬよう、国鉄として携われる業務に制限があった)、それがバリエーションに繋がっていたものだけど、結局鉄道会社の本業が不動産デベロッパーになった結果「自分のシマで外部業者に仕事させる」事に忌避感が強くなり、既存業者の契約を打ち切って没個性化したのが平成以降の駅の供食事情。勿論ハイブランドの有名店が駅のモールを飾る事でオシャレで豊かになった側面もあるけど、やっぱりこういうホームの立ち食いそば店みたいな雰囲気ってのは得難いもんがあるよね。

ちなみに個人的には、高崎駅は上信電鉄のホームの脇っちょにある「たかべん」の立ち食いそばの醤油ラーメンが好きだった。それこそ高崎競馬があった頃からバリバリに贔屓にしてたんですよね。気付いたらいつの間にかたかべんじゃなくなってたんだよな、あの立ち食いそば。

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西上州、バス旅は酔いて朧に。 

2022年12月03日 09時00分00秒 | バス

(山の味@上野村ふれあい館)

しおじの湯から、紅葉の山を愛でながら歩いて一時間程度。村の物産を扱う「上野村ふれあい館」にやって来ました。クルマではないのであまり大荷物にはしたくないのだけど、ひょんな事から折角ここまでやって来たのだから何かお土産を・・・と物産館の中をウロウロ。イワナの燻製や甘露煮、天然のはちみつ、クルミ、木工製品などなどやはり山のモノが多い訳ですが、一番フィーチャーされていた「十石みそ」という麦みそを購入。秩父から群馬にかけては美味しい味噌蔵が多いっすよね。私が愛用しているのは秩父のヤマブ味噌なのだけど、これで煮ぼととか豚味噌とか作るのが最高に美味しいのよ。

西上州の山間部を繋ぐ奥多野線のポンチョ。撮り鉄・・・はするのだけど、撮りバスはあまりやったことがない。列車もそうだが、車体の角度の取り方が難しいっすね。あと、バスの場合って基本的に乗降口がある側がオモテ面なんだろうけど、そうなると道路の歩道側から撮影するしかないのかしら。例えばだけど、オモテ面を順光で狙うには、南面した広い交差点で東側から来たバスが左折するところをインから狙う、みたいな極めて限られたシーンでしかカットが狙いにくいですね。交通の多い都市部でバス撮りしてる人とか、レールの上を確実にやって来る鉄道とは違うご苦労が絶えないのではないかと・・・

「しおじの湯」へ向かう午後のバス。これが折り返して来て私の乗る新町行きのバスとなるのでしょう。11月の上旬の上野村の紅葉は実に見事と言うほかはなく、物産館の路傍に植わった真っ赤に色付いたモミジが、早くも山影に入り始めた上野村の国道を往く西上州の長距離路線バスにエールを送っておりました。

バスが折り返してくるまでの30分、物産館のテラスで売店で買った缶チューハイを吞みながらまったりと紅葉を愛でる。午後の光に鮮やかにガラスに写り込んだ紅葉がシンメトリーに美しく。昼食に続いてのアルコール投入、全ての感情を大自然に放り出して一人でチビチビとやっていたら、だんだんと世の中の事はどうでも良くなって来る。どうせであればこのままこの村に泊まって、もう少し山里の静かな秋を楽しみたい気持ちもあったのだけど、無慈悲にもバスの到着する時間となった。しゃあねえ、行くか。

上野村ふれあい館15時発の新町駅前行バスが到着。バスは名産のイノブタがあしらわれた「おいでよ!上野村」のラッピングバス。あれ、さっき「しおじの湯」に向けて登ってったバスじゃないのね。さすがに同じ乗務員がインターバルを持たずに70km以上の距離を往復する行路にはなっていないのだろうか。10:40に新町駅発のふれあい館行きのバスがあるので、これが休憩を挟んでしおじの湯14:50発のバスに充当されているのかな。片道3時間なので、即折り返しの行路では乗務員さんがトイレも昼食の時間も取れないだろうしな。

日の暮れた上野村の山里を走る日野ポンチョ。尻から伝わるゴツゴツとした振動に体を預け、小さな集落のバス停の名前が淡々と読み上げられていくのをただ聞いていた。「恐竜センター」ってバス停がいきなり出て来てビックリしたり。上野村や神流町の周辺は、秩父山地から続く石灰岩質の山塊が多く、採掘の際に恐竜の化石が出土する事も多いのだとか。そう言えば、秩父鉄道で武州原谷から積み込まれる石灰石を産出している叶山鉱山ってのも、山自体がペルム紀に造成された巨大な石灰岩体で、上野村と神流町に跨ったあたりにあるのだったなあ。

砥根平、小春、乙父(おっち)、乙母(おとも)、蛇木、尾附、古鉄橋、伝田郷・・・何しろ新町駅まで130近くのバス停を通過する路線である。特徴的な名前もいくつかあったのだが、アルコール混じりの虚ろなアタマでは、とても覚えきれるものではない。

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深山のいで湯に、山里の暮らしを想う。

2022年11月28日 17時00分00秒 | バス

(山里に復活のいで湯@浜平温泉しおじの湯)

奥多野線の終点・しおじの湯。正式には、「浜平温泉しおじの湯」。奥山の鄙びたいで湯を思い起こすのですけど、建物は随分と新しく立派である。以前、ここよりもう少し奥に「浜平鉱泉」という鉱泉場があって、奥多野館という一軒宿が営業をしておったのだそうですが、同館の廃業により浜平鉱泉の名前は地図から消えてしまいました。この「しおじの湯」は、そんな小さな山の湯を復興させるべく作られた日帰り温泉施設で、浜平鉱泉のあった場所で新しい源泉(湯の沢源泉)を探し当て、そこから1km程度引き湯をしているのだそうで。

帰りのバスは3時間半後。となれば、のんびりお湯に浸かって行く事以外に選択肢はない訳で、ちょうどいい湯加減の由緒ある鉱泉に身を沈める。電車とバスの長旅で固まってしまった体がほぐれて行く。露天風呂から眺める西上州の山の紅葉も見事。こんな山奥なのに案外と湯浴み客は引きも切らず、まあこの週末がこの辺りの山の紅葉の一番の見頃だったのかなと。お湯は薄く濁りのあるメタケイ酸による規定泉ということで、成分は薄いのかなと思いきや意外に成分濃厚な浴感。肌触りはすべすべというよりはひっかかるものがあり、湯口は赤く色付いて、少しの金気分と薄く酸味のある独特な風味の鉱泉でした。

一時間程度風呂に入ってもまだまだ時間があるので、併設の食堂「しおじや」で昼食。上野村の名物である「イノブタ」を使ったメンチカツ定食。揚げ物に思わずビールを合わせてしまった。今日はハンドル握ってねえからな。乗り鉄&バス旅はこれが出来るのが良い。揚げたてのカリっとしたメンチカツとビールがまずい訳ないのだが、正直申し上げて牛肉とか豚肉じゃなくイノブタだ!とガッツリアピールしてくるほどの何かはそんなに感じなかった(笑)。いや、メンチカツとしては普通に美味かったっすけど。

温泉に入り、食事もして、横になって少しウトウトしたり。それでも帰りのバスの時間には余ってしまうので、少し散策しながら「上野村ふれあい館」まで戻ってみようかと思う。GoogleMapで調べたら3kmちょいくらいだったので、一時間もあれば行けるでしょう。しおじの湯から歩きだした場所にある青看板には、左に行くと御巣鷹の尾根とある。ここも相当に山深い場所ではあるが、御巣鷹の尾根はこの場所からさらに15kmほど奥に行った想像を絶する険しい山間部。流石に墜落現場まで行くのは大変なので、心の中で慰霊のお山に手を合わせる。

湯上りの体を冷たい山の風に当てながら、午後になって少し雲が出て来た西上州の山間地を歩く。それにしてもこの辺りの紅葉の美しいこと、まさに見頃である。神流川の瀬や淵に寄り添うように、錦織りなす色付く木々を愛でながら歩いていると、時折ポツンと川に沿って家があったりする。ここに住まう人たちの苦労はいかばかりか。自分で訪れておいて言うのもなんだが、人跡稀なる交通不便な僻地にて「こんな不便な山奥に住んで、この家の人達はどうやって生計を立てているのだろう」という感情を持ってしまう事がたまにある。都会人の傲慢なのだろうね。きっと。

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あの夏の記憶、鎮魂の村へ。

2022年11月26日 10時00分00秒 | バス

(山里に道は続く@日本中央バス・奥多野線車内)

万場での小休止の後出発したバス。さらに神流川の谷を、関東山地の果てまで進むかの如く奥へ奥へと詰めて行く。国道をただ走るだけではなく、集落の中を通る旧道へ何度も出たり入ったりを繰り返しながら、山里の暮らしを結んで行きます。道中、「魚尾(よのお)郵便局前」という難読地名を見付けた。魚尾で「よのお」はなかなか読みづらい。いくら小さなポンチョと言えど、対向車が来たらどうするんだ、という狭い集落の路地のバス停を、一個一個丹念に通過して行くバス。始発の新町駅からの料金は、既に1,500円を超えた。

すっかり雲の抜けた奥多野の風景。神流川に沿って続く山は、さらに紅葉の鮮やかさを増してまさに錦秋と言った趣。今年の秋は天気が安定していて、どこも紅葉が鮮やかだったように思う。まあ関東周辺しか行ってないけどさ。強力な台風がそこまで来なかったから、葉が傷まなかったというのはあるかもしれない。それにしてもこの奥多野線、関東山地の奥へ奥へ分け入って行くバス路線なのだけど、行けども行けども山は尽きず、そして山の向こうにまだ集落があって、人の暮らしも尽きる事なく山の彼方へ続いている印象を受ける。関東山地の深遠を見る思いがする。

神流町からさらに進んで、バスは上野村に入った。上野村に入ったところでハイカーと思しき妙齢の女性が1名乗車し、上野村役場前で下車。上野村は多野郡最奥地の自治体で、上野村の向こうはもう長野県の佐久穂町や南相木村となる。そして上野村と言えば忘れもしない1985年8月12日、日航ジャンボ機墜落事故の舞台となった村。お盆を前に満員の乗客を乗せた大阪行きの日航機が、この上野村の最南部の山中、御巣鷹の尾根に墜落。記憶から決して消えない昭和の衝撃的な大事件であった。1985年8月12日って確か月曜日でしたよね。臨時ニュースで「大阪行きの飛行機が行方不明」という一報を見たのが、確か「クイズ100人に聞きました」を見ていた時だったので・・・

あれから37年。あの夏の出来事は、群馬の一つの山村に過ぎなかった上野村が、図らずも一躍世界にその名を広めてしまった大事故であった。今でも事故当日には遺族による慰霊の登山が行われていると聞くが、流石に遺族たちの高齢化や、時間の経過による記憶の風化はあるのだろう。最近はそう大きく報道で触れられる事も少なくなったように思う。村の中でも、慰霊のための施設はいくつか作られてはいるようなのだけど、あまりそこを強調している感じもなくて、見る限りは静かな秋の山村の風景が広がっているだけであった。クルマで来ていたら「慰霊の園」くらいには立ち寄る時間はあったんだろうけど。

上野村の集落を丁寧に回った後、バスは大きく転回して上野村ふれあい館に到着した。ここは村の物産館と観光を兼ねる施設で、裏の神流川では釣りなんかも楽しめたりするようだ。この施設は上野村の公共交通の結節点にもなっていて、北側に接している富岡市と下仁田町方面から村の乗り合いタクシーがこの物産館まで運行されている。富岡市の富岡総合病院から下仁田駅前を経由し、湯の沢トンネルを通ってここ上野村ふれあい館まで一日4往復。時間は1時間程度なので、上野村に行きたければ上信電鉄で下仁田から来た方が新町からアクセスするよりは時間はかからないかもしれない。最初、帰りはこのタクシーを使って下仁田に出ようと思ったんだけど、乗り継ぎの時間が合わなかったね。

上野村ふれあい館を出ると、いよいよ周囲は完全に人里を離れ、渓流と紅葉の山の道をひたすらに詰めて行く作業となる。新町駅から数えて129個目の停留所である「白井入口」のバス停を通過すると、いよいよ「ご乗車お疲れさまでした」との表示とともに、終点「しおじの湯」に到着する旨のアナウンスがコールされた。新町駅から130個目。流石にこちらの腰もケツも結構な限界だ(笑)。そして、新町駅からの運賃は通常であれば2,080円。1,500円のフリーパスを買っておくべきと申し上げたのはこのためなのだが、ある意味ここまで乗ってしまうと、元が取れ過ぎて逆に申し訳なくなってくる。勿論沿線自治体の補助とかが出てるんだろうけど・・・

結局最後まで乗車していたのは、実需というよりは乗りバス目的のマニア2名のみ。そして、バスはそんな2名を終点のバス停に降ろすと、記念撮影の暇も与えずに爆速で走り去ってしまった。まあ、マニアのそういうのとかあんまり好きじゃないのかもしれないし、新町駅から70kmの道程を長いこと運転してさっさと休憩したかったのかもしれないし、そこは色々とご事情はあろう(笑)。主役のバスが去って行った130個目のバス停は、燃えるような紅葉に包まれて、秋を独り占めしていました。

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神流の流れ、秋深し。

2022年11月24日 17時00分00秒 | バス

(奥多野線の最奥へ・しおじの湯行き@鬼石郵便局前)

旧・鬼石町の中心街を申し訳程度にブラブラしてから停留所に戻ると、ほどなくして後続の奥多野線バスがやって来た。「上野村・しおじの湯」行き。これが正真正銘、奥多野線の終点まで行くバスである。新町駅8:30発・しおじの湯11:23着なので、所要時間は2時間53分。流石に黙ってバスに3時間も揺られ続けるのもしんどいので、とりあえず区間便で鬼石まで来ておいて良かったという気もする。しおじの湯行きバスの先客は2人。私を加えた3人が終点へ向かうバスの乗客だったのですが、先客のうち1人は鬼石市街のバス停ですぐ下車してしまいました。

鬼石市街を出ると、バスは狭まる神流川の谷に沿いながら、徐々に坂道にかかってポンチョのエンジンが唸りを上げます。この先にある下久保ダムの堤体が見えて来ました。利根川水系の神流川最大のダムで、堤体の高さは約130m。この堤体の上へ出るために、国道は右へ左へカーブしながら高度を稼いでいきます。この辺りまで来ると、周辺の山々も紅葉が盛りへ向かっているようで、色付く木々が見えて来ます。乗客は自分ともう一人、明らかに乗りバスに来たという風体の若い兄ちゃんだけが残された車内、おそらく終点までご一緒するのかな、といった雰囲気。

下久保ダム。一応「神流湖」という名前が付いているらしい。朝は少し曇っていた神流川流域ですが、ここに来て薄日が差すようになって来ました。湖畔のイチョウの黄葉が美しい。ダム湖の水ってどうしてこんな感じで青く映るんでしょうね。一説によると、水の分子は赤い光の波長を吸収するので、特に水深が深いとより赤の波長が吸収され、結果的に青とか緑色系の色だけが残る・・・という事らしいのだが。

神流湖の秋景色。ドライブであればちょっと路肩にクルマを寄せて、カメラで少し撮り歩いてみたくなる湖畔の風景ですが、路線バスなので車窓から風景を眺めるのみ。フリーパスを購入しているとはいえ、一本落としたら一時間半くらいは待ち時間が出てしまうローカル路線ではなかなか下車はしにくいですね。湖畔の国道は湖の形に添ってくねくねと屈曲し、バスは岬の突端をトンネルでくぐりながら、さらに神流川の谷を往く。湖畔の美しい風景を愛でる訳にもいかない運転士氏は、アクセルワークとバスのハンドリングにも慎重さを求められる区間だろうなあ。

旧鬼石町から多野郡神流町に入ると、やがて車窓に湖は尽きて、神流川の流れがありのままの姿を取り戻します。そしてダム湖の人工的な風景とは打って変わって、いかにも日本らしい山里の風景が戻って来ました。神流町の大寄という集落。Google Mapで見ると、高台に見下ろすようにお寺さんがあって、おそらくそこの御神木であるらしい大イチョウが集落を見守っている。神流川を渡る赤い橋。小春日和の日差しの下、重々しい黒瓦屋根の家が立ち並ぶさまは、誠に正しい日本の秋景色を見る思い。

鬼石から走る事45分、バスは神流町の中心部である万場に到着。総走行時間3時間の長距離バス路線なので、ここで10分少々のトイレ休憩を挟みます。私を含めた車内の3名がバスを出て、トイレに行ったり腰を伸ばしたり。流石に朝から電車とバスに乗り続けてケツが痛い(笑)。バス停のベンチに腰掛けて缶コーヒーを飲みながら、日野ポンチョのボディを愛でる。この小さなバスが新町と上野村の70kmを毎日往復しているのだからエライものだ。座席数で言えば10人も乗ったら一杯になるような小さなバスなのだが、輸送量と燃費を考えるとこのくらいの小型車で運行するのが一番経済的なんだろうな。

鬼石と比べて、また少し山深くなった神流町は、里に比べると紅葉もだいぶ進んでいた。この辺りまで来ると、既に大手企業のチェーン店などの物流ルートからは外れているのか、未だに地元民が開く商店が街の生活を支えているようだ。バス停の前の個人経営の食料品店の軒先に、白菜と柿が積まれている。これから冬を迎えるに当たって、保存食である白菜漬けのシーズンなのだろう。最近、白菜なんか冬場でも1/4カットで買うのがせいぜいだが、そうそう、昔の八百屋は冬が近づくと、こうやってでっかい白菜を二つ並べて荒縄でくくったような豪快な売り方をしていたものだ。売り方一つでも郷愁を感じる事があるのだな、と心のウロコがポロリと落ちた。

そろそろ出発の時間である。ぼんやりしていたら置いて行かれてしまう。観光バスではない、当たり前だがれっきとした路線バス。添乗員さんがバスに戻らないヤツを呼びに来たり、発車前の点呼などはないのだ。休憩所から戻ってきた運転士氏が、短くひと言「発車します」と言ってドアを閉めた。再び、関東山地の山の中へ。神流川の谷をさらに奥へ詰めてゆくバスの旅が続きます。

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