青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

PC帰還

2012年06月30日 23時00分00秒 | 日常

(185系踊り子下田・修善寺編成@石橋山)

拍子抜けするほど早くPCが帰って来ました。電源が勝手に落ちると言う症状、結局メーカー持ち込み修理となったのだが最終的にその理由が「ホコリが異様に内部に詰まっていてファンが動いてません」と言うしょーもないものだった(笑)。要するにオーバーヒートしてたんだね。ってか修理に持ち込んだ時は初期診断で「マザーボードがイカれているかもしれません」とか言われたので長期離脱&高額修理を覚悟していたんだが…○C DEPOTのスタッフの適当さには舌を巻く。と言う訳で、メーカーの誰かがきれいに内部をお掃除してくれただけなので1円たりとも料金はかかりませんでしたw一応内部の動作確認とかもしてからのお返しなんでまたしばらくは大丈夫なのかな。戻って来てから何となくPCのサクサク感が上がったんだが、PCにこもる熱と言うものはそれだけ作業速度を落とす要因になるものなんですねえ。だからこそ台の下にノート用の冷却ファンとか置いてPCを冷却するようにしてるんだけど、かえって冷却ファンの外部送風が内部のホコリ詰まりを助長したようです。定期的に清掃しないとねって事で今日はPCを回収してそのまま家族で石橋山。子供に電車を見せるのにわざわざ遠征して石橋山まで来る事はないと思うし、そもそも家族のレジャーで石橋山に行くってのもどうかと思わなくもないのだが(笑)。
今日は熱海に向かって石橋山トンネルを抜けた先の小道から。小田原より先に行っちゃうと列車密度が下がりますので効率が悪くなりますが、腐っても日本の大動脈。カモレが行ったり特急が行ったりで楽しめたのでは…こんなトコで撮り鉄はともかく子供が手を振るのは珍しいのか、通過するほとんどの列車のウテシ氏はタイフォンの挨拶で沿道の声援に応えてくれました。画像は185系チタA4編成特急踊り子115号(伊豆急下田・修善寺行)。MT54の動力にDT32の履物と言う国鉄謹製のメカニズムを唸らせて堂々15両で走る特急、ここで撮ると15両はケツが石橋山トンネルから抜けないんだけど、石積みポータルのトンネルだから却って絵になるものです。

と言う訳でここも平常運転に戻りますので、引き続き宜しくお願い申し上げます(笑)。
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インターネット難民

2012年06月28日 19時57分12秒 | 日常

(首都圏に残るパタパタ@京急横浜駅)

と言う訳で悲しい事にPCが逝ってしまわれましたので、しばらくはインターネット難民の私。一応携帯である程度のことは出来るのですが、ここの更新とか長文を打ち込むようになるとかったるいものでなかなか筆も進まなくなります。基本的にはどっかでネタを仕入れる→写真に収める→画像を編集する→ここに上げると言うスタイルも、写真を撮って来ても編集できないっすからね。あんまりネタのない6月で良かったぜ。あ、PCの方はマザーボードの破損らしいので見積もり次第では新しいPC入れたほうが安くなるかもしれません。これでまたNikkor16-85mmVRとかは夢のまた夢になってしまうのねなんて思いながら携帯で横浜駅に残るパタパタをパチリ。以前はどこのターミナル駅でも見かけたこの行き先表示板のパタパタ、正確には反転式フラップ型掲示板と言うものらしいですが、最近はどこもいつの間にかLED表示に変わってしまいました。未だにそれが残るのが京急横浜駅なんですが、日曜競馬実況中継でおなじみの樋口忠正アナウンサーの案内放送とともに、隠れた鉄道遺産候補なのではないかと(笑)。京急沿線にはこの手の鉄道システム系の技術では日本のトップメーカーである京三製作所なんかがあったりしますが、そこの製品なんでしょうね。ザ・ベストテンのランキングじゃないが、何となしにLEDでパッパと表示されるよりフラップ板の方がワクワク感があるような気がします。「おお、次は印旛日本医大行き(品川・日本橋経由)だよ!」とか(笑)。思わないですかそうですか。
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HiSE、その後

2012年06月23日 21時34分06秒 | 日常

(画像:塀の中には何が?)

ここは、県内某相模原市南区相模大野6丁目、UR都市機構プラザシティ相模大野前の路上。
いわゆる公団住宅の前の路上に、ギャラリーと思しき親子連れといかにもっぽいマニアの群れ。
白い金網の向こうに何が…?


3月の引退から3カ月、とりあえず喜多見の車庫に止め置かれていたらしいHiSE最終編成10001Fがとうとう解体(たぶん)のため今週深夜に喜多見~大野工場まで下って来たとの情報。線路端のギャラリーは、どこにでもいる耳の早いマニア、そして子供と一緒にそれを見に来たやっぱりマニアである私。久々に見たHiSEは、白い金網の中で囚われの身。


ゆけむりより短けえ(笑)。
最近こう言う写真掲載すると「施設外より撮影」とか注釈しとかないと晒されちゃうから一応つけておきますが、本線横に置かれた編成は文字起こしすると(←新宿)デハ10001【11号車】=サハ10003【9号車】=デハ10011【1号車】(小田原→)で両端の展望車と喫茶室のある9号車が3両に再組成されております。デハ車はあるけど、パンタグラフがなくなっちゃったので正真正銘の無動力状態wしきりに作業員が何かの点検作業をやっておりますが、何かは分かりませぬ。ムドになっちゃったので自走不可、先頭車両の連結器が出されておりますが、場内はアントで移動しているんでしょうね。それにしても、3両になっちゃうとリアルでプラレールみたいだな。


5号車から8号車は既に仮台車を履かされた上で江ノ島線側の解体線送りになっている様子で、切断面の幌が痛々しい(涙)。これは正真正銘の解体待ちですね。聞くところによると長野県は須坂方面から使える部品を取りにハイエナが来るとか来ないとか(笑)。まあ使えるもんは持ってってよって感じだよね。2~4号車、10号車は見当たらなかったので、既に重機のエサになっちゃってるのかもしれません。

普通に考えて、全部解体するなら3+4+4くらいにぶった切って順番に解体線送りにしちゃうのかなあと思うのだけど、わざわざ3両に再組成された部分は保存対象なのでしょうか?補助電源装置を備えた喫茶室部分が残っているので、沿線のどっかで保存されつつロマンスカーを使った喫茶店としてオープンすればそこそこ話題にもなりそうだとか妄想してしまうのであるが…向ケ丘遊園が残ってれば第一候補なんだけどなあ。トップナンバーの編成なんで、そのまま潰すには勿体ないよね。
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謹告

2012年06月21日 21時51分03秒 | 日常
どうもここんとこPCの調子がおかしい。マカフィーさんがインターネット接続に干渉するのかしょっちゅうフリーズするし、突然電源が切れたりするので修理に出す事にしました。幸いにしてネタのない6月、特段みなさんにお伝えする事もないので暫くここの更新も滞るかもしれませんのであしからず。画像は紫陽花咲く百合ヶ丘駅前の坂道から。
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テッパクこぼれ話

2012年06月17日 07時02分30秒 | 日常

(食堂車仕様@てっぱく)

聖子ちゃんがまた結婚し、オウムの最終手配犯が確保され、大飯の原発が竜ちゃん一匹の判断で再稼働になり(政治家の頭でなんで安全性が判断できるのか不思議)、さしこが菅原道真よろしく博多へ流罪を申しつかるなど激動の週末ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。一応、このブログで綴られることと言うのはフリーなはずなんですが、最近、このブログが断続的に鉄道ネタで綴られているのでネタがない時は必然的に休みになります(笑)。と言う訳で間を開けてしまったのですが、そういやてっぱくで撮って来た写真ってまだ整理してなかったよねって事で今日は穴埋め投稿(笑)。館内の日本食堂で食ったソフトクリームは食堂車仕様なので、このような専用スタンドに立てられて供されます。隣は高崎線と川越線が走るトレインビューのお店です。では館内で撮った写真などをつらつらと。


入口コンコースにて。まず敷きタイルのマス目に書かれた時刻表。こう言うところからして凝ってますなあ。大宮と言う場所柄か東北・上越新幹線のダイヤ。これは山形新幹線の第一次開業(1992年山形開業)の際の時刻表ですね。やまびこ・あおば・つばさ体制ってのもかなり懐かしい。板谷峠の4連スイッチバックのサヨナラと碓氷峠のサヨナラは、新幹線の罪つくりな部分だと勝手に思ってますけど。


その昔は青梅の鉄道公園に保存されていたらしいマイテ39。東海道本線の特急用一等展望客車。桃山様式の荘厳な内装を誇るそうだが、さすがの風格ですなあ。マイテと言えば戦後に黄緑色に塗られて黄緑色のゴハチに引っ張られてる姿のイメージなんですけどね。山口とか大井川だとまだ現役で走ってるんじゃなかったかな。


その牽引機たるゴハチ。ゴハチと言えば私には数々のお召しを引く特別なカマと言うイメージが強かったのですが、EF65Pが出る前の直流区間の旅客機として戦後の復興期を支えた名機であります。正面の銀のアイラインが優美な感じがしますわな。F級電機と言えど、戦前スタイルの主軸6軸に補助軸4軸だからデカイよね。


キハ41000型41307。気動車と言うよりガソリンカーと言ってた時代の骨董品ですが、廃止されるまで筑波鉄道で走ってました。関東鉄道グループ(関鉄・筑波鉄道・鹿島鉄道)の気動車王国っぷりは西の江若、東の関鉄と言われたものですが。事情はあれど今でも非電化ディーゼルで頑張ってますもんね常総線。この車両のポイントは連続する細いバス窓とアーチバー台車なんだが、見るのに夢中で撮るのを忘れたw確かカシテツには廃止になるまで気動車でアーチバー台車履いたのがいたね。


クハ181とき。イメージとしては新潟駅@昭和40年代らしい。隣のクモハ455は上野駅@昭和40年代のモチーフです。後ろに回ると「新ニイ」の文字が。初代新ニイ時代ですね。新ニイ→新ヌツ→新ニイとなって今に至る新潟車両管理センターの所属略号。「上沼垂」って書いて即座に「かみぬったり」と読めるのは鉄ヲタだけ!(ジャンプ風に)。


上野駅モチーフのクハ481ひばり。ここの芸の細かいのは、駅のホームの出発案内は「1405 特急あいづ 会津若松行」となっている事で、シチュエーションとしては「特急ひばりとして仙台から上野駅16番ホームに到着したクハ481-15の編成が、1405発特急あいづ会津若松行として折り返す準備中の光景」と言う実にピンポイントなものであって、その証拠に、編成の隣には「あいづ」サボを持った作業員が待機していると言う…そんな作り込みの細かさに感動してしまったのであるがw
 

お外には183系あさま&とき。183系あさまはともかく183系ときの時代ってそんな長くなかったんでないのかねえ。今年は東北・上越新幹線(大宮開業)30周年&長野新幹線開業15周年と言う事でのチョイス。「あさま」も「とき」も新幹線の愛称として引き継がれましたが、そう思うと「ひばり」が継がれなかったのが不思議。「あおば」になっちゃったからねえ。この日は暑かったのだが、車内はエアコンが効いてて涼しかったw車内でランチとかしてもいい施設みたいだけど、「峠の釜めし」はテッパクでは売ってないんだよねえ。食いたきゃ横川まで行けってか。


あまり人気のない貨物コーナー。コンテナに書かれた「戸口から戸口へ」って言葉に強烈に匂い立つ国鉄の薫りを感じる(笑)。レムだかレムフだかの専貨も置かれてましたが子供がチョロチョロするのでゆっくり見れず。最近はほぼ高速コンテナに統一された感のある貨物、昔ならタキとかタサで運んでた化学薬品とかもコンテナに積んで運ぶ時代ですからね。そんな意味では鹿島貨物のエチレンコキとか好きだったんですけど、震災でやられた後鹿島のコンビナートはどうなったんでしたかね。復活したのかな?

 

博物館北側のミニトレイン。受付の姉ちゃんも極めて暇そうにアクビしていたので乗ってみる事に。武蔵野線かSV踊り子か選ばされて結局SV踊り子。マスコンありブレーキハンドルありのなかなか本格的な作りで楽しかったですw

ちなみに子供が一番気に入った展示物は「寝台特急あさかぜ」仕様のナハネフ22(笑)。
寝台車ってのが珍しかったのか、家帰ってもはまなすや北斗星の写真を見ては「ねんね!ねんね!」と言っている。
果たして、物心つくまでに残っているのだろうか>24系
コメント (2)
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